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近藤淳也
近藤淳也のアンノウンラジオ。
こんにちは。
めちこ
こんにちは。おはようございます。 おはようございます。アンノウンラジオです。アンノウンラジオです。
今日のゲストは、めちこさんに来ていただきました。 こんにちは、めちこです。
ようこそ。パチパチパチ。 来ちゃった。また来ちゃった。
はい。アンノウンの滞在は2回目ですか? 2回目です。はい。
ようこそです。はい。 お邪魔します。
近藤淳也
そして、今回は2泊? 2泊ね。
めちこ
ということですけど、めちこさんは、実は前回はポッドキャスターとして、リッスンの方で。 そうですね。
ポッドキャスターインタビューをさせていただいて。 2回目いつ来るんですか?
近藤淳也
え? 2回目誰かいらっしゃいましたっけ? ポッドキャスターインタビューは続いてますよ。
続いてるか。この前。 この前もじゅんじゅんさんとか続いてますし。
めちこ
よかったよかった。 はい、やってますけど。 寮地にならなくてよかった。
近藤淳也
一応、かいさんと小田陣さんもポッドキャスターインタビューのつもりです。
めちこ
あ、そっか。 はい。
近藤淳也
はい。 まあ、ちょっとそれはリッスンの方の話ですけど。
めちこ
アンノウンの滞在も2回目ということで。 私はね、はい。
ちょっとね、今日もめちこさん1人に。 はい。
アンノウンラジオとして、いろいろ聞きたい。 アンノウンラジオには初ということで、お邪魔します。
ということで、よろしくお願いします。 よろしくお願いします。
近藤淳也
はい。今回の滞在はどういう滞在ですか?
めちこ
今回は、もう単純に遊びです。遊びに来ました。
あの、前回滞在したときに、9月に、ライブのついでに来たんですけど、
そのときに、近藤さんに歓迎会みたいなものを開いていただいて、
そのときに来ていただいた、お集まりいただいた方とちょっと仲良くなっちゃって。
で、「また一緒に遊びましょうよ。」みたいなお話をしていた流れがあって、
年内、もう一回行っとくかってなって、来ちゃいました。
近藤淳也
いいですね。遊びに行く場所ができるっていうのは。
めちこ
もう、でも一回来ると、心的ハードルが下がるというか、もうなんか、なじみが出てきました。
近藤淳也
はい。もう友達ですから。
そう。ありがとうございます。
めちこ
友達がいたらね、尋ねに行くもんでしょ?
そう。だから、別にほら、地理的には難しいところにあるわけじゃないから、
近藤淳也
もう駅から地図も見ないで歩いてこれちゃったし。
もう、第2の。
めちこ
ちょっとホーム感出てきましたよ。
近藤淳也
第2の家みたいに。
めちこ
そうそうそうそう。
近藤淳也
はい。また来てくれて嬉しいですけど。
ほんとですか。ありがとうございます。
めちこ
じゃあ、ちょっと自己紹介してもらっていいですか?
近藤淳也
めちこさんとは。
めちこ
えっと、ポッドキャスターじゃない方ですよね?
近藤淳也
はい。
めちこ
えっと、めちこ、一応、実名じゃなくていいですか。
めちこと申します。
仕事は、何をしているか。
ウェブのディレクターとか、ライティングとかをメインにやっています。
はい。
えっと、仕事の形態は、夫の会社から業務委託で案件を受けているのと、
あと、昔から世話になっている方が1人いて、
めちこ
その人の会社に一応席を置いて、そこの仕事をしているというかたち。
半分、半分みたいなかたちで、自由にやっております。
近藤淳也
席を置いてというのは、社員さん?
めちこ
あ、一応、社員なんですけど、
もう、その会社がオールフルリモートっていうんですか。
オフィスもなくなっちゃったんで、基本的には家で仕事してます。
近藤淳也
なるほど。
じゃあ、2つの会社の仕事をやっているウェブの仕事のかたって感じですね。
めちこ
やれることは何でもやるみたいなかたをしてます。
近藤淳也
はいはいはい。
はい、そんなめちこさんですけど、
あのアンノウラジオ聞いていただいたことあるかもしれないですけど、
だいたい昔からさかのぼって、どんな人生を歩んできましたか?
めちこ
どっから話そうかなって感じですけど、
みなさんどこから話されてるんでしたっけ?
近藤淳也
いや、もう生まれた瞬間の方もいますよ。
それはいないか。
かなり幼少期の方も。
めちこ
結局、自分を作っていったのがどの辺が影響してるかみたいなのが大きいと思うんですけど。
近藤淳也
そっか。
めちこ
別に仕事に特化してる感じじゃないんですかね。
近藤淳也
うん、別に何でもいいです。
めちこ
人生。
うん。
近藤淳也
どちらですか?ご出身は。
めちこ
静岡です。
近藤淳也
静岡。
めちこ
静岡の清水。
清水。
近藤淳也
ちびまるこちゃんのところです。
ああ、サッカーの。
めちこ
そう、あそこです。
近藤淳也
はいはいはい。
めちこ
まさに、老後にいいですよ、あたかくて。
近藤淳也
富士山も見えるし、魚もおいしいし。
めちこ
ほんとに、のんびりしてて。
近藤淳也
東海道線も通ってるし。
いや、ほんとに、のんびりしてていいところです。
はいはい。
めちこ
はい。
清水で生まれて、清水で育って、18までいたんですけど、
私を作ったもの。
音楽がちっちゃい頃から好きでしたね。
近藤淳也
へえ。はいはい。
めちこ
あの、ポッドキャストのほうでも話してたんですけど、茶芸を聞いたりとか。
こう、自然に浴びてた音楽を楽しみながら、みたいな感じで。
ずっと音楽が好きで、何なんでしょうね。
もう、農耕ついたときには、東京出るって思ってたんですよ。
近藤淳也
あ、そうなんですね。
めちこ
ここじゃないっていう。
え、音楽好きになったら何歳ぐらいからですか?
10歳になるかならないかぐらい。
近藤淳也
じゃあ、小学校ぐらいから。
めちこ
うん。もう、聞こえてたのが楽しかったし、聞くのも好きだったし。
リハーサル的に聞いてたわけじゃないんですけど、
親が聞いてたりするものを自然と浴びて、それが楽しかったし、好きだったんでしょうね。
近藤淳也
はいはい。
めちこ
で、やっぱね、中学ぐらいからの頃ですかね。
音楽イコール芸能界、自分の中では、そういう認識があって、
それってやっぱ東京だよねっていう考えが単純にあって、
いずれは東京出るんだって、もう思ってたんですよ。
近藤淳也
あ、じゃあ音楽を仕事にするつもりだったっていう。
めちこ
そう、音楽業界のほう、音楽っていうか、芸能界のほうに行きたいって思ってたんですね。
近藤淳也
はいはい。
めちこ
でも、それってやっぱイコール東京だと思ってたから。
音楽業界というか、芸能界への憧れみたいなのだったのかな。
近藤淳也
それはなんですか、自分がもう、アーティストとして活躍するみたいなのではないの?
めちこ
そうではなく、たぶんスタッフというか、
そこの業界に関わりたかったっていう意識が一番大きかったと思うんですけど、
ただ自分が演者になるっていう意識というか野望みたいのは感じたことはなかったですね。
それでその、見た目がすごい良いわけでもないしとか、
人前で歌いたいとかそういうわけでもないしみたいな。
近藤淳也
見た目良いですけど。
めちこ
本当ですか?ありがとうございます。嬉しい。
近藤淳也
歌、でも音楽好きで、歌ったりはしなかったんですか?
歌ったり演奏したり。
めちこ
あー、それはね、でもやっぱね、演奏するのって、やっぱ好きみたいで演奏というか、
中学時代は吹奏楽部にいたんですよ。
近藤淳也
はいはい。
めちこ
ラッパ吹いてました。
近藤淳也
えー、何ですか?
めちこ
ラッパのニフォニアムっていう楽器があって、
ラッパも高い音から低音までベース、チューバーあるんですけど、
中音ぐらいの。
近藤淳也
えー、ユーフォニアム?
めちこ
ユーフォニアムっていう。
近藤淳也
うーん、どんな形だろう。
めちこ
チューバーって分かります?
近藤淳也
はいはい。
めちこ
チューバーの半分ぐらいのサイズのやつです。
近藤淳也
おー。
めちこ
そのまま半分ぐらいの。
近藤淳也
片つぶりみたいなやつですか?
