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社長に聞くin WizBiz
本日の社長に聞くin WizBizは、21LADY株式会社 広野社長様です。まずは、経歴をご紹介いたします。
京都府生まれで、関西学院大学卒業後、株式会社ベンチャーリンクにてFCを、本部の支援をするグループ会社代表取締役専務として、20社のFC本部と提携及びFC開発を行っていらっしゃいます。
その後、1993年、プラザクレートへご入社。取締役社長主張として、グループ戦略の構築推進を行っていらっしゃいます。
同時に、ポッカコーポレーションとの合弁会社ポッカクレートの創業に関わり、専務取締役でFC展開全般を担当。3年で100店舗を達成。
その後、三井物産グループのベンチャーキャピタルの上級副社長及びタリーズコーヒージャパンの取締役社長、大戸屋の社外取締役などなど、
大手の企業様の取締役員を歴任されていらっしゃいます。
2000年には、ライフスタイル産業総合支援事業として、ツインテレディ.コム株式会社を創業され、
その後、洋菓子のひろたのスポンサーとなり、大職場の社長にご就任をされ、今現在に至るという形で、
大変多くの有名企業の役員をやっていらっしゃいます。私も尊敬する社長様でいらっしゃいます。
本日はよろしくお願いいたします。
御出身は高校ということで、小学校・中学校時代はどんな幼少期をお過ごしになられましたか。
小学校・中学校は単語というところなので、どちらかというと周り中がみんな商売をしている家が多かったんですね。
うちの家も単語シリメントをやっているんですけど、どちらかというと、
勉強は好きというわけではない、普通に勉強はしていたけれども、
その頃ですからゲームもないし、外で遊び回っていましたね。
なるほど。起業されたのはお父様とかの影響で起業された感じもありますか。
それもあるけど、それだけではないですね。
普通に会社に入ってやっているうちに、何となく起業しちゃったという感じですね。
何となく。
高校も京都の単語の高校ですか。
はい、宮津高校です。
高校時代は何か思い出とかあられますか。
そんなにガツガツ受験勉強もしていなかったし、みんなでほんわりやっていました。
その完成学院大学を選ばれていらっしゃいますが、何か選ばれた理由とかありますか。
大体その頃、みんな一緒なんですけど、公立高校に行くとだいたい浪人するんですよ。
1回では受かなくて、最初は神戸の女子大を受かったんですけど、やっぱり女子大で行きたくないなと思って
入学金を払っていたのにやめて、寸大予備校に行ったんですね。
そしたら、そこでいろいろ受けていくうちに学校も見に行って、京都の寸大予備校だったんですけど、
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どうしてもやっぱり神戸の学校の方がかっこいいらしいと。
京都の学校はお寺の中とかにあって、いろいろ狭くなっているけれども、
神戸の方に行くと学校がすごくきれいだし、1回見に行こうということになったんですね。
観学院を見に行ったら、すごいキャンパスがアメリカみたいでかっこよかった。
ここだと思って、その学部は関係なくここに入ろうということを決めたんですね。
なるほど、そうですか。
関西学院大学の時代の思い出とか何かはあられますか。
やっぱり文学部ですから、私の場合もそうですけど、7割が女性なんですよね。
3割ぐらいしか男子がいなくて、他の学部に行くと、経済とか小学部に行くと、
もう10人に1人しか女子がいないんですよね。
そういうちょっとね、行ってみたら女子大みたいな感じだったんですけど、
それはそれで結構楽しい学生時代で、
一つの思い出は、やっぱり2年目の時にドイツ語を落として、結局留年しちゃったんですよね。
5年学校に行くはめになっちゃって、それで結構時間ができて、
アルバイトばっかりしてました。
そうなんですか。
その後、卒業後、ベンチャーリンクを選ばれたという感じですか。
LCAを選ばれたという感じですか。
その前が一個あって、実は。
卒業してすぐにベンチャーリンクに入ったんじゃなくて、
私の予備校の友達は実は何人もLCAとかベンチャーリンクに入っていまして、
なかなか面白そうだなっていう会社と思ってたんですけど、
