1. タダの箱庭ラジヲ
  2. ♯4「村づくり、はじめました。」
2024-04-27 17:40

♯4「村づくり、はじめました。」

「あなたはふたつの世界をどう行き来する?」クラウドファンディングで1,000人を超える支援者と1,000万円以上の支援金が集まるほど注目を集めた「タダの箱庭」プロジェクト。ついにプロジェクトの招待状となる1万冊の本が完成しました。ここからは、この本がバトンのように手渡されることで、ギフトの輪を広げていくやさしい社会実験の話。

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さあ始まりました、タダの箱庭ラジヲ。前回はエコビレッジとの出会いについてお話ししましたが、4回目の今日は、実際に村を作ってみたっていうお話をしていきたいと思います。
そんなですね、エコビレッジっていうものを世界を回りながら
見てきて。そして、実際に自分もですね、日本で作ってみようと思ったのが14年前ですね。そして、実際にヒッピーが部族宣言文章っていって、かっこいい宣言文章を作って、日本でコミュニティ活動を始めた歴史があったので、
自分もこういうコミュニティを作るんだ、みたいなことを当時書いてですね、仲間を集めながら実際に村を作る場所を探し始めたんですよ。
当時25、6の時だったんですけど、そんな中ですね、またバックパックしとって、日本をブラブラ旅をし始めたというか、海外から帰ってきてですね、そんな時にですね、熊本でヒッピー系のお祭り、虹の岬祭りっていうのが当時あったんですけれど、
そこでですね、キャンプインの音楽フェスみたいな、簡単に言うとそういったヒッピーたちが集まって作ってるっていうかなり変わったお祭りだったんですけど、そこで今の妻に出会いまして、そこからあれよあれよといううちにですね、
1年後にはですね、子供も授かり、実際に結婚もしてですね、村作るのに急に家族を作り始めるみたいなことが起こっていくわけです。
行き当たりばっちりと言いますか、子供も授かったし、実際に子育てもできるような村を作るためにどうしたらいいかっていろいろ考えて、ゼロから作るのはさすがにちょっと難しいなと。
例えば山を開拓して家を作ってっていうのはさすがに出産もあるし、まだ若い仲間と一緒に野郎たちでやっていくみたいになったらありかもしれなかったんですけど、結婚もして子供もお腹の中にいるという状態だったので、
どこかフィールドワークではないですけど、実際にそういった経験ができるような場所に行こうと思ってですね。
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当時地域おこし協力隊という地方に移住してもらって、地域おこしとか町づくりみたいな町おこしみたいなものをやってもらう代わりに国が生活費を補助金を支給しますっていう、そういった流れがちょうど始まったようなタイミングというのもありまして、
あなたの夢を叶えませんかっていうチラシを見つけてですね、それに応募したんですよ。そこがですね、なんと鹿児島県は豊島村というですね、徳原列島というちょっと変皮な場所というか、最高壁地区域5級のマックスですね。
一番壁地と呼ばれるような日本でも、そんな島にあなたの夢を叶えませんかと、今思うとむちゃくちゃなキャッチコピーだなと思うんですけれども、それに僕はですね、これだと思って応募したわけです。
実際にこういうエコビレッジみたいな仕組みを作って、いわゆる島をまるごと観光地みたいにして、これからエコとかそういったエシカルとか最近は言いますけど、SDGsももちろんそうですけど、そういった何か環境的なとか、
社会的にいい暮らしじゃないですか、そういった活動がまだそんなに取り上げられているような感じでもなかったんですけど、それを企画書に起こして応募したら、それが通りまして、ぜひ島に入職してくださいということで、
行ったことがない宝島にですね、企画書を送って島をまるごとエコビレッジにしますなんて企画書を作って入職することになるわけですよ。
その島はですね、ググってもらったらわかるんですけども、鹿児島と奄美大島の間に、薬島よりもっとさらに下なんですけど、10個の島、11個の島かな、があって、
その群島をまとめて、徳島村と言うんですけれども、その一番南の方にある宝島、実際にですね、キャプテン・キッドが大海賊時代、実際にいた海賊ですよ。
キャプテン・キッドが散々悪さをして、宝をいっぱい集めて、捕まってですね、処刑される前に宝を、キャプテン・キッドが集めた宝を隠した場所を教えるので、
