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元六十五年、十二月十四日。
粉雪が江戸市中に降り積もる、冬の夕暮れ。
赤坂養全員の屋敷に一通の文が届いた。
表書きには金銀受払帳とある。
そこには養全員が渡した三百両の使い道が、こと細かに記されてあった。
手紙の主は大石倉之介。
十二月十四日、未明。
穂羅の城谷。
深夜四時。
雪は夜更け過ぎには上がったが、道は凍り、凍てつく風が頬を押す。
一方、天を仰げば月が光々とさえ渡る。
松明変わりの月明かり。
きらめく星の数々が、静かに四十七時の行く手を照らしている。
自らを昼間の星だと自称していた、大石倉之介。
四十四歳。
今まさに夜空の星のようにその命を光り輝かせている。
長い夜の始まりだ。
始まりだ。
あこう事件、倉之介の流儀。
第五話、平亭打入り、大儀に生きる。
表門では、大石倉之介以下二十三名が平屋敷を取り囲む。
狭間十二郎と大鷹玄吾が平屋敷の前にあった防火ハシゴを兵に立てかけてよじ登り、屋敷の内側へ入り込む。
よし、一番乗りだ。
鐘の音を合図に裏門で待ち構えていた大石倉以下二十四名が大きな傷口で裏門を打ち破る。
屋敷に侵入したあこう老子が口々に、火事だと叫ぶ。
夜半の火事騒ぎに寝ぼけまなこで起きてきた平家の家来は、
二人肩びらを着込み、槍や刀を手にした火事所属の男たちと鉢合わせ。
朝の巧みの神家来、主の仇討ちに参った。
かくして平家敷は大混乱に陥る。
火事だと思って飛び出した平の家臣は、待ち構えていた老子の槍や刀に倒される。
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次に老子は、屋敷で暮らす家来たちの長屋の塔を外側から金槌で打ちつける。
出口を塞がれた家臣たちは部屋に閉じ込められる。
さらに、豪使たちのおたけびが恐怖を煽る。
本来は半分の兵力であるにも関わらず、あたかも平方よりも大人数を率いているかのように見せかけたのである。
オリビー・ヤスベイら切り込み隊は、鬼の行走で屋敷の奥へ突き進む。
それでも果敢に立ち向かう平家の家来は、
ヤスベイやカズエモンに一刀両断にされる。
その様子に、自ら老子に道をあける者、布団をかぶってことなきを得る者など、
多くの家来方が戦う前に戦意を失った。
家来屋敷の北側に位置する土や力の屋敷では、
「はじだ!」という叫び声に目を覚ましたが、
そこへ踏みを手にしたあこう老子、片岡玄吾エモンが現れた。
「お騒がせして申し訳ありません。ただいま、敵討ちの最中でござる。
武士は、相御鷹居と申します。どうぞ、お構いなきよう。」
土屋は片岡に手渡された工場所に目を通す。
そしてほどなく、高張長陳を掲げて、兵越に平屋敷を照らした。
武士は、相御鷹居。これで、平光助の助が探しやすくなる。
「片付けない!」
しかし、肝心の敵の姿が見つからない。
「坊ちゃん、お無事で。」
「吉祐門か。俺は一人倒したぞ。」
「偉人を見事に飾られましたな。」
「キラはいたか。」
「いいえ。」
「打ち入りからどのくらい時が経っただろう。」
「あんときは過ぎましたろうか。頬に血がついてございまする。拭いて差し上げましょう。」
「片付けない。」
「先ほど倉之助様がおっしゃっていました。」
「朝を迎えたら、キラ方の援軍が来るかもしれん。夜が明ける前に事を成し遂げる。一刻も早く、光助之助を見つけるのだ。」
「平の布団は、まだ暖かかったと聞いたが。」
