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こんにちは、ワーママのエリィです。
このチャンネルでは、40代時短勤務で働くわんママが、
産後鬱をきっかけに、生き方・働き方を見直し、
思考錯誤する家庭やその中での気づき・学びを配信しています。
同じく、働くわんママさんでちょっと疲れたなぁという方に向けて、
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はい、ちょっと間が空いてしまったんですが、
産後鬱のエピソードについて、今回はお話をしたいと思います。
娘を5ヶ月で無事、保育園に入院させることができまして、
私はね、一応、小病理由ということで、
服飾も少し伸ばすことができました。
もともと、一般的な育休が1年と決められているので、
5ヶ月で服飾するにあたって、
会社の方は期待には添えなかったんですけど、
手続上で特に問題があるわけではなかったので、
そのまま事情を伝えて、しばらく治療に専念することにしました。
今日聞いてほしいのは、
結構気になる人多いんじゃないかなと思ったので、
共有したいんですけど、
産後鬱に対して診療内科でどんな治療をしたかっていうのを、
お伝えしたいなと思います。
結構ね、私の周りの40代女性たち、
働く40代女性、特にはママなんですけど、
最近やっぱり心身の不調って、
本当に増えてきたなっていう風に感じていて、
特にね、仕事でのプレッシャーがすごかったり、
それに加えて育児のイライラが募ったりとかで、
バランスを崩しちゃう。
季節柄とかもあると思うんですけど、
バランス崩しちゃって、仕事に行けなかったりとか、
あと眠れなかったりとか、
そういう症状が出てくる友達が結構多くて、
一人じゃないんですよね。
私が産後鬱になったこととか、
薬飲んでることって割とオープンにしてるので、
あんまりオープンにする内容じゃないと思うので、
結構聞かれるんですよね。
診療内科ってどんな感じとか、
すぐ薬出されるのとか、
いろいろ気になるみたいで、結構聞かれるので、
ちょっと皆さんの情報の役に立つかなと思って、
詳しめにお話しします。
私は今回の産後鬱は、
東京に戻った段階、
実家に帰省する前に1回受診をしてるんですね。
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その時点では特に治療は行わずに、
カウンセリングみたいな形で話だけして、
まず実家に帰りましょう、
その後考えましょうっていう形で終わってました。
なぜそうなのかっていうと、
私は授乳中だったので、
抗鬱薬とかお薬を飲むことができなかったんですね。
なのでまず実家に帰って、
それで改善するなら、
それが一番いいということで、
特にお薬なく実家に戻ったんですね。
4月の時点で東京に戻ってきた時に、
もう1回そのクリニックを受診しました。
私の話を詳しく聞いてくれて、
先生の見解としては、
抗鬱薬で治療した方が早いと思ったみたいで、
断乳をして抗鬱薬の治療を開始しましょう、
というふうにズバッと言われました。
結構サバサバしてる女医さんだったんですね。
私何回かいろんな診療内科、
いろんなといっても1個か2個なんですけど、
カウンセリングを受けたことはあるんですけど、
ここまでさっぱりしたというか、
サバサバしたお医者さんが結構初めて。
よくよく考えると今までは、
カウンセラーの立場の人だったのかわからないんですけど、
だいたい寄り添え型、共感型のタイプの
カウンセリングが多かったんですけど、
今も通っている当時の、
お薬を始めましょうって言われた先生は、
本当にね何というか合理的というか、
私にはすごい良い先生でした。
それを詰めたいととるかどうかは別として、
私はあのズバッと言ってくれる人がすごい好きなんですね。
だから、
そうそう、男乳することに対して、
やっぱりね、当時は母乳じゃないといけないんじゃないかとかね、
ちょっとした、ちょっとした迷いがあるんですよね。
あと母乳じゃないとなんか今寝ない、
寝かし続け母乳でやってるから、
寝ないしっていう不安もまたあったりして、
そういうの全部話すわけですよ。
