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2020-12-29 36:56

私が新卒2年で銀行を辞めてベトナムに行った理由 #87

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【投票お願いします!】JAPAN PODCAST AWARDS 2020の応募が開始しました。以下のURLより、ぜひ「わたなべ夫婦のふたりごと」への投票をお願いします!リスナーの皆さまの1票が、私たちの大きな励みになります。(応募締切:2021年2月15日 23時59分まで)
https://ssl.1242.com/aplform/form/aplform.php?fcode=jpa2020_listener

皆さんのキャリアや働き方を考えるきっかけになればと思いお話しました。

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【放送のもくじ】
オープニング
おたより:銀行を辞めてベトナムに行った経緯を知りたい
だいきのキャリアについて(本題)
エンディング

#わたなべ夫婦
#銀行
#新卒
#キャリア
#転職
音声配信アプリstand.fmでは、限定配信やライブ配信もお楽しみいただけます。ぜひ、下記URLよりお聴きください!
https://stand.fm/channels/5e8339c54afcd3510469ee69
00:00
こんにちは。本編の前に少しだけお知らせです。現在、ジャパンポッドキャストアワード2020の応募が始まっています。
これは皆さんの好きなポッドキャスト、応援しているポッドキャストを投票しようという企画になってまして、ぜひリスナーの皆さん、
わたなべ夫婦の二人ごと、こちらへの投票をね、お願いできればと思い、お知らせさせていただいています。
各放送の説明欄に投票のリンク貼ってますので、ぜひこちらから飛んでいただいて、
わたなべ夫婦の二人ごとへ一票ね、お願いできればと思います。説明欄をぜひご覧ください。
それでは、このままラジオ本編に移ります。ぜひ最後までお聞きください。どうぞ。
わたなべ夫婦の二人ごと第87回の放送です。この番組では、YouTuberであり、ブロガーであり、不動産投資家でもあるわたなべ夫婦が日常のことや頭の中をお話しします。
いよいよ2020年最後の放送となりました。やっぱ振り返ると早いですよね。もう1年経ったんか、もう2020年も終わりかっていうね感じが、振り返るとあるんですけど、まあとはいえね、今年も1年いろいろあったなあっていうのは思うわけで、
まあ特にね、あの音声配信、ポッドキャストっていうのも今年初めてスタートした試みです。今年の6月かなにポッドキャストを始めて、約半年無事ね、月水金週3回投稿で続けることができました。
この放送もね、第87回ということで、もうすぐ100回という節目。まあ100回だからどうってわけではないんですけど、まあね、そんだけ続けることができたなあっていうのをしみじみ思います。
というのも、やっぱりいつも聞いてくれるリスナーの皆さんがいるっていうのがすごく支えになってるし、お便りですね、ちょっとお答えに時間がかかっていたりして、そこは申し訳ないところであるんですけど、お便りたくさんいただくことによって放送のモチベーションになったりとか、次こういうこと話そうっていうインスピレーションにつながったりとか、そういう形ですごくリスナーさんの皆さんからも支えてもらってることができて、
それで週3回しっかり楽しんで続けてこれることができたのかなあというのを感じています。
はい、というわけで2020年ありがとうございました。また来年も引き続き、今のところ週3回も淡々と継続していこうと思ってますので、こちらの渡辺夫婦の二人ごとよろしくお願いします。
そして今回の放送なんですけど、僕のちょっと昔話をしようと思います。タイトルにもある通り、僕のキャリア、お仕事の変遷の経緯であったり、理由であったり、どういう思いで仕事をして、転職してっていうことを決断したのかっていうことを振り返られればなと思ってます。
皆さん自身のこれからの生き方であったり、働き方であったり、キャリアであったり、就活控えられている方は、そのね、就活どうしていきたいかっていう考えを深めていくきっかけになればなと思ってますので、ぜひ聞いてください。
03:10
というわけで、きっかけとなったお便りまずご紹介します。ラジオネームリリーさん、こんにちは。いつも楽しく拝聴しています。初めてお便りします。
ナイキさんにお伺いしたいのですが、ベトナムではどのような内容の仕事をされていたのですか?
新婚旅行のことやユミさんとの思い行き違いなどのお話は何度か聞いていますが、メガバンクを辞めてまでもベトナムでやりたかった仕事って何だろうととても気になってます。
ナイキさんが日本ではなくベトナムでトライしたかった仕事をよかったら具体的に教えてくださいませんか?またその仕事はもう辞めたんですか?それとも方向転換されたんですか?
