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2024-04-07 35:16

#151-2 ご縁を繋ぎ「共存共栄」の経営で10年後にみんなで幸せになる(松山工業株式会社代表 鵜久森洋生さんゲスト回 2/2)

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後編です。共に生存し、共に栄えるという「共存共栄」の精神を大切にし、短期ではなく長期で豊かになるという考え方について教えていただきました。ウクモリさんの自己表現とは?
▼ゲストプロフィール
松山工業株式会社 代表取締役社長 鵜久森洋生1972年東京都出身、1990年テキサス州ストラットフォードハイスクール卒、1995年法政大学経済学部卒業後、岡村製作所(現・オカムラ)に入社。2000年松山工業株式会社に入社し、2010年より現職。松山工業株式会社の3代目経営者として、ご縁を大切にしながら、現在は人的交流や企業間連携のハブ役として活動中。また、昨今は松下幸之助氏が大切にしていた言葉のひとつでもある「共存共栄」の実現を掲げながら従来の枠に捉われない独自の方法で、異分野連携や起業家支援、イベントの企画・運営など複合的な活動を行っている。
▼SNS等
X:⁠https://twitter.com/HirooUkumori⁠
note:⁠https://note.com/ukumori_hiroo
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だから仙台からもずっと、「そろそろ本気出さないの?」って言われて、ずっと来ました。
でもそれをできる強さがないと、やっぱり後継ぎって本当に難しいし。
私はだからある意味で、結婚期に名前を変えたほうだからこそなんですけども、
そういうふうな、あれおかしいなって思いを実現できたのかなっていうふうには思います。
それがずっと前から家庭の一部で生活の一部だと、そこを疑問に思えない可能性もあるので。
もう立ち感とか思想レベルまで入っていってる可能性が。
まあこんなもんだよなって言って終わっちゃう可能性もありますよね。
この間のマッチプロのイベントで藤沢誠宏の嫁ちゃんに聞いていて、
やっぱりなんか、まあぜひ、たぶんノートとかでまた出てくると思うんですけども、
やっぱり思い切って全てを変える、本当に真逆をやるというか、事業をある意味畳むっていう選択肢を取ったわけですけども、
ある意味、嫁ちゃんも直系の家系じゃないというか、嫁さん側が社長になるって、
だからこそできたみたいな部分もあるのかなと思う。すごい近いものを。
いや、私はもう、なので、今回大阪でイベントをやるって言った時に、
まず先に手を挙げて、実際リアルに現場で話聞いてきて、
私自身がやはりものすごくそこら辺は苦労した過去があって、
もともとうちは、先ほど言ったようにブラウン管テレビのパーツをやってたからこそなんですけど、
お客様がほとんど大手企業、それこそ総大手企業ばっかりだったんです。
そうですよね。テレビ作ってるからですよね。
だから仙台からすると、そういうふうなところのキーマンをいかに、
どこかじゃないけども、注文をもらえるように関係性を保つかっていうところがポイントだったんですけど、
私からすると、もう当時で家電メーカー自体がもう衰退の一歩を辿ってましたし、
そこがもうキーじゃないっていうのがわかっていたので、
新たなことをやらないと、多分うちは会社がなくなるぞと。
いうふうに舵を触れたのが良かったかもしれない。
ここ最近、特にそうですけども、うちは中国に工場があったって話をしたんですけど、
ある意味だから、中国に生産拠点があったので、メーカーっちゃメーカーだったんですけども。
そうですよね。いわゆる日系の企業さんが生産拠点があるっていうのはよく聞きますよね。
それをですね、私は一時期本当に熱を入れたところは、
月に1回ぐらい中国に行って、現地の生産を見ながら、
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新たな事業をどうしようかみたいなのをディスカッションしたりとか、
実際に現地のお客様を回ってとかっていうのをしてたんですけども、
2005年にですね、中国の生産拠点を台湾のパートナーとの合弁だったんですけど、
