1. 丸ちゃん教授のツミナハナシ-市民のための犯罪学-
  2. #041 “厳罰化” で誤魔化されな..
2024-09-10 40:22

#041 “厳罰化” で誤魔化されない被害者支援

【トークテーマ】

・徹底した被害者支援が必要

・被害者が求めることは厳罰なのか

・刑事裁判できることとできないこと

・2000年以降の被害者支援の展開

・被害者家族と加害者家族

・1人ひとりの被害と向き合う


【キーワード】

被害者、加害者、被害者支援、無罪推定、被害者参加制度、遮蔽措置、ビデオリンク、記録閲覧、記録謄写、被害者の意見陳述、被害者家族の求刑意見、心情伝達制度、出所情報通知制度、犯罪被害給付制度、犯罪被害者等基本法、犯罪被害者等基本計画


【犯罪学の観点から語るエンタメ】

『謝るなら、いつでもおいで』

著:川名 壮志


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サマリー

このエピソードでは、被害者支援の重要性と実情について考察されています。南口さんの過去の交通事故の経験を通じて、被害者が直面する困難や、警察や社会からの対応の問題が議論されています。また、加害者への厳罰化が本当に被害者の支援に繋がるのか、刑事司法の限界についても触れられています。このエピソードでは、刑事司法における被害者支援の変化とその課題についても考えられます。特に、被害者の視点からのニーズに対する理解が不足している現状や、被害者参加制度の導入とその限界についても議論されています。事件の後、被害者が直面する困難とその支援の必要性が語られ、加害者への厳罰化が被害者支援に十分でない可能性が示唆され、被害者自身の声を聞く重要性が強調されています。「厳罰化」に関する議論を通じて、被害者支援の重要性と現状が考察されています。

