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横浜美術館で見つけた人たち。
アートの魅力をもっと伝えたい。
本番組は、そんな思いの横浜美術館が、
インタビューの職人、早川洋平とタッグを組んで生まれました。
横浜美術館で見つけた、アートに関わる人たちへのインタビューを通じて、
アートの魅力を発見していきます。
皆さんこんにちは。番組ナビゲーターでインタビュアーの早川洋平と言います。
この番組、横浜美術館で見つけた人たちは、アートに関心がある人はもちろん、
これまでアートに関心がなかったわけではないけれど、
なんとなく、とっつきにくいということですね。
アートにハードルを感じる人に向けて、アートへの扉を開こう。
そんな思いから、横浜美術館と私、早川洋平がスタートさせた番組です。
具体的には、私が毎回アートに関わる人にインタビューをしていくスタイルということで、
お届けしたいと思います。
本日、第1回目となる、今月のインタビューにご登場いただくのは、
横浜美術館主席学芸員、天野太郎さんです。
天野さん、よろしくお願いします。
どうもよろしくお願いします。
今日の収録は、文字通り、横浜美術館、横浜の港未来にある美術館内で行っています。
早速ですね、天野さんにいろいろとお話を伺いたいと思うんですが、
その前に、簡単に天野さんのプロフィールをご紹介させていただきたいと思います。
横浜美術館主席学芸員、天野太郎さん。
北海道立近代美術館勤務を経て、1987年より、横浜美術館で国内外での数々の展覧会企画に携わっていらっしゃいます。
美術評論家連盟所属。
主な企画展覧会は、ニューヨーク、ニューアートチェース、マンハッタン銀行コレクション展、1989年。
森村康政展、美に至る病、1996年。
奈良よしとも展、2001年。
現代の写真3、ノンセクトラディカル2004年。
アイドル2006年などがあります。
また、2005年第2回横浜トリエンナーレ、そして2011年第4回横浜トリエンナーレのキュレーターも務めていらっしゃいます。
ということで、天野さんよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
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今回初回ということで、こんなテーマを立ち上げてみました。
大きなテーマとしては、現代アート、もっと言うとアートというのは、ここがわからないというですね。
僕自体がもともとそういう印象を持っていたので、この番組聴いてらっしゃる方もやはり冒頭でもお話ししたように、
アートってやっぱり興味あるし、いろいろ自分でも見てみたいとか、実際美術館足を運んでいる方もいらっしゃると思うんですけど、
そんな中で興味あるんだけど、なんとなくとつきにくい。
心の底から美術館を楽しみたいけど、なかなかまだっていう人がいっぱいいると思うので、
そんな方に向けてですね、美術館の仕事を長くやってらっしゃる天野さんに、直接普通の人の目線であえて僕が今日は切り込んでみたいと思っています。
今月4回にわたってお届けするんですけども、今回と次回はですね、今のお話。
そもそもこの現代アート、ここがわからないということでですね、もっと言うとアートここがわからないということで、
その本当に初歩の初歩からお聞きしたいと思うんですけども、こういうポッドキャスト番組なのでですね、本当に砕けた感じでいろいろお話したいと思っています。
最初の質問なんですけども、そもそも現代アートって何なんだろうっていうところからお聞きしたいと思ってるんですけども。
そうですね、これ現代アート、日本語で書くと現代アートなんですけどね。
ただこれ、別の言い方すると、その現代のアートっていう言い方もあるでしょ。
だけどなんとなく現代アートと現代のアートとはちょっと言葉が間にのが入ってる以上にね、
ちょっとニュアンスが、いやというよりももうちょっと意味がね、ずいぶん変わっちゃうかないっていうのがあって、
例えば現代音楽っていうと、現代アートっていう言葉と同じように皆さんは現代音楽はちょっと苦手ですとか言っていますよね。
だけど現代の音楽っていうと、なんとなく今の音楽全部かっていうふうに思うじゃないですか。
それと同じように、現代のが入るとね。
要するに、例えば今年10年ですから、2010年の今の美術と呼ばれているものが全部のことを指すんだっていう。
これは多分それで構わないと思うんですけど、のが入ると。
だから現代の音楽っていうと同じように、演歌からね、J-POPからジャズからとにかく全部、その時代の音楽全部ってことでしょ。
ところがのが取れちゃうと、要するに一つの分野みたいになっちゃうんですよね。
現代音楽もそうだし、現代アートっていうのも、現代のアートの中の現代アートっていうのが、
これは言葉の遊びでもないんですけど、実はそういう言葉の響きからね、皆さん多分そういうふうに想像されると思うんですね。