台湾のパートナーに株式売却しまして、中国から撤退をしたんです。
なるほど。そのタイミングで撤退を。
2005年ってまだまだ多くの企業が中国に進出しようとしたところなんですよ。
そうですよね。まだ工場作り始めたみたいな頃ですよね、日系企業が。
だから当然ながらその頃にもパレーションがボーンと起こってですね。
社内もそうですし、外部もあの後継者任せてたら、あの会社潰れるんじゃないかみたいな。
でも結構その意思決定は割と意図を持ってやってたってことですよね。
当然ながらの意図を持ってまして、2005年の段階でもうかなり中国のローカル企業がクオリティを上げてきていたので、
これ以上続けていると設備投資の戦いに巻き込まれるっていうのがわかったんです。
2005年ってタイミングがちょうどよかったのは、まだ撤退するのが優しかった。
今はもう法律でがんじがらめで、撤退したいけどもう撤退できない企業もいっぱいいるんですよ。
現地の中国側の規制というのも含めてってことですか。
今あれから15年近く経ってみてみると、
あのときに中国を撤退してメーカーから商社に転じたっていうのがものすごくうまくいっててですね。
日本だけの市場を考えるようになったので、
うちはグローバルで考える必要がないぐらい規模的には小さいので、
いずれまた海外でとかあったら面白いなと思いますけども、
軸はやっぱり国内に移したっていうのがものすごくよかったですね。
でもやっぱり拠点を海外に持ったままだと相当な重さがあるというか、
何か新しいことをやるにも為替リスクとかもいろいろ考えるようになる。
そうです。中国に拠点で1,000人ぐらいいましたからね。
それ辞めるって言ったときにもみんな周りびっくりですし。
それはでも割と、まだ社長就任は前です。
くもりさんにとって意思決定をするっていうのはどういうことなのかすごい気になったというか、
やっぱり一つの経営者が直面するものとして、
やっぱりリスクを取るとか意思決定をするってすごく経営者に求められると思うんですけど、
やっぱりそこがうまくできないっていう壁にぶつかることも多いと思うんですけど、
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そこは結構昔からできるタイプだったというか。
そうかな。でも中国の撤廃のあたりからそういうのは、
周りの誰かではなくて、私自身が考えないと、
結局うちの会社自体がなくなるとかっていう前に、
私自身も仕事を失っちゃうわけですから。
社員も仕事を失ったらもっと嫌なので。
だから先を見て決断をするっていうのは。
決めたりすれば、でも売却もできるわけだし、
そこで日本の雇用は守ることもできるしっていうのを、
割とロジカルに判断して、そのときは決めたっていうことですね。
そうですね。
じゃあそこから、いわゆる松山工業という割と製造業的な名前ではあるものの、
そこから割と勝者に変わった。
そうです。
それと前後するように今度は、
先ほど言ったように、私が未来を作るっていう立場に会社の中でなったと。
いうふうなことで、ロボコンだけでは当然ながら、
食べていけるわけではないので、
そこからじゃあどうやって収益の柱を作っていくかっていうのを、
まあ今でも実は戦ってるわけですけども、
その中で私が大事にしたのが、応援というふうなものでした。
この応援みたいなキーワードを、
くもりさんがBlogとかで使われてるんですけども、
なんかこの辺のキーワードに出会ったというか、
それが結構今のこの10年ぐらいのキーワードになってるのかなと思うんですけど、
これについてもお聞きできますか。
うちの会社自体はですね、80年近く続いていて、
おかげさまで今業績が急に傾くっていうことがないんです。
これは1年や2年、
なんかが起こってビジネス自体がなくなっちゃったとか言ったら、
それは別かもしれません。
ただ、普通にやっていれば急激に何かが悪くなるっていうふうなことは
考えられない状況なので、その間に未来を作ろうというので、
比較的長いスパンで物事を考えられる状況にあるっていう前提があります。
そうなってくると、私自身は今いろいろな方々の望遠があって、
当然ながらものづくり系の方もいるし、ものづくり系ではない。
たとえば一番面白いところでいくと、ガチャガチャのプロデューサーさんだったりとか。
ガチャガチャの?
