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そんな時に、ふと当時付き合ってた彼女から、この仕事してみたらどうだと言われたのが、不動産の営業。
もう半年間ぐらい、全然成果です。
みんな辞めていくんですよね、バイトで入ってる人たちとか。
でも、その辞めていく人たちを、社員さんが負け犬って言うんですよ。
自分が去った後に、誰かに負け犬とか言われたくないなと思って。
負けたくなかったね。
負けたくないんですよ。
だから、辞めないを決めたんですよ。
成果出るまで辞めないを決めて、半年ぐらいで結果がボンって出たら、そこからもう連チャンで毎月制約みたいな感じのサイクルになってきて。
最後らへん時給3000円とか、どんどんこうなって。
そこからいろんな光海線の営業であったり、いわゆる営業というものを一通り全部経験して。
すごい。
今は学生、まだ学生ですよね。
その時は学生の話です。
やばい。
皆さんこんにちは。ボクスモノコウスケです。
ミホです。
この番組は小さく始めて大きく稼ぎ、人生を謳歌しているスモールビジネスの経営者を呼びして、その知らずある世界、生き様に迫る番組です。
前回に引き続き今回のゲストは株式会社Pair Capital代表の田中悟さんです。
今回は田中さんがどうやってM&Aのプロになったのか、Pair Capitalの創業するまでの過去のお話を伺います。
前回に引き続き田中さんに色々お話をお伺いしていくんですけれども、今回は新卒から独立起業していく、そのあたりのお話を聞ければなと思います。
まず新卒で三井住友銀行、めちゃくちゃメガバンクに入ってどれくらい勤務されてたんですか?
丸7年間ですね。
丸7年。
ちょうど20代。
22歳から29歳くらいですかね。
なんで銀行だったんですか?
新卒でまたそれを遡った話になりますけど、色んな理由があるんですけど、小さい頃貧乏というか、母子家庭で育って、あんまり経済的な余裕がない環境で育ってきて、東京の大学に熊本から顔をやってきて、
本当に週7でバイトしたりとか、家賃とかも自分でやってたので、なかなか働けど働けど生活が裕福にならず、
僕は高校時代とかもバイトやってて、居酒屋で、当時高校時代は野球もやってたので、夜の9時とかぐらいに野球部の練習終わって、そこから夜中の3時くらいまで居酒屋でバイトして、
すげえな。
勉強もして、みたいな、大学。
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昼間寝に行けるだけですよね、学校は。
その時の時給が630円だったんですね。
多分最低賃金みたいなやつですね。
そんな中、東京の大学に決まって、まずは家を探しに行かなきゃいけないじゃないですか。
でもね、家もそういう飛行機代とか考えたら、またそれだけのために東京に往復で数万円とかかかってくるんで、
っていう風に思ってる中で、熊本の地方誌で、熊本日日新聞っていうのがあるんですけど、そこの広告欄見てたら、
熊本初のラーメン屋さん、東京にチェーンって言うんですけど、そこの求人で、熊本から東京の大学に行く学生さんを支援します。
へえ。
っていうのが出ていて、そこの条件を見ると、車宅付き、まかない付き、しかも時給が850円。
へえ。
高い。
ね、今ね、皆さんからするとちょっとあれかもしれないですけど、当時僕は夜中の3時まで、時給630円の僕からすると、時給が200円も上がって、しかも車宅まかない付き、なんだこれはと。
っていうので、東京に来た。
へえ。
一応、契約アルバイトみたいな、そういう条件なので、週4、5は出なきゃいけなくて。
でも、東京に行ったとき気付くんですよね。時給850円って。
おや?みたいな。
なんか聞くところ、同じ大学の同級生とかは、コールセンターなるものに座って電話持って話してるだけで、1200円、1300円。
なんだこのコールセンターと。
別のバイトがあることに気付いたんですね。
僕はいつも野球が9時に終わって、夜中の3時まで働いて630円でやってたのに、東京には椅子に座って電話持ってるだけで1300円もらえる仕事があるんだと。
おいおい、みたいな。
なんだ東京はと。
こういうことなどとわい、みたいな。
そこからちょっと気付くわけですね。
ほう。
850円が必ずしも高いものではないと。
いい経験ですね。
朝から仕込みからやってですね。
そこがもう豚骨ラーメン屋さんだったので、寸胴の前でこう仕込みしてグツグツグツグツと。
大変。
大衆が豚骨になるんですよ。
その後、夕方学校とかに行くと、ほんとひどい友人がたくさんいてですね。
豚骨くせえとか。
いじってくるんですよ。
まだ当時18歳の僕は意外とそういうの気にしだったので。
せつない。
ごめんと思って。
最初友達のダイちゃんっていうちょっとギャルオチックなダイちゃんっていう名前出すのちょっとあれですけど。
ダイちゃん。
ハッキリ言うんですね。東京出身の方なんで。
くせえよ、みたいな。