仕事や生活の拠点を海外に置くということは私にとってはすごく勇気がいることなので、そこのところがとても気になるし、ぜひお伺いしたいです。ご回答いただけたら嬉しいです。
お便りありがとうございます。僕はですね、新卒でまず大学卒業した後、銀行に就職しました。
銀行では法人営業という仕事をしていて、ハンザーナオキのシーズン1を思い浮かべていただければいいんですけど、
銀行マンとして企業の担当者になって、その企業に融資、お金を貸したりとか、そういう提案をしたり、営業していくっていうような仕事をしました。
2年働きました、丸2年。丸2年働いた後、銀行は辞めてベトナムに行きました。
ベトナムではベンチャー企業ですね、日本人の社長がやっているベンチャー企業があって、そこに参加しました。
雇われて、つまりだから転職ですね、転職。仕事を辞めて別の会社に移りましたというような形です。
そのベトナムで1年仕事をして、その後丸1年働いた後、ベトナムの仕事は辞めて、その会社は退職して、
お仕事ない状態で日本に戻ってきて、その後日本一周したりしていく中で、今のYouTuberであったり、こういう音声配信したりとか、こういう発信活動がね、お仕事になっていきましたというようなキャリアになっています。
ちなみに結婚したタイミングがベトナムに行くタイミングで、銀行を辞めますと言って、辞めるタイミングでちょうど結婚入籍しました。
だから新卒2年目の冬ですね、に結婚して、で、結婚した後ベトナムに行って、で、まあ何度かね話している通りベトナムに妻が来てくれたんですけど、そこですごい喧嘩をしてしまって、妻に日本に帰られてしまって、僕も、
じゃあ日本でねやり直したいということで、ベトナムの仕事を辞めて日本戻って旅してっていうような、そういう感じになっています。
ここまでは何度か話したことがあるのでご存知の方も多いかもしれないです。
この放送では僕はまずそもそもなんで銀行にね勤めることにしたのっていう話と、で、そっからなんでベトナムに行ったのっていうところをより深くお話しできればと思います。
06:04
まずご質問にもある通りベトナムで何の仕事してたんですかということについてなんですけど、あのベトナムで何をしたかっていうのは僕自身にとってあんまり重要じゃないんですよ。
なんかすごいしたいことがあって、具体的にねその仕事をしたいからベトナムに行ったっていうのが出発点じゃないので、
もちろんねあのすごい興味があるから、その仕事に興味があるからベトナムに行ったんですけど、そのお仕事内容自体は本質的じゃないんですよねっていうのと、
あのどういう仕事してたかっていうのを言ったらもうこの会社やんっていうのがね結構普通にわかる感じになってくるんで、
まああの別に深い意味はないんですけど、何をしてたかっていうのは今回ちょっと曖昧にしておきたいと思います。すみません。
いやそうなんですよね。たまたまそのベトナムとその縁ができてね、行ったっていうのがあるので、もう本当にねなんかベトナムでこれを絶対したいんだっていうのがあって行ったわけではないんですよね。
で、その仕事はもう辞めてます。今の仕事、今のこのYouTubeとかの活動とは全然もう関係がなくなっているので、
もうベトナムはベトナムってその1年間だけそのお仕事をしてたっていうことになってますと。
で、僕がなんでベトナムに行ったかっていうところを振り返りたいんですけど、銀行での仕事がまあ嫌になって飽きたからなんですよ。もう言葉を選ばずに言うと。
飽きちゃった。なんか違うなみたいな。つまらんなってなっちゃったんですよね。もう正直に言っちゃうと。
で、その大企業の銀行っていう仕事じゃなくて、もうベトナムという発展途上で、もうわちゃわちゃしてますよベトナムってすごいね、あのまあ若い人も多くて活気があってみたいな、これから経済もねどんどん盛り上がっていってっていうような国、人口も増えててね。
そういう国に行って、しかもベンチャー企業、もう社員数がもう数人みたいな規模の、もうそういうなんかもみくちゃにされるような熱い、熱くなれるような環境で頑張りたいなって思ったからベトナムに行ったんですよね。
で、なんでベトナムかっていうと、僕はもともと旅行でベトナムに行ったことがあって、ここで仕事したいな、してみたいなっていうのはもともと思ってたんですよ。
そんな中、なんか銀行の仕事なんかイマイチやなと、なんかもうちょっと自分が熱く、なんか働けるとこないかな、チャレンジできるとこないかなっていうのを探してたときに、そのベトナムの会社が目に留まって、すごいね、事業内容としても共感できるし、すごい面白そうやなって直感でね、ビビッときたんですよ。
