YouTubeをはじめ、ブログや書籍などで、ヨガを学んでいくことができる時代で、実際にそうやってヨガを継続している人はたくさんいると思いますし、それ自体悪いことだとは思いませんが、本来ヨガは師匠から弟子に直接伝えるべきものです。特定の指導者のもとで学ぶ意味や意義などをお話してみました。
・師匠 ・弟子 ・学び ・パランパラ ・指導 ・プラクティス ・感情 ・反発 ・気付き ・消化 ・昇華
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YouTube
00:04
スピーカー 2
みなさん、おはようございます。YOGA LIFE smsuun ヨガティーチャーのまりこです。
スピーカー 1
夫のけんすけです。
スピーカー 2
この番組では、明日を生きやすくするをテーマに、
ヨガの学びを交えた私たち夫婦のタイムもないトークを、
月曜から金曜に福岡の山小屋よりお届けしています。
スピーカー 1
はい、Om Shanthi 明日を生きやすくするラジオ、オムラジ始まりました。
スピーカー 2
はい、お願いします。
スピーカー 1
本日は、4月の26日金曜日、時刻はお昼の1時です。
はい。
まずですね、いつも思うんですけど、僕のね、声が聞き取りづらい。
あ、そう。
滑舌が悪いとかね、なんだろうね、聞き取りづらい声の人っているんだよね。
僕、昔からそう言われる気がするんですけど、
普通にこう喋ってたら、はっきり喋ってると思うんですけど、どうやろうね。
でも、普段からボソボソっと喋るって言われるもんね。
そうでもない?聞き取りづらいと思わない?
スピーカー 2
聞き取りづらい時はあるよね。それはでも誰でもあるぐらいのレベルの。
スピーカー 1
そうか。でもなんかポッドキャスト、他の人のとこはね、ラジオとかもそうなんだけど、聞いてると、やっぱりみんな聞き取りやすいんだよね。
僕が聞いたことのあるポッドキャスト、割とメジャーなポッドキャストが多いと思うんだけど、全然こんな聞き取りづらい人いないんですよ。
素で話せるのがいいなって思ってるんで、
その素で話そうとすると、滑舌とかはやっぱり意識できないんですよね。
頑張ります。
今日の話なんですけど、この間ね、どの配信かも忘れましたけど、
ヨガって、僕らもそうですけど、YouTubeで指南というか、こうやってやるんですよっていうのをポーズごとに解説してたりとか、
あとは、僕らとはちょっと違うけども、先生が前でやってるのを見ながらみんなでするみたいなのね。
そういう感じでYouTubeとか動画でもあるじゃないですか。
あとはね、ブログとか本とかそういうので、
アシュタンガヨガでも正式に総本山の方から認められてるような書籍もあると思うし、
そういうのを見ながら覚えていく、やっていくってこともできると思うんですけど、
そんなやり方もありつつも、僕らはクラスをやっているし、
基本的にヨガっていうのは師匠から弟子に伝えていくものを直接ね、が理想というか、本来っていうものじゃないですか。
で、実際ね、YouTubeだけでずっとやってる人とかもいるじゃないですか。
で、そこからね、ずっと今までYouTubeでやってましたっていう人が生徒さんでうちに来たりとかもあるけども、
その指導者にちゃんと見てもらう意義みたいのって何でしたっけっていう、改めてその辺をね。
03:00
スピーカー 1
もちろん別に自由にやったらいいとは思うんですけど、僕らはハイブリッドじゃないですか。
どっちかっていうと。
結構うちの場合は生徒さん、今来てくれてる生徒さんにも新しいポーズを教えた時に、
じゃあ次来るまでにそのポーズの動画を見ておいてくださいみたいな話をしたりとかも活用しながらやったりするじゃないですか。
でもあくまでもやっぱり見て指導するっていうのがあってなので、その辺の意義を改めて確認したいなと思って。
スピーカー 2
直接指導を受ける意義っていうことだよね。
スピーカー 1
そうだね。なぜ受けたほうがいいのか。
やってたら結構満足する人もいると思うんですよ。
YouTubeを見ながらやってたりとかね。
それはそれで別にいいんだけども、でも頻度とかは別としても、自分が先生と思う指導を受ける人っていうのがいた方がいいっていうのは変わらないじゃないですか。
スピーカー 2
やっぱりその客観的に見る目が必要なんですよ。
で、初心者の頃っていうのは客観的に自分を見るっていうこともまだ最初はできないから、先生に見てもらうわけです。
自分の代わりに。
で、その先生とのやりとりの中でいろいろなことに気づいていくんですよね。
で、それを長いこと続けていくと、今度は自分で気づけるようになってくるんですよ。
先生、そういえばああいうこと言ってたけど、これ一人で練習してるときね。
こういうこと言ってたけど、これってこういうこと、これもこういうことなんだよ。
スピーカー 1
それさ、もうちょっと全部具体的に例を示して言ってもね、多分ピンとこないと思うんだよね。
自分一人でやってたら気づかない。
初心者の頃は。
何に対してそれ。
スピーカー 2
まず、単純に自分のポーズが正しくできてるかできてないかっていうことが最初ね。
スピーカー 1
それは形ってこと?