06:00
僕は当時まだ熊本弁バリバリなまって、むしろそれがかっこいいと思ってたんですよ。
東京に九州弁熊本弁広げていきたいみたいな。
ぶれないと思って。
ダイちゃんと一緒に原宿、ギャップ、今ちょっと変わっちゃいましたけどね。
あそこの交差点のところ行った時に、うわ、すごかみたいな。
これがテレビで見た原宿隊みたいな、ラホーレ隊みたいな感じではしゃいでたら、
もうダイちゃんが、おめえちょっと決めえよみたいな。やめろよそのしゃべり方みたいな。
ダイちゃん。
そんなこともありながら、熊本弁が出なくなっちゃったんですけど。
それは置いといてなんですけど。
そんな学生時代を過ごしていて、なかなかその学費とか負担することを考えると、
やっぱりその時給だけだと大変なので、コールセンターなるものを、
自分もやってみたんですね。
朝の8時、9時ぐらいから夕方5時ぐらいまでラーメン屋さんで働いて、
夕方の6時から9時ぐらいまでコールセンターやるみたいな、そういうのやってみたんですけど、
大学生ってお金使うじゃないですか。
使うね。
なんかね、みんなその実家から通ってる人たちは、なんかね、クラブでファーみたいな、
クラブで1杯のドリンクで1000円。
なんだろうね、あれ。
滝みたいな。
1時間。
1時間、腹でも足んねえじゃねえかみたいな。
そういう人たちをね、なんか見てると、やっぱりもっと金がないと、
なんていうんですかね、やっぱりこう学生らしい、
暴婚とか言ってもね、もう本当心の中で割り勘したいんですよ。
でもやっぱり九州男児たるもの、やっぱりね、みんなからすると九州男児ケチって思われてないんですよ。
なぜかというと、その時に関東、東京の人しかいなければ、僕は九州代表じゃないですか。
なんだこの九州魂。
だから絶対割り勘とかは学生時代からしたくなくて、そうするとどんどんお金がなくなっていくんですよ。
そうっすね。
そうっすね。
働けど働けど。
そんな時に、ふと当時付き合ってた彼女から、この仕事してみたらどうだと言われたのが、不動産の営業。
いわゆる投資用マンション、ワンルームマンションの資産運用として買いませんかみたいな。
テレアポして。っていうのが僕の営業の初めての。
そこは不動産の営業なので、それで自分でアポ取って、そういう営業さんが制約してくれたら、何十万円かお金をもらえるという。
すごいすごい。
当然ね、そんなこともしたことないんで、半年間くらい全然成果です。
でもずっと野球部活やってたんで、気合と根性じゃないですか。
これってある意味、1日100件200件値はするって気合と根性なんですけど、
でもそういう辞めていく人たちを社員さんが負け犬って言うんですよ。
まあいいんですけど、なんとなく別に辞めて誰に何言われてよと言っちゃいいかもしれないですけど、
僕は人としてっていうか自分として、自分が去った後に誰かに負け犬とか言われたくないなと思って。
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負けたくなかったね。
負けたくないんですよ。
結構ビギナーズラックみたいな感じで、ちょっと1週間2週間で制約とかできちゃう人とかいたんですけど、
僕半年間成果が一件も出なかったんですよ、制約が。
もうほぼ負け犬状態ですよ、その時は。
結構辛い。
辛い辛い。
もう辞めたら終わりじゃないですか。
負け犬って影で言われるじゃないですか。
だから、辞めないを決めたんですよ。
成果出るまで辞めないを決めたんですよ。
で、その辞めないというのは、
半年ぐらいで結果がボンって出たら、
そこからもう連チャンで毎月制約みたいな感じのサイクルになってきて、
そうすると時給に縛られてないので、
そうですね。
何ヶ月分の僕の生活費が1ヶ月ドーンと入ってくるのか。
すごいすごい。
時間もある。金もある。
営業って面白いなって思ってたんですよ。
営業って面白いなって思ってたんですよ。
時間もある。金もある。
営業って面白いな。
っていうので営業と出会ったんですよね。
そこからいろんな太陽光発電とか、
今でこそ太陽光発電ってもうああいう補助金フィットっていう固定の買取制度があったりとか、
当時そんな精度もない時に、むしろ発電効率悪いので、
載せるだけもう赤字ですよ。
今ね、売電収入みたいな考え方がね、ある意味投資的な考え方がありますけど、
そんな補助金精度がない時代なので、ひたすら環境のため、
今で言うとSDGsみたいなのをひたすら売るっていう。
買った瞬間マイナス。
それはもう経済効率じゃなくて本当に環境のためとか、何か災害対策とかそういう感じですよね?
いえ。
あれ?
SDGsです。
それしか言うことなかったみたいな。
すげっすな。
それで売ってたんだ。
そうなんですよ。
すごいな。
最後らへん時給3000円とか、どんどんこうなってたりとか、
そこからいろんな光回線の営業であったりとか、いわゆる営業というものを一通り全部経験して、
すごい。
今まだ学生ですよね?