南口さんの交通事故体験
ところで南口さん、ちょっと何か被害的なことがあって、その後の対応でちょっとこれはないなーってなったことありますか?
南口 すごい古い話なんですけど、私大学の時に、正門から学職に行く道路を渡るところの信号のない横断歩道上で停止している時に、背中側から車に引っ掛けられたことあるんですよね。
あったね。むっちゃ懐かしい話やね。
南口 そう、知ってるか私が喋っただけかもしれないんだけど、待ってたら車が止まってくれないぐらいの通行量ある横断歩道だったんですよね。
だから、こっち側から右から来る車が切れたら真ん中まで行って、真ん中で立ってればさすがに左から来る車止まってくれるから、それでやっと渡るっていうのが割と状態化している横断歩道だったんですよ。
で、私真ん中で立ってたら、気付いたら道路に寝てて、それはちゃんと対応してくれて周りの人が。職員さんも飛び出してきてくれたし、一緒にいた人とかも病院までついて行ってくれたし、どうもなかった怪我もなかったし。
その後なんですけど、たぶん人身じゃなくて物損で終わらせるみたいなことで、私も怪我してないし別にいいですよってなったんだけど、警察署に一回来てくださいと。
あ、行ったんですね。 南口 行ったんですよ。で、その時に長所ほど大したもんじゃないんですけど、人身じゃないし、私ピンピンしてるし、なんか書いた後に私ももう少し注意したらよかったと思うってそこ書いておいてくださいって言われて。
酷いね。 南口 いやいや、横断歩道のですよ。上で、しかもセンターラインよほぼ。で、立ってた時に背中から私をひっかけにくる車に気を付けられないじゃないですか。
これ酷いあれじゃない?京都のドライバーは性格悪いし運転も荒いのに、そんなことを忘れて立ってた私が悪かったですって書いて欲しかったんじゃない?
南口 そう書けばよかったの?もうそんな、今やったらそのぐらいのなんか言ってもいいですし、いや私はその悪さを自分に非があるみたいなこと書きたくないですって言えるかもしれないんだけれども、当時ってまだ大学生とかで、
でも私、背中側からひっかけられてある、横断歩道の上なんですけど。 そうか、気を付けようなんよね。 南口 で、言ったけど、まあそれ定期やから書いといてって言われて。
いや訳わかんねえ。 南口 それで書いたんですけど、私やっぱり未だになんかちょっともやっとして。 つるな。
南口 で、なんかその事故の時って本当に私怪我なかったから、いろんなこと言うべきじゃないってその時思っちゃったんだけど、なんかその後タクシー会社の人とお話しすると、タクシーやったんですよ、私をひっかけた車が。
その時も自分と一緒に立ってた子と二人で行っちゃったから、なんか基本全部言いくるめられてしまって。 まだ若いしね。 南口 よくよく考えたら私法学部で、周りの一般の人に比べたら刑事弁護バリバリの弁護士さんの知り合いいっぱいいてんのに。
思いつかなくて、二人で行って言いくるめられて、事故よりもその後のことでなんか助けてほしいこともっとあったんだけどみたいになって、ずっともやもやしてます。 なるほど。それってやっぱ事件の現場ってやった方も巻き込まれた方も非日常すぎて。
南口 そう。 で、なんかこう言われたらあわあわって言ってる間に進んでしまうってことやんね。 南口 そう、私だってもうひっくり返ってたのに道路起きて大丈夫ですって言ってたもん。 言ってしまうんやろうな。 南口 そう、恥ずかしくてみんなめっちゃ心配してわらわら集まってこられて、いやもういいですみたいな。
すごい、いや良くないよって職員さんが言ってくれて。 良くないよね。 南口 そう、でもなんかタクシーの運転手さんも大丈夫やな、自分大丈夫やなって言って立ち去り張ったんよ。それを学生さんが追いかけてくれた。すごい感謝してる。名前も顔も覚えてないけど。
でもその時の経験でやっぱりその警察の対応とかそういうのにちょっとまだモヤモヤするってことですよね。 南口 そうなんですよね。 もう完全に二次被害とか起きてますよね。 南口 なんかそういうふうに言うんですよ。こういうことですよねって思います。
被害者支援の重要性
今日はついに被害者の問題に注目するというか取り組んでいくんですけど、今日はちょっと頑張ってお話ししたいですね。 丸ちゃん教授の罪な話、市民のための犯罪学。
刑事政策・犯罪学を専門とする立証大学教授で一般社団法人刑事司法未来の、そして京都出身の丸山康博です。 南口 一般社団法人刑事司法未来の大阪出身の南口です。
この番組は一般社団法人刑事司法未来が送る、これまでとは異なった視点から罪と罰を考えるものです。 ニュースでは聞けない犯罪学刑事政策の話についてわかりやすく解説をしていきます。
お堅いテーマですが、なるべく親しみやすい形でお伝えできればと思います。よろしくお願いします。
南口 よろしくお願いします。今日は犯罪被害者の方への支援について考えるということなんですけれども、最初に一つメッセージをご紹介したいと思います。
