1. タダの箱庭ラジヲ
  2. ♯2「仕事って?こどもは遊ぶこ..
2024-04-13 16:31

♯2「仕事って?こどもは遊ぶことが仕事2

「あなたはふたつの世界をどう行き来する?」クラウドファンディングで1,000人を超える支援者と1,000万円以上の支援金が集まるほど注目を集めた「タダの箱庭」プロジェクト。ついにプロジェクトの招待状となる1万冊の本が完成しました。ここからは、この本がバトンのように手渡されることで、ギフトの輪を広げていくやさしい社会実験の話。

00:06
前回はですね、タダの箱庭プロジェクトの説明ということで、僕らは2つの世界で生きているということについてお話ししてきました。
今回第2回目はですね、そもそもなんでこのプロジェクトを始めようと思ったのっていうところを話していきたいなと思っています。
僕がですね、どういう人間かみたいなところも、ちょっとさーっとかいつまんで話していけたらなと思っているんですが、
僕はですね、長野県の方で生まれ育ちまして、
タダ、親がですね、普通のサラリーマン、一般的な家庭の中で育ってきたんですが、
父親の教育がちょっと変わっていまして、
勉強をするなっていう教えで僕は育ってきたんですよ。
あんまり聞かなくないですか?
勉強しなさいっていう親はいっぱいいたと思うんですけど、
僕は全く逆でですね、勉強するなっていう、勉強すると怒られるっていうちょっと変わった教育環境の中で育ってきたんですが、
これがなぜ父親が勉強するなっていうふうに教えてきたのかというと、
父親はですね、父親曰く子供の仕事は遊ぶことだというわけです。
子供の仕事遊ぶことなんかと、僕もちっちゃい頃からですね、
そうなのか、子供の仕事遊ぶことなのかということで、
そのまんま父親の言うことを真に受けて、
勉強しなくていいんだったらそれに越したことはないと。
で、じゃあどうするかっていうと、
外行って友達作って遊んでこいっていうわけですよ。
なので僕は幼少期、特に第二ベビーブームというか、その時代の中だったので、
子供がいっぱいいるような環境でですね、ちょうど団地で生まれ育ったので、
常に公園にはですね、たくさんの子供たちがあふれかえっていたような環境で、
毎日今日は誰とどんなことをして遊ぼうかなっていうことを考えながら、
日々を過ごしてきた幼少期ありました。
で、そのまんまですね、今僕40歳になるんですが、
三つ子の魂100までとはよく言ったものでですね、
40になった今でもこの生き方は変わっていないっていうですね、
03:05
ちょっと困ったことになっているんですけれども、
ずっと僕はですね、何か面白いことを考えては、
みんなと仲良く遊びたいという思いが強くて、
それをずっと何か大人になってからも、
いろんなことを考えては、
友達を誘ってプロジェクトをやったりとかですね、
場を作ったりっていうことをしてきたんですが、
その中でですね、僕が社会人になって、
つまんなそうな大人たちが作っているこの世界のゲームが、
なんていうか、あんまりね、受け入れられなかったんですよ。
当時僕が高校卒業するぐらいのときなんで、
10、20年以上前ですよ、
当時スマホとかもね、まだない時代なので、
どちらかというと大人の世界っていったときには、
サラリーマンみたいなイメージしかあまりなくてですね、
毎日電車に乗って、
怖い顔して、
全然遊んでないなっていうか、楽しめてるのかなっていうのが、
当時僕の目からしたらですね、
あんまり魅力的に映っていなかったんですね。
それで僕はですね、
なんでこの大人ってこんなに楽しそうに生きていないんだろうと、
子供の仕事は外行って友達作って遊ぶことだとするなら、
大人の仕事ってなんだろうっていうのをですね、
進路相談の先生に、
お前どうするんか、この先働くんかって聞かれたときにですね、
働いてるしと、めっちゃ俺働いてるんだけど、
