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伊藤由美子のCozy Space第115回、2022年12月のゲストは、美術作家、金魚絵師の深織隆介さんです。
深織隆介さんのインタビューは、114回から117回まで、4回に分けてお届けします。
インタビューの2回目は、子供の頃、そして学生時代の思い出など、お話ししていただいています。
では早速、深織隆介さんのお話をお聞きください。
金魚は、これから大切なんじゃないかなと思って。
自分も今に生きているし、何か一つだけでも、想像力で描けるようになりたいなと思って、
やっぱり金魚は日々、あえてたくさん飼っているんですけど、飼っている中の金魚とお世話しながら、
彼らの動きとか、色とか、どんな金魚が元気があって、どんな金魚が元気がないかっていうのを、
瞬時に分かるようになってくると、自分も元気な金魚を描けるし、
そういう観察力っていうのは養うようにしてて、
ただ何か、それを写真を撮って、それをそのまま描くとかは、逆にできないんですよ。
写真っていうのは、すごい細かく捉えているから、
もう僕、ダメで見えすぎて気持ち悪い。
見えすぎて気持ちが悪いかもしれないですね。
今、高解像度で、本当に昔のテレビ映像を見ると、本当にピンボケしているみたいに見えますもんね。
昔のバラエティーとか。
それが良かったりもする時がありますよね。
そうなんです。
その1枚、何かベールが入っている感じ?
細かく、今の高解像度っていうのは、なればなるほど、確かに国民は捉えるんですけど、
ボケている方が良いっていうか、リアルに見える感じでいる。
きっと物事って、自分が見たいように見ているじゃないですか。
それをあまりリアルに見させられると、自分の本当にさっき言われた想像力とか、そういうのも一切なくなっちゃうんで、
面白みが全くなくなっちゃうかなって。
そうです。それはそれですね。
それですかね。
なんか曇りガラスの前に誰か立っていると、すごい想像するみたいなね。
神秘的ですよね。
それは本当にそう思います。
うちの息子とかが、映るんですが欲しいって言うんですよ。
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そうなんですか。
で、なんでかなと思ったら、映りがめっちゃ良くないとか言って、
昔の98年何月みたいな感じの日付ついちゃって、
なんかその友達が撮った、あれはあれか、チェキチェキチェキ。
それはチェキなんですけど、なんかすっごい良くないこれって言うんですけど、
僕から見ると、なんか僕らの時代に修学旅行でバシャって撮ったような1枚に見えるんですけど、
彼らにはめちゃくちゃかっこよく見えるらしいんですよ。
そうなんですね。
ピンボケしてるし、日付入っちゃってるし、
なんか全体的に甘い写真って言うんですかね。
いわゆるぼやーんとした。
ぼやーんとした。
それが彼らはめちゃくちゃ新しく見える。
新しく見えるってことですよね。
なんかでもわかるなと思って、それも。
なんか全部今すごい高解像度でピントもバチバチに合わせてくれるけど、
だからこそこういう昔のものを、
あと昔のビデオカメラとかの映像とかってなんかドキドキするようになってきちゃったっていうか、
変えて。
確かにそれはあるかもしれないですね。
たとえば8ミリフィルムで撮ったものは、
ああいうアート作品として、映像作品としてよくかっこよく見えがちなんだけど、
もう昔のビデオカメラ、ソニーのビデオカメラみたいな、
80年代、90年代ぐらいのショットぐらいのカメラで撮った映像も全然そこに行ける雰囲気になってきたなとか思うし、
もうなんかもうわけわからんくなっちゃいます。
自分なんかでなんかわかんないけど、
ああいう昔の解像度のない映像ってなんか逆にアーティスティックに見えてきちゃうっていうんですか。
いいよなあと思って。
知れないですね。
なんかそうですね、だから今の若い子はちょっとまた、
僕は一生懸命若い子の感覚をつかもうと、
どういうふうに思ってるのかなって毎回思っちゃうんですけど、
意外とそうかと思って、
うちのそういうチェキがいいとか、チェキの写りがいいとか、
そういうのを僕も敏感に察知していかないといけないなと思って作家としては。
でも逆に言えば、僕そのまま僕らの時代に得たもの、
そのままかっこいいと思うものをやっていったら、
1週間、2週して若い人がかっこいいとかいう時代が来るんじゃないかなと。
今の若い子のファッションと本当に80年代っていうか、
僕らの本当に若い時の時代のかっことちょっと似てるし、
普遍性とそういうものと、いろいろ日々考えますね。
今流行っているものと、金魚も流行りしたりあるんで。
そうなんですか。
それはもういろいろありますから。
犬とかもそうですよね。