「さようでございます。だからまだ遠くへは行っていないはずです。しかし、広間、囲炉裏の間、小座敷など、屋敷の中をくまなく探してもキラの姿が見つからないのです。」
「なんだ。腹が減ってるのか。」
「そのようです。そういえば、台所を探していなかった。ちょっと台所を見てきます。」
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「平屋敷の台所には、おくまった場所に物置があった。その物置から気配がする。」
「人がいる?」
「わー!」
「わー!」
「吉江門か。落ち着け。撃ち取ったのは敵だ。」
「申し訳ありません堀辺様。人が斬られる瞬間を見たのは初めてなものですから。」
「お主の声の方が驚くわ。」
「堀辺様が鬼神のごとくここを守っていらっしゃるのであれば、もうここには誰も来ませんね。」
「待て。」
と、呑気な会話を制したのは狭間十二郎。手にした槍を持ち直したのは竹林忠一である。
「もう一人いるぞ。」
忠一の槍は、物陰に隠れていた白子袖をまとった白髪の老人の旧正をついた。
さらに狭間十二郎の十文字槍がとどめを刺す。
「平、光月之助殿か。」
「眉毛を見よ。殿の刀傷があるのか。」
「分かりません。」
「では背中を見よ。もし光月之助であれば、殿から受けた刀傷が背中に。」
「刀傷、ありました。」
「至急黒之助殿に知らせよう。」
かねて示し合わせてあった合図の笛が、屋敷内に響き渡る。
内入りから一時間、屋敷の隅々まで探索を続けていた老子たちの頬が赤く染まる。
老子たちが続々と集まっていく。
「平、光月之助良ししさ。」
「この間の異婚、覚えたるか。」
朝の匠の神、家来皇上。
光月之助殿を打ち止めることができなかった。
匠の神の無念を思うと、私ども家来は我慢ができませんでした。
光月之助殿のような高い身分の方に対して、
意気通りを持つことは恐れ多いとは思いますが、
ひたすらに亡き殿の無念の思いを晴らす志でございます。
すでに光月之助は絶命している。
一同はその亡き柄をしばらく無言で見下ろした。
殿の恨み、ここに晴らす。
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光月之助の首、打ち取ったり!
白形の負傷者、23名。
討ち死に、16名。
対して、阿光老子の負傷者は2名。
討ち死にはなし。
阿光老子は白形の半分の兵力でありながら、
微細に張り巡らせた戦略で圧倒的な勝利を収めた。
長い夜が明けた。
屋敷の火の後始末をしてから、
四十七師は白屋敷にほど近い寺院へ向かった。
着物を整え、しばしの休息を取るためである。
しかし、幕府に疑いをかけられることを恐れた寺は、
門を開けない。
本来は、見苦しい姿を整えてから、
殿の墓前に伺いたかったが、
いた仕方あるまい。
このまま殿の墓まで参ろう。
かくして一同は、戦いの興奮も冷めやらぬまま、
朝の家の墓台寺であり、
白身の神が眠る戦学寺を目指すことになった。
吉江門はいるか?
ここに。
これからお役目を申し付ける。
そっちにしかできない大切な仕事だ。
はい。
赤尾郎師四十七人が、
本会を遂げたことを、
匠の神様の弟、大学様と、
御後室、養禅院様にお伝えしてくれ。
そっちなら長人になりすまし、
戦技の目をかいくぐることができる。
かしこまりました。
必ずお伝えいたします。
お伝え次第。
戦学寺に向かいます。
その儀は無用。
戦学寺には来るな。
なぜでございますか?
