2022-10-07 28:12

第317回【対談】旅は自分の価値観を変える~正義って何だろう?~(前編、ゲスト:株式会社地域会議代表取締役 上坂理さん)

社会保険労務士の田村が様々な業種で活躍する人の働き方や信条・哲学をインタビューし、新しい働き方を学ぶコーナー『教えて、あなたの働き方!』  

今回のゲストは、株式会社地域会議代表取締役の上坂理さんと対談します。

上坂さんは現在株式会社地域会議の代表を務めていらっしゃいまして、地方創生関連等の経営サポートやローカル経営人材育成塾運営、ビジネスマッチング等の事業をされています。田村が上坂さんと出会ったのは、以前ある公的機関で中小企業の経営支援のお仕事をさせて頂いていた時の同じ経営アドバイザーのチーフ(ボス)としてお仕事をされていたのがきっかけです。よく仕事終わりには飲み会に連れていって頂いたりと今でもお付き合いさせて頂いております。また上坂さんと私の共通点はバックパッカー経験者という事で、上坂さんもかつては世界各地を放浪されていました。

本日はそんな上坂さんから、バックパッカーでのご経験や今生活する上で生かされている考え方や価値観、またどのような経緯で今のお仕事に行き着いたかの、上坂さんご自身のキャリアについて是非ともお話をお伺い出来ればと思い、ゲストにお呼びさせて頂きました。


【ハイライト】

・千葉県南房総千倉での収録です

・上坂さんが地域の居酒屋や酒場を開拓される理由

・上坂さんがバックパッカーを始められたきっかけ

・旅に慣れてくると英語が板につくという不思議さ

・上坂さんのバックパッカー変遷(カナダ→アメリカ→ペルー→東アフリカ→中東→アジア etc...)

・地球の歩き方は〇〇だ!(笑)

・上坂さんの旅のスタイルとは?

・上坂さんの旅の気分を盛り上げる本、曲は?

・上坂さんが世界遺産や遺跡に魅了されたきっかけ

・上坂さんのバックパッカー中の印象的なエピソードとは?(ペルーでのテロ遭遇/エジプトでの電話局での思い出/シリアでクルド人と出会って)

・バックパッカーでの経験が今に生きている事(多様性を知る/常に流れる人生/人や価値観、情報は貴重な財産)


本エピソードの後編のリンクはこちらです。

https://podcasts.apple.com/jp/podcast/id1507714225?i=1000582550780


ゲストプロフィール:

上坂 理さん

千葉県船橋市のご出身です。大学在学中から海外40か国以上をバックパッカーで放浪されていました。

外資系音楽放送局、会計事務所・シンクタンク等でのキャリアを経て、中小企業向けのコンサルティングをご経験され、2006年より山口県の環境ベンチャーに経営参加され、地域経済の構造と課題を肌で学んだ後、2010年に独立されました。

地域商品開発、飲食店の立ち上げ・改善、Web・PR動画の制作ディレクション、インバウンド観光戦略、自治体向けの地域おこし等、企業のマーケティング全般に関して幅広く活動されています。趣味は旅、食事、酒場、フリーダイビングです。


番組で出てきた「ジパング少年」のリンクはこちらです。

https://mangapedia.com/%E3%82%B8%E3%83%91%E3%83%B3%E3%82%B0%E5%B0%91%E5%B9%B4-m4llcjjv8

番組で出てきた「深夜特急」のリンクはこちらです。

https://www.amazon.co.jp/dp/B00KLT3PAC


~お知らせ~

サニーデーフライデーは、社会保険労務士として活動する田村が普段のサムライ業という固いイメージから外れ、様々な分野で活躍する方やその道の専門家・スペシャリストと語るトーク番組です。


人生に前向きでポジティブな方をゲストとしてお呼びし、経営者や従業員として働くリスナーの皆様が明日から明るく過ごせて、心や気持ちがパッと晴れるそんな『働き方を考える』ラジオをお送りします。


話すテーマは社労士業、働き方改革、キャリア、海外駐在、外国人雇用、海外放浪等です。


パーソナリティー:田村陽太

産業機械メーカーの海外営業、社労士法人での勤務経験後、海外駐在員や外国人社員等のグローバルに働く社員が輝ける職場づくりを人事面からサポートしたいという想いで、社労士事務所を開業。海外駐在員や外国人社員の労務管理、外国人留学生・技能実習生の就労支援等、企業の国際労務・海外進出対応に強い。ラジオDJ、ナレーター、インタビュアー、MC等、音声メディアや放送業界でも活動。番組プロデュース、ポッドキャストデザイン等のPRブランディング事業も手掛ける。株式会社サンキャリア代表。