そうですよね。一時大型犬がすごかったし、
今はトイプードルですか。
そうなんですか。
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ちっちゃい、ちっちゃめとか。
金魚は今はどのあたりなんですか。
今は何だろう。でも、ちっちゃいのすごい人気ありますよね。
ちょっとパッと見気持ち悪いかもしれないけど、
そういう丸っこいの、ピンポンパールとか、
分からないかもしれないですけど、ちっちゃくて丸っこいのとか。
そういうのが大人気だし。
例えば金魚すくいが最近少ないというか、できないというか、
なかなかやれる状況もないというか、お祭りもないし。
金魚すくいっていうのは何というか、あれが懐かしいというか。
そうですね。若い人でもやったことないという人もいるんじゃないですかね。
そうですか。
ここもう3年はないんじゃないですか。
コロナでお祭りが結構なかったですよね。
そういう意味で金魚すくいの金魚はちょっとどうなんだろう。
和金は一応流行りすたりという意味では色々あります。
色々金魚ブリーダーの本も読みますけど。
金魚ブリーダーの本ってあるんですか。
本みたいなそういうの。僕は定期公読はしないんですけど、
たまにあるんですよ。そういう人たちが読むやつ。
もう凄い凄まじいの出てきてますよ。
そうなんですね。やっぱり改良されるから。
どんどん改良されてます。
もう全然、本当にもう1年で全然変わりますから。
凄いの出てきてますから。
ちょっとお話変わりますけど、
河森さん、最初ちょっと私お聞きしたいというお話なんですけど、
河森さんって子供の頃とかってどういうことに興味あった少年だったのかなと思って、
絵とかはやっぱり上手だったんですか。
絵が好きでした。やっぱりそれにこもる子で、
結構小学生の時の最初の頃は1回だけ引っ越すんですけど、
引っ越す前はすごい元気で活発な子で、
小学校でも結構目立ってたんですか。
目立った存在だったんですね。
目立ってたんですけど、
自分の中にだけど屈折した内向的な自分っていうのがあったんですよ。
その裏腹に出してたのか分かんないけど、
すごい活発だったんで、
すごいリュウちゃんリュウちゃんみたいな、
突き従えてたっていうんですかね。
何人か一緒に。
古文がいっぱいいた。
古文って言ったらあれだけど、
そんな感じでリュウちゃんリュウちゃんって、
そういう時があったんですよ。
でも4年生の最初に引っ越して、
そこの小学校がなかなかワイルドな子が多くて、
萎縮してしまいました。
内向的だった自分がバーっと前に出てきて、
どんどん一人で絵を描くようになってくるっていうんですかね。
それまであまり描いてなかったんですか。
描いてましたけど、
そこまでたくさんは描いてなかった。
母によく怒られたんですけど、
ふすまは絵を描いていいものだと思い込んでて、
両親は友渡木でいなかったから遅かったんで、
それまでずっと落書きを。
ふすまがキャンパスだったんですね。
描いてたんですね。
でも怒られたけど、
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描いていいもんだと思って、
描くと喜ぶと思ってて。
柱とかにも描いて、
描いたよ、こんなの描いた。
面白くない?みたいな感じで、
そしたら本当はすごい大谷さんに最後、
引っ越す時には、
補修費っていうんですか、
20万ぐらいかかったわけで、
怒られたんですけど、
でも絵は、
おじいちゃんが唯一絵を描いてた人で、
長崎に住んでたんですけど、
自分は昔受験をして、
受かったらしいんだけど、
戦争もあって断念したんですよ。
芸大?
そうらしいんですけどね。
行けばまた変わってきたかもしれないけど、
でもお金もなくて行けなかったということで、
芸大だけはいっぱい持ってて、
昔のやつを送ってくれたんですよ、
僕の受験の時に。
芸大受験の用具。
用具を、石膏像とかも送ってくれた。
それで勉強したんですけど、
唯一だからおじいちゃんが絵を。
で、自分は仕事しながら、
あの人は絵だけは描いてて、
ただブライトよりも日本画に近い感じかな。
墨とか、
がんさい使って描いてました。
でも自分は絵描きみたいに、
ベレー帽かぶって、
手塚治虫さんじゃないけど、
ベレー帽毎日かぶってるような人で、
だけどそのおじいちゃんの影響で、
僕も絵を描きたいと思って、
絵を描くようになったっていうのはあります。
あと、おばあちゃんですね。
おばあちゃんの方はお茶をやってたんで、
長崎の家行くと茶室がちょっとあって、
ちっちゃな。
で、茶室でたくさん抹茶茶碗。
あ、抹茶茶碗ね。
井戸茶碗とかブワーッとあって、
それを見て、うわ、抹茶にのめり込むんですよ。
抹茶っていうか、あ、茶碗です。
茶碗の世界すごいと思って。
え、それ子供の頃なんですか?