申したはずだ。
これは、そっちにしかできない役目だ。
そっちは、生きよ。
生きて、我らのことを伝えてほしい。
我らは、女神にたてつくつもりはない。
だが、これだけの騒ぎを起こしたのだ。
男子は免れまい。
ただ、
残された縁者が、
荒ぬ風評を立てられて苦しむことは避けたい。
だから、
我らの様子を後世に伝えてほしいのだ。
吉江門、
私からもお願いする。
豊川の母上に伝えてくれないか。
父上の見事な栽培を、
裏物対象となった、
四川の戦いぶりを。
それができるのは、吉江門、
お前だけだ。
かしこまり。
12:01
吉江門を除く、
悪王老子四十六人が、
本庄から、
隅永川を南へ下り、
永泰橋を渡って、
かつて、悪王判定があった、
築地鉄砲をずおん抜ける。
白い小袖で包んだ、
光月の助の首を、
槍の上にくくりつけ、
血のついた太刀を掲げ、
乖離地を浴びた小賊で、
胸を張って進軍する老子の姿に、
江戸っ子は、
手を叩いて喜んだ。
すげえもんだ。
ほんとに、
敵討ちやっちまった。
おいら、あいつ知ってるぜ。
あの戦闘で、
白い布を掲げてるお侍。
一膳飯屋で、
意気投合して、
おごってやったんだ。
ほう、あの時の。
お偉いお侍さんだったんだな。
まあな。
おかげで敵討ちができたぜ。
一番乗りの二番刀で、
大活躍さ。
おん抜けるぜ。
あっぱれ、
赤尾騎士。
江戸っ子の、
驚きと称賛を浴びながら、
一同は進む。
ふうやふわずで、
孤高をしのいでいた老人が、
一瞬で、
赤尾騎士という英雄になったのである。
この熱狂に、
誰よりも驚いていたのは、
倉之助である。
ついに、炎の無念を払うという、
大仕事を成し遂げた。
倉之助は、
初めてそれを実感した。
歩き続けて、
およそ三時間。
倉之助一行は、
ついに戦学寺にたどり着く。
倉之助は、
その門前を仰いだ。
ついにこの日が参りました。
倉之助の首を、
井戸で洗い、
匠の神の墓前に供える。
十二月十四日未明、
大石倉之助以下四十七名、
敵、
斬ら倉之助を、
討ち取りました。
豪使たちは、
一人ずつ名乗りを挙げて、
殿の墓前にぬかづいた。
そして、
わからず、
声を上げて泣いた。
幕府王滅家、
15:01
戦国宝起の神久直は、
戦学寺に御参後、
自主してきた赤尾狼子一同を、
取り調べることになった。
この公上書によると、
小旅の主義は、
殿の御無念を晴らすための
敵討ち、
だと申すのだな。
私どもの主、
朝野巧の神は、
斬ら倉之助の助殿と
喧嘩を致しました。
その証に、
我が殿は、
この間の異婚、
覚えたるかと、
申したそうでございます。
主が喧嘩によって
切腹した以上、
喧嘩のお相手も、
処罰を受けるのが正義だと存じます。
この旨、
かねてより嘆願して参りましたが、
お聞き届けいただけなかったので、
武士として、
喧嘩両成敗を
行った次第です。
なるほど。
しかし、
徒党を組んで老人の首を取るとは、
穏やかではない。
起伝の行いは、
御神に対する反乱と
取られても仕方のないことだと思うが、
いかがなりや。
その点こそ、
最も倉之助が心を砕いたところだった。
話は討ち入り前に遡る。
丸山会議でも申し上げた通り、
この度の不当なお裁きの根本には、
綱吉公が、
執事の怪しい母親に拍をつけるために、
朝廷にすり寄ったことが発端と思われます。
それでなくても、
母一匹殺すことさえままならぬ、
生類憐れみの霊など出されて、
町の衆は、
久保王様に対して
不平不満を募らせています。
だから?
だから、
久保王様に対して、
我らは抗議をするのです。
光月之助の首を取った上で、
久保王様の鼻を明かすのです。
勝負しかねる。
なぜ?
我らは、唯小説ではない。
無本人となったら、
朝野家の面目は地に落ちぬ。
しかし、
このままでは、
悔しくはありませんか?
