承認欲求の影響
これが今日のハイライトだ。よく聞け。
もがけばもがくほど状況は悪化していくんですよ。
吠えラジオ
理不尽な社会にもんやり、
こんなんおかしいやろ、と思うの私だけ?
そんなストレス社会を生き抜く、あなたのために、
愛と勇気のエールをお届けする、
知った激励、考察トークプログラム
アラサーゲイの吠えたいラジオ
社会の闇を、
吠えパに代わって、お仕置きよ。
ハオー
本日のテーマは、こちら。
承認欲求と自己顕示欲:爆音拍手の真実
というわけで、本日はですね、
初めてお会いした時から、僕がとても推してて、
個人的にとてもめでてるあの子からのお便りです。
吠えパネーム、めんへらめがねさんからのお便りです。
ウルフさん、こんにちは。
ウルフさんに吠えてほしい、とは違うかもしれませんが、
もやもや案件をお便りさせていただきました。
拍手がうるさい人っていませんか?
手のひらに空気を含ませて、どでかい音を響かせる人がいるのですが、
パンパンではなく、パーン、パーンと近くにいると
君、イカれるわってほどの拍手の人いるんで、
ほんといい加減にしてください。
以上です。すみません。こんな内容を送りつけて、
いつも楽しく聞かせてもらってます。
ポッドキャストウィークエンド楽しみですね。
過去読まれる時期によっては楽しかったですね。
唐揚げ美味しかったです。ハート。
というわけで、めんめがお便りありがとう。
めんめが可愛いよ、めんめが。
これね、お便り配読してね、ニヨニヨしたね。
めちゃくちゃニヨニヨしました。
言いどころがめんめがっぽいなっていうかね、
なんかじわじわくる感じ、すごい好き。
でさ、これね、おるよね。
自己顕示欲の分析
わかるわ、めっちゃわかるわ、思って。
あのさ、演劇とかさ、音楽の公演とかでさ、
周りの雰囲気とか空気も読まずに爆音拍手してくる人、
おるよね。
普通に拍手するんやったらさ、わざわざそんなことにならへんやん。
あれってさ、僕は完全に自己主張の塊やと思うのよ。
私、こんなに感動してるのよっていうアピール?
周りからしてみれば、あなたのそのアピールはクソほど興味ないし、
うるさいから空気読んで普通に拍手してくださいっていう話やん。
特にさ、コンサート会場とか劇場ってさ、
みんなと共有する特別な空間なわけやからさ、
それをね、一人のね、私はこんなに感動できるんです、
こんなに芸術がわかるんですっていうエゴでね、
誰かに不快な思いをさせるっていうのはいかがなものかなと個人的に思うんですよ。
そう考えるとさ、爆音拍手に限った話ではないんやけど、
異常なまでの自己主張をしてくる人って、
寂しさとか不安の裏返しなんかなというふうに僕は考えてるわけなんですよね。
普段から十分な愛情だとか認められ方を知る人って、
わざわざそんな大げさな表現方法を取るのかなというふうに思うわけですよ。
家でも職場でも私の存在に気づいてってほんまは叫びたいんかなとか思うんですよね。
もうこの辺はさ、承認欲求やと思うんですよ。
自分はこの世界にここにおってええ人間なんやって誰かに認められたいっていう欲?
