近藤淳也
はい
じゃあそんな二宮さんですけど、ちょっと二宮さんの身を深掘りしていきたいんですけど
もうちょっとじゃあ遡ってもらって、二宮さんって何者かっていうか
どうやってこれまで生きてきたかとか、ちょっと振り返ってもらってもいいですか
二宮鉄平
そうですねどこまでいきますかね
そうですね、仕事?仕事の話がいいんですか?
近藤淳也
いや別に、もっと他に話したいことあったら他でもいいですよ。
二宮鉄平
僕はすごいロン毛で、ひげを生やしているんですよ。
近藤淳也
はいはいはい。今ね、結構肩よりも下ぐらいで伸びてますね。
二宮鉄平
よく、音楽関係の方ですかとか、デザイン関係の方ですかとか言われるんですけど、
全然そんなことはなくですね
で、なんでそんなに髪を伸ばしてるんですかっていつも言われるんですよ
僕もなんでだろうって思うんですけど
なんか昔からどうしても隠れたいっていう
カーテンをこう
顔を見せたくないっていうか
顔をちょっとこう壁を作るみたいな
近藤淳也
マジで?
急になんかネガティブな感じがきて面白いです
いやいやネガティブでもないか
面白いです
そうなんだ
二宮鉄平
なんかやっぱりそういうこう
心理が働いてるんだろうなと思って
僕はあの学生時代
中学高校といじめられっ子だったんですよね
ずっとで大学で
東京の大学に出て行ったんですけど
でずっとこうなんか学校で
ずっといつもヘッドホンして
で髪も長くてっていう
近藤淳也
外界とちょっと閉ざしたいっていうか。
二宮鉄平
一個、こう何か壁を間に作りたいみたいな。
近藤淳也
なるほど。そうだったん?
二宮鉄平
はい。そういう。
近藤淳也
サングラスとかはしないの?
二宮鉄平
サングラスはそうですね、しないですね。
山に行ってもあんまりしないし。
近藤淳也
そこは何か違うですか?
二宮鉄平
確かに。でも帽子被ってますね。
近藤淳也
深めの。
二宮鉄平
深めの山に行くときも、普段も結構被ってます。
近藤淳也
なるほど それはこの話はどう展開したらいいですか
二宮鉄平
いや なんでデザイナーになったのかとか
このウェブ業界の仕事をしているのかっていうベースとか
バックグラウンドはやっぱり人とコミュニケーションができないっていう
こう なんて言うんですか
こう壁 髪を長くヘッドホンして
で いじめられっ子だったんで
で、大学に入るけど、特にあんまりこう、しゃべったりもできないっていう時に、
インターネットを始めて、ホームページ作ったり、掲示板に書き込んだり、チャットしたりし始めて、
インターネットの仕事を始めたんで、なんかその、最初のルーツっていうか、
ていうと、そういうなんていうんですか、
人がちょっと怖いというか、対人関係にちょっと苦手意識があるからこそ、インターネットの方に活路を見出していったという
だと思います
桑原佑輔
今回初めてお会いさせていただきましたけど、微塵も感じないというか、すごい明るそうな、すごいインパクトが大きいなと思って
思ってたのですごい意外でした
二宮鉄平
でもやっぱりまあ社会人20年ぐらいやるとだいぶもうなんていうんですか
ビジネス的には喋れるっていうか
近藤淳也
人間的にはどうなったん?
二宮少年の心はその後なんかこう
二宮鉄平
なんか言えたんですか?
どうですかね
あのでもまあ親密な人とは親密になれるっていうタイプだと思います
なんかこうたくさん友達がいるというよりは
近藤淳也
はいはいでも実はそういう人多いんじゃないですかね
わかんないですけど僕もそのタイプだと自分は思ってるんで
ね何のにこうやってポッドキャストとかやってこう
喋らなきゃどうしようもならないようなことやってますけど
別になんかね人と喋るのが得意かって言われたら
二宮鉄平
全然そんなことないって自分で思ってるけど
特にウェブ業界とか多い気がしますけどね
確かに昔、そうですよね
近藤淳也
あとはトレイルランナーも意外とそうかもしれない
二宮鉄平
喋らなくても走れるから
近藤淳也
なんかね、団体競技だと難しいよね
そうですね
二宮鉄平
もう何十時間ぐらい喋らずに
近藤淳也
ずっと一人山の中にいるみたいな
そうですね、二宮さんトレイルランナーもしてますけど
でも、じゃあ、そういうきっかけというか、背景もあって、
二宮鉄平
Webの業界でずっと仕事をしてきてるんですかね。
近藤淳也
元々デザイナーだったんですか?
