エラーの肯定
大丈夫じゃない短歌部のたなです。
また、大丈夫じゃない短歌が一首できましたので、投稿したいと思います。
「AIと人の『エラー』を肯定す 大丈夫じゃない短歌部とセナリ学院」というものです。
私、最近セナリ学院という生成AIの学校の入学説明会に毎晩参加しているんですけれども、
そこでも説明されたんですが、この生成AI学校、セナリ学院という名前なんですが、
このセナリというのは何なのかと言いますと、生成という言葉なんですね。
生成AIの生成です。
これをAIが間違って読みまして、セナリというふうに読んだんですね。
歌を作るAIがあるんですが、Sunoと言いましたかね。
歌詞を与えますと、それに基づいて歌を歌ってくれるんですね。
その時に、生成じゃなくてセナリというふうに読んだんですね。
これは普通に考えれば単純な間違いなんですけれども、
これを肯定的に捉えて、このAI学校、もともとはテレポート学校というふうに呼んでいたんですが、
あまりにも普通の名前ではなく、セナリ学院という、ちょっとなんだろうというふうに思わせるような、
そういう名前を採用したということです。
このことと、大丈夫じゃない短歌部で、大丈夫じゃない短歌をあえて公表するということ、
これ共通点があるんじゃないかなと思ったんですね。
それは何かというと、常識的に考えて大丈夫なものじゃないものですね。
これはAIもハルシネーションでよく生成しますが、人間も実はいろんなことを思いつくんですね。
でもそれをフィルターにかけて、大丈夫なものだけを表現するというのが普通なわけで、
それを何のフィルターもかけないで表現してしまいますと、変なやつだと思われてしまうわけですが。
でもそれをあえて、普通に考えれば「エラー」というふうに考えられるものを肯定して、
そこから何か新しいものを創造していくという姿勢ですね。
これがとても今大事なんじゃないかなと思いまして、
このセナリ学院の理念ですね、生成AIの間違いを肯定するという理念と、
それから大丈夫じゃない短歌を肯定するこの姿勢ですね。
美しい、綺麗な、そういう短歌だけではない、そういう短歌に面白さを見出すというですね、
この姿勢、新しい短歌の世界を開いていく、そういう活動なんじゃないかと思うんですが、
そういうところですね、ちょっと似てるなと思いまして、歌にしてみました。
それではまた。