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おはようございます。のんきです。
今日も、昨日に続いて、脳にいい話をしようと思います。
仏教用語の空について、ちょっとだけ考えてみた。
フロームウィキペディア、仏教の空と、本来実体のある、世の中のすべからくのある、実際すべて仏教でいうところの因縁、因果、原因があって結果があると。
因縁によって生まれたものだから、今ここに私がいるのですが、それは確固とした存在ではなく、私がある因、大元になった、私の親がいなければ、私はここに存在しない。
世の中のあらゆる物質、そこにあるように見えるものすべてがその大元となる、因がなければ存在しない、実は空っぽ、空っぽじゃないのか、実体があるようでないものである、といったことを表す一文字だそうです。
サンスクリットの言語、シューニャから来たということで、シューニャとは何やらを書いていること、あるいは膨れ上がっている虚ろである、という意味でありますと。
インドの数学におけるゼロの名称でもある、ということから、大元の原理は空っぽ、そこから単に無、空っぽを意味するのではなく、仏教の原理、ある因縁を絡めた、奥の深い意味のある、という意味であります。
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ある言葉、これが空です。空に関わるその世の実体、本体にあたるものが、言葉が色ですね、色と書いて色。
般若心経には、色足勢空、という有名な一節がありますが、これが世の中の実体は、すべからく移ろうものであることよ、ということを表す四文字。
なのであります。まとまりません。奥が深いです。
また、この空という文字の意味を深掘っていくと、現代の科学、量子力学に通ずるところもあり、思考を深めていくと、仏教もなかなか面白いものだと思います。
少し頭を使って頑張ってみました。今日はこれで終わりにします。
それでは、あ、間違えた。順番違う。
お耳拝借ありがとうございます。
今日も一日、ご機嫌な日が皆様に訪れますように。
ではでは。