もうそんなんさ、おりたいとこおったんやと思うんですよ。
自分がおりたいと思うとこにおったんやのよ。
人様が必要としてくれるかいなかったかは関係ないのよ。
僕がここにおりたいから僕はここにいますぐらいで、
もうそのぐらい厚かもしくていいと僕は思うんですよね。
僕はここにおってええんやっていう誰かに認められてここにいますみたいなね。
そういう欲求を満たしたい人って一定数いるんですよね。
もうそんなん好きにしたいのにね、おりたいとこおったんやのにねとかって思うんですけどね。
この人もそういうその拍手の爆音拍手にはこういう意味が含まれてたりするのかなというふうに思いました。
他に考えられる可能性としては自己顕示欲の現れっていうのもあるのかなと思うんですよ。
目立ちたいとか自分はすごい人間やって認めさせたい。
これも承認欲求みたいなもんなんだけど。
こんなこと自分で言うのもあるんですけど、
割と僕自分の考え方は正しいと思ってるタイプの人間なんですね。
でもだからといって自己顕示欲があるタイプの人間ではなくて、
自分の正しさとか思ってることを他人に強要するつもりは一切ないんですね。
僕の中の正しさや正義があるように、
人様には人様の正しさや正義があるものだと思ってるから、
お前は間違ってるぞとか、俺が正しいんじゃっていうふうには全く思わないんですよね。
どっちかというと僕はあなたの正義を否定しないから私の正義も否定しないでくださいねっていうスタンスなんよ。
でも自己顕示欲ってのは自分だけが正しい、自分だけが賢いっていうのを他人に認めさせたい、
誇示したいっていう欲求なんですよね。
自分だけが正しいとか自分だけが賢いって思うのは全然問題ないんですよ。
それを他人に認めさせたいっていうのが厄介なんですよね。
この拍手の問題に自己顕示欲が絡んでいた場合は、
俺は素晴らしい作品を見てこんなにも感動できるすごい人間なんだ。
お前ら凡人にはこの素晴らしさがここまで素晴らしいとはわからんだろう。
なんせ俺は特別だからなっていうのを周りに理解してもらいたいんですよ。認めさせたいんですよ。
もしもよ、もしも本当にあなたがそのくらい自分で思うくらいすごい人なら、
そんなことしてなくても十分にすごい人って認められてるはずなんで、
残念ながら拍手の音だけがバカでかい小物みたいな人間にはならないはずなんですよね。
あとはもう言うまでもないかもしれませんけど、
シンプルに空気が読めないタイプっていう方ですね。
他人の視点とか感情を十分に理解できないタイプ。
この他人の視点とか感情が理解できない、
この想像力の欠如みたいなものって、
過保護な環境に育った人に比較的多く見られるのかなっていう印象があります。
こういうことをやったり、こういうふうに言うたら、
言われた方やられた方はどういうふうに思うかなとかっていうのが想像できないんですよね。
これ不思議よね。
この手の人たちを説得するために自分がされたり言われたりしたらどう思うとかって言うと、
こういう人たち大抵決まって、
社会的影響と対策
いや、自分は何とも思わへんとかって言うんですよ。
まじくさ。
でもね、ほんまにこれ返してくる人は何にも思わんないと思います。
すごいよね。
これすごいと思います。
自分の感情に無関心な人なんやろうなというふうに思います。
だから自分の感情に興味がないから、
さらに他人の感情になんてもっと興味が持てるわけないのよ。
これがね、子供とかやったら私もさ、
大人になるまでに傷ついたり傷つけたりを、
それなりにしてみんな大人になってるわけやんか。
ほんで、そういった経験の中で、
ああ、この言い方は良くなかったなとかさ、
こういうことされたら嫌やなとかさ、
自分だったり他人を通したりして経験してきてるわけじゃないですか。
じゃあ、この失敗を生かして次はそうならんように言い方考えようとか、
こういうことはせんとこっていうふうに考えるわけやん。
それがないんですよね、こういう人たち。
もう家保護に育てられてええよええよって言われてきてしまったから、
自分が自己中心的なまま、子供のまま大人になってるんですよね。
周りの迷惑を一切顧みないタイプですけど、
ある意味こういう言い方をされてる方のほうが、
幸せかなと個人的に羨ましく思ったりもします。
そもそもさ、承認欲求とか自己顕著欲みたいなものって、
他人が満たしてくれるものではないというふうに僕は考えてるんですよ。
言うたらさ、それって他人軸で生きているということやと思うんですね。
自分の基準じゃなくて他人の基準、他人の価値観の中で認められようとしているということやと思うんですよ。
僕はね、結構それを不思議に思うタイプというか、
論理的に思考を張り巡らせていくことのできる分野においては、
僕自分の価値観の中で生きてると思ってるんですけど、
最近思うのは、僕も他人の価値観の中で他人に合わせて生きてしまっている瞬間があるのかなというふうに考えたりするんですよね。
というのは、無意識のうちに人様と比べちゃってる自分がいることに気が付いたんですよね。
頭では、そんなふうに他人と比べても無駄とか、そもそも基準も違うから比べたところで何の意味もないっていうことはわかってるんですけど、
時々ね、無意識に比較してるから意識してそういうふうに持っていかないと、
そういう嫌な波に飲まれてる瞬間があるっていうことに気づいたんですよ。
僕は僕にしかない良い部分があることを自分できちんと理解もしてますし、
その良い部分っていうのは自分でも好きなんですよ。
好きなんですけど、身近にいる人が自分には持っていないような良い部分を持っていて、
その良い部分が他の何か副産物を生み出すみたいな感覚、
わかりますでしょうか、それがすごい羨ましく思う瞬間があるんですけど、
伝わってます?
