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2025-01-27 25:29

仕事の質とか人生を豊かにが皆に刺さるわけではない

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サマリー

このポッドキャストでは、仕事の質や人生の豊かさについて議論され、全ての人にその重要性が必ずしも伝わるわけではないことが強調されます。仕事に対する熱意や価値観の違いがある中で、豊かな人生をどのように築いていくかという問いが提示されます。エピソードでは、仕事の質や人生の豊かさが全ての人に共感されるわけではないことについて論じられています。また、忍耐と我慢の違いや、自己の満足を追求することの重要性にも触れられています。

仕事の重要性と価値観
シゴクリラジオ
こんばんは、シゴクリラジオの大橋です。今回もシゴクリラジオを始めていきたいと思います。
今回のテーマは、仕事を高める、仕事の質を高めるとか、人生ですよね。
ちょっと重いかもしれませんが、人生において、自分が生きる人生においての仕事の重要性というのは、みんな高いわけではない。
誰しも自分の仕事を誇りを持つとか、いろいろやりたいことやるとか、自己実現とか、いろいろあると思うんですけど、
そういうのは価値観だなというふうには僕は思ってまして、そのあたりですね、社会との連れみたいな、そんなことを少し話していきたいと思います。今回もどうぞよろしくお願いいたします。
はい、シゴクリラジオの大橋です。今回のテーマはですね、仕事というものですね。みんな重要視しているわけじゃない、もしくはみんな価値を置いているわけじゃない、そんな話です。
ちょっとややネガティブな問いかけかもしれませんが、どちらかというとですね、僕の立場はもちろん仕事クリエイターなんて名乗ってますし、仕事づくり、ビジネスづくりを支援する立場なので、支援というとちょっと大げさなんですが、
一緒に手伝うみたいなぐらいではあります。一緒に手伝うみたいなところを見ていくと、自分がやっているわけじゃないんだけど、お客さんのものをどうすればいいですかねって、ああだこうだ考えていくというところです。
ちなみにこういうふうに言うと、簡単なんだねみたいな楽なんだねみたいなことをもしかしたら思われるかもしれませんが、楽なんだねと思われている方は相当きついんじゃないかなということだけお伝えしたいと。
このあたりの企画的な話とかは、言葉にすぐしづらいぐらいいろいろあるかなと思います。別に上からでもなく、簡単そうだなと思われて、要は費用が安いとか、もしくは自分なら簡単にできそうだと思ってもらえるのは全然いいんですけど、
結構やるの大変ですよねっていう。要はすぐできるようなものではないっていう感じもあります。だからやるなとか、ビジネス支援するのとか、そういうことじゃないんですけど、結構いろいろ考えなきゃいけないっていうのはあるよねってそこにやるなとかそういう意味ではないんだけど、あるようなぐらいの感じはあります。
話を戻しまして、当たり前ですけど、お客さんとなる人とか、僕の中でお客さんになる方とかは、何か考えてどうしたい、こうしたいっていうふうに、ある種の熱量があったり、何か変えていって少しでも形になるようなものにしたいというわけ。という意味では、仕事への熱量が高いとも言えるわけじゃないですか。
でも、リスナーのあなたもですね、ご自身もしくはご自身の周りの方でどういう方がいらっしゃるかによるんですけど、みんながみんな自分の仕事を高めていこうみたいなね。よりよく生きよう、ウェルビーングなんて言葉が今また流行りつつあると思ってるんですけど、なかなかね、刺さらないというか、違う方もいらっしゃるかなと思います。
それをですね、否定しているわけではなく、違うなというわけですよ。この違うなって大事で、社会として、社会的に見たときにですね、僕のように何かやろうよっていう人もいれば、そんな別にやらなくてもいいじゃんっていう天使と悪魔の脳内会議じゃないんですけど、あるような気がします。
