1. たべものラジオ 〜食を面白く学ぶ〜
  2. #117(s15-11)【豆腐の日本伝来..
2022-08-24 39:16

#117(s15-11)【豆腐の日本伝来(後編)豆腐が日本で広まった理由/羊羹は代替肉?(たべものラジオ)

庭訓往来(ていきんおうらい)/鎌倉仏教(鎮護仏教(ちんごぶっきょう)/救世仏教

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00:01
おっと、前回からの続き
しちゃいますか?
後半の量がわからん
じゃ、もうこのままいきましょう。はい、いきます。
あとはフェイドインフェイドアウトでやってください。
はい
で、あ、この五味ね、最近、あの、僕ネットで調べてるとですね、
六味になったり、五味は五味でも、辛味が入ってなくて旨味に変わってたりとか、
四味とかよくわかんないのがあるんですけど、
あるね
この文脈からすると、それらはあり得ないんですよ
あり得ない
だって、新概念なんです。旨味っていうのが、旨味、味として独立したのは最近の話。
メジコの話ですし、辛味が通覚であるってことが判明したのも、
現代に入ってからの話じゃないですか。
それをこの時代に排除するって考え方がまずないわけですよね。
ほう
五行節由来なので、五しかダメなのよ。わかります?
あー、そういうことね。
六味っていうのは最近の話で、追加追加してるだけなんで。
宇宙とか変なの入れんなっていきなり。
余分なもん入れんなっていう感じなんで、
一般的に和食の世界、日本料理の世界で五味といったら、
もう今の五つしかない。
ほー
で、こんだてはこれをベースに組み立てるっていう発想が古くからあるので、
事実がとか科学的なのとかちょっと置いといて、
文化的な背景で五味を見るときは、それで言った今の酸っぱい苦い甘い辛いしょっぱいか、
これをベースに考えてるんだよってことを理解するといいと思います。
ほー、そういうことか。
まあ確かに、うま味ベースでレシピ考えるってちょっとよくわかんないもんね。
うま味はさあくまでも土台ですから。
全部あるやんみたいな。
うま味別に出すなやって感じなんですけど、僕からさ。
確かにね。
うま味がある上に酸っぱいもの、うま味がある上に苦いものとか、そういう感覚だもんね。
そうですね。
確かにそう考えるとちょっと五行と五味と今のなんか新しい概念はちょっと感覚が違うね。
はい。ちなみにさらに気になっちゃうんですけど、
道元は五味プラス一を提唱しています。
道元が?
が。
へー。
だから五味は五味でもちろん基本なんだけど、プラス一は薄味って。
薄味?
これも多分味付けの話じゃなくて概念の話ですね。
ほー。
要は素材の味を壊さないように。
あ、そういう薄味ね。
はい。で、素材の味をちゃんと全身で受け止めなさいよっていう。
うん。
世界をちゃんと感知しなさいよっていう概念があるので。
あーそうか。濃い味付けというかまあ醤油とかバッサー入れれば醤油の味しかしなくなる。
そういうことですそういうことです。
なので元々日本にはそれっぽい文化文脈あるんですけど、この道元の書いた本によってより強く押し出されていくんで、今の日本料理の源流がここにあるって言われるわけですね。
あ、そうなんだ。
ごちゃごちゃいじって変化させるんじゃなくて素材そのものを味わいなさいみたいな。
はぁはぁはぁ。
もうだいぶ重要な源流のところを今話してるんですね。日本料理にとっては。
03:00
そうだね。
はい。
ここなかったらなんか足し算のみになっちゃうよね。
洋食みたいに、なんていうんだ。出てこないけど。
足し算。
そう、洋食だと足し算って言うけどさ。
うん。
和食は引き算って言うじゃん。
うん。
その源流はここの今の話がなければ、足し算のみしか残らなかった可能性がある。
可能性ありますね。
うーん。
いずれ全集、特に引用語行節と日本料理の関係性みたいなのは別で切り出して、たぶんそれだけで僕1時間以上喋りますから。
長いね。
長いんで、この辺にしときますね。
はい。
実はね、さっきなんでわざわざ喫茶用蒸気、英才の話を入れたかというとですね、英才がお茶飲み持ってきますよね。
持ってくるね。
お茶広めるじゃないですか。
この時に一緒に普及させたものがあるんですよ。
一緒に?
