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Mika Ueno
私最近、ゲームの新作が出てて、ずっと実況というか、
メインストーリーをつなぎ合わせたビデオを見るっていうのが趣味なんですけど、
それを見てるんですよ。
何回か言ってますけど、竜が如くっていうゲームが大好きで、
それを見てるんですけど、
1本あたり、1作品あたり18時間くらいあって、すごい長さなんですけどね。
そこが素晴らしいストーリーなので、引き込まれてずっと見ちゃう。
ゲームは、人をキャプチャーしてキャラクターにするっていうのもそうですけど、
オリジナルのキャラをCGで作って、そこに声優さんが声を当てるっていう、
そういう作り方なんですね。
だから完全に架空のオリジナルキャラっていうのに声優さんが声を当ててるパターンと、
声優さんじゃなくて俳優さんが声を当ててる場合もあります。
実在する本物の俳優さんをキャプチャーして、それを取り込んで、
そこにご本人が声を当てるっていうパターンといくつかあるんですけど。
竜が如くだと、何割くらいかな、架空のキャラなんですけど、
3割くらいは実在の俳優さんが出てくるんですよ。
その俳優さん本人で、もちろん一流の役者さんとかね、
そういう人が出てきているのにも関わらず、
ストーリー見てると声の演技がついてこないというか、
声と本人の3Dの見た目、ビジュアルが合ってなくて、
すごい違和感を覚えるっていうか、
すごい声だけ浮いてる感を感じるっていうのがちょっとあって、
今回の最新作もそうなんですが、過去作にもそれ何回もあって、
見ててやっぱ自覚的になっちゃったんですよね。
それがどんな名優であっても、
若くてもキャリアがある人でも関係なくて、
顔の表情がすごい細かく動くようになったんですよね、今の。
たぶんアンリアルエンジン5だと思うんですけど、
なったんですけど、リアルな3Dモデルだから、
ものすごい没入しやすくはなってる。
なってるんだけど、声が乗ってこないと、
そこにフッて現実に戻されるっていうか、
あれなんだ、全然合ってないみたいな感じになっちゃってる。
っていうのがすごい感じることがあって、
今回もそれはあったんですね。
でも一番ひどかったっていうか、言っちゃいけないな。
一番違和感感じたのは、
実在の俳優さんがやってるやつだったんですよ、過去作でね。
ものすごい名優さん。
Nobuhiro Seki
それって架空のキャラクターに声優さんが当てるんでも、
本人の取り込みに、本人のアバターに本人が当てるんでも、
関係なくですか?
それともリアルに顔の表情ができるようになったから、
逆に違和感ができたっていう話、関係なく。
Mika Ueno
これはリアルになってればなってるほどっていうのは、
あんまり関係ない感じがしてて、
もう10年以上前の過去作からずっとそれは感じてたので、
あんまりリアルだからっていうのは、
私の場合ですけどね、
あんまりそこは大きな要因ではないかもしれない。
この最新作はものすごいリアルだからなんですけど、
本人のキャプチャーに本人が声を当ててるのに、
すごい浮いてる感っていうか、
Nobuhiro Seki
とこがあるのは変わらないですね、やっぱり。
それって本人の表情とか逆に想像ができて、
要するにもう細かく見えるわけじゃないですか。
だからこんな時にこんな動きをするって想像できちゃって、
それとのズレがどうしても出るじゃないですか、ほんのちょっとでも。
だから違和感があって、架空の場合はそれがないから、
割と違和感なく感じるってそんなことなんですかね。
Mika Ueno
そうなんだろうな。
なんか表情が豊かにテレビドラマとか映画とか、
実写の映画みたいにこの目の動き、表情筋の動き、
髪の動きってすっごい微妙なものが動くじゃないですか、
ドラマとかって。
あとは体も動くし、それから出てくるオーラっていうんですか、
そういうのもあると思うんですけど、
ゲームのキャラになった場合は、
ものすごく細かく目とか口周りが動くようになったんですよ。
それが今作のすごいところなんですけど、
それがあっても、なんかやっぱり完璧に実在ではないから、
そこをカバーするために声の演技で、
ものすごくちょっと大げさにするところってあるじゃないですか、
声優さんの演技とかって。
ものすごくはっきり抑揚も言うし、
そこの部分で架空のキャラにドーンって没入できるのは、
やっぱり一流の声優さんの演技だなと思ったんですよね。