そうですね。でも中学ぐらいかな。
そうなんですね。なかなか渋い中学生ですよね。
それでずっと茶碗をこう。
で、茶室に布団引いてもらって、
一回寝てたんですけど、
そうなんですか。
その時にも茶碗を見ながらこう。
ほーっとか言いながら。
それから茶碗欲しいなとか。
でも自分は一時陶芸家になりたかったですから。
やっぱり茶碗の世界っていうのは、
僕のベースにありまして。
作られたことあるんですか?
いやー、陶芸はある程度ちょっとだけです。
ロルクローを練習したり、
あと先生が巻き釜やるからって言って、
上り釜やるって言って、
作品強引に持ってて。
いや、一緒に焼いてもらって、
巻きくんでとか、手伝うからって。
手伝ったりとかして。
とかはやったことあるんですけど、
先生たちのを見てたら、
俺はもう無理だなっていうか、
この世界は無理だと思って、
好きだけど、
陶芸家っていうよりかは僕、
いや、でも作りたいですよ。
ただ今でももうちょっと余裕できたら、
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なんか山の方にアトリエ持ちたいです。
陶芸だけのために。
土練ってやって、
上り釜みたいな。
上り釜はちょっと巻きを相当使うんで、
ガスでもいいんですけど、
ガス釜か電気釜かなんか作って、
ちょっと焼いてみたいです。
それは夢ですね。
ああ、そうなんですね。
愛知県はほんとね、多いですからね。
焼き物の産地が。
いやいや、ほんと瀬戸物祭りもしょっちゅう行きましたし、
たじみもよく行きましたし、
勝手に上り釜見えるとピンポンとして、
学生の時ですけど、
そうなんですね。
結構みんなウェルカムで、
陶芸家の人ですよ、
君酒飲むんか?
言われてくる感じで、
仲良くなっちゃったりとかして。
あとこれ持ってけ、みたいな感じで。
食い飲みみたいな。
食い飲みとかもらったこともありますし、
勉強したいんですけど、
今のこの歳で行くと怪しまれると思うんですけど、
若かったので、ピンポンと。
しかもちょっとボロボロのね、
ボロボロのジーパンにボロボロのTシャツで行くから、
入れ入れみたいな。
可愛がられて。
教えてもらって。
やっぱ楽しかったですね、
その上り釜巡りは。
上り釜巡り。
あと伊賀の方行ったりとか、
山口も行ったことあるし、
陶芸には行ったとき、
興味を持ってましたね。
見るだけじゃなくて作りたいっていうね、
さっきも。
今もどっかにあるってことですもんね。
今もどっかにありますね。
物を作ったりするのが好きなんですかね。
つらいときもありますよ、それは。
創作活動ってことですね。
生み出すっていう意味では。
生み出す、はい。
生みの苦しみはありますけど、
出来上がったときに喜んでもらったり、
あと出来たみたいな達成感とかは、
何にも変え難い喜びというか、
だからやってるんだなって思いますね。
次の作品どうしようって考えてても、
どっかでまた出来たときすごい楽しくなるから、
きっといいことが待ってるみたいな。
そういう気持ちで苦しんでいます。
苦しみの方に行こうとしますから、
逆にそれで答え出して、
作るんだみたいな、
出来たときのことを想像して。
ことを想像して、
それで海の苦しみから、
創作に持ってくっていう、
エネルギーを。
だから山があるから登れるとか言うじゃないですか、
登山家の人、
そこに山があったからとか、
それ以外に理由ないだろうみたいな。
でもつらいことは、
エスカレーターがあったらそんな楽なことないじゃないですか。
あと、
ヘリコプターで頂上まで行けば、
やったぞーみたいになるかもしれないですけど、
達成感の度合いが違いますよね。
僕なんかそれ思いますね、
いつも。
前一回、
学生の頃、
お金使わずに、
例えば名古屋のほうから、
京都の田舎のほうから、
行って、
名古屋のほうから、
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京都の東大寺まで行こうとか、
あと、
日田高山まで行こうとか、
それは何で行くんですか?
歩いて。
お金を使わずに、
帰りの電車鎮だけ持って、
あとは、
とにかく真冬に、
高山行ってみようみたいな、
歩いてずっとどれくらいかかるか。
自分の修行のためですか?
修行と名誉って、
一人ではないんですか?
一人ではないんですけど、
本当に豆だらけになるし、足は。
本当に、
水みたいな状態になるんですけど。
飲み食いはしてダメなんですか?
