1. たべものラジオ 〜食を面白く学ぶ〜
  2. #198(s23-5)スパイスKingdom..
2023-10-11 37:34

#198(s23-5)スパイスKingdomインド【前編】〜陸の道と海の道〜

【キーワード】

メソポタミア / アフリカ東岸 / 温帯型 / 熱帯型 / インダス文明 / 紀元前7000〜1800年 / アーリア社会 / セイロン島 /


▼合同オフ会「たべ農ざく」(締切延長11/9)

2023年11月19日(日) 

第0部  ~ 自由参加(国立科学博物館)

第1部  ~ オフ会(品川駅前@WIRED CAFE) 参加費:8000円

■ 詳細:https://butubu-now.com/2023/10/03/tabenouzaku/

■ お申し込みフォーム:https://forms.gle/qfQ4YeHwGyDUwb3u9





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サマリー

たべ農作のオフ会のお知らせがされ、インダス文明の農耕と水運の発展について話し合われています。ハラッパー遺跡やモヘンジョダロの都市遺跡における建築物や生活環境について説明され、これらの都市がインダス文明内で形成された豊かな農地と密接に関連していることが明らかにされました。紀元前1500年頃、北インドのヒンドゥスタン平野に進出したアーリア人によって、インドの社会が形成されています。農業の発展や農産品の輸出により、インドは農業大国として発展しています。海の道と陸の道を通じて伝わってきたスパイスの文化がインドに取り入れられ、社会に受け入れられていく過程を宗教的な観点や社会構造から見ていきます。

たべ農作オフ会のお知らせ
たべ農作事務局からのお知らせです。
2023年11月19日、日曜日、
たべものラジオ、農と食のラボラジオ、
生物をざっくり紹介するラジオの3番組合同オフ会、
名付けてたべ農作を開催します。
会場は東京品川駅から徒歩3分の
ワイヤードカフェ・ダイニングラウンジウィング高輪店。
イベント開始は夕方5時。
公開収録やここでしか手に入らない限定グッズもご用意しています。
参加費は8000円となっています。
皆さまどうぞご参加ください。
なお、おまけの第0部では、
東京国立科学博物館で開催される和食店を鑑賞します。
参加ご希望の方は、
11時半にお昼ご飯を済ませてから現地にお集まりください。
たべ農作の詳細情報と参加表明は、
概要欄のGoogleフォームからお願いいたします。
締め切りは10月31日火曜日です。
皆さまのご参加、お待ちしています。
武藤太郎です。
このラジオは、少し変わった経歴の料理人兄弟が
食べ物の知られざる世界をちょっと変わった視点から学んでいくラジオ番組です。
はい、ということで前回からお続きいきますかね。
気になりちゃいますか?
なんかある?
毎回お知らせれた方が良いんだよ。
えー、お知らせです。
11月19日。
11月19日日曜日、合同オフ会を東京にて開催いたします。
参加するポッドキャスト番組は、
農土食のラボラジオと、
生物をざっくり紹介するラジオの番組で共同で開催をいたします。
詳細につきましては、概要欄にリンクが貼ってありますのでそちらをご覧ください。
前回言い忘れたんですが、
昼間、11月19日の昼間のお昼頃から、
東京の国立科学博物館で開催中の和食展、特別展の和食の展示を、
僕ら食べ物ラジオ、他2番組と合同でシュレッと見に行く予定なので、
もしそちらも参加されたい方がいらっしゃいましたら、
また概要欄からご覧いただいて、日時を合わせてお越しいただければと思います。
一緒に見に行こうねっていう程度で、別に僕ら解説するわけでも何でもないですけど。
増えれば増えるほど滞在時間は伸びる可能性はあるからね。
そうでもないか、元が長いからそんなに変わらないね、多分ね。
みんなで行ったら楽しいんじゃないのっていうことで、
きっとこの食べ物ラジオを聞いてくださっている皆さんだったら、
楽しめる展示だと思いますので、一緒に行ったらキャッキャできるんじゃないですかね。
オフ会の方は高輪で行われる予定なんですけれども、
別に特別展、和食展をご覧になっていない方でも全然問題ないですよね。
特に参加申し込みとかは今のところやっていないのかな。
一応申し込みというか参加表明のフォームがあるので、
そちらの参加表明のフォームについては、
一応申し込みというか参加表明のフォームがあるので、
そちらのGoogleフォームからご記入していただいて、
このラジオが配信される頃にはもし本格定していれば、
正式な申し込みフォームに変わっていると思いますので、
そちらからお申し込みいただいて、参加費なども夜の分は
お食事がついてきますので、そちら分の金額と書いてありますので、
そちらからお申し込みいただければと思います。
お店側に人数伝えなきゃいけないので、
フワッとできればそれでもいいんですけど、
なるべく参加表明をちゃんとしていただいた方がありがたい。
確実に連絡が行くようにメールをご記入いただくので、
そちらからもご連絡するようになります。
インダス文明における農耕の発展
続きです。今回はスパイスキングダムインド。
スパイスキングダムインド。力強く言ったね。
特に意味はないですけど、前回の終わりのところで、
ローマ帝国くらいの時代になってくると、どうも彼らから見たインドってのが
スパイス天国みたいな。
そんな風に見えてるんじゃないのって話をしたじゃないですか。
もちろんなんですけど、インドにもゴマは到達しています。
到達している。
いつからゴマがあったのかはっきりわからないんですけれども、
少なくとも紀元前3000年には既に栽培が行われていたと言われています。
紀元前3000年前にもインドで?
