なんていうか、情報がバラエティ豊かです。
僕は日本一楽しい哲学ラジオを聞かせていただいてまして、いろいろ哲学との出会いとかそのラジオ内で聞かせていただいているので、知っているのにもう1回聞くみたいになっちゃうんですけど、
聞いてくださっている方のためにいろいろ深掘りさせていただけると思います。
どこから大学に入った時に哲学を勉強しようと思ったけど、そこではあんまりピンとこなく、でもその後もう1回興味を持つ。
大学の授業は、いきなり関東の純粋理性批判を英語で読む授業がポンと始まるとか、何の脈略もなくて言い方悪いかもしれないですけど、そんな授業ばっかりでして、
なんでこれやるのかなとか、そもそもこの純粋理性批判って何なんだろうっていうのが全くわからないまま授業が始まるみたいな感じだったんですね。
本来は多分自分で勉強しろってことだと思うんですけども、当時僕はそれがあんまりわからなくて、なんかやらされてるけどよくわからないなと思って、
学部で勉強したいなとは思わなかったのが学生時代にして、ただ法律の勉強をしてロースクールに行って、周りがたくさん頭良い人たちに書いて、
一回条文見たら全部覚えるみたいな、そういう特殊能力を持った人たちに囲まれていく中で、結構自分ダメだなとかできないなとかいうふうに打ちひしがれる能力的にですね、
とかっていうこともあったりとか、あと当時は同世代で社会起業家みたいな形で、さっきもちょっとちらって言ったんですけど、ビジネスで社会を良くしていくみたいな学生も結構多かったりして、
そういう人たちと比べて、やっぱりできないなみたいなことをすごく落ち込んだりした時期が結構あったなと思っていて、そんな時にどうなんですかね、ある種一つのもしかしたら逃避なんかもしれないですけども、
哲学を学んだりとか仏教ですね、当時僕は法年院、京都にいたんですけども、銀角寺の近くの法年院というお寺の近くに下宿がありまして、
朝6時くらい自転車で法年院に行って、そこでちょっと法年さんの入門書が置いてあったりして、そこの法年院に向かって、というところからそこの辛さみたいなところから入っていったのもあって、
また出会っていったらやっぱり面白いなっていうふうに思って、そこからもずっと結構続けてるっていう、そんな感じですかね、流れとしては。
一種壁みたいな感じられた時に、もう一回ふと手に取った出会ったみたいな感じなんですね。
そうですね、やっぱり自分がもともと哲学を勉強したいなと思ったのも、そもそも神様っているのかなとか、いるって何なんだろうっていうのを考え始めて、それが知りたくて知りたくて哲学を始めたんですよね。
一方で受験勉強とか、学部での勉強とかビジネスっていう勝負の世界にいて、それはそれで頑張るんですけど、それとは違う世界、精神世界的なものってやっぱり自分の中ではすごく純粋に興味があったので、
それを知りたいなって思いがずっと、ここには何か豊かな何かがありそうっていう思いでずっとやり続けてる、この10年くらい、15年くらいって感じですかね。
さっきのGoogle Docs、そのメモをずっと勉強したことをメモを取ってらっしゃるっていうのは、それはいつ頃からなの?
これはですね、もうでも大学生になってからなんで2006年とか7年とかからですね。これ哲学の本だけじゃないんですけど、もう本当にずっとメモを取ってて、むしろ皆さん取ってないんだみたいなことに後になって気づくみたいな感じ。
実は僕もメモを取ってます、読んだら。
本当ですか?
