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2025-04-18 08:23

その855、愛の循環みたいな

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サマリー

愛の循環についてのエピソードでは、植物を育てることを通じて感謝の気持ちや愛が自分に返ってくるプロセスが語られています。家庭菜園や農家の活動を通じて、愛や感謝が食材を通じて循環することの重要性が強調されています。

愛の循環の始まり
2025年4月18日、金曜日毎度おきにタートルでございます。よろしくお願い致します。
愛は循環してるんやなっていうお話を今日はさせていただきます。
今朝思った話というか、妻と話してた内容からなんですけれども、
僕、植物を育てるのが好きでして、観葉植物たくさんあるんです。
増えては株分け、増えては株分けで、無限増殖中なんですけれども、
増やしては、ばら撒いてるんですよね。植物を育てるときに、
これ前も言いましたけど、枯れろよとか汚く育てとかは一切思わなくて、元気に育ってねとか、
おはようとか、気持ちで水をあげたり、鑑賞したりするんですよね。
特に、愛してますとまでは思ってなくても、いつもありがとう、これを見させていただいて、
いい気分になってるよ、ありがとうという感謝の気持ちはここに持ってるんですけど、
愛してますという直接的な表現で口に出したり、思いはないですけど、
植物たちに感謝をしてるんですよね。
僕の感謝や愛を受け取ってくれた植物が育って、それを分化して、
ばら撒いているから、僕の愛がばら撒かれているのと同じ。
僕の愛は植物と形を変えてばら撒かれているのと、ちょっと違うけど似てるなというふうに思ってたんですね。
妻は家庭菜園、プランターレベルですけど、やってて野菜を育ててるんですよね。
金ちゃん農法で菌を育てているんですけど、それはまだ培養中なので、
そうじゃなくて普通に家庭田土で種をまいて育ててるんですけど、
それも同じく種から発芽して、芽を出して、水やりをして毎日様子を伺うんですよね。
その時に僕が植物育てるのと同じように、めでる。
植物って可愛いんですよ、ほんまに。
出たての柔らかくて小さい葉っぱってめっちゃ可愛いし、
それがぐんぐん育っていったらすごい嬉しいし、
健康に育っているなという気持ちになるし、嬉しい気持ちになるし。
そういうふうに時間をかけて育てるわけですよね。
野菜って葉っぱを食べたり、果実やったり、実になったりするまで時間がかかるじゃないですか。
なのに食べるのは一瞬っていうね。
なんと効率が悪いんだとは思うけれども、
長期間のお手入れがあるからこそ、
最終的に食べることもできて嬉しい気持ちになるんだなというところですが、
愛をもって感謝をもって野菜を育てているんですって。
その植物、野菜は愛や感謝がたくさん含まれた野菜に仕上がって、
それを最終的に家庭菜園ですから自分たちが食すんですよ。
そしたら自分の蒔いた愛がまた自分に戻ってくる。
何やったらそれが栄養分を伴って戻ってきたり、
食べさせていただいてありがとうございます、育てていただいてありがとうございますという
思えるような感謝の感情が芽生える。自分に。
だから自分が発した愛がもう一回自分に返ってくるみたいな、この循環ってすごくいいよなって。
でもこれ家庭菜園やからこそ自分で蒔いた愛が自分に帰ってくる。
自分の家族に還元されるっていうことになるんですけど、
感謝の気持ちと食材
だからこその規模感でやってるから自分たち納得していられるけど、
本当に出荷用で作られてるとか、その農家さんっていうのは、
その育てる愛っていうのは同じだと思うんですよ。
家庭菜園でちっちゃいプランターに水あげてる、頑張って育てようとかね、
言ってる愛と大きい畑で蒸籠なんかじゃ無理なぐらいの水の巻き方してる、
そういうところのお野菜も愛の与え方は一緒、一緒と思いたい。
農家さんの気持ちはね、思いたいんですけど、
でもその愛含んだ野菜がどこに飛んでいくかわかんないですよね。
出荷先はどこどこスーパーとかね、どこどこ市場とかに行くんでしょうけれども、
そこから買われた消費者となる家庭の人までわかんないじゃないですか。
でも確かにそのお野菜に含まれた愛みたいなものが存在したとすれば、
本当に毎日の食事に感謝できるなと思って、
調理してくれた人にももちろんさやけど、その素材を提供してくれた人にも感謝できるなと思ってね。
でもこれいつも思うんですけど、やはり人に感謝したいなっていうことなんですよ。
誰かわからへん人を思い浮かべて感謝するっていうのもできますし、
気持ちの上では納得もできるし、自分は嬉しい気持ちになるんですけど、
そこに生産者がいたら直接感謝を述べることができるじゃないですか。
それが一番、結局人に直接言うっていうのが一番いいなと思ってて、
でもなかなかそれが叶わない。
野菜で言ったら農家さん、生産者がいて、最終的に末端食べる自分がいるんですけど、
間に挟まるサプライみたいなものがあって、
最終的にスーパーで買うレジの人にありがとうっていう、
矛盾とも言わないけどなんか違和感。
野菜に限らずですけど、通信販売するじゃないですか。
ネット販売、ネットのお買い物するじゃないですか。
最終的に感謝できるのって、運んできてくれた、受け渡しの配達業者さんですよね。
この人がいたからやっと手元に届いたっていうのはありますけど、
その人に何も感謝しても、この人は一体この箱の中に何が入ってるんだろうかとか、
運んでくれてありがとうはわかるけど、この製品に関して何も知りませんみたいなことじゃないですか。
そこの違和感がいつもすごいなと思ってて。
でも生産者から自分に届けられた、その製品に関わっている一人であることは間違いないから、
直接人に感謝を言えるっていうのは、言われた側としても、
みたいな感じになるかもしれないけど。
それが全く伝わらない、僕はいつも思うんです。
工事現場の穴掘る人とか、電力エネルギーの供給元とかって、絶対直接感謝されることないじゃないですか。
安全で渡れてるけど横断歩道の白いのを塗ってくれた人に直接ありがとうとかって言えないじゃないですか。
だから人に直接言えたらいいのになっていつもそういう時に思います。
感謝と愛っていうのは僕の人生のテーマではあるんですけど、
一緒ではないんですけど、重複するところはあると思うんですよね。
今日もそんな感じで生きていきたいと思います。
ありがとうございました。お気に入りでございます。失礼します。
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