同じようなテーマでいくつかいただいているんですけれど、代表してというか一番最近いただいたものとして佐藤さんからのメッセージをご紹介いたします。
はい、お願いします。
今まで犯罪学のお話を自分ごととして聞いたことがなかったので、大変勉強になります。質問したいことは被害者の気持ちの問題です。
番組の中で、反省をさせた方が再犯率が高いということや、刑の執行中でも社会と隔絶しない海外の例などを聞いて驚き、学ぶ点が多いと思いました。
しかし、もし自分が重大な事件の被害者やその家族となった場合にはどうだろうか。
加害者に反省や後悔をし続け取り返しがつかないことをしたと、絶望しながら一生を終えてほしいと思うのではないか。
聴役系という言葉に懲らしめるという言葉が使われていて、おかしいということを言われていましたが、一生心に痛みを抱え続ける被害者からしたら、自分の代わりに加害者を懲らしめるルールがあることも当然ではないか。
加害者が反省も求められず、外部とのつながりを持ちながら個別のプログラムでケアされるということが本当に社会のためになるとして、被害者が納得できるのか。
先生方が被害者支援を120%するとしてと前置きをされておられますが、実際はどうだろうかお話ししていただけると幸いです。
はい、メッセージありがとうございます。
ありがとうございます。このいただいていることってずっと心に引っかかっていると思うんですね、私自分が。
この番組をやっててもそうですし、もっと前から裁判でも刑罰の話でも、加害者の方の人権っていうことだとか背景のことを考えましょうとか、そういう話を発信すると、被害者の気持ちを考えたらっていうような反応っていうのは必ずありますよね。
そうでしょうね、普通によく出てくる感じですね。
私たちは若い頃から決して被害者の方をないがしろにしてきたつもりはないし、一緒に被害当事者の方の会の集会に手伝いに行ったりとか、いろんな当事者の方にお話し聞いてお付き合いをさせていただいたりとかしてきたわけなんですけれど、
やっぱりこの番組をやっていく中で、この被害者支援の問題をどう考えるかはすごい大事なところかなと思うので、今日はまずはですよ、まずは丸山さんが考えていることを最初に教えていただきたいと思います。
被害者支援は重要っていうのはこれもその通りで、ただそれが加害者をきつく罰することが本当に被害者の支援になっているかってところが僕の常々思っているところですね。
そうなってくるとですよ、刑事司法でできることって何があるのかなっていうのがこれすごい悩ましいです。僕も常々悩んで考えているし、仮に自分が事件に巻き込まれて、それ被害者の立場になったらおそらく恨みを持つし、罰してほしいという思いは出てくるはずです。絶対に。
自分は今被害者じゃないからそういう話ができていて、そういう場面になったらどうするんだって言われたらそれは僕だって怒るだろうなとは思いますが、今どっちでもない立場から考えたらどっちにもなり得るんですね今のところ。どういう意味かというと自分がやるとかもしくは巻き込まれるってことも普通に起こり得るし、この加害者被害者って家族もいるわけですよね。
こうなってくると、例えば今日誰か家族がもしくは来年誰かが事故を起こすとか、それは被害者家族にもなる、死家害者家族にも全然なり得るわけじゃないですか。
とすると我々が考えないといけないのっていうのはどっちの立場にもどっちに対してもよく進むように考えないといけないなって常々自分はそういう位置に置こうと思っています今ね。まだ被害者じゃないから。
となってくると刑事司法でできることって何があるのかなって常々考えちゃうんですね。例えば交通事故の被害者になった場合、これどうしてもらうのが被害者にとっていいだろうって考えたりするんですよ。
例えばね。自分が今日の帰り道に事故にあって渋滞か命を落とすことになった時、じゃあ残された家族にどんな支援が欲しいかってことを一生懸命考えるんですけど、例えばうちの子がちゃんと大学卒業できるまでの支援をしてほしいとか、
父親を失ったことに対する心のケアをしてほしいとか、それがカウンセリングであるか、もしくは何かのトリートメントをするとか、あとは僕がいなくなったことで、例えば僕のパートナーがこの後すぐ結婚してくれてもいいんだけど、もしくは結婚しなくても誰か別のパートナーを見つけてともに進む。それはそれでありなんだけど、そうじゃなくてシングルで育てていくって決めた時に
例えばこの国でシングルマザーがどんなに生活が大変かとか、しかもそんな子育てしていきながらってなってくると、さっきの大学卒業するまでのケアをしてほしいって言ったら、それは心のケアだけじゃなくてやっぱり金銭面でのサポートもいるし、そのパートナーをなくしたことに対する心のケア、自分の相方に対してね。
一人で育てるって選んだんだったらそれをサポートできる体制とか、とりあえず被害者としてやってほしいこと山ほどあって、あれやってほしいこれやってほしいっていっぱい思い浮かぶんですけど、さっき言ったのはそういう意味で刑事司法にどれやってもらえるかっていうと、もちろんね腹立つから何かしてほしいっていうのはあるけど、それも例えば何個かあるうちの1個かもしれんけど、
