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2019-03-06 22:07

第113回 杉村哲人氏(リフト株式会社代表取締役)【前編】

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今回は、外国人留学生や就労希望者を日本の企業に紹介する、リフト株式会社杉村社長にお越しいただきました。

北海道函館市出身、生徒会長を務めたり、勉強に勤しむ真面目な学生時代を経て、早稲田大学政治経済学部に入学。卒業後に就職した株式会社ベンチャーリンクでは、インタビュアー新谷の部下でもありました。

2011年に株式会社プレイフルを創業、その後リフト株式会社を立ち上げて現在は2社の会社を経営されています。家族を大切にする、日本に生まれたことに感謝する、当たり前の素晴らしさに気付く。そんな誠実な思いを持ち、事業を通じて社会問題を解決し続ける、杉村社長様のインタビュー、ぜひお聞きください!





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社長に聞く＀in WizBiz
本日の社長に聞く＀in WizBizは、リフト株式会社代表取締役の杉村様です。
杉村様の経歴をご紹介させていただきます。
北海道八甲田施設にお生まれになり、和泰大学政治経済学部卒業。
その後、株式会社ベンチャーリンクに入社し、その後リレーションズ株式会社設立の際に取締役として御就任。
その後、独立され株式会社プレイフルを設立。
その後、リフト株式会社を設立され、代表に御就任されていらっしゃいます。
私の元部下ということになります。杉村社長様でいらっしゃいます。
今日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
まず最初のご質問なんですが、八甲田町のご出身ということで、小学校・中学校時代はどんな幼少期をお過ごしになられましたか?
そうですね。自分で言うのも、みどり真面目な優等生だったんじゃないかなと思っていまして。
私の父親が八甲田市の市役所で勤めていまして、母親が八甲田小学校の教師をしていましたので、真面目なというか、小学生・中学生だったと思います。
生徒会長なんかもやっていました。
じゃあ割とご両親からすると、固めな御商売で社長という雰囲気ではないんですね。
全く、今でもたぶん辞めてほしいというか、固い商売というか、サラリーになってほしいと思っているかもしれないですね。
なるほど。その後、高校も函館の方でいらっしゃいました。函館の方の高校の時代はどんなことを過ごされていらっしゃいましたか?
男子校である程度、新学校だったんですけれども、本当に勉強ばっかりしていたような高校時代でした。
函館ラサール高校という高校だったんですけれども、6割ぐらいの学生が寮に過ごしていて、私は自宅生だったんですけれども、本当に勉強以外はあまりしていなかったというか、
女の人と話すことが全然ないというような生活をしていました。
なるほど。そしたら函館ラサールまで行かれたご両親は、やっぱり公務員か政治家かという感じのイメージですよね。
そうですね。特に公務員か政治家というか、大企業のサラリーマンみたいなことを望んでいたんじゃないかなというふうには思います。
実際、公務員になろうとか、そういうことはお考えになったことはあるんですか?
それがなくて、ある意味、もちろん今すごく尊敬をしている父母ではあるんですけれども、若かったものですから、公務員というお仕事に対して決まりきったレールを歩むようなイメージがあって、
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自分はそういう道はあまり歩みたくないなという、多分本当に若かったからだと思うんですけれども、そういうような思いをずっと持っていたことを覚えています。
なるほど。その後、早稲田大学の政治経済学部を選ばれていらっしゃるんですが、これはもう第一志望ですか?
実は推薦で入学をしまして、受験はしていないんですけれども、何かすごくその学部に行きたかったというわけではないんですけれども、すごく一生懸命勉強している中で、ちょっと推薦で決めたいなという思いがあって、
その中でたまたま高校の時の担任の先生からお話をいただいて、うまく入学することができたというような経緯なんですね。
そういう意味でいくと、一番上の方は東大に皆さん方行くんでしょうけど、二番目に頭いい側じゃないと政治経済学部の推薦はなかなか受け取れなかったと思うんですが、相当高校の時は成績良かったんですか?
そうですね、悪い方ではなかったというか、勉強を少しでできたかなという感じですね。
私の知っている杉村君と違うんで、ちょっと今びっくりしていますけれども、その後株式会社ベンチャーリンクという私のいた会社に、私の部下として結果的には入ってくるわけですが、
どう考えてもそんな経歴だと株式会社ベンチャーリンクは選んじゃいけないんじゃないかなというふうに私なんか思っていたんですが、なぜお選びになったんでしょうか?