過去作の時はもっと荒いわけですよ。
3Dのキャプチャーとか。
ものすごくリアルなんですけど、
本当にバッチって止まってるキャプチャーなので。
そっちの方が断然、すごいリアルなキャプチャーできてるけど、
動きになった時にはやっぱり表情まだついてこないなと思うとか
たくさんあるんですけど、
でもそれでもそんなところじゃなくて、
ストーリーに吸い込まれちゃうとかすごいたくさんあったんで、
声の演技とかね、あるんだろうなと思いますよ。
Nobuhiro Seki
やっぱりね、アニメとかって全然追従しないですか、
顔の表情とかって。
だからそれでも逆に声の演技でストーリーに引き込むっていうことができている。
対してやっぱり表情とかがあまりにリアルだと、
それに合ったような声とかっていうのが、
逆にその微妙なズレがすごい違和感になっちゃうみたいな。
そんな感じなのかもしれない。
Mika Ueno
ズレは、例えばリップシンクできてないとか、
口の動きに言葉が合ってないとか、
そのリップシンクとか動きっていう点のズレ、
ディレイっていうのは多分ほぼなくて、
言葉に乗ってくる感情っていうですかね、
その部分な気がするんですよね。
ディレイとか動きの一致ではなくて、
アニメとか3Dキャプチャーで、
推察するにこんな今情景だからこんな感情ってなるわけじゃないですか。
それの乗せ方な気がすごいするんですよね。
演技の言いたいわけじゃ全然ないんだけど、
すごい名優さんがシリアスなところやってても、
なんでこんな棒読みなの?みたいに思うところがあるんですよ。
全然抑揚がないっていうか、
多分その名優さんは実写の映画になった時は、
多分動きとか顔の表情とかいろんなもので表現してると思うんですね。
その方が実写になった時のその場面と、
アニメとか3Dキャラとかにそれに声を当てた時っていうのは、
こんなにも違うんだっていう。
Nobuhiro Seki
それってよくロボットで不気味の谷とか言うじゃないですか。
あまりに人間近くなってくると逆に気持ち悪くなっちゃう。
それとちょっと似てるような人間のリアクションというか。
Mika Ueno
そうですね。
人間の脳が反応するところはここなんだなっていう感じがします。
特に私は声が好きだっていうのもあるんですけど、
全ての声優さんが素晴らしいってそういうわけじゃなくて、
本当に一流の人たちの演技が本当にすごいからびっくりしたんですよね。
その声優さんとかとの違いっていうのはめちゃくちゃびっくりしたのは、
今作で特に思いました。過去から思って。
聞きたい音が入ってくる、
注意が向く音が入ってくるっていうのは、
この作品もそうなんですけど、
この収録とかね、他のビデオ会議やってた時も、
背景の騒音で、
例えば工事の音ですとか、
空港のザーッという音ですとか、
街の雑踏ですっていうところはまだいいんですよね。
でもそこから後ろに人の声が聞こえますとか、
オフィスの中でよくあると思うんですよ。
PCとかバーッと広げて全部音拾っちゃうみたいな。
あんな時に人の声が入ってくるっていうと、
その声に全部耳が持っていかれて、
普通の雑音とだと全然比べ物にならないぐらい
自分が集中できなくなっちゃうっていう経験で、
好きさもあるかもしれないですけど、
人の声が聞こえるように脳はできてるんじゃないかなって思う時はありますよね。
Nobuhiro Seki
なんとなくコア色でその人の表情とかも想像してますよね。
怒ってんじゃないかとか、笑ってんじゃないかとかって、
電話とかでも想像できるじゃないですか、多少は。
だからその想像してるものと、
実際に出てきてる表情がちょっとずれてるっていうのが
すごい気持ち悪いじゃないかなって思ったんですよね。
Nobuhiro Seki
そういう感情とか文化の差みたいなやつって、
結構統計とかにもすごい出るじゃないですか。
よく調査してて、
日本人は例えば満足度が最低ですとかってよく出たりするんだけど、
それってじゃあ、
ネットプロモータースコアとかみたいなやつ、
日本ってすごい低く出るんですよね。
ネットプロモータースコアだと10か9じゃないとプラスにならないとかってあるじゃないですか。
だいたい日本人って普通に出ると8つけるから、
そもそもプラスにならないとかっていうのがあったりとか。
だからそういう評価って、
実はキャリブレーションしないといけないじゃないですか。
キャリブレーションしない状況で、