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社労士ラジオサニーデーフライデー
社労士ラジオサニーデーフライデー、田村陽太です。
この番組は、社会保険労務省として活動する田村が、 普段の侍業という堅いイメージから外れ、
様々な分野で活躍する方や、その道の専門家、 スペシャリストと語るトーク番組です。
本日も素敵なゲストをお呼びしております。
株式会社地域会議代表取締役の上坂修さんです。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
サニーデーフライデーに来てもらいました。 ありがとうございます。
上坂さんはですね、私のボスと言ったらあれなんですけど、
もともと千葉県の公的機関で、アドバイザーのお仕事をしていた時のチーフというか、
僕たちをおためてくれるバボッとしてお仕事をされていたという感じですよね。
そうですね。
上坂さんは、今、株式会社地域会議の代表を務めていらっしゃいまして、
地方創生関連などの経営サポートや、ローカル経営人材の育成塾運営、 ビジネスマッチング等の事業をされています。
上坂さんと私の共通点は、僕のチーフというかボスだったというのもそうなんですけど、
もともとバックパッカー経験者ということで、世界各地をいろいろとフォローされていらっしゃいました。
バックパッカーでのご経験が、今のお仕事にどうやって活かされているかというところを、
今日はぜひ上坂さんにお聞きしたいと思いまして、お呼びさせてもらいました。
今回どうですか?サニーデーフライデーのゲストにお呼びさせてもらいましたけど、
どのような今、心境でしょうか?
当時一緒に仕事をしていた時から、バックパッカーの話もちょっとずつしながら、
共通点がいろいろあったので、その辺を一緒にしっかりと語りたいという話をしていました。
今日は本当にお呼びいただいて光栄です。
僕以上にたぶんいろんなところに行かれていると思うので、
今日はどんな感じで回っていたのかというところを、当時思い出しながらお話したいなと思っています。
今日は収録の場所が千葉県の千倉に来ていますね。
南暴走市の千倉ってところだね。千葉の本当に先っぽ、千葉くんで言うとかかとのあたりなんですよね。
本当だから、海が本当に近いこの自然の環境の中で、ゆったりといろいろお話できればいいですね。
そうですね。収録前に海岸線を散歩してきて、意気揚々で今収録中みたいな感じでやっているので、すごい楽しみにしています。
植坂さんをまず自己紹介というか勝負回文を持ってきましたので、ご紹介させてもらってもよろしいでしょうか。
お願いします。
千葉県船橋市のご出身です。大学・在学中から海外40カ国以上をバックパッカーで放浪されていました。
外資系音楽放送局、会計事務所、シンクタンクなどでのキャリアを経て、中小企業向けのコンサルティングをご経験され、
2006年より山口県の環境ベンチャーに経営参加され、地域経済の構造と課題を肌で学んだ後、2010年に独立されました。
地域商品開発、飲食店の立ち上げ、改善、web、PR動画の制作ディレクション、インバウンド観光戦略や自治体向けの地域おこしなど、
企業のマーケティング全般に関して幅広く活動されています。
趣味は旅、食事、酒場、フリーダイビングです。
03:00
ということで、合ってますか?
合ってます。
植坂さんというと、いろんな酒を飲むところ、居酒屋とかを開拓されていると思うんですけど、
どこらへんの嗅覚で開拓されているんですか?
バックパッカーの話に共通するんですけど、
その地域が持つ空気感とか、そういうのがすごい好きなんですよね。
それが本当に体験できるのが酒場であり、
だから全国の酒場を必ず出張した時は、そのまま空身で帰らずに、
必ずその酒場で地元の人と飲むっていうのがね、これがやっぱり自分の生き方ですね。
その地でやっぱりいろんな話を聞いてね、
それが本当にまた仕事につながったりとか、
全然予期しない良いことにつながったりとか、いろいろあるんですよね。
本当に酒場ってやっぱりみんなが集まって、
そこでいろんな人がいろんな話をする。
生きた情報も手に入るわけだし、すごく面白いですよね。
旅って全部そんな感じなんですよね。