で、もう社長にちょっと連絡させてくださいって言って、コンタクト取ってって言ったら、まあ意気投合してね、行きますと。あの、もう銀行辞めてね、そっち行くんで、お世話になりますっていうことが決まって、まあベトナムに行きましたと、いうことなので、まああのベトナムで何してたかっていうのもまあ大事は大事かもしれないですけど、というよりも、もう銀行という環境とは真逆の環境で頑張りたいって思ったからベトナムに行きました。
09:05
日本の大企業の、まあその新卒で働いて、で、こう出世していってみたいなね、そういうサラリーマンの、こうサラリーマンを極めていくみたいなコースではなくて、転職ね、もう銀行もパツッと辞めちゃって、発展途上のベトナムで、しかもベンチャーで、社員数数人で、社長の隣でやるみたいな、なんかそういう、一から事業作ってこうぜ、創業もう何年、創業もう2年、3年、4年とか、それぐらいの若い会社ですよ、っていうところで頑張りたいと思ったからベトナムに行きました。
まあそういう経緯なんですよね。そして、このことをもうちょっと掘り下げようと思ったら、僕の就活前までね、話を遡らないといけないんですよ。そもそも僕はどういうキャリア感があったのとか、どういうことを仕事でしたかったのっていう、で、なんでじゃあ就活した結果、銀行に勤めたのっていうところまで話を遡ります。
時は、何年か忘れましたけど、僕が大学3年生、4年生の時ですよ。就活生の時。当時はね、今みたいにフリーランスとかね、そういう言葉もあんまり聞かない。どっちかというと、やっぱり大学出て企業に勤めて、就寝雇用っていうのはちょっと限界あるんちゃうかって言われ始めてはいたんですけど、
まあでもやっぱり基本は会社に勤めて、勤め上げるっていうような働き方が当たり前やし、っていうような価値観が結構多かったですね。で、僕の周りもやっぱり就活する人多かったし、僕自身も就活するしか進路の選択って基本ないと思ってたんですよ。
一部身の回りの人で、もう学生の時から起業してますとか、なんかこう事業やってますとかね、なんか自分で旅してどっか行きますわとか、なんかそういう人いたはいたんですけど、そんなんイレギュラーやと思ってたし、僕自身はそんなことできひんってね、勝手に思ってたんで、まあ就職するしかないやろうと思ってましたと。
ただ、あのもともとあったのが、自分で事業を起こしたいっていうのは思ってたんですよ。まあ社長になりたい、社長になりたいというか、まあ自分のビジネスをしたいって感じかな。自分で働きたい、なんかあのどっかに勤めて、あのお給料もらってじゃなくて、まあ自分がね社長とかトップになって、なんか自分の事業を起こしてビジネスしたいっていう願望はありました。
それはもうなんとなく願望ですよ、野心というか。まあなんか生きてるからにはというか働くからには、なんか自分で商売したいなみたいなのがなんとなくあったんですよね。で、あったけどやり方がわかんなかったんですよ。どんな学生の時から起業とかそんな自分できるとは思えへんし、そもそも事業って言っても何したらいいんやろうみたいな。なんか別にやることもないし、やれそうなこともないし、スキルもないし、ノウハウもないし、えーどうしようみたいな。
であれば、まあ一旦就活しようかみたいな。就活して、まあ普通にね、どっか会社勤めて、じゃあなんかわからんけど、将来どっかのタイミングが来た時に、えーその会社辞めて独立して起業するとか、なんか事業起こすとか、友達とね、なんか一緒にやるとか、わかんないですけど、まあ将来なんかそういう選択も取れるやろうと。
12:13
まあじゃあ今大学卒業して、まあ新卒っていうね、新卒で就職するっていう道があるわけじゃないですか。であれば今は就活して起業に勤めて、どっかのタイミングで自分のビジネスができたらいいなという思いで就活をしました。
で最終的に銀行になった理由なんですけど、それは将来の起業を見据えてっていうところが実はありました。
まああの銀行って金融のプロなわけじゃないですか。で金融ってやっぱり事業においてすごい大事なんですよね。カタカナで言うとファイナンスですけど、そういう知識が得られる。
そして銀行ってやっぱり幅広いね、業界との付き合いもあるし、銀行内部での仕事の幅もすごく広いんですよね。海外も含めて。
であればまあ新卒で銀行入ったらいろんな経験できるやろうっていうのが狙いとしてありましたと。さらに銀行の最初法人営業をしましたって冒頭言ったんですけど、その仕事って要するにその支店に配属されて支店の担当エリアの中小企業。
