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7月11日、木曜日、ビビリな私が自分にエールをのゆうのです。
今日も声日記を残していこうと思います。
今日はですね、やっとですね、息子が幼稚園に行きました。
やっとって言ってもね、休んでたのは2日だけなんですけど、
やっぱその前からね、手足くじ病になったりで、お姉ちゃんがおったりとか、
息子もちょっと体調悪くなって迎えに行ったりとか、
結構立て続いてね、続いてたので、
なのでなんかすごい長い時間ね、家にいるというか、
なんかこう看病してるなっていう感覚になってたなと思ったんですが、
もう今日、やっとね、僕学校行くって言って行ったんですよ。
あーもうほんま行ってらっしゃいと思ってね。
わーって喜んでたら、今日6時間のはずなんですよ、お姉ちゃんの長女の方が。
なのに連絡帳見たらね、6時間じゃなくて、
2時過ぎに月光って書いてあったんですよ。
え、なんで?めっちゃ1時間以上早いやんと思ったんですけど、
なんでなんてこれ聞いたら、難しい理由やからよくわからへんけど、
こうやって黒板に書いてるから書いてて連絡帳に行って、
先生が言ったらしくて、なんやそれと思ったんですよ。
理由何?と思いながらね、謎やなと思ってね。
でもきっと何かのお知らせでね、プリントだったりとか、
もしくは携帯にね、プリント今紙削減小学校もしてるから、
メールで飛んでくるんですよ。
それに多分お知らせでね、何かね、伝達が来てるはずなんですけど、
多分私が見てないだけやろうなと思いながら、
あー2時過ぎかと思いながら、もうまあえっか。
だって1時間、2時間でも1人の時間あったら、
もうめっちゃ最高やなって思ってね。
これ見よがしに声日記撮ろうと思って撮っていこうと思います、今日も。
で、今日は何について話そうかなーってふと考えてたときに、
伝えようとしたとき、何か自分が思ってること、考えてることを伝えようとしたときに、
壁になることってあるなーってちょっと思ったんですね。
夫と話す中で。
で、その壁になるのって何っていうところで違い?
その、夫と私、もちろん子供と私もなんですけど、
同じ人間じゃないので、違うのは頭では分かってるんですけど、
それを行動としてというか、本当にふうに音して行動として、
あ、そうだよね、違うよねっていうふうなことに、
なんかこう、できるのは、分かるとできるの違いもあるよなーと思ってね。
それについてちょっと話して、恋日記残したいなと思ったんですよ。
うん、そうなんです。なんかね、ほんまに、何だろう、
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家事してたりとか、家の用事、育児とかになってくると、
自分の意見を夫に伝えたときに、
夫からしたら、え、なんで?みたいなことがあるみたいなんですね。
なんか、それって意見が違うことって当たり前じゃないですか。
例えば、病気、風邪ね、息子がひいて、
え、これぐらいだったら生かせたらええやん、とか言うんですね。
いやいや、でもさ、ちょっとなんか、いつもの併熱より結構高いから、
息子自体もたぶんしんどいし、
それもあるけど、うつしたらあかんやんか、とか。
なんかその、投縁するしないに関しても、やっぱりあの、
違いが、意見の違いが出てくるんですね。
で、なんか違うことは当たり前やって、
分かってはいるんですけど、
ちょっとたまにね、カチンとくるんですよ。
え、そんなんさって、うつしたらどないし、
先生だって絶対困るに決まってるやん、みたいなことをね、
私が言うんですよ、結構。
え、そうかな、別にしんどそうじゃないし、
なんかめっちゃ熱があるわけじゃないから、
本人も生きたかったら生かせればいいやろう、みたいな。
ちゃうやろ、ってめっちゃ思うんですよ、そこで。
ちゃうやろ、え、みたいな。
そこで違いっていうね、ただの意見の違いが、
ものすごくこう、なんて言ったらいいんかな、
え、なんで一緒じゃない、普通そうやろ、みたいな。
普通ちょっと微熱じゃないけど、しんどそうにしてたら、
家で見ててあげるというか、
生かさへんのが常識じゃないのとか、
っていう私の中の当たり前。
で、向こうの中の当たり前がぶつかり合うんですよね。
それが当然でしょっていう感じのスタンスでお互い来るので、
違いを違いとして認めれへんっていうのがめちゃくちゃあるんですよ。
ほんまに事細かく言うと、
ほんとにいろんな子どものことから、
自分たちの行動とかまでが、
そういうふうにいろいろ出てくるんですよね。
そのときに、やっぱり違いが分かればね、
分かればじゃなくて、分かった上で、
さらに行動として、あ、そうやんな、違うもんなって、
一旦意見を聞けるっていう行動にまでできてたら、
そこから争いは起こらへんなって思ったんですけど、
そこが分かるとできるの違いで、
めっちゃ腹立ってすぐ食ってかかるんですよ、私が。
夫は一旦は聞くっていうスタンスを必ず取るっていう人なんですよね。
だって自分はこう思ってても、
相手はどう思っているかは聞かないと分からないからっていう、
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本当に当たり前のことなのに、
当たり前のことができひん自分がびっくりするんですけど、ほんまに。
そうなんですよ。
そういうときに、なんで頭では分かっても、
行動として聞くだったりとか、聞くことに対しても聞けるんですけど、