で、僕も楽して、楽っていうのは何もしせずに、左打ちはと言いますか、勝手にこれが入ってきて、空を見てだけで生きていけるみたいな。仮にそういう状態があるとして、なってないですよ。なってないですけど、あったとして、それ面白いのかなって思うわけです。
で、そうすると、金持ち党さん、貧乏党さんっていうね、ロバート清崎氏の本がありますが、あれはネットワークビジネスみたいな、あと不動産ビジネス。で、なんか、不労所得だよみたいなね、出てくるわけですよね。
で、不労所得ってことが怪しいですし、結局資本を回すみたいなのって、めちゃくちゃ資本主義的な考え方なんですよね。
で、投資してる人とかね、不動産オーナーとかね、経営者とか、そういう投資してる人を別に非難してるわけでもなく。
で、それでお金が貯まって回せるようになった時に、何やるんだろうなっていう話なんです。ファイヤーとかもそうですし。
で、それが悪いとまだ言ってないですよ。まだまだ言ってないです。悪いというか価値観が違うってことで、じゃあその先何やるのって言ったら、コンサルト漁師みたいな話、逸話をもしかしたらご存知の方がいるかもしれませんが、ものすごく簡単に言うと、
バリバリ稼いでるコンサルト漁師とか田舎村の漁師と会った時に、いろいろ船を大きくするとか、たくさんの魚を釣って、たくさんの人を雇って、儲けませんかと。私はできますよという偶話みたいなやつですよね。
それを聞いた漁師が、いや別にそんなことしなくても今やってるよと、いろいろ豊かだよと。結局はお金を集めて何するんだって言ったら、ビルを建てて楽してリゾート地でみたいなこと言ってたら、それだったら今やってるじゃないかと。
別に今魚を捕って暮らして日々自然に夕日を見たり、風を浴びたりやってるじゃないかみたいな話をして、はい終わりちゃんちゃんという話なんですけど、まさにこの通りなことを言いたくて。
資本主義でお金だけを追ってるという人はやはりそこら辺の罠にはまってるような感じがしますよね。だから別に僕は罠にはまってないとかそういうことを言いたいわけじゃなくて、お金大事だと思うんで、いらないとかお金全くいりませんとか、それも全くないですけど。
結局詰めていくと人生の豊かさは何かウェルビングみたいなことになっていって、あなたは今何をやりたいかというか、何をやっていきたいですか、どうしていったらいわゆる豊かになりますか幸せですかと。
個人の生き方と社会の関係
例えば文房具が好きで文房具に囲まれたい人は、やっぱり文房具に囲まれる空間を作った方がいいし、それを発信していった方がいいし、それで生きていった方が多分僕はいいと思うんですよ。
人が文房具なんて言ってもしかしたら思うかもしれない。文房具の対象をたまたま具体的に挙げてるだけですけど、ここは深い意味はなくて。
そういう時に思うのが、さっきのコンサルト漁師の話でもそうですけど、ウェルビング、心が豊かであって自分が満ちてたらいいんだよね。
宗教っぽいとは言えないんですけど、悟ったりとか、ある程度人生経験をしてたどり着くという類だと思うんですよね。
僕がたどり着いているとかはもちろんないですよ。少なくとも社会の皆様がすごい高い志を持って生きているという風には捉えていないというだけです。
なぜかというと、僕が仮にそう思っていてもそうじゃない人はいくらでも見つかるし、もしくはそういう方と出会う時に、自分の仕事においてはそうじゃない人とやる。
自分は志が高かったり、やろうとしている人だから、最初からポジティブなわけです。でもそうじゃない方を教育してと言うとおかしいですし、変えていくなんて僕の仕事ではないというか、僕はそれはやらないというか、正確にはやれないですよね。
そういう方にご自身に置き換えてほしいんですけど、買う気がない人を買う気をさせるって結構大変じゃないですか。それって押し売りになりませんか。そこの押し売りにさせずに興味を持ってもらうとか、テクニックやコミュニケーションを磨くのもありなんですけど、それをあまりにもやると虚しくなるわけですよね。
自分がこんな商品サービスを売ってるんだろうと、やってるんだろうと、別に相手も喜んでもないし、後で買わされたって思わされて、何も幸せにならないというか、豊かならないというか、要は感情が動かないというか、感動しないとか、心が動かないとか、気持ちが伝わってないというか、なんか虚しいなみたいな。