お茶と一緒に普及させたものがあるんですよ。
お茶と一緒にお茶菓子?
変な笑い声でしちゃった。
お茶菓子はどうか知らんけど。
いや、お茶菓子がないとお茶受けでもいいけど。
違うと思うけどな。
違うか。
この先で、喫茶用蒸気の中に書かれてる抹茶法。
抹茶法。
抹茶の作り方が書いてある。
ああ、そうなんだ。
抹茶の作り方書いてないと抹茶作れないじゃないですか。
そうか、煎茶の前が抹茶だったもんだ。
そうです。
元が抹茶で、煎茶は後から生まれたそうなんですね。
そうなんです。
抹茶の作り方を広めていきます。
じゃないと、広めた先で飲めないんで。
確かにね。
でも、抹茶を作るために必須の道具がありますよね。
必須の道具。
お茶っぱもみます、乾燥させます。
でもいいじゃないですか。あるものでできるんで。
その後、粉にしなきゃいけないですよ。
石薄か。
回転式の石薄。
日本書紀を見ると、古代の日本最初の書物の一つですよね。
初期の720年に作られたと言われて。
日本書紀にはすでに石薄が載っているので。
おそらく7世紀には日本にあったはず。
ではあるんですけど。
あんまり普及してない。
普及してないんだな。
そんなに普及している形跡がなくてですね。
この演才がお茶を広めていくにあたって。
抹茶ってもう、お茶のシリーズ聞くとわかるんですけど。
結構広く、わーっと広がるわけですよね。
前紙を広めたいからっていう理由でやってるから。
しかも鎌倉幕府のバックアップもらって。
抹茶が広がっているということは。
広がった先に必ず石薄があるということですよ。
ないと無理だもんね。
石薄がないと豆乳も作れるのですよ。
そうか。石薄で挽いてたのか。豆乳にするのに。
ふやかした豆を石薄に入れてゴリゴリやって。
そこから出てきたやつをお湯に入れて5にするわけですから。
これは石薄がないときついぜって話。
手じゃ無理だもんね。なかなかね。
06:01
なので、この石薄が同時に入ってきたことで
精進料理でセットにやっていた豆腐が
ちゃんと禅宗と一緒にいろんなお寺に広がることができる。
そういう感じなんですよね。
そこで繋がるんだ。
そうか。道具がないとそもそも豆腐広がれないもんね。
でも先にお茶があの道作ってくれてれば
道具もあるからすぐ広がれるね。
そういうことなんですね。
ここでわかるのは
中国の場合は唐で民間から発祥した
もしくは伝説のアンちゃんが
まだアンちゃんってわからない。
リュウアンが作ったってどちらかの説になってますけど
そこから広がっていって
お偉いさんたちには行かなかった。
長いことね。
秦の時代に入るまではなかなか行かなかったっていうのが
わかってるんですけど
日本の場合はだいぶ早い段階で
階層関係なく全員に広がっていく。
おもろいよね。
もちろん庶民に広まるんだけど
なかなか作れないのは作れないですよ。
大変だし。
農業やってる時間とか長いし
食事のためだけに豆腐作るってすごい手間なんで
なかなかできない。
確かに。
豆腐食べようと思ったら結構大変だもんね。
豆腐一個作るだけでもすごい大変なことになっちゃうんで。
肉のほうが楽なのね。
肉の置き換えとして豆腐に行ききるっていうのは
なかなか難しい。
けれども文化として認知度だけは
全階層一気に広がる。
ここが面白いんだよね。違うところだよね。
認知は広がっていくんだ。
なんでかっていうと
鎌倉仏教以前の仏教
空海とか最澄とかそれ以外の
なんとろ、陸宗だよね。
もっと前からある仏教っていうのは
鎮護仏教とか鎮国仏教って言って
国を治めるために
必要な仏教。
そんな仏教あんの?