実際にこれ英語でどういうかっていうと、コンテンポラリーアートっていうんですよ。
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はい、よく聞けますね。
コンテンポラリーっていうのは、現代っていう、そうと思えば訳せますけど、同時代っていう意味なんですね、コンテンポラリーっていうと。
だから厳密に言うと同時代アートってことなんですけど、実はこれものすごく曖昧に、厳密に言うとね、厳密に言うとねって言っといて曖昧っていうのはおかしいんですけど。
すごく曖昧な言葉なんですよ、実はね。
だから例えば、現代音楽もそうだし、現代演劇とかね、というような言ったときの、まずその現代はどこまで指すのっていうのはあるでしょ。
2010年だけとか2009年はどうなんすかっていうことはあるでしょ。
それで、現代というこういう言葉に近い言葉で近代ってあるじゃないですか。
ありますね。
歴史で皆さん習いますけど、それこそ古代、中世、近世、近代、現代とか言ってね。
で、実際に近代っていうのもあるわけでしょ。近代絵画とか言い方しますけど。
一応近代はまあまあ、なんとなく最初はわかるんですよ。
今NHKでやってる坂本龍馬ね。
あれはまさにこう、近世から近代、つまり明治以降、19世紀の後半ですけど。
それがなんとなく皆さんも近代はそっから始まるんだろうなと。
ちょんまげの時代は近代とは言わないよねっていうふうに思ってられるじゃないですか。
まあいろいろ厳密な定義はあるんですけど、まあでも大体そんな感じでスタートはわかってると。
じゃあとね、そっから始まった近代は一体どの辺で終わって、現代ってどうするの?っていうのがあってね。
実はこれは先ほど言ったようにあいまいなんですよ。
で、一つは第二次世界大戦が終わった1945年を、一応近代が終わったっていうふうに初公開っていう。
ところがそれは1945年のことなので、当時というか1945年からするとね、今がもし1970年とすると、
そうですね、1950年も60年も70年も結構現代っぽいでしょ。
45年で近代終わったんですけど、だけどもうそっからね、既に60年以上経ってる今からすると、
ちょっと1950年が現代かっていうのはなかなかちょっと言いにづらいんですけどね。
一応便宜的に5、60年ぐらいからまあまあだいたい現代美術と呼ばれてるものが始まるのかないっていうふうにはなってますけど、
まあそれは人それぞれ言うことが違ったりするんですよ。
だから厳密にここからここを境にして現代ですっていうのは実はあってないようなというのが正直なところなんですけどね。
まあその中でも一応便宜的には一般的は1950年代ぐらいからっていう話だったので、
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まあある意味定義的な部分では少し見えたんですけども、ここからまさにせっかく天野さんにお聞きするのでですね、
もう少し砕けた感じでちょっとお話伺いたいと思うんですけども、
現代アートってまあここがわからないということでまさにその通りで、やっぱり一般的に素人というかわからない人からすると、
率直に言うと何かその作品を見たときに現代アートって言われるもの、え、これがアートなの?とか、
これがなんでこんなに評価されてるのかわかんないとか、それこそびっくりするような値段がつけられたりとか、
その辺が一般的な昔の、もっと昔の例えばモナリザとかって現代アートよりもっと前なわけですよ。
まあルネッサンスですよね。
ああいういかにもアートっていうものであれば、アートなんだなって確かにそれもなんとなくではあるんですけど、
いわゆる最近の現代アートっていうものを美術館いろいろ見に行くと正直さっぱりわからないかな。
で、僕の知り合いとかいろんな人に今回こういう番組始めるっていうことで話をやっぱり聞いてるんですけど、
皆さん興味あるんだけどやっぱりいまいち取っつきにくいっていうところがあるんで、
そのあたり逆にアートにずっと天野さん関わってきて、いろいろまあ重いところもあると思うんですけど、
そもそも何がアートかわからないとか、その辺のところっていうのがちょっと現代アートの取っつきにくさなのかなって思います。
このあたり逆にどちらかというと発信されてる立場からはいかがですか。
あのね、そうですね。何がアートかっていうとすごく難しいっていうのは、やってる方だと同じなんですよ、実は。
で、まあ美術がね、お好きでない方もっていうかあんまり興味ないんだよねっていう方もいらっしゃるとは思うんですけど、
美術館に行かれた方があんまりそんなこと気がついてられないかもしれないんですけど、
壁のことなんてあんまり皆さん見ないと思うんですけど、
よくよく注意して見てみると、大抵ね、まあ8割9割型真っ白な壁なんですよ。
普通赤い壁とかないでしょ。
