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はるか
じゃあ、始めていいかな。 はい、やっていきたいと思います。前回の続きから話をしていければと思うんですけども、前回のことを簡単にまとめると、発達障害という言葉は、かなり曖昧な部分が多くて、
今は神経発達症という言葉が使われていたり、一番伝えたいこととしては、診断名でラベルを貼るんじゃなくて、その診断名の中にも強度が全然違ったり、あるいは複数の状態が複雑に絡み合っていたりとかするから、
本当に「その子自身を見ましょう」というメッセージを前回は話したんだけど、今回は新しい考え方としてニューロダイバーシティという考え方を紹介しようと思っていて、障害と言われるものは何なのかということを捉え直したりとか、あるいは才能って何だろう、個性って何だろうみたいな話を一つしていければと思っていて、
ここに今までの認識からアップデートがあったから、そのアップデートをお話ししたいということと、あともう一個はひとしが冒頭に話してた発達障害の話をしたときに「強みを活かそう」みたいな話はよくあるけど、いや克服するべき苦手と、それは目を向けずに尊重するべき個性として捉えるのかっていうのは結構難しいところだよねって話をしてたよね。
ひとし
そうよね、そこの問いまで答えられるんだ。
はるか
そうね、そこの問いについてまで今日の考え方を通して、俺が考えを持った部分をお話しできればなというふうに思っているというところですね。
ひとし
ニューロダイバーシティね、言葉だけは聞くけどね。
はるか
ああ、やっぱ聞くんだ。
ひとし
聞かないか、普通は。違う俺はあれだ、村にいていろんな本とかニュースを流してくれるから、みなさんが。ニューロダイバーシティっていう言葉ね。
はるか
そうね、なんかニューロダイバーシティって言葉が記事に載ってても多分あんまり目に止まらなかったんだけど、発達障害と呼ばれるものについて調べましょうって調査を開始してからは、これがね、やたらと目につくというか、情報としていっぱい入ってくるようになって、気づけば世の中にこんなにいっぱいニューロダイバーシティという考え方を提唱してる人がいたんだってことに気づいて、そうそうそれぐらい重要な考え方だってことがわかったんだけど。
ひとし
ニューロダイバーシティって何なのかよね、まず。
はるか
って何なのっていう話をしたくて、今回ニューロダイバーシティという考え方を紹介するのは村中直人さんの『ニューロダイバーシティの教科書』という書籍からなんだけど主に。まずニューロはね、脳とか神経っていう意味があって、ダイバーシティは多様性っていう意味がある。だからもう二つ組み合わせて脳の多様性とか神経の多様性とかっていうふうに訳されるんだけど、ここまでわかりやすいよね。
ひとし
脳とか神経が多様である、はいはいっていう。
はるか
脳とか神経多様であるというこの前提がかなり人間を理解する上で重要な鍵となると、特に発達障害と呼ばれるものについて考える上ではね。
経済産業省の定義では、脳や神経それに由来する個人レベルでの様々な特性の違いを多様性と捉えて相互に尊重し、それらの違いを社会の中で生かしていこうという定義をしている。
ひとし
個人レベルで特性が違うよっていうのはまあ、はるかと俺は脳とか神経のちょっとしたところは違うよねっていうことね。
はるか
そもそも全然違うんだということ。これまではふんふんふんっていう感じなんだけど、その違いを社会の中で生かしていこうという定義をしていて、これが経産省が出してるっていうのも、モラル的な尊重し合いましょうみたいな話よりも合理性があるんじゃないかなっていうふうに俺の中で考えがアップデートしたわけなんだよね。
なるほど 。みんなが豊かになるためにも、そっちの方がいいんじゃないっていうふうにアップデートした。その話をしていきたいんだけど、もう一個今までの考え方からアップデートした部分としては、
医学モデルで捉えると、障害という言葉からわかるように何かが劣っているとか欠けている状態っていう否定的なイメージが出てくるわけやん。それを治すとか治療とか言葉が使われたりするわけよね。だけどそこからの転換をしましょうっていうのがニューロダイバーシティの大きな視点の変換なのかなと思っていて。
つまりどういうことかっていうと、発達障害は治療すべき問題として捉えるのではなくて、ニューロダイバーシティという考えではこの違いは障害とか問題ではなくて、人間の遺伝的神経的な多様性の一部であり、これは例えば髪の毛の色とか目の違いとかと同じように単に人間の多様な特徴の一つとして見ることが重要なんじゃないかということなんだよね。
ひとし
だから今回はニューロダイバーシティの考え方で発達障害を問題じゃなくて個性だと捉えるっていう見方で考えていくと。
はるか
やっぱり一番長い時間する国語算数ができないと、自分は頭が悪いんだという認識をしてしまうってことが、すごくもったいないことだなっていうふうには、これはずっと何回も子供たちに伝えていたことだったね。
けっこうここがね、一番もっとも伝えたかったことの一つなんだけど、つまり何が言いたいかというと、環境によってこの障害とか才能が規定されるよねっていう話があって、
これ個性もそうだよねって。個性ってよく言われるけど、自分のオリジナリティっていうのは他者とどう違うかっていう相対的なものでしかなくて、そこを見るっていうのも重要なんだけど、
同じようにニューロダイバーシティという考え方では、脳とか神経のただそこにある特徴である特性をまず理解するべきだっていう話をしてるんだよね。
ひとし
どういうことだ?