母乳じゃないと寝ないんですとか、
ミルクだけにしちゃったら、
なんか愛情がとか、
いうのをゴニョゴニョゴニョゴニョ言ったら、
もうそこもズバッとね、
そのミルクと母乳による性情の違いとか、
愛情の違いを証明するような、
そういう論文はありませんみたいなことをね、
はっきり言ってくれて、
そんな関係ないですって、
母乳神話に騙されないでって言ってくれましたね。
そこはズバッとね、ほんと、
嬉しかったですね。
あなたが治すべきはまず自分の心だと、
私の心が治って初めて、
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まともな育児ができるはずだっていう風に、
人欠はそこですという風にはっきり言われました。
そういう先生の強い言葉があったので、
私は断乳する決意をしてね、
薬治療を開始することにしました。
それが5月ぐらいだったので、
娘は半年になるかならないかの頃だったんですけど、
寝かしつけの時にね、
いつも母乳で寝かしつけをしてるから、
最初どうしようと思って、
どうやって寝かしつければいいのかな、
ずっと抱っこすればいいのかなとか迷ってたんですけど、
なんかね、うちの娘も強い子なので、
何をさせたか、寝る時に、
今日は母乳はいりませんみたいな感じで、
スッとね、スッと拒否されて、
寝たんですよね、初めて。
母乳なしで。
それもね、びっくりっていうか、
なんか私の何かが通じたのかなっていうぐらい、
びっくりで、
なんかね、
ちょっとね、
嬉しかったって言ったらいいのかな、なんだろう、
なんかね、不思議な繋がりを感じて、
なんかね、
胸がいっぱいになりました。
ありがとうって思いましたね。
そのわけで、
男乳が意外にあっさりできてしまったので、
私は抗酸薬を飲むことにしたんですけど、
2種類出されましたね。
1つは、いわゆる抗鬱薬と呼ばれるもので、
長期作用型っていう種類にあたります。
長期作用型の特徴としては、
効果が出るまでに、
少し時間がかかることなんですね。
1ヶ月から2ヶ月ぐらいは、
ちょっと先に副作用とかが出がちで、
だから抗がん剤とちょっと近いのかな、
先に副作用の方が出てきて、
だんだん薬剤の効果っていうのが出てきます。
これは抗鬱症状を治すための、
そういう作用があるお薬を処方してもらいました。
もう1つは吞服用。
吞服用で1日6回まで飲んでいいですよっていうものを処方してもらって、
これは不安で考えが止まらなくなっちゃった時とか、
眠れない時に飲んでくださいっていうふうに言われました。
当時私はもう夜眠れない状態になってたので、
寝れないようだったら寝る前に飲んで、
お昼寝でもいいから寝てって言われて、
お昼寝でもいいから寝る時にそれを飲んでから寝ると、
熟睡できるはずだっていうふうに言われたので、
一応朝昼晩っていう目安はつけつつも、
もしそれ以外にも眠れないなとか不安だなって思った時に飲んでくださいっていう、
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そういう吞服的な使い方をするっていうものを処方してもらったんですね。
長期作用型、抗鬱薬の方は、
適量を決めるのにしばらく量の調整みたいなのをしないといけなくって、
最初30ミリグラムから始めて40、50、60ぐらいまで増やせるんだけど、
どのぐらいが一番いいかなっていう感じで見定めていく。
あんまり効果が感じられないようだったら10ミリ増やして、
2週間様子見して、また2週間後に増やすかどうか見るっていうような感じのことを、
少しずつ増量して様子を見る感じでしたね。
自分に合った量っていうのを選んでいくっていう感じでした。
この薬は、私のは本当に勝手な所感なんですけど、
アグレッシブになる感じの作用って言ったらいいのかな。
結局私今も飲んでるお薬変わってなくて、
ずっとその薬をもう6年近くなるんですけど、
飲んでいるんですね、最終的に。
なので、もともとの性格よりちょっと変わったなって感じることが正直あります。
ただ、それがお薬で変わったのか、
年をとってね、おつぼねさん的ポジションになったから、
ちょっと怖いものがなくなっちゃったのか、
それとも出産を経験してちょっとやそっと、