めちこ
そうそうそうそう。
近藤淳也
なるほど。
めちこ
その、ただ、チューバーをやってた子が辞めちゃったから、
ユーフォーをやってた私がスライドしてチューバーをやらなきゃいけなくなって、
似てるから楽器が。
もっと低い音になっちゃうんですけど、
結構、私も別に体は大きいわけじゃないけど、
一人で、一人というか頑張ってチューバー吹いてました。
近藤淳也
えー、あのなんかこう、出口から手入れるやつ?
めちこ
あれはホルンです。
近藤淳也
あれホルン?
めちこ
あれはホルンです。
近藤淳也
違った。
すいません、いろいろ外した。
めちこ
ホルンはホルンで、鼻型でかっこいいんですけどね。
近藤淳也
へー。
めちこ
やっぱそれが、その、水素楽の活動はやっぱ楽しかったし、演奏すること自体。
近藤淳也
うーん。
めちこ
本当はもしかしたら、楽器の演奏する人とか向いてるのかもしれないんですけど。
めちこ
私は専門学校行って、一人だけ就職した子がいるけど、それ以外はみんな浪人か大学進学してるはずです。
近藤淳也
うーん。
めちこ
どうですかね?
まあそれが普通のあの高校だったんで。
近藤淳也
まあ新学校。
めちこ
そう、新学校ですから。
近藤淳也
はいはいはい。
めちこ
で、その後、その専門学校行こうって決めたのも、家の事情もちょっとあって、親が別れたりとかしてて、私は高校、在学中に。
なんかもうあんまりお金かけたくないみたいな、だったら国公立の大学行けよって話なんですけど、今思えば。
で、さっさと社会に出たかったっていうのも一つあって、で専門って2年だから、早く社会出れるなみたいな感じで、結局その選んだ専門学校も音楽業界用の専門学校あるんですよ。
に行って、試験とかなくて、もう学校は適当にこう推薦状みたいなの書いてくれて、それでもう決まっちゃったんですけど。
近藤淳也
行くと思えば入れるってこと?
めちこ
そうそうそう、誰でも入れるぐらい。
近藤淳也
何勉強したんですか?
めちこ
それはね、あの、そのコース、そのコースか、その専門学校も面白くて、いろんな部門があるんですよね。
放送のほうとか、音楽系のほうとか、舞台寄りとか、なんかジャンルがあるじゃないですか、その芸能界のほうにも。
私はその専門学校の音楽系のところに入って、その中のさらに、音楽業界の裏方さんの仕事のための知識とかを学ぶような音響専門学校ってところに行ったんです。
近藤淳也
そうなの?じゃあ、これ収録とかプロなんじゃないですか?
めちこ
いや、そっちじゃないです。
近藤淳也
そっちじゃないんですか、音響って言うけど違うんですか?
めちこ
うん、違います。
近藤淳也
何ですか?
めちこ
技術的なほうではなく、私は、あの、何だろう、もっと、あのね、パブリッシュ寄りというか出版寄り?音楽のライティングをするほう。
近藤淳也
ああ、そういうことですか。
めちこ
音楽の雑誌とか。
近藤淳也
ああ、そう、アーティストの活動を知ってもらうには、みたいなこと?
ああ、そうそうそうそう。
めちこ
マネジメントとか。だから、あの、著作権のこととかも一通りもうその時に勉強してるから、著作権っていうのがあってねとか、著作隣接権っていうのがあってねみたいなそういう。
まあその、音楽の仕事するってなると、やっぱり著作権とかは知ってなきゃいけないぐらいの当たり前のものなんで。
近藤淳也
まあね。
めちこ
そうそう。そういったところの知識を学びつつ。
ライティング志望だったから、いずれは音楽で文章を書いて食べていけばいいなと思ってたから、そういうライターのノウハウみたいなのを学びつつ。
だからその、仲が良かった先生とかは、あの、オリコンって雑誌分かります?ランキングです。
あれの初代の編集長の人がいたりとか、臨時で、臨時というか、非常勤で、結構すごい人たちがいてて。
近藤淳也
すごいじゃないですか。
めちこ
結構面白かったですよ。
近藤淳也
結構まっすぐ進んでますね。音楽が好きで。
めちこ
でしょ?
近藤淳也
はい。音楽の専門学校行って、ライティングで。
まっすぐ進んでたのに、ですよ。
どうなったの?
めちこ
そこです。
に、ただ、中で、いつのタイミングか、あ、オーディエンス側にいる方が楽しいって気づいちゃったんですよね、やっぱり。
裏方に入っちゃうより、その業界に実際入っちゃうより。
近藤淳也
音楽聴いてる側の方がってこと?
めちこ
一番その時は幸せだって気づいちゃって。
近藤淳也
専門学校が面白くなかったんですか?
めちこ
そんなことはなかったんですけどね。
一番遊んでた時期だと思うし、人生でも。
近藤淳也
そっち側に行くのが、ちょっとためらってしまった。
めちこ
せっかくその学校に行ったにも関わらず、辞めちゃったんですよね、途中で。
近藤淳也
あ、学校を辞めたんですか?
めちこ
じゃなくて、志がなくなっちゃったんですよね。
近藤淳也
就職しなかったってこと?
めちこ
そう。
で、実はただ、その専門学校に行ってた期間に、私はインターネット人間になったんですよ。
近藤淳也
出た?インターネット。
ちょうど2002年ぐらいなんですけど、
めちこ
PC持ってたから、ネットにつなぐのが楽しいし、
そこで発信することが楽しくなったんですね。
だからホームページ自分で独学絵作って、
HTMLとかCSSとかがりがり自分で書いて、手打ちして。
それが楽しくなっちゃったんですよね。
なるほど、なるほど。
近藤淳也
はてな創業の頃ですね。
めちこ
そう、まさにあの頃。
近藤淳也
はいはい、2001年。
めちこ
で、ほんと就活もしないで。
で、一応卒業したんだけど、じゃあどうする?って言って、
一回地元に帰って、地元のプロモーターで仕事したんですよ。
プロモーターってわかります?
近藤淳也
わかんない。
めちこ
あの、近藤さんMieの方ですよね。
サンデーフォークって聞いたことあります?
近藤淳也
わかんないです。
めちこ
あの、東海県、愛知とかMieとか、あと静岡あたりの工業、ライブとかを仕切ってる。
近藤淳也
そういう業者が地元にいるってことですか?
受け側で。
めちこ
あいますよ。
ていうか、どこにもいるんですよ、地域。
だから、その愛知のあたりを仕切ってるのがサンデーフォークっていう。
近藤淳也
仕切ってる。
めちこ
仕切ってる。
近藤淳也
縄張りみたいなのがあるんですか?
そう、ありますありますあります。
別に会場は独占ではないんですよね?契約的には。
めちこ
そうじゃなくてですね、工業を全部取り仕切ってくれるんですよ、そこに頼むと。
会場抑えるとか、チケット捌くとか、宣伝するとか。
未だにそのシステムは変わってないんですけど。
だから愛知とか、ほんとMieの方もそうだし、静岡の工業を取り仕切ってるのがサンデーフォークっていう会社があって。
一回地元帰って、そのサンデーフォークで仕事をし始めてるんですけど。
近藤淳也
じゃあ一応音楽業界、一応入ってるじゃないですか。
めちこ
一応入ったんですけど。
近藤淳也
専門の生きるところに。
めちこ
これね、悪口になっちゃうから言いたくないんですけど、入ったのはいいけど、20年ちょっと前の話ですよ。
まだまだ男尊女卑が強い、今でもそうなのか分かんないけど。
あの、労働基準なんとかとか全然合ってないようなもんだし、やっぱ芸能界ってそんなもんなんでしょうね。
近藤淳也
何があったんですか?
めちこ
いやまあ、仕事も大変だったし、女はあんまり人間としては使われないぐらいの。
男が偉くて当たり前みたいな業界だし、普通に酷い言葉を真正面から投げつけられたりしましたよ。
近藤淳也
そんなこと言うみたいな。
馬鹿野郎みたいなことですか?
