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皆さん、こんにちは。ナビゲーターの伊藤由美子です。
建築士伊藤由美子のCozy Spaceへようこそ。
Cozy Spaceとは、日本語に訳すと、居心地の良い空間という意味になります。
この番組では、居心地の良い場、空間とは何かということをテーマに、
あなたらしくいられる、ちょうどいい場所を見つけるためのラジオ番組です。
素敵な方々にインタビューさせていただき、
ついつい夢中になってしまうことや、個性を生かして自由に生きること、
そして、日々気持ちよくいられるヒントなどをお伝えしていけたらと思っています。
建築士伊藤由美子のCozy Space第23回
今月のマンスリーゲストは、作詞・作曲家、
そしてラジオ番組プロデューサーでもあるM.G.セイジさんです。
M.G.セイジさんは、今私がナビゲーターをやっている
愛知北FM局のソングレズネーターという番組のプロデューサーでもあり、
同時に音響番組編集もされています。
昨年の6月に番組開始前に初めてお会いしてから、毎週収録時には会っていますが、
職人気質なところもあって、しっかりと番組を作られるところは、
私にとっても非常に興味深い人物であります。
今回は、ところでM.G.セイジのM.G.って何?
音を楽しむ世界に入ったきっかけについてお話しいただいています。
では早速、M.G.セイジさんのインタビューをお聞きください。
今日はですね、作曲家でもありラジオ番組プロデューサーであるM.G.セイジさんにお越しいただいています。
はい、お越しきました。
そんな日本があります?
お邪魔いたします。
ありがとうございます。お時間いただきまして。
M.G.セイジさんとは7ヶ月くらい前に初めてお話しさせていただいたんですよね。
セイジさんが番組をやろうと思っているラジオ番組に、私がナビゲーターとして出演するという時に顔合わせとして初めてお会いしたと思うんですよね。
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すごい疑問なんですけど、今更ですけどM.G.セイジって名乗っているじゃないですか。そのM.G.って何なんです?
思い起こせばですね、これ逆乗ること20年以上前になるんですけどね。
僕っていろんなところに、例えば部活とか、生徒会は一応役員だけやったことあるんだけど、そういうところに行くと何かしらマネージャーにされるんですよ。
何だろう、お金に意識ちゃなく見えるのかしらないんだけど。
マネージャーってそういうイメージ?
とにかくマネージャーマネージャーってお世話係に、なぜかいつも白羽の家が建てられて。
学生の頃は言わないでしょ、あんまり。
だけど会社の部下があるとき、マネージャーって呼ぶのが面倒くさいんで、僕のところにメールでM.G.って言ってきたんですよ。
M.G.どこにいますかって言って、誰だよこれとか言ってね。
でもそれが結局響きが面白くて、じゃあ今日からM.G.だみたいなね。
そういうきっかけなんですか?
何の意味も深い意味ないですよ。
そうなんですよ、音楽関係だからM.G.のM.G.なのかなと思ってたんですけど、まさかマネージャーとは思わなかった。
カッコつけてる感じはするんだけど、全然そんな色気のあるもんじゃないですよ。
そうなんだ。ちょっと意外だった。
でも私マネージャーっていうのは、実は私も会社に住めたときに、そこの設計課でマネージャーって呼ばれてた時があったから、あれ?と思って。
経理課なんかやってたとき?