二宮鉄平
いや、全然違います。
僕は大学は行ってたけど、ほとんど行ってなくて、
で、バンドやってたんですよ、大学時代は。
で、大学辞めて、バンドしながら、アルバイトでもして、
生きていこうと思ってたんですけど
大学4年の12月ぐらいに
当時付き合っていた彼女は子供ができまして
就職しないといけないと
近藤淳也
なるほど
二宮鉄平
でも大学4年の12月ってもう
就活とか特訓に終わってるじゃないですか
確かに
もうあと1、2ヶ月で卒業みたいな
なんでもう就活とかないんで
あのなんかweb デザイナーの経験者の
普通の転職の応募に
あの僕ホームページ作れますって言って
MOを送りつけて何社か
で自分のバンドのホームページ
近藤淳也
自分でhtml書いて作ってたんで
一応ホームページ作れます
二宮鉄平
でも当時20何年前って
まあweb出始めて
まあhtml書けるっていうだけでも
まあそこそこ仕事のまだあった時代というか最初のなんていうか出始めだったんで
あのなんか普通にあの採用していただいて
近藤淳也
あそうなんやじゃあまあ働かざるを得なくなって
まあホームページなら作れるなってことで
二宮鉄平
そうです
近藤淳也
ウェブデザイナーのキャリアが始まった
二宮鉄平
そうですそうです
近藤淳也
へー
ちょっとなんか変なこと聞きますけど
二宮鉄平
否認はしてなかったんですか
なんで急にその学生で子供できたん いやだって僕その
まあさっきも言ってましたけどずっとその学生時代いじめられっ子で当然彼女なんて一人もいない 生活を送ってて
でまぁ20歳すぎてインターネットのそのチャットでまあしやった人と付き合い始めたんですけど もうそんなことは
奇跡のようなもんだと思って
近藤淳也
彼女ができたことが
二宮鉄平
当然のようにもう
そのなんか別れるとかなんていうんですか
そういうのはない
なんていうか
結婚して子供作ってみたいな
そういうもんだろうと
当時は思っていました
近藤淳也
なるほどなるほど
二宮鉄平
じゃあできたらできたで
近藤淳也
もうそれに合わせて結婚もするし
二宮鉄平
家庭を作っていくぜっていう気持ちで
近藤淳也
付き合ってたってことですね
二宮鉄平
ただまあ、22とか21とかですからね
まあ本当にそんなここまでの覚悟があったかっていうとちょっと怪しいです
なんかちょっと舞い上がってたっていうか
近藤淳也
どうですか?20代の福原君は
桑原佑輔
そうですね、まあ20代学生の時とかは
やっぱり僕もそんな好きな人とそのまま結婚してとか
思ったよしてたので、その気持ちは僕も
近藤淳也
(笑)
なるほど
そうか、でも河原くんはできなかった
桑原佑輔
そうですね、はい
結果的に
二宮鉄平
まあまあ、人それぞれですからね
近藤淳也
あ、そうですか
はい
ちょっとそのプライベートも突っ込んできた気持ちはあるけど
ぐっとこらえて、それでその仕事はどうなったんですか?
二宮鉄平
ああ、仕事は
いや、まあ、あの、そうですね
えーと
当時は課金コンテンツっていうのがあんまりなかった時代だったんですけど
まだiModeとか出てくる前ですね
僕が就職した会社はそのプロバイダー
NiftyとかBig Globeとかのプロバイダーの課金で
その有料コンテンツを売る会社だったんですよ
そこで占いとか、グラビアとか、ゲームですね。
フラッシュとかショックウェーブのゲームのコンテンツを作って
で、売るっていうサービスを最初デザイナーとして入って
で、だんだんそこから企画も自分でやって、自分でデザインしてっていう風になって
で、だんだん企画の領域が増えていったっていう感じです。
近藤淳也
なるほどね。
この感じでいくと今まで、現在までたどり着いた
二宮鉄平
結構かかりますね もうちょっと足してもらっていいですか
近藤淳也
もうちょっと一個は
二宮鉄平
そうですね
コンテンツはやっぱりエロ画像が一番売れるんですよ
グラビアとか
近藤淳也
そういうのもやってたんですね
二宮鉄平
やってました しかもやっぱり売れるんで
会社もどんどんそっちを売っていくんですよね
そうすると自分の作ったサイト
近藤淳也
だんだんもうエロサイトばっかりになってきて
二宮鉄平
どれぐらいエロいやつ?
