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2023-11-02 38:03

#201(s23-8)仏教と共に歩む【後編】~国教と結びつくゴマ~(ミャンマー)

【キーワード】

パガン王朝 / ビルマ族 / ミャンマー / 国教 / 三宝奴隷 / ダルマ / エーヤワディー川 / ゴマ栽培量第2位 / 身分制度 / 


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サマリー

パガン王朝は仏教を国教としており、仏教の教えを取り入れ、ゴマの栽培を奨励しています。その結果、ミャンマーは現在でも世界第2位のゴマの生産地となっています。参法奴隷たちの労働力が農業の開墾に活かされ、仏教の発信源であるパガン王朝が経済力と農業力を向上させ、多くのお寺が建てられることでゴマの栽培が広がりました。仏教とともに広まったゴマの栽培は、ミャンマーやカンボジアなどの仏教ゾーンで盛んになり、高級品種のゴマが生まれました。ゴマは食用だけでなく、油や火傷の薬としても重宝され、国家統治や労働力の確保にも役立ちました。紀元前1000年頃には、熱帯型の古代ゴマがニュージーランドやオーストラリアに広がっていった可能性があります。次回はガンダーラについてお話いたします。

パガン王朝の成立
おっと、前回からの続き。
そんなイメージがちょっと僕はしてますけどね。
で、このセイロン島が南方定座部の一大拠点として、どんどんどんどん拡大していくとか、強行になっていくわけですよね。
で、時は一気に700年ぐらい飛びましてですね。
1000年代、1044年の話ですね。
1044年。
はい、インドの隣の隣、今のミャンマー。
1300年ぐらい飛んでるか。
1300年ね、という、そうか、1300年とか軽く飛んでますね。
紀元前300年、200年50年、250年か。
はい、紀元前250年から1050年まで一気にいくんで、1300年飛びますね。
だいぶ飛んだね。
はい、だいぶ飛びました。
あのね、もともと今のミャンマー、ちょっと前だとビルマとかいう言い方をしてましたけど、
ここにゴマの栽培もある程度地元では行われていたし、仏教も入ってはいたんですよ。
その地元の先住民族みたいな人たちがいてね、モン族とかピュー族っていう人たちがいてね。
で、そこで普通に農業もやったし、普通の生活もしてたんですよ。
で、ここにビルマ族という人たちがやってきます。
バガン王朝っていうのは同じ場所?
そう、バガン王朝。
バガン王朝。
このバガン王朝っていうのがこのビルマ族が作った今のミャンマーのとこね。
ミャンマーのとこね。
そこにバガン王朝っていう国を作るんですよ。
もともとこのビルマ族って中国の雲南省あたりの出なんですね。
中国なの?
そう、中国の人。
で、そこからだんだんとちょっとずつ移住して、
一気に10年とか20年じゃなくて、数百年かけてちょっとずつ南に移住してるんですよ。
少数民族で追いやられていくみたいな感じね。
で、今のミャンマーのところに着いたとき、そこにARD川って川があるんですけど、
そこにみんなで集まって暮らしをしてましたと。
それが800年代、850年頃の話なんですけど、そこでバガンっていう都市を作ったんですね。
都市の名前がバガン?
で、この都市がでかくなってバガン王朝って国になっていくんですよ。
そうなんだ。
で、この国を作るときにもともといた先住民族の門族という人たちから農業のやり方、
その土地にあった農業のやり方をいろいろと教わったりとか、
そこでゴマの栽培ももちろんされてるので一緒に勉強したりとか、地元にある仏教も取り入れて勉強していく。
ちなみに雲南省っていう元のところでもね、もともと仏教はあるので神話性はあるんだと思うんですけど、
仏教の国教化とゴマ栽培
そこで国を作って、だんだんでかくなっていきますよね。
そしたらこのバガン王朝が建国して100年そこそこの時には仏教を国の宗教、国教にするくらいに仏教国になるんですよ。
急に出てきたような気がするかもしれないですけど、
国の統治をするのに仏教というツールが非常に都合が良かった。
そういうこと?