リックナビでベンチャーリンクという会社の求人を見つけたんですけれども、当時が企業化輸出機関という経営理念をちょうど掲げていた時だったと思うんですけれども、
それにすごく衝撃を受けたということと、解説明快に行かせていただいた時に、ビデオだったと思うんですけれども、当時の小林正社長のお話をお聞きして、
先ほど私は実家が公務員一家で過ごしていたんですけれども、企業化という人がいないと日本の経済であったりというのは発展しないんだよということを強烈におっしゃっていて、
全然私が知っている世界とは違う世界があるんだなということが衝撃、一目惚れみたいな印象を受けまして、試験を受けさせていただいたら運良く合格を知って、
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本当に多分同期の中でも一番早いぐらいの社長名誉の組だったと思うんですけれども、入社をさせていただいたという経緯なんですね。
なるほど。ご両親はなんでそんな会社に行くのとかおっしゃらないのかという。
正直、父親はもう少し違う会社も受けてから選択したらいいんじゃないかということを言っていただいたんですけれども、
ただ当時ベンチャーリンクも私がない手を取ったタイミングぐらいで一部上場するような会社だったので、
とはいっても全く名前が知らない会社ではなかったので、なんとかうまく説得というか、僕が決めたんでということで言って応援をしてくれたというような感じだったと思います。
なるほど。早稲田の政治家経済学部に通っているときには企業家になろうなんていうことは思ったりはしたんですか?
いや、もう全然そんなことは思ってなかったですね。
私、先ほど言ったように男子高校でなかなかちょっと暗いというか、あんまり地味な高校生活を送っていたので、ある意味東京を来て大学デビューと言いますか、
軽音楽のバンドサークルをやっていたものですから、サークルばっかりやっていたような学生だったんです。
全然今で言うインターンをして将来に備えるようなやる気のある学生ではなくて、サークル活動ばっかりやって、
自分たちが開催しているライブにどれだけお客さんを呼ぶかみたいなことばっかり考えているような、そんな学生でしたね。
ベンチャーリーグで何年ぐらいいらっしゃったんですか?
2002年の4月に入りまして、2009年の1月までやりましたので、6年半ぐらい働かせていただきました。
その時代の思い出なんて思い出せますか?
思い出もたくさんありすぎて、いまだに鮮明に覚えているんですけれども、
ずっと私は一貫した営業部署、これもコンサルティングの会社だと思って入ったら、
営業の担当にしていただいたと、今考えるとしていただいたという意識なんですけれども、
朝から晩までお客様にお電話をかけて、お客様の会社の電話が出なくなったら、
手紙を印刷して織り続けるというようなことを最初の1,2年はさせていただいて、
後半の4年半とかというのは、もうずっと私が担当したのはフランチャイズの加盟企業様を営業で見つけてきて、
お店をオープンしていただくというところのお手伝いをさせていただく部署におったんですけれども、
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一つに絞れないくらいいろんな思い出がありますけれどもね。
学ばれたことなんて覚えていらっしゃるんですか?