いや普通の裸の女性の写真家の先生
そういうヌード写真を撮ってる先生からコンテンツを借りて
フィルムで当時は
それスキャンして補正して
そこからやるんや
配信するというサービスでした
近藤淳也
それは日々見てる生活だったわけですよね
二宮鉄平
そうですだから修正とか補正
近藤淳也
なんか楽しそうでもあるけど
まあそうですよね
二宮鉄平
そうでもないんですか
でもないですかでだんだん子供大きくなってくるんですよでお父さんの仕事っていう時にちょっとこれは
ああ 伝えられないなっていう感じなんでですからじゃあ大丈夫ですよ
でもうちょっともうちょっとなんか一般の人向けのサービス作ってるとこに行こうって言ってや風に転職
近藤淳也
ヤフーね、だいぶ明るい方行きましたね
二宮鉄平
そうですね、みんなが使ってるサービス
近藤淳也
天下のヤフー
それはそんな簡単に入れるものなんですか?
やっぱりその実績があったから
二宮鉄平
うーん、ですかね
あと自分で手も動かせる企画職っていうので
多分ちょっと買っていただいたかもしれないですけど
でも当時もヤフーは人が増える頃だったんで
バンバン人を取ってた頃だったと思います
近藤淳也
どうでした?ヤフーは
二宮鉄平
やっぱりすごい大きい会社だったのと
あと僕が入社したのは
ヤフービービーの個人情報の漏えいの事故があった
ちょっと後ぐらいで
めっちゃセキュリティとか
社内のフローがすごい厳しくなった頃だったんですよね
で、もうなんかすごいリリースまで
最初に企画してリリースまで1年とかかかる
ある 最初に企画書出して仕様書 出して要件定義とかそのフロー
近藤淳也
が
二宮鉄平
一年
役所
役所かって思ってちょうど当時 web 2.0の時代でみんなで API使って
さっと作ってとりあえずリリース しようっていう時にSNSを何とか
頑張って社内のフローをいろいろ飛ばして半年でリリースして
それでも半年かかったなっていうので
もっとベンチャー行きたいっていうので
HATENAに受けたっていう感じですね
近藤淳也
なんか採用面接みたいになってきた
確かに本当ですね
本当ですね
それが出会いでしたね
二宮鉄平
そうですね
近藤淳也
結構前やな
二宮鉄平
もう15、6年前ですね
16年前
長いね、井上さんとも。いろんなとこ行ったしね。
そうですね。
近藤淳也
それこそ合宿もいっぱい一緒にやってるからね。
二宮鉄平
アメリカでも合宿しましたし。
近藤淳也
そうなんですか。アメリカでも。
なので僕はよく知ってますけど、
HATENAはどんな感じだったんですか?
二宮鉄平
HATENAは…
岡田さんから来てます。
確かに、一番知ってる。
桑原佑輔
岡田さんが一番知ってるっていう。
二宮鉄平
ヤフーから晴れなに入られて
どんな感じで変わっていくか そのままですけどね
いやでもなんかとにかく新しいサービスを作らせてもらったんですよね
10何年間で何個作ったんやっていうぐらい
なんか新サービス担当みたいな感じで
結構もう失敗っていうか閉じたサービスいっぱいあったんですけど
でも毎回チャンスをくれたんでありがたいなっていう感じでした
近藤淳也
だいぶ動かしてる感じが
二宮鉄平
だいぶ柔らかくいってますけど
そうですね最後の方がちょっとちょちょちょってなりましたね
近藤淳也
あんなに新しいサービスばっか作ってる会社も珍しいかもね
今でもそうかもしれないけど
二宮鉄平
そうですね
近藤淳也
結構一緒にいろんなの作りましたね
二宮鉄平
そうですねはい
(笑)
近藤淳也
どうぞ
桑原佑輔
そうですね
具体的になんか言えるもの言えないものもあるかも
二宮鉄平
まあだいたい言えますよね
そうなんですね
桑原佑輔
どういったサービスを作られてたんですか
二宮鉄平
そうですね最初は結構ソーシャルというか
SNSっぽいサービスですかね
Twitterがガッと来る前というか
来る前っていうかそれぐらいの頃にあの果てな俳句っていうまあミニブログ的なまあ 果てな俳句はツイッターのハッシュタグが必ず必要なツイッターみたいな
