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お聞きの皆様、おはこんばんちは、現役リフォームプランナーの寸尺かんなです。
今日は、私の履歴書シリーズを一回中断してですね、仕事というものを、私がどう捉えているかということを整理したくてですね、ちょっとその話をしようと思います。
今回、意図せず、私の履歴書シリーズみたいなのを始めてしまったんですけれど、これのタイトルを好きなことを仕事にしたはいいけれどっていうふうにしまして、
本当に憧れてやまなかった会社、そして絶対好きだと思ってね、参入したインテリアっていう業界、そこに入って、そこでね、いろいろあったっていう話をずっとシリーズにしてるんですけれど、
聞いていただいた方はわかるようにですね、全然、山あり谷ありというか、純風満帆だったわけでも全然なく、憧れて入ったわりには、しけた職場だったりとか、
まあそういうね、あの底辺から始めたみたいな話をね、今はまだしている最中なんですけれどね、ここからなんかもう大成功して、なんかもうすごいサクセスストーリーをするなんていう話にはもちろんなりません。
本当にもうドタバタとしてて、全然順調だったわけでも、どんどんね、もうここから上昇気流でもうすごいことになるみたいな話じゃ全然ないんですけれども、だからこそ面白いかなと思って、ちょっと配信してみたりしてるんですよね。
仕事っていろんな側面があるなぁと思うんですよね。もちろん生きていくためにね、生活するために稼がなければいけないので、そのための仕事っていう側面とやっぱりやりがいがある、自分の生きがいのためにっていうその側面もありますよね。
そしてもう一個がですね、やっぱり自分がその仕事が好きかとか嫌いかっていうことじゃなくてね、才能があったっていうのがありますよね。
これはね、あんまりその側面ってあんまりみんな言わないんですけれど、例えば今話題の大谷翔平選手、あの人とかが本当にね、生まれてある時期からもう野球が好きで好きでたまらなかったかどうかはちょっとわかんないですよね。
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ちなみに大谷選手のこと全く詳しくないので、あのちょっとね、あの例えが悪かったかなって思うんですけど、大抵はね、やっぱり親のもくろみだったりすると思うんですよね。
あの絶対にこの子をちゃんと有名なね、スポーツ選手にしたいっていうもくろみがあって、で、まあやらせたら才能あったっていう感じだと思うんですよね。
なので、それをね、やってる、英才教育を受けている本人がですね、自分から自ら選んでやるには遅すぎるんですよね、ああいう世界って。
もう本当に早ければ早いほど、始めるのが早ければ早いほどいいわけなんでね、特にスポーツとか、そういったね、英才教育は。
なので、あの大谷選手がですね、あのもう自ら僕は野球がやりたいんだって言って始めたのではもう当然遅いので、
まあとっくに親が仕組んで、で、もちろん本人も才能があったので、もうね、それでああいうふうにあの、あのどんどんどんどんあの伸びていったんだと思うんですけれど、
あの結局ね、あの才能があった場合っていうのはもう、あの才能をそのね、与えられた本人っていうのは、好きか嫌いかじゃなくて、もうやるしかないっていう状態になっているはずなんですよね。
あの実はですね、私の母親は非常にあの、あの才能のある音楽家なんですよね。
で、あの、あのこれ本当自慢でもなんでもなくて、で、私の母は本当に辛かったらしいんですよね。
たまたま子供の時に与えられたらある楽器をやってるんですけれどね。
で、その楽器をやったらたまたま才能があったので、もう親からの期待と、でもその地域社会とかからのね、期待も一心に背負ってですね、でも結局あのね、もう海外で留学もさせられて、でまあ今それなりにあの体制はしてるんですけれど、
これは本人が別に望んでやったというよりはですね、もうそのようにね、周りも期待しているし、で自分も素質があるからどんどん伸びていく結果、もうそれしか選択肢がどんどんなくなっていって、
で、おのずとそっちに行って、まあ結果うちの母の場合はある程度成功を収めることができたんですけれど、これもですね、もう何人もですね、母よりもっと才能があった人が、