めちこ
いや、もっと酷い、もっと酷い。
近藤淳也
一応言わないんですけど、ここでは。
めちこ
それくらいもう、なんか知らないけどね、男尊女卑がまかり通って、やっぱ業界的にそういうところがあるんでしょうけど、もしかしたら今改善してるかもしれないですよ。
近藤淳也
まあ変わってるでしょうけどね。
めちこ
まだ20年前は全然あって、それで。
で、私も私で、嫌だってなって、そういうのに、言語しないんで。
近藤淳也
嫌だって面白いな。いいっすね、正直で。
そうそう、結構正直なんですよ。
めちこ
で、やめて、何ヶ月かいたんですけど、やっぱめっちゃあって。
で、その後ね、やっぱ、結局じゃあ何がやれるかな、やりたいかなって思った時に、ネットだよって思ったんですよ。
近藤淳也
なるほどね。
めちこ
趣味レベルだったけど、独学レベルだったけど、自分が一番フィットするんだろうって分かってたんですよ、そこが、インターネット業界が。
まだ当時って、信仰のベンチャーとか出てきてるような時代だったじゃないですか、あの頃。
で、適当にこう、求人サイト見て。
適当に求人サイト。
近藤淳也
渋谷の、当時あれですよ、まだガラ系の時代で、公式サイトとかがあるような時代の、その公式サイトの運用のバイト募集みたいなのが出てて。
人足りてなかったと思うわ。
めちこ
そう、あの頃です。
近藤淳也
経験者とかいないし。
めちこ
そう、経験者いないから、そう。
近藤淳也
全員がプロみたいな、プロっていうかね、同じスタートラインって感じですよね。
めちこ
そうそう、同じスタートライン、そうそうそうそう。
だから、私、全然経験とかないけど、もうここだと思って応募して、趣味でホームページとか作ってましたとか言って。
めちこ
で、一応音楽の専門学校とか出てるんで、一応そういう方の知識ありますぐらいだったけど。
でも、ああいう時って結局、愛情なんでしょうね、採用する方って。
気に入ってもらえて、私のその、実績なんてないに等しいから、私のそういう人柄みたいなのを気に入ってもらえて。
その時入ったモバイルの部署が、私以外みんな男の子だったけど、若い、同い年ぐらいの。
でも、仲良くやってましたよ。
近藤淳也
その時何歳ですか?
めちこ
21とか。
近藤淳也
若っ。
ちなみにどんな格好してたんですか?
めちこ
私、全然覚えてないんですけど、この間、私の仕事の仲間の陽子さんとやってるポッドキャストの方で、あの当時の私どうだったっていう話をしたら、ギャルだったよねって言われて。全然覚えてない。
近藤淳也
ギャルですか?
めちこ
ギャルって言われて、全然記憶がない。
近藤淳也
全然驚かないですけど、ちなみに髪の毛の色はどんな色だったんですか?
めちこ
あの頃でも、今みたいな奇抜な色はしてないんですよ。
近藤淳也
そうなんですね。
めちこ
ちょっと明るく、でもだいぶ明るかったと思いますけど。
近藤淳也
茶色ぐらい?
めちこ
うん、明るい茶色。
近藤淳也
あ、じゃあ今のほうが。
めちこ
今のほうが全然気持ちいいですよ。
近藤淳也
さらに色が。
めちこ
今はだってシルバーと緑ですからね、今日は。
近藤淳也
シルバーとね、しかも2色染め?
めちこ
そうそう。これフレーミングカラーって言うんですけど、この輪郭。
近藤淳也
縦髪みたいなもんですか?
めちこ
そうそう。これちょっとやっていいですかって言われたから、いいよって言って入れてもらいました。
近藤淳也
会うたびに色変わってますもんね。
めちこ
楽しくないですか?
近藤淳也
面白いですよ。今回何色で来るかなって思ってますからね、最近。
めちこ
自分も楽しいし、そうやって楽しんでもらえるならいいですよ。
近藤淳也
そうかそうか。じゃあそれに比べたら大人しい色だけどギャルだったと。
めちこ
ギャルだったらしいです。
じゃあギャルが来た、男しかいない職場にギャルが来たぞって。
なるほど、どっかで聞いたような話が。
本当ですか?
近藤淳也
いや、ハテナもそういうことがあって、前に。
めちこ
そうなの?
近藤淳也
はい。そういう出会いがあった。
まあまあ、それはそれで。
めちこ
その私が入った会社が、当時南平台の会社だったから、近くにハテナさんがあって、だから近くにいたんですよ。
近藤淳也
ですよね。
めちこ
そうです。
近藤淳也
その時八山だったんで、もうすぐ、1キロもないですね。
うん、もうご近所ぐらいの感じだったと思います。
めちこ
もしかしたらね、ハテナに応募してた可能性がありましたけどね、当時募集してたらね、何かね。
近藤淳也
本当ですね。え、2000何年ですか?それ。
めちこ
2001、あ、2。
近藤淳也
2002年?
めちこ
あ、ごめん、3。3でした。
近藤淳也
2003年に、あれ?2004年に渋谷に行ったのかな?
めちこ
あれ?本当に?
近藤淳也
2003年か。そのぐらいですもんね。
めちこ
ちょうど2003年。
近藤淳也
じゃあ、結構かぶってますね。
めちこ
そうです。
近藤淳也
じゃあ、ご近所さんで。
めちこ
そう、ご近所さんだったんですよ、実は。
で、そこでしばらく、モバイルの公式サイトのお手伝いをしてたんだけど、
やがて、着歌が流行り始めた時代に、着歌のサイトを任されて、その音楽の知識もあるから、
あと、モバイルサイトって、HTMLちょっとわかっていれば作れるみたいなところありましたから、自分でもサイトを作って。
近藤淳也
でも、AUとなんとかでって言って、ちょっと絵文字が違ったりとかして、大変じゃなかったですか?
めちこ
そう、それもやってた。
近藤淳也
それぞれ手でやってた?
めちこ
うん、やってたやってた。
近藤淳也
僕はプログラムで絵文字コンバーターみたいなの作ってました。
めちこ
あー、ありましたね。
近藤淳也
どこでもいいですけど。
めちこ
あったあった。
近藤淳也
ちょっとモバイルサイト作る仕事があって。
めちこ
うんうん、あの頃です。
近藤淳也
ねえ、大変でしたね。
めちこ
サインキャリア、別でページ作ってたっけかな?
多分コンバーター的なシステム入れてた気がするけど、
1枚のページで済むようにとかやってたはずですけど、もう覚えてないな。
でも、ちゃんとそう、絵文字ここに入れてみたいなこと、手打ちで作ってましたよ。
近藤淳也
着歌売ってたんですね。
めちこ
着歌売ってた。
近藤淳也
どれくらい売ったんですか?
めちこ
いや、私でも売る方ではないから、あれ、歌を売るというより、
当時公式サイトって、月月空課金で続けてもらうのが一番おいしかった時代なんで、
ユーザー何千人とかしかいなかったけど、登録してもらってなんぼ?
だいたい会場を忘れるんで、みんな。
それを狙うっていう。
近藤淳也
でね、キャリアの課金でチャリンチャリンと落ちていくっていう。
めちこ
そうそうそうそう、あの時代です。
近藤淳也
めっちゃいっぱいなかったですか?着歌サイト。
めちこ
めっちゃいっぱいありましたよ。
近藤淳也
何個くらいあったんやろ、あの頃。
めちこ
めちゃめちゃあった。
だから、私が作ってたのは、バッタモンみたいなサイトですから、
別に公式じゃないから、本物の歌売れないんですよ。
扱えないから。
近藤淳也
あ、そうなんですか。
めちこ
そう、だからカバー局みたいなやつ。
近藤淳也
ああ、大元のオリジナルじゃなくて。
めちこ
オリジナルは扱えないから。
近藤淳也
カラオケ屋さんみたいな感じですか?
そうそうそうそう。
それなら売っていいんですか?
めちこ
そう、売っていいっていう、そういうのがあったんですよ。
近藤淳也
あ、じゃあ収録とかからやってたってこと?
めちこ
収録は、やってるか、その本業作ってる箇所は別にあって、そこと提携して、みたいな。
近藤淳也
じゃあ、それを買ってきて。
めちこ
そうそうそうそう。
近藤淳也
のディレクションをやってたってことですか?
めちこ
ディレクションと、ページも作ってっていうのをやってましたね。
更新してとか、やってたやってた。
近藤淳也
どうですか?面白かったですか?
めちこ
まあ、楽しかったですよ。
それをやってたんだが、
近藤淳也
うちの会社がですね、モバイルの部署が譲渡されちゃったんですよ。
なかなか動き激しいですね。
バッタも売ってて、譲渡されて、売られたってことですね。
めちこ
モバイル事業が、私当時サイバーエージェント系のその会社にいたんですけど、
サイバーのCAモバイルっていうモバイル系の会社に、事業ごと譲渡されちゃったんですね。
で、私はそのCAモバイルの方に行かないで、
近藤淳也
行かなかったんですか?
めちこ
そう、会社に残って、じゃあ次何しようってなった時に。
近藤淳也
なんで行かなかったんですか?
めちこ
え、でもほとんど行かなかったな。
近藤淳也
セルリアンタワーに行けたんじゃないですか?
セルリアンタワーに移動できたんじゃないですか?