私がちょうど卒業した時、85年というのは、男女機械均等法というのができた一期生だったんですね。
ほとんど女性の総合職の仕事がない時代、やってませんという時代だったんです。
なかなか就職とか難しいだろうなと思って、5年学校行ってるし、
ある時日経新聞を3月ぐらいに見てたんですね。
そうしたら日経新聞の片隅に不実・オアシスクルというのが今募集してますというのが募集してたんです。
そこに行ったら受かって、そこに1年ぐらい行ったら、
ちょうど私の友達とかベンチャーリンクに入っているとか、
LCAに入っている人たちと集まる機会があったんですよ。
すごい面白そうにやってるなと思ってたところに、
今度は1年間そうやってやって、結構不実・オアシスクルも楽しかったんですけど、
パッとBeingという雑誌を見たら、
なんか集合天才って書いてる会社があったんですよ。
これは何だろうと思ってよくよく見たら日本LCAって書いてあったので、
この会社面白そうだなと思って、そこで行ってみたら、
いっぱい予備校の友達がいたというのが、LCAであるいはベンチャーリンク。
LCAのほうにいっぱいいましたね。
なるほど、そういらっしゃったんですか。
土屋さんとかね、もう当然辞めちゃってるかもしれないですけど、
何人もいますね。
そうでらっしゃいますか。
今初めて聞くお話を聞いてるんですが、そうなんだなと思いますが、
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ベンチャーリンク、LCAでいろいろとご活躍をされていらっしゃいましたけど、
何か思い出とか苦労話とかそういうのはありませんか。
私ちょうど入ったのが88年で、
その時を振り返るとバブルの絶頂期だったんですね。
バブル絶頂期って当時はあんまりわからなかったんですけど、
入って最初の仕事は松山に行ってくださいとかいきなり出張が来て、
何ですかとか言って松山の東方総合銀行っていうのがあって契約できましたと。
この3人で私を含めたあと2人はベテランなんですけど、
3人でこの会員を入れてきてくださいって2月か3月ぐらいかなパッと言って、
そしたらその3人で500社入ったんですよ。
これはすごいとこの銀行はね、なかなかね、
すごいっていう銀行とその3人が結構頑張ってみたいな。
宇和島からなんとかまで松山の辺までみんなこう全部支店を回って行ったんですけど、
そしたら向こうのトードルが気を良くして、
これはもうね、社長さんも来て一緒に食事会をしましょうっていうことになって、
ただしさんを呼んで食事会になっちゃったんですよ。
あれは面白かった。
なるほど。今のただしさんっていうのは私の元上司でもある小林太郎さんでらっしゃいますけども。
そう、ベンチャーリングの社長ですよね。
向こうのトードルが逆に接待してくれたっていう非常に面白かったですね。
なるほど。じゃあもう1年生入ってすぐご活躍でらっしゃったんですか。
いや、たまたま集まったんですよ。そうやって当時バブルですから。
なるほど。
みんな12万円の会員、当時年間12万円だったんですけど、
その時に銀行の支店長が支店で例えば宇和島支店っていうとこ行ったら
バーッとリストアップしてるわけですよ。
この20社来ますからとか言って、行ったり来てくれたりするんですけど、
全部大体入りますからとか言って。
支店長が言えば大体入る。
支店長とか副支店長とか次長が言えば全部入ります。
いい時代。だから12万円はしょうがないなとか言って入って。
むちゃくちゃいい時代ですね。
なるほど。今ヒロン様がおっしゃってるお話は私も経験してるお話。
だって支店長は強いですよね。やっぱりそういう意味で。
支店長が言えば大体入りますから。
そういうの10個ぐらい回って、だから各1人が150社ぐらい入れたんですよね。
きっと。もう1ヶ月。
多分それがあってベンチャーリンクがその後テント公開するだけですけど。
本当そうですよね。
ベンチャーリンク時代に勉強になったなと思っている思い出とかは何かありますか。
いろいろ勉強になりましたけど、やっぱり休まないっていうことが勉強になりましたね。
ベンチャーリンク時代。
私も月勤は大体最初京都に行った時も地方に行ってるわけですよね。
でその会員獲得とか銀行のセミナーとかいろいろあって、
で土曜日に金曜日の夜とかに帰ってきて、