疫病が発生したら
仏様の力を借りて
疫病を抑え込む。
で、できたのが有名な奈良の大仏。
そうなんだ。
あれ国家事業ですから。
日本の朝廷が
予算を作ってこれを作ることで
国が安定する。
安泰になる。
という意味で作ってるんで。
あれは国家一大プロジェクトなんですよ。
宗教というよりは統治のための
事業。
そういう感じなんです。もともと。
で、これが鎌倉時代
くらいになると
ぐぜ仏教とか言うんですけど
背景仏教とか。
庶民のための仏教なんですよ。
鎌倉仏教を起こした人たちっていうのは
分かった分かった国を守護する
鎮護するも大事だけど
そもそも人心、人を救わねばならんだろう
こんなにたくさん人いるんだから
09:01
その人たちがほったらかしになってるだろ
だからこの人たちを救うぞっていう動きが
出てくるんですね。
これが起こる背景には
当然ですけど平安末期ぐらいから
争いが起こるわけじゃないですか。
武士が出てきてそれこそ
平野清盛みたいな人が反乱を起こしちゃったり
とかしたりするので
あちこちで戦争が起きてくる
で、武士同士も争って
原兵合戦みたいなことが起こる
世の中不安なわけです。
まあそうだね。
でちょうど平安末期ってのは
末法思想って言って
仏の神通力みたいな力が
有効期限切れする
時なんですよ。
神通力に有効期限とかあるの?
概念があったっぽいんですよね。
末法思想の末法って言葉
新しい後からつけたので
当時の文献見ると末世とか末代
っていう言い方してましたけど
仏門としての
教えはちゃんとそれ以降も残ります。
けどここで
一旦区切りです。いわゆる正規末的な
一旦区切りですっていう時代が
ここに来るんですね。
で、もう日本中が不安に
駆られるわけですよ。
死生化も変わりますよね。すぐそこに死が
いるんで、マジで。
戦乱によって荒れてるんで。
いつやられるかわからん。特に武士はそうですよね。
その時に
慎吾仏教じゃなくて偶然仏教に変わる。
これを
やれば我々
武士も心が救われる。
あの世に行った時に天国行けるみたいな。
平田博一はそういうようなことで
その仏教
という教えが広まってるわけですね。
もともとの仏教ってちゃんと
その名前がついてたんだ。
仏教ではなくて?
仏教なんだけど
慎吾仏教とか偶然仏教っていうのは
後の人がつけた名前なんですけど
この時代を境目に仏教の
振る舞いが変わるってことなんですよ。
国の統治のため
祈祷とかお祈りとかそういうことのため
とか哲学のためではなくて
民衆を救うためっていう目的が
グッとシフトするタイミングなんですよ。
民衆の心を救うためみたいな。
その通りです。
だからニジレンさんとか
英才も道元さんも
みんな各地を渡り歩くわけですよね。
主に総統宗とか
臨済宗の
前宗ですね。
主に受け入れたのは仏教。
仏師が多いんですよ。
で浄土宗とか浄土新宗とか
ニジレン宗とかっていうのは
一般の庶民ですね。
農家とかああいう人たちに受け入れられていく。
何が違うかっていうと
今言った一般向けの方は
簡素化していくんですよ。
そんな勉強せんでも
とりあえず
南無阿弥陀仏を唱えなさい。
これを一心不乱にやれば
救われます。
学がなくても分かる方に振っていく。
じゃないと広まらないから。
で辻説法して
ちゃんとお伝えはするんだけど
まずそこから入る。
臨済宗とか総統宗っていうのはちゃんと学ぶ。
ちゃんと修行する。
学問だけでやってても
分かんない。体を動かして体感することが
12:01
大事ですよっていうのを不流文字って
総統宗の道元なんかは言ってるんですけど
それと
臨済宗も一緒ですね。そういう考えと
仏家の考えがリンクしていく。
学問もやるし
普段の活動そのものが
宗教活動とか思想活動につながっていく。
っていうので広まっていきます。
当然こういう広がりを見せれば
全方向に
精進料にも広がっていくわけです。
で主に武士に行くわけですよ。
禅宗だから。
で庶民はまだ
精進料理的なものから
ちょっと距離があるけど一応認知度が
知ってるっていう
程度になっていきます。
なんかちょっと語弊は
絶対あるけど
宗教の境目のその以前っていうのは
哲学としての
面が大きかった?