あのまあ今あの横浜美術館でやってる動画展は、わざと、わざわざ壁に色をつけて、ちょっと区別したりするためにね、やってるんですけど、
そういう作り付けの壁を取ると、大体真っ白なんですよ。
で、その真っ白い壁で作品を展示することがね、多いんですね。
で、その真っ白の壁で覆われた部屋のことを、あのホワイトキューブって言うんですよ。
ホワイトキューブ。
まああの白い、要するにそのキューブですから、立体の部屋っていうの。
で、どうしてその壁が白いのかというと、
壁が真っ白だとね、そこに絵が描けられているとすると、あるいはまあ彫刻でもいいんですけど、
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いらないものが目に入らないでしょ。
うん、そうですね。
例えば壁に模様があったりすると、ついつい模様を見ちゃうでしょ。
で、もっと言うと白い壁と言っていながら、こう何か間違ってこうテペチョッとつけると、指紋なんかがついちゃってね。
で、それが気になって、これ何だろう、作品かなと思ったらするじゃないですか。
で、そうじゃなくても、そんな指紋もなくて真っ白い壁にしておけば、
いらないイメージがないでしょ。
白いんで。
そうすると、その作品に集中できるでしょ。
ね。
集中できるようにしたんですよ、実は。
これはだからさっき言うと、まあそうですね、現代美術が戦後ね。
だいたい戦後って思っていただくと、その時代以降の美術館は大抵白いんですよ、壁の色がね。
で、それまではじゃあどうだったかっていうと、結構なんかベルベットとか、ベルベットだったりとか、
あるいは一つだけ見せるというよりは壁にもとにかく三段みたいにして、
もうこれでもかいっていうぐらい見せたりしてた時代があったんですよ、それはね。
で、それは何だろう、展示の仕方のこともあるんですけど、
そもそもね、さっきのお話で言うと、近代が始まるでしょ。
近代が始まるって大抵みんな、大抵いろんな国は19世紀に、
皆さん少しは歴史のことを勉強したことがあるから思い出してほしいんですけど、産業革命とかね。
ありましたね。
あるでしょ。
大体19世紀なんですよね。
要するに産業革命がもう起きましたと。
それで今の社会と同じように、
なんか王様がいて、なんか貴族がいてっていうような人たち、基本的にいないですよね。
平等ということになりましたよね。
世の中平等だよっていう、ものすごく大雑把に言うと。
それまでの時代っていうのは、王公貴族がいてですね、
その人たちが、もちろんヨーロッパなんか教会、なんて言ったらいいんだっけ、
キリスト教の教会というか生活に根差しましたからね。
そういう人たちが支えて、その美術が成り立ってたわけですよ。
そうするとね、どんな美術だったかというと、
そういう神話を題材にした絵が多かったんですよね。
そうすると、みんな知ってるじゃないですか、ヨーロッパの人は、
聖書も知ってるし、歴史のことも知ってるとするとね、
ここはどんな場面だとか言っているのが分かるわけですよ。
そうすると、ヨーロッパの人は、
ヨーロッパの人は、
ヨーロッパの人は、
大行貴族の人達は、
本も読んだりしてるのでよくわかるかもしれますが、
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一般の人たち?農業してるとか家事屋さんとか、
それが日本の伝統動物族なのかどうかは、
知らない。
知らないに何は、美術館も無い。
知らないに何は、美術館も無い。
絵画を見たことがなかったけど、
で、そういう時代が、一応、近代で終わっちゃったわけですよ。
王公貴族はどっか行っちゃったし、というよりも、頑張ったらお金持ちになれるという時代が出るのでね。
そういうのをブルージュアルって言うんですけど、新しい市民階級ってね。
ブルージュアル革命とかって習ったでしょ。
フランス革命のことをブルージュアル革命とか言ってるって。
そうすると、社会の担い手が変わっちゃうわけですよ。
今までは王公貴族が社会のある種の担い手ですよね。
もちろんだって、そういう時に一般市民が、市民って言わないのか。
だから一般の人がいないと国は成り立たないんですけど、
もうそんな人たちがいなくなったので、実力の社会っていうことになるわけでしょ。
そうすると、そういう新しい市民階級の人たちが出だすと、
その人たちが必ずしもね、歴史のこととか、聖書とか、あるいは神話のことについて知ってるわけじゃないわけですね。
改めて勉強しなきゃいけないんですけど、それよりももっと身近なもの、
僕自分たちが知ってるのがいいなっていうことになるわけで、
そうすると風景画だったりとか、花の絵だったり、そう生物画って言うんですけど、
そういう、やっぱり美術も大きなマーケットなので、
当然需要と供給で言うと、需要側のニーズっていうのが、ずいぶん買っちゃったりっていうのが一つ大きいんですね。
そこをちょっと考えたほうがいいかなっていうのがあるんですよ。
もう一つはね、さっき言ったように、それまでつまり近代までの絵というのは、