刑事司法の課題
ほとんど刑事司法にできることないっていう普段から言ってのはそういうことで。
今話されてたところで刑事の裁判とか刑罰とかでやることって1個も出てきてないですもんね。出せば出せると思うんですよ、何か謝ってほしいとか。それはあると思うんですけど、確かにたくさんやってほしいことがある中のあくまで1つ。だけど何か何でしょう、テレビとか見すぎなんですかね私。
ってかあとSNS見すぎかな。何かこうすごく刑事裁判にみんな期待しすぎなんですかね。
日本はね。
なんか被害者のことを考えろっていう言葉が、確かに今丸山さんに言われた刑事裁判の場面とか刑罰の場面とか、あともうちょっと手前か警察の場面とかに要求が向いているように私が受け取ってしまっている気がします。
でもね、100歩譲って仮に刑事裁判にそうさせるもんだとしても、無罪推定が前提なわけで。
そうですよね。
さらに言うとその裁判でその人無罪っていうのもあり得るわけですよね。
とするとですよ、僕思うのが普段から思うのは、もちろんいろんな思いの被害者の方がいて、家を持って訴えられるのも大事な行動だと思うんだけど、それやった後にその人が無罪のこともあり得るわけですよね、裁判だから。
それは本当に辛いですよね。
それはそれでちょっとちゃんと、それは被害者のケアというか、それは被害者に対しても失礼なんじゃないかなって思うこともあるし。
確かに。
もっと言うと、被害者ってこういうもんだろっていうこのイメージ作りとかステレオタイプの被害者って、じゃあ実際どれだけ被害者の中にいるのかって結構むずいと思うんですよ。
確かに。そうかも。
被害者支援の現状
でしょ。だって世の中のね、全事件の圧倒的大多数はさっき言った交通事故だし、刑法犯で多いので、窃盗とか学生だとかどんどん行くわけで。
そうですね。
殺人って思いっきり少ないわけじゃないですか。
めちゃくちゃ少ないですね。
さらに言うと殺人の半分は家族殺であったりするわけだから、で皆さんが被害者って想像する時の被害者多分通り間的にとか一方的に恨みを買って、何の落ち度もない人がっていうのが被害者像として思い浮かべられると思うんです。
これはいらっしゃいます実際に。とんでもなく心の痛みもあるし、家族の痛みもあるでしょうから、これはケアしたいっていうのはその通りなんだけど、この人たちが被害者の代表で相手に死刑なり重大な刑罰を当ててほしいって思いはあるんでしょうけど、これが全ての被害者を代表するかのように言うと、そういう思いじゃない被害者が黙らざるを得なくなってしまうっていう問題が出てきて。
そうですね、そうか確かに。
とすると刑事裁判にそれを重きを置くっていうところは結構ちょっと重大にいろんな結果を起こすし、慎重にやった方がいいんじゃないかなとは思っている。
なるほど。私が大学に入ったのって90年代後半なんですよね。で、その頃から刑事政策をずっと勉強してるわけじゃないですか。で、その頃から今までってその被害者の方へのそれをケアと言えるかともかく、鍵かっこつきの被害者対応みたいなところがどんどん精度ができたりとか。
してましたね。
すごい変わった時代だったと思うんですよね。で、今の話、マリアムさんの考えていることは前提としてちょっとここで一回振り返りというか、今現状じゃあよく言われる被害者のことを考えろということに答える場合に今どうなっているのか。この20年ぐらいですごい変わったと思うので、ちょっとだけそこを確認させてもらっていいですか。
マリアム 私の印象合ってます?90年代後半ぐらいから結構。
そうですね。確かにずっと今言ったような、説明ちゃんと仕切れてなかった部分もあるんじゃないかなと思うんです。さっきのね。結局被害者を刑事裁判とか刑事司法に含むってことは全然してこなかったんですね。で、それは確かに90年代より前ってほとんどなかったんですよ。
被害者参加制度の導入
よく言われるのが事件の当事者は加害者と被害者なのに、当事者主義で言っている刑事裁判で言っている当事者って加害者っていうか被告人、被疑者、被告人ともう一方は検察官、国ですよね。
マリアム 国と後遺者の裁判、後遺者とされている人の裁判ですよね。確かに。
ってなってくるから、被害者は全然カヤの外に置かれていて、でなんかその人が例えばどんな事件に巻き込まれたのか知りたいなとか思っても公開の裁判で聞くぐらいしかないですし、
もっと言うと90年代って言ったら少年審判とかだと今でもそうで非公開じゃないですか。ってなってくるとその加害者なりそう言われている人が少年だった場合って少年審判であるので公開されてなかったりするわけだから、
じゃあそういう裁判にも出れないというかどんな事件だったかもなんかよくわからないままそれが進んでしまうっていうしんどさがあった。
そうですよね。私その頃さすがにどうなるかは知りたいってすごい思いました。
ちなみに南口さんがもし被害者の立場だった時にどういうことをしてもらいたいですかね。