じゃあゆらがなくなっちゃったのか、どれが要因なのかっていうのは正直わからなくて。
でもお薬のおかげもあるのかなっていうふうには思っていて、
なので、今自分の気力があったりしたり、
自分の意見を伝えたいみたいな気持ちっていうのが、
昔よりは明らか強くなっているので、
前に友達がお薬ってどんな感じだったみたいな、
どんな風になるのみたいなのを聞かれた時に、
ちょっと性格が変わったかなみたいなのをポロッと言ったら、
その子が性格変わるの怖いとかって言われちゃったんですけど、
でもその子の会社のお薬だったんですけどね。
だけどまあまあ、私は別に違和感を感じてないというか、
誰かから何か言われてるわけでもないし、変わったねとか、
そういうのは特にないし、
自分としては、もっと今よりも他人の顔色を伺って生きてきたので、
生きやすくなったかなっていうのはあります。
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でも本当にお薬の性格とかはわからないです、本当に。
長期の方はそうやって量を調整しながら、
自分に合った量で落としどころというか、続けていくっていう感じでしたね。
そんなところで2種類のお薬を処方してもらって、
量が安定したら1ヶ月ごとの通院に帰るっていうような感じで変わっていきました。
私が診療内科って予約が取りにくいイメージがあるかなと思うんですけど、
確かにそれはちょっとあるかなと思っていて、
私はいつもその次の予約をもう当日の受診で決めるんですけど、
当日というかね、急な予定変更があった時とかは割とその週はもう待っちゃってたりするので、
でも結構その診療内科に行く状態の時ってもう結構限界な時だと思うんですよね。
だからこそ早めの受診、ちょっとおかしいと思ったらとか、ちょっと寝れない日が続いてたら、
まず早めに1回受診するっていうのはおすすめです。
最初はだいたいカウンセリングだけだし、
仮に何か処方されるとしても睡眠薬、だいたい睡眠薬かなと思うので、
睡眠薬も依存性がないものもあって、私が飲んでるものも依存性がないものなので、
いろんな事情を考慮した状態で処方はしてくれると思うので、
ちょっとおかしいなって思ったらぜひ行ってみることをおすすめします。
これが治療、完全なお薬の面での治療のお話なんですけど、
もう一つが、これは結構今の私のマインドセットのやり方っていうのかな、
結構土台になってるかなって思っていることなんですけど、
私には復職をしたいっていう目標があったんですよね、当時。
できるだけ早く、復職をするためにどうすればいいかっていう道筋を先生が立ててくれたんです。
その道筋っていうのが、最初にですね、最初はどうしてもだるい日、
当たり前だけど3月の状態なので、だるい日、ほぼ寝てる日、何もする気が起きない日、
もう1日のほとんどがそういう状態なんですね。
そこから少しずつ動く日、動く時間を疲れない程度に増やしていくっていうふうなことをするんですよ。
具体的にどういうことをするかっていうと、まずはルーティン的に同じ場所に行く練習をする。
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例えばカフェに行くとか、あとは職場に戻ること前提なので、
図書館とか静かなところに長時間座っていられるかどうかっていうところを、
場所を選ぶにあたって、公園とかじゃなくて、公園とか買い物とかそういうのではなくて、
できればどこかに座って本を読むとか、そういうことをまず毎日日課として少しずつやってください。
それが、今日はどういう行動をしたかっていうのを、毎日ノートにつけていってください。
何時に起きて、何時に家を出て、何時にお迎えに行って、何時から何時までは図書館にいて、
その後は家に帰って昼寝をしたとかね、そういうのを、今バーチカルタイプの手帳でありますよね。
縦軸が書いてあって、会議とかの予定を細かく入れられるような手帳、
ああいう形で縦軸に時間を書いて、自分の行動履歴っていうのを1週間、1週間じゃないか1ヶ月分か、
書いてそれを次の診察の時に持って行って報告するような感じなんですけど、
そういう記録をつけるっていう風に教えてもらいました。