めちこ
いやー、行きたいと思わなかったんですよね。
今の会社の、そのモバイル以外の部署の人とかも仲良かったし。
この会社にいたいっていうのがあったから。
近藤淳也
そっちの会社は出さない方がいいんですか?
めちこ
ん?
近藤淳也
そっちの会社は出さない方がいいんですか?
めちこ
出さない?
近藤淳也
名前は。
めちこ
あー、あの当時、私が入った時はアクシブ.コムっていう会社で、
その後株式会社ECナビになりました。
近藤淳也
うさみさんの。
めちこ
そうそう、うさみさんの。
今はボヤージュグループ、あとなんか。
近藤淳也
カル、カルタ?
めちこ
そうそうそうそう、今ね電通系になってるんですよ。
近藤淳也
そうですね。
めちこ
すごーいってなって。
見てるだけですけど、私はそこには思いませんけど、うさみさんのとこです。
近藤淳也
じゃあ、そこの会社のみんなが結構よく好きで。
めちこ
そうそう、仲良かった。
はてなさんもそうだったと思うんですけど、みんな若いし、当時ね。
若くなかったですか?
近藤淳也
まあ、若かったですね。
めちこ
でね、仲良くやってたんですよね。
事業部とか部署違っても、わきあいあいというか。
あの頃、なんかあの頃のベンチャーって、大学のサークルの延長戦みたいな、それぐらいのノリとかなかったですか?
確かにな。
近藤淳也
20代、社長が20代とかですもんね。
めちこ
そうですよ。だって、近藤さんもそうだったでしょ。
近藤淳也
そうですね。その時はまだ20代ですよね。
めちこ
で、うさみさんも30手前とかだったと思うし。
あれ、ちょっと、ちょっと行ってたか。
で、まあこれは余談なんですけど、だから旦那と出会ったのもその会社で。
近藤淳也
おお。
めちこ
そうそうそうそう。
近藤淳也
余談じゃなくて本題にしてくれてます。
めちこ
そう、本題です。
私が入った時に、二次市で入った時、彼営業3人いて、30ぐらいでしたけど。
近藤淳也
そこら辺の年代の人がぐちゃーっているから、社内婚とかめちゃくちゃ多くて。
え、じゃあ10歳ぐらい違うってこと?
めちこ
あ、そうですそうです。
9上です。だから近藤さんより年上ですよ、旦那。
へー。はい。で、向こうから声がかかったんですか?
あの、これも多分あるあるだ、当時ある、今よりあるあるだったと思うんですけど、
タバコ吸ってたんですね、お互いに。
喫煙所に行くと、自分と違う部署の人とやっぱ会うじゃないですか。
そのコミュニケーション結構楽しくて。
で、そこで会って、なんか趣味があったから、息とおごうって感じですかね。
音楽の話とか。
近藤淳也
はいはい。えー。
めちこ
えー。
近藤淳也
じゃあ喫煙所からね。
めちこ
そうですそうです。
近藤淳也
仲が深まって。
めちこ
いやー、あの頃よく会った気がする。
同じ部署というより、喫煙所とかでのコミュニケーションが発展みたいなのがあったと思います。
なるほど。
近藤淳也
じゃあ半量見つかって。
そうそうそうそう。長いね、もう20年ぐらいとか一緒にいますから、長い。
そうか、すごいですね。
近藤淳也
続いてるなと思いますけど。
えー、で、どうなったんですか?仕事は。
めちこ
あー、そうだ。それで。
めちこ
こんなこと言ったらちょっと怒られちゃうかもしれないけど、多分最終的には中瀬飛ばだったんですけど。
近藤淳也
なんか、2台、3台プラットフォームみたいな感じですかね。
めちこ
あ、そうです、そうです、グリーとモバゲート。
まあ、ミクシートとかですか。
ミクシートと、そう。
近藤淳也
大きかったんですかね。
やってた、やってたんですけど、結局あれもなんて言うんですか、パイの食い合いというか。
めちこ
もういかにそのゲームのランキングの上にいって、ユーザーを獲得して、その、何、ガチャとかいう。
モバコイン買ってもらうかみたいな、そういうところだったんですけど。
なんかIT系の集まりとかに行くと、近藤さんなんでやらないんですか、みたいな感じでした。
近藤さんとかもやったら面白いの作れると思いますよとか言われて。
あんまり興味なかったですか。
近藤淳也
いや、興味っていうか、だからゲームってどうやって作ればいいか、あんまりしないんで、全然わかんなかったですね。
めちこ
別に無理にやる必要なかったと思いますけど。
近藤淳也
だからまあそれでよかったと思いますけど、なんでしょう、そんな誰でも簡単だよって感じで言うから、そうなのかって思ってましたけどね。
めちこ
じゃあやっぱバブルでしたよね、あれは。
近藤淳也
ですかね。
めちこ
だったと思う。
近藤淳也
実際何千億の市場はできたと思いますけどね。
それは元々のゲーム業界だったのかもしれないですけど、今だって、今だってそのゲームの、そのスマホのゲームの売り上げ全部足したらすごい額ですもんね。
めちこ
それが今の、その流れが今のスマホのさ、なんて言うんですか、ゲーム。
近藤淳也
そし上げじゃ言わないですよね。
ソーシャル要素がもうあんまりないし。
めちこ
そうなの、ほぼない、そうそう、あのガシャガシャいっぱいあるゲーム。
スマホのゲームは私あんまりないんですけど、つながってるんだと思うんですけど。
でね、結局やっぱその授業もな、数飛ばずで、私も別に数字とか見てたわけじゃないんですけど、
あー息苦しいなと思ってた頃に、ちょうど東日本大震災が起こった。あの時。
で、やめよって思ったんですよ。
地震で?
結構ちゃんと仕事してたんですね、それまで。
2003年に入社して、2011年まで、8年とかですか。
8年か、はい。
近藤淳也
毎日ちゃんと会社に通って。
めちこ
通って。
近藤淳也
遅刻もせずに。
めちこ
遅刻もせずに、10時とか、9時とかまで。
近藤淳也
髪の毛の色もまだ。
めちこ
髪の毛の色もまだ、少し変えつつ、仕事はちゃんとしてたんで。
近藤淳也
はい、スーツは着てないですね。
めちこ
うんうん、そうなんです、全然自服だったけど。
でね、その、あの地震が来た時に渋谷にいたんですけど、あ、死ぬって思ったんですよ。結構揺れたから。
あの時どこにいました?
近藤淳也
京都です。
めちこ
あ、京都にいたのか。
近藤淳也
ん?
めちこ
もう京都に。
近藤淳也
あ、京都ですね、はい。
めちこ
結構揺れたんですよ、渋谷。
はいはい。
その、耐震構造だったからっていうのもあるんでしょうけど、結構揺れて、あ、死ぬって思った時に、まあ、死ななかったですけど、
あれを経験した時に、あ、明日死んでもおかしくないんだ、何かでっていう、ちょっと意識が切り替わって、
だったら、こんな毎日仕事ばっかしてるの、ちょっと馬鹿らしくない?ってなったんですよね。
ほんと、あんまり自分のことに時間使えてなかったし。
近藤淳也
何歳ですか、その時。
めちこ
その頃、2008年、あれじゃない、2011年か。
うん。
え?2011年。
2003年から何年後?8年後?
近藤淳也
8年後。
めちこ
8年後、30手前ぐらいですか。
近藤淳也
あ、まだ20代。
うん。
めちこ
でも、すっごいみっちり仕事してた時期があったので、ちょっともう、緩めてよくない?って思って、
6月ぐらいにやめたんですよ、その後。
やめますって。
近藤淳也
何て言ってやめたんですか。
めちこ
えっと、なんかこの事業部も、ゆまいちっぽいですし、私ちょっともう生き方変えたいと思うんで、やめますって。
近藤淳也
領収してくれたんですか。
めちこ
してもらいました。
近藤淳也
意味わからんのにならなかったですか。
めちこ
なかなかあったです。
近藤淳也
次の仕事もないのにって。
めちこ
うん。なかなかあったです。
で、実は、その時の、その掃除上げの実際会社、会社内にあったんですけど、
その人が今の私のいる会社の社長なんですよ。
近藤淳也
あ、そうなんですね。
めちこ
で、私がすごいかわいがってくれていて、
で、その、もう今この会社しんどいですよね、みたいな話を私がして、
あ、まあ実はそうなんだよね、っていうような話もしつつ、
ちょっと私はお荷物なんで、そろそろやめますね、とか言って、やめたんですけど、
それは2011か。
で、結局その頃に、その後ですけど、その社長もう独立しちゃって、自分で会社やるって言って、
それで声かけられて、今まで一緒にやってるんですけど。
近藤淳也
あ、そっか。じゃあ長いですね、結構。
めちこ
長いです。もうずーっと、まあその時からの付き合いなんで。
で、その頃に、旦那も旦那で独立というか、会社を辞めまして、自分でちっちゃいウェブコンサル的な。
近藤淳也
もう結婚してたってことですか?