まだ学生です。
まだ学生の話ですよね。
やばい。
OK。
某新聞社の飛び込み営業とかやってると、それも一件制約すると、長期高得すると何十万円とか入ってきて。
そんな入ってくんだ。
そうなんですよ。
はい。
いろんなバイト、営業バイトをかけ持ちしてたんで、多い時は100万円とか入ってくるんですよ。
すごい。
すごい。
そして時給に縛られてないんで、1日3時間ずつぐらいのバイトしてても、多い時は月100万とか入ってくるので。
そりゃあ金銭感覚がちょっと。
すごいね。
だいぶ変わりますね。
自由と金を手に入れた。
味わっちゃった。
そうです。
時給850円で満足してたというか。
前は630円でしたね。
そうそう。
それでも高かバイトが。
850円もあるバイト。
よかーい。
すごかーみたいな。
12:00
そんな感じだったんですけど、なんとなく東京という世界に出て、いろんな方々と。
知っちゃった。
ただそこで気づいたのは、やっぱ営業っていうのが、稼ぐ稼がないじゃないですけど、やっぱ面白いなっていうことになって。
いろんな勤めたところでの先輩を見て、こういうかっこいい営業マン、サラリーマン、ビジネスパーソンになりたいなっていうふうな思いが出てきた中で。
でもちょっとそういう学生時代の最初の頃は、本当に電気で払えなかったりとか。
そういう営業の始める前とかは、派遣のバイトとかやってて。
とある板橋の方の印刷会社の工場で製本の仕事とかを派遣でやって。
でも今日中にお金がもらえないと、明日の食費がないみたいなタイミングで、その派遣会社さんでお金を支給してくれるとか池袋になりますね。
で、夕方5時ぐらいにその印刷会社の仕事を終えて、7時まで池袋の空いてるんで。
今、明日のご飯代必要なんで。
今日中に。
今日中に行かなきゃいけないじゃないですか。
で、スイカをピッてやったら、残高不足。
おやおやおや。
どうしようと。
どうするんですか。
板橋なんでね、池袋まで走っていけば。
でも朝の9時から5時までずっと立ちっぱ。
足も痛い。
しかも真夏。
ここで池袋まで走ったら死ぬ。
命の危機があると思ったりね。
どうします?その時。
でも7時までですよ。窓口で。
じゃないと明日のご飯代ないんですよ。
そうだ。どうしよう。
おすけさんどうする?
借りる。
お金をね、友達。
でもそこにお友達いないんですよ。
駅員さんにちょっと泣きつくとか。
走れなくないですか?きついしな。
走りました?
真夏っすよ。
走ったの?
走んないっすよ。
びっくりした。
気づいたのが、スイカって最初にデポジット。
500円デポ中心っすよ。
してるわ。
クレバー。
あれを換金して500円を手に入れて、
なんとかギリギリで政府で。
本当そういう日々の生活を大学1年目とかはやってたので、
こんだけ苦労したんだから、
俺将来やっぱ金持ちというか、
ゆとりのある生活をしたいって思った時に、
いろんな営業の場合としてて、
何が一番年収を高められるかというと、
不動産は取り扱ってるものがでかいじゃないですか。
ワンルームマンションとかでも2000万とか3000万とか、
そういう規模だからこそその分のさや、利座やを得て、
その分従業員の報酬っていうのが高くなるんで、
最初は不動産面白いなって思ってたんですけど、
とある時に金融ってすごいなって思った時があって、
15:00
不動産は結局動産、モノじゃないですか。
モノってある程度再現がありますけど、
金融の世界って再現ないっすよね。
何兆円とかの1%の手数料でも、
すごい額になるじゃないですか。
金融だなと。
金融かつ営業の強いところ、
どこだと思いますか?
証券?
とかはなんか、
某証券会社とかで有名ですよね。
僕が最初行きたかったのは某証券会社なんですよ。
もうそこ一択だったんですが、
三井住友銀行の内定もいただいた時に、
母親に相談したんですよね。
一つの親孝行というか、
ここまでね、18年間熊本、生まれは福岡なんですけどね。
福岡から熊本で育って、
そういう就活で、
僕、バイト高校時代とかもやってたんで、
昼間学校寝に行くだけだったんで、
勉強も全然できなくて、
僕が入ったのって夜間の大学なんですよ。
学費も安いし。夜間の大学で、
三井住友銀行みたいな、ちゃんとした
総合職の内定とかっていただけないですし、
母親と相談した時に、
なんとなく当時の母親世代というと、
証券会社ってちょっとイメージが悪くて、
銀行からも内定もらってるよって話したら、
もう銀行行けと。
銀行もいくつか専攻は進んでた時に、
どの銀行にしようかなっていうと、
当時、桜銀行と住友銀行が合併して、
三井住友銀行ができたんですけど、
住友銀行は営業力がものすごい強いと、
今のいろんな業績の指標の中でも、
目が参考の中でも多項と比べると、
1点数倍の1人当たりの売上高があるっていうぐらい、
営業に強い銀行だと聞いてたんで、
銀行の中で一番厳しいっていう話は聞いてたんですけど、
むしろこれからより営業マンとして、
強くなるためには、楽そうなとこよりも、
やっぱり1日10回ずつの筋トレよりも、
1日100回ずつ筋トレができるような環境に行こうと思って、
三井住友銀行の門を叩いたのでした。
なるほど。
結果としてその銀行では、
営業スキルはやっぱり鍛えられたんですか?