やっぱり比較しちゃうと、
極端なものをつけないっていうカルチャーの場合は、
極端なものをつけるところに比べて、
数字が出にくいよとか。
でもやっぱり国際的にバーンと比較すると、
国ごとによって違うのは、
そういうのはだいたい考慮されずになるんで、
それって本当に、
意味がなくはないと思うんだけど、
実際に比較するときにどう比較したらいいのか、
みたいなところはまだやらないといけないところがあると思うんですけど、
このまさに音声とか感情とか、
そういったもののマルチモーダルごとの評価の仕方とかっていうのも、
同じ英語だと多分アメリカとイギリス全然違ったりするみたいなところもあるんで、
これって多くすればするほど丸まっちゃうじゃないですか、
最大公約数みたいになっちゃって、
でもなんかすごい特化したときに、
それとそれじゃない、その対象とその対象じゃないところを、
どうやって比較するのかみたいな。
なんかそういうところがね。
Mika Ueno
そこはありますね。
ちょっと前にマーケットの友達とかとNPSの話をしてて、
NPSのネットプロモータースコアで、
よく皆さんアンケートとかにあると思うんですよ。
これをU字に進めたいですか、1から10みたいなね。
10が最高、1が最低。
基本的には9と10をつけないと進めっていう風に分析的にはならないんで、
それを知ってる人とかマーケットの人たちはだいたい全部、
悪くないんじゃないって言ったら全部9から10つけるんですけど、
日本人は必ず真ん中からちょっと上ぐらいしかつけないと。
それは本当にそうで、
これのチューニングは必要だよねっていう話はしたりしてましたね。
多分やってるところもあると思います。
さらに前だとアップストアとかの評価もそうで、
自分が働いていた前の会社とかだと、
日本はとにかく星1個低く、1個が1.5とか低く出る可能性はあって、
文句があるときしかコメント書かないとかね。
だから評価を低く出る傾向があるっていうのはよくあった話で、
そこは北米の本社とかでも、
他の地域とかでもほぼ常識になりかけてたんですよ。
日本はちょっと低く出るみたいな感じで、
そこはちゃんと通常のエネルギーの何倍もの強さで説明していかなきゃいけないので、
ものすごく骨折れるんですけど、
ユーザーの傾向っていうのはありますね、すごくね。
あとこれは評価じゃなくて、普通のコミュニケーションもそうで、
アメリカとか北米の人とか他の地域、ヨーロッパとか、
ああいう人たちと話すときも、
普段の自分の自信とか、あと元気っていう、
これが例えば自分が100%ですごい元気って思ってるところの倍以上のエネルギーで話さないと、
今日何か調子悪いなとか、
彼女はどうしたって言われてしまうので、
自分の倍の元気で倍以上でっていうのはすっごい疲れるんですけど、
そういう普段のコミュニケーションが違うというのはありますね。
それも声とかボディランゲージとかそういうものにいろんなものが乗ってるからだと思うんですけどね。
Nobuhiro Seki
前、結構前にこの話ちょっとこのポーズキャストにもしたかもしれないんですけど、
The Culture Mapっていう本があって、国によってこの本だと10個ぐらいパターンがあって、
要はトップダウンかボトムラップかとか、直接的に批判するか間接的に批判するかとか、
なんかそういういろんな国によってパターンが違いますよね。
ハイコンテクストですかローコンテクストですかっていうんですけど、
その本の結構冒頭に出てくるこんなことが複数の国をまたがってありますよっていう例として出てくるのが、
フランス人のインターンかなんか若い人がアメリカ人の上司について仕事をしていて、
で、仕事があれでいくとフォアノーマンでフィードバックするじゃないですか。
で、フィードバックしたときに、この上司の人は確かね、インシアルのプロフェッサーかなんかなんですけど、
もともとアメリカ人で今フランスから住んでるんですけど、
そういう国際マルチナショナルな国のエグゼクティブとかそういう人たちのコンサルをしてる。
で、実際にあった評価っていうのはさっき言ったアメリカ人の男性の上司とフランス人の女性のジュニアの人があったかな。
で、両方にそのコンサルの人にインタビューしたら、上司は直してほしいことがいっぱいあると部下の人にね。
って思ってそういうふうに伝えました。
でも、部下の人に聞き取り調査をしたら、すごい上司が私のことを買ってくれてるっていう評価で、評価が全く逆になった。