ちょっとイライラしたりとかするんですよ。
えっ、なんかそれちゃうくない?とか。
すぐ食ってかかるね、ほんま。
これどうにかならへんかなって思ったときにね、
なんか一つしてることがあるんですね、私が。
それは、同じ映画やドラマを見て感想を伝え合うっていうことなんですよ。
これね、同じ映画を見て感想って意見も違うし、
出てくるキャラクターへの思い入れも違ってくるじゃないですか。
それは人それぞれ考え方も見え方も違うから、
意見が違ってくるってなると、
さっきの子どものこととか家事のこととか、
家のこと、自分たちのことっていう客観視しにくいものだと、
違いがもう絶対許せへんのです、私は。
許されへんくて意見聞かへんくせに。
一つテレビ画面越しというかね、
ちょっと違う場所からその物事を見ているっていう状態に入れば、
夫が違う意見を持ってきてもスッと聞けるんですよ。
そういうふうに見えたんやな、みたいな。
そうなんです。めっちゃ不思議と思ったんですけど。
やっぱりドラマとかでも恋愛、家族、仕事、いろんなテーマがあるけれど、
その中でふと引っかかったことに対して、
私はこういうふうに思って、このキャラクターなんなんって思ったけど、どう思う?みたいな。
いや、俺はそこには対しては、みたいなのを結構話してくれたりとか、夫もするんですよ。
その中で家族感を取り上げているドラマとか映画だったりすると、
夫の家事や育児とか妻に対する思いだったりとか視点、
夫自体が大切にしている価値観が見えたりもするし、素直に聞けたりするんだなっていうのに、
こないだ気づいて、そうなんですよ。
普通に自分たちのことに聞くと、すぐファイティングポーズ取るんです、私。
すぐ食ってかかる。いつでも来いや、みたいになるんですよ。
争うための意見交換じゃないって頭でわかってるんですけど、
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結局、何か課題になってる、家の中で今課題だよねってなってることについて話すってなったら、
ファイティングポーズなんです。冷静に聞けなくなってるなっていうのを、自分で最近そういうこと多いなと思ったんで。
そういう時に、同じような悩みではないけど、家族をテーマにしたものとか、家事が大変っていうものの、
妻のドラマ、妻視点で作られたドラマを見て、夫は何を思うのかとかね。
そういうのを結構、自分が見たことに対して私はこういうふうに思ったんだよっていうのをストーリーとして話すと、
夫も思いとしてね、いろいろそうなんやな、そこは共感できひんかなみたいな言ってくれたりするから、
ドラマとか映画っていう客観視できる、一つポンと自分たちの中に入れ込んでしまうものじゃなく、
一緒に客観視できるっていうものを元に、相手、夫の意見を聞き出す。
で、なおかつ自分も伝える。この人はこうやって言ってたけど、ドラマの中でみたいな。
私はこういうふうに思ったんやけどさ、みたいな。すると、言語化する難しさとかも、
ちょっと緩和されてね、主人公とかドラマの中のキャラクターが言葉にしてくれたことに、
自分の共感できることがあれば、これ言いたかったんよとかもそのまま伝えればいいし、
難しくなくコミュニケーションっていうのが、映画を通してとかドラマを通して撮ることができるんだなっていうのをね、
最近気づいて、これ公演日記に残そうと思って残したんですよ。
で、ちなみにね、映画を見た感想っていうのを言い合うの結構多いんですけど、
それについて最近話したのは、全然恋愛とか家族、仕事、子育てとか全く関係ない、
この間金曜ロードショーでやってた、キングダムについてね、
どのキャラ好きみたいな、私芯みたいな、俺衛星、衛星やったっけ、
皇帝、始皇帝の方のね、主人公が好きみたいな、なんで好きなみたいな話し合うと結構面白かったりするんですよ。
で、うわーわかるーみたいなんで、なんかあんたそんなキャラっぽいもんなーみたいなのがすごい納得できたりとか、
向こうも、なんかお前もなんかすごい負けず嫌いで這い上がっていく状態好きよなーとか、だから芯好きなんやーとかね。
そう、そういう話になってね、なんか結構全然関係ないんですけど、今日話した公園行きとね。
けどそういうのでも、向こうのね、どういうのが好きでこういうスタンスを取っているんだっていうのをね、見えてくるんですよね、やっぱり。
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仕事でもこういうスタンスが好きやから、全体図を見て一部のことを決めつけてじゃなくて、先を見て良くなることを考えていきたいっていうので仕事をしてるみたいなのをね、
夫がよく言うんですけど、あーなんか始皇帝的な、なんか国動かす的な大きな視点で、もしかして勝手に見てくれてたんかなーみたいな。
私はね、もうとにかく目の前のこと、もうとにかくやっていってっていう前のね、ことしか見ないから、だからもうそもそものその視点が違うんだっていうところもね、なんか理解できたりして、
キングダムでこれだけね、掘り下げることがね、共にできたんだったら、これまたもっと違うテーマの映画を見たとき、話し合ったら面白いんじゃないかなって思ってね、
共にね、過ごす時間にもなったりしてね、いい時間だったんです。家族みんなで見てね。だから結構子どもともね、そういうアニメを通してそういうことをやってるなーって思ったから、
今日はこういうふうなことを小絵日記にね、残しておきたいなーと思ったんで。では今日はこのあたりで失礼します。ではまた。