これがまた面白くてですね、
あんまね、上場企業の社長になっちゃったら、
今言う話ではないですけど、
当時はゴリゴリの営業をやってましたんで、
もう例えば訪問販売とかしに行くわけですよ。
18:01
そうすると当然、もういらないですっていう、
扉閉めるじゃないですか、ドアを閉めるじゃないですか、
そこに足のつむすぎびったり。
なんとかお願いします、おばあちゃんみたいな。
僕は区学生でみたいな。
泣き落とし。
使っていくなーっていうのとか、
今振り返ると、あの頃僕も生きていくために必死だったので、
もう時効だと思いますけど、
別に法に触れるようなことはやってないですけど、
ゴリゴリの営業をやってたんですけど、
そこから三井住友銀行という銀行員になるわけですよね。
銀行員っていうのはなんとなくイメージあると思いますけど、
社会的な正職者というか、
ちゃんときちっとした人みたいな。
僕はもうゴリゴリの営業会社で、
バイトしてる時からたくさん営業表彰をもらったりとか、
社員よりも売り上げあげたりとか、
結構そういう感じだったんで、
もうそのドブ板営業、河川社員みたいな感じで、
同じように銀行でもゴリゴリやってたら、
当然怒られます。
怒られちゃったー。
まあ当たり前ですけどね、
特に銀行は金融商品扱ってるんで、
信用ですもんね。
例えばこういう投資侵略絶対に値上がりしますので、
絶対言えないじゃないですか。
言えない言えない。
本当に良かったです。
あの時証券か銀行か、
どっちが正しいかはまだまだ分からない人生ですけど、
でも今はやっぱり銀行入って良かったのは、
そこですごくちゃんとした、
僕を真っ当な営業マンに矯正してくださった、
やっぱり上司と出会えたので。
なるほど。
ちょっと強引だった鉄さんを。
ある意味その、
両極端の営業スキルを学べたみたいな感じですよね。
ゴリゴリも正当派も。
これすごいわ、強いわ。
たまたま本当にこの間の日曜日に、
すごく一番僕が銀行員時代にお世話になった上司が、
ジョジョおめでとうということで、
飲みに連れてってくれたんですけど、
その時にいろんな思い出話をするんですね。
当時はまだゴリゴリイケイケだった僕ですから、
自信満々だった。
そうなんですよ。
こういう9月は銀行でも上半期の締め決算月ですから、
やっぱり数字を僕はこだわってたので、
80歳ぐらいのおばあちゃん社長で、
孫のように可愛がってくれて、
田中さんの言うことなら何でもやりますみたいなことを言ってくださるおばあちゃんに、
すごくリスク性の高い投資商品を買っていただくことに了承を得たんですね。
僕としては銀行の手数料、投資運用商品の手数料体系って、
いろんなリスクが多ければ多いほど手数料高くいただけるんですね。
例えばデリバティブとかって言いますけれども、
そういう細かい話ちょっとあれですけど、外科だてであったりとか、
そういういろんな仕組みを組み合わせた方が、
より手数料がたくさんいただける、
そういうちょっとリスク性の高い商品を、
僕が最後9月末の数字にちょっと入れ込みたくて、
21:02
大択をもらったんですね。
絶対こう帰って上司に報告したら褒められると思うんじゃないですか。
最後のね、期末にこんなやり上げて、お前は立派だって褒められると思ったら、
その上司にめちゃくちゃ怒られたんです。
ふざけんなお前はと。
今から断ってこいと。
お前のために何でもしてくれるっていうおばあちゃんに対して、
お前はそれでいいのかと。
稼げれば何やってもいいのかと。
そのリスク性をちゃんとおばあちゃん社長分かってんのかと、
いうことを怒鳴られて、
でも当時わからないですよ。何ですかみたいな。
俺こんな頑張ったのに、粘って粘って何とか大択得てやってきたのに、
なんでこんな怒ってんの?当時わからなかった。
渋々だからその上司と一緒に謝りって断って、
でもだんだんそこからわかってくるわけですよ。
世の中で本当に大切なものとか大事にしなきゃいけないものかって何かっていうのを、
そういう家庭の中でいっぱいあるんですよ。
僕がこだわりすぎて、
もう止まってる車ぶつけてでも行動量上げてて、
新規獲得しに行った話とか、
もうすごい本当、
僕の中でもうあれから銀行辞めて7,8年経つので、
すごい銀行員時代、美男だったんですけど、
久しぶりにその上司に会ったら、
そんな新規獲得するために急ぎまくってるから、
止まってる車ぶつけて、それでも新規いただいたとか、
めちゃくちゃやってたんですよね。
え、どういうことですか。止まってる車ぶつける。
止まってる車って普通ぶつけることないじゃないですか。
でも急いでんすよ。1日10軒とか回りたいんで、
そんなね、いちいち車見てらんないじゃないですか。
目の前に止まってる車、停車してる車に、
普通にぶつけて、
お客さんの駐車場にあるお客さんの車にぶつけて、
お客さんの会社にこんにちはって営業されてガンってぶつけて、
こんにちはっすみたいな。
新規に契約いただいたりとか。
なんか今の田中さんから想像できないくらい、
本当にガツガツの営業マンだったんですね。
そうみたいですね。
しかもすごいすごい。新卒でその逸材ってやばいですね。
やばいっすね。
そう、普通そういう営業に新卒から叩き上げるのが普通じゃないですか。
