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2020-11-18 17:52

第202回 勝本竜二氏(株式会社アイリックコーポレーション代表取締役社長CEO)【前編】

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高校卒業後に地元の信用金庫に入行し、その後、外資系生命保険会社に入社。法人向け保険販売事業で独立。
個人向け保険拡販を目指して、1995年7月にアイリックコーポレーションを設立。1999年に、来店型保険ショップ「保険クリニック」をオープン。
2018年9月には東証マザーズに上場を果たされたエピソードから経営のヒントが得られますので、ぜひインタビューをお聞きください。




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社長に聞く＀in WizBiz
本日の社長に聞く＀in WizBizは、株式会社アイリックコーポレーション代表取締役社長兼CEOの勝本社長様でいらっしゃいます。
まずは、ご経歴をご紹介させていただきます。
1964年、石川県生まれ、高校卒業後、地元の信用機構に入校。
その後、外資系生命保険会社にご入社。
その後、独立し、法人向け保険販売事業をしていらっしゃいました。
その後、個人保険拡販を目指して、1995年7月にアイリックコーポレーションを設立。
1999年に、来店型保険ショップ・保険クリニックをオープン。
そして、2018年9月には東証マザーズに上場された上場企業の社長様でいらっしゃいます。
勝本社長様、本日はよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
最初のご質問ですが、ご出身は石川県ということで、小学校・中学校時代はどんなお子さんでいらっしゃいましたでしょうか?
そうですね、結構スポーツは好きでしたね。
どっちかというと、あまり勉強をガリガリやったタイプではないかもしれません。
運動神経も結構良くて、理念の戦士になった?
運動神経は良かったわけじゃないですけど、運動は好きでしたね。
とにかく水泳とかも、野球、バスケもちょっとやったりして、好きでした。
中学校時代は運動部か何かに所属でしたか?
中学校はガチリ野球部で。
なるほど。
高校も地元でいらっしゃいましたか?
そうです、はい。
高校時代の思い出は何点はございますでしょうか?
高校入って、そうですね。
僕、中学時代は野球部だったんですけど、ギターもやっていまして。
高校入って初めて、生まれて初めてバンドみたいなのを組んだ記憶がありまして、結構真面目にやっていましてね。
6、7年ずっとやっていたんですけどね。
プロのバンドを目指してみたいなことはあったんですか?
そこまで技術がなかったです。
ただ、実のことを言うと、20歳くらいの時はビアガーデンホールで弾いたりとか、ライブハウスで弾かせてもらったりというのをやっていました。
20歳の時はもうセミプロのレベルなんだと思うんですけど。
安いギャラをいただいていました。
卒業後、信用金庫に勤めておきました。
信用金庫に勤められた理由というのは何かございましたでしょうか?
いや、特になかったんですけども、金融機関はやはり一つ目指したいというところがあったんで。
しかも当時は僕も家庭の関係で大学にちょっと行っていないので、なかなか大手の銀行さんというのは難しいので、地元の信用金庫さんにお世話になったということですね。
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だから、親近時代の思い出は何点ございますか?
あんまりいい思い出はなくて。
当時の金融機関って今と全然違ってですね。
本当に行う業務がすごく限定的なんですよ。
例えば、預金を集めるとか、法人のお客様のところに行って融資の相談を受けるとか、もう本当にやることが限られていて、
今みたいに投資・信託販売したり、保険販売したり、お客様の資産形成なんかのアドバイスなんてほとんどなくて。
ですから、ちょっと面白みがなかったというのは正直言うと一番の思い出かもしれません。
じゃあ当時はこの辺ですと、自転車でいまだに低積みの就金とかやってるケースもあるんですけども、そんな感じですか?
まさしくそうですね。
そのボーナスのタイミングには預金を集めるみたいな、それを日頃の営業活動をやってれば何となくその時に集まってくるみたいな、
そんな感じの何となくルーチングの業務が多かったようなイメージがすごくあります。
その後、外資系の生命保険会社に大移りになっていらっしゃるんですが、これ移られた理由というのは何かございましたか?