あとは水族館の新規事業部の方々だったりとか。
本当にその分野を問わずいろいろな方と仲良くしていたら、
09:05
何よりもそういった後援を大事にしなくちゃいけないなと思ったんです。
10年ぐらいのスパンでってさっきお話をしたんですけども、
それぐらい長いスパンで物事を見れるようになれば、
必ずしもうちの収益だけにとらわれるっていうよりは、
みんなでハッピーになっていくというか、
みんなで盛り上がっていく土壌を作っちゃったほうがいいんじゃないかなって、
徐々に考えるようになったんです。
なのでそれを、特に7、8年やってきたんですけども、
その中で、実は先週大阪行ったときにも寄ったんですけども、
松下幸之助歴史館というところがあるんですね。
行かれてましたよ。
あそこで共存共栄という言葉に出会って、心を打たれまして、
それまで私自身は人生の中で、
特に松山工業に入ってからキーワードがいろいろ変わってきたんです。
最初はロボットって言ってたんですよね。
ロボットをやりたいから。
それが今度ものづくりになって、時代に合わせて今度はオープンイノベーション。
そのあとは多様性という言葉を大事にするようになったんですけど、
それぞれ時代のそのときそのときは、
私にとってしっくりはきてたんですけども、
松下幸之助歴史館で共存共栄っていう言葉に出会ったときに、
オープンイノベーションっていうのは開かれたイノベーションの環境であって、
共に栄えるっていうキーワードを書いてないんですよね。
逆に言うと共存共栄ってこんないい言葉なのに、
日本人それを誰も見てないなってことに気づきまして、
共に存在して共に栄える。
なんかこれ素敵じゃない?と思ってですね、
この2年ぐらいは共存共栄の実現を私の根本の軸にしてます。
そうすると、例えばリタの精神を持ったりとか、
ご縁が大事だったりとかっていう言葉がものすごくそこにひも付かれて、
大事な行動になっていくので、
より私自身の行動がクリアになった感じですね。
なので割と短期で考えていくと、自分たちの利益をどう出すか、
今期の売り上げをどうするか、
割と自分になってしまうところを長期スパンで見ることで、
かつ共存共栄っていうみんなで栄えるってなっていくと、
出会った人も競合じゃなくて、むしろ何か一緒にやって、
将来10年後に一緒に栄えられたらいいなみたいな、
そういう考えがベースにあるんです。
おっしゃる通りですね。
12:01
なので、ロボットのロボコンの支援を始めた時から、
仲良くなっていた人たちがどんどん増えてきて、
それこそ、私は今いろいろなところ、
コーワーキングとか、そういったところのコミュニティにも属していて、
いろんな人とも仲良くて、その人たちの中で、
さらに仲良い人たちと一緒に、
私自身が独自のコミュニティを持っているので、
そこでやっぱりみんなもっと幸せになろうよということで、
私が例えば独自のイベントをやったりとか、
するようになっているっていうようなところがあります。
それは、少し先の未来に、
みんなで豊かになっていけるようなことを目指してという。
今、世間ではですね、
例えば、あれは何年だっけな、
アダム・グラントという方がですね、
ギブ・アンド・テイクという本を出して、
私はあれにすごい救われたんですよ、実は。
で、私自身はある意味でどちらかというと、
みんなが喜んでくれるっていうのが大好きで。
ギバーみたいな。
そうですそうです。
それをずっとやり続けていて、
時にやっぱり収益にならないこともあるので、
これって生き方としてどうなんだろうっていうふうなことを、
悩んでいた時期にあの本に出会ったので、
あ、僕やってること正しいじゃないかって答えになってしまった。
そういうふうなケースだったりとか、
私自身はそういうふうなところでは、
リタという言葉をすごいそこから尊重するようになってですね、
で、やればやるほどいろいろな人が喜んでくれて、
結果的にはあるときに、
いやこの人いろいろやってくれるから、
相談乗ってもらうといいよってことで、
気がついたら、
あの腸がつくほど大手の企業から、
僕たち01どうやって立ち上げればいいんですかねとかっていう、
相談が来るっていう不思議な展開になっていくっていう。
なるほど。
やっぱりじゃあベースには共存共栄で、
やっぱりリタの心が。
そうですね。
私ちょうどこのラジオを集落する前の日にノートを更新したんだけど、
そろそろ3年で物事を考えるのをやめませんかっていうテーマで、
ノートを変えたんですね。
経営計画みたいな。
はい、そうです。
で、大体大手企業もそうですし、
中小もそれに倣ってあれするんですけど、
3年で結果を出せみたいな仕組みを作りたがるんですけど。
寸金事業でもそれが大体。
で、それって3年ってそもそも誰が言ったのっていう。
それで実現できるのっていうふうなところがすごい疑問に思っていて、
私自身今10年近くその後縁を繋いでたら、