そういうことなんです。これね、実は古代の日本でも似たようなことは起こってるんですけど、
使い方もちろん違うんですけどね。
これはね、仏教の考え方の中にダルマっていう考え方が一つあるんですよ。
ダルマって法律の法で法っていう風に訳されることが多いんですけど、
これなかなかわかりにくいというか、特に西洋人の方々には本当にわかんない概念らしいんですけどね。
ダルマっていうのは宇宙の秩序を形成する道理とか道徳みたいな感覚。
宇宙ってこういう風な仕組みで動いてるよね。自然の節理だよねみたいなのがあって、
これを形成してる一定の法則というか力みたいなのが働いてるよねって。
それはこういう理屈だからこういうことが行われるとその理屈に合ってるよねみたいな考え方なんですよ。
これお釈迦様の言葉に置き換えると死生体ってさっき言いました、真理がありますよね。
この真理が宇宙というか世界そのもののことわり、仕組みというかロジックみたいなのが、
いわゆる世のことわり。
世のことわりってやつですね。それにたどり着いたらいいじゃないですか。
無理して逆らって変えていくよりも宇宙の真理に近づいて生きていく方がいいよねっていう考え方なんですよ。
ここにたどり着くための道徳とか考え方みたいのがあって、これをダルマって呼ぶらしいんですね。
それを総合してダルマと呼ぶんだよね。
これをさらに細分化したのが八小道という八つの正しい道って書くんですけど。
八小道って呼んでるってことね。
それはまたちょっと別の話なんですけど似たような概念なのかな。
そっちは下達に至る道筋、具体的な行動をこういうふうにしなさいよっていう決まり事なんですけど。
ダルマはもうちょっと大きい括りであって、ダルマを元に国を統治するとこの王様偉いなってことになりますよね。
国の法律とかも全部このダルマに沿って作ったらみんな従うじゃん。だって全員仏教徒なんだから。
王様である私が言っているのではなく、お釈迦様が提示された宇宙の理に従って国を統治してますよっていうと、乱れることがなく統一できますよね。
その統治方法として非常に都合が良かったっていう部分も、ちょっと汚い言い方ですけどある。
さっきの国教って国の教えの方?
そう、国の教えの方ね。
勢力範囲みたいなイメージ。
国の境目じゃなくて国の教えにするんですよ。
国の教えとして仏教の考え方をベースに作ったみたいな。
国の宗教。
国の宗教。
国家とか国旗ってあるじゃないですか。と同じように国の宗教っていうのがあるんですよ。
そうなんだ。
ローマ帝国がキリスト教を国教にしましたみたいな感じね。
ローマもそうなんだね。
途中からね。
途中からね。
だからローマカトリックって言われるんですけど、ちょっと話してみました。
このビルマパガン王朝も、うちの国は全員仏教、南方定座部です。大事派ですっていうふうに言うんですよ。
すごいね。
これはもちろんどこから影響を受けてるかというと、当然セイロン島から偉いお坊さん呼んできてね。
教えをこうってそういうふうにやっていく。
セイロン島ね。
この国家の統治にも使っていけるし、そもそもいいじゃんみたいな感じなんですね。
その時お坊さんってどういう立ち位置かっていうと、国の統治理念であるダルマを解いていく人じゃないですか。
伝える人。
お坊さんっていうのは修行僧もいますんで、ダルマを勉強して真理にたどり着こうとしてる人たちなんで、
非常に国家統治としてもありがたい存在でもあるんですよね。
しかも僧侶コミュニティみたいな、ネットワークみたいなのもあるんで。
だから統治をするにあたって国家統治理念とお坊さんが突き詰めていこうとしてる真理っていうのはイコールじゃないけど近いものがあるじゃないですか。
これをほぼイコールの状態のものをお坊さんたちが自分たちのネットワークを使って仏教をしたりするわけですよね。
王様から見るとほぼイコール国家統治理念を伝えてくれたと一緒なんですよ。
っていうふうに解釈すると厳密には多分違うと思うんですけど、そういうふうに解釈しておくと楽かなみたいな。
そういうね、なんとなくわかった。
なんとなくわかった。ちなみにね、話またバーンと一気に戻っちゃうんですけど、最初に出てきたマウリア朝のアショウカ王。
マウリア朝のアショウカ王。
インドとかあちこちに仏教を伝えまくった熱心な人ね。
そうね、お寺を作っちゃった人ね。
その人ね、各地に数千塔の仏塔を建ててるんですよ。
数千塔。
すげえ数の。
そんな数なんだね。
でもね、歴史書を見るとね、これ多分持ってるなとか書いてあるんですけど、でもかなりの数がね、
塔が石碑とかあるね、仏塔みたいなのが建てられてるんですって。
そこにはね、やっぱりこのダルマから伐採した言葉とかが書いてある。
リネが書いてある。
そうなんだ。
で、それを各地でそのリネを伝えるみたいなことを仏塔とか石碑によってやるんですって。
うーん。
足岡碑文っていって、石碑の文で足岡碑文って言うんですけど、これと同じような方法をこのパガン王朝でもやっていくみたいな感じですね。
へえ、そうなんだ。
で、これ先に言っちゃうと、実はこの現代のミャンマーですね、ここむちゃくちゃゴモの生産量高いんですよ。
ミャンマーが?