そうだろうね。
哲学とか、あと
祈祷お祈り系だね。
お祈りか。国の
ちょっと規模の大きな話。
その境目以降は
どちらかというと今でいうセラピストとか
精神科医とか
そういう
安らぎを与えるとか
人の寄り所を
作るみたいなイメージの方が
のものができてきた。
それは社会的に
背景に不安定な世の中があって
みんなが気持ちが荒れたり
とか不安があったりとか
したのを落ち着かせるために
セラピスト的な
メンタリストなのか
そういう役割として
切り離した部分がある。
簡単にした部分がある。
一属面としてはあると思いますね。
完全に
セラピスト精神的面だけではない
と思うんですけどね。
ちゃんと本質掴んで欲しいからってのもあると思うんですけど
そのセラピスト
心のケア的な部分もやっぱり
かなり大きいと思いますね。
これはこの導入で後ろに
哲学まで行き着く流れの
入り口として分かりやすく
切り出したのかもしれない。
これは本当
人によっては見解は分かれるらしいですけど
僕が聞いた話だと
子供の頃から思ったんですけど
生身打仏を
延々唱えてるだけで
そんなので救われるかよみたいなね。
それはね、小さい時思った。
思うじゃないですか。でもちゃんとロジックがあるんですよ。
天才なんでこういうの
編み出した人たちは。
全員天才なんで。
今日話さないですけどロジック聞いたら
うわってなった。
マジ天才だなと思った。
それは別の話で聞きたいな。
そっちの興味湧いちゃった。
すごい疑問にずっと思ってたからさ。
なんかずっと
本当に繰り返すじゃん。ずっと。
延々とね。
何この洗脳じゃないけど
くらいのレベルじゃん。
僕に言うとあれ禅に近いんです。
発想が。
なんか数字を数えるみたいな感じ?
ああそうそうそう。
無神になるって前週も無神になって
考えをゼロにするとは言わないんですけど
15:01
一点に集中することで
他の雑念を払うっていう
やり方じゃないですか。
それが難しいんですよ。
一般人は慣れてないので。
僕待機したけどマジしんどかったんで。
もうね、よくやろうと思って
10分間ぐらい頑張るんだけど
やっぱ導入としては
数字を数えてだんだん意識を
混沌とさせるというか
フワーッとさせるんだよね。
あれが導入としては
無神な物も同じような原理?
そう。お題目を唱えるっていうのはそれ。
ああそうか。
そういう解説をされてましたね。
そういうことか。
話しとれちゃった。
で、でですね。
こういった背景を踏まえて
僕まだ大事なところ言ってないですけど
日本に入ってきた初めの記録
初めの記録ね。
文字化された一番最初
いつだって話ですよ。
これは1183年
1185年から
鎌倉時代のカウントなので
平安時代末
平安時代末。
あるやないか。
平安時代末なんで
鎌倉時代より前にあるやないか。
これが?
これね、春日大社
春日神社、奈良県のね。
ここの穀物の記録
どんな穀物を並べましたか
っていう記録が残ってるんですよ。
豆腐の記録がそこに
乗っかってる。お供え物として
豆腐が書いてある。
じゃあ今までの話より
前ってこと?
だから鎌倉時代説消えた。
消えたんだ。
ただ中国の時代に寄せると
宗の時代、つまり平安末期ってことですよね。
ああ
だから日相貿易なんですよ。
日相貿易
民間の日相貿易の時代に
入ってきたんじゃ
なかろうかって
いうことになるんですね。
これでややこしいのが
豆腐という文字
平安時代ぐらいって
漢字とか
ひらがなもみんな揺らぎあるんですよね。
いろんな文字
お豆と漢字無理やり組み合わせてるから
いろんな表記がある。
で、ややこしいのは
から、豆ですね。
中国の国名の豆という字に
ふは竹冠につく
っていう字ね。
で、豆腐って
書いてあるんですよ。
で、この豆腐の
豆の字が豆だから
豆時代からやってきただろう
っていう人もいるんですよ。
漢字でね。
だけどあれですよ。
僕からするとその漢字で豆時代だ
っていうのは無理がある。
だってさ
唐辛子って日本に入ってきたの
いつ?
