Startup Now🦄、資金調達を実施されたばかりの起業家の人生や事業日もとくポッドキャスト、パーソナリティーのスタートポッツ稲荷田です。
同じく、パーソナリティーのスタートアップ大好きキャピタリスト中山です。
本日は株式会社Plott代表取締役CEO 奥野翔太さんにお越しいただきました。
Plottさんは、ショートアニメとWebtoonのプロデュース、自社IPを用いたゲーム、音楽、グッズなどのビジネスを提供されているスタートアップでして、
2024年11月、シリーズBラウンドにて10億円の資金調達を発表されました。
奥野さん、よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。Plottの奥野と申します。
今回は、Plottさんを応援されている、ご支援されている企業の方からご紹介をいただきまして、お招きさせていただいた次第となっております。
Plottさん、資金調達がありますよって、外に出す前から実はStartup Now🦄にご相談いただいておりまして、
なので、資金調達発表されてから比較的早めの段階で今回も出ていただいていて、
実は我々もこういうメディアの運営がしたいなというふうに思っておりましたので、非常に嬉しいなというところと、お役に立てればなというふうに思っております。
その前段で、Plottさんのことを拝見はしておりまして、資金調達実際に発表されて、Xがすごく盛り上がっていてですね。
ありがとうございます。
特にそのノートですよね。本市のノートを書かれていらっしゃって、これ自分も拝見したんですけど、めちゃくちゃ。
本当ですか。
はい、もちろんです。いい内容だなというところと、ノートをバズらせるみたいなのは多分結構難しいんですけど、いいね。
もうこれノート上で今461とか、今11月中旬ですけど、ついていてすごいなと思って、やっぱりものづくりされる方々の熱量って最高だなというところと、やっぱり伝えるところもすごく上手だなというふうなところ。
嬉しいです。ありがとうございます。
なので、このリンクにぜひノートも貼っておきますので、皆さんもご覧いただけたらなというふうなことを思っております。
ぜひお願いします。
最高です。楽しい会社を目指していたはずが楽な会社になっていたみたいな話だったり。
もう恥ずかしい限りです。
そこから立ち上がってですね、こうやって大きな緊張とされて、今また注目が集められているところですので、今回その辺りのまだまだ外に出ていない内容も含めて、話を聞かせていただけたらなということを思っております。
はい、よろしくお願いします。
ありがとうございます。
前編では奥野さんの生い立ちや創業までのプロセスを、そして後半ではプロットさんの経営や事業についてもお伺いしますので、ぜひ両方合わせてお聞きいただければというふうに思っております。
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それでは奥野さん、まずはご経歴を含めました自己紹介を1、2分程度お願いできますでしょうか。
はい、改めまして株式会社プロット代表の奥野と申します。
1995年の今29歳の年でして、もうちょっとで30歳になってしまうのかと汗汗してるんですが、
元々僕学生起業をして会社を作ってまして、21歳の時に作った会社で、8年目に突入したばかりの会社になっております。
元々大学の近くにあった会社でインターンをしていて、スタートアップ村にいたような人間ではなかったんですが、上京して会社を作って、
VTuberの事務所を1年ぐらいやった後に、ビヨッとして今のショートアニメ事業をやり始めたという、そんな形になっております。
ありがとうございます。1995年で三重県生まれですか?
三重県出身で、天津人族なんですごい、出身がどこかってすごい戸惑うんですけど、中高が三重だったんで、三重県出身って言ってます。
大学時代のエピソードをたくさんお見受けしたんですけど、その前が奥野さんがどんな生い立ちだったのかってすごく気になっておりまして、以前のエピソードとか印象深いものとかぜひお伺いしてもよろしいですか?
小学校の頃からサッカーをやっておりまして、小学校も結構強いチームで、中学校になるタイミングで三重県に転校して、中学校からはその前に住んでたのが埼玉だったんで、三重県の方がサッカーのレベルがもう少し低めというところもあって、
三重県では部活ではなく、クラブチームに入ってですね、中学校の時はサッカーをしたりしてました。で、もう傍ら趣味みたいなところでいくと、ずっと漫画を読んでまして、小学校だったから、お小遣い使うってなったら何に使うかみたいなところが、漫画に使うくらいしかないなみたいな感じで過ごしてましたかね。
で、高校とかはそんなに特段あれもないんですけど、まあでも三重県の中では一番の新学校に進学して、で、高校はサッカーも頑張ってはいたんですけど、そこまで強い高校でもなかったんで、どちらかっていうと、当時サッカー部のキャプテンが今お笑い芸人になってて、で、僕が副部キャプテンだったんで、なんかすごいこう、なんでしょうね、すごいボケてましたね。
ボケてましたね。
高校生時代とか。はい、そんな感じでした。
ちなみにあれですよね、その方から一緒にお笑い芸人やらないかみたいな打診もあったとか。
そうですね、おっしゃる通りで。ありがとうございます。
それが結構自分の中でエンターテイナーになるっていうふうな心づもりを決めたきっかけにもなってるんですけど、当時からすごい、なんでしょうね、割とふざけてたタイプというか、だったので、割とみんなが楽しいことや自分も楽しいみたいなタイプだったんですけど、そんなのもあって、本当にデパートの屋上に呼び出されてですね、告白かなみたいなドキドキしてたら、
お笑いやらへんって言われて、かっこいいみたいな、みたいな感じで、本当にめちゃめちゃ悩んだんですけど、そうですね、もうちょい違う角度、なんでしょう、せっかくこう頭を使うことも好きだったので、なんかこう人前で話すことだけじゃなくて、もっと仕掛ける側みたいになりたいなみたいなのもあって、また違うエンターテイナーとしてこうまた会おうやみたいな感じで、はい、なんかそれぞれ頑張ろうねってなったっていう感じでしたね。
なるほど。今のエピソードは高校生ぐらいの話。高校ですかね。その頃っていうのは、まだ特段企業とか自分でビジネスをやるぞみたいなところに目覚め始めてたわけではないって感じですか?