やっぱり丸山さんと少し状況も多分違うので、まず私の話を聞いてほしいと思うんですよ。それから加害者がどうなるか知りたい。
っていうか今どうなってるか。この人が本当に犯人だったのかとか、刑務所行くんかとかそういうことが知りたい。教えてほしい私に。
とやっぱり被害が何らかあると思うのでそれは弁証してほしい。あたりはパッと思いつくところだったりします。
それを聞いて答えられるとしたらやっぱりこの20数年の間に変わってきているところがちょっとずつあって、
僕刑事情報にほとんどできることがないって言ったんですけど、やってることとして言えるとしたら、
例えばその話を聞いてほしいとかっていうところでいくと、被害者参加制度が出てきている。
刑予訴法が2000年に改正されて、後半でもう少し話しやすいように遮蔽して隠して話せるとか、
別の部屋で犯人というか被告人と顔合わせたくない被害者の方もいるので、そのまま別室で映像でビデオリンクで話すとか、
あとは広判定で意見陳述できるとか、最後に検察官が休憩するんですけど、無期懲役をとか死刑を休憩しますって時に意見を言えるとか、
こういうのがいろいろ入ってきるし、最近のやつでいくと受刑者に対する心情伝達ができたりとか、
もっと前でいくと保護観察中の人に心情伝達するとかっていうのがあったりする。こういうのは刑事司法でやっている。
なるほど。私の話を聞いてほしいっていうのがどうにかできるかもしれないってことか。
どうなったか教えてほしいってやつは、基礎になったか不基礎になったか、その処分の結果に関するところは被害者に通知するっていうのはありますね。
なるほど。
で、最終的に弁証というか給付はどうなっているのかというと、これは一応1980年から制度自体はあるんだけど、
これなかなか制度はあっても、基準とか要件が高すぎてとか、そもそもそれに乗ってこないし、乗ったところですごい額が少ないとか、
いろんな問題があったので、これがまた2006年以降に要件が緩和しましょうとか、
あと給付額をもっと引き上げましょうとか、そういうことはいろいろやっていくっていうのがあるんだけど、
この辺の90年代後半から2000年代にかけてって被害者のムーブメントがすごく大きい時期なんです。
この辺に2004年に犯罪被害者等の基本法ができたりとか、あと基本計画ですね。
翌年2005年からできていってっていうのが少しずつ、本当にちょっとずつなんだけど、被害者に注目した法改正なり制度っていうのはちょっとずつできてきた。
本当まさにそういう時代でしたね。いろんな手当をしますっていうふうに国は法律も作って、基本計画も立ててやってきていて、
私も実感としてなんかこういろんな制度が始まったなって思うんですけど、かといってもなんとなく十分じゃないような気がしていたんですよね、ずっと。
被害者の多様なニーズ
その十分じゃないなっていうヒントが多分丸山さんが最初に言ってた、そもそも刑事司法がやるべきことなのか。
どうぞ裁判で思ってること言っていいよって言われたのは、パッて考えたら私は言いに行きたいかもしれない、もしかしたら。
あれでもそれでオッケーかっていうと、なんかちょっと違うんだろうなっていう、いろいろなモヤっと感が多分最初に丸山さんが言ってくれたこととつながっているんだと思うんですけど、
今そうするといろいろ法律も作って基本計画も作って、そういうムーブメントで頑張ってきたんだけど、丸山さんが思っているそこじゃないだろうだったり、いやいや不十分だろうっていう点をいくつか教えてもらっていいですか?
例えばですけど、さっきの裁判で語れるようになったところは、先ほども無罪推定なり裁判のそもそもの成り立ちからどうっていうところは結構難しいところがあって、
日本の裁判って手続き二分化してないというか、事実を決めるね、こういう事件がありました、犯人はこの人でしたっていう何が起こったのかを証拠を積み上げて証明していくっていう審判の部分と、
じゃあその人はこの人だろうと、犯人は。で、事件があってこの人が犯人だろうってギルティーって決まった後に、じゃあどういう刑罰を当てるかっていうのって二分化してないんですね、日本の裁判って。
これアメリカの死刑の話したときに、これ別れててって話ちょっと出ましたよね。
これしてないとなると、やっぱりどうかな、これは事件かな、犯人はこの人なのかなって、例えば裁判員で出てるときに、あまりにも悲惨なかわいそうな状態の被害者の話を聞くと、やっぱりこれどうなのかなって思ってたのより、
やっぱりこの目の前にいる、被害者に、被害に遭われてる方は現実そこにいらっしゃるわけだから、で涙ながらに訴えられると、やっぱりみんなこの人を何とかしてあげたいって思いは出てきますよね。
出てきますよね。
となるとやっぱりこの犯人と言われてる人が憎いってみんなが思ってくる状態になるから、それは事実を決めるときに、その前にどうだったのかなっていうのが揺らがないかっていうような心配が出てくる。
それは冷静に考えたらですよ。