すごい今回りくどい言い方をしてるのでちょっと具体例、わかりやすいように具体例を出しますね。
例えばなんですけど、僕昔から何を考えてるのかわからないだとか、
怖そうだとか、声をかけづらいオーラを出してるとかってよく言われるんですよね。
だから僕はフレンドリーな人のことを羨ましいなーって思ってるし、
昔はどうすればそういう人になれるかな、近づけるかなってよく思ってたんですよ。
それを真似しようとして失敗して逆に嫌われるとかっていうこともよくありました。
本末転倒で草。
そうやって最終的に僕は一人の方が気楽でええわってなっていったというか、
人と一緒に居ることで自分が疲れるっていうのがわかったから、
必要以上に自分から誰かを求めるっていうこともなくなったし、
逆に僕のことを必要としてくれる人、仲良くなりたいと思ってくれる人だけ
そばにおってくれたらええわって思うようになっていたんですけどね。
そこに至るまではやっぱりいろんなことを比べて生きてきてたわけですよ。
声をかけづらいとか壊そうって思われる自分と誰とでもすぐ仲良くなって
いろんな輪にすぐ飛び込んでいけるような誰かのことを
無意識に比較して生きてるんですよね。
そうやって少しずつ少しずつ自分の自信とかが失われていって、
本来であれば持っていたはずの僕のいいところまでが消えていってしまう
っていうようなことがあったと思うんですよ。
慌ててもがけばもがくほど人って沈んでいくんですよ。
何事もそうなんですけど状況を変えたい時ってみんなもがくと思うんですけど、
もがけばもがくほど状況は悪化していくんですよ。
沈むんでやめたほうがいいです。
そういうときはもうおとなしく波に流されたほうがいいと思います。
そうやってね、こじらせていった人がですね、
こうやって人の目を火を引こうとして空気の読めない発言や行動をしてみたり、
めんめがの嫌いな大きな音で爆音拍手をするみたいな
人になってしまうんやと思うんですよね。
もちろんみんながみんなそうってわけじゃないんですよ。
自分のコンプレックスとうまく付き合っていける人もいらっしゃいます。
もちろんね。
承認欲求と自己顕示欲の探求
そもそもね、この僕の声をかけづらいとか壊そうと思われちゃうコンプレックスっていうのが
結構僕は気にしている部分にあったんですけど、
これは見方を変えれば長所なのかもしれへんなという風にも思うんですよ。
言うたらさ、僕にはフレンドリーさとかさ、
誰とでもすぐ打ち解けられるような人を引きつけるオーラとか、
雰囲気とか話上手とか、
そういう要素っていうのは持っていないんですけど、
それを持っている人には考えたり気づいたりすることのできない
いろんなことを経験してきていると思うのよ。
それはこうやってね、時々誰かと比べて羨ましく思ったり、
辛くなったり苦しくなることの方が圧倒的に多い経験だと思うんですけど、
この経験を通して考えたことが自分の道を切り開く力になってきてたはずなのよ。
自分の人生をその力を使って切り開いてきてたはずなんですよ。
そうやって嫌なことにぶち当たって立ち止まっては考えて、
掴んだ何かがたくさんの嫌なことを乗り越えさせてきてくれたはずなんよ。
そうやって僕の中には嫌なことも苦しいこともたくさん乗り越えてきたっていう自負があるんですよね。
だから僕は強くいられるし、自信を持っていられると思うんですよ。
ポッドキャストをやっててもですね、こんな性格なのでね、
人によっては僕のことを見くびってるなと思う人とかいるんですよ。
合同会社ホエシカの相方のさ、スミレコチュンとかさ、そういうのに気づくとね、
僕以上に怒ってくれたりするんですよ。
ウルフをバカにするな!なめんな!って、
僕以上に怒ってくれたりするような出来事とかも実は今までいろいろあったんですよ。
ほんまにね、ポッドキャストもやめようかなって思う瞬間とかもあったんですよ。
ちょっとしたことが引き金になってものすごく落ち込むこともあるんですよ。
ポッドキャストに限らずなんですけど、この先ね、生きていければね、
僕に限らずですよ、皆さんもっともっと多くの人と出会って、
この先も何千回何万回と見くびられる、実物より実際の自分よりも低く見られる、
見られていると感じることを感じる瞬間、多々あると思うんです。
でもさ、誰かに見くびられたりとかさ、誰かと比較をしてさ、誰かを恨んだりする度に、