僕が言いたいのは
日本に唐辛子が
入ってきたのって
16世紀から17世紀にかけて
1500年代にならないと無理じゃないですか。
18:01
だってコロンブスが
アメリカ大陸行ってないから
行こうとして間違えていったのね。
あれが1490何年とかでしょ。
だからその時代
以降にならないと唐辛子の
絶対日本に入ってくるわけないじゃないですか。
物理的にね。
1500年頃って中国も
死んとかなんですよ。
豆だいぶ過ぎてるよ。
だって豆は907年に滅びてるんで。
全然違った。
だからその後ね、江戸時代
なんかもう器
室町時代とかからからものって
言ったりするんだよね。
だからもうね、当時の
日本人からすると中国ら辺
はもう全部豆なんだよ。
時代が変わっても。
そうなのかい。
ちょっと時代忘れちゃったけど
文章の中でも豆からやっと生きたものは
こうだよねみたいなことは小説とか
死に残ってるんだけど、いやいや豆
滅んでから300年経ってるけどとか。
結構そんななので
豆腐という文字が
唐という字を使ってるからといって
豆は決して東大を指してるわけではない。
確かにその流れでいくとかなり難しいね。
それを言うには。
だいぶ無茶。
それよりもね、僕が興味深いのは
定勤往来。
定勤往来。
庭に訓練の訓に
往来は人の往来とか
往復で来るんですよね。
っていう書籍があるんですね。
これね
定勤往来は
日本の食材を
扱う時にはちょこちょこ出てくるので
もし興味のある方は
音だけでも覚えておいてくれるといいです。
お茶のシリーズの時にも
ちょろっと触れてますし
お米の時にも触れてます。
この定勤往来について
ちょこっと解説しておきますね。
成立時期は
わかってません。
ただ
鎌倉松ですね
一味三山の滅亡あたりから
1400年頃だろう
という風に言われています。
まとめた人は
僧侶の玄江という人だろう
と言われてます。
ふわっとしてます。
中身はですね
手紙です全部。
往来なので
送って返事が返ってくる。
一往復。
これが12かな。
あって
24にプラスもう1つあるので
25通の手紙の往来の
まとめたものなんですね。
そういう感じなんだ。
1月に1組で2通みたいな感じで。
ここに書いてあるのは
当時の武士とか庶民のための
社会生活ってこうだよとか
基本的な知識が必要だよね。
生きていくために文字もここから学びましょう
っていうので実は教科書扱いされてる。
手紙が?
ちなみに長いですよ。
江戸時代ずっと
明治の初期までこれ教科書代わりになってるんで。
長いね。
そしたらこの定期御来をまずマスターする。
そこからスタートする。
そんな粗末じゃないの?
手紙がそんな扱いになるの?
21:01
なる。
ちゃんと一冊の本にまとまってるんですけど
これも
国会図書館デジタルの原本は
僕全く読めなかったので
いずれどこかで
現代語訳を買って
読もうかなとは思ってますけど。
なんとなくだけど
ラジオみたいにこうやって
行ったり来たりすると横で聞いてる人は
分かりやすいみたいな。
感じで作られたのかね。
全然中身知らないからなんとも言うけど。
当時の有識者、知識層の
手紙の往来なんでいいんでしょうね。
この中に
豆腐館という文字が出てきます。
豆腐館?
豆腐館の豆腐は
現代の豆腐と同じ文字が使われてます。
豆腐館の館の字は
陽館の館です。
陽館の館?
どういうこと?
ふわっとしますよね。
作り方の工程は似てるんですよ要は。
陽館も
豆腐館も
一回液体にして
それを固めたものなわけですよね。
館が固めたものみたいな感じなのかね。
これ厚物とか
僕ら和食の世界でも厚物として
読んで使うんですけど
これどういう意味か。
まず陽館の説明します。
陽館なんだと思ってます?
甘い黒い
食べ物固まったやつ?
あんこ固めたやつみたいな
観点で固めたやつと思ってるでしょ?
違うんですよ。
違うの? もともと。
もともとは? もともとはだって
陽館の陽の字何ですかあれ。
陽館の陽の字?
陽館の陽の字ってどれだっけ?
原稿の右下。
あー羊か。
羊。
これね要はね
陽館はもともと羊のスープです。
肉スープ。
肉スープ?