まあ途中で、まあ才能がね、枯渇して、まあ二十歳になった時にはね、もう全然ダメになってたりとか、もうメンタルがね、やられて、まあ本当にね、こう英才教育ってもうめちゃくちゃ厳しい競争を強いられるので、もうまずメンタルがね、壊れる人とかっていうのもたくさんいるんですよね。
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なのでせっかくその楽器を弾く才能は授かっていても、そういうやっぱり心がね、強くないとダメとかね、いろいろあってですね、これもだから才能があれば良い悪いではないっていうのがね、母は自分自身が非常に辛い子供時代を送ったためにですね、あえて私にはもうその道は進ませたくなかったって言ってましたね。
これ単に私が才能なかったんでね、まあそうやって慰めてくれてるのかもしれませんけども、まあでもね、多分本音だと思うんですよね。
あと私が大好きだったね、古い漫画なんですけど、工事園っていうね漫画があって、愛原工事っていう人が書いてる4コマギャグ漫画なんですけど、これのね一つに八百屋、確かね八百屋の店先におじさんが座ってるんですよね。
でそのおじさんは、実はもし物理の世界に進んでいたら、ノーベル賞を取っていた偉い学者になっている、だがそういう機会がなかったので、今もずっと八百屋をやっているっていうね、横にこうナレーションが書いてあって、ひたすらその4つの4コマのね、漫画にはその八百屋の店先にただおじさんが座っている絵が書いてあって、めちゃくちゃ面白くて、
これ本当にその通りだなぁと思って、いつもねこの漫画を思い出すんですよ。つまり誰でもこのおじさんと同じようにですね、すごいポテンシャルをね、すごい才能を何か持っている可能性があるんだけれども、それと出会わなければ別にその才能って開花しないまま眠ったままなんですよね。
なので、若い子供の時にちょっとでもいろんなことを試させて、何か一つ才能が開花するんじゃないかってね、それは親が子供に期待してしまうっていうのはね、やっぱりわからなくはないですよね。
やっぱりそういう才能がもし眠ってた場合に、それをやっぱり発見してあげて伸ばしてあげた方が本人のためになるだろうと、やっぱり思ってしまうっていうのは、それはね、やっぱり人間としてわからなくはないなって思うんですよね。
とは言ってもですね、結局のところ、その八百屋のおじさんが物理の天才の可能性があるっていうケースは、まあ実際はね、まれで、あのやっぱり代々ね、やっぱり遺伝とか育った環境とかね、残念ながらそういうことで決まっていくっていう部分はもうすごく大きくて、
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代々有名な作曲家、例えばモーツァルトとかベートーベンっていうのは八百屋の息子じゃなくて、ちゃんとすごい才能のある音楽家のうちの子供なわけですよね。
そんなのやっぱり自然発生的に突発的に、そういう人は出てこないし、太谷選手も当然スポーツマンの両親の間の子供で、ちゃんと太谷さんは今度結婚しましたよね。またやっぱりスポーツマンの女性を選んでますよね。なのでちゃんと次も優秀なスポーツマンを継承させていこうという気満々ですよね。
そういう感じでですね、才能っていうのはもう本人にはコントロールができないもので、またそれを授かった人は好きとか嫌いじゃなくて、その才能をやっぱり最大限に遺憾なく成長させて、体制させていくっていうことが生きるミッションになってきちゃうんですよね。
これは例えば太谷選手を見ている限り本当に野球好きで、本人の意思で今は一生懸命頑張られていると思うし、うちの母親も結局はこの仕事が自分に向いていて、演奏する楽しみ、演奏を聴いてくれる人のためにみたいなね、そういうふうになりましたけど、
それも多くの人が挫折したり、やっぱり嫌になって辞めたりとか、辞めたくなかったけれども、それこそ野球選手の場合は怪我をしてもう選手を辞めなきゃいけなくなったり、いろんなことがあってですね、そんな平坦にね、才能があったからってめでたしめでたしっていう、そんな単純なものでもないわけですよね。
ちょっと話をですね、ちょっとどんどん広げすぎて、ちょっとね、あのどういうふうに収集つけようかなと思うんですけれど、その仕事っていうところにね、もう一回ちょっと戻るんですが、つまり生きていくための仕事、好きだから挑戦したいやりがいの仕事、そして才能があるからその道にいるっていう仕事っていうかな。