インドでも行われていた。
砂漠化した頃。
シュメールとかでもちょうどゴマの栽培が行われていた。
同じようなタイミングでインドにも行っている。
横展開が割と早いんですよ。
先に言っておくと、インドにゴマがやってくる経路が2つあるんです。
1つは陸路。陸図体に伝わってきます。
2つは海を伝わってやってきます。
陸路は当然メソポタミア、オリエント地域から文明隣なんで
広域するじゃないですか。広域の痕跡も明らかなんですよね。
インダス文明っていうのがありますよね。
教科書で習ったと思うんですけど、インダス川流域にできたやつね。
ここにある首飾りとか、金銀の採掘物とか、
インダス文明の水運と鉱液
そういったのが明らかにメソポタミアの文明の影響を受けてるよねってのが分かってるんですって。
鉄製の武具とか、濃厚器具とかね。
石斧とか、もうそっくりなんだって。
影響を受けてますよねっていうので、その広域の中で陸路自体に
メソポタミアからゴマがインダス文明に移りましたよっていうそういう話ですかね。
インダス文明ってなんだかわかります?
四大文明の一つ?
ちなみに四大文明って括りしてるのは日本だけだけどね。
世界では四大文明って言い方しないんだけど。
日本人的には四大文明の一つですね。
インダス川の流域にできた文明で、その一番最初の大きい文明になる前の
起こりっていうのはおよそ紀元前7000年頃。
9000年前くらいかな。ここにドラビダ人という人たちが定住したと。
ドラビダ人。
ドラビダ人誰やねん。 全く聞いたことない。
全く聞いたことないよね。このドラビダ人っていうのが実は
今から5万年以上前にアフリカからインドにやってきた人たち。
5万年以上前にアフリカからやってきた。
海で。 海で。そこ海なんだ。
ソマリアのあたりから海路でインドの西海岸あたりに到達をして。
そこからぶわーっと広がっていった。
5万年前に海渡ったんやね。
西側の海をずっと北上していったところが今のパキスタンのあるところかな。
インダス川があってそこに定住すると。そこから数万年行くんですよ。
確かに。 そこから5万年近く4万年くらい軽く経って
インダス川流域にドラビダ人が定住をしてそこで農耕を始めると。
温暖乾燥の季節なんですよ。ちょうどこの頃って。
温暖で乾燥。 乾燥してる。乾燥してるから水があるところじゃないと困るよねっていうので
インダス川っていうでかい川のほとりに人が集まってきて自然と集落化してきましたよっていう感じね。
水の利用が始まって紀元前3000年頃になるとすさむじい発展をしてるわけですよ。
紀元前2600年くらいになるともう最盛期を迎える。
この紀元前2600年から1800年のおよそ800年間ぐらいを教科書で言うインダス文明って言ってるところね。
教科書で狭い意味でのインダス文明って言うと大体この600年間を指してます。
800年間?最盛期の間?
そうかね。紀元前2800年間か。800年間がここがいわゆるインダス文明って言われてるところね。
じゃあインダス文明自体は長いってこと?
