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おはようございます。のんきです。
今日は、古代の大哲学者ソクラテスの
無知の知の言葉について考えてみようと思います。
無知の知とは、ソクラテスが直接言ったという言葉、
もしくは直接ではないにしろ、周囲の誰かが取りまとめた言葉、
諸説ございますが、ソクラテスに関する歴史に残った言葉としては有名な内容でございます。
ソクラテスは、世に賢人と呼ばれる人たちは、
自分が知識があると思っているから、
世の中のことを全て知っているわけではないという自覚に乏しい。
ひるがえて自分は、ソクラテスはですね、
世の中のことを知らないということを自覚している。
であるからして、常に知の探求を私は行っているのである。
そこが他の賢人と呼ばれる人たちとの違いなのだと、
そういうことを言っているのだと思います。
この解釈は、ソクラテスがソクラテス以外の賢人を敬いつつも、
賢人と呼ばれる人たちは常に自分の知識に満足しているが、
私はそこに満足を得ることがなく、知の探求を知るまで続ける。
だからこそ無知なのである、というようなことを言っているのかなと思います。
無知であることの自覚、世の中のことを私はほとんど知らない、
何にも知らないという自覚だけであれば、私ですら知っておるわけであります。
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世の中のことわりを全部知っている人間など、この世のどこにもおりません。
もしいたら、それは神と呼ばれる存在ではないかと。
だからして、無知を自覚する、分かっている、理解しているところまでは、
誰でも到達できているのですが、その先では自分は何も知らないのだから、
より多くの知を求め探求するのであるという、その知に対する貪欲な姿勢を持ち、
実際に行動できるかどうかが、偉大なる哲学者ソクラテスと同様の立場に行けるかどうかの違いであり、
またその壁はとても大きい、高い、高い壁なんじゃないかと思います。
すぐに越えられる壁ならば、世の中は哲学者ソクラテスであふれるわけですから。
実際は、無知を自覚することはあっても、その先の高みへ上ることができるのは、
普段の努力を惜しまない、極限られた人たちなんだろうなぁと、
珍しく哲学的な修為を行いました。脳みそを使った清々しい朝です。
それでは今日はこのへんで、
ウミミ拝借ありがとうございます。
今日も素敵な一日になりますように。
ではでは。