そうですね。もともとインタビューの中でもよく答えるのが、あんまり保険って好きじゃなくて。
というのは、信用金庫時代に保険会社をいくつか担当してた時代があって、そういう保険会社に行くと、
とにかく当時セールスレディーの人たちがブワッと寄ってきて、あなた保険入りなさいみたいな、
ものすごい保険ってそういうものなのかなというイメージがあったので、当時すごい好きじゃなかったんですよ。
友人がたまたま外資系の保険会社に入って、外資系の保険会社の考え方とか商品の作り方みたいな話をちょっと聞いたことがあって、
それでちょっと興味を持ったというのが、初めて保険に触れたというか、それがその時だったので。
その友人の誘いもあって、じゃあちょっと挑戦してみようかと。
その新近時代のちょっとルーチングな部分にも飽きてきたというのもあったので、
新たな挑戦をしてみようかなというふうに思って、外資の保険会社に入社したんですね。
なるほど。その外資の保険会社の時の思い出とか苦労とかあられましたでしょうか。
そうですね。実は最初1年間ほど自分でお客様巡りみたいな感じで販売したんですけど、
それから本社の試験を受けまして、本社の方で試験に通って、実は転勤で千葉社に移りまして、
そこで初めて保険代理店という方々にいわゆる生命保険を売っていただく仕事というんですかね。
教育をしたりマネジメントしたりということで、そういう仕事をしていたんですけど、
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やはりいろいろな自分たちが知らない世界というのはすごくたくさんあって、
そういう意味で自分としては外資系の保険会社にいた時代というのは、
自分の中ですごく考え方とか部分がすごく変わった、進化した時代かなというふうに今は思っています。
なるほど。その後、独立ということになられていらっしゃるんですが、
当初は法人向けということは、いわゆる定層定期とかそういうのを売る感じのイメージでしたか。
そうですね。当時ですと定層定期がない時代で、養老保険とか団体定期とか経営者保険といわれるものを比較的販売していましたね。
この独立しようと思ったきっかけというのは何かございますでしょうか。
そうですね。当時外資系でいた時、代理店担当というお話をしたと思うんですけど、
代理店に売っていただく仕事なので、教えていって彼らが売ってくる仕事なんですけれども、
ちょっとじれったいというか、なかなか身にならないというか、
それでも複数の代理店さんとは非常にグリップを持っていい関係、今でも続いている代理店さんもいらっしゃいますし、
うまくいっている例もあったんですけれども、
自分でやってみたいなというのは、やっぱりその時まだ若かったし、
何でも挑戦できるというか、独身でもあったしということもあって、
で、ちょっと看板なしでどこまでやれるか、
そういうチャレンジ精神みたいな、そういうところで独立してスタートした記憶がありますね。
法人保険から個人保険の各藩側をやろうと思ってアイリックコーポレッションを設立ということでお聞きしているんですけれども、
法人の方が私のイメージだと、あの時代だと儲かったんじゃないかなというイメージなんですが、
なぜ個人保険の方の各藩の方をお考えになったかというのを教えていただきたいんですけれども。
独立した時は本当に儲かりましたね。
バブルのちょうど崩壊する、ソイル機械が入る直前でしたから、
世の中はもうバブルで踊っていました。
こんな、例えばちっちゃな工場さんに行っても利益が上がっている。
だから節税しなきゃみたいな、どこ行っても節税、節税みたいな話だったんですけど、
やはりそこから今度はソイル機械が出て、いわゆるバブルが崩れていく時代なんですけれども、
それでもまだバブルの要因で結構法人の仕事は多かったんですけど、
ただすごくやっぱりムラが出ましたね、仕事に。
なので、生命保険というのは実は30兆円くらい年間保険で払われている、
すごい莫大な産業なんですけれども、
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気がついたのはその30兆円のほとんどが個人の皆さんが払い込んでいる保険料、
これで賄われているんだということにはやはり原点回帰じゃないですけど。
そういうことで、当時3人くらいで会社をコンサル会社を、
法人のコンサル会社をやったんですけれども、
ちょっと彼らとはそういう意味では個人に向く目線がだいぶ違ったかなということもあって、
僕はアイリックオペレーションという会社を作り、
自分で独立し、今後は個人向けでやはりしっかりと保険コンサルできるような、
そんな会社を作っていきたいなという思いで立ち上げましたね。
なるほど。アイリックオペレーション設立当初、苦労とかはなさらなかった?
苦労ばっかりでしたね。
やはり個人保険といっても、やろうと思っても、
例えばドアノックで一件一件個人のお客様に保険を売っていくというのは
とてもとてもできる状態ではないですし、
まして今で法人で一度に何千万単位の保険料を扱いしてくるような仕事をしてきていたわけですから、
そういう意味で実は一番最初に個人保険をどうやって売ろうかというところからスタートしましたから、
かなり悩みましたね。
当時はどんなふうに売っていらっしゃったんですか?
正直言うと、アイリックオペレーションを作った時点で保険ショップ構想で作っていますので。
そんなに早いときから保険ショップ構想、来店型を考えていらっしゃったんですか?
そうだったんです。
それは多分日本一早いぐらいじゃないですか、来店型を考えて。
来店型保険ショップとしては一応日本一番最初の来店型保険ショップということでやらさせていただいています。
全然今のいわゆる、よくCMって保険の窓口さんとかのライバル番でいらっしゃいますでしょうから、
全然早いと聞いていらっしゃいますよね。
そうですね、若干早いかなとは思っていますけれども、
当時の保険の窓口さんの社長は今の社長とはちょっと違うんですけど、
当時からそんな話をした覚えがあります。
そうですか、そうですか。
なんでその来店型をお考えになったんですか?