気がついたらいろいろな仕事をするようになっていて、
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本当にそういうふうなところでは、
続けることがすごい大事なのに、
区切ってやめる方向にいってるプロジェクトの中で、
これ続けてたら成功するのになって思うようなもの、
結構含まれます。
ここは何て言うんですかね、
この資本主義の仕組みなのか、
割と短期での投資リターンみたいな世界に、
構造上になってしまうんですかね。
僕も割と上場企業で働いてる部分もあるので、
そっちでも割と中長期のことを割とやっていくんですけども、
やっぱりそこの経営者の悩みというか、
短期と長期をどうバランスするかっていうのは、
よく悩みとしても聞きますね。
だからトライアルでやってみるとかって言うんだったら、
3年ぐらいでもいいのかもしれないんですけども、
それを収益の柱の一つにしていこうっていうのであれば、
やっぱり10年、20年多分かかると思うんです。
で、そのストーリーが作れないからこそ、
今日本って苦しんでるのかなと思ってしまう。
結局それが3年で価値が上がるかっていうと、
価値喪失なんかできないわけですよね。
そうですよ。
そこがポイントかなと思って、
うちは今だから、
やはり経営者の勉強をしていたときに、
ブランディングも学んでいたので、
やっぱりそういったところを大事にしながら、
やっています。
なんかその、やっぱり腰を据えて、
これは10年かけても、
少しずつでもやり続けるんだっていう、
なんて言うんですかね。
やっぱりそこの自信を持つのも結構難しいんじゃないかなと思ったりするんだけども、
その辺りっていうのは、
どういうふうに信じるっていうんですかね。
それはですね、
たぶん今周りの企業を見ると、
たぶん10年何かを続けて、
まだ収益にならないよみたいなことをやってて、
やってる企業はまずないと思うんですよ。
だから、その先やってれば収益が出るんだけど、
出てこない。
やめちゃうから。
あともう一つは、
うちの会社なんかは特にそうなんですけど、
新入社員で入ってくると、
まずは育てる側の責任なんですよね。
だから、何か新しく入ってきた人たちが課題を抱えたとしたら、
これは本人の責任ではなくて、
その指導している人たちが変えられないのが責任だよね。
いうふうに考えるようにします。
そうすると人が育っていくっていう。
2年で伸びる人もいれば、
5年かかってようやく何かに気づいて変わる人もいるわけですから、
そこら辺は1年、2年で物差しで見ないほうがいいのかな。
18:00
いうふうに感じますね。
人の成長も事業の成長も、
時間がかかるという前提にまずは立って考えるっていうのは、
やっぱりそれがなかなかできない会社が多いっていう。
そうですね。
やる気スイッチがどこにあるのかなんて、
私もわかったら全然苦労しないんですけど、ないんですよ。
そういうときに大事なのが共存協会だったりリーターとか、
ある意味思想というか、自分が信じられることが何なのかっていう。
それがないともう無理かなと。
本当だからうちの社員にもよく言いますけども、
ちゃんと正道を歩もうよ。
正しい道を歩んでいこうよみたいなところも大事で。
今企業がいろいろ不正をしたりとかいう話が出てくるんですけど、
うちはもう正道を歩もうといったのも、
弊社になって3年目ぐらいだったので、
やっぱりお客様に対して何か問題があったときに、
正しく報告するって、当たり前なんだけど意外とできてないことだった。
スパッとそこで、ちゃんとそれはもう正しく言いなさい。
どんな問題が大きくなっちゃっても、
それは仕方ないからうちやっちゃったんだからさ。
腹くくったのは結構良かったです。
そこもやっぱりちゃんと長期を考えてるからこそ、
正しいことができるというか、短期って考えすぎると、
もうちょっと嘘ついてでもなんとかしようみたいになる。
そのあたりも全部繋がってるし、
それがブランドになっていくというか。
結局そういうふうになっていくと、
あそこはちゃんとやってくれるよって評価に繋がってくるんだよね。
はい、誠実に。
だからうち今、皆さんどうかわからないけども、
相談件数がもう本当に急増していて、
逆に言うと今それをどうやってこなそうかっていうステップにようやく入ってきたので。
嬉しい悩みが、っていう感じですよね。
ありがとうございます。
ここから働き方ラジオに沿った質問をさせていただくんですけども、
このラジオは誰もが自己表現をするように、
情熱を持って働く世界を作りたいっていうのをテーマに掲げていて、
その自己表現っていう、ある意味子供が歌ったり踊ったりするような、
内発的な、誰かに評価されるためにだったりとか、
誰かが言われたからやらなきゃいけないとかっていうことではない、
自分から沸き上がってくるようなものを、