この後、このパガン王朝が頑張ったことによって、今現在ミャンマーはゴモの生産量世界第2位なんですよ。
え、ミャンマーってそんなに生産してるの?
そうなんです。
へえ。
入れ替えはもちろんあるんですけど、常に上位っていう感じなんですけどね。
その元を作ったのが実はこのパガン王朝時代。
一番初期からこの仏教というものを国境化することによってゴマが広がったと。
そうです。だいたい今から1000年くらい前の話ですよね。
このパガン王朝の歴代の王様は常にゴマの栽培を推奨し続けるという政策を取ってるんですよ。
この王朝自体200年以上あるんですけど、その間ずっとゴマ栽培の奨励をやってるんですよね。
そうなんだ。
結果長い長いでっかいエイヤワディ川っていうね、ミャンマーを流れる川があるんですよ、でっかい川が。
その周辺地域っていうのがもうね、すげえ一大ゴマ栽培地になってる。
まあ200年以上やってればそうなるか。
なので今でもその地域がイコールでゴマ栽培地域っていうことになってるんですよね。
まあ日本でお米ずっと残ってますか。
ああそうか。
なのかね。
そんな感じかな。
これちょっとここら辺がポイントなんじゃないかなっていう理由というか背景を軽くさらってみたんですけど、
労働力と三宝奴隷
一つは労働力ですね。
労働力。
やっぱりまたカーストじゃないですけど身分制度っていうのがありまして。
ああこの辺りもあったんだ。
そうなんですよ。
へえ。
で王様王族がいてその家臣団みたいな弟子とかね家臣団がいますと。
それ以外には僧侶がいて庶民がいて奴隷がいて。
まあまあありがちっちゃありがちなパターンなんですけど。
ちょっと変わってるのがこの奴隷の中にもぬひと呼ばれる個人に所有される奴隷ね。
普通の家にいる奴隷みたいなのと。
あと三宝奴隷。
三つの宝と書いて三宝奴隷って言うんですけど。
というちょっと別枠の奴隷がいたんですよ初期の頃。
三宝奴隷っていう名前なんだ。
そう。でこの三つの宝っていうのは仏法僧日本でも言いますね。
仏と法と僧に使えるっていう僧に使える。
仏様仏様だよね。
と法だからだるまですよね。
で僧は僧侶ですよね。
この仏法僧に使える奴隷って意味なんですよ。
ああそうなんだ。
だから出家信者じゃなくて在家の人たちは
自分の世界観としてはもう来世の幸せとか
あの世での幸福感みたいなのを持ってるので
そのためには今生きてるこの世界観で
苦毒を積む良いことをしなきゃいけないですよ。
これあのバニシャット哲学にも出てきましたよね。
でそれをやるときに寄付をするといいよ。
寄信をするといいよことになりますよね。
だから建物を寄信したりとか
いろいろやるんですけど労働力を払ったりとか
参法奴隷と農業の関係
でそのうちに自分の家族の幸福を願う余り
その家族の一人を参法奴隷としてお寺に寄信するとか
なんなら自分の家族の幸せを祈って
自分自身が参法奴隷になって働くみたいな。
寄信するものはないから
お金とか物とかじゃなくて私をみたいな。
手伝うとかそういうレベルじゃないんだ。
もう自分全部みたいな。
自分が寄付品になっちゃう。
みたいなことがあるんですよ。
そんな考えになるんだね。
すごい清い気持ちですよね。
まあね。
外から見るとまた違った見え方しますけど
多分当人たちはそういう気持ちだったんじゃないかなって想像するんですよ。
でこの人たちは厚い信心のもとに働きます。
一生懸命働くことが苦毒を積むことになるので
後々自分の家族とかの幸福につながりますから。
サブルとかいう発想がないんですよ。
だから一生懸命仏教も勉強しちゃうんです。奴隷なんだけど。
名前は奴隷なんだけど一生懸命仏教を勉強するので
なんとこの時代で色事実が10%超えてるっていうね。
奴隷身分で。
そういう人たちなんですね。
でそういう熱心な感じでお坊さんのお世話をしたりとか
お寺の管理とか修善したりとか
芸人みたいな芸後等やったり歌をやるとか
職人としてやったりもするんですけど
一番たくさんの労働が集約されたのは農業。
農業ね。
当然ですね。開拓とかするわけですよ。
で今開拓でちょっと言いましたけど