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毛を軽くしてくれっていう交渉をしたらしいんですよ。で、その時の伝えた座標が、いわゆる宝島と、日本で呼ばれている宝島って宝の島って書くんですけど、そこの伝説があるような、ちょっと不思議な島でですね、そこはですね、今でもそんなに変わってないと思うんですけど、人口100人ぐらいの島なんですよ。
もう本当に、世界がもし100人の村だったら王子で行くような、そんな環境に僕は飛び込むわけです。
そして、島をまるごとエコビレッジにしますなんて企画書を作ってですね、意気揚々とヒーローけんざんぐらいな感じで入職して、一発目に僕がこういうことをやりたいんですって島の人に説明をしたらですね、当時僕も説明が下手くそでですね、エコとか横文字をいっぱい、カタカタ言葉をいっぱい使ったおかげでですね、島の人が全く理解できないという。
状況が起こりまして、もう一度ちゃんと説明するっていうところで、なるべく電気の使わない暮らしで、例えば火でご飯を炊いてみたいなことを。
あと、散々ヒッピーの世界見てきてね、それがいかに楽しくて豊かでみたいな、みんなキャンプ好きですねみたいな感覚と一緒なんですけど、これがいいですよみたいな感じで説明したら、その宝島の地の住民たちに、何だったらつい最近までそういう生活をしていたと、数年数十年前までね。
やっとここにも電気が通って、インターネットが通って、物が届くような時代になってきたのに、なんかどこの馬の骨かもわかんないチンピラがやってきて、この島を昔みたいな暮らしに帰るってお前何様のつもりだみたいな感じで、めちゃくちゃ怒られてですね、いきなり島八部を味わうというね。
むちゃくちゃなところから僕のコミュニティのフィールドワークが始まっていくんですけれども、そんな宝島の話をまたどこかでしたいなと思うんですけど、そんな宝島でですね、僕は4年半フィールドワークを重ねながら、行ったら本当に自分がやりたい村っていうのはもちろんできなかったんですけど、
その中でバナナ農家としてですね、僕は国内オーガニックバナナトップシアトルぐらい、1人で1000本ぐらいのバナナのジャングルを開拓して、バナナを育ててね、一夜間のバナナ農家で有名になるんですけど、それもまたどこかで話したいなと思うんですけどね。
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それもバナナ農家をしたかったというより、村を作りたいっていうそれはね、みんなに伝わらなくて、反対されてしまってですね、できなかったんですけども、いつかできたいなっていう思いはあったので、みんながちゃんと理解できるような仕事にしろということで、役場からも怒られまして、じゃあ農家をやりますというところで、
島の集落がね、一つしかないんですけど、その集落の島の反対側のジャングルを開拓して、ユンボの免許もウルドーザーもね、ホークリフトとかオーガナトップシアトルとか自分で免許を取りましてですね、島の人にもちろん手伝ってもらいながら開拓しては、バナナを植えていったんですね。
っていうのも、開拓ばっかりしてたら、もしかしてお前村作ってねえか、みたいなね、あのとこやっぱり突っ込まれてしまうので、いやいやもうそういうことじゃないですって、カモフラージュ的にですね、僕ひたすら開拓してはバナナを植え続けていったら、1000本くらいのバナナをね、一人でやってるくらいのバナナ農家を、
することにいつの間にかなっていて、4年後には本当になんかね、しかもオーガニックバナナっていうのもあってですね、結構なんか有名になっちゃってですね、需要に全く追いつかないくらいの人気バナナ農家になるんですけれども、
そのあたりですね、僕もちろん人口100人の南の島でそうやって暮らすっていうことが、いわゆるコミュニティやエコビレッジっていうものを学んでいったりとか扱っていくっていうことをすごい勉強させてもらったんですけど、
それをしながらバナナもどんどん増えていくので、気づいたらですね、僕本当にいかにうまいバナナを作るかみたいなバナナ農家になってて、2人目の出産みたいなタイミングで一回ちょっと島を離れて冷静に振り返ったときに、
あれ、俺バナナ農家をしたかったんだっけっていう、そもそもの問いに振り返りまして、いや違うと、僕はそのエコビレッジや、これからもっと面白くなる世界、社会をどうやってデザインするのかみたいなことをやりたいので、