めちこ
あ、もうしてました。
近藤淳也
じゃあもう会社にいるときに、社内結婚。
めちこ
あ、してました、しました。
で、旦那も旦那で、自分で小さい会社を立ち上げて、ちょうどみんながこう、解散みたいなところです。それぞれの。
だからその旦那の会社で、私は業務委託するようになって、そのもともと私がお世話になってた人の会社に、とりあえず席を置いてるみたいな感じで、そこで始まった感じですね、今の生き方というか。
なるほど。じゃあ結構、あれなんですね。めち子さんって意外と長くやりますね、一個のこと。
あ、でもやってる仕事は様々なんですよ。
ですけど、意外と最初に行った渋谷の会社に8年いるし、その次の会社の仕事を今もやってるわけじゃないですか。
近藤淳也
なんかすごいあちこち行ってそうなイメージですけど、意外とその。
めちこ
あちこちは開拓してないだけですね、別に。
近藤淳也
なんか長いんやなと思って。だからそっから2011だったら12年間今の仕事を続けてるってことですよね。
めちこ
そうですそうです。
近藤淳也
そうなんですね。
めちこ
ただ、案件がどんどん変わっていくから、いろんなことやってるっていう感覚なんですよね。
近藤淳也
それはそうですけど、その人の繋がりみたいなところでそんなにコロコロ変わってない印象を受けたんで。
変わってないです、変わってないです。
だから最初の渋谷の会社の人付き合いが、いまだに続いているってことでしょ。すごいですね。
めちこ
本当ですか?
近藤淳也
はい。ちょっと羨ましいです。
めちこ
そうですか?
近藤淳也
はい。いろいろあったんだなって。
めちこ
いろいろあったな。
近藤淳也
かっこ遠い目みたいな。
近藤淳也
なんかもっと違う出会いを求める時とか、若い時だったらあったりとかもあると思うし。
めちこ
それしなかったですね。
近藤淳也
なんか割とここでいいやみたいな感じで、ずっと続いてるんだなと思って。
ずっと続いてる。
それはあれですか、気が合うなと思ったらもうずっとそこにいたいっていう気持ちが強い?
めちこ
いや、帰る必要ないよねみたいな感じ。仲いいしみたいな。
近藤淳也
いやなんか世界は広いじゃないですか。
広い広い。
めちこ
何十億人もいて。
近藤淳也
いるいるいる。
もっとなんか気の合う人がいるかもとか、もっと一緒にいたら面白い人いるかもとかちょっと思っちゃったりしません?
めちこ
思う時もありますけど、多分そういう時は私結構流れに任せるので、そういう人に出会う時は出会うんだろうぐらいの感じでいます。
近藤淳也
あえて自分から環境をガラッと変えたりとかあんまり。
めちこ
あんまりしないですね。
近藤淳也
そうか、なるほどね。そういうとこが落ち着くのかもしれないですね。
なんか一緒にいて落ち着くなって思うし。
本当ですか。
なんかゆっくり話してくれるじゃないですか。たっぷり時間とっていつも。
なんかそういうのとかがすごい嬉しいなって思うんですけど、
必ずしもそうできるわけじゃないんで、誰とも。
めちこ
そうなんだ。
近藤淳也
まあそうじゃないですか、なんか忙しい人も多いし。
めちこ
そうですね。
近藤淳也
はい、なるほど。
めちこ
あんまり私、仕事とか趣味とかは、近藤さんもそうかもしれないんですけど、区別というか1000匹余していなくて。
5円はでもその代わりいっぱいあるんですよ。
やっぱX、ツイッターの時代だったんでしばらく。Xに繋がった人めちゃめちゃいっぱいいて。
近藤淳也
会ったりもします?
めちこ
しますよ。別に仕事に繋がらなくてもいいんですよ。ただ繋がってることが大事っていうか。
年に数回とかしか話さなくても。最近どうみたいな。
結局、カッパさんもそうです。同じじゃないですか。ちょっといきなりカッパさんの話し始めちゃったけど。
近藤淳也
カッパさんっていうのは、今一緒にポッドキャストをやってる相方さんですね。
めちこ
相方さんです。で、もう出会ったんだから2005年とか?さんをついて出会ったけど。
それがびっくりですけど。
繋いでいただいたんです、5円を。一回繋がったら、私はそこで切ることはしないんですよ。
その気がないというか、5円は。ずっと生きてるイメージがあって。
だから、自分の中では固定した人の中で生きてるというよりは、いろんな人との繋がりは実はいっぱいあるんだよっていう意識はあるんですけど。
ちょっと広がってるよっていうイメージはあって。
仕事面じゃないけど、本当カッパさんとポッドキャストやり始めたことで、ここ1年でものすごい広がったと思ってるんで。
それはなんか楽しんでますけどね。
結局その中から、ちょっと仕事に近いようなお話とかが出てくる可能性とかも全然あるから。
近藤淳也
そうですよね。
その円は別に切れてないっていうか、繋がってる感覚っていうのは、誰に対してもそうですか?
めちこ
うん、誰に対しても基本的にそうです。
どんな人でも?嫌な人でも?
切れる円も全然あると思っていて、向こうが、向こうがというか、相手の方がさっといなくなったら、あそこまでだったんですね、ぐらいの感覚です。
近藤淳也
そういう感じなんだ。
めち子さんから切ることがないってこと?
めちこ
ないですね。
基本的にはない。
切ろうと思わないです。それが本当ツイッター一つで繋がってるもんだとしても。
近藤淳也
それ、そういうふうな円の感覚あるってことですね。
めちこ
ありますあります。
近藤淳也
なんとなく繋がってるんだっていう。
そういう感覚なんだ。
じゃあそれがどんどん増えてるから、利益はどんどんあるよっていう感じですね。
めちこ
そう、自分の中では固定されてる人の中にいる感覚ではないんですよね。
なるほど、そう言われてみれば確かになんで入れ替える必要があるんだって気になってきたけど。
近藤淳也
なんでしょうね、リセットしたがる人もいますよね。
めちこ
いると思いますよ。
それはなんなんでしょうね。
たまたま私は本当に若い頃から人に恵まれてたんですよ。
旦那にしろ、私の今の会社の人にしろ、
私って結構自分がやりたいようにしたいんだよねっていうわがままな素質があるっていうのはわかっていて、
うちの旦那さんもうちの会社の社長も共通していることは、私を好きにさせてくれるんですよ。
近藤淳也
なるほどね。
めちこ
こうしなきゃいけないとか。
近藤淳也
めちこさんがあんまり無理してないから、そのまま続けられるのかもしれないですね。
めちこ
そうなんですよ。
近藤淳也
ここにいる自分っていうのが、もう無理になったら捨てるしかなくなるだろうけど。
めちこ
そう、離れちゃうかもしれないですけど、私のスタンス、スタイル、生き方、その中で仕事してくれればいいよっていうやり方をしてくれるので、両方とも。
だから私がすごく生きやすいんです。
近藤淳也
さっきのいきなり辞めますって言い出したりとか。
割と自分をちゃんと大事にされてるっていうか、自分はあんまり偽ってない感じがありましたよね。
めちこ
偽れないんですよね。
近藤淳也
それがいいんでしょうね。
たぶん。
だからずっと付き合えるんでしょうね。
その状態で付き合ってた人と。
めちこ
そうだと思います。私はもうそういうものだってわかってるから、どっちもね。
その中で私のスタイルで仕事してくれればいいよっていう人たちとしかいないから。
近藤淳也
なるほど。
めちこ
そうそうそうそう。
近藤淳也
そうか、それちょっとヒントだな。
めちこ
私がだからフリーダムすぎて扱いわからんっていう人はたぶん一緒にやれないんですよね。
近藤淳也
フリーダムすぎるって自分でもそうは思ってるんですよ。
めちこ
わかってます。
近藤淳也
それは会社とかにいても感じます?
めちこ
普通の会社にいれないんですよ。
もう新緑って。
近藤淳也
普通の会社ってその。
硬い。
めちこ
いた会社違うんですか?
いるかったですからね、やっぱIT系なんで。
近藤淳也
若いIT企業だったから許されたってこと?
めちこ
そうそうそう。
近藤淳也
例えばどのとこがフリーなんですか?