自分のいいところまで疑って、その度に下を向くような生き方はしたらあかんと思うんですよ。
人様が自分のことを認めてくれなかったとしても、自分にはいろんな可能性があるんやっていう風に、
自分自身がきちんとわかっていれば、それを信じることができれば、
やっぱり承認欲求とか自己顕示欲ってある程度は抑えられるって言ったらなんか変やけど、
こんな風に爆音拍手をしたりみたいな風にこじらせるようなことはないんじゃないかなという風に思うんですよね。
周りの目とか周りの評価っていうのはやっぱりね、気になりますよ。気になりますよ。
僕も100%常に自分の軸だけで生きられてるかって言ったら答えはNOで、
無意識に他人の評価や他人の目に意識が引っ張られてるなと感じる瞬間はあります。
やけど、絶対忘れたらあかんのは周りの声や評価に騙されないように、
そしてそんな声に乗っかって、何より自分自身に騙されないように生きていかねばならんなという風に思ったりしました。
ポッドキャスト活動と評価
というわけでね、本日のホイラージュはいかがだったでしょうか。
お楽しみいただけましたでしょうか。
めんめがのモヤモヤをね、すっきりさせられたような気はね、全くしないですね。
ごめんめんめが。でもね、絶対そう。
あのね、空気読まれへんかね、承認欲求や自己顕著が極端に強いかのいずれかなんかやと思う。
ある意味ね、それも気の毒なことだよと思うんやけど、
でもね、そんなんこっちからしたら知ったこっちゃない話っていうかさ、むしろ迷惑やから自分でなんとか解決してくださいっていう話なんよね。
話は全然変わるんですけれども、第6回ジャパンポッドキャストアワード2024の選考が始まりました。
ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、一時選考はですね、リスナーの皆様からの投票によって上位20番組が一時選考を通過するらしいです。
で、これ投票はお一人様1回のみで3番組まで推薦できるのでね、ぜひぜひですね、ホエラジュとアテシカに投票をお願いいたします。
ホエラジュって書いたらあかんのですよ。アラサーゲイのホエタイラジオって書かなきゃいけないんですよ。
アテシカって書いちゃあかんのですよ。アテクシの屍を越えてってって書かなきゃいけないんですよ。
皆さんお分かりでしょうか。必ず正式名称で書いてくださいね。
ポッドキャストスターワードではね、アテシカが推薦賞に選ばれましたけれども、ホエラジュは箸にも棒にもきっかからないというね、
スミレコちゃんと2人で悔しいね悔しいねって涙を流したわけですよ。
2人一緒に辞書したかったねつってマジで悔しい悔しい言ってたわけですよ。
なのでね、僕にとってこれはね、雪辱を晴らす時なんですわ。
そのためにホエパー並びにチームアテシカ合同会社ホエシカ社員の皆さんのお力をもうぜひぜひお借りしたいわけです。
1人1回までなんでね、家族とか恋人とかお友達に嫌がられない程度に何ならちょっと携帯貸してつって代わりに投票するくらいの感じでアテシカとホエラジュに投票をお願いいたします。
最後までお聞きくださり、またホエラジュを通して私と出会ってくださりありがとうございます。
お聞きのポッドキャストアプリで番組のフォロー、レビュー評価、欲しい評価をぜひお願いいたします。
フォローをしていただければホエパーの皆さんには最新話が更新された時に通知がいきますし、皆さんのフォローやレビューをきっかけに未来のホエパーがホエラジュを聞きに来るという可能性が上がります。
ホエパーの仲間が増えるとそれだけ活性化にもつながりますし、何より東風邸がとても嬉しいというハッピーの輪がバシバシ広がっていきますので、ぜひフォロー、欲しい評価、レビュー評価をお願いいたします。
番組の感想は各種SNSでハッシュタグホエラジ、ホエラジはすべてひらがなでホエラジとつぶやいていただけると東風邸からの熱いコメントをお返ししに伺います。
最後に東風邸に吠えてもらいたいこと、褒めてもらいたいこと、ホエパーのみんなに聞いてもらいたいこと、聞いてみたいことなどなど何でも構いませんので、何かございましたら番組概要欄にございます各種SNSのDMあるいはお便りフォームからどしどしご連絡ください。
それでは本日のお相手は、あなたの、あなたの、あなたの、あなたの、あなたの、あ、間違えた。あなただけのゲートも東風邸ウルフでした。さいちゃーん。