このミャンマーという土地には
エイヤワディー川ってでかい川があったりとか
他にも細かい支流があって沼とかもあるんですね。
そうすると氾濫したりして困るじゃないですか。
であとちょっとね水が足りないところには水引っ張りたいですよね。
大きい川にはでかい堤防をみんなで作って
氾濫しないようにしましょうねとか
洋水路引っ張りましょうねっていう地水工事を一生懸命やるし
でたくさんの人を豊かにするために一生懸命
開拓開講みたいなことを国の政策として頑張るんですよ。
そこには当然ねお寺も協力をしていくと。
ちょっと面白いのがね
土地と地に土壌とか育てやすい植物って違うじゃないですか。
もう違うね。
これをねめちゃくちゃ細かくね細分化してね
区分けしてあるんですよ。
そうなんだ。
国の主導でね。
国の主導で。
この地域はひよこ豆が合うよね畑作がいいよねとか
この辺は水が豊富だし土壌がいいから
稲植えようかとかいう風にして
じゃあここはゴマねみたいな風にやっていくんですよ。
だから結果としてそのARD側の近辺に
ゴマ栽培地の塊がバカッてできたりするんですけど。
国主導だからそんなにまとめられたんだね。
同じ地域にドカーってまとめるみたいなね
風にこうやっていくんですよ。
でここにさっきの参法奴隷たちのパワーが
グワーって入ってくるんですね。
政策と宗教的苦毒を積む良いことをするっていうのが
ガチャンって合致した状態で
労働力が駆動していくんで
国家統治とゴマ栽培
どんどんどんどんゴマ栽培がでかくなってくるんですよね。
全体的に農業もいくんですけど
なぜかゴマの栽培量もすげえ上がるみたいなね。
まあそうだよね。
なんか公共事業みたいな感じだもんね。
そうなんですよね。
しかも無償労働の。
そうそう。すげえパワーですよ。
無償労働なんだけど不平不満言わずに
私は今苦毒をいただいておりますみたいな。
大化は仏様の御心でございますみたいな感じで働く。
すごいね。
幸福感いっぱいでね。
でちょっと記録に残ってるらしいですけど
全部で77種類の作物が畑とか田んぼで作られてたそうですね。
代表的なのは米、ゴマ、ヒヨコマメ、ココヤシ、ココナッツですね。
あとバナナ。
ヒヨコマメとか入ってるんだね。
この辺がね、多い部類に入るんだって。
それから70種類以上のいろいろな作物育ててましたよみたいな感じ。
この開墾土地育いずっと200年以上頑張るんで
さっき言ったゴマの大生産地できるんですけど
逆にねちょっと弊害もあってですね。
農地の開墾に参法奴隷の人たちとかすげー頑張るじゃないですか。
後にねこの参法奴隷っていう身分がだんだん消滅してってただの奴隷化しちゃうんですけど
世襲制になるんでなんかゴチャって混ざって
ヌヒも奴隷も奴隷だよねみたいになっちゃうんですけど
結果としてお寺付きの奴隷みたいな労働者がいることになるので
お寺が頑張って農地の開墾をするとそこはお寺の領地になりますよね。
お寺の領地っていうのは日本の鎌倉時代とかそうなんですけど
税金取れないんですよ。
民衆の土地からは税金が王朝に入るんですけど
偉い人の土地からは税金が王朝に行かない。
これが平安時代の後期に起きたんで
平安の朝廷がだんだんぐちゃぐちゃになって
武士の世界になるって日本でも同じことが起きるんですけど
実は馬鋼包丁でも同じことがあって
最終ね王朝が崩壊する直前ぐらいを見ると
どうもね半分くらいは寺寮だったんじゃねえかなみたいな
お寺の領地
半分とかね大半がって書いてありましたね
だいぶ持ってかれましたよね
そうだね王朝あれだね収益ほぼなくなっちゃうね
しかもねあまりにも仏教に熱心だったせいで
あちこちに仏陶を建てたんですよやっぱり
石碑とかね
仏陶をどうやって作っていたか何で作ってたかっていうと
やっぱりね焼成レンガなんですよ
焼いて作るやつね
レンガを作るには焼かなきゃいけないじゃないですか
焼くためには木が必要ですよね
わかりました木材の伐採ここでも来る
当時の燃料といえば木材だもんね
当然木材ですからね
木材が山から消えてなくなると何が起こるか
土壌がどんどん荒れていきますよね