みんながみんな営業してるじゃん。そうって話じゃないですよ。だけど、なんかそういう面あるわけですよね。そういうことを考えていくと結局、想像性クリエイティビティみたいな話になるんですよね。
今日は自分が、四国理ラジオでも何度も言ってますが、心からじゃなくてもいいですよ。だけど、少なくとも楽しいとか面白いというような感じるものに対して、アクション撮りをやっていかないと、心がですね、錆びつく感覚があります。まさに。錆びてくっていうのは、心が動かなくなって、いいなっていう話も、
ちょっとしたね、ほんのちょっとした些細なことで、今日は晴れてるからいいなっていう、それぐらい。そういうことにも喜びを満たせなくなるわけですよね。心が鈍感になるっていう感じですか。閉じていく。
資本主義じゃないですけど、働いて仕事してお金をもる、いわゆる賃金労働というのですけど、いろんな立場の方がいるから、それを働いて終わってお金もらって、お金のためにやってるから別にね、そこに高めようとか、こういうふうにしていったらいいっていうのは、一部の優秀な方々の、意識高い方々の話なんでみたいな人もいらっしゃると思うんですよね。
そういう時に、端的に言えば、人集団、日本でもね、たくさんのいろんな人がいるから、話が合う合わないはあるわけですよね。性格とかもあるし、性格が全く違っても話が合う人もいるわけじゃないですか、タイプが違っても。面白いなーって思うんですよ、僕は。割と面白いと思ってるんで。
優勢しそうじゃないけど、考え方を植え付けてやるとかね、そういうのはあまりなくて、ただですよ、合わない人たちと一緒にいてストレス溜めてしまうのもほんま先頭なわけじゃないですか。だからそうじゃないようにしていくし、いろんな気持ちのいい場であったり、自分も気持ちよく生きたいというところがあって、
喋ってるし、そういう人たちと関わりをつけたいというところがあったりします。長くなりましたけど、だからこそ、話をしたりして、仕事を高めるとか、仕事じゃなくてもいいですよ、プライベートでもいいし、なんか面白いよねっていうところがない。
僕が感じられない、もしくはそういうのを否定されるっていう方もいらっしゃるわけじゃないですか。なんか面白いとかそういうのじゃないよっていうね、いつもいると思うんですよ。そうなんだけどね、みたいになって、その方と積極的にコミュニケーションを取ったら、そういう組織とか団体となんかやろうってならないじゃないですか。
これが結局積もり積もって、結果的にですよ、そういうより気が合うというとね、感覚だけでやってるって思われるかもしれないんですけど、むしろ感覚が大事なような気がします、そういう時に。説明できなくてもいいという。
あとで説明して、こういう傾向の人と後で気づいて付き合いが長いとかね。なんかそういうのはあると思うんですよね。説明できない?ありませんか。人間関係と説明しづらくないですか。
だから、割り切って社会との接点をなくして自分の楽園みたいなのを作ればいいんだみたいなのは全くないんですよ。ここら辺がもしかしたら僕の持ち味かもしれませんが、とはいって別にね、人生を考えて高めていかなきゃいけないとかね、社会に貢献しなきゃいけないとかね、そういう粘らない論はないんですよね。
でも僕においては、そういうふうに、なるべくやっていった方がいいよねみたいなのはあるわけです。なぜなら結局ですけど、僕自身が一人で生きているわけではないですし、人間たるものですね、僕が個人として社会集団として生きている面で恩恵を受けているのは絶対あるわけですよね。
だから税金払っているから全部何やってもいいわけじゃないじゃないですか。犯罪もダメですし、反社会的にもダメですよね。そういうのが高く外れる。外れたみたいになっていたらそれはあかんわけですけど、そうじゃない限り、なるべくお互い気持ちよく生きていくと。
共同生活ではないですけど、という感覚はあります。だけど、それもいってもいろいろな事件もあるし、ニュースもあるし、事故もあるし、事故、事件ね、イレギュラーなこともありますし、逆に温かいエピソードもあるし、人と触れ合う心が温かくなる話もあれば、さまざまなものがある中で、