で土曜日会議して日曜日に移動するということで休みはないです。
だから今で言う部落企業ですけど、
それは当たり前だったから別にコンサル会社とかこんなもんだろうと思ってたんで、
一番勉強になったのは、
それがもう習慣になっちゃったというか良かったですよね。
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だからその習慣が付いて。
なるほど。
ちょっとブラック企業に染めろ的なおすすめのお話かと思いました。
当時はみんながブラック企業だったから、そういうのは普通だったと思いますけどね。
そのベンチャーリンクの対策は次々と有名企業の取締役、専務などを歴任されていらっしゃいますけども、
ベンチャーリンクを辞めるきっかけというのは何かあられたんですか。
もともと私はその当時に90年に結婚して、
転勤というか一応東京に転勤になってから88年にそれで結婚するんですけど、
結婚するとそんなにしょっちゅう出張にも行けないですよね。
そういうのがあって、出張のない仕事がいいなと思っていたところに、
たまたまフランチャイズでセミナーとかをして、
プラザクリエイトという会社が上場準備をしたいということで、東京に出てきたんですね。
これはもうずっと東京だということで、出張がないだろうということもあって、そこに移ったんです。
なるほど、そうでしょうか。
でも、次々と本当に取締役専務をやられていらっしゃるんですが、
やっぱりプラザクリエイトの成功がいろんなところに呼ばれてって感じではないですか。
それもあるし、プラザクリエイトのときに、やっぱりカフェドクリエイトというフランチャイズのカフェを作ったんですね。
それはもういちから新規事業で、ポッカーコーポレーションという名古屋のコーヒーの審議生というか、
缶コーヒーを作った会社ですけど、そことの合弁事業を立ち上げて、
それを100点とか150点とか、いろんなところに呼ばれていらっしゃったんですね。
そういうふうに言われています。
合弁事業を立ち上げて、それを100点とか150点とか出したんですけど、
それが良かったのかなという感じがします。
その後、タリーズも一部やったんですけど、そういうのが良かったのかなと思います。
その後、21レディ株式会社さんを創業されていらっしゃるんですが、
創業の中できっかけというのは何かあられたんですか。
もともと自分でやろうというつもりは全然さらさらなかったんですけど、
アメリカちょうど、私が辞めた頃、アメリカ前後に
ドットコムバブルというのが98年、99年くらいあったんですね。
その時にアメリカのドットコムの会社が、最初のコンセプトは
ライフスタイル提案をネットでやろうというコンセプトの会社で、
向こうも女性社長の会社が、日本に来たいと、視点を作りたいと、
というので、私の友達から紹介があったんですね。
その視点を作るんだったら、視点なら何とかなるだろうと思って、
バスの事務所も見つけて、そういうのを準備をしていたところに、
日本でもお金を集めてくださいという、お金のあれを集めていたところに、
向こうの会社が急激に厳しくなっちゃって、
日本に出るのをやめますということになったんです。
その中、業種はどんな業種、ネットの業種だったんですか。
ネットで、要はライフスタイル提案をネットでやるみたいな、
そこで、eコマースもやるし、女性向けのライフスタイルですよ、みたいな感じだった。
なるほど。
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じゃあ、アメリカン系は来ないことになって、創業しようとなったわけですか。
それで、お金も結構集まったし、これなら自分でもやれるかもしれない。
社名だけ変えて、向こうの名前は、女ネットとかいう名前だったんです。
私はツイニーマンレディーにしようと、名前だけ変えてスタートした。
お金が集まっている人に、日本だけでまずやりますと、コンセプトは一緒だけど、向こうがいらないので、日本だけでやりますよと言ったときに、
最初に2億円くらい集まっていたんですよ。
それで、日本だけだったら、やめたという人も半分くらいいたので、1億円集まったので、じゃあやるかということになって始めました。
なるほど。それはやっぱりeコマースの授業ですか。
eコマースの授業。3年くらいやってました、そのeコマースの授業。