絵を見ると間違いなく物語が思い出されるわけですよね。
そうすると見てる人の頭の中では言葉がもうすでに、その時、朝は、
そういう場面の言葉が思い出されるわけですよ。
ところが近代になると、そんな言葉が先に思い浮かんだ後に絵を見て、
それがいかにも言葉と絵が、
意味じゃいい関係、いい関係のことをマリアージュって言うんですけど、マリアージュな関係なんですけど、
それでいいのか、それでいいのかっていうのは、やっぱり絵ってそんな言葉じゃなくて、
言葉なんかいらなくても、絵は絵として独立した方がいいんじゃないっていう、こういう考えが生まれるんですよ。
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それはさっき言ったように、いつも歴史の知識がないとこの絵がわかんないんじゃちょっと嫌だよねっていうニーズももちろんそこにかぶってるんですけど、
そうすると、そんな言葉関係なく、絵は絵だっていう考えが本当にできちゃうのよ。
そうするとそういう考えをあんまりにも突き進めると、どんなことになるかっていうと、
色だけとかね、形なし、一種の真っ赤かの絵とか、青だけとか、
そうすると当たり前ですけど、そんな絵を見ながらね、歴史は思い出さないし、神話も思い出さないし、そんなことよりも何よりもなんだろうと思うでしょ。
近づいていったら、まるでザラザラとした肌のような感触みたいなのがね、絵の具の感触とかあるじゃないですか。
そうすると、あるいは形がよくわかんないんだけど、厚く塗られた絵の具がね、波のようにっていうかすごく動きのある感じとか。
それはそれで、物語は全く思い出せないけど、ひょっとしたらずいぶん体を動きまくって描いたんだろうなっていうふうなことがわかったりして、
その体の動きをそのまんま絵に表現するぞとかね、そっちに行っちゃうわけですよ。
そうすると何か具体的なものを描くんじゃなくて、だって富士山描いちゃうとみんな勝手に物語言うわけでしょ。
福西も描いてるよねとか。だからそんなこと思い出させないようなものを一生懸命描こうとするのね。
だからもう一つはね、これは何といってもその美術だけじゃなくて、琉球席モダニズムって言うんですけど近代になるとね、
とにかくそのオリジナリティのあるものを生み出さなきゃいけないっていうふうになっちゃうんですよ。
それはだって物を作る人たち、商品もそうだし、それから考え方とかね、誰も考えてないことを考え出すとか、
それから誰もまだ発見してないことを発見するとか、ノーベル賞をもらえるような人たち、
とにかく真似はしちゃいけないんだっていうふうになっちゃうんですよ。
昔はね、真似してよかった。だって勉強しようと思うと、親方のとこ行って、弟子として。
徒弟制じゃないですか。
ね、徒弟制があって、まず最初に真似するわけでしょ。
まあ今でももちろん国産とかあるいは職人の世界っていうのは、必ずそういうことをやらなきゃいけないんですけど。
だけどその世界全体としてはね、そういうユニークなこととかオリジナリティのあること、音楽もそうだし、
芸術と呼ばれているのはもうことさらユニークなことが求められるわけですよ。
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そうすると人が今までやってないことをやるわけですから、
ということは今まで見たことがないものを見せられるわけでしょ、どんどんどんどん。
それ見てるほうつらい。
歯の連続ですよね。
そういうようなことが実は背景としてあるんですよね。
この背景、そしてその前にですね、近代以前かな。
以前の場合はある意味見るだけでストーリーが伝わってくるということはどちらかというと、
鑑賞する人は何も考えないってわけじゃないと思いますけど、その絵からダイレクトにそういったものが伝わってくるから、
ある意味素直に見れた。
だけど近代以降特に現代もそうなのかもしれないですけど、いろいろな背景から今の天野さんの話だと、
例えば体の動きをそのまま表現したもの。
そうするとそれを見た人が逆にストーリーとか見えてこないので、そのアートに関わっていかなきゃいけないのかなっていう。
だからね、さっきの話で言うと、そういう教養がないと絵がわからないっていう時代があったのね。
歴史をいっぱい読むとかね。
今度はそれは読まなくてもOKですってなるんですよ。
そんなに教養がなくても大丈夫みたいなね。
だけど極端に走っていくので、さっき言ったように赤なら青、赤とか青なら青とか言って、
それはそれこそどうなのってなるわけでしょ。
何にも書いてないわけで。
だからそうするとそれはそれで今度ものすごく限られた人しか楽しめないって言うんですか。
実際にそうなっちゃったんです。いいですよ、別にわからない人は結構ですみたいなことになったのは確かなんですよ。
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