はるか
たとえば事例でいくとASDって言われる脳の特性は、人間などの社会情勢を特別視しないっていう特性がある。
たとえばで言われるのが、人間と機械を同じような見方するっていうような極端に言うと。
ひとし
具体的に言うとどんな例があるんやろ。
はるか
そのコミュニケーションの特性としては、辞書通りの言葉を使う。言葉に厳密であるとか、なんとなくニュアンスで伝わるでしょうみたいなものがよくわからないっていうのがある。
一方でそれは正確に記述しようとする言語を使うと考えると、学術の世界、論術分野とかコンピューター、プログラミング言語とかにはめちゃくちゃ活きるよねっていう。
これは、じゃあ社会的コミュニケーションができないんだねっていうふうに捉えると、これは障害として扱われる。
だけど、これを可能な限り実態に近い形で知覚しようとしているっていうふうに特性として捉えると、これは才能として捉えられる。
ひとし
ヨイ出しやん。
はるか
そうそうヨイ出しなんよね。見方を変えてその人の強みに気づくっていう。
ひとし
そうよね、ほんと大事。ヨイ出しやもん。
はるか
そうそうそう。今言ったみたいな考え方を社会モデルって言ったりとかして。
へえ。
ザ・アデコグループという会社さんの記事を参照したんだけど、これ背景としては2006年に国連が障害者権利条約というものを作って、この障害と呼ばれるものの概念が変わったんだよね。
どういうことかっていうと、今までは治療とかっていう考え方、治そうっていう医学モデルだったのが、社会の環境を変えることによってこの障害っていうものはなくなっていくよねっていう社会モデルに変わっていった。
めちゃくちゃわかりやすいところで言うと、車椅子ユーザーの人の前に階段があるときはスロープとかエレベーターをつけると障害がなくなるよねって。
これバリアフリーって言われたりとかするけど。っていうのが、社会全体としてもこの考え方っていうのが重要になっているというのは、一つ視点として持っておきたいなっていうふうに思っているところだね。
ということで、ここまで話してきた中で、最後にね、冒頭に言った、克服するべき苦手と尊重するべき特性みたいな話についてできればなと思っていて、
ここまでの話を聞くとね、脳の特性に合わせて環境を作っていくことが大事なんだなとかさ、それを尊重することが大事なんだなっていう話があるけど、
最初の問いに戻るとひとしが、本当にそれで生きていけるんだっけみたいな疑問を持ってたよ。
それについてもちょっといろいろと本を、文献を漁って調べてみたときに、一つ重要な考え方を見つけたので紹介するね。
奥田健次さんという方の『拝啓、アスペルガー先生』という本からなんだけど、この中でね、奥田健次さんがいろんな発達に特性を持たれている方の支援をしていく中で出ていた言葉なんだけど、紹介するね。
「日常生活で困っている、あるいは他人を困らせているのを個性といって放置するというのは良くないことじゃないか。
本人が困っていなくて、周囲も困らせていない状況になって初めて個性といってあげていいんじゃないでしょうか」という言葉があったんだよね。
ひとし
日常生活で困っていたり、他の人を困らせていたりっていうのを個性としてはダメだよねって話か。
はるか
これって当たり前のことを言っているようで、一つこのニューロダイバーシティという考え方を手に入れた上ではすごく重要な視点になるのかなと思っていて。
なぜかというと、それは大切なことは日常生活でどれぐらい困っているかっていうのを基準にすることですっていう話があって。
逆に困っていなければそのままでいいかなと思っていますって奥田健二さんは言ってるんだよね。
で、この時に思ったのがここから俺の持論なんだけどね。ニューロダイバーシティという理想の社会みたいなものを今前半で話してきたやん。
ひとし
人の脳とか神経は多様だよねっていう考え方よね。
はるか
で、その違いを社会の中で生かしていこうぜっていう相当に素敵な考え方。
この考え方を持つと発達障害みたいな概念っていうのが消えていくんじゃないかっていうある種の希望を見出したのかなと思っていた。
そういう理想の社会を目指しながらも現実として、現実の社会では理不尽なことはたくさんあるわけじゃん。
それに対してずっと声を上げ続けるっていうのも一つ大事なことなんだけど、現実の社会で本人と周りの人が困らないように調整するのも大事なんだなってことは、このバランスはすごく奥田健二さんの考えで取れたっていうのが俺の中であったよね。
ひとし
具体的に調整するっていうのはどういうことなの?