誰かに話すとしたらこんな内容かなって。
そこも親近感を覚えます。
ありがとうございます。
そうですね、僕はもう1回読んだだけじゃ基本覚えられなかったりとかすぐ忘れちゃったりするので、Google Docsの、本当にこれ個展に入ってちょっとまとめ方は変わったりしたんですけども、
効率の良いまとめ方とかをすごい学んだりもしたんですが、基本的に抜き書きで、過剰書きでメモしていくっていう感じで、心に残ったことをどんどんメモしていくっていう感じで、なので1回読んでそのメモを作ったらそれは完成で。
それが例えば3年後、4年後、5年後とかに、例えばなんだろう、東方聖経ってなんだっけ、なんかどっかでこう読んだなとかって覚えたら、パッと検索すればすぐ出てくるんでみたいな。
ページ数も必ず僕メモしてるんで、この本の何ページにそれ書いてあるかわかるようになる。
すごい、かなり近いです。僕も過剰書きで用紙とかになったフレーズとか書いてあったりして、みたいな感じで。
本当ですか、はい。
ある程度、なんか型なんですかね、そこに行き着くみたいな。
初め試行錯誤はしていってなんですけれども、なので一冊読むのはやっぱり時間もかかるタイプで、そんなにザーッと速読するってことはあんまりしないんですけど、結構ゆっくり読むけど、ちゃんと1回読めばもうそこにすぐ行き着けるようにしてるっていう感じですね。
なんかね、すごいエネルギーだと思うんですけど、おそらく自然にやってらっしゃるんですよね、その本を読んで。
そうですね、はい。
それをラジオ、ポッドキャストという形で発信しようと思ったのは、どういうきっかけなんでしょうか。
そうですね、例えば今日この番組でもテーマとして、哲学とか人文字がいかに活用されるかとか役立つかとか必要とされるかっていうテーマの問いが大きなテーマとして、多分僕たちの共通の問いとしてあると思うんですが、
僕の場合はもちろん、この人文字、つまり歴史とか哲学っていうものが何かの役に立つ、人の役に立つ、社会の役に立てば、それはそれで素晴らしいとは思っているんですけども、
実は僕の本当の根本のモチベーションは実はそこではなくて、役に立つというところでは実はなくて、もちろんそれも素晴らしいんですけども、
一番のモチベーションは、三つ林の奥に何か素晴らしいものがあるらしいと、アンコールワット、まだ発掘される前のアンコールワット的な感じで、奥に何かすごいものがあるらしいというのが、
デカルトなりカントなり何でもいいんですけどあって、それを分け入って見に行きたいなというのがまず一つモチベーションとしてあるんです、学ぶモチベーションとしては。
で、それを草を投げ倒しながら探しに行って、そうするとまだアンコールワットの一番奥には到達してなくても、その場その場でいろんな素晴らしい遺跡のちょっとしたものとか見つかるじゃないですか。
それを見つけると、これなんて素敵なんだろうなーっていうのはたくさん自分で学んでいるとあるなと思っていて、
それを僕の場合の一番のモチベーションは、そんな面白い発見があったとか、それは単なる哲学の歴史とかっていう知識的な話ではなくて、
じゃあそれが今の僕たちの人生とか社会にどうつながっているのかっていうところの自分なりの築き、インサイトっていうふうに呼んだりもするんですけども、
インサイトを発見して、それをみんなに聞いてほしいというモチベーションが一番なんです、僕の場合は。
なので、それをもちろん何かに活かしてもらえたら嬉しいと思っているんですけども、最悪生きなくても僕はいいかなと思っていて、
必ず生きると思っているんですけども、そこのモチベーションが実は一番ってのがありますね。
その場をポッドキャストという場で話せると一番最高にテンションが上がるなっていう感じだったりしますね。
面白さを共有したいみたいな感じなんですかね。
面白さと気づきと、とはいえやっぱりそれは必ず何かの役に立つとは思っているので、
ちょっと矛盾することを言ってるんですけど、役立たせるために探しに行ってるわけではないけれども、必ず役に立つ。
これだけ豊かな泉があるようなイメージなので、そこで得られた果実をどう使うかはその人とかその社会によって違うと思うんですけども、
自分が自由分地の総合勝者というか勝者っぽい感じになりたいなというイメージを持っていて、
勝者って別に自分たちで湯田がある場所を見つけて自分たちで掘るわけじゃないのかもしれないんですけども、
湯田があった原油を2本まで運んできて、それをガソリンかプラスチックかわからないですけど、
使える形に加工をしてお手元に届けてっていうことをするじゃないですか。
僕も人分地によってそれすごく似てるなと思っていて、さっきちょっとアンコールワットって言っちゃったんでわかりづらいかもしれないですが、
ちょっといろいろ工作するんですけど、素晴らしい豊かな泉があるとして、まずそこにたどり着きたいなって思いもありますし、
でもそこから得た何かしらの原油でもいいですし何でもいいんですが、果実っていうものを取ってくる役割というか、
この皆さんの元まで運んできて、そして皆さんが社会とか人生の中で役立てられるような形に加工をして届けられたら、