いろんなね、本当に日本って会社いっぱいありますよ、中小企業も含めたら。そう、そんないろんな銀行とお付き合いのある会社を担当して、でその担当者としてその企業のね、窓口に訪問して、で御社の業況どうですかとか、あのお金ね、こういう融資どうですかとか、まあそういう提案をしたりとかヒアリングしたりとか、まあそういう影響するわけなんですよ。
で、中小企業の方ってだいたいね、やっぱ社長がそのまま銀行の担当、銀行の、えー銀行員の相手をしてくれるところが多いんですよ。つまり、20そこそこの、まあ言うたらペーペーみたいなね、もう新卒で、もうフレッシュで、もうこの前卒業しましたみたいな人でも、いきなり中小企業の社長さんとまあお話しして、お仕事をね、一緒にできるっていうことなんですよね。
で、これはなんか面白そうやなと思って。だって自分は将来、まあ社長になりたい、えー自分で事業を起こしたい、なんか自分の商売したいって思ってるわけなんですけど、もうね、銀行員っていうもう肩書きになった瞬間に、もうそのね、自分のある意味目指してるその社長という人たちといろいろね、話す機会が得られるという。
あーなんかこれは自分の成長にも役立ちそうやなっていうのはすごく感じて、あーじゃあ銀行の法人営業で最初のねキャリアスタートしてみようって思ったんですよ。
というのが銀行にした理由ですかね。仕事の幅がすごく幅広いから経験も得られそう。そしてまあファイナンスっていうね、事業をやる上ではすごく大事な金融の知識も得られる。
そして中小企業の社長相手にいきなり営業活動ができるから、自分にとって経験値がね、得られるんじゃないかっていう狙い。
15:06
まああとはもうね、就活してて、その会社の雰囲気とね、自分が合いそうやなとか、その採用担当の人とかとすごく相性が良さそうやなみたいな、もうそういう直感。
あとはもう社風に共感したっていうところで、銀行に勤めることになりました。
はい、そんなわけで新卒で銀行員になったわけなんですけど、まずね、いいところ言っておくと、実際やっぱすごい経験にはなりました。
銀行のね、教育体制はなんやかんやしっかりしてるんですよ。だからビジネスの基礎スキルというか、必要な知識だったりっていうのはもうじっくりね、教えてもらったりしたし、
いろんな営業のやり方だったり、企業の財務のね、いろんな数字を見て、その企業の分析をする、研修をしたりとか、まあなんか知らないですけど、まあいろいろね、知識はやっぱり得られました。
経験も得られたし、そこはね、すごく感謝してます。特に銀行の新卒って、本当にもう教育期間なんですよ。新卒の2年ぐらいまでっていうのは。
だからたかが2年と思われるかもしれないですけど、でもその2年で得た経験だったり、知識だったり、スキルっていうのは大きかったなぁと、今にもね、やっぱり生かされるものがあるなぁっていうのはすごく感じます。
なんですけど、結局2年で辞めましたということなんですよね。なぜかというと、ある時、ふとね、思い至ってしまったんですよ。
あれ?みたいな。あれ?これでよかったんやっけ?ってなったんですよね。っていうのも、僕が目標としてたのは、自分で事業を起こすこと。
自分で商売したい。で、商売したいとは言ってるんですけど、結局なんか、仕事に熱くなりたい、仕事をなんか一生懸命取り組めるような状態になりたいっていうことなんですよ。
これ結構抽象的な言い方なんですけど、そういうふうに思ってました。で、銀行で働いてた時って、やっぱり定時で帰りたいとか、もう会社の残業は家に持ち帰りたくないとか、やっぱりなんかどうしても、
仕事に行ったらそりゃそれで頑張るんですけど、なんかやっぱ自分の生活とはマッチしてない感じというか、やっぱ仕事は仕事、プライベートはプライベートっていう感じだったんですよね。
いや、そりゃそうやろともしかしたら思われるかもしれないですけど、僕はそういう状態はあんまり目指してなくて、もう仕事もプライベートももう一生みたいな、プライベートのように仕事を楽しめて、
仕事が楽しくて楽しくて仕方ないみたいな、なんかそういう感じで働きたいなって思ってたんですよね。働くって、だってもう僕らの時代で言ったらね、人生100年なって言われて、
もう定年もね、どんどん伸びてってっていう中で、もう多分一生ね働き続けるような人生ですよ、これから。っていう中で、なんかもうちょっと仕事ってなんか楽しくできるもんじゃないのかなっていうのをもやもやしてたんですよ。
で、周りを見てもやっぱり銀行の業務ね、結構きついですよ。まあ今はどうかわかんないですけど、なかなかきつい。
18:05