目的を持つ旅というよりも、やっぱり場をすごい楽しむっていうかね。
そんな感じですね、私の旅っていうのは。
確かにガイドマップのどこどこの観光スポット回るんじゃなくて、
そこで何かを体験するみたいな。
人と会って人と話すっていうね。
それいいですよね。
そこで居酒屋で飲んでる人っていろんな人が来てて、
その人たちもいろんなお話をされていて、
そこで見えるその土地の考え方とかっていうのもありますしね。
そこらへんっていうのがすごい楽しまれているとかね。
そうですね。
ありがとうございます。
ちょっと1個目の質問から進めにいきたいと思うんですけど、
上坂さん、まずバックパッカーご経験者ということで、
僕はすごいバックパッカーって親しみがあるんですけど、
もしかしたらリスナーさんとかもバックパッカーしたことない方がいらっしゃるかと思うんですけど、
バックパッカー始めたきっかけってどんなとこにあったんですか?
自分は80年代の高校生の時にですね、
初めて海外旅行っていうかバックパッカーが始まったのがきっかけなんですけども、
それまで小学生の頃からなんか洋画、映画すごい好きで。
映画の雑誌とか買って、やっぱりその洋画とかの憧れがすごいあったわけですよね。
それで高校生の時にうちの父親の会社の関係で、
カナダ人の家族と知り合って、
それで家族ぐるみで何回か交流して、
それでなんか洋画の世界が目の前にあったみたいな感じのね。
だからそれでやっぱ海外に対しての憧れっていうのがさらに強くなって、
それで高校生の時に花屋さんでアルバイトして、
時給600円くらい当たったんだけど、
半年くらい貯めて50万くらい貯めたのかな、それでもね。
すごいですね。
それでお年玉とか全部かき集めて50万くらいで、
それで初めて海外にカナダに行ったのが初めてですね。
そうなったんですか。
でもその時ってまだ80年代の半ばだから格安航空券っていうのがなくて、
まだだからHISとかああいう格安航空券売ってるところがなくて、
それで父親の会社の知り合いが香港の支社にいるので、
そこでチケット買ってもらって、
だから香港にまず行ったのが一番最初なんだよね。
06:01
香港から日本経由でカナダに行ったっていうですね。
それがだから自分の一人旅の初めてなんですよね。
だけどその時カナダの家族を訪ねて行ったっていう形なので、
それでもうやっぱ海外ってなんだろう、今まで憧れの世界だったのが、
当たり前のように現実が目の前にあるっていうね、
その楽しさというかそれに目覚めてしまって、
そこから高校も大学も推薦で受かったので、
正直ちょっとラッキーだったんですけど、
冬休みぐらいからずっと高校生活がブランクが空いてしまって、
またそこでバイトし始めて、それでまたお金貯めて、
すぐにだから大学生入ってから今度はもっとですね、
まさにバックパッカーの旅が始まったわけですよね。
大学生始まって2ヶ月くらい、2ヶ月半かな、カナダを回りましたね。
結構回りましたね。
アメリカにもちょっと入ったりとか。
その時はカナディアンロッキーで自転車を買って、
トロントっていうね、東海岸まで自転車で横断したりとかです。
カナダめちゃくちゃでかいですね。
めちゃめちゃでかい。1ヶ月半くらい。
いやーあれはきつかったな、でも楽しかったけど。
途中寝泊まりしてたことですか?
そうそう、もちろん。ユースホステルとか、YMCAとか、
なんかこう安い宿ですね。
そういうとこを転々と行ってた形ですね。
学生さん向けのYMCAとか。
1泊10ドルから20ドルくらいとか、
そんなとこばっか回ってましたね。
すごいですね。
英語とかで使えたんですか?旅行者たちが使って。
幸い英語をすごい好きだったので、
片言だけど、今でも片言だけど、
いやいやいや。
なんとなく通じましたね。
本当ですか。
なんかやっぱりその国にいると、
当たり前のように英語を喋ってくると、
それに慣れてしまうってのがあるよね。
話してるとその雰囲気だとか、
そんなんで英語もなんとなく覚えてきましたね。
確かにそうですね。
旅して実際使ってみて、
それが自分で口で出てくるみたいな。
なんかあれ不思議な感覚ですね。
あれ不思議な感覚だよね。
あれ?俺こんな喋れた?みたいな。
なんかアドレナリンがすごい出てくるみたいな感じですよね。
ちなみに大学1年生からばっか行ってきて、