自己表現的な働き方っていうふうに定義してるんですけども、
うくもりさんにとっての自己表現とは何なのかっていうのは、
今までの話にも結構出てきた気がするんですけども、
もしあれば教えていただけますか。
私自身最近、この2年ぐらいですかね、
インタープレーナーという言葉に出会いまして、
21:02
出たこともしかしたらある方もいらっしゃるかもしれませんけど、
インタープレーナーをみんなで、
インタープレーナー技術を持った人をみんな集めて、
新たなムーブメントを起こそうよみたいなところ、
私自身も呼ばれたりするんですけども、
やはり自己実現をしたいと思っている人たちが、
社会の中で、僕やりたいんだけどさって言ってる人5万人いると思うんですよ。
そういうふうな人たちは、
たぶんやりたいっていう言葉と実際の行動が合ってないので、
それは何かっていうと、
実際に外に出てない人がほとんどだと思う。
やりたいとは言ってたり思ってはいるんだけども、
外に出てないから。
私自身は今、ほとんどスケジュールがですね、
来月なんかはほぼほぼ中盤ぐらいまではびっちり埋まってるぐらいに。
やっぱり行動が変わると、
周りの人たちも変わるし、会える人たちも変わってくるんで、
どんどんどんどんとその日暮らしがなくなっていくんです。
なので、まずは外に出て人と触れ合って、
応援を育むっていうのがものすごく大事だと思う。
一番やっちゃいけないのが、
実は会社と家だけの往復をすることなの。
そこに新たな感覚って全くないわけです。
電車の中でも寝ちゃったりとかすると、
さらに外の世界見ないで過ごすことになるので、
私自身は結構、こんなような今忙しくはしてるんですけど、
それでいてもフィールドワークをすごい大事にしてる。
とにかく外に出て、移動して、人に会って。
そうですね。
当然会社の業務も大事なので、
そこをおろそかにしないっていうのはあるんですけど、
でもやっぱり自己表現をするっていう上では、
自己表現を誰にするのかではなくて、
自分にとって何が大切なのかっていうのを見つけることが大事だと思っていて、
私はそこの部分が先ほど言っていたような、
リタであったりとか、相手の笑顔を見るのが喜びだったりとか、
あとは今だと企業とか人をつなぐ中で、
私がつなぐっていうのは何かしらの理由がないとつながないんですね。
なるほど。
この人とこの人があったらこんな感覚反応が起きそうだからっていうことで、
今日もメッセンジャーで何組かグループ作ったんですけど、
そういうところで喜びを、
さらに効率を上げていくみたいなところにさらに喜びを感じるようになる。
企業間も面白いのは大企業同士がダイレクトでつながれない中を、
私がつなぐみたいなのが結構多くてですね。
へー、別に大企業同士、連絡が取れないってわけではないだろうけど、
24:05
そこにコネクターとしてゆくもりさんが入ることによって動いていく。
大企業もどんな課題を抱えているかとか、
どんな問題をクリアしたいのかみたいなところを聞いていれば、
ああ、じゃああの企業も今同じように悩んでるから会ってみますかみたいな話ができる。
そんなものをやって、だから自己表現っていうところで言えば、
私の場合はそういうふうな、相手にとって何が最適解なのかっていうのを探し出すのが大好きですね。
なるほど。
これはね、子供の頃からたぶん一緒です。
相手が喜ぶ、相手が笑顔になるようなことは何なのかっていうのを考えて。
やっぱりアメリカにいたときにボランティアの聖典を学んだっていうのは、
結構大きかったかもしれないですね。
リタみたいなことはわりと染み付いているという、
それが言葉として出て、より自分の表現として出るようになったのがここ10年ぐらいみたいな。
そうですね。
すごいよくわかりましたし。
そうですね。この人を繋ぐとかも、繋ぐって言葉で言うのはまた簡単で、
よく僕も奥森さんもコミュニティとかやると、コミュニティの価値って繋がりだよね。
繋ぐだよねって。
ただやっぱり繋いだはいいけど、意外と何も起きないとか、
別に起きなくてもいいのかもしれないですけども、
こことここは繋いだらみたいな感覚っていうのは、
どういうところから出てくるんですかね。
私自身、数がすごい多いんですよね。
それだけ数をやってからこそのピンとくるものが。
ある紹介性のコワーキングが、競争とかを目指したコワーキングがあるんですけど、
そこたぶん私100人ぐらい紹介して、
50人ぐらい会員になってるんですよね。
それもやっぱり会うか会わないかっていうのは、
事前にある程度大体、この人だったら連れて行きたいみたいなのがあるんですよね。
なるほど。それだけ外に出て繋いできたからこその感覚というか、
ある意味感性的なものに近いか。
もう感性です。
感性ですよね。
だからロジカルなものというよりも、結構感覚の。
結構熊谷さんも感覚派のところも結構あるんですか?