この3つの側面があってですね、突き抜けて才能があるから行くっていうね、人はまあ選ばれし人たちっていうことでね、ちょっとね、それは必ずしも本当に選ばれし者じゃない人からすればですね、
ここの人がとても眩しく羨ましく思うかもしれないが、そうでもないよっていう話をちょっとそこに時間を取りすぎたんですけれど、あの何て言うんですかね、この一生懸命生きるために仕事をするっていう部分と、そして好きだからやってる仕事っていうこの2つはですね、私ね、融合できるんじゃないかと思うんですよね。
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だからちょっと大谷選手の話とかちょっともう置いといて、ここまでの天才っていうのはもう、天才の中でもまたね、天才にまたさらにね、上には上がいるので、この人たちのちょっとこの天才の話はちょっと置いといて、
凡人の中でもですね、凡人っていうか、その凡人っていう言葉が良くないのかな、もうやめましょう、人をね、天才と凡人とかなんとかって言ってランクで分けるのやめて、
たまたますごい天分の才能をね、たまたま持っていて、しかも運良くちゃんとその才能を見出されて、職務につけている人はちょっと置いておいて、普通に生きてる、そこまで好きなことにもめぐりあえてなければ、
そこまでなんかも自分が人よりも、誰よりも上手くできることがね、もうすでにそのあるわけでもなかった人、でもね、これはあの生きていくための仕事と、ちょっと自分が好きだとかね、ちょっとこれは人より少し得意かもしれないみたいなね、
だからこの3つの配分っていうのは、それほど明確に分けなくても、自分である程度ね、自由にそれぞれね、配分できるんじゃないかってちょっと私は思うんですよね。
なのでその全くやりがいはないけれども、食べていくためにやらなきゃいけない仕事、それと本当はとても好きだし、やりたい仕事なんだけれども、これをどうやって、これですぐに成形を立てられないから、これを副業にするのかしないのかね、またこれに才能がどれぐらい必要か、
どれぐらいその才能をやっぱり伸ばすために覚悟が必要かっていうね、そこまでその白か黒かっていうね、そこまで煮詰めなければいけないのかなって、ちょっと私は思ったんですよね。
あととても大事なことが、結局この生きていくための仕事、好きな仕事、そして才能を授かっている仕事っていうこの3つの側面と、あと本当にここがね、バランスが難しいのかなと思ったのが、承認欲求ですよね、あと自己肯定感。
こういったことが結局多分ね、その生きていくためだけの仕事っていうところに偏ってくると、ここがね、もう著しく下がってきちゃうんでしょうね。
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なので、より一層そのやりたい仕事、あとその好きかもしれないと思っている仕事、そっちの方に対する憧れとか、またそこで早く物になりたいっていう、その焦りみたいなものがね、余計出てくるのかなって思うんですよね。
だからね、これはこの自己承認、自己肯定感か、自己肯定感をどうやって高めていくのかってなると、これはやっぱりこの日頃の仕事をどこまで自分がある程度できるなというところまではね、やっぱり持っていかなきゃいけないのかなとか、
ちょっとこれに関しては他の人よりちょっと私の方ができるかもしれないなっていう部分をやっぱり作っていくとか、そういったことはね、とても大事かなとは思うんですよね。
なので、ここは明確に本業と副業って言って分けるっていうよりは、たとえその一つの職業の中でもですね、ここの3つの配分、だから食べていくための仕事を、ちょっと好きでやってみたい仕事を、そして自分が初めから才能が人よりもある部分、ここの配分というのは人それぞれバラバラかもしれないんですけど、
ここのバランスをちょっとね、人それぞれ工夫しながらやっていく。好きなこととか得意なことをやっている方が当然自己肯定感も高くなるし、それによってみんなから褒められるし、そうなると承認欲求が満たされるっていうのがあるので、
やっぱりその辺のバランスは、でもこれはね、何も大谷を目指さなくてもですね、そこには行けるんじゃないかと思うんですよね。そのためにはやっぱり日頃の仕事を一生懸命やるっていう、結局ね、すごい正論に行き着いちゃいましたね。
ダメですね、これね。面白くもなんともないなと思いました。
とりあえずね、ちょっとうまく考えをまとめられなかったんですけれども、今日はこれで終わりにします。ごきげんよう。