へー サービスでしたけど当時はまあなんかそういう
近藤淳也
sns ぽいものを作ったりとかまあでも結構 短いから俳句なんよ
二宮鉄平
あー、はいくー。575で。
近藤淳也
日本版Twitterで、つぶやきだから、はいくー。はいくーじゃん。
桑原佑輔
あー、なるほど。
近藤淳也
Twitterと同じじゃ面白くないし、え、ハッシュタグ無かったですよね。
二宮鉄平
ハッシュタグっていうか、お題ですかね。
近藤淳也
Twitterの方に。
二宮鉄平
Twitterの方は無かったですね。
近藤淳也
その頃、まだハッシュタグが無いときに、そのハッシュタグ的な機能として、キーワードっていうのを付けて、
二宮鉄平
人をフォローするだけじゃなくて、キーワードもフォローできますみたいなコンセプトの短い短文用のブログっていうかやつだったんで、ハイクっていう名前つけて、ハテナハイク
桑原佑輔
知らなかったです。ハッシュタグ機能の走りみたいなところが
二宮鉄平
そうですねもともとあの「はてな」には「はてな」キーワード まあ「はてな」ダイアリーキーワードっていうのがあって
まあその言葉とかその自分の好きな興味で繋がるっていう文化があったんで
まあそれの発展みたいな感じで
近藤淳也
なるほど
二宮鉄平
(笑)
二宮鉄平
でやっぱそういうちょっとこう尖った人とかなんか面白い人と組んだ時になんか進化
なんかまあその間を埋めてまくいくみたいなことなのかなっていうのは最近
近藤淳也
へぇ~面白い
でもなんかあれですねむしろその過去の経験が才能になってるっていうか
自分のすごい特殊な能力につながってるんですね
二宮鉄平
そうかもしれないですね
桑原佑輔
どうですか?
そうですね、でも今お聞きしてお伺いしたいなと思ったのが
例えば相手の怒りの感情とか不機嫌な時って
こっちからでも何かを言ったりするのって難しいですよね
二宮鉄平
難しいです
そういうのって僕も結構言えなかったりするんですけど
はいはい、言えないです
桑原佑輔
言えないんですか?
二宮鉄平
言えないですね
桑原佑輔
その時はもうじゃあ
二宮鉄平
黙って、あの…
(笑)
近藤淳也
そこの解決策を持ってるわけじゃないんですか?
二宮鉄平
そうです、そこは解決策は持ってません
(笑)
桑原佑輔
ひって思いながら、嵐が過ぎ去るのを待ちます
二宮鉄平
そうだったですね、お餅だったらすごい聞きたいなと思って
近藤淳也
(笑)
へぇ~、なるほど
じゃあチームの中に野宮さんがいると、みんなの思いとかをうまく結びつけてくれて
みんなが持ってるものとかを形にするのを
どんどん進めてくれるような役回りが
二宮鉄平
なってるって感じなんですかね
なってるといいなとは思ってますね
近藤淳也
面白い
でもすごい特殊な才能を見つけましたね
それは
二宮鉄平
そうです
近藤淳也
なるほど
それをじゃあ生かして伸ばそうとして
二宮鉄平
今また独立してるって感じですか
やっぱりそういう仕事
会社員の時に
いやなんでそういう仕事ばっかりうまくいくんだろうと思った時に
やっぱなんかちょっとそういう
普段接してない外の人ともの作るのがやっぱいいんだろうなと思って
しかも結構それでそのいろんな会社の人たちに喜んでもらえて
二宮さんまた次も何かやりましょうってすごい言ってくださるんで
あれもしかしてこれは結構できるのではって思って
まあじゃあちょっと会社辞めてもうそういうその他の会社の人となんかものを作る仕事をやるといいかなって思った
近藤淳也
まあなんかねその会社を辞めて独立して
まあ二度見や企画ってまあ法人作って作ってるわけですね会社作ってやっぱその最初のお客さんというか
まあ独立で最初の案件を取るのをどうするかって結構
二宮鉄平
まあ独立する人はみんな心配するとこだと思うし
近藤淳也
実際難しいところだと思うんですけど
ワイトソカじゃあスムーズに
仕事が始まっていったんですか
二宮鉄平
はいまあやっぱりもともとお付き合いのあったところから
最初仕事をいただいて
でまあそのもともと僕会社を辞める前に
会社を辞める1,2年前に福岡に引っ越したんですよね