これはすごく嬉しいなというふうに思っていて、そのネタが哲学であり、歴史であったりするので、
でもそっちのモチベーションもありますね。役立たせたいなっていう、研究者ではないなっていう感じですね、自分の場合は。
なるほど、この辺難しいですね。僕も役立つって言いたい面と言いたくない、すぐに役立つみたいなふうに言いたくない側面もあったりして、
僕の中には矛盾があったりしますね。
ありますよね、でもすごいわかります、それ。
何なんでしょうね。
特に表面的な話というか、わかりやすい形で言ったら役立つのはあると思います、人文地で役立つことがいろいろあると思っていて、
人文地で言うとちょっと広いので、もう少し解像度を高くすると、例えば歴史、古典でやっている歴史という観点で言うと、
やっぱり一つのテーマにおいて人類の歴史、それを3000年ととるか4000年ととるか5000年ととるかそれぞれですけど、
人類の歴史をいろんな世界から見ていくと、本当の意味では物理法則みたいな、もうAがあったらBになるみたいな確実な物理法則みたいなものはないと思うんですけども、
ただ傾向とか特徴っていう、傾向かな、こういう時にはこういう風になりやすいよねとか、この条件とこの条件が重なるとこうなるっていうことを、
なんだ、なんか200年おりくらいに5回くらい繰り返してるねとかっていう傾向がわかるみたいなことがあると思って、例えば歴史だとですね、
そうするとその傾向がわかれば、今の僕たちに当てはめてその傾向に対する傾向と対策で対策を立てやすくなるみたいなことは、
僕が一つわかりやすい、一つの役に立つっていうのはあると思いますし、あとは社会学とかだったら僕たちの当たり前がどれくらい、実は別に大した当たり前じゃないかというか、
歴史もそうですけど、本当直近の僕たち生きてる世界だけの当たり前だよねっていうことをその外から見ることによって、
自分自身を客観的に見てまた考え広がっていくとかっていうそういう役に立つ感じもあると思うので、
とか哲学的な思考方法がビジネスを考えるのに役に立つとかっていうのはあると思うんですけど、そのためにやってるわけでもないんだよなって思いもやっぱり常にありますね。
感覚としては、僕はその読まずにいられないから読んでいるけど、結果、助けられてるなっていう感じですね。
いられる人多いんだろうなっていうことを、今の世の中に役立つって言い換えてるみたいな。
ちなみに例えば深川さん的に役立つ、自分にとってこれやっててよかったな、やってよかったなって、まさにこの会社の設立みたいなのもその一つかもしれないですけど、
例えばどんな風に繋がったりするんですか?
難しいなこれも。
結構苦しみ、悩むこと多いわけですよね。答えがないし。
事業についても、あとやっぱり人について、組織ってどこに行くかはやっぱりここで、自分と違う人たちと仕事してるから苦しいんだけど、
みんながみんな自分と一緒だったら一緒にやる意味もないみたいな、
そういう中でいろいろ苦しいことがあるけど、それは僕の世界の捉え方で苦しいのであって、
違うフレームワーク、見方で見れば楽になったり、解決策が見えたりができるっていうところですね。
哲学や現代思想が世界の捉え方の違うバリエーションを見せてくれるという風に感じることが多いですね。
確かに哲学でも現代思想って割とそういう側面、結構そういう功用があるような気がしますね、確かに。
僕らの固定的な視点を一回壊してくれるというか。
そうですね。なので割と僕は現代思想の方が親しみがあるというか。
その功用はすごくわかります。イメージつくなぁ。
そのポッドキャストの大きなモチベーションとして、哲学で知った驚きインサイトみたいなものを共有したいということや、
それがきっと誰か、世の中の誰かの役に立つんじゃないか。
その辺で発信してて実感することってあるんですか?例えば声が届いたりとか。
ありますね。やっぱりこれはポッドキャストやっててよかったなっていうことも一番のもしかしたらご褒美かもしれないんですけれども。
それこそこうやってポッドキャストで話をする前って、僕のパソコンの中でその1000ページ、2000ページのメモ帳は眠っているわけですし。
誰もね、こんな古代ギリシャの誰々がこういったなんて興味ないだろうなっていうふうに思っていたんですけれども。
やっぱりポッドキャストやってるといろんなXでもそうですし、コメントとしていただけるので。
それはすごく、しかもそれは僕がこういうふうに使ってくださいって用途を指定してるわけではないんですよね。
なるべくそういう変に指定したいなと思わないし、指定しないように気をつけてるっていうところもあるんですけども。
こう役立つよって言わないようにしてるところもあるんですけど。
でもそれを受け取ってくださって、それをやっぱり自分なりに一度咀嚼をして、だから自分はこうした方がいいのかなとか、
こういうふうに社会をもう一回捉え直せるのかなとかっていうところまで含めての感想をいただけるときとかもたまにあったりして。
特に哲学はその一工程がないと本当の意味で役に立たないのかなとか思ったりしますけどね。