自分はなるべく考えて生きていきたいと、実行していきたいと、見ていきたいというところはあるなあと思っています。
僕なりの立場は蛍光牛号というやつですね。蛍光となるもん、牛号となる中でですかね。要はその鶏の頭、鳥の頭というか、要は小集団の先頭、要は自分の城を持った方がいいという感覚ですね。
で、牛号、大きなものとかね、大きな集団の中の後ろにいるというね、例えば、わかりやすく言えば大手企業みたいなのがいて、そこで何かやるよりも、ちっちゃくてちっぽけな個人でもいいから、代表経営者とかね、やった方が僕はいいかなって思う感じです。
これは別に大手企業のお勧めの人に批判しているわけでもなく、生き方の問題という感じはします。だから大手企業の人に勤めて何かやっている人からすると、僕の生き方は真似できなかったりもしくはリスキーに移るかもしれませんが、それは逆のことも言えて、
僕から見ると、自分のやりたいことがやりなかったりもしくは材料があったりなかったりわかりませんけど、そういうごけないことに対してのストレスがあるので、自分の大事にしているポイントが違ったりするというところで、考え方の違いというのはありますよね。
仕事と人生の考察
丸くなったということはないんですが、僕は以前20代とかそういうところであれば、社会人経験が不足しているとか、もしくは人に会う量とか、思考量もあるのかな、わかりませんけど、結局偏見とか思い込みってあるじゃないですか。
行政とか大手企業だと安定志向の方も結構いらっしゃると思うので、そんなのはクソくらいだと言葉を選ばずに今思っていたんですけど、別にそれも必要だしというのは最近30代になっていて、いろいろあるなという。
だからいろんな方にいらっしゃいますよね。大手企業の中でもいらっしゃるし、みんな全部一緒くたにするのも良くないよなという。逆に小さい会社をやりながらも安定志向の人もいるかもしれませんが、ちょっと矛盾しますよね。
まあそんな感じで、いろいろな考え方とかあるよと。でもその中で、人の人様の人生や生き方をどうこう言うつもりは全然ないし、そんな立場にはもちろんないし、そんな立場の人はいないと思うんですけど、あったとしても先生と弟子とかかなり限られたところで、しかも今でさえコーチングとかいうところでいくと、
コーチが言う通りに全部従って言う時代じゃないですよね。一昔前は知らなかった、そんなことはないと思うんですけど、今はそんな時代じゃなく、自主性みたいなのを生ぬるく感じてしまう。
特に僕より上の世代の人は生ぬるく感じてしまうし、僕より下の世代の人はそれがスタンダードだし、その上で別に使えるものは取り入れていきたいというね。これが今のスタンダードじゃないかなとは思いますが、みんながみんなそれを仕事においてとか人生においてですね。
仕事だけ人生じゃないんですから、仕事は最低限のことにしてという考え方もありますよね。でも今のところ、どうしても時間というのを何に使うかみたいなことを詰めて考えていくと、結局時間があればお金があれば何でもできるみたいなふうにもしかしたら思うかもしれませんが、
結局スキルとか何をやりたいかがなければ、ものすごく効率が悪いというか、ストレスですよね。続かないし実際学習として身につかないのでスキルになり得ないんですよね。やりたくもない仕事をやってください。お金はもらえますよ。時間も使えますよ。それで得たもので何をやるんですかという話になって、
それで我慢か忍耐かの話をいつかしたと思うんですけど、我慢だと本当にただ耐えるだけで、忍耐は何か目的やゴールがあるからできる。企業のために何かお金を貯めるんだということでやるっていうのはいいんじゃないかなと思います。一方でそれもある程度できたらその仕事を辞めたり変えるじゃないですか。
違うことをやって次はどうするかというふうに目標とかやることが変わっていくイメージが割とポジティブな感じがしています。なので忍耐でやっているのか我慢でやっているのかのチェックって結構本質的かなと思ったりしています。
仕事をみんな高めるわけじゃないよねっていうのは、そういう話をしているのは話が通じない人っていうのはやっぱりいらっしゃいまして、話が通じない人に遭遇した時にどう立ち回るかっていうところが求められるというかあるんじゃないかなと思っています。