もともとね中国で。
だから僕ら和食の世界で厚物って言うじゃないですか。
厚物って汁の張ったもののこと厚物って言うんですよ。
だからお椀とか煮物とかのこと厚物っていうのはここから来てるんですね。
そうなんだ。
この羊のスープだとするじゃないですか。
常温に冷ますと油が強いので凝固しますよね。
いわゆる肉ゴリになるじゃないですか。
これがもともと中国の中で食べられていたんだけども、
これは商人の概念では食べられないんですよね。
肉だからね。
肉だから。
で代わりに別なもので陽館を模したものが登場し始めるんですよ。
何パターンもあったうち一個日本で定着したのが今のあんこで作った陽館。
そういうことね。
これを時代背景に戻ると定勤往来の時代っていうのは鎌倉時代なんで、
つまり全州が入ってきてまだ100年とか200年とか経ったかな。
100年経ったかそこらぐらいの時代の話ですよと考えると、
まだ本来の陽館の概念が残っていたとしてもおかしくないですよね。
24:04
当然源也も中国文化とかにも明るい人だったらしいので、
そうすると豆腐館という。
陽館があんことか他のものになったかのように、
豆腐っていうのは豆からいった陽館だよねってなると、
精進料理の一環として豆腐館になるわけですよね。
代替肉の館ですよ。
この時代でもやっぱり代替肉だったんだということがよくわかりますね。
ヒツジの表しているのが豆腐だったもんね。
豆腐平たく言うと大豆だもんね。
大豆を固めたものというかそれに近いものみたいな扱いになって、
またここでも同じように置き換えられたんだ。
そういうことですそういうことです。
面白いよね。
たぶん偶然なんだろうけどすごいね。
これ偶然なんだろうね。でも偶然じゃない可能性もワンチャンあるけどね。
ヒツジを豆腐に置き換えたのってかなり前じゃないの?
とうの時代ですね。
そうだよね。何話だっけ?
第4話かな。
正遺録という書籍の話ですね。
推定で900年代頃の書物でそれ以前のことを書いたであろうというものなので、
950年頃だとするとそこから300年ちょっとくらいなので、
まだまだ消えずにその感覚が残っていたとしても不思議ではないですね。
確かに残ってる可能性はあるけどね。
大体にいくと精進料理の概念がくっついて、
豆腐がまた豆腐館っていうよくわからん言葉に。
豆腐の扱いがどうだったかっていうのはちょっとわかんないけどね。
これね実はこの定金往来に豆腐館と書かれていること自体が僕はね結構重要だなと思ってるんです。
だからあえてピックアップしてさっきあえて定金往来の説明したんですよ。
あのね教科書なんですよ。
教科書だね。
武士だけでなく武士や庶民のためのなんです。
これ読むじゃないですか。
もちろん最下層の農民とかではないと思うんですけど、
一般に読まれてきたわけです。江戸時代をずっと通して。
豆腐広まらん方がおかしくない?
広まらない方がね、確かにね。
認知度は絶対あるよね。
一番オーソドックスな教科書だもんね。
そうです。
それはみんな知ることになるよね。
という意味で定金往来とそこに記載された豆腐館の文字は、
一定の役割を果たしたのではないだろうか。
それで概念が広がったのか。
可能性はあると思いますね。
可能性はあるね。
この後ですけど、ちょっと時代を下って1500年頃に
71番職人歌合わせという絵本が出るんですよ。
27:07
すごいね。71番職人歌合わせ。
職人という言葉自体は後で室町時代に入ってから出てきた言葉なんですけど、
まず歌合わせの説明をしましょうか。
歌合わせっていうのは平安時代に登場した遊びです。
遊び?
もう本当に敗訴な、教養のある文学遊びです。
そうなんだ。
テーマを一つ決めて、それに対して歌を読みます。
書く人、考える人、書く人がいて、それを読む人がいて、
それが右肩左肩とか西肩左肩とかって分かれて、
2チームに分かれてるんですよ。
今回のテーマは豆腐じゃってなったら、豆腐をお題にした和歌を読むわけですね。
反じゃって言って審判する人がいて、
こっちがいい、こっちのほうが優れてるっていう勝敗を決める遊び。
これの後にちょっといっぱい入れながら、
飯食いながらあの歌だったね、こうだったねっていうような遊びなんですよ。
これは鎌倉時代を通して広がっていくんですけど、
鎌倉室町あたりになってくると、
往来の世間一般の物事を対象にし始めるんですよ。
平安時代だったらもう、うつ蝉はとか、夕暮れはとか、
ちょっと美しいものに寄りがちだったり、
自分の人の心情だったりとか物語を中心にしてたのが、
その辺のものにだんだんなっていくんですね。
庶民生活、目の前にあるものを題材に拾ってこないと、
たぶん題材が尽きたのかわかんないけど、
武士とかもやるようになるんで。
そうなんだ。
第1話でお話ししましたけど、
基本的に文化っていうのは何かを踏まえるわけですよ。
武士は誰を踏まえましたかって言ったら、
禅宗のものも取り入れたけど、
クゲのものを踏まえてくるわけ。
武士のものを今度庶民が取っていくみたいな段階を進んでいくじゃないですか。
だからクゲの遊びは武家の遊びになっていくんですよね。
お茶もそうでしたよね。
で、この歌合わせの中で、
その辺にいる職人のことを歌にしたっていう回が登場するんですよ。
職人のことね。
で、71番ってなってるうちの37番目に
豆腐売りが登場します。
一緒のページに見開きで出てるんですけど、
右側に豆腐売り、左側にそうめん売りっていうのが。
これね、さっきの資料っていうのは。
そうですね。興味があったら71番歌合わせでググっていただくと。
それと豆腐ってやるとより出てくるかな?