なんかこれは、この先生が言っている働くんかっていうのは、
やっぱ、どうやってお前はお金を稼いでいくのか、
っていうことを、
問われたようなきっかけがありまして、
それが僕はですね、
当時ちょっとお金を稼ぐのは今度大人の仕事なのかと、
いうことを感じたときに、
ちょっとなんか、
怖ってなったんですよね。
なんて、
友達と遊ぶっていう、
その行為って、
ちょっと皆さん想像してほしいんですけど、
お金を、
なんかその友達から、
遊んであげるから、
いくら払ってねって、
遊び方ってしてこなかったじゃないですか。
でも大人はそれをしてるわけですよ。
なんか僕、これするから、
じゃあ20万ぐらいくださいね、みたいな。
06:02
俺?え?みたいな。
そう、
まあそうなんですよ。
現実はもちろん、
そうなんですけど、
その遊ぶことを仕事だと思って、
生きてきたこの18年当時、
僕からしたら、
ちょっとこの衝撃的で、
イメージがあんまりできなかったんですよね。
で、なので、
僕、
そんなに勉強、
しっかりしてこなかったので、
頭もそんなに、
いい高校でもなかったので、
進学してみたいなことも、
僕自身あんまり捉えてなかったんですよね。
ただ、じゃあね、
その担任の先生が言うように、
もう働くのかと思って、
まあでも、そのイメージもできなかったので、
親にですね、頭下げて、
ちょっと大学には別に通おうとは思ってないんだけど、
いきなり社会に出てお金を稼ぐという、
お金を稼ぐのが仕事になっていくっていうのも、
ちょっと抵抗がありすぎるので、
2年ちょっと時間をくださいということをお願いして、
専門学校に通わせてもらったんですよ。
で、この専門学校がですね、
何を勉強しようかなって思ったんですよね。
もちろんその社会に出て、
じゃあどうやってお金を稼ぐかって言われたときに、
やっぱり何か手にしようか持ってたりなのか、
自分がしたいことをお仕事にした方がいいのかとか、
お給料高いところがいいのかななんていうのはいろいろあったんですけど、
まあそもそも何でこんなことになっとるんやろうというところの疑問の方が強くてですね、
なんでそれを何か教えてくれるようなところで、
まあちょっと学ぼうかなと思いまして、
当時ですね、
僕、法律の専門学校に入学することを決めたんですよ。
これなかなか聞いたことないですよね。
法律の専門学校に行ってましたってあんまり聞かなくないですか。
法学部とかっていうのは大学であったりするけども、
本当に法律のことを専門的に学ぶという学校に行ったんですよ。
それはなぜ法律だったのかと言いますと、
まあなんかその単純にね、
この社会のルールというか、
こうしなさいとかこうしたらバスしますよみたいなその何ていうかニュアンス、
それを作ってるのって法律なんじゃないのかなと当時、
勉強してこなかった頭を使ってですね、
ひねり出した答えが法律を学ぶということだったわけで、
09:03
その後ですね、
その法律の専門学校に僕入学するんですけど、
その入学してたぶんですね、3日4日あたりかな、
本当に入学して早々にですね、
朝から本当に夕方までずっとその六方全書みたいなものを開いて、
法律とは何ぞやっていうことを先生から教わるわけですよ。
そうしたらですね、
ずっと僕は勉強をほとんどしてこなかったというか、
遊んできたような人生だったのでですね、
3日目ぐらいに僕は授業中に下呼吸になって死にかけるっていうですね、
体がついていかないというか、
すっごい拒否しちゃってるみたいな、
そんな中ですね、死にかけながらも、
僕は2年間法律の専門学校に通いまして、
そして無事卒業してですね、
社会人になっていくんですけど、
僕は法律を学んだからといって法律家になりたいわけじゃないんですよ。
その世界がどうやってできているのっていうのが知りたかったので、