しんどいし、大変。ノルマの充積もあるしっていうね。中でやっぱり疲弊してる同僚も多かったし、仕事辞めちゃった同僚もいるし、先輩とか見てても、もちろんね、楽しんで仕事してる先輩も中にはいたかもしれないけど、やっぱりね、
銀行っていうね、ちょっと古めなね、社風っていうのもあって、いかにこう銀行で登り詰めていくかというか、上司からね、評価をもらいながら登り詰めていくかみたいなところがあるわけですよ。
っていう中で、まあ組織に埋もれながら、何とかもう課長からもすごい怒られて、支店長からもすごい怒られるけど何とか頑張ってますみたいなね、人も多かったりとか。
で、じゃあ自分の上司とかを見た時にも、もちろんね、すごくお世話にはなったんですけど、じゃあすごい楽しそうに働いてるかとか、人生楽しそうかって言われたら、
んー、まあ、いや知らないですよ。課長とか支店長とかのプライベートは知らないですけど、まあまあなんか大変そうやなーみたいな感じなんですよ。
で、自分がじゃあ10年後とか、こういう課長の姿になりたいかって言われたら、まあそれはそれはね、あのすごい責任感を持って働かれてるとは思うんですけど、
なんか自分の目指してる感じとは違うなーっていうのがあったんですよ。っていうのを、んー、銀行入って1年ぐらい経って、2年目ぐらいから感じ始めましたと。
で、その時に僕のもともとの目標が、自分で仕事、商売したいとか、なんかもう仕事もプライベートも関係なく、仕事楽しんでね、できるようなそういう環境で生きたいっていうふうには思ってて、
でも周りを見たら、あんまりそういうことを考えてる人って少ないんですよ。仕事は耐えて、耐えし飲んで、なんとか頑張って、で、給料をもらって、で、そのお給料でたまに飲み会行って楽しんで、
で、また仕事働いて、みたいな。なんかそれが人生みたいな、それが働くことだよみたいな感じで割り切って働いてる人、そういう人の方が圧倒的に多いし、で、それはそれでね、人生人それぞれなんで、もちろんいいと思うんですよ。
でもそれは自分の目指してる方向性とは違うし、そういう環境の中でずっとね、働き続けたことによって、
なんか将来、じゃあ独立してね、起業しようとか、自分で商売しようみたいな風にならないんじゃないかっていうね。
今は、将来ね、自分でビジネスしたいぞって思ってるかもしれないけど、5年10年20年とね、働き続ける中で、そういう思いって消えていっちゃうんじゃないかと。
今更リスク犯して、銀行離れて、そんなことしたくないよってね、気が変わってるかもしれないし、っていうのをね、すごく考えたんですよね。
そもそも自分って、何のためにこのね、銀行入ったんやっけとか、仕事でどういうことしていきたいんやっけとか、人生そのものね、どうしていきたいんやろう、どういう生き方したんやろう、どういう働き方したんやろうっていうのを、ぐるぐるぐるぐる考えるようになって。
21:00
で、考えだすとね、なかなか止まらないんですよね、こういうのって。
えー、これで良かったんやっけ、みたいな。何したかったんやっけっていう。今の環境で良かったんやっけっていうね。
そんな中事件がね起こりましたこれは2年目のね秋ぐらいだったんですけど事件という か本来は喜ばしいこと
なんですけど社内で表彰されたんですよ 銀行の実績を評価されてまぁこれはね本当にもうたまたまそういう大口の案件が自分に
回ってきただけっていうで課長にねすごく支えられてやっただけなんでもう全然自分の 音実力が発揮されたわけではないと思ってるんでもうさらっとね
流したいんですけどまぁあの社長賞というか東取賞というかそういう賞がありまして その若手優秀賞みたいなのに受賞していただくことができました
でそれはねすごくまあ喜ばしいことでもあるし本当に支えていただいた皆さん感謝感謝 ということではあるんですけどそれがきっかけでなんか吹っ切れてしまったんですよね
あ なんかもういいやーみたいな
まあ一仕事終えたというかなんかそういう受賞されたみたいな経験もあって なんかもう銀行でやりたいことをやり切ったかもってね
いやまだ2年ですよまだ2年やし銀行での仕事ってもっと幅広いしいろんな世界が 広がっていると思って入社したんですけど
あもう自分が銀行でやるべきことって終わったかもってね 思っちゃったんですよ吹っ切れちゃった
そうなんですよねでそれがもう最後の引き金となってあーもう銀行を辞めようってね いう思いが固まってでじゃあ銀行を辞めた後どうしようかなというのを考えた時に
なんかねやっぱり銀行ってすごい大企業なんですよねもう あのハンコいっぱい押すっていうのどっかでツイッターとかでね聞いたことある方も多いと思うん