めちこ
ん?
近藤淳也
ん?って。
めちこ
そのスタイル的なところとか。
近藤淳也
服装とか?
めちこ
服装とか髪型もそうだし。
でもその会社にいたときは一応ちゃんとね、9時半に行って何時までっていう働き方をしてたんですけど、
もうそれができなかったんですよね。
近藤淳也
毎日9時半に行くのが。
めちこ
そう、もうきつくなっちゃって。
もう電車に乗りたくないって思ったから。
近藤淳也
なるほど。
めちこ
今最高なんですよ。
家で自分のやりたいときにやればいいから仕事。
近藤淳也
すっごい遅い時間にオンラインになってますもんね。
なんか5時とか。
めちこ
やってたりしますよ。
近藤淳也
やってたりしません?ですよね。
めちこ
あと仕事自体は嫌いじゃないから、
アンキーン来たらもう土日編集でやるよみたいなことも平気でするんで。
近藤淳也
別にやる気がないんじゃないけど。
肩にはめられるのがちょっとっていう。
めちこ
そうそう、ほんとまさにそれで。
近藤淳也
会社員向いてな。
めちこ
そう、向いてないです。
近藤淳也
僕もそうかもですけど。
めちこ
だからそのね、経営者さんとかやられてるんだと思うんですけど。
マジで会社員向いてないし、
それ分かってる人とだから一緒にずっといられるんですよね、これまで。
近藤淳也
なるほどな。
でも、何でしょうね、辞めるときの収入の不安とか、
いろいろ考えて、やっぱりちょっとそうは言っても続けなきゃなとか、
合わせなきゃなみたいな人も多いと思うんですけど。
そこは全然気にしない方ですか?
めちこ
お稼ぎをしようという頭がそもそもないので、
私はそこ欲がほんと自分でもないなと思うんですけど。
とりあえず生活できるレベルで稼げていけば何とかなるだろうっていう。
近藤淳也
お金に特にそんなに執着はない。
めちこ
しないですね。
近藤淳也
でもIT業界って言ったら結構儲かり話みたいなのとか多そうじゃないですか。
ありそうですね。
あそこに転職すると給料が2倍になるぞとか。
2倍はないか。
めちこ
でもありましたよね、当時やっぱ。
近藤淳也
1.5倍になるぞとか。
めちこ
いかに自分の価値を。
でもやっぱその、IT業界もこういう時代だったから、
いかにこう自分のね、いいギャラをくれるとこに転職してみたいな、
キャリアアップみたいなの全然ありましたよね、当時。
今もあるのか分かんないけど。
近藤淳也
あるんじゃないですかね。
そうですよね。
今だったらね、AI系行くと給料がいいらしいとかなんかあるんじゃないですか。
めちこ
それよりも自分のスタイルの中で自分でやりたい仕事をしてる方が幸せなので、
お金が云々よりも。
あんまこだわんなかったですね。
近藤淳也
その辺はじゃあ、分かってるというか、
自分の中ではこれが幸せってのは分かってたからってことですかね。
めちこ
そう、自分の幸せを本当に分かってたんだと思います、私は。
近藤淳也
それがその20代とかで悟ってるっていうか、すごいなって思うけど。
何なんですか、それは。
めちこ
何なんでしょうね、分かんない。
近藤淳也
お金欲しいじゃないですか。
めちこ
欲しいと思わなかったんですよね。
近藤淳也
今も?
めちこ
今は別に生きていければいいかなぐらいで、
ただやっぱ多少ね、老化しはあんなんで、多少また加えたいなと思ったんですけど。
まあそれも生きれていけばっていうか、ちゃんと生きれるぐらいであればってこと。
近藤淳也
なるほどな。
お金ね、本当。
めちこ
近藤さんも稼いじゃったと思いますけど。
近藤淳也
会社って本当難しい。
真面目にやるのは、利益を最大化するのが真面目に仕事することだみたいなとこが、
めちこ
ほっとくとなりがちなんで。
近藤淳也
逆にそうすると面白さがどんどん失われていくんで。
そこまでしてお金なの?ってなるときはあります。
利益出ないと続かないよねってのはもちろんあるんで。
もちろん。
利益は出たほうがいいと思うんですけど、楽しさを犠牲にしてまで利益をちょっと増やすほうがいいのかなっていうのはちょっと。
めちこ
そこのバランスですよね。
近藤さんも遊びの延長みたいなところがあると思うんで。
楽しくてなんぼとか。
どうせ死ぬしなーみたいな。
今なんですよ。今楽しいのが私すごい大事で。
近藤淳也
楽しくないのはなーみたいなのがあるんで。
めちこ
遊びも仕事も今楽しいのが大事っていうか。
ただそれはもう他の人から見ると何なんだあいつはって。
真面目にやれみたいな目で見られてるときもあるのかなって。
真面目の定義がちょっと違ったりするんですよね。
何を大事にして生きてるかっていうところが。
近藤淳也
こういうね仕事の時間帯、平日の昼間にこうやってめじこさんとおしゃべりしてるけど。
これ遊びなのか仕事なのかって。
楽しいからいいじゃんねみたいな感じなんですけど私は。
それでいくら儲かったって言われたらね、そんな簡単に数字にできないですけど。
意味もあると思ってるし、だけど別にお金の儲かるからやってるわけでもない。
別にそれを目標にしてやってるわけじゃないし。
そうなんですよね。そういうのは難しいな。
会社やっていくっていう中でも思います。
めちこ
経営者の方は特に直面しがちだと思う。
近藤淳也
止めれないんですよ、勢いが。
利益をとにかく最大化しようみたいな感じで動き出した組織を。
いや面白さもちょっと入れていこうぜみたいな。
めちこ
どうやってやったら逆にもう走り出すと止まらないみたいなところがある気がして。
僕も悩みがある。
めちこ
でも利益最優先、なりがちやなとは思います。
みじこさんはなかなか自分のこと分かってるっていう強さがあるんだな。
近藤淳也
そうだと思います。
若い頃からね。すごい成熟してるっていうか、たぶん子供の頃から。
なんでそうだったんでしょうね。
自分のこと分かってて無理がないから。
無理はしたくない。
周りの人と自然な関係がずっと続いてるなと思うんですけど。
めちこ
そうですね。
近藤淳也
無理がないで言ったら、地震との付き合いはどうなんですか?
地震?
地球さんとの付き合いの中でも思ったわけでしょ、それは。
地球たまに揺れるから。
めちこ
あれは地球に対してというより、人生を見直す機会になったというか、生き方を見直す機会になったんです。
今、明日死ぬかもしれないなら、毎日をもっと自分が楽しくというか充実というかした方が良くないっていう。
近藤淳也
その感覚はあんまり変わらないってことですか?
めちこ
変わらない。
近藤淳也
地震後?
めちこ
うん。そこで変えたからパキッと。
近藤淳也
自分の中でもそのままずっとそうなんですね。
めちこ
ずっとそうですね。
近藤淳也
いろいろあったじゃないですか。
例えば、もう東京にはいられないって言って関西に引っ越してきた会社とか、
人、個人で引っ越してきた人とかも結構いたと思うんですけど、その人の中では戻ってる人とかもいると思うんですよね。
めちこ
なるほど、なるほど。
近藤淳也
それはちょっとだからやりすぎたかなっていう感じなのかなって思ったりもするんですけど、
それはもう全然変わったままのテンションでずっと変わってるっていう。
めちこ
そうです。変わったまま。
その、地震を経て東京離れようと思えなかったのは、別に離れたらよかったんですけど、
もうすでにその時に私がいるコミュニティがそこにあっちゃったんですよね。
今の会社の社長とか旦那もいるし、付き合いのある人たちもいるから、
こうあえて抜けようという感じはなかったんですけど。
近藤淳也
なるほどね。やっぱりそういう人の縁がすごい大事にされるんですね。
めちこ
いや、大事にするっていうか、もうそこにいるのが当たり前ぐらいの感じなんですよ。
近藤淳也
でも、そこにいるっていうののそこっていうのを何に感じてるかって人によって結構違うと思うんですよ。
それが結構会社がメインの人がいたりすると思うし、
めちこ
地域だったりする人もいると思うんですよね。
近藤淳也
そこって何に一番自分のこの、なんていうかな。
めちこ
友達?仲間?みたいな感じ?
会社軸というよりは。
私が席を置いてる会社の社長は、うちの会社の経営者というより友達っていう感覚。
近藤淳也
友達ってちょっと失礼に聞こえちゃうかもしれないけど。
でも要は人間として付き合ってるってことですよね。
そうですそうです。
お金もらってるから付き合ってるんじゃなくて。
めちこ
さっきも言ったけど、ちょっともう家族ぐらいの感じです。
近藤淳也
いいな。
めちこ
本当ですか?