水もダバダバ補水力がなくなってみたいな
そうだね補水力なくなるし山は荒れるし
溶水力が塞がっちゃうしみたいな
こういうことが起きていきます
これちょっとねいたしかしだったなと思うのが
氾濫をしないようにいろいろと堤防をいっぱい作ったじゃないですか
みんな氾濫なくてよかったねって言ったんだけど
当時まだ肥料の分割とかないので
氾濫しないということは土壌が良くならない
つまり洪水があると川が氾濫することによって
その周辺の土地は川が運んできてくれた土砂とかミネラルで
回復するみたいなメカニズムがありますよね
これを止めたんですね
要は堤防作ったというか止めたってことですね
そういうことだね
しかも細分化された土地区分で持って
耐熱作物を作ってバーって回しますよね
痩せるんですよね
連作みたいなもんだからね
全体の土地が痩せていってしかも国としては税収が下がっている状態
なんだけどゴマだけは強いんだな
ゴマだけは強い
ゴマだけは土地痩せてても育つんだな
パガン王朝と仏教の発信
熱帯と温帯の間ぐらいなんで
スコールとかがたまにあってくれれば全然問題ないんだよね
生態系を見ていくとゴマだけは強いよね
やっぱゴマ強いな
生き残ったんだゴマ
ゴマは生き残りましたデカデカと残ってます
このミャンマーのパガン王朝っていうのはこの時代ですよ
東南アジア頭一の国でかい国になって
前世紀はね
ここがジョーザブ仏教の発信源になっていくんですよ
もともとセイロン島にあったアヌラダプラ王国が
ジョーザブ仏教の発信源みたいな
総本座みたいな感じじゃないですか
ここに浸水したパガン王朝がむちゃくちゃ経済力とか農業力上がったので
お寺もめちゃめちゃいっぱい作りましたと
そしたらブースターになってくれるんですよエンジン
ここがもう仏教の発信源
ここからもうタイの方とかラオスとかカンボジアとかインドネシアとかに
ジョーザブ仏教の教えが広まっていくみたいな
で留学生もいっぱい来ますみたいな感じになるんですよ
まあ総本座みたいなものがあって
各地に行く前に一個パガン王朝が
ハブみたいな役割を果たしてくれた
隣がラオスとかタイですからね
じゃんじゃんじゃんじゃんこう伝わっていくと
セイロン島は離島だもんね
海渡る必要があったんですけどパガン王朝だったら陸続きなんで
何ならこの先住民の人たちとは移動したりするんで
普通に行き来してますからね
あの海外から来る日本使者みたいな扱いかな
島国から島国だけあれだけどどっちかな
陸続きなんでね
で元々ここは色んな民族が現住民として先住民として
住んでらっしゃるところに
ビルマ族がパガン王朝っていうのを作ってる状態なので
別に先住民の方が普通にそこの
同族コミュニティの中で行き来はあるでしょうからね
ああそういうことね
そんなにね現在のように国境パキって分かれてるわけじゃないんで
ああ違うんだ
結構グラデーションでふわーっと
この辺までが半島かな
ふわーみたいな感じなんで
ああゴリゴリ統治してるってわけではないんだ
隅っこの方行くとやっぱね
隣接してないっていうイメージの方が強いかな
空白地帯があるみたいなイメージなんで
ああそうか山とかね険しいもんね
そのふわーっとこう
土地は誰のものっていう概念はあんまない時代ですからね
はいはいはい
そんなのもうずっと後の時代なんで
ああそうなんだ
でもやっぱね
パガン王朝が発信源になったおかげで
ゴマじゃなくてね
仏教が広がるんですよね
でタイとか今言ったけどね
タイ、ラオス、カンボジア、インドネシア、ベトナムの方にも
こう伝わっていくと
で実はそのタイとか
カンボジアとかインドネシアとかっていうのは
もともとやっぱりねもっと早い時代
もう紀元前の時代にはゴマが行ってるんです
それはセイロン島から渡っていったとか
インドから船で渡っていったっていう
さっきだいぶ前に言いましたけど
スパイスの貿易をやってたじゃないですか
東南アジアとインドの間でもやってるので
その熱帯型のものがどんどんどんどん行ってるんですよ
まあそもそも熱帯地域だしね
だからアフリカからインドクッション行って