でも最初からそれ、しかもそういう人が銀行に入ってきちゃったみたいな。
銀行行かなくて不動産とかしてたらもう。
怖い怖い怖い。人違ってたかもしれない。
ちょっとね。
ダークサイド行ってたかもしれない。
本当にだからその上司に正しい方法に導いてくださってありがとうございますっていう。
本当にね、親善申し上げましたよ、この間日曜日に。
本当にいい上司さんに出会えたみたいな。
そうですね。
そうなんですよ。
じゃあなんか多分、ゴリゴリ営業やってて、銀行行って、銀行でも変わらず営業をやってて、
でそれから転職しようってなった経緯とか、その転職先もそれこそ証券とか不動産とかなんか何でもものすごい選択肢あったと思うんですけど、
なんでM&Aだったんだろうみたいな。
確かに。
24:02
確かになんでなんですかね。確かにね。
なんでなんですか。
証券とかね、保険とかね。
そうね、なんかね今までやってる延長でいけそうじゃないですか。
そうですね。
実は何度も転職のタイムがあったんですよ。
はいはいはい。
それこそね、某なんとか保険みたいなところはすごく僕も行きたくて、そこでもう辞表を書いて提出したこともあるんですよ。
えっ。
その時に朝の6時ぐらいに前の上司からメッセージがワーッてきて、引き止めをいただいたりとか、そういういろんな過程があって。
はいはいはい。
転職ではちょいちょい考えてたのか。
そうですね。
でも別に事故はしなくてみたいな。
そうですね。その人としてみたいなところを正してくださったので、すごく不義理な辞め方であったりとか、誰かの期待を裏切ってというか、タイミングがやっぱり大事だなって思ってる中で、
その後、中小企業の営業から大企業担当とか部署も変わって、やらせていただいたりとかしたんですけど、なんとなく大企業助助会社の担当とかさせていただくと、
そうなっているんだ。
結構ある程度ルーティーンが決まってたりすると、僕らがその時の20代後半ぐらいの営業マンだと、会える方も経理部長とかそういうクラスの方々が中心なんですけど、やっぱりそういう助助企業の社長さんと会うためには部長と一緒に行かなきゃいけないとか、役員と一緒に行かなきゃいけないとか、そういうなんかあるんですよね。
ちょっと面白くなくなってきた時期でもありました。銀行にお世話になったんでこういうこと言うと失礼ですけど、別に銀行の看板があれば僕じゃなくても誰がやってもできるんじゃないかなとか、中小企業を担当してた時よりかは物足りなさもあって、中小企業担当してると直でオーナー社長と会えて、
そういう方々がまさしく事業承継問題があって、M&Aしないと会社が存続できないっていう時に、そこはなかなかやっぱりこう、今も本当そうなんですけど、やっぱり会社を売るとかどうするってセンシブな話題なんで、毎日会うような銀行員だってなかなか払わって話してくれないんですけど、
それを相談いただいて、そういう成就したおかえさんがあった時に、田中さんだから相談したんだよって言ってもらったことがあって。
うれしい。 そこは、うちというか三井セメント銀行はメインバンクでもなくて、取引銀行、メインバンクに相談せずに、僕にファーストコールっていうか初めて相談していただけて、なんかこういう仕事って自分にしかできない仕事って面白いなと思って、それもお客さんもすごく涙を流して感動していただけたようなお仕事ができたので、
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今までの銀行員時代はさっきのゴリゴリ営業スタイルの延長戦場やってるので、お付き合いで9月末の決算月なんで、ちょっとだけお付き合いでこういうのやってくださいとか、ちょっとだけお金借りてくださいとか、どっちかっていうとお願い営業をして感謝されるというか、逆にこう
あっちに貸しを作るみたいな、そういう仕事がメインだったんですけど、そういうなんかM&A事業承継みたいなお手伝いさせていただいた時に、本当にお客さんがこう涙をぼっかべながら感動してくれる、本当にありがとうとか、田中さんだから相談したんだよって言ってくれた仕事って初めてに近いです。もう学生じゃがそういう営業のゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリやってた時から
した時にこれを人生の仕事にしようというふうに思えたんですよね
なるほど、これでM&A
そういう事業承継とかのM&Aをやってる会社がいいなって探した時に出てきたのが日本M&Aセンターだったということですね。当時は今でこそ先ほどお話ししたようにM&Aでも我々含めて上場している会社が7社ありますけども、当時僕はとりあえず色んな業種も当然探してたんですけど、ダイヤモンドとかにある年収ランキングとかを見て
まあそれなりにメーカーバンクもお金が高いので生活のこと考えると言った時に日本M&Aセンターしか乗ってなかったんですよ、年収ランキングトップ10に。知らなかったんですよ、他のM&A会社があることすら。でも一択でした。今はね、もっとたくさんのM&Aの会社さんが出てきてますけど、当時2014年15年ぐらいの時ってのはもう日本M&Aセンターしか年収ランキング出てなかったので、そこ一択で転職したと