です。もうそうですね。
音楽もやっぱりメタルが好きですから、あれはもう感覚でしかないですから。
何言ってるか歌詞が分からないですから。
いやーめっちゃ分かります。僕も結構感覚派と言われるので、たまに理解されないといけない。
働き方ラジオとかも、何でやってるのってそのロジカル説明しようとすると、
27:01
すごい難しくて、でもこれやってるともういろんな人に繋がって、いろんなご縁があって、
もういいことしかないんだよって話をするんですけど、
なんかロジカルな人っていうんですか、にとってはそれでお金儲かるの?
いやそういうわけじゃないんだけどみたいな。
結構その辺は結構感覚なところもあるので。
僕はね、分かんない人には、もう私最近ずっと思ってるんですけど、
分からない人には分かんなくていいやって思うから、
余計なことしなくなります。
むしろもう本当に田中さんもそうですけども、
一目会った時に、この人やっぱり近いね、みたいな感覚ってあるじゃないですか。
そういう人たちと仲良くなってた方が、結果的にはものすごくハッピーになる。
ハッピーですね。ありがとうございます。
最後の質問ですけども、今後の夢とか未来につながる話も、
もしあればいただければなと思うんですけども。
会社のほうで言ったら、そろそろ事務所を新しくしたいな、
みたいな具体的なこともあるんですけど、それじゃ面白くないんで。
私の夢としてはですね、今実は息子がいなして社会人になったばっかりなんですけども、
彼は本当に私の背中を見て人繋ぎをするっていうのを実際にやってきてます。
すごい。
あれはやっぱりDNAなんだなと思うぐらい、私以上に人に好かれるし、
今イベンターをやってるんですけども、ものすごく面白いので、
将来うちの会社を継ぐかどうかっていう風なところよりも、
人として成長をちゃんと見たいなっていうところがありますね。
娘もいるんですけど、娘も多分面白い人間になってくると思うので、
子どもたちの成長を見てみたいなというふうに思ってます。
私自身はですね、仕事も大事なんですけども、
趣味人間でもあるので、やっぱりそれが両立できるようにしたいなと思っていて、
写真はイベントやったりするぐらい本格的に今やり始めてるんですけども、
去年バイク買っちゃったりとか、原付きなんですけどね。
あとは音楽のライブ行ったりとかもしていたのが、
気がついたら、ライブを見に行っていた人と仲良くなって今ご飯に行ったりとか、
この前はソロライブやるから、娘さん撮ってよって言われて、
写真撮らされたりとか、不思議なご縁で繋がったりしていますね。
なのでそういうふうな、やはり夢って叶えるためにあるものなので、
それを叶えられる環境をどんどんどんどん作るっていうのが、
私自身楽しみなので、もっともっとこれからも漠然としてますけどね。
30:03
でもすごい、僕も夢って何?って言われるとあまり答えられなくて、
でもなんか、もっとやりたいことができたときに、
それができる環境にしておくかみたいなことはすごい大事。
もうね、それすごい大事だと思います。
私は結構そこらへんは無理してやるので。
例えばですね、面白い話ですと、
インドの仏教徒の頂点に立っている日本人の僧侶の方がいるんですよ。
聞いたことありますね。
私はもうその人の辞典を読んで、
宗教とか云々観念っていうのに、その人が話説を繰り返したけども、
結果的にはリタを追求したら、
インドの仏教徒の頂点に立っちゃったっていう不思議な方で、
たまたまFacebookで名前を検索したら、「帰国します」って書いてあって。
うわ、こりゃ行かないと、みたいな。
80年代当時で過ぎてましたから、行かないとと思って。
ただね、どんなバカもわからないし、
まあ大丈夫かなみたいな話を誰にも触れない中で、
これもたまたまなんですけども、