国っていうのはどんなとこ回っていったんですか?
最初だから北米、カナダが高校生の時に行って、
その時アメリカも行って、
まただから次大学入って、
すぐにカナダにまた2ヶ月半行ってたわけですね。
夏休みね。
またその冬に、次の年にまたお金貯めて、
今度はですね、その時漫画で、
結構その時青年誌の漫画結構読んでたもんね。
その漫画の一つに、
ビッグコミックスピリッツって漫画雑誌があって、
それの連載してたジュパングボーイっていう漫画があって、
あらすじだけ言うと、
日本の高校生が、
日本の管理社会の拘束とかね、
管理社会がすごい嫌で窮屈で、
それでペルーに飛んで、
ペルーで金を掘るっていう。
飛んでもない話なんだけど。
ただそれがね、
09:00
すっごいなんかね、
その時の自分の同世代のね、
すごく感動してね、
それで自分もペルーも行くと思って、
それでだから次の年はペルーに行ったんですよ。
その漫画に習ってってことですか?
漫画にだから感化されて。
実際金は掘りに行ったんですか?
いやいやだから、
物語の舞台になったとことか、
ジャングル、
アマゾンのね、
支流のジャングルなんだけども、
そことかも行ったりとかしてね、
ほんとにね、
漫画そのままのを尋ねてあるんですよ。
じゃあカナダ一カ国目で、
次は二カ国目がペルーだったんですか?
そうだね、
アメリカ行って。
アメリカ行って。
三カ国ペルーですか?
三カ国目がペルーか。
そのペルーがねやっぱね、
バックパッカーのまた概念が変わったね。
それまでやっぱり北米は、
なんだかんだ言って先進国だし、
なんかね想像つくじゃないですか。
そうですね。
だからそんなに生活は変わらないよね。
だけどペルーは、
いやほんとに衝撃的だったね。
あの時、
特にね、
国が荒れてたんですよ。
そうですか。
でしょっちゅうテロが起きてて、
それで日系の藤森大統領が、
1990年の話なんだけども、
1990年で大統領になる時で、
一番国が荒れてた時で、
日本からの渡航自粛が出てたのね。
危ないじゃないですか。
だから日本から行っちゃいけなかったもんね。
どうしても行きたかったから、
だからまたカナダ行って、
でカナダでチケット買って、
トロントリマカンっていうチケット買って、
それでカナダから入ったのね。
あーじゃあカナダから来たからも、
そうそうそうそう。
カナダからだったら別に帰ったもんね。
そんな感じでだから、
カナダにまずまた、
2週間3週間ぐらいいたのかな。
それからペルーに行って、
でペルーに1ヶ月半ぐらいいたんだけど。
テロとか危ない目はあった?
いやめちゃめちゃ会いましたね。
会ったんですか?
会ってもうね、ほんと。
で言葉がまた通じない。
スペイン語でね。
スペイン語っすよね。
思った以上に英語喋らないんですよね。
あ、そうなんですか。
もっと英語喋ってくれると思ったんだけど、
だから全然英語も通じなくて、
でほんとなんかもう辞書とか、
その時まだ91年ですね。
1991年。
僕が生まれた次の年。
そうだよね。
その時は20歳、21歳だったかな自分で。
それでだからもう当然、
携帯も何もない、
情報がだから全部あの時って、
地球の歩き方っていうガイドブック。
バイブルですね。
もうあれだけで、
あれの情報だけで行ったわけですよね。
実際どうでした?
それ使ってみていいですか?
いやだから、
あれねバックパッカーやってる人間はよく、
地球の騙し方とかってね、
笑ってるんだけどね。
まあ要はみんなの口コミでできてるわけですよね。
ああそうですね。
で編集者もあれ多分裏あんま撮んないんだろうね。
だからその間違った情報とか、
もう今はなかったホテルとか、
もうだから潰れちゃってるホテルとか、
そんなのがまだすごい掲載されてて、
まあ当然ですよねそれはね。
更新されてないとね。
ああそうですよね。
で行ってみたらホテルなかったりとか。
安屋だってなかったみたいな。
あとめちゃめちゃなんか評価高くてね、
ここのオーナーすっごい素敵みたいな感じで行ったら、
めちゃめちゃ態度悪くなったりとか。
ああそれちょっと嫌ですね。
12:00
だからなんかその人の感想で書かれてたりするから、
だから結構騙されたっていうかねっていうのもあって、
あれとだから海外のブループラネットっていうガイドブックだとか、