いろんなことをもちろん教えていただいたんですけれども、
一番ベンチャーリンクから教えてもらったというか、お会いした経営者の方から教えていただいたことだと思うんですけれども、
当時聞きよか精神とか入ったベンチャー、将来起業したいと思って入ったベンチャーリンクでも、
やっぱりサラリーマン意識というのはどこかに残っていたんですけれども、
やっぱりお会いする方というのは皆さん経営者の方で、
給料をもらっている側と払っている側の違いみたいなことというのを、
私が今まで生きてきた環境であったりだとかでは全く感じることができなかったんですけれども、
そういう生の経営者の方々の悩みであったりだとか苦しさであったりだとか、
時には一番、疑似体験と言うとちょっとすごい失礼な言い方になってしまうんですけれども、
感じることができたというのが一番学ばせていただいたことかなと今考えると思います。
そうですか。ありがとうございます。
その後ベンチャーリンクを大辞めになって、そのリエーションズというのはベンチャーリンクの仲間たちと独立みたいな感じでいらっしゃいました。
それは何か理由があられたんですか。
そうですね。当時ベンチャーリンクという会社が少し調子が良くないということで、
希望退職みたいなことが多く募られていたりだとか、
当時ベンチャーリンクという会社に資本を出していただいた会社に大量に出向しなければいけないというようなことが、
警報信で決まりました。私はその時も警総ではなかったので当時の事情というのは分からないんですけれども、
当時20人ぐらいのチームに私も属していたんですが、
そのチームがまるまるなくなってしまうということがありましたので、
もっともっと独立をしようということを思っていたということもありますし、会社のそういう状況もありましたので、
そういうタイミングかなということで、ベンチャーリンクの仲間たち当時7人でしたかね、
7人と独立をさせていただくというような決意をしたということですね。
なるほど。その会社にいらっしゃったのは2年ぐらいですかね。
そうですね。2009年の1月から、結局少し重なるんですけれども、2011年の9月までさせていただきました。
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なるほど。ご自身で独立したのは、リレーションズの中にいらっしゃるときに半分独立みたいな感じですかね。
そうですね。2011年の5月に会社は先に作りますということで、
当時の長谷川さんという長谷川社長さんとは何度か話をさせていただいて、
リレーションズのお仕事をさせていただきながら、独立の準備をしているというような。
なるほど。独立しようと思った経緯というのはあられるんですか。
そうですね。もちろんリレーションズ自体も独立ということだったんですけれども、
仲間で独立をして、その流れで仕事をしていたものですから、楽しくさせていただいていたんですけれども、
やはり当時の社長であった長谷川君というところに頼ってしまう部分が結構多くあって、
本当の意味での独立というものをすごく悩んだんですけれども、
自分の本当のリスクをとって同じことをもっとやってみたいということを思うようになりまして、
いろいろと相談をしながらなんですけれども、心よくというか応援していただけるということになったので、
じゃあすいませんということで再度独立を、自分一人でという形でさせていただくことになったという経緯ですね。
その会社さんはどんな事業を一番最初はやろうと思ったんですか。
それが恥ずかしい話なんですけれども、何かこういうことをやろうと思って独立したというよりは、
形式にこだわって、形式というか自分でやるということにこだわって独立をしたので、
最初はリレーションズさんがやられていたことの代理店みたいなことをさせてくださいということで独立をしまして、
最初の1年、2年ぐらいはリレーションズさんがやられていたコスト改善のコンサルティングみたいなものの営業代行をさせていただいたりだとか、
それから当時ベンチャーリンクの先輩がやられていたライフサロンさんの仮名店みたいなことを仮名機になってさせていただいて、
保険代理店みたいなことをしたりだとか、
昔のお客様のコンサル契約なんですけど、実はお手伝い、店舗出店のお手伝いみたいなことを最初2年ぐらいしていたというのが独立した後の経緯ですね。
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私は都内でIT連業を展開しております。経営相談といいますか、愚痴のようになってしまうのか、投稿させていただきました。
社長業を続けて今年で6年になります。波やありながらも、ここまで続けてこられて支えてくれた社員やお客様に感謝しきれません。
しかし最近、自分自身のここが疲れているような気がして、弱気になってしまうことも多く不安を覚えています。
社員にも頼りないと思いたくなく、家族にも心配かけたくなく、周りの経営者にも弱気な姿は見せたくない。
そんなプライドもあるため、普段は明るく自信があるように振る舞っており、誰もが私が悩んでいることは気づかないでしょう。
しかし、創業5年を越えても次々と起こる資金狂いの問題、人材の問題、突然現れる競合の脅威、毎日悩みは尽きることはありません。
御元間はただ規格だけで進んできたのですが、最近はなぜ経営者にやっているのだろうかと思ってしまうことがあります。