悔しさは、
一時の感情。
しかし、無本人となったら最後、
朝野家だけでなく、
我ら一度、
死死存存まで石もて追われる身になるぞ。
考えてほしい。
何のために、
二年近い月日が必要だったのか。
辻道を立て、
味方さえ欺き、
根気よく探眼を続け、
そうして今、
最後の手段として、
討ち入りの計略を進めている。
それも一歩一歩、
暗闇で踏み外すことのない道を探っている。
18:01
全て、
殿の名誉を取り戻すために、
費やした時間である。
案じて、
殿を逆賊にしない。
そして、
我ら同士一同も、
逆賊にはしない。
倉之助のこの真意が、
戦国の前で明かされる。
では、奇伝は、
御神に歯向かったのではないというのだな。
はい。
この討ち入りは、
あくまでも主君の敵討ちのため。
御神に逆らう気など、
さらさらありません。
赤尾浅之家は、
七日豪賢を旨とする武士の家柄。
唯諸説のような無本人になったら、
武士としての一文が立ちません。
この度の討ち入りが戦でない証拠に、
我々は万が一のために、
鎖肩びらを着けてはいましたが、
鎧兜を着けてはおりません。
また、鉄砲のような
飛び道具も用いませんでした。
目指すは、
光月之助殿の首一つ。
殿の無念を晴らすことだけが、
私どもの願いだったのです。
我らは、
大義に生きておりまする。
そのお覚悟、
受けたまわった。
倉之助の覚悟は、
幕府の養殖を務める戦国の心を動かした。
それで、陸様、
倉之助班たちのその後は、
いや、なんと言っても、
討ち入りの頃、
私は陶家そこらの子供でございましたから、
細かいことは覚えておらんのです。
さようでございましたか。
あの頃、
陶家そこらということは、
力と同じ年頃ですね。
力様は、
私より三つ年上になるんちゃいますかね。
力が生きていたら、
あなたのような立派な大人になっているのです。
立派な大人になっているのですね。
討ち入りから、
二十年たちましたから、
ただ、
上塗りの下作者が立派かどうかは分かりませんが、
わざわざこのような昔話を聞きに来てくださったんですから、
覚えている限りのことは、
お話いたしましょう。
戦国屋敷で取り調べを受けた後、
赤尾郎氏四十六人は、
四つの大名家にお預かりとなりました。
倉之助、
吉田忠左衛門様、
片岡元吾衛門様らは細川家に、
21:02
力や堀部康兵衛様らは松平家に、
そのほかの方々は水野様、
毛利様のお屋敷でお預かりとなりました。
それぞれのお屋敷では、
手厚いもてなしを受けたそうです。
もう一回の浪人ではなく、
赤尾義士だったのですな。
取り調べをした戦国様のお口添えがあったのでしょうか。
それだけではないでしょう。
江戸っ子も、
あっぱれ侍の鏡、
江戸中の手柄にご座候と、
称えたようです。
そうでしたか。
各種を送った者の中には、
御政道に対する反発もあったようです。
赤尾義士が、
上様に意見した武士に見えたんでしょう。
倉之助藩は、
カタクナに否定していましたから、
皮肉なもんですわ。
そうだったんですか。
須那義子は、町の声に押されて、
赤尾義士の処分に時を費やしました。
匠の神藩の時のような不当な裁きは、
もうできないんです。
悩んだ須那義子は、学者を呼んだ。
そして、
赤尾老子の行いは、
主君に対する忠義としては褒められるが、
騒乱を起こしたことは、
武士の礼節を書く、
という、へ理屈を作らせた。
上様は、
倉之助たちに、
切腹というお裁きを下しました。
切腹は、
名誉を重んじた武士だけの作法です。
ありがたい幕引きだったのです。
これ、
倉之助藩らの勝ちですぜ。
勝ち?
左様、
人は死ぬ。
早いか遅いかの違いはあれど、
どうしたって一度は死ぬ。
だから、人間はどう死ぬかということに、
こだわらないとあかんのやないかと思います。
どう死ぬか、
とはすなわち、
どう生きるか、ですわ。
なるほど。
その点、倉之助藩ら赤尾義士のみなさんは、
武士として生きた証に、
武士として最高の死を賜った。
倉之助藩が心配したような
無本人という扱いにはならなかった。
これは勝ちですぜ。
そう言われると、
救われたような気がいたします。
おかげさまで、
私ども演者も、
少しずつ名誉を回復していただきました。
きちえもんさん、
討ち入りの年に生まれた大サブロウも、
ここ広島で、
死感がかないました。
それはよかった。
倉之助が、
討ち入り直後に作った和歌をご覧になりますか?
ぜひ、お願いします。
きちえもんさん、
24:00
旦那様の和歌、
どこにありましたか?
こちらでございますか?
あ、
あなたが寺坂きちえもん様ですか?