マネージャー気質と思われたみたいで。
なんかあるよね、そういうのってね。
そういうちょっとしたことをお世話するみたいなイメージがあったみたいで、先輩からマネージャーって呼ばれてたことがあったんで。
そこいきなり共通点だなと思っちゃったんですけど。
表にあんまり出る感じではなくて、むしろ影でね、色々と工作してですね。
ああだこうだとね、悪いことを企んでいく感じがいいのかなみたいなね。
でもすっごくわかる、それ。
実は私も影で色々考えて仕掛けていくんだけど、表には出ないんだけど、実は裏で気をついてる的な。
そういうのが結構私好きだったりするんで、今おっしゃったことすごいわかる。
そうそうそうそう。
じゃあスウェーデンさんあれですよね、ラジオ番組のプロデューサーとかされてるから、そういった意味では、今おっしゃったようなことっていうの繋がってるのかもしれないですよね。
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もしかしたらね。
どっちかというと作曲家も表に出るというよりは裏で支える方ですもんね。
まあね、最近というか一応そういう自分でシンガーソングライターみたいな人って昔からいますけどもね。
僕はやっぱり歌が歌えるわけじゃないもんで、むしろ作って嬉しそうな奴に歌えよとか言ってね。
それでいいとこどれだけしようかなみたいな非常に拘束な考えなんだけどね。
でも私もちょっとそっちの方が良かったりするほんとは。
だって表に出たら責任かかってくるじゃんね。あいつ誰だよみたいなね。
作曲家だったら名前しか出ないから、そんなに簡単にわかんないから。
だってさ、この間亡くなられたけど、写住京平さんって僕顔知らんかったもんね全然。
確かに確かに。
だけどあの人スーパーヒットメーカーでさ。
名前はすっごい見ましたよね。
そうなんですよ。だからね、やっぱりああいう人にならないといけないなというふうにですね。
うちの家君にしようかなと思ったぐらいですよね。
うちの家君にしよう。具体的に何?その家君っていうのは何?
まあだから、いいとこどれをしようみたいなね。
そんな家君?じゃあそれちょっと周知で書いて掲げておいてください。
どんな話かわかんないんですけど。
私ね、聖司さんって結局作曲家作詞もされるし、ラジオ番組も作られてたり、
インディーズレーベルのレコード会社も持ってらっしゃるじゃないですか。
まあまあ細々と。
でも本当に全部音の世界に住んでるなと思ってたんですよね。
だから音楽の世界とか、音の世界を楽しむところにいて、そこに生きていらっしゃる方だなとずっと思ってるから。
その音楽の世界に入るきっかけって何だったんですか?
すごい質問だなそれ。
え、そう?だってなんか。
入るっていうのはどこからだろうね。
ほら、例えばほら、私、聖司さんのブログか何かかな。
15歳から作曲を始めてっていうのが書いてあったんですよ。
それは自分で何かこう作ってみようって急に思ったんです。
どういうことがきっかけだったのかなと思って。
まあきっかけは、バンドとかを若気のいたれでやってたわけですよ。
あんまり大きい声できないんだけど、人の曲を演奏することができなかったの。
え、人の曲を演奏することが聖司さんが。
難しくて。
だから自分で作れば楽だろうなって誰も知らないから、他の人が。
あ、なるほどね。それが合ってるかどうかもわかんないから。
だからなんかこいつ下手だなと思っても、バカ野郎これが俺のオリジナルだから文句言うんじゃねみたいなね。
そういうレベルのノリですよ。
だから15歳の時に作曲理論なんていう本はあったんだけど難しくてわかんなくて。
とりあえずなんかわかんないんだけどピアノのブルースの教本買ってきて、ブルースから始めたんですよ。
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え、そうなんだ。そのブルースから始めたのはブルースの曲調が元々結構好きだったとかあるんですか。
そうじゃなくてコード進行の基本はブルースなんですよ。
そうなんだ。
それは教本買って後で知ったのね。
なんとなくそれをギターとかピアノで弾いていくうちに、もしかしたらここに音符を乗せれば、メロディーを乗せれば楽曲って成立するのかなと思って。
まずはブルースのジャジャジャジャジャジャジャって3つしかコードがないパターンの曲になんとなくメロディーつけてみたらハマってできたじゃんみたいなね。
そっからちょっといろいろ勉強してて。
16歳の頃にだいぶ作り始めましたね。
あ、そうなんですね。それは自分がお友達とやってるバンドのために作ってたんですか。
まあまあそんなもんだけどね。やっていくうちにどんどんどんどん面白くなってきて。
当時はねもちろんアマチュアなんですけど。
いろんな機材買い込んでね、あと友達に借りたりとか。
録音なんかにもすごい興味があったから、録音技術もね。
あの頃そんな今みたいなDTMなんて立派なものは何もないから。
カセットテープをね、カセットデッキを2台並べて、そこにカセットデッキのところにまずドラムの音を入れて。
ドラムって言っても適当に作ったドラムの音ね。そこに楽器で弾いたベースの音を入れて。
その上に今度はキーボードを重ねていくっていう多重録音っていうやり方があるんですよ。
すごいね、レトロな響きなんですけどね。多重録音っていうのが。
多重録音を高校入ってくらいからすごく友達とやり始めて凝っちゃって。
そこからまたね作曲と多重録音を同時進行で学んでいくうちにね、結構クオリティの高いものはできるようになってきて。
そういう時に作ったデモテープとかをいろんなところに送ったら、結構レコード会社のプロデューサーとかがちょっと会おうよとか言ってね。
大手レコード会社のプロデューサーが新しい、からできた新しい会社のレーベルのプロデューサーとかが会いに来てくれたりとかね。
それ高校生ってこと?