スピーカー 2
そうね、形。重要ではないんだけど、やっぱり決められた形っていうのがあって、その通りにまずやっていこうっていうのが最初なんですよね。
最初の一歩。
で、もちろんそれだけが全てじゃないから、どんどんその先にステップ踏んでいく上で、今度は内面的なことに気づかされる。
ちょっと先生に言われたことに対して反発っていうか、そんなふうに私は思わないけどとか、あとは先生にポーズをなかなかもらえないとか、いろいろあると思うんですよ、そのやり取りの中でね。
自分と思っていることと先生がやることが違うとか、違和感があるとか、なんかそういうあることに対する自分の反応ね、自分の内面的な反応とかに気づくとか。
スピーカー 1
気づくっていうか、それは多分先生がいることに指導を受けるとか指摘をされるっていうことによって感情が生まれるってことだろうね。
先生がいなければ、さっきの最初の形の話も多分同じだと思うんだけど、自分が正しいと思っているやり方、もしくは正しいと思っているというか、正しいと思っているやり方でできていると思う、これそうなっていると思うっていうのがまずそもそも違うかもしれないと。
06:16
スピーカー 1
それは客観的に見たらね。まあよくあることだから大体違うんだけど。プラスそれは形っていう意味でね。あとはどうしても気持ちがいいことをしようとするじゃない。
そうね。だからそれは結局ポーズの形もそうなんだけど、なんかここが伸びて気持ちいいって思ったら全然本来するべき形とは違うみたいなね。っていうのがあるから。で、それも含めてなんか、いやそれもうちょっとこうですよってなったら、今までやってたこっちにグーってやってた方が気持ちいいのにそうやらなきゃいけないのみたいなこととか、感情がだから湧き上がるってことだよね。
スピーカー 2
そうだね。どっちかっていうとネガティブな。そういう感じで先生がいることによって本来の自分のこういうことがあったらこういう反応してしまうっていう自分のパターンの発見ができる。
そうだね。これが一番大きいと思いますね。確かにそうかもね。これはもう本当にその何年もヨガやってきて、もう普段から私もそうなんですけど一人で練習してる人でもやっぱり先生のところで練習するとそういうの出てきますから、なので先生のもとで練習するっていうのはすごく大切だなと自分でも思います。
スピーカー 1
あとは、でもまあそのいわゆるアーサナプラクティスの指導っていう意味で言ったら、なんかもうそれがほとんどだよね。
そうではない部分で言えば、さっき言った心のそういう反応が起きたとき、感情が湧き上がったときにそれと向き合うみたいなこと、向き合うとかどう受け入れるか消化するかっていう術というかプロセスを教えてもらえる人はいた方がいいし、
それはアーサナプラクティスとかを教えてくれる先生と同じ先生であればそれは理想的だとは思うけども、その人に指示するという意味で。
で、それはやっぱり山に山とか哲学的な要素の部分になってくるもんね。
で、それがないと結局、例えばさっき湧き起こった感情っていうものへの向き合い方を知らないっていうか、そもそもそれが向き合うべきものだっていうことがわからないから嫌だとか苦痛だとかやりたくないっていう気持ち以上にはならないというか、それが消化されないよね。
スピーカー 2
出てきちゃうばかりで。
スピーカー 1
もうただの嫌悪でしかないって思っちゃうもんね。
スピーカー 2
本来はそれにどう対応するかっていうことの練習であるのに、それを教えてもらえないとどんどんネガティブになっていっちゃうよね、なんかね。
09:04
スピーカー 2
そのための先生だと思いますね。
スピーカー 1
だからあれですよね、結局ポーズの例えばちょっとこの位置が違うとか向きが違うとか、そういうことを細かく丁寧に教えてくれる先生が、なんか多分一般的には良い先生だみたいな認識をされてるんじゃないかっていう気はするんですよね。
でもそこではないよね。
それももちろん正しく教えれる、正しくないことを教えてしまう先生ももしかしたら勉強不足の人もいるかもしれないんで、それは良くないけども、でもそれを正しく教えてくれるかどうかっていうよりも、正しくないやり方になっていた時とか、正しいとしてもその時の心とか感情っていうものにフォーカスすることを重視できるように伝えられていなかったら、
あんまり正しくできる意味ないもんね。
もっと言ってしまえば、そういう形とかで言えばそれは映像とか、思ったようになってないっていうことが常だから、それを先生に見た方がいいっていう話でもあるけど、
でもまあじゃあ、だって今だったらね、スマホを置いて自分がやってるの動画撮ってやったら、あ、全然できてないみたいなのがよくわかるじゃないですか、結構。
形だけで言えばそういう話になっちゃうもんね。
だからそこじゃないってことですよね。
別にそういうつもりで先生に教えてもらいに行っちゃダメだってことではないけども、必要な意味で言えばそこじゃないってことだね。
あとは今いわゆるヨガスタジオに、一般的なヨガスタジオとかに通っている感じだとは得られないかもしれないけども、
そもそもヨガ全体を何のためにやっているのかみたいなことを体現してくれている人がいた方が、当然深い学びになるというか、結局お手本だよね。
そう、お手本。具体的な。
ポーズのお手本ではなくて、それもお手本にしてもらえ、できる人がいたら、先生がお手本してくれたらそれもちろんいいんだけども、
そうではなくて、人間性、生き方、暮らし、立ち振る舞い、言動もすべてだよね。
においてお手本となる人がいた方が、そりゃいいに決まってるって話だもんね。
それらは文字や映像とかからは得られないものではあるよね。
特に初期段階でいうと、ヨガやってる人の、かなり多くの人が初期段階ってことだと思うんだけど、
初期段階で言えば最初に言った、やっぱり先生とのやり取りの中、指導の中で湧き上がる感情とかそれに対する気づきみたいなところが一番ですね。
今日は別に落としどころを決めた感じというか、想像せずに僕も真里子さんに話を振ったというか聞いたので、
12:08
スピーカー 1
思ったよりあっさりとした話になりましたけど、でも本当にそこなんですよね、と思います。
それだけじゃないんでまた別の話もシェアすることあると思いますけど、今日はそんなところでした。
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皆様からのお便りをお待ちしております。
今回も最後まで聞いていただきありがとうございます。
スピーカー 2
それでは今日も一日皆さんが心穏やかに過ごせますように。
せーの、ナマステ。
12:58
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