ですけど 僕がいた時もやっぱそうでしたハンコ金もボンボンボンボン押して担当者課長副支店長支店長
本部なんやらかんやらとかでねなんかいっぱい反抗して承認するみたいなプロセスやったり やっぱ大企業ならではのなんかそういう雰囲気とか
まあ今までので歴史も踏まえて何か社風であったりいろいろあるんですよね でいう中で働いたんで今度は逆でねもっとベンチャー
もっと経営に近いところで働きたいなと で将来自分がね起業したり自分で商売する時においてもそういう経験て役立つんちゃう
かなと だからもっとベンチャーの音経営に近いところで社長と一緒に働くようなところでね
やってみたいなあっていうのが逆にその反発というか 銀行で働いたからもうまあ逆の音環境でやりたいなっていうのがあって
ベトナムに行きましたとでベトナムに行った経緯というのは先ほどお話した通り ベトナムにそもそももともと旅行したことがあって思い入れがあって
そこでねすごい共感する事業をやっている日本人の方と出会うことができて まあそこでねお話しすることができて
でじゃあ自分ベトナム行きますということに決まったわけなんですけど まあそういうわけでもうね本当にシンプルに悪気もなく言うと銀行の業務
24:04
飽きちゃったんですよ あもうなんかやり切ったかもみたいなもうここでやりたいことを終わったかもっていうね
なんか目的意識もなくなって目標も失ったんですよ であればもう全然違う環境でもう1回再チャレンジというか
自分のね幅を経験の幅を広げるためにも全く違う環境で挑戦したいなと思ってベトナム行き を決めました
今回お便りいただいたリリーさんのお便りの中にもあるんですけど仕事や生活の拠点 を海外に置くということは私にとってはすごく勇気がいることなのでそこのところが
とても気になるしぜひお伺いしたいですとあるんですけど そんなベトナム行くとか大丈夫なんと思われる方も多いかもしれないです
現にね銀行の時と比べて収入はもう3分の1ぐらいとかになりました まあ物価もねそれぐらい少ないんですけどまあねやっぱりお金はね
ヘルシーっていう ただまあ僕の音を持ち前のポジティブというか
そういうところなんですけど結局なんとかなるやろうと思ってるんですよ 死にはせえへんしでベトナム行ったからで死ぬ死にはせえへんしでそこで帰ってきてもね
日本で何か仕事ぐらいあるやろうと思ってるしいくらでもね再挑戦はできると思っ てたんでまあ今とにかくやりたいことをやってみようということでベトナム行きに決めたんです
よねで銀行員時代の貯金とかもある程度あったんで まあそのね無一問でベトナムに放り出されるわけではないから
まあそれは大丈夫やろうということですね そしてベトナムでの仕事なんですけどやっぱりで銀行の時とは全然環境は違いますよね
まあ国が違うというのもあってまあ余計そうなんですけど まあ社員はね数人しかいないし日本人も数人やしいっていう
でもうすぐね隣には社長が座っててっていうような環境で 銀行やと何でももうマニュアルがね整備されてるんですよ
何か事務作業する時にもマニュアルこれでもね 事務手続書みたいなのがあってその社内のネットワークで検索したらポーンて出てきたり
とかでも事務手続きをその教えてくれる専門の部署とかもいたりしてもうねなんか やっぱ社内の体制がもうすごい整ってるんですよね
で一方ベトナムのそのベンチャーはもうマニュアルなんてありませんみたいなしかも 仕事の内容すら決まってないのもいっぱいありますみたいな
中でじゃあマニュアル作ってこうかみたいなとこから始まったりとか もうそもそもどういうことをやっていくとか何していくとか
事業拡大していくためにどうしようみたいななんかそういう話をしてたんですよね 日常的にそれはすごく刺激になったし
なんかねまあすごい泥臭いです泥臭いことをいっぱいやってきました まあ人間銀行の音営業もまあまあ泥臭いんですけど
まあそれに加えてもうベトナムではほんまにもう1から何も 前例もないし何もない中で作り上げていくみたいなところがあってまぁすごくね
なんか特殊な経験ができたなぁというのを持っています 本当に社員も家族みたいでねもう一緒に住んでたりするんですけど
27:02
まあそういう中でもみくちゃ言いなりながらやらせてもらったりして 社長さんもすごくね勉強熱心で行動力のある方ですごく尊敬してるし
学ませてもらったこともすごく多いなぁと思うし ベトナム人の社員の方もすごく責任感があって仕事のスキルも高くてっていう
これはあえて言っておきたいんですけど日本やったら そのねベトナム人の社員と比べたら僕の方がもう遥かにね学歴は高いし