なるほど。じゃあ、本業は本当はネットの企業ということになりました。
そう、ドットコム企業だった。だからお金が集まった。
なるほど。
3分コンサルティング。
ウィズビズが社長の悩みを解決。
本日の3分コンサルティングは、経営者様、人材派遣業、創業10年、従業員50名だそうです。
こんにちは。本日相談させていただきたいのは、若手社員の教育についてです。
私は、経営者にあたって、過去の経営者の著書や歴史書などを読み、参考にしている過去が多いため、
社員にも若い人から様々な本を見れ、社会人との幅を広げてほしいと考えています。
しかし、最近、新卒が入ってくる社員たちは、YouTubeなどを見るばかりで、
読書の習慣がほとんどないということになっています。
本を読むことを勧めても、社会人になっても、勉強しなければいけないのかというような返答をしてきます。
自分のお勧めの本を紹介しても、なかなか読んでくれる様子もなく、
社員に人間として成長してほしいと思っており、そのために読書は有効だと考えていますが、
新たな社長はどのようにお考えでいらっしゃいますか、ということです。
私どもは、出読書というのがありまして、
それのレポートを必ず出さないといけないということになっています。
大体14冊ぐらいでしょうか。
どんな本を読ませているかというと、
ドラッガーの現代の経営とか、雨場経営とか、海賊と呼ばれた男とか、
または柳井さんの社長になるためのノートなどなどを読み、レポートを出さないといけない。
レポートを出さないと、ウィズビの社員としては本当の意味では認めないということにさせていただいています。
これは何でかと言いますと、私どもの授業は、
ウィズビというのは経営者向けネットメディアで、
経営者向けに総合スーパーをやりたいというのは私は言っていることですので、
うちの社員たちに一番重要なことは、社長の気持ちがわかること、
社長の気持ちを動かすことができること、こんなことが一番大切になってきます。
そうすると、経営の勉強や社長というものを知る勉強をしなければいけないということになってきます。
もちろん彼らが勉強して、企業家になっていただくというのもいいなと思いながら、
そのレポートを必ず読ませています。
そういう意味合いで、出続書というのは大変大切だし、
本を読ませるというのは大変大切だと思います。
また、うちの会社なんかでそういうレポートを書かせて、
文章力を上げるということも効果がありますので、
そういう意味でも出続書というのをやっています。
そういう意味では、御社、経営者様でも出続書をやるのもいいんじゃないかなと。
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もちろんそれが社員教育につながるように本を選ばれたらいいんじゃないかと思います。
もうちょっと、そちらはYouTubeを見ることも重要で、
勉強になる部分もありますが、本を読むというのも意味があるんだということを
きちっと分からせなければならないんじゃないかなと思います。
そういう意味で、単にお勧めするというのはあまりお勧めしません。
本は読むやつは読みますし、読まないやつは読まないということになりますので、
出続書ぐらいまで持っていってしまったほうがいいんじゃないかと思います。
もちろん弊社なんかですと、出世しているやつ、この前部長代理にした人間なんかは
毎日のように本を読んでおりましたりしていらっしゃいますし、
この前社長に聞くインウィズでインタビューした社長様も
毎日図書館で本を借りて365冊年間で読むというような社長様もいらっしゃいました。
そういう意味では本を読むことは大変大切だなと思いますので、
私の会社もやっぱり文章力が重要な会社なので、
本を読めないと文章力もクソも始まってこないので、
そういう意味では本を読ませることを結構推奨していますし、
必ずやるようにということで進めております。
そういう意味合いで、経営者様でもぜひ本を読むことは進めていった方がいいと思いますし、
出読書みたいな感じでレポートを書かせるぐらいまでやったらどうかなということを思います。
本日の3分コンサルティはここまで。また来週。
最後までお聞きいただきまして誠にありがとうございました。
本日のポッドキャストはここまでになります。また来週お楽しみに。