英語のもねガイドブックだけど。
ありますね。
あんなのしか情報源なかったもんねほんとね。
その本読みながら人に聞いて実際こう回ってきてみたいな。
まだインターネットがなかった時代ですからね。
いやそうですよね。
ザ・ヒッピーみたいな感じですよね。
回ってみたいな。
それでだからやっぱペルー行って、
全然違う社会を見て、
ここからもだから先進国行ってもしょうがないなと思って、
それで次の年は今度アフリカに行って、
アフリカ行ったんですか?
アフリカ。
それからその次の年はアフリカの次は中東回って、
あとダジア各国だとか、
だからあんまりそのヨーロッパとか先進国行かなかったんですよね。
じゃあペルーからそっちの発展途上国の方に。
そうそうそうそう。
アフリカどこ行ったんですか?
アフリカ東アフリカでケニアから入って、
ケニア、タンザニア、ウガンダかな。
ちょっとエチュピアも入って、
4カ国行ったのかな。
あの辺の国ですね。東の国っていうか。
そうそうそうそう。
ちょいちょいずつ仕事でも、
社会人になってからも何回か仕事でも行ったし、
仕事で行って大体また休み取って、
1週間くらい旅したりとかね。
そんなのもしてたから、
何だかんだ言ったら40カ国?
41カ国くらい行ったのかな。
結構回ってますよね。
まあまあまあまあ行ったのかなって感じですよね。
各国回っていくじゃないですか、
旅のスタイルってどんな感じなんですか?
1日のスケジュールってどんな感じで回っていくんですか?
そうだね、でも完全に1人っていう時はあんまりなくて、
やっぱりその旅で、
そのゲストハウスで知り合った、
例えば日本人だとか、
現地の人だとか、
あとなんか現地のそのゲストハウスのオーナーとかが、
なんか案内してやるよみたいな感じで、
一緒になんか回ったりとかね。
だから必ずなんか人がいましたね。
完全に1人っていうのは少なかったかもしれないね。
そこで出会ってここに行ってみようみたいな感じで回っていくみたいな。
その時知り合った人と、
それがやっぱり楽しかったね。
地球の歩き方じゃ分かんない出会いみたいな。
その出会いがね、ほんとね。
アフリカで旅した時なんかは、
ちょうどね、それぞれバックパッカーで1人旅で、
ソロで卒業旅行に来てる人たちばっかりだったね。
だからその時大学4年生、
僕らだから大学3年生だったんだけど、
アフリカ行った時は、
大学4年の卒業旅行で1人で来てる人が多くて、
なんだかんだ大学生5、6人集まって、
一緒に旅してたりとかしてね。
不思議な感じですね。
でもその時のお友達が今でも付き合ったりするんでね。
本当ですか?
30年以上経っても。
だからすごいやっぱりその時に仲良くなったというか、
人生の友になったというかね。
そうっすよね。
不思議な感じしますね。
アフリカで絶対アップっているわけでもないんですけど、
なぜか分かんないけどこの宿で出会って、
それが30年くらい続いてるっていう。
だからすごい感慨深いというか、
感じしますね。
当時ね、地球の歩き方と、
あとバイブル的には、
沢木孝太郎って、
深夜特急ですか?
深夜特急です。
読んでました。
15:00
あれがまた旅の時に読むと、
妙に入っちゃうんだよね。
入っちゃいますね。
曲はブルースプリングスティーンとか、
U2とか、
ドラマチックな感じのね。
あの時はまだ、
何で聴いてたんですか?
CDウォークマン。
CD持ったんですか?
カセットだよまだ。
あの頃はカセットとCDウォークマンが出たぐらいだったね。
そう。
持って行って、聴いて、
で、電池無くなったりとか。
不思議な感じしますよね。
旅行してる時にあれ聴いてると、
俺旅してるなみたいな感じになりますよね。
だからちょっとね、
やっぱりこう浸れる感じでね。
浸れますね。
じゃあ上鷹さんの、
壁を掻き立てるやつっていうのは、
まず深夜特急と、
深夜特急とか、
旅行の曲で。
あと落合信彦って、
昔いたんですよ。
知らない?
知らないです。
落合信彦って、
今落合洋一って、
経済学生じゃん。
有名な人いるよね。
あれの、
お父さんなのかな?
そうなんですか?
昔ね、
国際情勢とかを、
すごいドラマチックに語ってくれる。
本もいっぱい出してて、
狼たちへの伝言だとか。
本当国際情勢の本ばっかり出してたんで、
あれも読み漁ってて、