高校の時ですよあれは。
そんな、プロメーショナルなの?
身を見真似ながらも。
だって独学ってことですよね?
8割方独学。
へぇー、そうなんだ。
元々、歌を聴いたりとかするのは、何で歌ってたんですか?
歌ってたんですかね。
歌ってたんです。
歌ってたんですか。
歌ってたんですか。
歌ってたんですか。
歌ってたんですか。
歌ってたんですか。
歌を聴いたりとかするのは好きだったんです?バンドやる前から。
聴いてた歌って言ったらね、機動戦士ガンダムとかうるせえ奴らとか。
アニメじゃん。
あとは何でしょうね、マイナーですけど、太陽の行き場ダグラムとか知らないと思うけどね。
そういうのが中心でしたね。
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面白い。
本当にごく普通の小学生の男の子って感じですか?
そうそう。
ポートキャスターを聴いてる人は、ああ知ってるっていう人も何人もいらっしゃるかと思うんですけど。
ほら、やっぱり小学校の頃ぐらいだと、ザ・ベスト10っていうのがあってね。
色んな人が出てくるじゃないですか。歌手とかアーティストとかね。
僕は個人的にはまって、ザ・ベスト10の系列ではまったのは、セラ・マサノリさんかな。
かっこよかったもんね。
セラさんがかっこいいなって言って、セラさんのファンとゴダイゴのファンって必ず対立するんですよ。
そうなんだ、そこは。
僕はセラさん大好きで、ゴダイゴ好きな連中がいてね。
いつもそれぞれ喧嘩になってるんで、僕泣かせたんだけど、ボロクソに言って何がゴダイゴだよみたいなね。
でもね、ゴダイゴ僕は後々聞いてね、しまったな、ちゃんと聞いてくれなかったなってね。
そうですよ、結構かなりクオリティ高いバンドじゃないですか、そこは。
すごいかっこいいバンドで。
ただね、あの小学校の頃はね、ゴダイゴの軽い感じが嫌だよね。
だけどそれはあくまでもメディアに出てた表の顔で、本当はすごい骨太なバンドで。
もうね、そのことを僕はね、悔いてますね、はっきり言ってね。
本当にあの時ね、ゴダイゴをバカにしてた女の子たちに、本当にごめんなさいって言った。
だけど今はもう本当にゴダイゴの凄さが分かるんですよね。
いやもう尊敬してますよ、だってアルバム持ってるしね。
それで許してもらえると思いますね。
昨年ね、ゴダイゴのギターの浅野さんが亡くなった時は、僕番組で特番組みましたもん。
そうなんですね。
そしたら全国のゴダイゴファンの方からメールが来てね、この曲かけてくれてね。
盛り上がりましたよね。
僕もカンブルーで番組中泣いちゃってね。
え、そうなんです?