それで私がどういうコースを選んだかっていうと、
まず子供を送って行った後にですね、会社にちょっと近い、会社と同じ電車を使って行く場所で図書館があるところを見つけたので、
まずは電車に乗る、そして降りてすぐのところにスタバがあったので、
まずスタバでコーヒーとかを飲みながら、前の日の行動履歴とかをノートに書くんですね。
あと一言ちょっと書いて、なんか昨日はちょっと疲れてたから長めに寝ましたとかを書いていくんですね。
で、しばらくしたら図書館が開く時間になるので、1時間ぐらいスタバで過ごしたら図書館に移動して、
気になる本とかをちょっといくつかペラペラと見て、それでね、ちょっと面白そうな本があれば図書館の中で少し読んで時間をつぶして、
で、家に帰ると、まぁ大体それでもお昼ちょっと過ぎぐらいになるかな、そのぐらいでしたね。
で、その午後からは大体やっぱり最初はほとんど昼寝してました。
たったそれだけでも疲れるので、トンプコを飲んで昼寝をして、その後は部屋の片付けをしたり、離乳食が始まってたので離乳食の準備をしたりとか、
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そんな感じでお迎えに行くまでの準備をしていました。
で、そのルーティンを半年ぐらい続けたんですね。
私ね、今でもスタバで時間一人で過ごすのがすごく好きで、
その前からも好きだったんですけど、どっちかというとミーハー感覚っていうか、なんかおしゃれらしいとかそういう感じでたまに行くのは好きだったんですけど、
そのサンゴーズの時に通ってて、たぶん通い続けたからなのかわからないけど、
今は別のお店、スタバの同じスタバでも別の店舗の方がアクセスがいいので、
他の店舗には行ってるんですけど、スタバに行ってノートを書くっていうのは、
私のルーティンじゃないけど、私の心が休まるその時間になって、
本を読んだりとか、ノートを書くっていう過ごし方をするっていうのが、
結局今もね続いてるというか、
その時の多分、治療としてしていた行動が今にも結びついてますね。
あとは図書館、行って本を読むってことも、もっと読書が好きだったのが、もっと好きになったのも、
そのあたりからかなと思うので、読書をしていても、学びたい意志でもちろん読むんだけど、
どっちかっていうとリラックスの作業が私には強いかなと思います。
読書とスタバでの一人時間っていうのは、その後の私の一人の過ごし方で、すごく大きな意味を持つものになりました。
私はその時間を通して、自分と向き合うこととか、自分を大事にすることとか、
自分が何をしていてリラックスするのか、
どうすることが自分を大事にしているっていうことなのかっていうのを、その経験を通してスタイルを確立したような気がします。
これは本当に人によって絶対違うと思うので、何してると落ち着くっていうのは絶対違うと思うんですけど、
こうしてるとリラックスできるなっていうのを持っておく、知っておく、それを知るためにノートに書くのでもいいと思うんですけど、
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そういうふうに自分のことを見つめて、自分を大事に扱うっていうのは本当に大事だなと思います。
それを書いていたのは服飾前までだったんですけど、
たまにノートを見返すことがありますね。
私この時こんなに半日しか動いてないのに、もう昼から動けなかったんだなとか、
少しずつそれでも前を向いて、そうそう日々を過ごしてたんだなとか、
そういうふうに思って、そのノートを見返してそういう気持ちになるんですね。
お薬は順調に、たぶん順調に効いていて、
でも正直なところ、すごい良くなったなっていうのを半年間あんまり感じなかった。
あんまり劇的に改善しました、みたいな、そこまで、はいになって、やったーみたいな回復の仕方ではなかったですね。
ただ淡々と日々を過ごすことに慣れてきたっていうような状態でした。
だけどその劇的に気持ちが変わった瞬間っていうのが最後の最後にあったんですよ。
ちょっと本当に話が長くなっちゃって申し訳ないんですけど、
それがすごい自分でも驚きだったんですけど、
最後に復職が決まって、復職初日ですね。