絵が出てくるので、興味があったら見ていただきたいんですけど。
これね、右側に女性が黒い服を着て、
ツキンをかぶって座ってます。
で、これおそらくね、道だと思われます。
筋ですね、道路ですね。
で、ここで豆腐を板の上に乗せて売っていると。
女性から見て右側の方に、おそらくこれ箱ですよね。
30:01
箱だね。
たぶんこの中に豆腐が入っていて、
保存しているのか持ってくるのかに使ったと思われます。
で、左側には四角い立方体が4つ並んでますね。
そうだね。
板の上に直置きですよね。
直置きだね。
はい、豆腐ですよね、これが。
ほんとだね、豆腐だね。
よっぽど硬いですよ、今から比べると。
そうね、四角だね。
で、これちょっと僕の類推じゃないですけど、
読んだ本だと、女性の身長とか当時の平均身長から考えると、
豆腐を乗せている板が大体このぐらいのサイズだなーって予測がつくので、
じゃあ豆腐1個ってのは10cm×15cmくらいかなーみたいな感じに書いてましたね。
ああ、そうなんだね。
ちょっと大きいくらいですよね。
このなんかちょっと台形っぽくていうか、
なんていうんだろうね、4つあるうちの奥の2つがちょっと斜めにパースとってあるじゃん。
下フラットなのにさ、上斜面じゃん。
斜面斜面だからこれひっくり返して重ねたら1個になるのかね。
ああ、可能性あるね。
だって、昔の絵だからこのパース狂ってるのかなっていう、
平行に描けてないのかなと思ったけど、台と箱はしっかり四角なのよ。
遠近法も。
あっちこっちパース狂ってるけど。
けどなんか豆腐だけ明らかずれてるんだよね。
ああ、そうなのかな。俺そこは気づかなかったな。
これは単純にパースのずれかなと思ってたけど。
と思ってたけど木箱とかはさ、平行で図面の描き方通りに近いものに描いてあるのにさ。
すごい。
豆腐だけなんて明らか形もサイズもさ、パラッパラに描いてあるじゃん。
あれ遠近法じゃないのこれ?違う?
いやいや、奥の二つは基本並びだからさ。
描き方としては平行に描くべきだよ。
かもね。
そう思ったんだけど、とても悲しい話なんだけど、
木箱の辺と同じ平行ラインで描くじゃない。
そうですね。
けど奥の保管してきた弁当箱みたいな木箱もちゃんと平行で描かれてる。
そうだね、本当だね。
なのに豆腐は斜めてるのよ。そこだけ斜めてる理由は何っていう。
なるほど。
だからちょっといびつな形だったのかなと思って。
かもしんないね。
ちょっとその当時がどんなだったかまではわかんないですけどね。
変なとこ気になっちゃった。図面を見てるようで。
これ1500年の歌わせの記録らしいんですよ。
1500年だから室町時代ですよね、しかも後半。
もう戦国時代入ってる頃かな。
ちなみにそこに書かれてる文字が豆腐売り、タイトルで豆腐売りと書いてあって、豆腐めせ、奈良より登りて走路。
豆腐めせ。
めせって読むんだこれ。
33:00
左から2番目、上が奈良よりですね。
ごめん、全然読めん。
行書で書いてあって読めないですね。草書かこれ。
草書だね。
奈良より登りて走路。豆腐めせってのは召し上がれのめすですね。召し上がれって。
そういうことなんだ。
豆腐いかがですか、奈良から来ましたみたいな。
奈良の奈は読めたわ。
これ売り子さんの売り言葉を書き起こしたんじゃないかなっていうものですね。
ちゃんとあったんだね。
これね、どうやらこの豆腐売りがよく出没した場所は町中にもたくさんいたらしいんです、京都の中では。
と同時に門前。
門前?