そんな経緯ですね。
ぺけたん なるほど。聞いてると実直。
裏表ないよね。
ぺけたん で、M&Aの仕事を始めて、次のファンドブックに転職したのは、また仕事の内容を変えたいみたいなのがあったんですかね。
はい。なんとなくですね、M&Aの仕事で自信が出てくるんですよね。
30:01
ぺけたん 俺、ゲームちゃうかみたいな。
なんとなくちょっとずつ自信ができてきて、これは会社の看板がなくてもできるんじゃないか。
ぺけたん 昔から学生時代から、まだまだ世の中のことを知らない時に、金持ちになるためには金融だ営業だっていう力を強くしなきゃいけないって思いましたけど、
やっぱり世の中でお金を持ってそうなのって社長さんだと思ったので、起業をいつかしたいなってずっと思いがあったんですね。
やっぱりそういう会社の歯車の一部になるんじゃなくて、自分で歯車を回す側になってみたいなみたいな、
そういう思いがあって、いつか何かの仕事で独立したいなっていうふうに思ってる中で、M&Aのちょっとずつ自信ができて独立をしようかなと思って、
いざ独立しようと思うと、まず第一に思ったのが、リスクというよりかは寂しいなって思ったんですね。
明日から一人ウォッチなんだっていう。
一人ってなんかこうね、僕は意外と人と群れるのが好きなんで、明日から一人ウォッチってめちゃくちゃ寂しいなっていう。
なんかありますよね。というのと、あとはやっぱり上場会社は上場会社と勤めてきたんで、会社を立ち上げる経験、立ち上がっていく姿を見た経験っていうのがないので、
それが勉強できる環境があったらいいなっていうことで、ちょっと2017年に立ち上がったM&Aの会社でファンドブックというところが創業時期で、
とりあえずM&Aの経験者を募集してたので、たまたま僕の銀行の同僚の弟がその会社に入ってたので、
テツ最近M&Aの会社でやってるって聞いたけど、どう?みたいな。大目だ。
行こうか、あとは。 ちょうど良い。
ちょうどまだ立ち上げて間もない頃だったんで、まさしく求めてる経験ができるかなと思って、転職をしました。
そこで大活躍。
なるほどね、大活躍。
2年で何十億とか?
そうですね、会社自体が3期目ですかね、2年半で、売上としては37億ぐらいの会社なので、最初入った時は本当20人とかそれぐらいだったのが、2年半で200人ぐらいの組織になって。
すごいっすね。 すごい。
どういうこと?なんでそんなことができたんですか?
当然その社長さんが、いわゆるその方はM&Aで会社を売却のご経験ある方で、その資金をもとでに会社を立ち上げてるんで、いわゆる本当にただのスタートアップの零細企業ではなくて、ある程度まとまった資本金があるので、
いわゆるシリアルアントレプレナーって連続企業家っていうんですけど、そういう方だったので、会社をスケールする方法も知っていて、それを間近で見させていただいて、なんか分かってきた。
33:11
分かってないです。これが本当に過信なんですけど、ある程度その組織も大きくなってきて、先ほどもちょっと自慢話しましたけど、2期連続でMVPなんてやらせていただいて。
さすがです。
でもなんかこう、僕は追い込まれて生活するために仕事してっていう生活を送っていたので、結構こう余裕ができると怠けちゃうんですよね。たぶん元来怠け者なんですよ。
そういうMVPとかいただくと、周りはチェアファイしてくれるじゃないですか。気持ちいいですよ。300人ぐらいの社員の前で表彰式とかで話をさせていただいたりとか、どこを歩いててもテツさん、テツさんみたいな。
めちゃくちゃ気持ちいいっすよね。女の子とか全員僕のこと好きだと思ってましたから。全員俺に惚れてるんじゃないかなって思うぐらい浮き足立っちゃうんですね。
そうするとちょっとあの頃のハングリーさとか仕事に対する貪欲さがなくなってんなっていうのをすごく感じた時期が本当に2020年の頃だったんですけど。
なんかやっぱまだ35歳ですね。当時35歳でまだまだバリバリ体が動く時に怠けようと思えば別にそれなりにやってたんで、ちょっと怠けても怒られないというか楽はちょろっとできるんですけど、もったいないなと怠けてる時間が。
すごい。ハングリー精神にそこで着火できるのがすごい自分で。
普通の人多分怠ける方向に行く。
なんかそれも無自覚になんかそっちに流れてたりしない。
気づかなさそうだね。
それが俺怠けてる着火っていうのができるのがなんかすごいなって思う。
結構時間かかりましたけどね。
しばらくちょっと。
向井 浮き足立てで。
金もあって自由もあってみたいな。本当にダメなパターンですね。
でもやっぱこうまだまだ自分としては成長できるし、ただそのためにはやっぱり怠け者の自分を奮い立たせるためには、より厳しい環境に自分の身を持っていかないと。
やっぱあの学生時代のとか、やっぱあの頃がすごく成長した。銀行入ってもカルチャーフィットしなくて、上司がめちゃくちゃに怒られて。
それ強制させる。あの時期はすごく成長したとか、わからない問題業界入ってとか。
なんかそれぞれの自分の成長の過程を見た時に、今が一番ダメな自分だなってなって。
じゃあ何がより自分を過酷な世界に導くんだって言ったらもう答えは一つですね。
起業すると。
ついに来た!