その日に自分の会社がある最寄駅に降りて、
久しぶりに、1年ぶりに見るその駅から降りた光景を見たとき、
そこに立って見て、周りをいっぱいサラリーマンが通り過ぎていくわけなんですけど、
そこに戻った瞬間の景色を、なんか私はずっと忘れられなくって、
なんかね、その時に私、私戻ってきたなって、戻ってきたんだって心の底から実感しました。
私は戻ってきた。私は生き返った。私はもう大丈夫だって、そこではっきり思ったんですよね。
別に私、全然仕事人間じゃないし、
そんな会社のために身を込みして働くほどの体力も気力もないし、
そんな3級取るまで仕事めっちゃ好きですみたいな感じでもなかったんですよね。
なかったんだけど、やっぱり社会とのつながりがあるっていうのは非常に大きなことだったんだと思います。
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やっぱり35歳になってくるとその生活が染み付いてたんですよね。
だからすごくその、私が自分を取り戻した、自分が帰ってきたなって思ったのは、
その会社に初めて戻る日の朝、朝の電車から降りた光景を見た時だったんですよね。
そう、だからなんかね、それは本当に忘れられないんですけど、
私は治った、私は大丈夫って、あの時は本当に確信して、
その後ももちろんいろいろあるんですけど、
でも、三号打つが治ったって体感したのはその瞬間でした。
多分、私自身の場所、私自身の場所に戻ってきたっていうのは、
すっごく大きかったんだと思います。
ちょっとこれ、話し出すと本当に止まらないな。
止まらないんですけど、今日はですね、ちょっと長くなっちゃったんですけど、
どんな治療をしたかっていうことと、
その治療もお薬の面でどんな治療をしたかっていうのと、
あと行動面でどういう治療をしたかっていうのと、
あと最終的な経過ですね。
これをお伝えしたかったので、時間が長くなってしまいました。
もうちょっとね、この回復過程についてもう少しお話をしたいんですけれども、
あのね、ちょっとあんまり記憶がなくて。
だからね、ちょっとあの、そうですね。
この三号打つが回復したっていう状態については、
ここまでが一応エピソードになるんですけど、
またね、ちょっと法則的なエピソードが出てきたら、
追加でお話ししていきたいなと思います。
なので、私がこの三号打つを通して、
とにかく心に本当に染み付いて学んだことっていうのが、
家族以外、育児以外の自分の場所があるってことと、
それを自分の場所があって、
自分を個人として認めてくれる場所があって、
そこでやりたいことをしたり、
あと自分自身のことを大事に思ったり、
大事にするやり方を知ったりっていうのは、
本当にね、大事なことなんだなっていうのを、
心の底から学んだのが、
私の三号打つでの大きな気づきでした。
だからね、本当に子育てって、
やればやるほどなんですよね。
どんだけでもやろうと思えばできる。
ケアしようと思えばできる。
だからこそ、怖いというか、
身を滅ぼしかねないというか、
なんていうのかな、自分が無くなっちゃうんですよ。
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だからまだね、もし私が20代前半とかだったら、
もしかしたら体力的な面でも、
あと柔軟性があるっていう面でも、
その時だったら、もう少し受け止められてたかもしれないんだけど、
これはでもね、分かんないですよね。
若すぎてね、子供を産んでも、
それはそれで大変だし、
結局育児が大変っていうのは変わらないので、
どの時点で産んだから大丈夫っていうのもないと思います。
だけど高齢出産っていうのは、
三号打つのリスクにしてもあるので、
やっぱりね、社会経験が長いってことで、
そこからの大きな環境の変化っていうのは、
かなりのストレスを与えるみたいなんですね。
だから私も一応高齢出産の域だったので、
そこはね、引き金にはなったのかなというふうに思っています。
ちょっと本当長くなっちゃって申し訳ないんですけど、
また聞いていただけると幸いです。
誰かの参考になればいいかなと思っています。
はい、今日も聞いていただいてありがとうございました。