知識として、アリストテレスがこういったって知識って何も意味ない気もしてて。
公式みたいに覚えておいて使うってものじゃないですもんね。
それやっぱり一回咀嚼して、自分の頭で考えるということ。
やっぱり哲学って〇〇とは何かっていう問いがよくあるんですよね。
良いこと、善とは何かとか、自由とは何かとか、人間とは何か。
まさにタイムツリーさんで言ったら時間とは何かとか、まさに哲学的な問いだと思っていて。
それを考えるきっかけとか、考えるのも丸腰で考えるのではなくて、
ちゃんと道具があって考えるとまたもっと遠くに行けたりだとか、いい作品が作れたりすると思うんですけども。
その材料を与えてくれるっていう意味でも過去の思想家たちの思想ってすごく価値があるなと思いますし。
使い方は本当にそれぞれっていう感じが、コメントを通しても分かってくるのはすごい嬉しいところでありますね。
それぞれの受け取り方もそれぞれだけど、その中でも世界の捉え方が変わった、変えられる、変わったみたいなお声がある。
さっきの僕のに近いですね。
ありますね。あるし、僕自身も学びながら変わるし。
人間素晴らしいなと思うのは、結構頑張ると、そういう思想に感銘を受けると、意識的に世の中の捉え方を頑張って変えるとかができちゃうんですよ、人間って。
それもすごいなと思って。
今までこういうふうに見せたけど、こういうふうに見ようって頑張ってやるとだんだんそうなっていくとかってあると思っていて。
でもやっぱりそれは歴史とか社会学とかとは違う哲学の力だと思いますし、
人間とは何か、自由とは何かっていうのを通っていったときに、やっぱり哲学の功用というか、やって良かったな、こうやっていいかもよって思うのは、
現状、今僕たちが生きている現状がどれだけしょうもないかとか、全然ダメかっていうのを結構教えてくれる存在なんじゃないかなって僕は思っていて。
どういうことかっていうと、例えば歴史的にわかりやすい例で言うと、フランス革命ってあるじゃないですか。
自由、平等、博愛みたいな、有愛みたいな。
あれもフランス革命が起こる前に思想家たちが、人間ってそもそも本当はどんな存在なんだっけとか、どんな存在であるべきなんだっけとか、
自由って何なんだっけっていうのを考えに考えて、先に詰めた思想がまずあるわけですよね、フランス革命の前って。
それを考えれば考えるほど、当時の18世紀のフランスとかヨーロッパの今の現状が、
どれほどこれって全然、何だろう、感受できるものじゃないよねっていうことに気づいちゃったはずだと思うんですよね。
それは多分、普通にフランスで生まれて、どっかの階層、身分にいるだけだと、その義憤は生まれないというか、
これはおかしいだろうには思わない、だってそれが当たり前だからだと思うんですけども、
ただそもそも〇〇とは何だっけ、本来〇〇ってどういうものなんだっけっていうのを考えて、これがそれだと。
これはプラトンのイデア的な話で、美とは何かとか善とは何かっていうのを考え続けてきた西洋の歴史があって、
その延長線上で人間とは何か、自由とは何かっていうのを考えた結果、これがあるべき姿だよねっていうふうに気づいちゃったら、
その思いを持って現状を見た瞬間に、これはおかしいだろうっていうふうになるわけですよ、おそらく。
フランス革命は極端な例というか、それが社会とか世界全体を変えちゃった例ではあるんですけども、
そんな大きなことじゃなかったとしても、仮に人間にとって時間とはどんなものなのかっていうのを考えた結果、
今のこの時間のシェアの仕方っておかしいよねって思ったらタイムスイッシャンが生まれるかもしれないですし。
でもプロセスはそうですよね、僕も。
でもそんな感じですよね。
○○とは何か、○○とは本来何なんだろうかっていうことを、今目の前で目に見えていることとか、
自分が埋め込まれている社会っていうものを一旦抜きにして、ゼロベースで考えるっていうことができる。
それをやると現状を変えていこうというモチベーションになったりだとか、きっかけになったり。
それは別に企業かもしれないし、政治的な動きかもしれないし、
家族とのパートナーとのコミュニケーションの仕方をちょっと変えるかもしれないし、
消えていくみたいなことってあり得るのかなと思っていて、
だから何々とは何かっていうことを真剣に考える機会って、
僕らもうないじゃないですか。
なんかスピード感がそれを許さないのもありますよね。
手がかりもないし。
ふと思うことはあっても、
分かんないなーとか人それぞれだなーとかケースバイケースだなーで終わっちゃうと思うんですけども、
それを許さないのが哲学なんで。
それを一回本気で考えると、
実は意外とじゃあ任せるにも2種類あってねみたいな話があってとかね。
そうするとまた解像度上がってるわけですよ。
またすぐに対する理解が。
なんかそのそもそもを問う、
手助けをしてくれる哲学みたいなものが、
面白さもあるけどきっと役立つだろうなと思ってポッドキャスト始められたところとか、
自然的にもなんか僕興味が高まってるような気がするんですけども、
なんで今この時にきっと役立つんだろうなと思われたかって背景ってありますか?
