資金調達を実施されたばかりの企業家の人生や事業を紐解くポッドキャスト、パーソナリティーのスタートポッツ稲荷田です。
同じく、パーソナリティーのアニマルスピリッツ中山です。
本日は、AGRIST株式会社代表取締役 齋藤潤一さんにお越しいただきました。
AGRISTさんは、AIとロボットを活用したスマート農業を推進されているスタートアップでして、
2024年7月にシリーズBラウンドの資金調達を実施されました。
齋藤さん、よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。アニマルスピリッツで楽しんでいきます。
ありがとうございます。
アニマルスピリッツがある企業家、やっぱりいいですよね。
このタイミングで笑いをぶち込んでいただいた出演者さん、
これまで40名以上ご出演いただいて初めてですので、
企業家は尖ってなんぼですし、やっぱり開始3秒、5秒で離脱しちゃうんで、
こいつ今日アニマルスピリッツでいくんだなっていうのをやっておけば、
差別化ができるかなと思いました。よろしくお願いします。
平山さんの爆笑が冒頭から入るっていうのは珍しいんですね。
そうですね。珍しいですね。ありがとうございます。
ちょっと齋藤さんのアニマルスピリッツが何なのかも、
稲荷田さんが深掘りしてくれるんじゃないかなと思ってます。
頑張ります。よろしくお願いいたします。
フォーブスさんのイベントを、スタートポッツブースを実は出させていただいておりまして、
フラッと齋藤さんがお立ち寄りいただきまして、
齋藤さん、フラッといただいたとは思えないほど非常に有名な方でして、
多くのメディアにも出られていらっしゃいますし、事業としてもかなり有名ですと。
その後もですね、他のイベントで齋藤さんが登壇されていらっしゃるところを拝見などしておりまして、
ぜひ齋藤さんにはスタートアップナウ出ていただきたいなと、タイミングを見計らっていたんですけれども、
まさに資金調達もされたというところでオファーさせていただいた次第でございます。
スタートアップナウの前編では、齋藤さんのおいたちや創業までのプロセスを、
後編ではグリストさんの経営や事業について伺いますので、ぜひ併せてお聞きください。
まず覚えてもらわないと、
これ聞いてる方もすぐポチッとね、
違うとこに行ってしまうので、
どうやって次へ繋げるか、
次へ繋げるか、
まあマーケティングの基本ですけど、
プラピッチやるときはめっちゃ考えますね。
リッチはもちろんそうですし、
XのプロフィールだったりVCのプロフィールだったり、
それらに載っている数百文字っていう字数制限の中でも、
相当なキーワードをチリばめていただいていて、
めちゃくちゃ分かりやすいので、
ぜひ皆さんご確認いただけたらなという風に思っております。
そうですね、今Xに結構力を入れていて、
そういうか採用にめちゃくちゃ力を入れていて、
スタートアップの起業家の仕事って、
もちろん全部なんですけど、
フェーズごとにいろいろあって、
創業者の思いを語れるって創業者しかいないんで、
やっぱり創業者の思いがすべての文化になって、
採用にすごい力を入れてて、
最近採用11っていうニックネームをやっていきたいで、
これやっぱメディアも面白くって、
SNSでニュースピークスなのか、
Xなのかインスタグラムとかで、
名前とかターゲットも全部変えなきゃいけないと。
Xに関して言うと、
農業スタートアップのアグリストの代表みたいなのが一番わかりやすく、
それに合った文脈とかコンテクストとかストーリーにしたりとか、
でもインスタグラムに持っていくと、
全然それが通じないわけなんですよね。
あんまりそういうのに興味関心なくて、
どっちかっていうと写真映えする女子みたいなイメージですよ。
別に批判とか反省とかコンプライアンスとかやめてくださいよ。
切り取らないでくださいよ。
じゃなくて、ダンソンのあのとことかじゃなくて、
ターゲットの話をしてますから。
それで言うとやっぱり企業化っていうふうな、
企業化サイト11の方が結構反応率は良くて、
これからそういう形で強化していこうというふうに思ってますし、
Facebookで言うとずっと長くやっているので、
まちづくりから始まって、
一粒1000円のライチのブランド開発をやったり、
ふるさと納税で寄付100億いって、
首相官って言ったぞみたいなストーリーみたいなのも、
ずっと丁寧に伝え続けてるっていうのがあるので、
SNSとかのメディアによってやっぱり全然違いますと思いますね。
だって大沢さんって候補の方がいるんですけど、
大沢さんは大沢さんを採用したのは、
俺の家の近くのバーですからね。
でもバーでシリコンバレーで働いててとか言っても、
しょうがないじゃん、なんだこいつみたいな感じになるんですけど。
パギシっぽいですね。
そうそう、このツボ買わないみたいな感じになるので、
メディアによって全然違うと思いますよね。
でもそれで言うと、僕じゃあ今、
誰向けに話してるかっていうと、
この放送を聞いてる人もそうなんですけど、
どっちかっていうとユリ中山向けに僕は今日。
ユリ中山に次会った時に、
どれだけアニマルスピリッツについて深く語れるかみたいなのとかは、
俺半分冗談ですよ。
っていうのは、すいません、予備視点してしまって。
いやいや、ありがとうございます。
今言いたいのは、やっぱりアントリプレナーにとって、
ほんと数秒でどれだけキャッチをつかめるかもそうだし、
ターゲッティングはもうメディアによって人格が生えていかなきゃいけないなと思ってる、
今日この頃です。よろしくお願いします。
フルネームで名前を呼ばれたのすごい久しぶりでした。
普段前編は私なりだから色々お伺いさせていただきますけども、
今回はユリ中山向けの配信ということになりますので、
ぜひ中山さんにも質問をどんどん出していただければなというふうに思っております。
ありがとうございます。
先ほどメニュー表をいただいたような感覚で、
たくさんのキーワードを切りばめていただいたんですけど、
到底全てを触れていったら終わらないなという感覚値がありまして、
特に気になったところから重点的に聞きたいなとは思っております。
2011年の東日本大震災っていうのは、
大きな出来事だったんじゃないかなというふうに思っております。
おそらく斉藤さん、シリコンバレーでクリエイティブディレクターもされていらっしゃって、
そのまま海外でITのスタートアップで
邁進されるエピソードもあったと思うんですけれども、
そうじゃなくて日本に戻られた、そして地域に着目された、
ここは大きな話だと思っておりまして、
当時どんな思いで帰ってこられたのか教えていただけますでしょうか。
日本に帰るタイミングで、
もうこの領域で勝負するぞっていうのは決まっていたんですか?