社会を、
世界を知ったつもりになってたんだ。
情報機関だとか、
イスラエルのモザトだとか、
世界各国の情報機関だとか、
そんなのが書かれてたりとか。
それでだから、
世界の裏を知ったつもりになってたんだね。
お茶屋信彦と沢木孝太郎と、
あとは、
いろいろ小説を持って行ったりとかね。
本を読みながら浸るのも楽しかったですね。
そうですよね。
海外行くと、
そこで初めて知ることっていうか、
全然わからないこともいっぱいあるじゃないですか。
勉強力が高まりますよね。
もっとこれを知りたいみたいになりますよね。
あと、自分ね、
昔から遺跡がすごい好きで、
今でこそ、
その時まだ世界遺産ってあんまりメジャーじゃなかったんだけど、
だけどなんだかんだ言って、
自分が回ったとこって世界遺産ばっかりだったですね。
例えばペルーだったら、
クスコとか、
マチュピチュとか、
マチュピチュとか。
で、自然のね、
ジャングルのとこ、
ペルーも山岳地帯とジャングルと砂漠地帯と、
それ飛行が多様なんですけれども、
ジャングルのところは、
ペルートマルトナードって言って、
アマゾンの支流なんだけど、
そこもなんだかんだ言って、
世界遺産になってたりするしね。
自分が回ったとこは、
ほぼ世界遺産だったかなって思ってね。
上坂さんがその遺跡に魅了されるなんかあるんですか?
なんかね、古代の文明とか大好きなんですよ。
特にその石の文明っていうか、
ピラミッドもそうだし、
あとクスコなんかもそうだし、
あれもね、ほんとね、
当時どうやって作ったんだっていうぐらいの、
本当に巨石をね、
こう組み合わせて作ったものだとか、
なんかそういうのに思いを馳せるのがすごいなんかね、
好きだね。
そうだと思いました。
ちくらまで今回車で来たじゃないですか、
その途中に浜カナヤっていって、
ノコギリ山があったじゃないですか、
その時に石切山とかいって、
その石を聞いてた時の道具とかが
その残ってるって時に、
上坂さんがすごい楽しそうな話をしてたんで、
多分そんな感じだろうかなと思って。
なんかね、古代文明とか大好きなんですよね。
どういう昔そこに何があったのかとか、
18:01
考えるのがね。
そこになんか息吹というか、
そこになんか今でも生きてる感じしますもんね。
そうですね、ほんとね。
あとそういう不思議なものが好きですね。
やっぱりね。
だから世界遺産とか何だかんだ今の文明では
考えられないような、
そういう名残があったりするから、
そういうのを想像するのすごい好きですね。
いいですね。
現地でね。
今生きてると分かんないですもんね。
分かんないね。
それがなんか残ってる、
昔の人の生き方みたいな感じ。
ありがとうございます。
いいえ。
じゃあちょっと次なんですけど、
上坂さん多分いろんなとこ行かれてると思うんですけど、
バックパッカーしてて、
印象に残ってるエピソードってありますか?
これもね、いっぱいあるんですけど、
激しいのでから言うと、
ペルーでテロに巻き込まれましたね。
テロっすか?
うん。
テロに巻き込まれたのが3回あって、
1回ペルーなんだけど、
テロっていうかあれだね、
藤森大統領が大統領になる時って、
ジャイカの日本人が殺害されたりとか、
結構だから危なかった時なのね。
それで特効自粛が出てたんだけど、
で、街歩いてたら、
なんか群衆がワーってなんかこう、
こっちに走ってきてて、
で、自分、え?何?何?と思って、
そしたらなんかその後ろから、
走行者がこうキラキラキラキラキラみたいな感じで、
で、催涙弾をボスボスボスボスこうなんか、
撃ってきて、
要はだから暴動を鎮圧してた感じだったのかな。
一旦民衆がやってるからみたいな。
だからね、政府に反対するその群衆と、
それを抑え込むたぶんね、
構図だったのかな、よくわかんないけど、
自分は全然わかんなかったから、
ただ単に街で歩いてたら、
本当にそんなのに巻き込まれて、
で、催涙弾を撃ち込まれて、
で、気絶して、
ゴミ箱みたいなとこでね、本当に、
1、2時間だからくたばってたのかな。
ヤバいっす。
貴重品とか大丈夫でした?
いや、だからあの時、
財布とかあんま持たずに、
なるべく持ち歩かないようにとかね、
地球の歩き方とかそれこそ書いてあったからね。
そうですか。
いや、そんなのとか、