それは社会的にということですかね。
社会的ですかね。ちょっと広すぎるかもしれないけど。
どうだろうなーって考えますね。
僕はこれなんか一つの答えで言えないと思うんで、
今この時思いついた答えっていうと、
この間品川さんと飲んだ時にも話しましたけど、
結構答えが早い時代だなと思ってて、
何見てもオチまですぐ来るとか、
検索したら早くこれが最適ですって分かるような風に見えるとか、
だから答えの出ない問題に向き合う筋力みたいなのが本当に必要なんだけど、
そんなに機会がない気がして、
僕はそれが得られるのは哲学書を読んで分かんないくて何度も読んで、
メモを書き出してみたいな向き合い方なのかなって思って、
筋トレだ、読書は筋トレ説をよく言ってるんですけど。
前回話した悩みは尽きることはないけど、
悩みが出た瞬間溺れちゃうんじゃなくて、
どうにか泳げるようになるために哲学がいいんじゃないかなって。
答えがすぐに手に入る早い時代だからこそ必要なんじゃないかって思った。
僕でもそれともしかしたら近しいのかもしれないんですが、
この分け方してるのは自分だけかもしれないんですけど、
哲学をするっていう言葉が仮にあった時に、
僕は二つに分けているイメージしてるんですね。
一つは哲学というジャンルで、
過去のいろんな人たちが何を考えてきたかということを知ること。
それに基づいていろいろ考えることが一つ僕は哲学をすると思っていて、
それは僕大好きなんですね。
ラジオでもそれですし。
もう一つは、そういった知識っていうものが全くなかったとしても、
さっき出たような話で、何々とは何かということを、
そもそも何なのかっていうことを考える。
そして考えて、それをちゃんと言葉にしていく。
で、それを紡いでいくっていう。
これも一つ哲学をすると思っている。
僕は両方あると思っている。
両方あるんですけども、
なぜ今みんなが何となくこれが必要なんじゃないかなって思っているかというと、
ちょっと今の深川さんが話された内容と被るかもしれないんですが、
結構ネットも発展してとか、技術もあってっていう感じで、
一旦それらしい答えが手に入る速さは、
一回極限まで達したというか、
一旦どうやったらビジネスがうまくいくかっていうのは、
なんとなく買いがあるよねとか、
あとは東京住んでたら、
なんとなくおいしいものはこれくらい食べれるよねとか、
これ見てお店行ったら失敗しないよねとか、
そういう一応確からしいものっていうのは、
ほぼほぼ手に入るというか、
飽和状態なイメージもあるんですね。
それが速さなのかわからないですけど、
ただそれにしかも到達して、
良かった素晴らしいインターネットがあって良かった、最高の世界だ、
ではないっていうことに、
多分この中10年くらいで気づき始めたくらい、
2000年以降、インターネットがあってこんなに素晴らしい社会になるってみんな思ってて、
確かになった部分もあるし、便利になった部分もあるけれども、
でもやっぱりこれ手に入れてみると、
これだけだと満たされないものって結構あるんだなっていうことに、
改めて気づいてきたこの5年10年くらいなのかなっていうのが、
現代の流れでいうとそんな感じなのかもしれないなと思っていて、
となると、
じゃあそこのサッと手に入るものではないもので価値あるものってなんだろうっていうのをみんな探し始めて、
過去の偉人たちのことを見るみたいなところとかってあるのかなと思っていて、
これだからルネサンスと同じですよね、
中世のスコラ学とか中世哲学が一旦完成したかに見えて、
でもやっぱりこれじゃないなってなって、
もっと昔を見るみたいな、なんか似てると思うんですけど、
これで万中すべてうまくいくわけじゃないんだっていうことに気づき始めたからこそ、
また別の界を探し始めて、