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はい、tantotの時々読書日記第22回です。今日はですね、たったついさっき読み終わった森見登美彦の『恋文の技術』について話したいと思います。
森見さんの本を紹介するのは2回目ですね。1回目は、シャロック・ホームズの凱旋というお話、最近の本でした。
この『恋文の技術』は、実は15年前に出た本なんですけど、それは11月に新版になって、文庫の新版になって改めて出たというところで、
結構話題の本として出ていたので、読んでみたという感じです。
これは、『恋文の技術』という名前が表す通り、内容は所感、いわゆる所感対小説みたいな、ひたすら、
森田一郎君という人が主人公なんですけど、書くお手紙だけで構成されている、特に字の文みたいなのはなく、とにかく所感だけで構成されている、いわゆる所感対文学の形式を踏襲した話です。
後書に書いてあるのが、先日とある方が、所感対小説は小説家が一度は挑んでみたいと思う形式ではないかということをおっしゃいました。
そうかもしれません。しかし私はそこまで考えていたわけではなく、夏目漱石の所感集が面白かったので、とにかく真似してみようと思っただけなんです。
夏目漱石の所感集はとても面白いので、ぜひ読んでみてください。
確かに所感対小説って結構技術が問われる感じだし、所感の形で話をちゃんとつなげていくっていうのって、テクニカル的なところでも面白いし、
やっぱり話としても、あえて所感だからこそ、所感、手紙しかないからこそ表現できること、できないこと、読者に伝わること、伝わらないことみたいなのが結構あって、そういう意味では結構独特な形式で面白い話だなというふうにも思います。
この話は、主人公はさっき言った森田一郎君という人で、この人は京都の大学院生なんですけど、どうもなんか水産系の研究をしているみたいで、海洋系かな。
クラゲの研究をするために、野党にある研究所に派遣されている指導教員に、お前ちょっと野党でちゃんと実験やってこいって言って、野党に送り出されている。
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野党にいる森田一郎君が京都にいる大学の同僚というか同級生だったり先輩だったり、いろんな知り合いに対して手紙をひたすら送り続けると。
こういう手紙の恋文の修行をしようみたいなことを思い立って、とにかくいろんな人に手紙を送るという感じで、これ書簡単に小説っていうんですけど、一応森田君が同級生のすごいお友達の小松崎君とか、
あとはすごい腹黒い先輩の大塚さんとか、教え語、多分家庭教師やってる教え語のマミヤ君とか、
森見富彦さんという作家が中にも出てくるんですけど、森田一郎君は森見富彦さんの後輩にあたるのかな、知り合いなんですけど、森見富彦さんという作家への手紙とか、
その辺の人たちへの手紙なんですけど、一応書簡、お手紙のやり取り、文通はしてるみたいなんですけど、この話に出てくるのは全部森田君が送った手紙の方しか出てこない。
それに対するそれぞれの人たちの返事は、その次の森田君のお手紙の中でなんとなくこんな返信があったっぽいなみたいなのが透けて見えるだけというような感じなので、ひたすら森田君の一人小説みたいな感じになっていて、
この辺は森見さんの四畳半神話体系とかみたいな私のイメージを彷彿させる感じだなというふうに思います。
私の話もしましたけど、森田君はしょうもない下手れ大学生、大学院生っていう感じで、森見富彦さんの描くまさに京都にいる下手れ大学生、しょうもない大学生、学生を絵に描いたような主人公だなというところで、
例えば、教え子の小学生に対してしょうもない感じで偉そうな雰囲気を出してみたりとか、小松崎っていう同級生が恋してるらしいんですけど、役に立たないような恋のアドバイスをしてみたりとか、
大塚さんっていう先輩、この先輩はやり手でとにかく人を落とし入れることが大好きみたいな悪い人なんですけど、その人に対してからいばりというか、本当は全然頭が上がらないんだろうなっていう感じなんだけど、手紙の中だけではちょっと偉そうに少し態度でかく出てみたりとか、
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結局、後になって大塚先輩にボコボコにされてギャフンと言わされてしまったりとか、そんな感じでしょうもない大学生のしょうもない手紙、しょうもない自己意識がただ漏れしているようなしょうもない手紙をひたすら読まされるという感じで、
やっぱり森美さんのこのヘタレ大学生、しょうもない大学生のクソみたいな自意識の垂れ流しみたいな、この描き方でなんでこんなにうまいんでしょうねっていうのが、やっぱりこの大込みかなというふうに思います。
最後の話をする前に、これ第1話から第12話まであるんですけど、
実は同じ時期に、第1話は小松崎君への手紙、第2話は大塚さんへの手紙みたいな感じで、その1話ごとに手紙の相手が違って、その手紙が4月から7月にかけてみたいな感じで手紙がひたすらあるんですけど、
また第1話が4月から7月までで、第2話も同じく4月から7月まで、しかも日付もほぼ同じなんですけど、相手が違う手紙みたいなのがあって、読んでいくと、この時この相手にこのお手紙を送ってたけど、実はこの人にはこんなことを書いてるんだなみたいな感じで、
ちょっとずつその時の話の全貌が少しずつ見えてくるみたいな感じで、そういう構成としても読んでて面白いなというふうに思います。その辺の構成もすごい練られてるなという感じがして、
とはいえ最後すごい、実はちょっといい話で終わるんですけど、いい話で終わらせるあたりがちょっとイラッとしますよね。というところも含めて、この本をひたすら読んで、
本当、これでこそって思うんですけど、何にも教訓とか深みとか、いい意味ですよ、深みとかが全くなく、ただひたすらしょうもない大学生のしょうもない話を読まされて、めっちゃ面白いな。
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なんかもういいなっていうような、青春の草みたいな青春を味わえるすごい面白い本。面白いとしか言ってない。語彙がちょっと足りないですけど、すごいそういう意味では教訓なく読めて、ちょっとくすっと笑ったりして楽しめる。
非常にエンターテインメント性の高い小説じゃないかなと思います。しかも15年経って新版が出るぐらい、やっぱり強い人気なんだろうなぁと思うんですよね。
ここは森美さんいくつか読んでたけど、これ読んだことなかったんですけど、確かにこれ結構何度か読んでも面白い。その話が少しずつ手紙の中で少しずつ見えてきたりとか、ちょっとざーっと今回流し読みしましたけど、
例えば4月9日に送っているこの人への手紙とこの人への手紙とこの人への手紙みたいな同じ時期に送っている手紙を見比べるような、そういう読み方をしてみても実はまた新しい発見がありそうだなというふうに思ったりしていて、
なんとなくこの日時系列で誰に何を送っているのか手紙を並べたくなるような、そんな楽しみ方もできそうなそんな話です。
今ですね、これ実はポプラ文庫で出てるんですけど、新版の初版限定、初版本限定でまたくだらない新しく書き下ろしの短編の小冊子が付いていたりとか、
あとはカバーがスキップとローファーという漫画の作者の高松美咲さんという方の絵になって、ちょっとこれかわいい、すごいかわいい感じの絵になっていたり、
この手紙はやり取りしていた、こういう人たちなんだというビジュアルが見える、それを15周年の特別なものになっていたりするので、もし本屋で見つけたら手に取ってみるというのではないかなというふうに思います。
森美さんの本を読む度に、自分はなぜ京都で大学生をやらなかったんだろうって、こんな選択肢はなかったですけどね、そんなふうな気持ちにさせられる、すごく心がグッとくるお話ではないかなと思います。
では今日は森美富彦さんの小泉の技術、こちらについてお話ししました。ありがとうございます。