モームのエッセイ集の紹介
はい、tantotの時々読書日記第16回です。
今日はですね、ちょっと外国の話続いてますけど、
モームのサミングアップという話について話したいと思います。
手元にあるのは、いわなみ文庫版で、
いわなみ文庫版の2007年に第1部が発行されています。
これモームなので、実際に現状はすごく古いはずで、
1874年から1965年なので、
それが64歳の頃に書いたという事で、1930年とか40年ぐらいですかね。
この頃の物品です。これはモームのエッセイですね。
モームといえば、月とロックペンとか、お菓子とビールとか、
そういうイギリスの様々な風俗を描いた小説で有名な中で、
最近は全然読んでないですけど、学生時代、中高校時代くらいに、
月とロックペンとかその辺を読んだかなという。
あと雨ですかね。雨が結構印象的な。
雨っていう短編かな?があるんですけど、それは結構印象的なものです。
とにかく超有名作家であり、劇作家であり、
とにかく小説が上手っていう、そういう人。
このサミングアップっていうのは、まさにサミングアップ、サムアップする、
まとめみたいな感じ、立ち上げるみたいな感じなので、
モームが64歳の時に自分の生涯を締めくくるような気持ちで書き綴った回想的エッセイ集。
話としては、結構雑文な感じで、人間について、人生について、文学について、哲学について、宗教について、
あるいは他の作家の悪口についてなどなど、筆の向くままに書いてるんですけど、
さすが園塾した名手なので、筆の向くままに書いてるようでいて、
それが非常に読みやすいし、すごい軽描写雑な感じで面白い。
軽描写雑っていうか、面白い。
これ知り合いに勧められて、これめちゃくちゃ面白いですよっていう風に勧められて読んだんですけど、
面白いですよっていうのは何かっていうと、とにかく悪口が上手い。悪口だらけなんですよね。
やっぱりイギリス人、いわゆる世の中の想像するイギリス人の典型的な感じ?
ステレオタイプ的なイギリス人のものすごく皮肉で容赦に構えて、
絶対本心をまっすぐ言わずにちょっと斜めから気の利いたことを言おうとするっていうような感じで。
ただやっぱりモームは自分が小説にしても劇作にしてもしっかり名を遂げてる人なので、
その悪口とかも説得力があると。すごく自信にあふれている感じ。
結構ゲラゲラ笑いながら読んでしまう。そんな感じのセッションになります。
意識の流れへの批判
例えばですね、いろんな他の小説だとか作風の悪口を言ってるんですけど、
例えば同時代に流行っていた意識の流れっていう文学の潮流があると思うんですよね。
ヘンリー・ジェームスから始まって、有名なところで言うとバージニア・ウルフとかもそうですかね。
あとジョイスとかもその流れだと思うんですけど、
意識の流れについて語ってる部分があって、
面白いというか、非常に頭の良い面白い技法ではあるが、それ以上のものではない。
要はただの技術ですよねっていうような話で、これが面白いんですけど。
意識の流れは頭の良い面白い技法ではあるが、だからといってそれ以上のものではない。
作家がこの手法を皮肉や劇的効果のためとか説明のためとか、特定の目的のための工夫として時々用いるのではなく、
作品全体の基礎としたときには、その手法は退屈なものとなった。
思った、退屈だと。意識の流れ文学なんていうのは退屈だと。
こういう奇妙な実験的手法に心を奪われた人が気づいていないことがあると思う。
つまり、そういう手法の本で扱われている内容が極めてつまらぬものだということだ。
この流派の作家たちは自分の頭の中が空っぽであるのに気づいて不安に駆られ、それでこのような工夫をする羽目になったと思えるくらいだ。
彼らが工夫を凝らして描く人物は本質的に退屈で、扱われている問題はどうでもいいようなことばかりだ。
当然である。作家が技法に関心を示すのは扱う内容が自分にとって差し迫っていない場合だけだからだ。
自分が扱う問題に取り憑かれていれば、描く手法がどうなのかと考える余裕はない、などなど。
これすごい、でもめちゃくちゃ悪口言ってるんですよね。
意識を抱えて、要はただの技巧だし、その技巧に走るのはつまらないもの、中身がつまらないだったりとか、書く内容が空っぽだから、
それを隠すためというか、補うための取り繕っているんだ、みたいな、そんなような感じで。
これでもすごい悪口ではあるんですけど、結構本質ついているところもあるなというふうに思うんですよね。
技巧に走るのではなくて、
モームというのは、読んだことある人はわかると思いますけど、めちゃくちゃ超ストレートな物語を描く人で、
技巧的というよりは物語、お話の力とか、とにかく報道の作家という感じかなというふうに思うんですけど、
そういうところから見ると、意識の流れみたいな、それ自体がどうかというのは私はそんなに詳しくないのでわかんないですけど、
そういう技巧に走るみたいなのはつまらんものだと。
作品というのは、やっぱり扱われている、どういう問題を扱うのか、何を取り上げるのか、何に取り組むのか、
そういったことの方が大事であるみたいな、そんな話をしてたりします。
批評家への皮肉
あと、批評家についてもめちゃくちゃバカにしてて、
もう報道の作家になると、いろんな批評家からいろんなことを言われるわけですけど、批評家なんて本当しょうもない。
例えば、イギリスでは、元来小説を軽蔑する傾向がある。
特にただの政治家の辞伝とか、高級商品の伝記とかが真面目な批評の対象となる。
これ多分、当時のきっと具体的な何かをイメージしてるんでしょうね。
ハンダースの小説がひとまとめで諸評される。
しかも諸評誌は、その本の犠牲において何か面白いことを述べようとする関心しかなさそうである。
イギリス人は文学書よりも実用書に関心がある。
それもあって、小説家が成長するために役立つことを自分に対してされた批評から学ぶのは困難である。
批評なんか読むもんじゃねえと。そんな話をしてる。
これ面白すぎて、付箋をめちゃめちゃ貼ってあるんですけど。
こんな感じで、この調子があらゆることについてバッサバッサ切っていくわけですよね。
バッサバッサ切りながら、ただ切るだけじゃなくて、やっぱりさっきの意識の流れに対しての話もそうですけど、
そこにでもしっかりと裏打ちされた本質的な考えとか信念みたいなものがきっちり見え隠れしている。
それを真っ直ぐ払わせるんじゃなくて、人をバカにするとかちょっと皮肉めいた言い方で書くのがやっぱりイギリス人だなっていうふうに思って。
読んでて楽しくなる。そんなエッセイ集にあります。
こんな感じですかね。
これMOMの350ページぐらい。
タイトルとかがついてなくて、1、2、3みたいなすごいシンプルな番号しかついてないので、
どこでどんな話をしているのかが分かりづらいのと、
あとつらつらつらつらと話が何となくつながりながらいつの間にか違う話になってるみたいな、
その辺の書き方はうまいなと思うんですけど、
ちょっと最初読みづらい感じあるかもしれないですけど、
意外と1回通読すると、その後はパッと開いたところをまた読んで、
くすっと笑ったりとか考えさせられたりとか、
そんな楽しみ方もできるとてもいい本だなと思いました。
そんなわけで、今日はMOM。
ウィリアム・サマセット・MOMですね。
ウィリアム・サマセット・MOMのサミングアップ。
こちらについて話しました。ありがとうございました。