僕はそのスルーというか関わらないっていうタクも全然あるし、そこをあえて関わっていく人もあってもいいし、違うアプローチで感性的にやるとかもありますけど、
結局出会ってしまったご縁みたいなところでどうするかっていうのをうまく処理できる人もいれば、なかなか苦手な方もいらっしゃると思うので、このあたりが実はポイントなんじゃないのかなと思ったりします。
要は社会の見方ですか、ちょっと漠然としてますが、要は他人とかもしくは人への興味と言ってもいいですし、じゃあ今回話を取り上げている自分と同じようなテンションで他の人が仕事をするべきだと思うのか、それともそうじゃなくていろいろあっていいよねと思うので、その人のやり方を尊重する。
それは結局干渉しないということになるので、ある種冷たいと思われるかもしれませんし、ここのあたりが人によって変わってくるかなと思ったりします。
というわけで、今回はゆるゆるという話になりましたが、とはいえ僕自身は仕事クリエイターと言っているので、何でそんなことを言っているかと言ったら、何度も話していないですか、分かりませんが、初めて聞く方もいらっしゃると思うので、
もう一回簡単に言っておくと、何かが生まれていく、0から1に生まれていく仕事が、こういうことをやってみたい、ビジネスをやりたい、何でもいいんですけど、何か自分がやりたいことがあり、もしくは提供したいことがあって、それを誰かに提供して、
それが特に物でもいいですけど、無形のサービスだともっと分かりづらいからこそ、それを考え、提供してお金になる、もしくは価値として、お金になるというよりはお金にしてくださいってあるんですけど、価値となって自分に返ってくる、もしくは喜んでいただける、当たり前なんですけどね、喜んでもらえなかったらそんなお金もらえないので、喜んでもらえるってめちゃくちゃ面白くないですかってことでやってます。
僕は面白いんですね。正解もないですし、こうすればうまくいきますなんて甘い話はありませんから、毎回考えてどうしていくか、そしてやったところで全部うまくいくなんてそんなものではございません。
うまくいかないというよりも、まずやってみて何を学んでいって次どうしていくかっていう繰り返しですかね。ここにおいてよく言われていますが、失敗とか成功という感覚はなくて、失敗と思わなければ失敗じゃないという、いわゆる成功へのフィードバックみたいな感覚って言っても、そういうふうに本当に捉えられてできるかっていうところがポイントになるので、ぜひですね。
いろいろ言いましたけど、ぜひ僕は聞いている方には楽しんでやってもらいたいですし、仕事もプライベートもとりあえず人生楽しんでほしいし、僕は全力でそういうのを楽しんで、全力でって言うとちょっと厚苦しいんですけど、それぐらい言ってもいいかなと思います。
それで少しでも楽しむ。今日というか明日からですけど、今日でもいいですよ、時間ないかもしれませんけど、1日寝る前に1個でもいいことあったな、なんか良かったなみたいなのがあった方が楽しくないですかっていうそれぐらいです。
まずは。それに慣れていくとそれが普通になりますから、さらに今度は自分は満足しましたっていうのも全然いいですし、余裕なければそれでいいんですけど、自分が余裕なければ1人構えようもないじゃないですか。
だからそうじゃなくて、自分に余裕ができたら話を伝えたりとか話聞こうかぐらいの余裕ですよね。
それが毎日絶対やれってことではないし、状況によっては全然自分で精一杯だって人もいらっしゃると思いますが、そういう時に自己犠牲とか苦しいからやめるとかいうことよりも、道路のような状況の時でも楽しむっていうのを忘れたくないし、僕は面白くやりたいなっていうことを改めて話をしてて思いました。
今回は以上となります。四国理ラジオ大橋でした。ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
25:29

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