そう。もっと長く前哨戦みたいのがあったりするんだけど、教科書的にはこの800年間のことを主に指すことが多いですよっていう。
ああそうなんだ。
でこのインダス文明の大きな特徴っていうのはもちろん農耕やばいんですよ。
すごいレベルで農業技術が発達していくんですよね。
あともう一つの特徴は水運。
水運。
インダス川を使った、川を使った鉱液と、あとそこから海に出て行って航海するっていうね。
この鉱液と高度な農耕の二本柱で文明が発達していく感じなんですって。
もうね完全にアフリカともやってるね鉱液ね確実に。
まあ海使ってるから。
なんならこれ東南アジアともやってるね。
東南アジア。
これ今回ちゃんと触れないんですけど、東南アジア原産のスパイスがインダス文明のところに入ってくるんで。
ああそうなの。
もう鉱液やりまくってるからねこの時代から。
東南アジアのスパイスあるんだね。
あります。
インドの何がすごいかっていうと、鉱液で入手した作物があるわけですよ。
例えばエジプト原産のものとかスーパーの原産のゴマもそうだし、他の玉ねぎとかニンニクとかサフランとかターメリックとかいろんなやつがだんだん集まっていく。
原産が地元だっていうねサフランとかコショウみたいなのもあるんだけど、いろんな作物が集まってくるじゃないですか。
鉱液によって。
かつすさまじい高度な農耕システムを持ってるのでそこで栽培をするから世界ナンバーワンの農耕大国になってくるんですよね。
遺跡で有名なのあるじゃないですか、モヘンジョダロとか。
モヘンジョなる?
モヘンジョダロ。
モヘンジョダロ?
えっ知らんと?
知らん。
ハラッパーとか。
ハラッパー?遺跡の名前?
遺跡の名前。中学校の社会の教科書で出てくるやつやこれ。
ああ呪文かと思った。
呪文ね。今ね多分向こう側の人たちみんなびっくりしてると思うよ。
そんな有名?
結構有名だと俺は思ってたけどね。
ああそうなの?
なんか分かんないけどモヘンジョダロ、ああなんか聞いたことあるわくらいは知ってると思うよ。
本当に?本当かなハラッパーとか。
モヘンジョダロね。
モヘンジョダロねもしかして。あ本当だモヘンジョでもう出てきたわ。
モヘンジョダロ。モヘンジョダロは世界の古代三大文明の一つインダス文明の都市遺跡。
都市遺跡の名前なの?
はい。
ああそうなんだ。
モヘンジョダロが大体紀元前2500年から1800年くらいって言われてるね。
ハラッパーの方がもうちょっと古いかな。
ハラッパー。
ハラッパー。
ハラッパー。
ハラッパー、モヘンジョダロ。
もうセット出てくるんじゃないですか。だってテストで書かされるときはハラッパーとモヘンジョダロをセットで書かされるもん。
そうなの。
インダス文明の都市遺跡
ハラッパー遺跡。ほらその他の質問。ハラッパー遺跡とは何ですかって言ってた。
インダス文明の都市遺跡。あこっちも都市遺跡だ。
はい。
あそうなんだ。都市の名前を取って遺跡になってると。
都市の名前です。
そうなんだ。
このね、ハラッパーとかモヘンジョダロの都市遺跡これね、よかったらいろんな記事が出てるし写真もあるんで見れる方は見ていただきたいんですけど、むちゃくちゃすごいんですよ。
そうなの。
この時代にこんな建造物作るみたいな感じ。
もう世界最高レベルですね当時。
そうか。モヘンジョダロさっき4万人ぐらいの都市って書いてあったね。結構でかいね。
でかいですよ。世界人口多くいかないとかそんな世界なんで。そこで4万人とかやばいですよね。
都市と農耕の関係
4万人が密集して暮らしてたんだもんね。
このハラッパーにしろモヘンジョダロにしても、すでに都市生活なんですね。都市と農耕が分離してるんですよ。
上壁で囲まれた都市があって、そこにはレンガ敷きの街道、道があってですね。街路っていうかね、道の脇には建物が建ってるんですけど、これ全部小製レンガで作られてる。レンガ作り。
レンガ作り。ほんとだね。レンガめっちゃ積んであるね。
めっちゃ積んであるでしょ。階段があって、完全に整備されたまったいらな道路が広がっていて、レンガに所々絵が描いてあったり、屋根も完全レンガで作られてるし、しかも2階建てザラ出し。
2階建て。
庶民の家ですよ。
すごいね。
なおかつ公会堂みたいな設備だったり、学校とか病院みたいなところまで整備されてる。こういう世界観ですよ。
へえ。
ここに数万人が住んでるっていうのが紀元前3000年頃のハラッパとか、その後に発展してきたモヘンジョダロとか。
このインダス文明っていうのは、一個というよりはいくつかの都市文明があって、それがだんだんと寄り集まってくる。
ちっちゃい村がだんだんだんだんと修練していって、一個のでかい都市になって、それぞれが繋がり合って、一つの巨大な文明圏を築いていくみたいな感じなんですよ。
このハラッパとかモヘンジョダロという古代都市のすぐ外側に広大な農地が広がってる。そんな感じですかね。
ああ、そうなんだ。
基本的に日本以外の大陸の、歴史的にはもっとあったんですけど、大陸の都市と農地の関係ってだいたい分離してるんですよ。
というのも、外敵がいるんで、守んなきゃいけないじゃないですか。
だから都市を守るために城壁を囲う。その中には庶民も一緒に暮らしている。
で、農耕は広い土地が必要なんで、その外側で行うっていうのがデフォでですね。
確かに確かに。よくアニメとかもみんなそうだね。
外国の人が日本に来て、その歴史のことを知るとびっくりするのが、江戸という都市に城壁がないの?