決まってないですね。
当時、今もなんですけど、
あんまり考えずに行動した後に考えるみたいな人なので、
やっぱり若いんで調子乗ってたし、
勘違いの塊だったので、
今もそうかもしれないですけど、
うちの候補がめっちゃ笑ってますが、
どうなんですか?
それは冗談ですけど、
そうやってやってきて、
もともとクリエイティブディレクターで働いていて、
デザインとかブランディングマーケティングが専門だったので、
デザイナーに発注する立場だったから、
デザインの仕事なんていくらでもあるでしょうと思って、
帰ったら当然あるわけなくて、
しかもそんな勘違い野郎に発注する人なんかもいなくて、
東京の国分寺で起業したんですけど、
このアパートの一室で、
全然仕事なくて、
どんどんお金なくなるし、
家賃も払えなくなる。
これ皆さん一度は経験しなくてもいいと思いますが、
歩いててお金なくなってくると、
パートアルバイト募集とか目に飛び込んでくるんですよね。
その時、毎日駅前の声優の割引ステッカーが貼られるのを待ちながら、
弁当の夜ご飯を食べていて、
こんな生活絶対もう這い上がりたいわっていう、
そこで改めて学んだのが、
ステイハングリー、ステイフーリッシュだったなと思います。
アニマルスピリッツが。
アニマルスピリッツ。
すみません。
そこで言ってよと。
ありがとうございます。
そこで僕が学んだのが、
アニマルスピリッツですよ、やっぱり。
今の編集してください。
あえてこのまま流したいと思います。
めちゃくちゃ面白いですね。
で、どん底を経験されたみたいなエピソードな気がしたんですけれども、
そこからじゃあわかりやすく稼ごうって思った時に、
よくある思考回路だとやっぱり農業とかに目向かないんじゃないかなと、
これちょっと偏見あるかもしれないですけれども、
そこで斉藤さんがこの事業領域に注目された背景だとか、
そういったところを教えていただけますか。
そこからすぐ農業に行ったわけではなくて、
ロボットのスタートアップも全く関係ないところをやっていて、
で、とにかく当時ほんと若かったし、
すごいお金をもうけたいな、いい暮らしもしてみたいな、
あんなとこ行ってみたいな、こんなこと言ってみたいなっていう、
いわばエゴの野心的な男だったわけなんですけど、
それが本当にコツコツ頑張っていって、
ウェブサイトの広告のウェブバナー1個3000円みたいなのを
作り続ける日々もありましたし、
そういうのを見てた人が、
じゃあこれやってみる、これやってみるっていうのを1個ずつ仕事が大きくなっていって、
最終的には表参道の南青山にオフィスを構えてですね、
結構大企業の仕事とか、
電通とか白歩道とかそういうところの仕事をやってましたと。
でもそこにあんまりやりがいを感じなくもなってきて、
めちゃめちゃお金は稼げるけど、
みんなめっちゃ疲弊してるし、全然楽しくないし、
社会に貢献してる手触り感みたいなの全くなかったわけですよね。
で、その中で地域の仕事とかをちょっとずつやらさせてもらって、
ありがとうって言われるようになって、
ありがとうって言われてめっちゃいいなっていうところから、
そういう悶々としてる中で東日本大震災が起きて、
現地に行ったときに、
この自分の培った経験とかっていうのは、
ずっと金儲けのためだっていうふうに思ってたんですけど、
これはやっぱり社会からもらったギフトだなっていうふうに思って、
そのギフトを返していこうというとこから、
地域経済の活性化っていうところに、
ミッションに自分を見据えてやっていきました。
で、当時2011年なので、そんな言ってる人もいなくて、
今ね、地方で言うとすごいかっこいいって言われますけど、
地方で言うとダサい、なんで地方なのぐらいなのに、
本当に言われ続けてきてて、
でもそういう活動してたので、ガイアの夜明けで出たり、
日経新聞に出させていただいたり、
日経新聞の記者の方に、
シリコンバレー流地域づくりみたいな名前を命名してもらったりして、
アーリーアダプター的な感じで、
いろんな活動を全国で地域経済の再生してました。