そのためにファンドブック入ったっていうのもありますもんね。流れるような成長階段みたいな。
36:02
そうだね。でもなんか結果論かもしれないけど、すごい良い順番で来てますよね。
順当というか、もちろん予期せずだろうけど。
大きいとこ行って、小さいとこ行って、アウトアップするとこ見て、じゃあいいさ自分っていう。
でも創業は4人でされたんですか?
寂しくなかった?
そうですね。ファンドブック時代の仲間たち。その時は寂しくないです。
1人じゃないって。
クリアしてた。クリアしてた。
ただ時は、要はコロナは全くなかった。
確かに。
正直、タイミングじゃないなって思いました。
デモしたんだ。
営業いけない。
デモしたのは。
煽られました。メンバーに。
いいメンバーまた。
怠け者のカッコつけて、より厳しい環境に見ようとかって言いましたけど、
よくよく考えてみてください。怠け者の僕からしたら、
チエホヤされてるわけですよ。
やめたくないですよ。
正直ね。
正直。
いいじゃん。このままで。
だって2年間、2年半頑張ってきたんですよ。3年間近く。
だからチエホヤされてもいいじゃないですか。来る日も来る日もね。とか。
チエホヤタイムがあるにもかかわらず、
今の他の役員から、テツさんが独立するなら、僕らついてきます。
やらないんだったら、僕らはみたいな方を。
やめちゃいますよみたいな、そういう煽り方してくるわけですよ。
すごい。
テツさん 何それ。選択肢がちょっと…
いいね。でもそれぐらい能力があったからっていうね、お話。
テツさん それはそうだ。
どこでも1位だもんね。
たまたま1位ってやつ。
テツさん なるほどね。それで創業した。
そうですね。その時に、どうせやるんだったら、やっぱり世の中で、
まだ誰もやったことないような、なんか面白いことやりたいなっていう目標を立てたんですね。
僕は本当にこのM&Aの業界にすごくお世話になってますし、
今の金銭的な余裕もない貧しい時代の僕が、ある程度普通の人と同じようにとか、
ある程度余裕を持った生活を送れているのは、やっぱりこの業界にお世話になったからなので、
この業界をもっともっとイメージよくしたいんですね。やっぱりM&Aっていうと、
励高、身売り、乗っ取り、リストランされるとか、そのイメージを僕は払拭していきたいですし、
僕らのM&Aアドバイザーも、アドバイザー業も、やっぱり大企業のM&Aやってるほうが、
ああいう外資系金融がやってるほうがキラキラしてて、僕らのM&Aっていうのはちょっと泥臭いなみたいな、
本当泥臭いんですけど、でもすごいかっこいい仕事だっていうふうに社会的に、
世に発信していきたいなと思いましたし、
僕らはよく年収ランキングとかに出てくるんですね、この業界の会社って、年収高い会社出てくるんですけど、
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なんかやっぱりお客さんによっては非難されることも結構多いんですね。
お前らの手数料高すぎんだよとか。
でもなんか僕はやっぱりこの仕事を通じて、いろんな人たちに本当に心から喜んでもらえたシーンを何度も経験してるので、
僕らの仕事ってそんな癒やしいことをやってるわけでもないですし、本当に社会貢献性のある仕事をして、
ある意味会社の下界のような、会社がこのままよくて廃業してなくなってしまう、そうすると従業員の方々がもう遭難してしまうような、
そういう状況におこがましいですけども、緊急入院している、場合によってICUに入っているような、
患者さんであるような会社をお手伝いさせて、おこがましいですけどやっぱりお救いさせていただいてるとか、っていう仕事でもあると思ってるんで、
なんでそんなに年収高いので避難を受けなきゃいけないのかなって思うんですよ。だって本当のお医者さん、お医者さんに命を救ってもらって、
それでお医者さんが年収3000万、命を救われた患者さんがそんなこと言います?