京都に城壁ないの?っていうのにびっくりするそうですね。
城壁がないことが意外なんだ。
これ一つには、京都だったら盆地なので、天外の城壁ともなる山や川があったっていうのが一つの説ね。
あとは、あんまり侵略戦争をしない。互いに。
侵略戦争ね。
日本の場合はね。閉ざされてるので、あんまり大陸のようなひどい戦争になりにくいっていう。
大将とかね、親方の首を取るとかね。そういう感じだよね。トップだけだよね。
これね、ちょっと面白いなと思うのは、次脱線しますけど、今アーバンファーミングって都市農園みたいなのが開発進んでるじゃないですか。
街の中で農耕しましょうよみたいな。日本も今東京でやってますけど、ロンドンとかパリとかすごいやってますよね。
アーバンファーミングっていう発想が基本的にロンドンとかパリとかああいうヨーロッパから出てきてる文脈なんですけど、現代において。
彼らはもともと都市と農耕が分離されたっていう社会を数千年やってきてるんですよね。
その文脈で出てきてるから、彼らは時代的に今人類史上初めて都市と農耕をガッチャンコさせるってことをやってるんですよ。
で、今日本はそれをカバーしようとするんですけど、なかなかうまくいかないのは、もともとガッチャンコした文明なんです、日本って。
江戸という大都市の中に普通に畑あったじゃないですか。江戸時代もそれ以前も。
京都の中にも京野菜があるぐらいだからいくらでもあるし、なんなら平安郷の中に畑あったりするんですよ。
住みの方行くと西の端っことかね。今の九条のあたりなんかギリギリの端っこなんですけど、一応平安郷の端っこなんですよ。
で、東に市場があったりとかして、そこで野菜が流通しているみたいな感じなんで。
塀もそんなにないし、中でちょろちょろ作ってるんで、もともとアーバンファーミングなんですよ、日本って。
違う文脈で出てきてるから、ヨーロッパ型のアーバンファーミングを無理やり日本に乗っけようとすると、どっか歯車が噛み合わない。
だから、日本は日本なりのアーバンファーミングを考えなきゃいけないんだよねっていうことのルーツはこの都市国家形成からすでにあるんですね。
紀元前から。 紀元前から。
江戸時代までの間の。 そう。このあたりからも完全にルーツが分岐してってるって感じですかね。
とんでもない話になっちゃったけどさ。 とんでもない話だよね。
そうそうそう。ここでインダス文明のところにゴマがやってきて、巨大な農園があるんで、そこでやっぱりゴマを生産し続けるんですよね。
で、やっぱね農業技術優れてたんでしょうね。当時世界で最も多くゴマを生産したのがインド。
インドなの? やっぱりね。
へーそこアフリカ大陸じゃないの? じゃないです。もうインドの方が優れてた。
へーなんでかね。 まず土がいい。
土がいいの? うん。あとちょっとね、ヒンドゥスタン平野っていうでかい平野があるんですけど、
これこの後の文明の移動にも繋がるんですけどね。ヒンドゥスタン平野っていうのはこのインダス側からその後に出てくるガンジス側ね。
ガンジス側って東側にあるじゃないですか。逆三角形インドの右側の上の方ね。
この逆三角形で言ったら上の長辺みたいな感じかな。上の辺のあたりが一体が全部平野なんですよ。
あそこ平野なの? そうなんです。ヒンドゥスタン平野っていうのがあって。
アルプス山脈とかじゃないんだ。 アルプス山脈の下。
下なんだ。 ふもとっていうかな。そこが平野で、その南側にデカン高原っていうのがあって。
そこでメンカっていうのを社会の授業で習うと思うんですけど、その間にヒンドゥスタン平野があって。
学校の授業だとデカン高原イコールメンカの栽培っていう風に習っちゃうんで、どうしても頭の中にデカン高原ばっかりインプットされるんですけど、
実は文明の発達に最も大事だったのはこのヒンドゥスタン平野ね。
ここは左側にインダス川があって、その真ん中、右側の方に、真ん中から右側に向かってガンディス川が流れてるんですよ。
そうなんだ。 川が流れてる流域っていうのは基本的に大地が肥沃ですから。
しかも水豊富じゃないですか。 豊富だね。