エジプトでもテロに巻き込まれて、
本当銃撃戦の中で、
ヤバいっすね。
これもだからね、
久々に実家に電話をしてて、
国際電話かけてたのね。
無事にやってるよみたいな。
そうそうそうそう。
無事にいるよって。
だから定期的に電話してたんだけど、
親とかに心配かけてたから。
で、ちょうどだから、
エジプトもだから通信状態が悪いじゃないですか。
電話局に行ってかけなきゃいけないよね。
そうなんですか。
電話局でかけてたら、
ドンパチ始まっちゃって、
銃撃戦が始まっちゃって、
ガンパンパンパン落として、
ギャーギャーとかって。
大丈夫だからって。
大丈夫じゃない、大丈夫じゃない。
ヤバいっすね。
中東は他にもね、
その時シリアって国にいたんですね。
シリアってつい最近まで、
イスラム徳って本当に国際的な問題になってたじゃないですか。
だけどその当時はね、
アサド大統領って今の大統領の父親だったんだけど、
独裁政権だったんだよ。
だから割とね、
国が安定してたんですよ。
多分裏ではすごい厳しかったかもしれないけど、
独裁政権で抑え込んでたから民衆を。
だからみんな大人しかったのね。
だけどクルド人って、
民族とこぜり合いをしてたわけですよ。
21:00
やっぱりあっちは民族問題だよね。
転々としてるんですね。
クルド人って、
ルローの民みたいな感じで、
イラクの北部とシリアと、
トルコだ。
あの辺にまたがって暮らしてる感じなんですよね。
どこの政府にも反対とかしてたから、
クルド人を抑え込むような、
こぜり合いがいつもあったのね。
自分がトルコからシリアまでずっと、
なんだかんだ言ってエジプトまでずっと陸路で行ったんだけど、
トルコからシリアに入ったときに、
クルド人の一行というか、
そのバスだったのね。
初めてクルド人たちと話したのね。
一人がたまたま英語喋れたから、
それでいろいろクルド人のことを教えてもらって、
こういう文化なんだよみたいな感じのね。
えーと思って、
すごい仲良くなって、
だけどやっぱね、
政府に虐げられてみたいな、
辛い歴史があってみたいな、
そういうことを聞いていたら、
そしたらいきなりこの夜、
バスがグワッと止まって、
で、「え、なになに?」ってみんな見に行ったら、
自分たちが乗ってる何本か前のバスが、
ロケット弾を見て真っ二つに折れてたのね。
びっくりよ。
ヤバいじゃないですか。
もしその上坂さんがそこに乗ってたら、
ヤバかったですね。
それでみんなギャーみたいな、もうね。
だから向こうにいると、
本当そういう戦争とか紛争っていうのが、
日常茶飯事だったんだよね。
ヨルダンに入った時も、
イスラエルの紛争があって、
だからもう当時はそこにいる時は、
第5次中東戦争かとかね。
それぐらいだから、
それぐらい現地では、
戦争っぽくなってたりとか、
そんなことを体験したね。
だからいかに日本が平和っていうか、
安全かっていうのが分かりますね。
中東がやっぱりそのね、
価値観が変わりましたね。
自分たちが得てる情報って、
なんだかんだ言ってアメリカとか、
あっちの情報なんですよね。
アメリカの情報が来てるわけなんだよね。
世界の情報っていうのはね。
だけどあっちにいるとアラブの情報っていうか、
アラブが正義なんだよね。
反アメリカになってるわけなんですよね。
本当にそのなんだろう、
あっちにいるとアラブが正義だから、
正義ってなんだろうなみたいな感じなんですよね。
日本にとっては正義はアラブであり、
だけど自分たちが得てる情報は、
アメリカプラスイスラエルっていう、
この情報なんだよね。
それぞれの自分たちの意見っていうか、
正義があるからね。
あっちの人がアラブに加担してたね。
アラブに感化されてたね。
普段得てる情報っていうのが、
いろんな視点から取るっていうのは大事ですよね。
そういうことをね、
学んだのが大きかったな、中東ではね。
そうですよね。ありがとうございます。
上坂さん、いろいろハプニングとか、
エピソード聞かせてもらったんですけど、
今お仕事されていてとか、
今生活していて、
バックパッカーの経験から培ったことっていうのを、
精神的なところと、
お仕事のビジネス面で、
何かありますか?
何だかんだ言って、
人と出会ったのが大きかったですね。
観光地を回るっていうよりも、