ワンチャンその抜け道みたいなものがわかったら、
もっと楽しく生きれるんじゃないかな、
なんていう淡い期待も持っていたんですけど、
結果そんなおいしい話はなくですね、
法律とは何ぞやっていうことをひたすら学び、
結果社会人になるというか就職活動っていうタイミングでですね、
僕はやりたい仕事もなければですね、
入りたい会社もない、
特技も何かこう引入れた才能もないという中で、
またこう困るわけです。
どうやってお金稼いでいくんだろうなみたいな。
その中で考えたんですよね。
行きたい仕事、入りたい会社がないなら何で決めたらいいのかと。
皆さんだったらそんな時どうしますでしょうか。
私はですね、
住みたい場所で仕事を選ぼうと思ったわけです。
僕、長野県で生まれ育ったって言ったんですけど、
海なし県ですね。
海がない県なので、
海に近いところで暮らすっていうのはね、
長野県民の憧れなんですよ。
ということで僕はですね、
海の近くで暮らすなら一番いい海にしようと思いまして、
そしてあの就職先をですね、沖縄にまず決めるわけです。
12:00
沖縄の八重山諸島っていう沖縄からさらに400キロぐらい下の方に、
どちらかというともう台湾の方が近いぐらいの場所なんですけど、
小浜島っていうですね、
島のリゾートホテルが就職、就職を出していたので、
そこに就職して、
そして僕の社会人生活っていうものがですね、始まっていくわけですよ。
そして僕が勤めたリゾートホテルというのがですね、
ハイムルブシというすごい綺麗なリゾートホテルで、
結構値段も高いんですけど、
東京ドーム何十個分みたいなね、
敷地の広さと豪華な建物と、
まあ本当ね、今想像しても鮮明に思い返せるんですけど、
本当楽園みたいな場所で僕就職を始めるわけです。
で、なんていうか、
もうお客さんもお金持ちが多かったりとかして、
コース料理を一緒に入ってご飯をご馳走してもらうとか、
バーに行って高いお酒を飲ませてもらうとか、
ヨットを貸し切ってサンセットクルーズに連れてってもらうとかですね、
急にセレブなライフスタイルの仲間入りみたいなね、
そこで働いてるただのリゾートホテルの事業員なんですけれども、
で、その中で働くっていう中でですね、
すごい楽しかったんですよ。
全然楽しくお金を稼いで、
そんなに大きな給料ではないですけど、新卒で入っているのでね、
ただしっかりお給料もね、毎月25万くらい通してもらってたのかな、
休みの日もそうやっていろんな遊びをさせてもらえるし、
これはもう本当に一生ここでいいなーなんて思ってたわけです。
そこで、ただですね、そんなセレブっちなシーンとは全く違う、また別の世界に僕はその島で出会うことになるんですけど、
それがですね、どんなその世界と出会ったかというと、
定食も持たずですね、
ボロボロの小民家で暮らしながら、
毎日ね、昼間からこう、なんだろう、
なんかアクセサリー作ったり、なんか音楽をね、したりとか、
15:03
満月の日には焚火を焚いてフルムンパーティーみたいな感じでですね、
もう外見はヒゲ面でロン毛でですね、なんか大大のシャツを着た、
いわゆるですね、皆さん知ってるかわかんないですけど、
ヒッピーと呼ばれるような人たちと、その島で出会うことになるんです。
彼らはですね、本当土臭いというか、汚らしいというか、
ちょっとね、語弊があるといけないんで言いますけど、
そのなんか初めて、なんていうか、本気で遊んでいる大人に出会った感じがしたんですよ。
僕がずっとなんか子供の時に遊ぶのが仕事だって思っていた、
あの世界を大人になってもその世界で生きているという人たちに会ったっていうのが、
その僕にとってすごい衝撃で。
で、そこから僕がですね、ヒッピーカルチャーっていうものに系統していくのですが、
この話は次回に回していきたいと思います。
はい、今日もありがとうございました。
16:31

コメント

スクロール