はい。
四十七番目のあこうにしだ。
いいえ、いいえ。
そんな大げさなものではありません。
こちらは、大阪の竹本座という小屋で、
浄瑠璃芝居を描いている竹田出雲様です。
今日は、倉之助のお話を聞きたいと言って、
はるばる大阪からおいでになったのです。
あら、楽しい。
思いははるる、みはすつる。
浮世の月にかかる雲なし。
あれだけの仕事をした後に、
このようにあっけらかんとした歌を残すなんて。
倉之助は、やっぱり夜空に輝く星ではなく、
見えるか見えないかわからない。
昼間の星かもしれないと思いませんか。
奥方様、この話、書かせていただいてもよろしいか。
ええ、ぜひ、後々まで語り継がれるような
芝居に仕立ててくださいませ。
吉江門様もよろしいか。
そうですね。
でも、自分が芝居になるなんて恥ずかしいことだから、
せめて私が死んだ後にしてくださいよ。
うっ。
その後、最後の阿光技師、寺坂吉江門は、
83歳まで生きた。
武田出雲、三好精落、並木仙流による
奏本中心蔵が上演されたのは、
吉江門が亡くなった翌年のこと。
打ち入りから実に46年の月日が経っていた。
以来、倉之助と四十七師は、中心蔵という物語の中で、
今も生き続けている。
ボイスドラマで学ぶ日本の歴史
シーズン4 阿光事件 倉之助の流儀
いかがでしたでしょうか。
本編の進行役、奏本中心蔵の作者、
武田出雲という設定で、
四十七師の最後、生き残った一人。
寺坂吉江門は、この武田出雲に
打ち入りについてを正しく伝えるために
生き延びたという。
27:01
ここは、本作の創作の部分ではありますが、
面白い観点だったのではないかなと思います。
この阿光事件、史実としては、
なぜ、匠の神が倉小助之助に切りかかったのか
という点については、一切謎に包まれているんですね。
打ち入りまでの1年半という時間、
この期間は、国賀郎の大石倉之助としては、
仇討ちというよりも、まず第一に
お家最高ということが念頭にあった。
そのために、奔走した時間だった。
そういうことだったんですね。
最後、仇討ちという時間は、
最後、仇討ちを実現させた阿光老子が、
それぞれの大名に熱くもてなされたという
史実もあるんですね。
実は、この時代、仇討ちを実現できれば、
立派な武士として、非公式ではあるんですけれども、
功力で召し掛かえられる可能性があったんです。
そして、それを望む阿光老子の旧神波と、
お家最高を第一と考えている
倉之助の葛藤というところもですね、
ドラマとはまた別に、リアリティのある
実情が描かれていたのではないかと思います。
そして、討ち入りが成功して、
江戸市民からは喝采を浴びたということ。
これは当時の時代背景としては、
徳川綱吉の知性の時代ですよ。
生類哀れみの霊が出て、犬窪と呼ばれるぐらい、
徳川家の権力が絶頂だった時代です。
将軍家が決めたことは絶対という状況。
しかも戦国時代、武士が刀を振るって戦う時代から、
もうすでに100年以上経った時代にですね、
一方的な最低で、
お家最高付加の処分という、
理不尽極まりないものに対抗して、
またそれを刀の力で、
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当時消えかけていた真の武士の精神をもって実現した。
こういうところに市民が震え上がったということではないでしょうか。
これが後の中心倉の爆発的なヒットにもつながる、
まあそういったことになったのではないかなと考えてしまいます。
そして、その武士を見事に体現していたのが、
若干16歳で最後を迎えた大石力。
お家最高のために動きが見えない父との葛藤がある真っすぐすぎる少年が、
最年少のあこう義士として最後討ち入りを果たし、
寺坂吉江門に後のことを頼むと言った時、
この力の成長を見届けてきた吉江門の気持ちになって考えると、
胸に熱いものがこみ上げずにはいられませんでした。
この様々な人間模様が絡み合って、
そして敵討ちという永遠に残るドラマ性なんかもですね、
この辺り、あこう事件、そして中心蔵について、
次回エピローグ回として、私ナビゲーターの熊谷陽子が、
シーズン4、あこう事件、倉之助の流儀を書き起こしてくださった、
また、脚本家斎藤智子さんにより深い話を、
インタビューをしてきましたので、そちらを公開いたします。
どうぞお楽しみに。
竹田出雲、菊川秀樹
寺坂吉江門、大人秀文
大石力、大内裕
堀部康兵衛、本山滝康
狭間十二郎、三尾
戦国久直、浜崎忍
養成院、織田光
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江戸子、平塚蓮
選曲・効果、翔佐子
音楽協力、HMIXギャラリー
アマチャ、スタジオ協力
スタッフアネックス、プロデューサー
富山政明、製作
株式会社、ピトパ