もともと会社は京都にあって
で福岡に引っ越してで福岡からリモートで京都の会社に所属してで東京のお客さんの仕事してたんですよ
でそしたらなんかあれこれ別に会社に所属してなくてもこれできるんじゃないかって思ったんですよね
だから1回まあテストしてるというかまあリモートで福岡から東京のお客さんの仕事やってまあやれてるなっていう
まあこうなんていうか実感があったんで できるかなと思ったっていう
いやそうですけどその案件が
案件はいそうですね
近藤淳也
じゃあもうやって一緒にやってたお客さん からじゃあ二宮さん独立するならこの仕事もお願いしますって感じで
二宮鉄平
最初からどんどん入ったってこと
独立しましたって言ったらじゃあちょっと相談したいんですっていう感じでした
その独立する前に辞めるんで仕事くださいっていうのちょっと結構不義理っていうか
なんか持って逃げたみたいになるのはすごい嫌だったんで
そこはちゃんと辞めた後に今回退職しましたっていうご挨拶してそれでまぁはい、 会派を頂いたりしましたけど
近藤淳也
じゃあその仕事がなくて困るみたいな時期はなくて
二宮鉄平
そうですね
近藤淳也
起業してからずっと仕事は埋まってる
二宮鉄平
仕事ははい
近藤淳也
へぇー
二宮鉄平
まあでもあの時期がすごい良かったんだと思います
近藤淳也
うーん
二宮鉄平
あのやっぱりコロナがこうわっと流行って
リモートワークがもう当たり前の世界になって
で結構やっぱりその会社を横断して
なんかプロジェクトチーム組むみたいなのも
結構増えてると思うんですよね最近
近藤淳也
はいはいはい
二宮鉄平
なんかだからなんかたまたまですけどそれは
そのなんか世の中の流れ的にも
まあちょうどなんていうか
なるほど
近藤淳也
世の中の流れもよく見て
二宮鉄平
いやさすがに
近藤淳也
刺してるんじゃないですか
二宮鉄平
さすがにそこまでは読めない
近藤淳也
世の中ちょっとこれからは
いろんな会社の人で
プロジェクト作るのが来そうだな
みたいな流れも刺してたりとか
二宮鉄平
でもそれは思ってました
近藤淳也
なるほどね
そうかそうかすごいですね
起業して順風満々っていうか
まあもともとやっぱりね
その才能があってこそだと思うんですけど
そうですかなんかその生活面というか
ライフスタイル的にはどうですか
要は会社に毎日通うっていうとこから
まずそもそも働いた時も
二宮鉄平
もうリモー
近藤淳也
夫婦で
二宮鉄平
そうですね福岡に
近藤淳也
福岡に行ってリモーとなって
さらに会社に所属しなくなったら
基本なんていうの
二宮鉄平
必ず会うって人はいないんですよね
そうです角だけですね
近藤淳也
そのライフスタイルってどうです?
二宮鉄平
それは全然むしろ心地がいい
さすが
やっぱりたくさんの人と会ってみんなと仲良くするよりは
少数の人と深く関係を築く方が合ってるタイプだとは思うので
近藤淳也
まあ、そこは、はい。
二宮鉄平
あ、そう。じゃあ、例えばコワーキングに行って、人がいるところにたまに行ったりとかもなく?
うん、しないですね、ほぼ。
ずっと家で?
ずっと家です。
近藤淳也
おー。
家でずっと仕事して。
全然、なんかその体的にもそれで満たされてる感じなんですか?
二宮鉄平
でも、朝走ってます。
近藤淳也
ああ。
二宮鉄平
朝起きて、外10キロぐらい、1時間走って、で、シャワー浴びて仕事なんで。
近藤淳也
なるほど。
二宮鉄平
じゃあ人間じゃなくて道路とか自然と 戯れてる感じですか?
川沿いを走ったり田んぼの周りを走ったり
近藤淳也
なるほどなるほど
二宮鉄平
なんか聞きたいことありますか?
桑原佑輔
そうですね
その後お知り合いの方と福岡でご飯とか 行かれたりとかはされてるんですか?
二宮鉄平
全くないです
僕は学生時代いじめられっ子で
で、そこから逃げるように東京に出た人間なんで、実家に帰っても友達が一人もいないんですよ。
桑原佑輔
ちょっとリアクションをどうするか…
二宮鉄平
確かに確かに。
近藤淳也
ほんまほんま。
ふるさとなのに、特に会う人がいない?