していいんですけど、
それはどっかで得るというか、
お金を使わずにだから。
買っちゃダメなんですね、ルール的には。
ルール的には買わずに、
水道があればいいけど、
出なかったら、
川市から。
あっちのほうは水まだ綺麗なんで。
やりましたね。
名古屋から比田高山まで何日間かかるんですか?
1週間くらいかかりました。
でも、車でブンブンブン、
国道みんな、高山とかゲロ温泉に行く人が、
ものすごい、
41号線で行くやつ。
有名な、真っ直ぐ行くやつ。
あれ通ってくるじゃないですか。
あれだと2時間くらいで着くのかな。
高山までですか?
高山、ゲロかな。
ゲロは2時間くらいですね。
それに、
3日か4日かかるわけですよ。
歩いて行くだけで。
こんなに遠いのか、
僕にとっては外国でした。
ゲロ温泉の温泉地が見えた瞬間に、
うわー、
街の光が真っ暗なんですよ。
あ、そうですよね。
あの辺、街灯がないし、
真っ暗な中にポンって光が見えてきて、
あれゲロ温泉かなって。
やっと着いた、みたいな感じ。
こうやって、
ビッコ引きながら、
足がボロボロだった。
それで、あそこ川原に温泉があるから、
そこに入ったりして。
またゲロのお湯、いいですもんね。
いいですかね。
最高でしたね。
もう何日ぶりかの風呂って、
気持ちいいと思いながら。
でも、
車で行ったゲロと、
歩いて行ったら、
たぶん達成感全然違う。
全く違いますよね。
あと、思い出が、
ずっと残りますよね。
こんなに遠いのか、
こんなに山なんだとか、
山道ってこんなに怖いんだとか、
みんな、僕ら、
珍しいんでしょうね。
ボロボロの格好して、
こうやって歩いてるから。
それ、ごめんなさい。
ちなみに、何歳くらいの時の話です?
20歳か、21歳か。
ということは、30年くらい前のお話。
なかなか30年前に、
ボロボロの服着てって、
なかなかないですよね。
上ることないし、
自分のどこまでが上なのかを、
知りたいっていうか、
バブルの頃じゃないですか、ちょうど。
バブル、ちょうど弾けたか弾けないか。
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弾けたか、そのくらいですよね。
だから、ちょうど、
何にも苦労しない時に、
上は分からないし、
経験したことないし、
どんだけ体力があるかも、
経験したことないかも、
一回行こうってなって、
でも、良かったですね。
自分の限界ってここなんだ、みたいな。
そういう時に、
覚醒するんですよ。
これ意外と、
驚かれるかもしれないですけど、
もうダメだって、
一回その時に、
パタッとなるような、
脳が緊急事態発令で、
ピーってまたスイッチが入るみたいな。
そうすると、
体が軽くなって、
歩き出せたんですよ。
僕、あれは忘れもしないです。
そうなんですか。
高山の手前で、
気力も限界で、
みんなに置いてかれて、
一人だけ後ろに歩いてたんですけど、
もうダメだってなった時に、
ホイーって、
体力が急に発動したんですよ。
パーッと軽くなってきたんです、体が。
あれ何なんだろうと。
よく、
吉野の千日開放行とか、
すごい修行されてる方も、
ずっと飲まず食わずで、
何日間もやったりするって、
すごいなと思うけど、
何か人間にはそこから、
ギリギリの線だと思ってたところが、
もう一個乗り越えられる何かがある。
何かがあるんだなっていうか、
あれを修行してる方は、
みんなそれを経験されてて、
僕はまだまだ、
一歩手前だったかもしれないですけど、
あれ?と思ったんですよ。
なんだこの力は?みたいな。
人間の体の中にまだ秘めてる体力とか、
分かんないですけど。
可能性がそこにある。
可能性というんですかね。
何にも食べてないですよ、その時。
だから空腹だし、
極限まで来た時に、
何かが覚醒すると、
そういうことが起きるってこと?
起きるってことです。
作品もさっき言うね、
海の苦しみの時にも、
その記憶があるから、
まだ行けるぞって何か、
どっかあるんですか?
あるかもしれないです。
まだ最後じゃない、
まだ物語はあるっていうような、
まだ物語はある?
まだあるという気持ちは、
捨てたいですね、絶対に。
まだまだまだ、
のびしろいっぱいですもんね。
河森隆介さんにご登場していただきました。
次回は、
金魚エッシュとしての使命、
そして家族についてお話ししていただきます。
この番組をまた聞きたいなと思っていただいた方は、
音声アプリの高読ボタンや、
フォローボタンをポチッと押していただくと、
毎週日曜日に配信されたものがスムーズに聞きますので、
番組登録をよろしくお願いします。
それでは次回もお楽しみに。
伊藤絵美子でした。