あるところで出会った浅草のお坊さんがいまして、
その人にメッセンジャーで、こういう会あって行こうと思ってるんだけどどう思いますかって、
大丈夫かなみたいな話を振ったら、
僕ね、その人が最初に日本に帰国したときにね、
引率したの、「大丈夫だよ」みたいな感じになった。
だから奇跡が起こるんですよ。
そういうふうなところでは、やっぱり行動したいと思って、
夢を持っていると叶う瞬間が出てくるっていうのはあるなぁと思っている。
いやー、ほんとそうですよねー、確かに。
田中さんもあると思うんですけど。
そうですね、その一歩を踏み出さなかったらみたいなのは本当にあるし、
いやもう本当にいろんな、僕も会社を作るっていう経験をもうちょうど今年したんですけれども、
やっぱり、なんかあの時動かなかったらみたいなのすごいあるし、
ありますよね。
僕の場合、マチプロと繋がったのもすごくやっぱり大きくて、
おやつさんとはちょっと昔に仕事でコラボしたことがあったんですけれども、
そこからちょっとだいぶ間は空いてたんですけど、
一回そのロフトに見学をしに行ったときに、
この世界観。
マチ工場が自社製品を作ってて、すごいなんか表現を感じたんですよね。
思いが、それこそ藤沢製本さんのパワーオーだったりとか、
おやつさんのこのテープカッターとか、
すごいなんかこだわりというか、
なんていうんですかね、創作意欲が感じたので、
なんかピンときて、
いろいろ出てる会社、とりあえず調べてXフォローしたら、
意外と結構Xが盛り上がってたっていうのがあって、
でなんかそこで、この商品買いましたとかやったら、
33:02
なんか皆さんがリプライくださったりとかして、
なんか走行してるうちに、
どんどんいろいろ一緒に絡ませていただいて、
ラジオ出ていただいてみたいな、
いつの間にかもう会社作るみたいなところも、
やっぱり結構そこに、
今回マチプロのプロジェクトも関わらせていただくので。
全く一緒ですね。
私もだから、やっぱりおやつさんあるイベントで会って、
やっぱり話ちょっとしただけでも、
すごい魅力ある感じだったので、
また会いたいと思って、
工場みんなでお邪魔して、
その時にすごい、
あ、うくもれさんって面白いね、みたいな感じで、
そこからなんか仲良くなってきて。
いや、本当に。
なんかそういう、割とうくもれさん含めて、
そのリタだったりとか共存共演みたいな価値観を持った方が、
すごい多いなっていう。
やっぱりなんか似たような考えを持った人って、
やっぱ集まるじゃないですか。
それをすごくマチプロのコミュニティには感じているので。
ポジティブな人がすごい多いですよね。
だから居心地いいし。
また新たな共存共演を目指して、
またここからうくもれさんと一緒にやっていければなと。
やること多分出てくると思う。
いろいろよろしくお願いします。
今日はそんな記念の会になったかなと思います。
今日は改めて松山工業株式会社の
福森博さんにお越しいただきました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
今回もお聞きいただきありがとうございました。
ちなみにこの番組は読むポッドキャスト
働き方ラジオとして
ノートでのテキスト発信も行っております。
ポッドキャストと合わせてぜひフォローをお願いします。
番組への感想は
ハッシュタグ働き方ラジオで投稿いただけると嬉しいです。
またコミュニティ運営、音声配信など、
その他、企業広報などのテーマで
セッション狂うと壁打ちしたい方は
気軽に私、田中堅次郎か
純レギュラー、りさにご連絡ください。
カジュアルにセッションしましょう。
それではまた来週。さよなら。
35:16

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