二宮鉄平
そうですね。
たまに実家の母親と、あと妹が今実家に住んでるんで、妹とか母親に会ったりはしますけどね、たまに。
近藤淳也
なるほど。
桑原佑輔
基本はもう奥さんとずっと…
二宮鉄平
ずっと二人で。
桑原佑輔
へー そこの夫婦の関係というかそういったところはもう心地がすごい良くて
二宮鉄平
まあそうですね奥さんとは仲良く
近藤淳也
いやもうそっくりないよ
桑原佑輔
あそうなんですか
二宮鉄平
そっくりなんかもう林屋ペーパーみたいな感じ
それちょっと派手なだけなんじゃないですか
実際そういう格好で二人で歩いてる時あるから
確かに
桑原佑輔
もうなんかフォルムというか
二宮鉄平
外見が
パーマでピンク色の服着てみたいな
桑原佑輔
それはまさに近藤さんがおっしゃる通りですね
近藤淳也
なんか仕事のことで他に話したいことありますか
二宮鉄平
仕事のことでですか
近藤淳也
あの宣伝でもいいですよ 二宮企画の
二宮鉄平
そうですね
はい二宮企画はいろんなお客さんの企画とか
リサーチの仕事をメインでやってるんですけど
最近はそれに加えて、ちょっと自社でもサービスを作ろうと思って
近藤淳也
来た来た
二宮鉄平
はい、やっております
近藤淳也
新サービス
二宮鉄平
新サービスを
近藤淳也
それは何か言える内容があるんですか?
二宮鉄平
まだ世の中には出てないんで、そんなに固まった、これっていうのはないんですけど
でもさっき言ってたみたいな、人が言っていることとか表情とかっていう
そういう数値化されない定性的な情報を
いかにかぎとってユーザーインタビューしたりとか
その行動を観察したりとかして
こういうのあったらいいんじゃないかとかっていうことを考えて
サービス作るっていうのを自分の仕事としてやってるんで
それをそのままサービス化できるといいかなと思って
そういう定性情報の分析とか調査に関するサービスを作ろうとしてます
近藤淳也
ひるがえってやっぱり Web サービス とかって自然にお客さんと合う
機会っていうのがないから やっぱり 人工的にそういった機会作ったり
とかしなきゃいけないのかなって 思うから 使ってくれてる人と合う
機会をどう作るかみたいなこと がやっぱりサービス作りによる
めちゃくちゃ重要だし、それが自然に生まれないならどうやったらそれを作るかっていうのは結構生命線なんじゃないかなと思ってて
いやー確かに
そう、なんでツール面白いですね
二宮鉄平
いやでもそのいぶきの話ですけど、いぶきって一番最初、まあ近藤さんが果ての時代が始められて、でその後僕がディレクターとして助かせてもらって
近藤淳也
なんで桑原君がいるかというと、今いぶき担当が桑原君なんですけど、今回はじめまして。
いのみやさんが今回。
1個前のディレクターがいのみやさんなので、いぶきの話もちょっと聞ければなみたいな。
二宮鉄平
はい、正直僕がやってた時はそんなうまくいかなかったんですよね、いぶき。
さっき近藤さんが話してたのを聞いて
やっぱりあの頃って僕と近藤さんが使うものを最初に作ったんですよ
で僕と近藤さんはそれぞれ一人で山に行って
あんまり行ったことないルートを開拓して
で一人で行って一人で帰ってくるタイプのトレイルランナーなんですけど
パッと蓋を開けてみたらあんまりそういう人いなかった
近藤淳也
そこな!やっぱりコミューション
二宮鉄平
あれ?ってみんななんか4,5人のグループで行くし、なんかそのマイナールートを開拓とかストラバの行ってないこの両線を繋げるとか
そんなことしないんだっていう そうそうそう、そうですよね
普通の人は誰かに連れて行ってもらって山を走り始めるんだなっていうことがやり始めて分かったんですよね
だからやっぱそれってそのね普段からそういうそのトレイルランナーの人たちに接してサービス作ってたわけじゃない
まあやっぱどうしてもその自分たちが使うものをまず作ってたんですけど
そこがやっぱこう世の中の市場性とマッチしなかったところなのかなと思って
でそれがやっぱり今そのレースとかで使われるようになって
でも日常的にねあの 触ってもらっている状況だとそこ迷わないと思うんですけど
近藤淳也
こもるとそういうことが起こる
桑原佑輔
そうなんですね
初期というか最初の時はそういうことが起きてたんですか
近藤淳也
どうですか最初のサービスの
二宮鉄平
はい
近藤淳也