インドから東南アジアみたいな感じで熱帯型が始めから行ってます
でそこに国家統治スタイルとしての仏教が
伝わってくると
何何ゴマはそうやって作ってるんだ
いいじゃん言ったかなって言っていいね
そっかじゃあうちもやろうみたいな感じで
行くんですよ
まあやりやすいだろうね
お寺の周りで当然その寺廟で作ってる作物は
仏教ゾーンでのゴマ栽培
こういうのがあるよねっていうのがコピーされてくるじゃないですか
真似っこしてくるじゃないですか
なんで今でもタイの北部の方とかね
北東部の方とかっていうのは結構ゴマの産地として
デカデカとあるんですけど
ここは元々そのスコータイ町っていうね
王朝があったんですよスコータイって
スコータイって王朝ね
おついち 王朝がね元々あったんですけど
タイの方に
おついち そうタイの北部の方ですね
ちょっと南行くとアユタヤがあってみたいな感じなんですけど
タクも行ったことあるよね
遺跡にさ仏像があったりとかしたじゃないですか
あーあったね
おついち ああいう感じの地域なんで
そこら辺も仏教ゾーンなんですね元々が
なんでそこにゴマ栽培地がボホッてできて
なぜかそのお寺の近辺にやたらと集まってるよね
この遺跡の周辺なんかやたらゴマ作ってるねみたいな感じ
で名産地になっていくとか
あと世界遺産で有名なのを持っていくと
カンボジアのアンコールワットとかね
アンコールワット
おついち あの周辺もゴマ栽培地なんですよ
あの周辺が
おついち カンボジアでゴマって言ったら
あの辺りなんとか県だよねみたいな
それの中心地ってアンコールワットなんだみたいな
ああそうなんだ
おついち ちょっと僕これ遺跡の名前を初めて聞いたんですけど
ボロブドゥール遺跡っていうのがあるらしいんですよ
ボロブドゥール遺跡
おついち これボロブドゥール仏教遺跡っていうらしいんですけど
やっぱその周辺もゴマの大栽培地域らしいです
へえそうなんだ
おついち もともとあったものを
仏教による統治みたいなスタイルが入った時に
セットでゴマの栽培方法とか
やったらいいねっていう文化が入ってきて
そうなんですよね
おついち 基本的にこの辺りはベースが熱帯型
なんだけど一応ミャンマーの辺りで
温帯型と合流してるので
だんだん時代がさ
数千年経ってるじゃないですか
経ってるね
おついち 紀元前3000年とか2500年ぐらいから
わーっときてるんで
だんだんこう混ざってくるんですよね
そうすると熱帯型なんだけど
ゴマの品種改良と利用方法
温帯と合流した改良品種みたいなのが出てくるんですよね
でなんか皮は厚いんだけど
すげー香りいいよねとか
油の量少ないけどめっちゃうまいよこれとか
っていうのもだんだん出てきたりとかね
っていうタイプができて
とうとうベトナムの北部にたどり着いた頃には
今でも高級品として知られる
アンナンゴマみたいなのがね
アンナンゴマ
おついち っていうゴマがあるんですよ
へえ安い南のゴマ
おついち そう
言い方が悪いんだけど
安地域だからなんですけどね
おついち 地域名だろうね
ベトナムの北部って
わりと長い間中国勢力圏なんで
おついち あっベトナムにあるの
アンナンって場所が
そうそうそう
おついち へえ
中国語読みするとアンナンになる
おついち あっそういうことね
そうそう
キングダムの世界観で神の始皇帝とかさ
カンっていうあるじゃないですか
全カン五カンのカン
あの頃のカンの王朝の勢力範囲って
普通にベトナム北部入ってますからね
おついち ああそうかそう
へえ
おついち その辺で高級品のゴマが
だんだん温帯型と熱帯型の
合流した後の改良版みたいな
品種改良みたいなのがあって
だから今でもベトナムのハノイ近辺のゴマは
めちゃくちゃ美味しいらしいんですよね
うーん
おついち っていう感じに今なってる
そういうことね
おついち これがね仏教とともに
ゴマが広まったって言うとちょっと違うんですよね
ゴマはもっと前にふわっと広まってるんだけど
定座部仏教が伝わりながら
ボンボンボンって
ゴマ栽培がでかくなっていくイメージかな
仏教におけるゴマが
割と重要というか
重宝された?