お医者さんが年収5000万、3000万とかで避難されたいのに、なぜか僕たちのこの業界はお前らは手数が高いんだよとかって、なんで避難されるのかなっていうのはすごく思ったんですよ。
確かに。しかも拾っている命は一人じゃないですかね。それこそ従業員だったり家族さんだったり地域の人たちだったりっていうふうに思うと、結構それ相応のとは思っちゃいますけどね、他の職業と比べても。
だからこそこの業界のこの僕たちの仕事のイメージとか、この事柄をもっと良くしていきたいっていうことを会社を立ち上げてやっていきたいことだというふうに思って、まだ誰もやってないような面白いことをやりたいなということを志したわけですね。
なるほど。
エモい。
エモい。
エモい。
すいません、長時間。
いい話。
ちょっと話、気持ちよくなってきた。
浮気足立っちゃった。
でもなんかすごい今日話聞いて、やっぱそのすごく人肌があるというか、M&Aってもうちょっとビジネス的なマネー的なお話なのかと思ってたんですけど、すごく人肌があるというか。
確かに。
そうそうそう。それがやっぱやってらっしゃることなんだろうなと思ってて。なんかその大企業同士のだとそうはいかない部分もあるんじゃないかなと思うので、なんかいいですよね。なんかそのドラマチックだし。
わが子を突き先に読みつけるかのようなM&Aっていうのは、もっとみんなやっぱやればいいんじゃねって思ってた。
なんかテレビドラマとかになったらめっちゃ合うんですよね。
やってる。小説か小説か。
小説とかで。いいね。いいね。ラジオドラマいけるんじゃない?
ラジオドラマ。ラジオドラマぜひ。
ラジオドラマ脚本作って。
ちょっと元ネタご提供いただいて。
元ネタたくさんありますよ。
いろいろぼかして。
42:00
そうそうそう。
つぎはぎにしてストーリーにすれば。
枠の名前にしてね。僕は歩くM&A時点って呼ばれてるような自分で言ってるのはちょっとあれですけど。
今言ったからもう言いましょう。
そうしよう。歩くM&A時点。
確かにいいなあ。
社会的に意義があることをちゃんとみんなに認めてほしいみたいなのはグッときますね。
グッとくるグッとくる。めちゃめちゃグッとくるし実際めっちゃ社会貢献だと思いますよ。
確かにいろいろ話し聞いてたらM&Aってそんななんかそういう社会貢献っていう側面は見えづらいやっぱりメディアの印象とかがあると思うけど。
ある。
話し聞くとさ、それは確かにおっしゃる通りで。いろんな人の命救ってるし、この人がなんでそんな給料高いんだって。
いやいや、医者にそれ言う?みたいなね。
地域救ってんだぞこっちみたいなね。
医者さんのポケベル鳴ると一緒で、僕らもこういう夜でも社長さんがね一人で銀座に飲んでて会社売るの悩んでるんだって言ったらもう駆けつけますからね。
ああすごい。
呼ばれますしとかさ。呼んでいただいてる。
なんかこれからこういうのやっていこうとかあるんですか。
いっぱいありまして、当然メディアでやってる。それぞれドラマやりたいです。
正しい姿を見てほしいですよね。なんとなく僕はハゲタカという小説は好きです。
あれ見て金融の世界行きたいって思ったりもしましたけど、やっぱりあそこでやってることはちょっとイメージが悪いですけど、
あれはあれとしてどっちかというと事業を再生させるためのM&Aなので、それはそれで必要なことですけど。
それだけじゃないもんね。
なってるのでちょっとイメージが悪かったりもするんですけど、そこをやっぱり本当の僕らが日々経験している世の中のためになってたりとか、
お客さんが真に喜んでもらっているそういう現場の情景をやっぱり皆さんに知っていただきたいですね。
メディアだー。
知りたいな。
めっちゃ知りたい。
めちゃくちゃドラマありますから。一筋縄で行く案件って、僕は本当に今まで8年ぐらいこの業界でやってますけど、
1件2件ぐらいですね。スッと行くの。だいたい家族が反対するとか、
従業員に情報が漏れて、社長が囲まれて、なんで俺たちに相談もせずに会社売るってなってんですかとか。
ありそう。
そういうの日々あるよね。
ドラマだー。ほんとドラマ化できる。
すごい。
でも本当にそういうことをすることによって、社長が今もこうして悩んでいる社長さんって全国にたくさんいると思うんですけど、
世の中がもっとM&Aをする経営者の人たちを、本当に心から良かったねとか、おめでとうとか、ありがとうって、
そういう世の中にしないと、配業してる会社がどんどん増えるんですよ。
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そうですね。そっちの方が問題な気がする。
そうなんですよ。社長さんが後ろ指さされるような恥ずかしいことっていう風になっていること自体が大問題で、
確かに。
ですから老若男女がM&Aってすごくいい選択したねっていう風な、そういう社会にしていくために色んなことをやっていこうと思ってます。
そのためには、僕たちが何者でもないちっちゃな会社、零細企業だと、やっぱり世の中に対する発言力もできないので、
だからこそ、まずは市場最速上々、あれですけど、
できちゃってるのがすごい。
ちょっとそういう話題性であったりとか、そういう会社としてもっと強くなって、
うんうん。
だからこそ世の中に対して大きな声で発言できるようになっていくと思うので、そこを目指して今日々努力しているところでございます。
すごい。
ええ話や。
ええ話。ナイトリアンみたいな。
ええ話やないか。
ええ話やないか。
ご清聴いただきました。
ええ。
わかりやすかったし。
ついに上々企業の社長が来てくれたって。
イエーイ。素晴らしい。
素晴らしいですね。
じゃあ。
こんなもんですかね。
じゃあまあそろそろお時間ということで、最初はですね、ペアキャピタル創業するまでの過去のお話と、これからどういうことをやっていきたいのかというお話を伺っていきました。どうもありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
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