やっぱ自分で村を作らないとしょうがないと思ってですね、急に思い立ち、バナナのファームも島の人に譲渡して、島を出る決意をしてですね、そして次僕が行ったのが熊本のミスミ、エコビレッジ最果てというコミュニティに移籍するわけです。
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2015年の4月だったかなに、僕ら家族2人目の子供が生まれてすぐぐらいのタイミングで、さはて村に移住して、そのコミュニティ生活というのがまた始まっていくんですけど、このさはて村って何?という問いがあると思うので、
簡単に説明すると、2011年の311があった年に、僕ら自分たちのように、同じように暮らしというものを自分たちの手でもう1回見つめ直したいというような機運が高まっていた年でもあって、そこからまた九州に移住していくアーティストやクリエイターたちもいっぱいいたので、
そういった人たちで行ったら、自分たちでリアルダッシュ村じゃないですけど、村を作ってみようみたいなことで始まったコミュニティがありまして、それがさはて村というコミュニティだったんですけど、そこはちょっと変わっていて、ルールもない、リーダーもいない、お好きにどうぞで村を作ったらどうなるのかっていうものを掲げて村作りをしていたような、
ちょっと変わったコミュニティだったんですね。僕自身、世界を回ったりとか自分でエコブリッジやコミュニティを作ってみようと思ったときには、やっぱりリーダーシップとか素晴らしくよくできたシステムやルールをどう作るのかみたいなことを考えていたので、それを両方持たずに始めるっていうのは結構僕の中でも衝撃で、世界でもそんなコミュニティのデザインでなかったので、それにすごい興味があって、
そこに入ってコミュニティマネージャーとして、そこで実際にエコブリッジというかコミュニティというかそういったものを実際に自分たちで作りながら村作りをしていくっていう日々が始まりました。
でもそれから何でも8年、2年丸8年経って9年ぐらい経つのかなんですけれども、その中でコミュニティというものを最果ての話もまたどこかでしたいんですけど、その最果ての暮らしの中でですね、
どうやったら僕らは楽しくみんな仲良く生きられるのかということをひたすら仮説検証を繰り返し、まるでスタートアップのようにですね、これがうまくいかないんじゃないかとかですねっていうのを本当に考えながらいろんなことをしたんですね。
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やっぱりコミュニティを作っていくっていわゆる家族、血縁を越えていかに家族になっていくのかっていうところと、もちろんお金も大事なんでね、会社をどうやって運営していくかみたいな、その2つをうまくバランスさせて発展させていくっていうのがマネジメント的にもやっぱり大事だったので、
それを意識しながら両方の世界を扱っていく中で、なかなかうまくいかないんですよね。
そう。やっぱり時間かけて深く付き合っていったらお互いのことを知り合ってどんどん仲良くなるって思うじゃないですか。子供のときって比較的そうだったので。
ただ大人になって深く関われば関わるほど言ったら相手のことが気に入らなくなって、果たしたら憎しみすら持って喧嘩して離れていくみたいなことがどうしてもこういうエコビレッジやコミュニティでも起こっていくんですよ。
これが何故こういう世界でも起こってしまうのかということを今度研究し始めて、それで見つけたのが、僕らは全然違う2つの世界を生きているのにも関わらず、それをまるで1つの世界かのようにごちゃ混ぜにしてその2つの世界を生きているってことによるヒューマンエラー。
これがあらゆる社会システムのいろんな問題を生み出しているということにたどり着き、なので今その世界ってそもそも全然違う世界だよねっていうのを分けた上で、その両方の世界をどううまく扱っていったらその答えにたどり着くのかっていうことをですね、みんなとちょっとこれ、社会実験で。
社会実験という形で探求していきたいというところで始まったのが、このただの箱庭プロジェクトということになってきます。
そんなただの箱庭プロジェクトですね、実際にもうスタートしていてですね、これがどういうプロジェクトなのっていうところも次回詳しくお話ししていけたらなと思っています。
ということで、今日もありがとうございました。
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