おついち そうですね
っていう感じかな
おついち 肉食菌機の代替品っていうよりも
もちろんその部分ももちろんあるんですけど
国家統治のスタイルとしてとか
労働力の確保の仕組みとしてっていう部分でも
機能しちゃったんじゃないかなっていう感じですかね
あと栽培の簡単さ
おついち そうですね
人がいれば手間かかってもなんとかなるんだよ
むしろめんどくさいことやってるほうが修行っぽくね
知らんけど
それはどうなんだろうね
おついち ゴマ豆腐作るのもさ
缶詰で当たりゴマ練りゴマ買ってくるよりも
一からやったほうが修行になるじゃん
なんとなくだけど
すげえ大変だけど
ちゃんとやったらちゃんとおいしくなるのがゴマだよね
おついち そうだね
ゴマの重要性と広まり
思うな
なんかこれちゃんとやってもさ
最後あんまおいしくなんないんだったらさ
たぶん誰もやんないけど
手間はかかるけど確実においしくなるじゃん
練りゴマとかさ油取れるし
っていう感じなのかもしれない
必ず役に立つ作物
おついち われわれ日本人が知ってる仏教ってのは
基本的には台上仏教なので
大きく流れは分かれてしまったんですけども
やっぱどこかでね
精進料理的な
曹洞宗とかね
林在宗でやってるのは料理は修行だ
みたいな概念と
ちょっと通ずる部分があるのかもわからないですね
料理というよりは農業は
畑を耕すこと
頑張って生産することは
苦毒を積むみたいな概念がもしかしたらあったのかな
と思いますね
そうかもね
インフラないところとかは燃料として重宝しただろうしね
そうですね
油がすごく良かったっていうのは
もうだいぶ前々回ぐらいでお話はしてるんですけど
いろんな使い方できますしね
何せね保存が効くんだわ
しかも運ぶのが軽くて楽でいいね
タネだしね
タネだからね
まあそういうのもあるじゃないですかね
広げるのが楽だよね
食べてもいいし撒いてもいいし
みたいな感じかな
何でもありだからね
本当だ何でもありだ
本当に
使うっていう選択肢
砂糖にはないからさ
食べるはあるじゃん
燃料として使うとかさ
利用として使うとかさ
確か油ってあれでしょ
火傷の後のいい薬としても使うじゃん
たしかに
何でも濃いじゃん
お茶みたいな
お茶は燃料使ってないけど
お茶よりもさらにごまの方が有力だったかもしれない
かもしれないね
特に保存性の高さとか
加工の簡便さとかは
優れてますもんね
しかもお茶広げるよりさごま広げる方が
簡単そうだよね
たしかに言えてる
持ってきゃ使えるっていう
食べてるものがイコールタネだからね
そんなものなかなかないからね
今はちゃんとねうね作って植えてますけど
面倒くさかったら
反集するときに
バーってばらまきゃ投げりゃいいわけですからね
どれかは生えるからね
あんだけあれば数が
一つかみ何つばるか分かんないぐらいあるからね
あるね
あれが十分の一しか目が出なかったとしても
そこから何か数百倍の実ができるわけなんで
そうだね
やばいですね
一個でも育てば数百倍になるから
そういう部分あったでしょうね
そうね
今までやってきた作物のハイブリッドみたいな
感じがするよね
なんか穀物みたいにこれだけを
食べていくっていうことじゃないのかもしれないんですけどね
でもある種
その休耕作物とか
栄養補助食品的な部分ってのあったのかも
分からないですね
タンパク質一応入ってるしねちゃんとね
そうねそうなんですよね
なんか今回あれだね
最初仏教から始まってさ
だいぶ仏教にさ
尺取ったからさ
これはゴマはいつ出てくるんだろう
もうね
前半歴史ラジオでしたからね
もうほぼほぼね
ウルルさんなんかね聞いてくださってたけど
もうなんか食べ物がないと古典ラジオみたい
っていうねちょっと恐ろい
あれだけど
それよりはだいぶザクッとしてますよ
これ以上細かったらたぶん
途中で平演で終わってたと思う
調べるだけはね
だいぶ勉強したんですよもっと細かく
もうあの
マウリア朝の成立から
朝代王様からずっと調べてってるんで
割といろいろと
ありますよ
ちなみにさ
アンコールアットとかって何年なんあれ
いつ頃なの
アンコールアットは結構後かな
1000年代以降なんで
まあ現存してるもんね
ものがね
あの熱帯地域で
あまり風化せずに
だからまあ1000年代以降
じゃないですか
1000年代を記録してないですけど
そんなに古くないです800年前とか
500年前とか
まあバカン王朝から
だいぶ順当に広がって
順当に同じタイミングで仏教が
ゴマが出てったのかな
まあそんな感じに見えますね
そうかタイって時にね
ゴマの畑があるかどうかなんて気にしたことなかったね
うん我々が行ったのは