お寺の門前。
お寺さん買ってくれるっすよ。
ああ、そういうことね。
精進者なので。
確かに。全部が毎日毎日作るのも大変だしね。
これはもう一つ言えることがあって、先ほども言いましたけど、イシウスが全家庭に行くのって大変じゃないですか。
豆腐も毎日作れないじゃないですか。
豆腐を作る人が出てきて売るというビジネスが発達したよということですよね。
ビジネスみたいなのの原型は鎌倉時代に出てきたよって話をどこでしたんだっけ?お寿司だか?
おお、お寿司の経済目線あたりじゃない?
江戸時代の話をする前に鎌倉のあたりから一回遡ったことがあると思うんですけど、
その時あたりにちょうどビジネスみたいなお酒を作って売るとか。
酒で売ったのかなこれ。
俺も覚えてないな。
そういう時代があったんですよ。
集約した方が便利よねっていう社会構造が変わってきて、その中に豆腐もちゃんと乗ったんで、いいタイミングで広まっていったっていうのがこの時代背景ですね。
今日はこの辺にするんですけど、これがぐいっと江戸幕府、江戸時代に入っていって、1話目の豆腐薬治に繋がる。
そうなの?
ただですね、この豆腐っていうのは僕たちは今回代替肉として始まったという文脈からストーリーを眺めてきてますよね。
ってことは代替肉が必要だということは肉を食わない前提になってくるわけですよ。
僕たちは日本人としてほとんど肉は食べない生活をしてきましたよねって思い込んでますけど、実は食べてる。
食べてる?
がっつり食べてる。
がっつりなんだ。
結構がっつり食べてる。
味噌汁で味噌玉の話して戦いに行く時に味噌玉持ってくみたいな話しましたよね。
しめ縄を味噌で煮しみこませておいて鍋に突っ込んだら味噌汁になるみたいな。
あの時現地でうさぎや生地を取って入れて食べてる。
36:02
具材として。
具材として。
1話目でちょっと紹介した料理物語1643年。
もう完全に江戸時代始まって元禄時代です。
この料理物語には獣の部というのでちゃんと獣を使った料理が出てる。
出てるんだね。
普通に食べてる。
じゃあこの肉を食べなくなる。
もともとあるんですよ。
肉食禁忌の思想考え方が日本でどのように始まって。
日荘貿易あたりで禅宗とくっついて江戸時代でどのように変化をして最終的に一般庶民にまで浸透したのか。
この一般庶民が肉食をしなくなる。
今のベジタリアン的な動きをした瞬間が豆腐がドーンって跳ね上がる瞬間とほぼほぼ被るので。
そういう意味で次回は日本における豆腐が没航する前の肉食と商人的なものの思想の変化っていうのを勉強したので。
まだ書いてないですけど。
アンデーちゃんまだ書いてる。
本は読み終わってノートもちゃんと取ってあるので。
それを今から文字をこうして台本にします。
その目線で一度見てみようかなというふうに思っています。
肉食か。ついに触れるね。
気になってるとこ。
これみんな気になってるじゃない。
気になってる。
今回豆腐ね。本気で豆腐オンリーでいくとこんなに長引かないはずなんですよ。
そうか。
脱線したけどね。アンチャーのところで結構脱線したりとかしたけど。
じゃあこの肉食近畿の日本食の文脈とかその後のタンパク質の話とかしますけど。
これをシリーズで切り出してもまずでタイトルで聞かない人いるんですよ。多分。
確かにね。
独自ちゃうと。
でもせっかく豆腐でこんなに密接に関わってくるんで。
これはあえて豆腐シリーズの中に豆腐の文脈から眺めたい。
聞く人はリスナーさんいそうだけどね。
そこ興味あんのっていうとこ突っ込むからね。
けど入れた方がわかりやすい。
今回僕も興味があって気になっちゃったから。
次回そこに行ってみようと思います。
じゃあ今回はこの辺で終わりたいと思います。
ありがとうございました。
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