そう、もうすっごい好きだったから、ゴダイゴでね。浅野さんの作る曲も本当に柔らかくてね。
で、すっごいだからね、惜しい人は亡くなっちゃったなみたいな。
うーん、そうですね。でも曲は残るのはすごい素晴らしいことですよね、その方が作った。
そうですよ。
え、でも今話出ましたけど、浅野さんってラジオ番組のプロデューサーでもあり、
あと自分でもパーソナリティーやってる番組もありますもんね。
まあまあまあ細々と。
またここは細々なんだ。
なんかそのパーソナリティーとプロデューサーって表と裏の立場だったりするじゃないですか。
あ、でも。
なんか共通点とあるんです?ちょっと逆に言えば、私プロデューサーはやったこともないから。
あ、そうかそうか。
わかんないんですけどもちろん。
まあ、そのアプローチの仕方はいろいろあって、もともとが裏方から入っていく。
要は大卒の皆さんたちが放送局の中に入ると、下積みしながら自分たちもぼちぼち喋るんですけども、
最初からそういうプロデューサーを前提に放送局に就職するわけですよ。
我々のような叩き上げの人間は喋るのを勉強しながらとか、別にやってきたわけじゃなくて、現場で全部学んだんですよね。
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ラジオよりも最初にやってたのが、23の頃就職してた映像のプロダクションに僕は入ってて。
あ、そうなんですね。
サラリーもやっててね。
そこで、いわゆるビデオ映像作品のナレーションを撮ることから始まってるんですよ。
映像の世界にも入ってたんですね。
だからラジオとそこもあんまり接点ないんだけども、要は音声の番組を作るっていうコンテは同じなわけで、
そこでね、僕も全くそういうの知らなかったんだけども、一番最初に仕事をさせてもらったナレーターの方がですね、東海地区でも1,2番の実力のある方でね。
一番最初にすごく良いものを耳に聞いて、良い発音とか喋り方とか抑揚とかそういったものから入ってるんで、残りの次に来た人たちがみんな下手くそだったの。
ほらよくさ、一流にならないなら一流を知りなさいってよく言うでしょ。
僕もまさにガチンコで当たってて、一番最初にヘッドホンしてナレーションを撮った人がMさんという方でね。
多分この辺に住んでる人だったら絶対知ってると思う。ボートレースガイドってね、あれの声の主ですよ、初代のね。
あの方の仕事を最初にしたの。
すっげーな、この人プロだなと思ってね。
いろいろとそのナレーションですとか、文章の読み上げですとか、そういったことについて教えてもらってね。
もともとだから僕、本読んだり文章書くの嫌いじゃなかったので、すぐできたんですよ、原稿書いたりする。
それも才能ですよね、すぐできるっていうのも。
才能というか、蓄積したものがあってね、引き出しがたくさんあったから、文章作ってみろよとか言われてもね、すぐできたし、コマーシャルの原稿とかもすぐ書けたし。
結構ね、だから自分には向いてるなと思ったんですよね、それはね。
そういうことですね。
想像することだし、扱うものがね、僕は映像というよりもむしろ音声関係を中心にやってたので、本当原稿書く方ですよ。
でも本当に今もラジオ番組に私、政治さんのプロデュースの番組に出させていただいて、毎週台本を書いていただいてますけど。
はい、おっしゃらけた台本が出てきますけどね。
でも本当にそこからずっとそういう世界に生きてきてらっしゃるんですね。
だからベースはちゃんとあるんですよ。
なんかね、政治さんがサラリーマンだったっていうのは、どうしてもピントが来なかったんですけど。
いい会社ですよ、でもね。タイムカードなんかあってないんだもんですね。
自由な感じなんですね。
もう何時に来て何時に、自分で何時間働くっていうのに侵攻して勝手に帰っていくっていうね。
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なるほどね、なんか自営業者みたいな感じですよね、それ。
そうそうそうそう。
結構自由な会社のところだから、そこはまあそんな窮屈じゃなかったって感じですかね。
だから僕は会社にずっといたかったんだけどね。
そうなんです?
辞めたくなかったんだけど、ちょっとまあ諸事情で、辞めざるを得なくなっちゃったんですよ。
まあそれはあまり言いたくないので、ここでは言いませんけど。
まあいいですよ、言わなくても。
一応辞めた会社は全然悪く言いつもりなくて、できることなら僕丁寧まで働きたかったんだと思って。
そうなんですか。
まあでもね、なくなっちゃったからね、会社はもう。
他の会社に合併されて、今別の事業をやってるんですけどね。
じゃあそこから、自分でなんか、個人で仕事を受けようような形になってたんですか。
そうそう。最初のうちはそうでしたね。
まあ一応、よくあるパターンで、技術者が辞めた時は、その会社自体に関わっちゃったお客さんは、
あれから僕に全部連れてきてくれて、やっぱりあんたにやってほしいみたいなね。
そういうことなんですね。
それからは、そのいた会社からね、お得意さんが僕のところに連絡先をつかみ出して、連絡くれたりとか。
まあそれなりに運良かったですよ。
そうなんですね。それは映像のお仕事なんですか?
