1. tantotの時々読書日記
  2. #21 笙野頼子「二百回忌」(『..
2025-01-13 11:18

#21 笙野頼子「二百回忌」(『笙野頼子 三冠小説集』所収)〜日本版マジックリアリズム

spotify

笙野頼子の短編「二百回忌」について語りました。どこまでもへんてこなお話です。

https://amzn.to/3PuZzwX

 

00:00
はい、tantotの時々読書日記、第21回です。 今日はですね、
笙野頼子さんという作家の、文庫の三冠小説集というのに入っている、
特にこの二百回忌という、このお話についてお話せればと思います。 笙野頼子さんって、僕もこの三冠小説集以外読んだことなくて、
正直ちょっとどんな作家なのか、みたいなことは、そこまであんまりちゃんと知らないんですけど、
作家の略歴を見ると、1956年生まれ、三重県生まれ、
81年に極楽で群蔵新人文学賞受賞。 この三冠小説集というのは、
その名の通りで、3つの短編が入っているんですけど、それぞれが文学賞を受賞している作品を3つ集めましたということで、
タイムスリップコンビナートが芥川賞、二百回忌が三島由紀夫賞、
何もしてないが野間文芸新人賞というような感じで、その三冠の小説だと。
どういう作家なのか、一応後ろの解説なんかを見ると、81年に新人賞を得た後、
10年間くらい無理解と不遇に苛まれてきたが、そこで一気に90年代にこの3作が3つの賞を受賞するというような形で、
一躍その時、多分時の人みたいな感じになってたのかなと。
どんな作品?作品の感じで言うと、普通の日常的な場面セットではあるんですけど、その中で変なこと。
御霊というか霊みたいなものとか、祖先の霊みたいな話とか、ちょっと不思議な出来事とか、そういうのが起きてしまうみたいな、現実とあの世みたいなものがちょっと繋がっちゃっているような。
でも別にそれがジメジメしているというよりは、割とカラッとした感じで描かれているという。
ちょっと風刺が効いているというか、割と描き方自体は、多分この人独絶だろうなという感じが感じられるような描き方で、
読んでいて結構僕はこういうシャンに構えたというか、斜めから世の中を見ているような、でも現実と虚構を当たり前のように飛び越えちゃうような、こういう話ってすごい個人的には結構好みなタイプなので、
03:11
この3巻小説集、ちょっともう昔のことなので、なんでこれ、そもそもほとんど知らない作家だったのに、ふと買って読んでみたのかというのはあまり覚えてないんですけど、読んで非常にそれぞれすごい印象にずっと残っている、面白い本だなというふうに思います。
その中の特に二百回記という3つあるうちの一編なんですけど、こちらの話が個人的には一番印象に残っている話で、どういう話かというと、これもちょっと言いづらい、うまくあらすじを言いにくいんですけど、
最初のところを読んだほうがいいかな、冒頭のところを読んでみます。
二百回記だけのことで、例えばいくら盛大に取り行ったところで、九十回記くらいではそんなにはならない。それゆえ子供の頃の私はまた二百回記というのを詩を蘇らす儀式のことなんだと思い込んでいた。もともと二百回記をする家は稀であるから、この思い込みはずいぶん大きくなるまで続いていた。
これは中二の頃だったが、ある近所の旧家から二百回記をするという知らせがきて、初めて誤りに気づいたのだ。
これで他の家の二百回記のお知らせがきて、この中学生の当時の私が、甦ってくるはずの明治時代の人を見に来たいというふうに無邪気に告知。
二百回記というのは先祖さん、ご先祖が出てくる場なので。
そうしたらお母さんが不意に声を聞いて、「よその家では誰もよみがえってこん。」と言う。
これは実は我が家だけのどうやらことだし、あんまり大っぴらに言っちゃいけないことらしいぞというような、そんなことを子供心に植え付けられた。
話としては、その語り手の私が大人になって、すでに家を出ていて、もう十年ぐらいの年になって、
06:12
ある時に二百回記をやるぞというような連絡が、はがきが、郵便が来て、そこにちょっと出てみようというような形で、何十年ぶりかに故郷に帰るというような。
そこでの二百回記の出来事を描いている話で。
面白いのが、家に近づくにつれてだんだんと変なことが起こっていくんですね。
時間の進み方もちょっと変わってきちゃったりとか、過去と現在が混じり合っちゃったりして、
電車に乗るどころか、当日まだ家を出る前からおかしなことがある。
当日赤い服に着替え、赤いストッキングに足を通そうとすると、ここにも異変が来た。
どういうわけか、飼っている猫が発情し始めた、みたいなことが起きたりとか。
時間の進み替えがうねうねしてしまうので、それに合わせて各各の出発時間をちゃんと計算してくれている、主催者の人ですかね。
中野に住んでいて、家は伊勢のあたりなのかな。
行くのに今日経って今日着くみたいな感じかと思えば、離れたところに住んでいる兄は3週間前に出発しなきゃいけなくなっている。
そうしないと辿り着かない、遅い時間のうねうねが起きている、みたいな話だった。
とにかくこんな感じで、近づけば近づくほどどんどんおかしなことが起きるんですけど、
この語り手の私は、そのおかしなことを淡々と語っていくというような感じで、
祭り自体はしっちゃかめっちゃかな感じで、生きている人も死んでいる人も当たり前のようにいるし、
変な料理が出てきたりとか、変な話がされていたりとか、
みんな200回帰なんで、たまたま玉ねぎしかないので、死者も生者も慣れていないんですよね。
なのでみんなウロウロしてたりとかして、そんな感じの場が続いているというような感じで、
09:03
特に別にすごい教訓があるとかそういう話ではないんですけど、
そういう面白い、そういう中にも田舎の変な風習とか、そういうのはちょっと皮肉られてたりとか、
そういうところもこの人、ちょっと皮肉めいた感じのヒッチがすごい面白いなというふうに思いながら読んでました。
最後、やっぱり200回帰のおかしなことはちょっと余韻があるらしくて、
これ最後の一文言っちゃってもいいのかな。
中野に帰ってきても、ちょっと怪しいことが起きてるかなというところで、
これ面白い。ただ、次の日洋服ダンスを開けると、戦争をかざした老女が一人転がり出て、
一軒しかない部屋をベルサイユ宮殿のように褒めて消えた。
それからも時々、買い置きの消しゴムが全部かまぼこになるという程度のことは起こった。
買い置きの消しゴムがかまぼこになるのはそれ程度という感じですね。
老女が一人転がり出て消えた。
この位の淡々とした感じで、おかしなことが起きているというのを描いているという話になります。
結構、雰囲気は何となくいくつか読んだところで伝わったらいいなと思うんですけど、
そんな感じの変な話ですね。
変な話なんですけど、不思議とすごい印象に残ってしまうというところで、
こういう奇妙な話を読みたくなったら手に取ってみると面白いかもなというふうに思います。
短い話なので今日は少し長くなりましたが、こちらで終われればと思います。
今日は松野より子三冠小説集に入っている二百回記という短文について話しました。
ありがとうございました。
11:18

コメント

スクロール