私だけなく、経営者には不安つきものだと思います。しかし、他の皆さんはどのように乗り越えているのでしょうか。
新谷社長や周りの社長様方は自身のメンタルを頼むため、どうされていますか。ヒントをくだされば幸いです。
社長をやっている以上は、社長業をやっている限りは一生続くと思っていただいた方がいいのではないでしょうか。
一瞬では楽になったりするかもしれませんが、その次の理想が出てきたら、また悩みも深くなってくる。
先日、私の友人の社長さんがメールでもう嫌になってきたことを言っていらっしゃいまして、それは普通だし当たり前だしということで、
別に押し返すわけではないのですが、ご相談をさせていただきました。
それは多分全ての経営者はそうなんじゃないでしょうか。
伊藤岡堂の創業者の伊藤名誉会長は、いまだに夜中に、たまに夜中の23時にパッと目が覚めて、資金くれだって思って目が覚めて、
ああそうだ、それからは開放されたんだということで、伊藤岡堂ですし、セブンイレブングループですから、資金なんてそんなこと悩む必要性もないでしょうけども、
いまだにその昔のことを思い出してパッと起きてしまう時があるというようなことを本で読んだことがございます。
またヤナイさん、ユニクロのヤナイさんらのセミナーを聞きに行ったときも、
ヤナイさんは富士山に頭頂が近づいて大体8号目ぐらいまでしか行かないから、
そうなっていくと今度はエベレスト登ろうかなと思い始めると、
エベレスト登り始めるとまた8号目しか行かないんだけど、今度は宇宙に出ようかなと思う。
そんなもんで、そんなことをどんどん理想がどんどん高くなっていって、もっともっとというふうになってくると、
どんどんやめれなくもなるし、突き進むも普通し、悩みもどんどん増えてきて、
課題も増えてきて、あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ、それもやらなきゃということになってくると、
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こんな話をセミナーの中でお話しされたところを聞いたことがございます。
つまり、どんな企業経営者になっても、どんな人でも、100人いったら100人、1000人いったら1000人、
1万人いったら1万人の経営者の皆様方が全て悩みを持っているし、
そしてそこから抜け出せているような気がしたことがないだろうし、
そしていつまでたっても資金繰りの件をずっと頭に抱いていてやり続けると、
こういうのが経営者というものの仕事の本質なんじゃないでしょうか。
ですので、悩みがあります。それは当たり前だし、それがどうした、それがどうしたって感じなんですね。
不安になっているのは当たり前。もっと言うと、サラリーマンは不満を持つけれども、
社長は不安を覚えると、こういうことなんだと思うので、きっとその不安を覚えているのは社長業をやっているからだと。
ですので、社長業をやっている以上はずっと不安を覚えなくてはいけないと。
こういうもんだと思うんです。だから社長を辞めるしかないですね、そういう意味でいくと。
不安を持ちたくないということであれば社長を辞めるしかないですよ。
すごく儲けて、有意地的に何か個人一人でやるか。
社員を持っている以上は、社長業をやっている限りは不安を覚えるのが普通。
それがある意味通常だと、状態だというふうに思うべきなんだと思うんですね。
もちろんそれでじゃあどうやって乗り越えているのか。
だから乗り越えるなんてことを考えること自体が間違っていると私は思うんで、乗り越えられないんですよ。
一個一個は乗り越えられるかもしれないけど、その次々とまた新しいハードルが出てくるので、またそれを乗り越えなきゃいけないと。
だからハードルは出続けるし、乗り越えても乗り越えても来るもんだというふうに諦めることが重要なんじゃないでしょうか。
社長さんたちとこの前も飲み会を開いていろんな話をしましたが、みんな冗談で首が回らないとか言って、
肩こりでって言ったら至金繰りでって言ってみんな冗談で答えるわけですね。
もちろん至金繰りは本当に苦しんでいるから飲み会も来ませんし、もっと悩んでいるでしょうから大変ですが、
でも皆さん方明るくそんな冗談を飛ばすぐらいやっぱりいろんな苦労をされてきて、いろんな悩みを抱えて、
そして今も常に人材についての悩みや至金についての悩みや売り上げに対する悩みや利益に対する悩みや戦略に対する悩み、
などいっぱいの悩みを抱えながら経営者として頑張っていると、こういうことなんだと思います。
それは当たり前ですので、もうそれを普通だと思って、それが状態化なんだということで、諦めていただくのが一番いいんではないかなと思います。
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もしそれが嫌だったら社長号を今すぐやめるべきだと、こういうふうに思いますので、その方向性でお考えがあったらいいんじゃないかなと思います。
もしどうしてもそれでも晴れないということならば、ぜひ今度ご一緒に農民でも行きましょう。
そうしたらみんな一緒なんだということに気づいていただけるのではないかなと思っております。
本日の3分コンサルエットはここまで。また来週。
最後までお聞きいただきまして誠にありがとうございました。
本日のポッドキャストはここまでになります。また来週お楽しみに。
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