どういうことかっていうと、アメリカ人って本当に言いたいことを最後に言うじゃないですか。
最初すごい褒めて、あなたこういうこといいですね、いいとこすごい言って、
最後に言いたいことが出て、特にシリアスでヘガティブなことって後に持ってくるんですけど、
フランス人って逆らしいんですよ。
最初にダメなことあった、これはダメだと言うらしくて、
フランス人からすると最初にすごい褒められたから、後の方聞いてません。
もうこの上司は私のことを最高に買ってるって思いました。
で、上司はあれだけ伝えたんだから100%伝わってるはずだって言ってるわけですね。
要するにこういうの直してほしいっていうの、すごいちゃんと伝えた、あれだけ言って分からなかったら分かるわけね。
俺どうすればいいんだみたいなことを思ってました。
でも実はそれって説明の仕方のレトリックじゃないですか。
これ文化の差だから、みたいなことが頻繁に起きますよね、みたいな話をしてて。
昨日とかもタクシーとかUberみたいなやつで、
最近ここ数年ニューヨークはテスラYしか走ってない、全部電気自動車っていうニューヨークローカルのUberみたいなやつがあるんですけど、
それに乗ったら終わった後の評価で5段階あるんですけど、
5段階の一番上はIncredibleとか書いてあるんですよね。
Great、Goodみたいなのが書いてあって、
星が何もなく1から5個だと、よっぽど文句ない限り5にするわけですね。
4とか3ぐらい、4とかになるとすでにどこをインプローブしたらいいですかって聞かれちゃうわけですよ、すでに。
Mika Ueno
そうですね。
Nobuhiro Seki
だから基本的に文句なかったら5じゃないですか。
でもIncredibleって書かれちゃうと、Incredible、Great、Goodとかになっちゃうと、
ちょっとこの人、Incredibleじゃないよね、みたいな。
要はかもなく、不かもなくだから普通のUber基準の5なんだけど、
ちょっとこの人そこまでじゃないよね、普通のナイスドライバーだよねって思った時に、
これって4か3をつけろって言ってんだよねみたいな形容詞で言うのを感じたりして、
これで5をつけるって結構難しいよねとか思ったんだけど、
でもこれアメリカ人関係ないのにピッて押したりするのかなとか言うのあって、
すっごい悩んで5、4ずっと行ったり来たり行ったりして、
とりあえず5にしたんですけど、
Nobuhiro Seki
でもなんかすごいそういう感じますよね。
Mika Ueno
ちょっとだけここの部分はあんまり言わないから、
少しだけぼかしておこうなんていう感じで、
1on1の面談、例えば人事の人とかとの面談で、
とりあえずポジティブに見せた方がいいし、
特に問題ないよみたいな感じで伝えた方がいいんだけど、
ここの部分だけちょっと控えておこうかななんていう感じで日本人が望んだら、
それがだいたい伝わるんですよね。
そうするとシーワーズのリザーブドとか言われちゃうわけですよ。
全然私はそんなこと言ってないのに、
そう伝わったんだみたいな感じはいろんな失敗とかありますね。
ここだって部下にも言われますからね、リザーブドって。
やっぱりあるんですよね、出ちゃうんですよね、そこのとこね。
少しだけでもカバーしておこうとかっていうように思うと、
言葉とか多分表情とかいろんなものにそれが乗っかってくるんだと思うんですよね。
ここは言わないでおこうじゃなくて、ここを喋ろうというふうに意識をそっちに持っていくと、
多分いいんだろうな、ちょっと演技というかね、それも入ってくるんだと思うんだけど。
Nobuhiro Seki
それもそのフィードバックしてくれてる人はアメリカ人じゃないんですよ。
だからアメリカ人だとこっちもアメリカ人と思ってやるじゃない。
でも国がいろんなバックラウンドでいるから微妙に外国人でアメリカに暮らしてる人とか、
外国人で日本に暮らしてる人とか、そういうパターンが僕の部下とか多いんで。
だからストレートにその人もパターンじゃなくて、こっちもこっちで、
この人はどういうふうに言ったら彼女、彼、的な感じで僕の言ってることが伝わるのかって、
考えながら喋ったりするんで、それが合わない時とかっていうのは全然上手く伝わらない時とかも多分あると思うんですけど。
Mika Ueno
笑い取る時なんか多分めちゃくちゃ苦労するでしょうね。
それこそコンテキストが分かってないと笑いにならないっていうのがいっぱいあると思うんですよ。