はるか
ニューロダイバーシティ的な考え方で言うと、子供の特性、いわゆるいま障害というふうに見られているものも特性なんだから尊重しようと。環境を整えてあげることが大事だよねっていう考え方だと俺は思ってて。
はるか
俺はそこはニューロダイバーシティ的な考え方と一方でその医学の力とか医療の力を借りて、本人の自信につながるような支援をした方がいいんじゃないかと思っているんだよね。
ひとし
そうね、医療の力をどういうところを借りれるか難しいよね。
はるか
そうね、いろんなのがあって、医療って思い浮かべると薬とかっていう話もあると思うんだけど、
それも一つの手かなとは思っているし、これにはちょっと賛否両論あるし、俺も知識が少なすぎるからこれをどうぞとは言えないんだけど、
だけどこのティーチャーティーチャーでも紹介させてもらったトークンシステムみたいな話もあったよね。
ひとし
そうね、トークンシステムはラジオ体操の時にシールをもらっていたようなあのシステムで、
何かできたらポイントがもらえるっていうのを作って、10ポイント貯まったらこういうことができるっていうのを子供と設定してやっていく。
はるか
そうそうそうそう、そんなふうに具体的な行動を明確にして、例えば朝8時までに起きるって、で起きれたらここにポイントがつくっていうふうに明記してしまう。
で、それによって子供はモチベーションを維持して起きれるようになっていくみたいな方法を紹介したと思うんだけど、
これってまあなんか本質的じゃないような感じするやん。
ひとし
ご褒美で釣るみたいだね。
はるか
そうそうそうそう、ご褒美で釣っちゃうんでしょみたいな話があって、理想は自分が心から起きたいと思って起きれるのが理想なんだけど、
現実的にこれで困ってるやん、今子供は。困っていて、そしてその能力を発揮できてない状態があるわけだよね、自信も失ってるわけだよね。
だからまずは行動から整えていく、最初ご褒美で嬉しくて起きちゃうみたいなことがあって、それは本質ではないんだけど、それをだんだんだんだん朝ご褒美によって起きていくことによって朝から活動する気持ちよさとか、
あるいはそれによって学校に行けて友達と楽しい時間を過ごせたりとか、で自分の能力を発揮できたりとかして、結果的に朝起きた方がいいんだねっていうふうに内発的に思えていく。
で、そんなふうに最初は行動から整えていって、その行動を整えることによってこの思考も変えていくみたいな方法っていうのは一方である。
だからこういう外発的な動機って邪道だよねっていう意見もあるかもしれないけど、一つその社会の中でうまく生きていくためには重要な支援なんじゃないかなというふうには思っていて、
コンコンでもそういう外発的動機も一つ重要な支援として活用することがあるんだよね。
ひとし
なんか俺、1年前とかは外発的動機で人を動かすっていうことにけっこう違和感があったんよ。
はるか
ああ、俺もやね。
ひとし
ああ、そうなんや。でも理論を知って実践で子供たちが元気になってるのを見ると、行動から整えるっていうのもいいんやなって本当に思ってるな最近は。
はるか
よかった。でもこれはね、本当に大事なのは、奥田先生が言ってるように、さほど困ってなければええがなって思っているって言うやん。
これがめちゃくちゃ重要で、なんかね、子供が困ってないのに社会のあれに当てはめようとトークンシステム使ったりするのは俺は良くないと思ってる。
ひとし
なるほどね。
はるか
これめちゃくちゃ重要。なんか、このご褒美を与えれば子どもが動くからバンバンあげていくみたいな、それでちょっと大人の言う通りに育てようみたいな話じゃない。まったく。
ひとし
なるほどね。