一応ね、映像なんだけど、これもまた面白い話があってね。
僕自身はもう、その時に作曲のスキルもそこそこあったんですよ。
もう27歳だったから、録音機材もそこそこね、いいものが出てたりとか。
もうMIDIって言って、ちょっとまた時間あったら調べていただくと。
MIDIっていうものももう一般化してた時代だったからね。
そこで作曲というのはずっと封印してたんだけど、
ある時、そこのディレクターさんというか、映像を作るプロデューサーの僕の上司なんですが、
その方が愛知県でまあまあ有名な運送会社さんの会社内のビデオを作成するときに、
あの時代はね、著作権フリーっていう音楽が、今はすごい安いでしょ。
ゼロ円とかでダウンロードできるんだけど、あの時代は高かったんですよ。
1枚のCDがだいたい1万2千円くらいしてて、それを我々は業者としてストック持ってて、
お客さんに1曲5千円くらいで売るんですね。ビデオで1回使うたびに5千円とかね。
まあまあ結構ボロい商売だったんだけど。
ところがね、そのストックの中に会社内で使いたいような曲がないと。
向こうの総務部長が僕の上司にね、ちょっと金出すから何か用意できないかと言われて、
あの時代までに著作権フリーのものってなかなかなくてね。
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じゃあ作ろうということで、野田くん作曲できるよねって言われて、
大丈夫ですって言ったら、じゃあこのビデオを見て、
ここのシーンに当てはまる曲作ってくれないかって言われたんですよ。
オープニングと途中のテニスやってるシーンとね、
あと最後のエンディングのシーンの3曲をね、作ってプレゼンしてね。
向こうの総務部長に見せたら、これだよ!みたいな感じでね。
このオープニングの曲を釈迦にしたいなぐらいにね、ベタバメされて。
ドンピシャだったんですね、イメージ。
ハマったんですよ。よかったなみたいなね。
そこが本当のお金をいただける仕事としての作曲家のデビューになったってことですね。
それまではね、ピアノ弾きでお金もらったりとかはしてたけど、
自分の曲が金銭を生んだのはそれが最初ですね。
それは20代半ばとかじゃないですか。
23、4時かな。
そんなんですね。そこからじゃあそういったお仕事も結構やるようになった。
それでね、味を染めて、うちの上司はね、ビデオにそういう作曲っていうのは上乗せしてね。
なるほど。
お客さんに出してたけどね、途中まで。
あ、そうなんですね。
そうそう。いろんなね、だから会社のビデオの曲とかね、
あとコマーシャルのテレビCMの曲とか作りましたよ、だからその時に。
じゃあ私、どっかで聴いてる可能性ありますね。
まあでもローカルだからね。
え、だってローカルのところに住んでるから、もしかしたら耳にしてるかもしれない。
そうなんですね。
ずっと、その音を楽しむ世界に生きてきてると思うんですが、
他の世界に行こうなんていうことって考えたことあるんです?
小学校の頃は漫画家になりたかったんですよ。
アニメとか好きなんですから。
MGセイジさんにご登場していただきました。
次回は、たまたまの流れに乗ってきた人生。
自分だけの世界の曲作りとプロの曲作り。
ラジオ番組をやるきっかけとラジオパーソナリティのプロデュースについてお話をしていただきます。
この番組をまた聞きたいなと思っていただいた方は、
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毎週日曜日に配信されたものがスムーズに聞けますので、よろしくお願いいたします。
今回配信した詳細については、私のホームページにも掲載しています。
こちらの番組の詳細にURLを掲載しておきますので、
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建築士伊藤忌子でも検索できます。
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それでは次回もお楽しみに。
伊藤忌子でした。