その第三者、あくまでも第三者の私っていう今の状況で考えると、言う方も辛いというか、実は違うかもしれない人に私の気持ちを聞いてほしいとは思わないはずなんですよね。
実は避けられない事故でしたとか、例えばそんな決着になったら、私のこの苦しみどうしてくれるわけっていう話になるので、確かに日本の今のやり方の中で語ることで何かこと足りるかっていうとなんかちょっとすごい微妙ですね。
次に保証の点から言うと、これも全国統一でちゃんと求められる金額を払えてるかというと、そこまでもいけてなくて、自治体によって異なったりする問題が起きたりとか。
これは聞いたことありますよ、その話。
金銭保証もそうだけど、そもそも生活支援が少ないわけですね。
これが僕が仮に事件にあったらとか事故にあったらっていう時に言ったのと一緒で、メンタルケアをどうするか。
さらに言うと、ちっちゃい子だったら裁判行く時に子供をどこに預けるのかとか、あとは賠償金だと自分で取り立てないといけない自治体もあったりとか。
これ立て替えてくれるとこもありますよね。
そうですよ。あるんですけど、それが場所によって違うとか。
違うってことですよね、住んでるとこによって。
ってなってくると、やっぱり事件に巻き込まれたり、一回ちょっと労災みたいに、とりあえず支給とか、そこに頭を働かせなくても、とりあえず生活を維持できるように。
もちろんね、その被害に遭った人を失ったってことは取り返しがつかないことなんだけど、それ以外のところで足が引っ張られることがやっぱりしんどいから、そこはもう安定して生活できるようにまず保証するとか。
だから被害者にできることっていっぱいあるんですよ、他にも。
いや本当に、最近出た本を今回お話を聞くにあたってちょっと読んでたら、いや確かにって思ったんですけど、先ほどの子供さんをどこに預けるかって、もう家族の中で誰が怪我をしたなり、もう亡くなりになってしまったなりしても、仕事にはいかないといけないとか。
そうですね。
今まで二人だから一人が子供を見て、一人が仕事に行くってしてたのが、いきなり一人になったら子供の人生はある、仕事どうするのって家を回していくには仕事に行かなきゃいけないとかっていう時に、自力で頑張るしかないっていう状況っていうのは、確かにそれ今すぐなんかケアできるようにお手伝いできる人を派遣するとか、もちろんメンタルケアも含めてですね。
なんかそれがある自治体があるんだって知ってすごいなと思ったんですけど、自治体によって違うのっていう、もうちょっとそんななんかご本人が、私が住んでる町で左右されないように言われたみたいな労災制度いいですよね。
これ結局ね、やっぱりいろんな被害者の支援のあり方を研究されている方々もいらっしゃって、ずっと継続的に被害者支援をしてくるとそれぞれニーズが変わっていくとか、そもそもどんな事件に巻き込まれたかで一口に被害者っていってもいろんなニーズがあるわけで、犯人に対して憎いっていうもちろんいらっしゃいます。
だけどさっき言った通り生活の保障がまず苦しいとか、いろんなことのニーズってあるんですよ。
いや絶対あると思うし、引っ越したいとかありますよね。
そうそうそう、そういうことも。
もう今すぐ引っ越したいみたいなことですよね。
被害者の声と支援
ってなってくると、やっぱり被害者のためにできることってたくさん出てきてて、その時に結局犯人と言われる人に対して原罰をやったので、これで手打ちというか、しまいっていうのは一番ちょっと乱暴なやり方だと思っていて、そういうニーズをちゃんと丁寧に取っていくと、こういう生活で困ってらっしゃるんだなとか、こういうサポートが必要なんだなっていうところに向けていけるわけじゃないですか。
光というか目を。
そうですね。
これを、だから加害者の方向にだけ向けて発する、ずっとこういうやり方をしていくと、それって本当に被害者の方のケアになってますかっていうのを常々思っているっていうことですね。
今おっしゃった話で、私も本当に二十数年前に大変な被害に遭われた方から直接伺った話で、自分たちはこの事件によって谷底に落とされた。事件によって落ちたし、その後も落ち続けていて、その後起きたことっていうのは加害者の人を確かに捕まえてくれた。
で、どうやらその件についてはその人が加害者。で、その人をドンって自分がいる谷底に突き落として、とりあえず落とし前つけたから、あとは頑張ってって言われた気が、私はしているっていう話をされてたのはすごい印象的で、私が望んでいることは彼を谷底に突き落とすことではなく、私を谷底から引き上げてほしい。
そうでしょうね。
ずっとそれを言ってるんだけど、みんなが谷の上から、谷底に落ちた自分と犯罪をした人、加害者の人を見下ろしているように、一番ずっと感じているっていうことを以前聞いたことがあって、今伺ってて、谷底から引き上げる、それは簡単じゃないですよね。
で、おっしゃったように、どういう被害があったかによっても全然違うと思うし、かかる時間も、必要なことも。で、同じ被害でも状況によって違うし、で、一人の人がこうだったって言っても、3年後とか10年後とかっていうので、当然状況は変わるでしょうし、なんかもうちょっとちゃんと考えた方がいいですね。