やはりですね、先ほどもお話しした通り一件一件僕が回っていくのは無理だろうなと。
じゃあどうしたら多くの方々に保険のコンサルの仕組みっていうんですかね。
今まではやっぱり保険というのは売るものっていう、
この保険に入りなさい、この商品に入りなさい、中身が何かよく分からないみたいな。
けどそれに対して我々がお客様に対してコンサルティングをしながら保険を売りたいという、
コンサルティングをしながら保険を売りたいと思っていましたので、
じゃあどうしたらいいかなとやはり考えて。
その時に思いついたのが、いろんな情報があれば人は動くんだろうなと思ったんですね。
そういう意味で保険ショップを作ることで、またそこにいろんな保険会社の情報を集めることで、
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お客様にあそこ行けば他のことなんでもわかるよねみたいな。
そういう気軽なお店を作っていきたいなという発想から保険ショップが生まれましたね。
経営者を応援する。社長の孤独力番外編。
本日の社長の孤独力番外編は10章6行、自分は社長の器ではないと思う時がある。
気にせず一生懸命授業に取り組めばいい。
これはなかなか難しいですね。
正直私も社長の器だと思ったことは一回もありません。
もっと言うと、社長業をやって、うちはもう今ちょうどこの収録をしているときはですね、
丸10年経って11年目に入っているわけですけれども、
丸10年社長をやってきて、社長の器ではあると思ったことは一回もないし、
もっと言うと365日中、大体360日ぐらいは死にたいな、死にたいなというふうに思っている感じなんです。
わかりますでしょうか。
昔、部下を最初に持ったのが仙台市長になったときで、29歳のときに仙台市長になったんですが、
そのときに部下を持ってから、そこからですね、365日中、361日、4日間以外はやめたい、やめたいと思っていました。
それがある年360日になってまして、たった1日だけやめたいと思う日が減っただけで、
これは成長したな、みたいなことを思ったのが昔。
今は死にたいと思うのが361日。
それが360日になると、俺は今年は成長したな、みたいな感じになると。
こんな感じが経営者ですね。私自身です。
ですので、ここで書いてあることを何かアドバイスできるのかというと、
ちゃんちゃらおかしいですが全くアドバイスできないぐらいです。
もっと言うと、そんなもんじゃないんですか、社長は。
社長業というのはある意味全ての責任を負いますし、
昔私はある方に台風が来ても嵐になっても槍が降っても倒産させたら社長のせいという風に教えられました。
そういう意味では社長さんというのは大変な商売。肩にどっすんと重いものが乗る感じ。
だから私は社長業をやる人は偉いなと思うし、自分でよく社長なんてやりたくもないのになったなと自分で自分を褒めているぐらいです。
そういう意味では器かどうかどうでもいいんじゃないですか、そんなことは。
とにかく一生懸命事業に取り組んで、ダメだったら自己破産してもいいし、
自己破産した後上々器用になった人もいらっしゃいますし、
自己破産しなくてもうまく逃げ切ってもう一回やり直す人もいいし、
まあまあどうとでもなるんじゃないですか。
とにかく一生懸命やる。考えてもしょうがない。
私はこう言ってます。営業マンと社長は誰でもできる。
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成功する営業マンと成功する社長は誰にもできるわけではない。
こういう風に言ってますので、とりあえず一生懸命やるしかないと。こう思いますね。
ですから一生懸命やる。やってダメだったらしょうがないじゃないですか。
しょうがない。その代わりちゃんと情報収集するとか勉強するとか知識を増やすとか、
ありとはやること、やれることは全部。営業力がなくても営業しに行く。
物を売りに行く。自分たちの商品を売りに行く。一生懸命いろんな人に会いに行く。
みたいなことをちゃんとやるかどうかの方が重要なんじゃないかなという風に思います。
逆に言うとそこぐらいしかアドバイスはできない。とも言えます。
ですのでドラッガーも言ってます。ビジネスな真摯な人だけ成功してる社長の共通点で
暴力的な人も暗い人もよくしゃべる人も明るい人もいろいろいるよと言ってますので
真摯にビジネスに取り組んでいただくだけなんじゃないかと。こういう風に思います。
是非そう思って鬱は何か気にせず一生懸命やっていただいたらいいんじゃないかなと思います。
本日も社長の孤独区番外編はここまで。それではまた来週。
本日も社長に聞くインウィズビズをお聞きくださり誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの成功社長、成功経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
この内容はすべてテキスト化いたしまして、私どもウィズビズが運営するウェブサイト
経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり
皆様の会社系に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして
サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索で経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき
経営ノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。
本日の社長に聞くインウィズビズはここまで。また来週。
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