でかい鹿は。なんならアルプスから、ヒマラヤから雪解け水来てますから。あそこで農業やったらそりゃもうウハウハっすわ。
ああそうか、ヒマラヤ山脈だっけね。間違えちゃった。
ここにゴマがやってきて、この地域でゴマがすげえ作られてるのはなぜかというと、メソボタミアで進化した温帯型だからちょうどハマるんですね。
ああそういうね。なんかあれだね、静岡で言うと富士山の麓みたいなね。
まさにだ。そうだ。
あの辺すごい野菜作ってるじゃん。でいい野菜が作れるみたいなので、今農家レストランから農家さんからシェフからいろいろ活躍されてる方が多いけど。
はい。 同じなんだねやっぱね。
まあそういうことなんでしょうね。
似てるんかねやっぱねそういうのに。
やっぱ山があって雪解け水があってそこに平野があるっていうのがやっぱ大きいじゃないですか。
うーんまあ富士山の場合は平野かどうかちょっとあれだけどちょっと眺めてるけど。
日本はちょっと平野が少ないので。
まあね。
まあそういう意味でいくと愛知系の中心としては農備平野とかね。それもやっぱり似たような環境かもわかんないですね。
そうね。まあ平野があるからいいのか平野を作るのに形成するのに川が必要だからっていうの。
うんうんうん。
どっちが先かあれだけど。
ちょっとわかんないですけど。で地形がいい感じなんでしょうね。
そういうことだね。
インダス文明の衰退の謎
でこのドラビダ人が形成したインダス文明っていうのが、まあ紀元前1800年頃からだんだん衰退していって、紀元前1500年頃にはもうほぼなくなります。
なくなるんだ。
でこのなぜインダス文明がなくなっていったのか。
はい。
わからない。
わからない。
わからない。
はあ。
諸説あってわからない。
そうなんだ。
また学者さんも定説がないと言ってました。
他の文明の中では割と新しいイメージだけどね。
どうなんでしょうね。諸説あるうちの一つは気候変動っていうのも言われてましたし、あと外敵ね侵略によって滅ぼされたんじゃないかっていう人もいれば、中には核兵器っていう話もありましたよ。
核兵器。さすがにないだろう。
核兵器とか核物質をやった時に出る化学物質があるんですって。それが遺跡のどこそこのこういう丘にある特殊な施設とか神殿のように見える場所から異常に多く出てくるみたいなのね。
はあ。
これはもしかしたらそれ系の化学反応系のことをやってたんじゃないかっていうね。
そんな文明発達してる。
ゼロじゃないよねって程度だと思いますけど、一応そういうことを唱えてる学者さんもいらっしゃるらしいですよ。
そうなんだね。
分かりません。
分かんないな。それぐらい分かんないね。
分かっているのはその後ですね、アーリア人という人種がこのインドのエリアに入ってきます。
アーリア人。
このアーリア人っていうのはどういう人たちかというと、今の中央アジアね。
中央アジア。
カザフスタンとかスルメニクスタンとかあるあたり。何とかスタンのあるところね。
はいはいはい。
あの辺が高カサス地方って言うんですけど、あのあたりにいた遊牧民なんですよ、もともとは。
遊牧民。
アーリア人がね。それがだんだん南下をしてくるわけですよ。
アーリア人の進出と社会形成
寒いっつって。知らんけど。まあいい土地あるやんつって、だんだんとそれあれですよ、5年10年じゃないですよ。
100年とかのタイムをかけてじっくりじっくりこうじわじわと移動するみたいな感じですけどね。
はいはいはい。
やってくるわけですよ。こうするとそこにいたドラビダ人とぶつかるわけじゃないですか。
はい。
で、一部は融合するんだけど一部はもう敵対関係になるんでガチャガチャガチャガチャするわけですよ。
ほうほう。
で、最終的に支配をしていく。で、このアーリア人が作ったこの社会が今のインドにつながっていくやつね。
ああそうなんだ。
そう、これが大体紀元前1500年頃ですね。ちょうど北インドのさっき言ったヒンドゥスタン平野にアーリア人が進出してそこでこう社会を形成していくと。
うーん。
で、だんだんとこう西側じゃなくて東側のガンジス側の領域にこう展開されていくわけですね。
うーん。