西北端でもアユタヤ王朝
エリアまでなので
北ですね
ああもっと北か
もっと北のほうですね
一大工作地になってるところね
ああそうなんだ
国内にゴマとかめっちゃ売ってそうなイメージだけどね
そうなると
全然気にしてみてないからさ
そうですね
僕食べたことないんであれですけど
インドネシア料理に植物油脂は欠かせない
みたいなこと書いてあったりとかね
それが全てゴマではないですけど
やっぱりゴマの影響ってのは大きいよね
っていうのも出てましたね
アンコールワットとかね
たまに仲間のうちで見てると
割と行ってる人多いからさ
ぜひ今度ゴマの畑があるかどうか
見てほしいね 本当ですね
アンコールワットに行ってゴマ見てくる人あんまりいないからね
聞いたことないから
これねこの話を読んでいて
僕もちょっと思ったんですけど
そんなに仏教の伝播と
ゴマの栽培がリンクしますかって
ちょっとこじつけっぽくないですかって思ってたんですよ
ちょっとその仏教が広がっていない
エリアでその
熱帯型ゴマの広がり
熱帯型の古代のねゴマが
どのように広がっていったかっていうのをちょっと
調べてみたんですよ
そしたらどうやらアフリカ型
熱帯型のゴマは
ニュージーランドとか
オーストラリア大陸にも行ってたみたいです
そこに到達したのが
いつ頃かっていう
明確な年代はわからないです
古すぎて
ただおそらく
1000年頃までには
行ってたんじゃねみたいな感じなんですね
紀元前1000年
だからお釈迦様が誕生するよりも
数百年前にはまあまあ行ってたっぽいよね
みたいな
でもほぼほぼ
野生種なんですよ
オーストラリアでまともに
ゴマの栽培がされるようになるのは
近代化する頃なんですね
だいぶ後だね
そこにはね当然ですけど仏教行ってないんで
届いても
ブーストさせる何かがないと
でかい栽培とかは
起こらないみたいな
まあね
ゴマをね
作物だと思ってみないと
知らなかったらなんだかわかんないもんね
あれね
みたいな感じでどうやら
伝わってるけどブーストしてない地域も
ちゃんとあるみたい
ああそうなんだ
じゃあまあこじつけではなくて
広まった理由として仏教っていうのは
それに関係がある
可能性あるよね
ニューギニアとかもニューギニア種みたいな
新種もあるんだけど
作ってあるけどそんなにブーストしてないよとか
ああそうなんだ
そういうことらしいですよ
面白い
ねえちょっとね
ガンダーラへの道
そんなことあるみたいな感じで面白かった
今日1話で収まるかどうか知らないけど
これが仏教とともに
南側に歩んだ
ゴマの流れね
これが三分割の一つって
考えると恐ろしいよな
この北側に行くやつあるんだよ
タクの好きなあの甲のエリアね
きゅうりの甲とかの
ゴマは甲ですから
割と未知の場所だね
あっちの方に行く手前
手前ね
その台上仏教が生まれたであろうエリア
のところからお話をして
それが理解した後で
それが終わった後で
やっと中国に行く
だいぶ長くなりそうだね
次回はガンダーラ
ガンダーラ
名前しか知らん
昔昭和の1970年代のね
ドラマ
左右記
坂井正明さんが総目やってたやつね
はいはい映像だけは知ってる
あれのエンディングテーマのガンダーラね
懐かしいね
タク知らんか
聞いたらわかったけど
ふーんくらいだった
本当にガンダーラって地域
国があったんだへーってところから始まりました
なんとなく知ってたけど
えーそんな感じなんだふーんって感じ
じゃあ次回楽しみにしましょう
頑張りまーす
あーそっかそっか
ということで今回はこの辺で終わりたいと思います
ありがとうございました
たべのおざく事務局からのお知らせです
2023年
11月19日
日曜日
食べ物ラジオ
農と食のラボラジオ
生物をざっくり紹介する
ラジオの
3番組合同オフ会
名付けて
たべのおざくを開催します
会場は東京
品川駅から徒歩3分の
ワイヤードカフェ
ダイニングラウンジ
ウィング高輪店
イベント開始は夕方5時
公開収録や
ここでしか手に入らない
限定グッズもご用意しています
参加費は
8000円となっています
皆様どうぞ
ご参加ください
なおおまけの
第0部では
東京国立科学博物館で開催される
和食店を
鑑賞します
参加ご希望の方は
11時半に
会場を済ませてから
現地にお集まりください
たべのおざくの詳細情報と
参加表明は
概要欄の
googleフォームからお願いいたします
締め切りは
10月31日
火曜日です
皆様のご参加
お待ちしています
38:03

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