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和田おはまです。先日2月10日の日が、左利きの日っていうことで、なぜ左利きの日かというとですね、
あのちょっとなかなかわからなかったんですけど、左のことを英語でレフトって言うんですけど、
0,2,1,0が、0がレフトの0で、2がフですよね。で、10がト。
まあちょっとね、なんかこじつけっぽいんですけど、それがレフトっていうことで、2月10日がレフト、左利きの日ということになっているそうです。
で、ちょうどその日にね、そのことについてブログに書いたら、結構ね、コメントとかもいただいて、
割とね、なんかそういう、私自身も左利きなんですけど、左利きで、やっぱりそうやって我慢されてた方とか、やっぱりね、その
左利きの子供さんを、子供さんの親がそれを直しているところを見た方とか、そういう方からコメントをいただいたんですけど、
やっぱりね、私自身もずっと左利きで生活をしてきて、例えばその改札口を通るときに、
何でも左手がやっぱり使いやすいので、
体の前で手をクロスさせて、右側にあるタッチするところにピッてやっているのも、
それが当たり前になっていると、あんまり違和感がないんですけど、よく考えたら、
それってね、なんかこう結構ね、無駄な作業というか、わざわざ手を遠いところまで持って行ってやってるっていうのが、
意識して初めて、そういえばこれって本当はすごい我慢してやってるんだなっていうことに改めて気がつきました。
例えば左利きだったり、私は左の耳も聞こえないんですけど、そういう身体的なことっていうのは、結構ね、周りからも分かりやすいと思うんですけど、
例えば心のところでね、最近よく言われるのは、そういう例えば女性の体だけど、男性の心を持っているとか、
いろんなケースが今あって、そういうのは特に見た目では全くわからないので、
わからないですけど、やっぱりその当事者の人っていうのは、知らない間にやっぱりすごい我慢してたり、
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なんで当たり前じゃないのかな、みたいなところで、やっぱり葛藤があるのかなっていうのを思いました。
今、SDGsとかってよく言われるのが、やっぱりそういう多様性を認めようっていう話なんですけど、
理念というか、理屈はみんな分かってても、やっぱり特に日本人って、みんな一緒がいいみたいな、
なんとなくそういうのが意識としてあって、私もそうですけど、やっぱりそうじゃない人を排除するというか、
これは当たり前なのに、この人は当たり前じゃないんだ、みたいなところを、やっぱりまだまだあるのかなって思いました。
ただやっぱり、人に迷惑をかけることはもちろんダメだと思うんですけど、そうじゃないところっていうのは、やっぱり我慢しすぎたりとか、
周りに合わせていくと、知らず知らずのうちに、我慢していること自体に気づかなくなっちゃったりすることもあると思うので、
自分が嫌なこととか、本当は我慢していることっていうのは、なかなかやっぱりそれって意識をしていかないと、
本当に分からなかったりとかする時もあると思うので、そういうのをこれからも自分の意識に目を向けていきたいと思いますし、
逆に、周りの人に対しても、これが当たり前でしょ、みたいなんじゃなくて、やっぱりお互いに認め合えるような人になれたらいいなっていうふうに思いました。
ということで、最後まで聞いていただきまして、どうもありがとうございました。