で、今度また僕が被害者だった時のことを考えると、最初にメッセージいただいたみたいに、やっぱり反省や後悔し続けてほしいし、それを悔いながら生きてほしいじゃないですか。
で、思った時にですよ、ここまでのこの番組、今日っていうより今までの番組聞いてもらうと、加害者と言われる人にもいろんな被害があってとか、例えばね、幼い頃に男性だろうと女性だろうと性的虐待に遭ってたとか、そういうことがいろいろあって、だからなんやねんって思いますよ、被害にあったらね。
で、それはそうなんだけど、じゃあ今度真摯にその事件に向き合って反省してもらいたいなら、その人のそういうのを取り除かれて向き合ってほしいっていうところがあって。
なるほど。
ってなってくるとですよ、さっきの話でいくと、両方谷底に落とすよりはまず被害者の方の困ってる部分をサポートして一旦落ち着いてもらう。もちろん事件に対する恨みはあるでしょうけど、落ち着いていく生活安定があって、
で、加害者の方もそのいろんなことに巻き込まれてきた人生をケアして、やっとここで自分がこういうことをしてしまったんだ、怪我させたんだ、傷つけてしまったんだというところに向き合ってもらう。その後の話だと思う。両方谷底に落とすっていうのはちょっと違うんじゃないかなってやっぱり思うっていうことですね。
加害者の理解
そうですよね。過去の罪の話でもお話ししてきたんですけど、この事件で加害者となった方が、じゃあ自分が傷つけた誰かの気持ちを思いやれるかっていう時に、今まで人から思いやられたことが一度もないとか、実際ないかともかく本人はないと感じて生きてきてた場合、
あなたが悪いんだから反省してくださいって言われても、私にも事情あるけどって、やっぱりなってしまうことも多分あるし、まずはあなたのやったことを考えるためには他にすべきことというか、私がちゃんと適正な裁判を受けるってこともそうだと思うし、あなたの言い分をちゃんと聞きますって人を準備するってことも多分そうだと思うし、
なんか取り調べ中にすごく失礼なこと言われたりとか、バカにされたり侮辱されたりなんていうことはないような状況でちゃんと話を聞くとか、そうじゃないとやっぱり確かに一生後悔してほしいって思うその思い自体が全然届かない。
そこまで至らないこともあるからね、ただ休断するだけだと。
きっとね、本人の心には全く届かないっていうことが起きると、言っている被害者の方も疲れてしまうし、かえって傷つくようなことになったりもしそうですよね。
なので、結局被害者支援とか加害者の支援っていうのは表面だけ取り上げるんじゃなくて、加害者を休断するだけでこの事件は終わりましたっていうんじゃなくて、本気でちゃんと被害者支援に向き合ってほしい。その奥にある問題、ニーズを回復する。
加害者の問題もちゃんと向き合って取り扱う。これがやっぱりちゃんとした被害者支援にもなっていくんじゃないかなって考えてます。
本当におっしゃる通りだなと思ってて、今話聞きながら私自身が気をつけなきゃいけないなと思ったのが、被害者にもしなったらどうしてほしいですかっていう時に、やっぱり丸山さんが思うことと私が思うことは違うし、
どっちが悪いとかそうじゃないじゃないですか、違うっていうことだから、だけど被害者って言った時に、こうやろうみたいなあるべきってまで言うと言い過ぎかもしれないんですけど、被害者の方それぞれ違うのに被害者らしくないみたいなこととかも、犯罪が起きた後に起きがちじゃないですか。
例えば性被害の訴えのところだったりしたら、なんか普通はこうやろうみたいなこと言われたりとか、だからそこはやっぱりすごく気をつけないと、だから被害者のこと考えてる風でかえって落としめてしまうというか、なんかそういう被害者像みたいなのも社会が持ってしまってる場面も多分ありますよね。
そうですよね、あとさっき僕は被害者でも加害者でも同じ立場だからって言ったんだけど、仮にさっきの南口さんの冒頭の事故の話、あれで僕が被害者だったらとか、そんな話を聞かせて欲しいから一緒に来てくれとか、それはちょっと僕は刑事司法にできることほとんどないと言ったが、そっちで話したいって被害者なんだったら言ったらいいと思いますよ。
もちろん けど、そんな色々傷ついたりしてる時に、お前が来いよと思わないことはない。例えば僕らの知ってる方で事故で亡くなった方がいらっしゃってね、京都で事故にあったんだけど、ご両親というか実家はもっと遠い方の方が話を聞くっていうので京都まで来いとか、
裁判京都やったもんね そう裁判も京都でやるから、それはちゃんと被害者のフォローをするならせめて話を聞かせてくださいっていうのは現地に現地というかその方のところが望むんだったらそっちに行けばいいし、
旅費出るかとかですよね そう、平日昼間に裁判するなら仕事休んで何日も明けてこないといけないしとか、そういう意味では現地支報できることがあるから被害者のためにね
まだあるって感じですよね だからほとんどないって言ったのは、ほぼないと思ってるけど、そういうサポートもちゃんとしてほしい