メガバンクみたいないわゆるね給料も高いエリートのキャリアみたいなのね 歩んでたわけなんですよですそういう仕事のスキルも一見すると高そうなんですけど
もうそれがねやっぱりベトナムっていう地に行くと全然関係ないですよ もう学歴とか職歴とかキャリアみたいなのはもうやるかやらんかみたいな
世界なんですよねっていう中でほんまにベトナム人の現地の社員の人もすごいなんて 尊敬できるところがいっぱいあって
なんかそういう意味でも僕の中のなんかやっぱり価値観というのがすごく揺れ動いたんですよ だからやっぱり銀行という場所を離れて全く違う環境で行ったっていうのはすごくいい経験
になったそこでしか得られない経験っていうのはほんまにあったなぁっていうのは本当に 振り返りますね
銀行で勤めてるだけやったらそんな感情は起きなかったやるしそんな気づきもなかった やろしってことがありました
銀行での経験ももちろんやしベトナムでの経験っていうのも僕にとっては間違いなく 財産やったなあっていうのは本当思います今も生かされているような今の価値観にすごく影響
しているような大事な経験やったなあっていうのを感じます ただ一方ベトナムでの仕事どうやったかっていうと結局転職していってその勤めてる
わけですよサラリーマンですよベトナムでも結局サラリーマンでっていう中でかなり 経営に近いところでお仕事はしてたんですけどやっぱり自分のプライベートと仕事っていう
のはある程度ね別れてたんですよ自分の中でまだ まだ別れてたんですベンチャーであってもそれは僕自身があんまりねそこまでコミット
できてなかったっていう自分自身の気持ちの問題でもあったし その夫婦関係がね全然うまくいってないっていうプライベートの生活面での問題も
いろいろあったはあったんですけどまぁとはいえねやっぱベトナム行ったとて ベンチャー企業であったとて
なんかねやっぱ自分で事業を起こしたりとか自分でビジネスしてるのが違うなと 社長ともね毎日喋ってるんですよ喋ってるんですけど社長はね本当に毎日考えて
悩んでっていうの なんかもう会社て自分の家族みたいなもんで社員も自分の家族みたいな感じなんですよ
ね この社員をいかに守って事業もいかに拡大していいサービスを出て届けてとかねいうの
も自分の生活プライベート化のように常に考えてたんですよ 自分の求めているのはそういう感じだったんですよねそういう仕事の仕方そういう
働き方でもなんか自分はそこまで慣れなかったんですよ結局 なんか仕事は仕事プライベートはプライベートっていう感じあったし最後までね
30:08
だから何が原因なんかなというかなんかねもう 心の底までというか心までコミットしきれてないなっていうのはあったんですよね
であった中でまぁ結局ね喧嘩夫婦喧嘩っていうのもすごく重なって日本に帰ることに なりましたとで僕の中ではそれが一つのきっかけであったんですけど
まあそのタイミングでベトナムをまた離れたっていうのは結果としては良かったのかなって 思っています
なんかね自分の中でまだ逃げ切らない部分がずっと残ってたんですよ でそのままねベトナムで残り続けてても何かもしかしたら発展していったかもしれないですけど
ちょっとまた環境違うんかなとなんか自分の求めているものと違うのかなっていうのを 感じ始めてたので
だからまあ夫婦喧嘩っていうのが一つのきっかけにはなっちゃったんですけど まあ1年というね短い期間だったんですけど
ベトナムから離れて日本で夫婦でやり直すっていう ことができたのはそれはそれで結果としては良かったのかなというのは思っています
今はねまさに自分で事業をやってます まあ youtube とかこういう音声配信とかなんかそういうお仕事なんでなんかこう実態がねなんか
いまいちわからないイメージしきれない方もいらっしゃるかもしれないですけどこれも ある意味お仕事であり自分の事業でもあるんですよね
夫婦2人でやってます夫婦2人が自ら仕事を作り出してでそれで収入を得てっていうね まさに自分でビジネスをしているという状態になんやかんやになりました
いやまさかこんなことになってるとはね銀行医事代思わないですよ いつかビジネスしたいないつか商売したいなぁみたいな
なんか自分で活動ねしていきたいなぁってなんとなく思ってたところがまあいろいろ 行動していった結果まあなんやかんや
なんやかんやですよもう自分がね予期せぬ未来 まあこういう今夫婦で2人で活動しているっていう状態になりました
これが銀行にずっと残り続けてあの時ね 違和感を感じつつも働き続けてたらもっとその
天気って遅く訪れてたやろうし今もまだ銀行で働いてたかもしれんし将来どうな っているかわからないし