映画とかなんか特に。翻訳者さんのインタビューかなんかで読んだことがあります。
ジョークとか笑いの時がすごい大変。
しかも文字数とか伝えるタイミングが間が決まってるから。
Nobuhiro Seki
だから笑いがずれる時ありますよね。
笑ってるタイミングが先に日本人が笑って、その後外国人が笑うとか逆のパターンがありますよね。
ここまででもコントロールできないですよね。
Mika Ueno
それが違いが、言語の違いと文化の違いであって、グローバルにはならないっていうか、そこでなる必要はないと思うんですけど。
Nobuhiro Seki
それはやっぱりその言葉の言葉で理解しないとそこは埋められないですよね。
そうですね。本当にそう思います。
Nobuhiro Seki
言葉だけじゃないですからね。文化もね。
ロンドンに留学してた時に、プログラムマネージャーの人はアメリカ人でしたけど、10年くらい経ってたんですね。
プログラムの中で1日体験で、コメディースクールに1日体験するっていうのがあったんですね。
それってアントリプレナーシップスクールだったんですけど、
要はプレゼンテーションの資格とかそういうのを学ぶために1日コメディースクールに入るってなって、
それはなんかエグゼクティブクラスのみくらしいんですよ。
結構すごい高いのがイケるんだから絶対行った方がいいって言われて、
普通にやると1日50万とか取られるらしいよって言われて、
それラッキーと思って行ったんですけど、アメリカ人のプログラムマネージャーと話したら、
いやもう私も10年いるんだけど、何でここでみんな笑うのか分からないんだよねって言ってて。
Mika Ueno
笑いのコンテキストね。
Nobuhiro Seki
だからその笑いのコンテキストが分からないから、
もちろん言葉では笑いにしないようにするのもあって、
言葉を発せずにこれを表現してくださいとか、
ジェスチャーと何とかだけでこれで笑いを取ってくださいみたいなやつもあるんですね。
やっぱり言葉だけでは伝わらないっていう中で、
どうやってエグゼクティブとして演技をしましょうみたいなそういうところもあって、
そういうのがあって、それはそれでイギリスもね、
いろんなカルチャーの人がいっぱい来てる場所でもあるんで、
そういうことを意識してやってるんだ。
イギリスとアメリカで既に伝わらないんだから、
それは普通に言葉で言ったら伝わらないし、笑いも伝わらない。
でもやっぱりそれをどうやってなるべく伝えるようにするのかって、
大英帝国は考えているんでしょうねとか思いながら授業を受けてましたね。
楽しいですよ、でもね。
最近、ペーパルの本が出たんですよ。
1年くらい前だったと思うんですけど、
ペーパルってどんな2年、3年だったかって、
そんなディテールに書いてある本はなかったんですけど、
その本がすごいディテールに書いてあって、
その中で結構外国人の人もいるわけじゃないですか。
イーロン・マスクもそうだし、
デイビッド・ザック、南アフリカ人だったりとかしてて、
なんで外国人がアントレプレナーとして強いのかっていうと、
今みたいに何もコンテクションが通じないところで、
すごい苦労をどうやって解決していくのかっていうのを
いつもやってるじゃないですか。
いつもやることになるじゃないですか。
まさにさっきの通じないとか、
通じないけど誰も助けてくれないみたいな局面がすごく多くて、
解決していくっていうのは新しいチャレンジに対して、
一瞬に対して自分なりにいろんなパターンを
なんとかして解決していこうっていうのとすごい似てるから、
それは外国人がやっぱり外国に暮らして、
そこで新しいことをしましょうっていうのは、
既に日頃の生活の中でそういうことをやってて、
蓄積がある人とそうじゃない人にやっぱり差があるのは
当然なんじゃないみたいなことを書いてあって、
今コミュニケーションの中でやっぱり、
ちょっと無理矢理自分のスタートアップの話になっちゃうんだけど、
企業ってそういうもんだよなってちょっと、
今までコンフォートゾーンじゃないところに入ってくるわけですよ、
基本的に。
それは今言ってたいろんなパターン、
なんかすれ違い、不気味さ、気持ち悪さ、
みたいなものをどうやって折り合いつけて、
それ何に対処してってそこそこの結論を出すのかみたいな、
そういうのに近いんだろうなっていうのをちょっと。
なんかやっぱハイコンテクスト日本だと、
なかなかそこっていうのを、