その警察署に行くかとか裁判に呼ばれる時のケアって、どっかでしなきゃしょうがないから来てくださいなら来てくださいですごく丁寧にやってほしいですよね
本当まだまだできることありますね
はい、さてここで犯罪学をもっと身近に感じてもらうために犯罪学の観点からエンタメを見ていきたいと思います
今日はですね、謝るならいつでもおいでという本をご紹介したいと思うんですけど、丸山さん読んでおられますか
丸山 これね、サセボの事件のやつですよね、どの事件扱ってるかは知ってるんですけど、すいません僕ちょっと読めてないんで紹介していただけますか
謝るならいつでもおいでっていうのは2004年にサセボの小学校で小学校6年生の女性の児童さんが同級生に殺害されたっていう事件についてのレポタージュなんですね
このおすすめポイントとしてはまずこの事件自体は被害者の方が新聞社の市局長のお嬢さんなんですよ
被害者はどうも多分仲が良かったはずの同級生なんですね、で著者はその新聞社の新人記者の方なんです
これが今皆さんお聞きの皆さんがどんな新聞社を思い浮かべているかわかんないんですけど
サセボ市の市局なので2階が市局で3階にこの市局長のご家族住んでたんですよ
だから単に上司のお嬢さんっていうより毎日ただいまって帰ってきて
たったったと階段で音がしてただいまって帰ってきて3階に上がってくる朝は降りてきて行ってきます
たまには一緒にご飯を食べっていう関係だった記者の方なんですよ
とても近しい関係だった記者の方が書いてるので
すごく身近で起きた被害者遺族がどうなっていくのか
どんな状況でどんなダメージがっていうのがすごいリアルな一方で
ご本人も含めて記者なので報道すべき事項としてこれを捉えようという姿勢があるんですよね
だから第三者的に書こうというこれは記者としてもある
だから少し視点として距離を置こうとしてるんだけれども
到底距離を取れるはずもないその心の動きみたいなところがすごい近くから
本当に一緒に生きてきた人が書いてる
なんだけど書き手は当然プロの記者なので文章は上手なわけです当たり前ですけど
だからすごいこの100日間を書いてあるんですよね
事故発生から審判が終わるまでの100日なんですけど
本当に自分もその中にいるようなそれを隣で見てる人になるような感じで引き込まれる
苦しみも悲しみもっていう点がすごく特別な本だなって思っている点です
もう2点目はもう一つあって少し時間が経ってから被害者のお父さん
それから加害者のお父さんそれから被害者のお兄さんの語りっていうのを
第2部にまとめておられるんです
つまり事件が起きて審判があるまでの100日っていうのはものすごい報道があったと
それは自分たちもメディア人として抜かれるのは困るっていう気持ちもあれば
いい加減なことを他紙に書かれるのは嫌だっていう気持ちもあるから
すごい一生懸命報道するんだけど当然終われば引いていくわけじゃないですか
だけど何も終わらないっていうところを時間が経ってから2部にまとめられていて
被害者のお父さんの直接話そうかって言って始まるんですよね
あの事件のこと話そうかって言って始まる一生と
加害者のお父さんとどんなふうに接していくのかっていうところ
お父さんが今どうされてるのかっていうところなんか
やっぱり被害者のお兄さんがどう生きていくのかっていうところが入っていて
なんかその最初のバーッと事件に巻き込まれていく100日と
時間が経って私たちは忘れたかもしれないけど
人生は続いているっていうところが一冊にまとまっているので
すごくあの被害とか被害当事者になるってことを考えるのにおすすめの一冊です
ちなみに2014年に就営者から発刊されてるんですけど
2018年には慎重文庫になっているのでまだあるかなと思います
ぜひおすすめしたいと思います
これはやっぱり被害に遭われた方のその後も含めて書かれているとすると
事件としては注目度がどんどん日が経つにつれて薄くなっていってしまうけど
やっぱり本人たちはずっと続く問題だしっていうところの葛藤とかも書かれている
なるほどね分かりました
南口さんに解説してほしいエンタメ作品がありましたら
番組詳細欄にあるリンクよりご投稿ください
さてこの番組では感想や質問リクエストなどをお待ちしております
番組詳細欄にあるリンクよりお気軽にご投稿ください
Xではカタカナでハッシュタグ罪な話をつけてポストしてください
毎月第3火曜日の夜9時半からXのスペースで
罪な話で裏話を開催しています
ポッドキャストで話しきれなかった内容や
スペースに参加してくださった皆さんの質問にお答えしています
こちらのご参加もお待ちしています
また私が所属する一般社団法人刑事司法未来でも
犯罪学や刑事政策について発信しています
刑事司法未来で検索してみてください
ではまたお会いしましょう
お相手は丸山康博と
南口文でした
40:22

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