近藤淳也
いいんじゃないですかね。それは豊かじゃないですか。
周りに一緒に生きてるって思える仲間が何人かいてっていうのは、すごい僕は幸せなことだと思います。
めちこ
多分幸せなんだと思います。
自分がそこにはまれてることがまず幸せだなと思います。
こんな結構ちょっと奇抜でわがままなんだけど。
奇抜?そう思ってんだ。
だと思ってるんですけど。
そんなお前がいいんだよって言って受け入れてくれるコミュニティが小さいけどある。
うちの会社の社長とか、あと一緒に働いてる洋子さんとか、うちの旦那とか、
あとその周りでちょっと関わる人たちの中では、
私は今のままでいいっていう。
働いてくれてればいいよっていう。
そこを一員として構成しているっていう。
小さいけどすごい強いコミュニティがあって。
そこにずっといるっていうだけですね。
近藤淳也
なるほどね。よかったですね。
めちこ
ポートキャストを始めたのが、1年ちょっと前、カッパさんと始めて、
ほんとあれしかやってなかったし、私それは編集してないから、
おしゃべりすればいいだけだから、
自分の生活の中であんまり締めてなかったんですけど、
この春、リッスンさんに登録した後に、
ポートキャストの、自分もソロのやつを作ったし、
ちょっと増やしたりとかして、新しいものを始めたりとかして、
自分の生活の中で、これまで締めてたポートキャストの容量じゃないですけど、
あれがすごい増えちゃったんですね。
近藤淳也
前回お話し聞いたときは、まだ一人のやつを始めたぐらい。
めちこ
そうですね。
近藤淳也
だったんですよね。で、さらに今は横友。
めちこ
そう、横友とかも始めて。楽しいからやってるんですけど。
近藤淳也
その陽子さんとのポートキャスト番組も今始まってますからね。
3番組やってる。
めちこ
そう、主に動かしてるのが3番組で。
楽しいんですよ。楽しいことやりたいから。
近藤淳也
だいぶハマってますね。
めちこ
楽しい。
近藤淳也
ポートキャスト楽しいですか?
うん、楽しいし。
何が楽しいんですか?そんなに。
めちこ
大変に編集作業も楽しいし、やっぱりリッスンさんを通して、やっぱご縁すごく広がっちゃったんで、
その人たちとのやりとりじゃないですけど、そういうのも楽しいわけですよ。
コミュニティあるじゃないですか、リッスンさんにも。
あそこでふわっと活動してる。いるぐらいですけど、私は。
でもやっぱ楽しいし。
そうすると、実際に喋ってなくても、ポートキャストのエピソードを増やさなくても、意識がすごくポートキャストに持ってかれるんですね、日常の中で。
で、この秋ぐらい、ほんと先月ぐらいに、それがやっぱ表面化したんですよね、私が。
ポートキャストがすごく比重が大きくなってる、占めちゃってるっていうのが、家の中がおろそかにしてるっていうことに出ていて、
それが表面化したのが先月で、夫婦喧嘩になって、ちゃんと家の中のこともしてよっていう、俺のこともちゃんとケアしてくれよっていう。
近藤淳也
ポートキャストに意識が行きすぎてて、旦那さんが、もうちょっと家のことも気にかけてっていう。
めちこ
そう、俺のことと。
近藤淳也
クレームが入った。
めちこ
そう、クレームが入った。でも、自覚できたんでしょ、実はちゃんと。そうなっちゃってるなっていうのが。
近藤淳也
分かってたけど。
そう。で、そこを修正しないでいたら、クレーム入ってそうだよねってなって、ごめんねって言って。
めちこ
結構、喧嘩というか、言い合いになった時は。
近藤淳也
めいちこさん的には納得だったわけですね。
めちこ
そう、ですよねって言って、すみません。
近藤淳也
やっと来たかって。
めちこ
そうそう、まぁまぁ、そうなっちゃった。
近藤淳也
うすうす思ってたけど。
めちこ
そう、うすうす分かってたけど。
近藤淳也
ちょっと甘えてたんですね。
めちこ
そう、そうなんです、ほんとに。で、反省したんです。
近藤淳也
はいはい。で、どうなったんですか。
めちこ
で、今ちょっと自分の中では自粛気味で。だから、恋日記みたいなのもちょっと今、あえてやってない。あえてですか。いずれやると思いますけど。あえてそこの控えめにしていて。
ちゃんと家の中のこともこれまで通り、修正したんですよ。
近藤淳也
そうなんですね。ちゃんとやり量増やした。
めちこ
元に戻したって感じですけど。
近藤淳也
はいはいはい。で、夫婦関係は元に戻ったんですか。
めちこ
全然普通です。これがまた。
近藤淳也
よかったよかった。
まぁまぁ、要望が通ってるわけですからね。
めちこ
そう。そういう日もありつつ、でもよかったと思います。これが一回起こって。
自分の中で、自分とポッドキャストっていうもののバランスがちゃんと、適切なバランスが見直せたっていうか、分かったからすごい良いタイミングだったと思います。
なるほどね。
だから、それ結構ガチガチしてるのが結構最近のことなんで、11月末とかだから。
ごめんねって言って、12月に遊びに行くのもやめますねって言ったんですけど。
近藤淳也
今回のこの京都来るやつを。
めちこ
でも旦那さんも旦那さんで、ご縁は大切にしなさいよって言って。
近藤淳也
そこは言ってくれるんだ。いいですね。
いい人なんですよ。
めちこ
理解がある。
うん。理解がある。すごい理解があるから、ありがとうございますって言って、今日行ってきました。
なるほどね。
近藤淳也
そう。
そのリッスンで生まれてる人のつながりも、さっきのご縁の一種っていう感じの感覚なんですね。
めちこ
そうです。私はもう、選別というか区別はしてない。
どんな経緯であれ、つながりというかご縁ができたら、そうそう簡単に切らないというか、大切にしてたいなって感覚です。
近藤淳也
なんか、リッスンのユーザーさんっていうのも結構増えてきてますけど、
ご縁っていう言葉でご縁を感じてるっていうのはどのぐらいの方までなんですか?何人ぐらい?
全員じゃないじゃないですか。
めちこ
もちろんもちろん。
近藤淳也
ユーザー全員、自分は縁があるっていうわけじゃないじゃないですか。
うんうんうん。
引き球の限界があるし。
めちこ
どのレベルだろうな。一番初めのとこかりはコメントくれるとかコメントするとか、それぐらいからです。
やっぱそれがちょっとね、ラリーみたいにやりとりができてくると、すごく意識するようになります。
近藤淳也
なるほどね。そこでまあ、やりとりのあった人となんか縁があるっていう感じなんですね。
めちこ
やりとりが生まれたら私はもうそれはもう縁にカウントするんで。よく知らなくても。
近藤淳也
なるほどね。じゃあまあそこがちょっと最近広がっている。
めちこ
広がっていると思いますよ。
近藤淳也
縁の領域って感じか。
めちこ
うんうん。
近藤淳也
なるほど。はい。どうですか?今後はどうなっていきます?
うーんって顔してますけど。
めちこ
あんま変わんないと思うんですけど、どっからどういうことが生じるのかわかんないんで。
いやただね、これ変な話。1年ぐらい前にカッパさんとポッドキャストを始めるってしたときに、これ直感なんですけど、
だいぶ人生の大きな、キロじゃないですけど、分岐点でもないけど、ちょっと新しい展開来るなっていうのはわかってたんですよ。
近藤淳也
へー。何なんですか?ちょっと未来が見えるみたいなのあるんですか?
めちこ
宣言的なものはあるかもしれない。ちょっとだけ。
近藤淳也
へー。すご。
めちこ
勘ですよ、ただの。根拠とかないんですけど。
でも明らかにそのカッパさんとポッドキャスト始めるときに、何かが新しく、人生新しい章、何章みたいなあれですか。
新しい章が始まる、チャプターが始まるんだっていう感覚はあって、1年経ってみたら、実際これだけ声援が広がってたりするので、やっぱそうだったんだなっていう感覚は今感じてるとこです。
これがこの先どうなっていくかちょっとわかんないですけど。
近藤淳也
すごいな、なんか。
本当ですか?