で、この展開をしていく中でいくつもの民族がちっちゃい都市国家を形成していて、この中でバッチバチにやるんですよ。
へえ。
まあ16大国時代とかって言うんですけど、バッチバチにやっていて、その中で今のインドを形で作っているアーリア人の集団が最終的に勝ち残るという感じです。ざっくりいくとね。
ああそうなんだ。
で、この時にやっぱりそのドラウィダ人が形成していた文明だったりとか農耕ってのはそのまんま引き継がれますから。
うん。
ここでさらに農耕が発展して一大農産品生産センターみたいな。
うん。
どでかい農場ができるんですね。
ああまあまあ技術発展をしたと。
農業の発展と農産品の輸出
そう。でこれ技術発展をしたのと同時に社会の仕組みが一つ形成されていてこれがキーファクターになるんですけど、このタイミングでバラモン教っていうのが形成されていくんですよ。
ああバラモン教。
そう。アーリア人が異民族、地元の他の民族たちを支配していく過程でバラモン教っていうのがだんだんとこう形成をされていくんですね。
でバラモン教といってパッと思いつくのは階級制度カースト制ですよね。
ああカースト制。
これ後にヒンズー教現代でも引き継がれて今は当然ね法律的にも社会的にもカーストは消えたってことになってるんですけど残ってますよね一部ね。
バラモン、クシャトリア、ヴァイシャ、シュートランっていう4つの階層があるわけですよ。
ああそうなんだ。
でバラモンっていうのは神官って言えばいいですかね。お祈りする人。
元々このアーリア人っていう人たちは自然信仰をしていたので太陽神とか雷とか風とか水とかそういう神様を信仰してるんですよね。
神様にお願いをしないと何もしてくれないわけですよ。
神様がいいことをしてくれると人間社会は発展するっていうのはなかなか彼は思ってたんでしょうね。
だからバラモンという人たちが祭祀を行ってお祈りをすることでなんとか社会をうまくやりますっていうそういう感じの社会形成をしているのでバラモンが一番偉いですと。
その下のクシャトリアっていうのは王族とか武士の階級ですね。
王族と武士。
戦いをやる戦士みたいな感じね。
日本で言ったらクゲ朝廷家があって武士家があってみたいなちょっと違うけどざっくりとそんな感じね。
その下にヴァイシャっていう一般庶民、商人とか工業やってる人たちがいて。
このシュードラっていうのは奴隷階級なんですよ。
そっからいきなり奴隷階級。
実はこの四つのカーストの下にフカ植民っていう触っちゃいけない人って書くんですけど。
フカっていうのは不可能の不可ね。
植っていうのは触るってやつね。
触っちゃいけない民っていうのがさらに下の階級があってこの人もむちゃくちゃ差別されるんですけど。
これ一部まだその名残に残ってても社会問題になってますけどね。
そうなんだ。
このシュードラとかフカ植民になった人たちっていうのは誰かっていうと征服された側の民族。
征服された側の民族が奴隷としてバラモンやクシャトリアに使えるという社会を形成するんですよ。
たくさんの民族がいくつもあったのを片っ端からボコボコにぶっ倒していってみんな奴隷階級に入れてくわけじゃないですか。
だから当然ですけど人口比率で言ったら圧倒的にシュードラの方が多いわけですよ。
奴隷階級の方が多くなる。
彼らが濃厚するんですね。
そういうね。
もう贅沢も何も言えない。言われた通りに働きますっていうので。
これ本当アメリカ大陸とかアフリカアメリカ大陸の三角貿易みたいな時代と似てるんですけど。
これがインドの社会の中にもうここの時点で組み込まれたんですよ。
結構早い段階なんだね。
かなり早いです。
これがあったおかげでって言うと言葉悪いですけどこれのせいで濃厚はさらに発展したという部分もやっぱりあるんですね。
また優秀なんですって。濃厚の技術とか知識とか頑張り方とかがやばいぐらい優秀らしくて。
カーストの身分制度ってすさまじくよく機能してしまったがために濃厚の技術の発展やばかったらしくて。
そうなんだ。
インドに適したゴマの栽培っていうのがぶんぶん有料品種の選抜が行われて。