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そこで出会った人と、
一緒に暮らして、
いろんな考え方を聞いて、
いろんな多様性を知った、
っていうことかなのかな。
結局ね、
自分社会人になっても、
バックパッカー癖が抜けなくて、
一箇所に何か入れないよね。
同じ仕事ずっとできないんでね。
分かります。
仕事してそこにいろいろ出会って、
その人が、
例えば会社をやるから、
手伝ってくれとか、
こっちにこういう仕事やろうよって言ったら、
結構それについていっちゃったみたいですね。
結構転職してるんですよ。
自分ね。
かっこよくプロフィールとか書いちゃってるけど、
何だかんだ言って出会った人と、
また新しいこと始めるみたいな、
良いのか悪いのかは分からないんですけども、
自分の人生ってそんな感じになってて、
だから常に動いてるというか、
流れてるというか、
同じ所にいられないっていうね。
デスクとかで仕事してるって辛いっていうね。
だから、
一時期山口県にも移住して、
それもやっぱり大きかったですね。
それなんとなく自分の中では、
旅みたいなものなんですよね。
それまで東京でしか仕事してこなかった。
東京でサラリーマン生活してて、
コンサルティングとかの仕事してたから、
周りが結構頭に人ばっかりだったんでね。
そんなイメージありますね。
有名大学出てて、
自分そこまで有名大学じゃないから、
学歴でマウント取られたりだとか。
だけど、
山口に行って、
やっぱり全然違う地方の経済っていうのを、
垣間見たわけですよね。
なんで地域がだから廃れていくのか、
なんで地域がっていうのは、
やっぱり東京一極主義になるのかだとか、
そういうことがすごい学んだ。
それもやっぱりバックパッカーとか、
旅してた経験がそのまま生きてきてるのかな、
と思うんですよね。
やっぱり東京でしか知らなかった自分が、
地方でいろんなことを学ぶっていうのは、
旅と同じ感覚がありましたね。
確かにそれはありますよね。
昨日上坂さんと飲みに行ったじゃないですか。
その時にも地元の地蔵とか、
地元の方っていうのも、
東京での情報っていうのは、
何が今流行っているんですかとか、
すごい宝というか、
あたりがあるんですよね。
そういうのってすごい宝というか、
新しい情報が出ないじゃないですか。
そういうのってやっぱり地域の方にとっても、
東京だけの情報っていうのがためになるというか、
いろんなことを点々と上坂さんが回っていることによって、
やっぱりこの地域のためになるというのが、
あるのかなと思いました。
だからやっぱり自分なんだかんだ言って、
情報かもしれないですね。
一番の宝は。
いろんなところの情報を持ってて、
それがまた会話につながって、
それがまた面白がられたりとか、
評価されたりとか、
またいろんな仕事につながっているみたいな。
だからうまく言えないけど、
でもそういうね、
いろんなところの場所を知ってて、
いろんな価値観だとか、
いろんな人を知っているという、
そういうことが自分の中での財産かもしれないですね。
いやー、そうですよね。
だからそれがたぶんバックパッカーというか、
旅で得たものなのかなって思うんですよね。
確かにそうですよね。
いろんなところに昔から行っているからこそ、
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いろんなところに踏み出していけるみたいなのもありますよね。
意外と社会に出てバックパッカーの話すると、
自分も昔バックパッカーだったんだよみたいな、
同世代の人たちが、
割と共通点が多かったりとかして、
それでめちゃめちゃ盛り上がったりとかして、
やっぱりそういうような共通点があったりとか、
感性が同じの人とは、
仕事もうまく面白い仕事ができますよね。
ああ、そうですよね。
そこからまた仕事の話が来たりとかね。
バックパッカーの方は
独特な感じってありますよね。
空気とか。
仲間意識というか、
仲間って感じちゃいますね。
いかがでしたでしょうか。
次回もこのお話の続編をお送りいたします。
魅力的なお話たっぷりです。
お楽しみに!
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