まあそのねうんや銀行辞めなかった人生というのもそれはそれで自分なりに楽しんだり とか
やってると思うんですよそれなりにはでももともとねやりたいと思ってたような生き方っていう のが今
なんとか形になってきてるっていうのはあの時やっぱり自分の感情というか自分の 思いに従って銀行を辞めてベトナム行ってみたい
って決断できたからっていうのは一つあるやろうなぁというのは思っています これはねほんとも振り返ってどうかっていうことなんで結果論なんですよもう結果論
なんで後からやったら何もでも説明できるんでね いやほんとまあその程度のことではあるんですけど僕はもう全部の経験がいい経験やと思って
33:04
るなんか後悔とかはあんまり感じないようにしてるんで なんやかんや全部ね今の自分に役立ってるよねーってこう
美化してね過去の思い出は美化して吸収しちゃうタイプなんで特にそう思っています 銀行辞めたのも良かったしベトナム挑戦できたも良かったし
ベトナムで結局うまくいかなかったのもなやかんや良かったしみたいな そういう感じで捉えてます
そろそろ30数分なのでまとめていきたいなと思うんですけど 結局言いたいことってもう一つだけでもうやりたいと思ったことをやりな
はれっていうことなんですよ 特にこの放送高校生の方とか大学生の方とかもう社会人ね
もう1年目2年目の方もたくさん聞いているということなのでぜひそういう方にお伝え したいんですけどやりたいことをやるのがいいと思います
周りがどうとか親がどうとか社会がどうとか言ってなんやかんや言い訳つけてでもでも っていうよりはなんかやりたいなぁとか思ったことはやってみるっていうのが
いいと思いますでそれがやっぱ若いうちは許されると思うんですよね っていうのはねたくさんの人が言ってますよ
なんか何しても ok で失敗もしかしたらね 思い通りにいかないこともあると思います僕もそうですよ
銀行でね働き始めたけど結局2年でうまくいかんかったしとかベトナム行っても1年 でうまくいかんかったしとかでそのうまくいかんかったしっていう部分だけ捉えたらそうなんですけど
でもそこでいろんな経験が得られたりとか気づきが得られたりとかなんか成長につながっ てたりしてそれがまた将来に生かされてたりするわけでもう本当の失敗なんていうのは
ないんですよもう挑戦を続ける限り失敗なんてない まあなんか失敗は成功の母とかね
まあわかんないですけどなんかそういうこと言われたりするじゃないですか失敗は まあそう成功の音源ですよとでも本当にそれはそう思います失敗したりとかいろんな経験を
するから次の成功があるし これが成功っていうのもないわけですよ自分だけがね
感じるものなのでだからやりたいなぁと思うことはやってほしいし なんかこれ違うなとかあれこれってどうなんやろうって思ったことについてはなんかそのままね
周りもそうやしそれがね普通なんやと思って思い過ごすんじゃなくてちょっと立ち止まっ て考えてみてあれ自分のやりたいことってなんやろうとか自分ってなんかどういうのが
楽しいって思うやろうみたいなのね なんかもうちょっと素直に考えてそれを大事にしてほしいなぁというのはすごく思います
まあそれでね何をしようが僕は全然責任は取れないんですけどただ一つ言えるのは 失敗なんてないっていうことですよ
何してもそれを踏まえてまた次の挑戦をすればいいだけなんで 心の底からそう思っていますなんか今回はちょっと最後熱く語ってしまったんですけど
なんかすいません一人で暴走してたら申し訳ないです まあただね本当にこれは思います
うーん実際に転職したり無職になったり独立したりいろんなことありましたけど まあそれを踏まえてやっぱりそうやなーっていうのをね
36:01
素直に感じるわけなのでそれをそのままお伝えさせていただきました 何か皆さんのキャリアであったりお仕事であったり人生であったりを考えるきっかけになれ
ば幸いでございます 渡辺夫婦の2人ごとはお便り募集していますスタンド fm はレターから
ホットキャスト youtube サブチャンネルは説明欄の google フォームから送っていただけ ますのでお気軽にどうぞお寄せください
放送は月水金の週3回に加えてスタンド fm では毎日ライブ配信なんかもやって ますのでぜひ覗いてください
それでは今回も最後までお聞きいただきありがとうございました また次回の放送でお会いしましょうそれでは皆さん良いお年をさよなら
36:56

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