一本の植物からたくさんのゴマいっぱい取れますよねとか収量が上がりましたよねとか。
それぞれの一粒の油の量もちょっと増えて美味しくなったよねとかそういうことがどんどんどんどん行われていく。
栽培方法もどんどんシステマチックになっていて。
ゴマの栽培と海洋貿易
インダス文明の流れを引いているんで。
インダス文明時代もそうなんですけど、レンガ敷きの道を敷きましたよね。
これ何のためにレンガ敷きの道をやったかっていうと、これ車通すためなんですよ。
車ね。
そう、農作物を積んでダーッと一気に運びますよね。
効率はよくなるね。
これをインダス文明時代からその後のガンジス川の文明までずっとやっていくんですね。
へえすご。
都市の中だけじゃなくて農園まで道引っ張る。
はあ。
で、都市にグワッと集約して、ほら元々インダス文明って水運で交易やってたじゃないですか。
で、この新しい社会でも同じことが起こるんで、ガンジス川やインダス川を使ってそこから海外にバンバン交易をしていくんですね。
で、売れていく、儲かるっていう状況になる。
だからこれ佐藤のシリーズの時に言ったけど、ローマ時代にローマの金貨がやたらとインドから出てくるっていうね。
そういうことが起こるわけですよ。
そういうことなんだ。ローマの金貨出てくるんだね。
だから、佐藤もそうだし、胡椒もそうだし、ゴマもそうだし、そういった農産物をバンバン海外に輸出していくっていうのをこの時代に形成をしていきます。
へえそれ紀元前だもんね。
紀元前です。紀元前1500年から1000年頃にその土台が築かれたというふうに言われてますね。
当然ですけど、その農耕が豊かになることによって、その農耕を支えるための鉄器の開発っていうのもどんどん進みますよね。
鉄で作ったものね。
そう、あと器を作らなきゃいけないとか、調理器具作らなきゃいけないとか、馬車も改良しなきゃいけないとかいろいろ出てくるじゃないですか。
そうすると工業が発達するわけですよ。
ああ確かに。
農業が発達してくると、農業、工業が発達してきたら当然間をつなぐ商業ってのが出てきますよね。
ここでインドの独自の農、工、商が一体型になった社会が形成される。
こういう感じで、ゴマの大開発センターみたいな感じになるんですね。
そうか、気候が良くて、鉄を使ったものも発展できて、しかも人という労働力が得られたと。で、知識もあると。
素晴らしいまとめ。
すごいね。もう発展せざるを得ないというか。
そうなんです。
で、売り先もあるっていう。売り先があるのもでかいよね。
それは大きいと思う。
作っても売れなきゃしょうがないからね。
だからさ、メソポタミア地域でゴマ足りないとか言ってたじゃん。売りゃいいんだよ。
確かにね。売ればいいんだよ。
売りゃいいんですよ。ここでどんどん品種改良していいの出てくるからそっちに売るじゃん。
そう、品種改良されたインド型のゴマの種類ね。これがまた中東で栽培されて、エジプトで栽培されて、そこを里帰りしていく感じね。そういうのも逆流が起きてますね。
インドすげーっていう、農業大国としてのインドね。このイメージがおそらく後の西ヨーロッパで伝わっていったんじゃないかなって気がしますよね。
でもこれやりすぎるとあれだね。砂糖みたいに余りそうだね。
そうだね。
だからあったね。砂糖も作りすぎてさ、結局ダブツいったし。
将来的にそうなってきましたけどね。
なったんだ。
ゴマの場合は機械化がなかなか進まないので、現在でもね。砂糖ほど機械化が進まないので。
大量生産にも限界があると。
もう一つ、インド。海の道行きましょうか。
海の道。
これ本編で言ってないか。サポーター限定公開で話したんですけど、アフリカとインドって紀元前のかなり古い段階から海洋貿易を行ってました。
してたね。
何ならドラビダ人ってアフリカから海渡ってきてますからね。5万年前にね。
あれすごいね。
で、どうやらインドの南のほうとか、あとスリランクがあるとこ、セイロン島ね。
あの辺りのゴマの栽培品種とか野生品種っていうのを調べてみるとですね、どうやら5種類くらい熱帯型のゴマが見つかったんですって。
熱帯型のゴマ5種類もあったの?