めちこ
巫女さんみたいですね。
ちょっとね、あるんですよ、そういう直感的なもの。
近藤淳也
なんか、会社辞めるときも、これはダメだみたいになるんでしょう。
めちこ
で、実は一番初めにその会社のモバイルサイトの求人見たときも、その求人の内容パッて見たときに、ここだってもう分かってる人が行くんだって。
近藤淳也
そうなんですか。
めちこ
だから応募したんですけど。
不思議と、あるんです、そういう。その人生の節目節目で会って、分かってて、そっちに動いていくっていう瞬間ありますね。
近藤淳也
じゃあ、それがまた何か来るかもしれないけど、なんか自分で決めて、何年後にこうしようみたいな感じではないんですね。
そうないんですよ。
めちこ
人のつながり大事にしてんだと思って。
近藤淳也
あ、でもアンノウンラジオそういうの多いですよ。
めちこ
あ、本当ですか。
近藤淳也
はい、喋ってみたら分かりましたみたいなパターン。
めちこ
あ、そう言ってた。他の言ってた方もいる。
はい。
話してみて改めて気づいたみたいな方いらっしゃいましたね。
近藤淳也
はい。ね、そうなんだったらいいですけど。
めちこ
うん。
よかった。
はい。
私の事実、真事実みたいなのが見つけてもらえてよかったです。
近藤淳也
また京都は来てくれるんですか。
めちこ
あ、来ますよ。
あ、そうですか。
もうだって、お帰りなさいって言われた通り、2、大3ぐらいのホームのつもりでいますから。
慣れちゃったもう。
近藤淳也
なんかね、昨日あのうちにもね、来てくれましたけど。
行きましたね。
この家いいとか言って。
そう、気に入った。
気に入ったって言って帰ってきましたね。
めちこ
あのこれはね、衝撃の事実ですけど、近藤さんのベッドには豚のぬいぐるみが置いてある。
お、豚寝てるんじゃんっつって。
近藤淳也
そんなとこ観察してたんですか。
めちこ
うん、見ちゃった。
近藤淳也
あれは、IKEAの豚ですね。
めちこ
IKEAの豚か。
近藤淳也
2匹いるんですよ、しかも。
めちこ
あ、見た。サファーにもう1匹いた。
あ、好きです、あの空間、私。すごい好き。
近藤淳也
あ、そうですか。どういうとこが。
めちこ
いや、単にその何、ホームシアターがすごいとかそういうんじゃなくて、なんだろうね、開放的で好きですよね。
近藤淳也
そうですか。
めちこ
散らかってるようで散らかってないみたいな。
近藤淳也
散らかってるようで。
めちこ
散らかってない。結構物あったから。
近藤淳也
物多いね。
そうそう。
なんせ別にそんな隠す収納もないし、全部オープンなんで。
めちこ
家で仕事してたりしてます?
してますよ。
あの、あそこの。
近藤淳也
か、まあ2階の部屋か。
あ、2階の部屋か。
めちこ
うん。
あ、なんかすごい気に入りました、私。あそこ。
近藤淳也
なんかまあ、また来るなって言ってた。
めちこ
うん。また、また行こうと思います。お邪魔しちゃおうと思います。
はい。
近藤淳也
直々。
昨夜。
めちこ
今日とも来てください。
行きます行きます。
これからもね。
楽しい楽しい。
そう、あの、ほんとご縁が。
うん。
いや、ほんと過去振り返ると、ちょっと不思議な一縁だったなと思って。
うんうんうん。
すごく濃いご縁ができたなっていう。
うんうんうん。
単にその、コメントとかスタンのやり取りをして終わっちゃうだけのご縁じゃない。
そうですね。
近藤淳也
これができたのがすごく。
僕もでも、リッスンのご縁は、すごい温度感のある。
うん。
温度者だけに。
めちこ
うん。
うまいこと言ったかな。温度者だけに。
近藤淳也
ほんとそういうのを感じてて。
うん。
今までもね、インターネットのサービスいっぱい作ってましたし。
やってましたね。
そこでたくさんの人が使ってくれて。
うん。
で、オフ会で会ったりもしてたんですけど。
してた。
めちこ
うん。
近藤淳也
こんだけなんか、一緒に鍋食べたりとか。
ねえ。
なんかこうやっておしゃべりしたり。
まあ、おしゃべりしてるからなのかな、普段。
めちこ
それはあるかもしれないですね。
近藤淳也
やっぱすごいそれがちょっと今までと違うなと思ってて。
うん。
まあ、その規模がそんなにめちゃくちゃまだ多くない。
まだね。
とか、成長がそんなにゆったりしてるんでっていうのもあるのかもしれないですけど。
あるいは自分の変化もあるのかもしれないですけど。
なんでなんだろうなって思ってますけどね。
めちこ
不思議ですよね。
うん。
私もね、ちょっと不思議だなと思ってるんですよ。
なんで私は近藤ジュニアに家にいるんだろうってこう。
おかしいなってこう、ふと思ったりするんですけど。
あの近藤ジュニアさんですよ。
近藤淳也
いやいや。
めちこ
私の中では。
近藤淳也
いやもう、今いるこれが全部ですから。
そうですか。
はい。
めちこ
あ、でも不思議ですね。
なんかその、今、たまたま今リッスンにこう集まってる人たちが。
うん。
なんかそう、慣れちゃう、できちゃう、したくなるような人たちが集まってるのがすごく面白いなと思ってます。
近藤淳也
そうなんですよね。
うん。
だからそれがその、声さえ聞けてたら、実は今まででもそうだったのか。
うん。
なんかちょっと違う人が集まってるのかが、まだわからないです。
めちこ
そうですね。
近藤淳也
はい。昔そのブログで知り合ってた人たちが。
うん。
なんかおしゃべりをしてたら、こんな風になったのか。
めちこ
うん。
近藤淳也
それともまた人が違うのかっていうのがね、なんかわかんないんですよね。
めちこ
これちょっとわかんないですね。
近藤淳也
うん、そうなんですよね。はい。
めちこ
でも、わかんなくていいかなと思うけど、ただその、面白いコミュニティができてるなと思います。
近藤淳也
そうですね。
不思議な。
めちこ
うん。
まあなんか、インターネットでこんだけ温かい人のつながりが生まれてるみたいなの、また珍しいっていうか、ちょっと新しい流れなのかもしれないですよ。
今時ね、しかも。
近藤淳也
そうなんですよ。
めちこ
本当に20年くらい前だったら、本当にまだインターネットのやつ少なかったし。
うん。
その中でこう、そうなってたのはまだ、記憶にもあるけど、今となっては、1回もうインターネットもね、フォアじゃないけど、人めちゃめちゃ増えて。
そうですよね。
近藤淳也
うん。
まあネットで出会うってね。
めちこ
そうそうそう。もうそういう、1周回ってね、2周くらい回って。
近藤淳也
はい。出会い系はまああるかもしれんけど。
そうそうそう。
友達作るってどこで?みたいな。
そう。
感じがちょっとあったと思うんですけど。
めちこ
せいでその、ツイッターとかでつながっても、こんなに?っていうね。
近藤淳也
そうですよね。
めちこ
中にはいますけどね、そういう人も。
近藤淳也
まあね。まあ確かにツイッターちょっとあったかもしれないですね。
めちこ
うんうんうん。でもツイッターね、オタク界隈とか、赤岸とかよくいるんで、もうこのジャンル興味なくなったから、パンって赤岸みたいな人もいたりするから。
はいはい。
いまいちね、信用できない部分はあるんですけど。
うん。
私の中でやっぱこうずーっとこう、20年とかインターネットにいて、思うの、でいろんなご縁もできて思うのって。
うん。
今結構もうXがなくなるとか言われてるじゃないですか。終わったとか。
うん。
かつてはミクシーがあってとか、まあブログの時代があってとか、そういう時代を経て思ってるんですけど。
近藤淳也
うん。
めちこ
ここら辺のプラットフォームが変化しようがなくなろうが、続く縁って続くんですよ。
うん。
と思ってる。
近藤淳也
なるほどなるほど。
うん。
あそこで出会った人が、次のプラットフォームでもつながってるってことですか。
めちこ
次のプラットフォームでも具体的にはつながるんですが、必要な縁って続くっていう感覚なんです。
うんうん。
仮にその次のプラットフォームでつながってなくても。
ああ。
近藤淳也
うん。
めちこ
必要なものはまたどっかで。
そう、続いていくっていうことね。
そう、感覚。
うんうん。
その私のわかりやすい今の例がカッパさんですから。
うんうん。
近藤淳也
うん。
めちこ
一番初めはそうです。
近藤淳也
20年前から知ってたけど。
めちこ
知ってて、途中からいない時期もあったから10年ぐらい。
ほとんど思っていない時期とかもあったんですけど、必要な縁はつながってるよねっていう感覚はずっとあります。
うんうん。
近藤淳也
どこにいても。