どんなサービスから始まったか
二宮鉄平
そうですね
桑原佑輔
くわからくで教えてあげてもらえますか
二宮鉄平
まあやっぱり最初僕たちは
今日トレイルランニング始めたのが
6,7年前ぐらいですかね
京都に行った時で
僕は最初松尾さん最初に行ったんですけど
最初どこをどう走っていいかとかもよくわからなくて
最初松尾山行けたら、じゃあ次はどこに行ったらいいかとか
で、なんかわかんないんですよ
トレイルランニングの雑誌とか買ってきても
乗ってるのって東京近郊のコースとか
長野とかそういう場所だったりするんで
自分が行った場所を共有したりとか
次ここ行ったらいいよみたいなガイドをみんなが投稿して
であとなんか全然知らないなんか あここ行けるんだみたいなのとか
なんかそういうのすごい知りたかったから はいそのコースを自分で作ったり
それを共有したり行けるサービス が欲しいよねっていうような話を
してました はい
近藤淳也
それが最初のいぶきだったんですよ だからコースコミュニティという
かコースを投稿し合って じゃあ私もそのコース走ってみます
みたいなことで繋がっていくコミュニティ として始まったんです
二宮鉄平
そうですね最初ははい そうなんですね
桑原佑輔
そこから今はGPSの方に行ってますけど
そこはどうしてじゃあこれやってみようみたいな
っていう感じになっていったんですか
どうしてですか
二宮鉄平
最初はGPSの前は
BコンのBコンで
ゴールタイムを計測する
簡易計測システムから最初入ったんですよね
それも結構トレイルランニングの大会で
計測ってすごい大変で
桑原佑輔
足元にシートを敷いて
二宮鉄平
チップを持って
その設置が一か所で何十万かかりますみたいな世界だったんで
結構京都の草レースとか走ってても
そんなシステムなかなか入れられないかったりとか
あとお金かかるから
全部のエイドに入れられないと
速報とかも上がってこなくて
途中の一か所とゴールだけとかなってたんで
ブルートゥースとか使ったら もっと簡単にできるんじゃないかっていうので
レースの計測を始めたのが最初でしたね
桑原佑輔
そうなんですね
二宮鉄平
その時にまたいい端末とかないのかってのを探されてた
そうですね やっぱり結構近藤さんが なんかこれいいんじゃないか
近藤淳也
なんでGPS始まったんですか
二宮鉄平
まあでも元々えっとなんでしたっけ 元々やっぱりそのえっとその
bluetooth の b コンのやつも結局設置した場所しか計測できないけどずっと計測したいじゃないですか
ああだしあとなんかライブ中継 今どこにいるっていうのをあのね
トレランってライブ中継がめちゃめちゃ難しいスポーツですよね
なんかそのマラソンとかだったらなんか先導者が中継したりできるけど
近藤淳也
まあでも市街地ですかね
なんかやっぱ直接のきっかけは市街地で別の会社の仕組みを1回使ったけど
なんかちょっとねいまいちっていうか
二宮鉄平
若干こう使いにくくて
ゴルフカートの現在地を把握するシステムを借りて
それを選手に持ってもらって計測したんです
近藤淳也
一回それ使ってやったんですけど
僕が市街地中にすごい思ったのが
その中間計測の結果なんて誰も気にしなくて
桑原佑輔
ずっとみんな選手の位置が欲しがってるなって思ったんですよ
近藤淳也
結局地図が一番よく見るなって思って
それはでもレースの種類によって違うってことが
二宮鉄平
最近よく分かってきたんですけど
近藤淳也
例えば周回コースのレースとかは
二宮鉄平
GPSいらないんですよそのタイム見てるんですよみんな
近藤淳也
あと何分で来るっていうのが周回で読めるから
例えばクロンドロンドとかって全然いらなくって
てかもう線がぐちゃぐちゃで誰が前なのかもよく分からないみたいになるから
あんまり意味がなくてああいうのは計測でいいんですけど
やっぱり長いやつはずっと地図見てるなっていうのが
その時のまあそれこそ気づきっていうか
人を観察しててみんな地図見てるやんみたいな
二宮鉄平
だからこれはちょっといるなって思ったっていう
そうですね
紫外線の最初の時は
もうなんか10分に1回とかの更新だったんですね
その電波が飛ぶのが
それがミスると次20分後とかになるんですよ
だから結構心配で選手を見てて
なんかずっと動かない動かないって言ってて
あ動いた!あ良かった!こっち来てる!