そうですね、全くそういう感じではなく、なんか面白いものを作れたらなーみたいなのを思い描いてた程度でしたね。
なんかそのあたりがより起業したい思いとかが強まっていったきっかけとかそういうのもありましたら、ぜひ教えてください。
そうですね、大学入学後、みんながエンジニアになるみたいな学科だったんですけど、当時僕もピクサーとかブラッディマンデーとか壊れて、プログラミングでゲームとか作ったら面白いんじゃないかみたいなのもあってこっちに行ったんですけど、
そこはやっぱりゴリゴリ小さい頃からエンジニアリングやってる方々がいる中で、そこではないなーみたいなところも思っている中で、大学の近くでビジネス職のインターみたいなのを始めまして、
そこが自分の中ではもう一つ転機になっていて、そこも学生起業してちょうど今の僕ぐらいの年齢28、29ぐらいの方が社長をやっていて、そこに学生起業した仲間みたいな方々がいらっしゃって、すごくキラキラ働いてまして、そこの方々が熱量も高く、しかも仕事が面白いっていう感じで働いていたっていうのが僕の中でもすごい印象的で、
なんかめちゃめちゃ企業家一族とかそういう感じでもなかったので、周りにすごい経営者の人が多いわけでもなかった中で、僕の中ではすごいそういう生き方がしっくりきたっていうところもあり、自分はすごい当時は無知がゆえのすごい自信家というか、
割とやればできるでしょうみたいなふうに思ってたところもあって、自分も会社を作ってやってみようかなっていうふうに思ったという形でした。
今おっしゃってたインターンは海外でインターンされて帰ってきた後に結構その会社さんで相当働かれたみたいなエピソードも見消したんですけど、時系列でいくとその海外行った後帰ってきてってそういう会社さん?
そうですね。
なるほど。
その海外の話だったりも少しいただいてもいいですか?よかったら。
ありがとうございます。それこそそのインターン行く前にですね、その時は大学3年生でプログラマーとかそっちから登っていく人たちが大半の学科周りがそういう感じだったので、自分ってエンジニアになるんだっけっていう問いをすごい大きく持ってまして、最終的にサービスを作れるような人とか何かしらコンテンツ作れるような人になりたいなって思ってたんですけど、
その登り方っていろいろある。デザイナーになるかプログラマーになるかみたいな感じだと自分の中で思ってて、プランナーとかっていうのはもうちょっとスキルセットがないのはどうなんだみたいなのも自分の中で腹落ちがなかったところではあったんですよね。
あったんですけど、ものざっくりですけど大きく、プランナーディレクターとかそういう職ポジションっていう側からどうやったら自分がサービスとかコンテンツとかに携われるんだっけっていうのを試してみたいなっていう思いで、ビジネスインターンみたいなのを海外でちょっとちっちゃく授業、体験をしてみようみたいなものに参加させてもらって、そこでの体験はコンテンツ作るとか大それたサービスを作るとかそういったものではなかったんですけど、
英会話学校とか集客プランニングとかそういったレベルのものだったんですけど、でもそこで自分の足使って頭で考えて外部の方が巻き込んだりしてみたいな経験自体はすごい自分の中で総合格闘技感があって、今まで自分がやってきたちっちゃくサークルとかで組織を作ったりとか、エンジニアリングをして何かちょっとものを形作ったりみたいなとか、それ以外のことも喋るってことだったりとか、
全てを使わないとやっていけないみたいなものが何かどっかに一つすごい特技を持っていなかった自分にとってはすごい刺さって、やっぱりそういう総合格闘技だったら誰にも負けないんじゃないかと思いましたし、その中でも大きなエンタメでそれをやれるんであれば、そこだったら自分の一番を取れるんじゃないかなっていうふうに思っていったような、それもあってエンジニアではない方向に進もうって決められたのはそこがあったからですね。
なるほど。そしてそのインターン先でまた修行されて、これは何年くらいやられてらっしゃる、そこから起業っていうプロセスはどんな感じだったんでしょうか。
インターンしたのは半年間くらいでめちゃめちゃ短かったんですけど、当時副社長にあたる方の下で働いてまして、その方もすごいよく面倒を見てくださりまして、僕が将来こういうことをやりたくてみたいなことを言っていた中で、その方とワンオンワンじゃないですけど、居酒屋で二人で差しでキャリア相談みたいなのをしている中で、僕こういうことをやりたいんですみたいな。