そう。栽培型も野生種も含めてだいたい5種類以上あったと。多いところだと9種類とか発見されてますと。
これ遺伝子的に類似品がないかっていうのを調べてたら、なんとこの5種類以上の熱帯型のやつはほぼほぼアフリカのゴマと一緒だったと。
アフリカの原産地と一緒。
そう、原産地の初期の栽培種、当然まだ熱帯型じゃないですか。アフリカから出る前なんで。それがなんとインドの南部とかセイロン島にあった。
温帯型にならずに熱帯型のまんまいってた。
そう、あのメソポタミア地域で温帯型に変化するその道じゃなくて、ダイレクト。
まあそうか、そうじゃないとね温帯型しか生きようがないもんね。
そうなんです。で、緯度的にも近いんで、まあ熱帯でいけるんでしょう。
そうだね。
実際熱帯、あそこは熱帯であるんでね。
あ、熱帯。
海の道と陸の道によるスパイスの伝来
うん、ちょうどね。で、その海の道で伝わってきた時代がまあわかんないんですよ。ぶっちゃけたらしい。
多分紀元前6000年とか5000年とか、初期のアフリカで農耕が始まった時代かちょっとその後ぐらいなんじゃねえのっていう感じですね。
まあ温帯型が先にいってたら熱帯型がそこで繁殖しないよね、多分ね。
どうなんだろうね、あの緯度も広いございますので、下から南から入ってくるやつと北から入ってくるやつがあるんですよね。
ああはいはい。まあ結構距離あるもんね。
距離があるんです。だからまあ南に熱帯型アフリカからダイレクト、北に温帯型陸続きみたいな。
ああそういうね。
そういう緯度じゃないかなっていうふうに考えてますね。
確かに温帯型が熱帯型にまた戻るってことはね、可能性としてはどうなのか。まああるかもしれんけど順番的には違うかもね。
まあこれ2つのルートで入ってきたのが入り混じったりとか両方栽培されてたりとか地域ごとに違ったりとかそんな感じらしいんですよね。
アフリカ大陸と今のインドとか東南アジアとの貿易の古さとあるいはね、もう想像がつかないぐらい昔からやられてるんですけど、一応明確にこの時代には少なくともあったよねっていうのがあるんですよ。
分かってるのは。これはね紀元前2000年頃。
紀元前2000年頃。
今から4000年ほど前。
エジプトの王ファラオ。ファラオが大戦団をインドに派遣している。
ああそうなんだ。
ってちゃんと帰ってきてる。
あ、帰ってきてるんだ。へえ。
で、インドとかね東南アジアの芋とかバナナとかスパイスを持って帰ってくる。
ほうほうほう。
東南アジアとか、アジアの南側の方って芋文化なんですよね。
ああ芋文化なんだ。
穀物文化じゃないので芋文化なんですよ。
へえ。
で、アフリカはそんなに芋がなかったんで、それを持って帰ってきてアフリカで芋栽培とかそういうことも起こったらしいですね。
ああそうなんだね。芋はアフリカじゃなくてインドからなんだね。
インドというか、あとはアジア。東南アジアですね。
他にももちろんあちこちで芋を作られてるんですけど、特に東南アジアは穀物ではなくて芋を中心とした社会なんですね。
へえ、そうなんだ。
はい、ということらしいです。
で、ちょっと長くなってきましたけど、陸の道でやってきた温帯型と海の道でやってきた熱帯型、この話をしました。
スパイス文化の社会への実装
で、これがどのように社会に実装されていって、インドの人たちにどのように受け入れられていったかっていうのをちょっとね、宗教的なものとか社会構造的なものからさらっと見ていこうかなというふうに思ってますね。
バラモン教の話…
長すぎたので、次回です。
37:34

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