結構みんなそれ見て「あ、大丈夫だ」とか
「さすがに迷ってるんじゃないか」とか
結構ずっとみんなそれ見ながら言ってましたね
近藤淳也
そうそうそう
桑原佑輔
やっぱりでも現在地がその時にわかるって
すごい安心感を持つになりますね
近藤淳也
そうですね
だしやっぱその、さっきユーザーを知るんじゃないけど
やっぱ自分がレース主催者になってみて
やっぱ困ったから本当の課題が見えたっていうか
桑原佑輔
たかもしれない なるほど
なんか完全にいぶきの先輩から 後輩が
近藤淳也
確かにじゃあちょっともうちょっと 話を
話しますか 僕はにみぃさんに
もうちょっと聞きたいことが あるとしたら
最近のwebどうですかとか webの話を
二宮鉄平
やらしてみたいですね webの話ですか
近藤淳也
ずっとこうウェブ業界でうまくやってて
楽しいです今ウェブ業界は
ウェブ日本まあ日本でもなくてもいいか
最近のウェブインターネット
二宮鉄平
なんかもう当たり前になりすぎてどうですかね
あんまり意識しなくなったような気がしますけど
どうだろうな
インターネットは、まあでも確かに、どうなんですかね
ちょっとしんどい部分はありますよね
近藤淳也
しんどい?しんどいとは?
二宮鉄平
なんというか、情報がたくさん多い、まあ感情もたくさん多いから
近藤淳也
感情も多い?
二宮鉄平
はい、なんかね、こう、もうなんか壁がいるじゃないですか
この世間と隔てるヘッドホンと 髪のカーテンが
近藤淳也
へー
そういうちょっと怖いっていうか 強めの感情とかが苦手?
二宮鉄平
苦手ですね
近藤淳也
なるほど
二宮鉄平
だからあんなにSNSを作ったり UGCのサービスをやっていましたが
もう全く何もやらなくなってしまった
近藤淳也
そうですか?ユーザーとしてあまり使ってない?
自分がユーザーとして SNSはもうほぼ使ってないですよね
二宮鉄平
じゃあちょっと距離が 浮いてる感じ?
そうですね
ブログはたまに更新してますけど
やっぱりなんか家観っていうか
ちょっとこもった自分家
自分の独自ドメインで
自分家のところは更新するけど
みたいなちょっと壁があります
近藤淳也
Web3界隈とかは追いかけてないですか?
二宮鉄平
難しいですね
近藤淳也
難しい
二宮鉄平
いや、なんかいまいちよく分かってない
近藤淳也
そうなんだ そういうでも仕事の案件とか来ないんすか
二宮鉄平
Web3関連の仕事来ないですね なんでだろう
まああまり興味がないからかもしれないですけど
近藤淳也
そう 仮想通貨も持ってない?
二宮鉄平
仮想通貨も持ってないですね
そうなんですね
僕結構出版社さんとかの仕事が多いんで
でもう出版社さんってなると、誰が所持しているかの証明をわざわざ全世界のパソコンのリソース使わなくたっていいじゃないですか
権利者の人が「はい、あなたに閲覧権があります」って言ったら結構済むのかなと思ったんで
あんまりコンテンツフォルダー
NFT的なインズがあんまりないってことですかね
もう権威者っていうか権利者が認めた人がその権利を持つ人っていう割となんてか
中央集権的な社会ですよね出版社とかコンテンツホルダーっていうのは
NFTってもうちょっとこうプラットなみんなで
でもだから多分ちょっと
あんまり合わないのかなっていう感じですかね
近藤淳也
じゃああんまり一般ユーザー向けというか 市向けで新しいサービスのネタないかなみたいなところよりは
そういういろいろウェブでやりたい会社 企業さんとかと一緒にやるみたいなところに結構興味が
二宮鉄平
今はそうですね 最初自社でサービスやろうって言い出した時は
僕はなんかSNS新しいの作ろうかなって言ってたんですけど
近藤淳也
あれ?その思いはあるんですね?
二宮鉄平
そうですね
近藤淳也
なんかやっぱりいつかいつか俺もSNSみたいな
二宮鉄平
だから散々失敗してきたんで
なんかもう一回リベンジしたいなっていう気持ちはありました
その時のちなみに仮のキラーアイデアっていうか
特に
差別化用品は何だったんですか?
なんかその間接的な関わりができるといいなと思ってました
あんまり直接じゃなくて間接?
間に人が入ってくれるみたいなことですか?
とか間に興味が挟まるとか
また似たようなテーマを掘ってる気はするんですけど
まああんまり人のダイリクトな感情を直接受け取らずにするみたいなことですか?
はい
ははははは