実家が農家であること
野菜がつなぐ、「ひととひと 、ハーティッチファーム代表もとです。
この番組は、国内最大手エンジニアリング企業で、17年間世界を飛び回っていた企業戦士、香川元文が、40歳を機に脱サラ就農した経験をもとに、キャリア、農業、ビジネス、学びなどについて話すチャンネルです。
皆さん、おはようございます。2024年1月2日、今日は第2回目の放送になりますけれども、皆さん、お正月いかがお過ごしでしょうか。
農家の正月というのは、本当、特別なことってあまりないんですけれども、普段通り収穫、そして調整を進める日々を送っております。
本当はね、1日はちょっと休もうかと思ったんですけれども、ただ、この数日、天気がいいもので、やっぱり2、3日、ナスを収穫しないで置いてしまうとですね、大きくなりすぎて、収穫したナスが大きすぎちゃってですね、企画を外れると値段が下がってしまうもので、どうしても、やっぱりいい値段の企画で出そうと思うと、毎日、
取ったほうがいいかなということで、結局、昨日、元旦の日も収穫をするような生活をしてしまいました。
毎日毎日、淡々と作業を進めていくっていうのが、農家のある意味、生活かなっていう気はしますね。
さて、昨日1回目の自己紹介の放送に続きまして、今日2回目はですね、
どうして私が立ち去らした先として、この農業という世界を選んだかというような経緯について、ちょっとご紹介していこうかと思います。
まず、会社を辞めようかと考えていた時にですね、辞めて何をやるかということを、いろいろ一応考えたんですけれども、
エンジニアリング会社でエンジニアだったということもあって、そういう能力を生かして独立しても設計などを受けようようなですね、そういう会社をやる。
あるいは、私はプロジェクトを遂行するような部署にいたんですけれども、結構海外ですとですね、そういうプロジェクトごとにローカル採用といって、
その現地での現場、そのプロジェクトごとに採用をするような、そういうフリーでプロジェクトを渡り歩くような方もいらっしゃるんですね。
エンジニアの方もいらっしゃるということで、そういう現地採用のプロジェクトを渡り歩くようなですね、そういうやり方もあったかもしれませんけれども、
いろいろ考えた中で、自分がやりたいことと、その時の自分の持っている資産というものを考えた時に、最終的に選んだのは農業。
という世界でした。
その選んだポイントというのが3つぐらいあるかなと思って、ちょっとご紹介しようと思うんですけれども、
まず一つ目というのは、簡単に言うと、やっぱり私の実家が専業農家だったということですね。
うちの実家はですね、祖父の代から自分の土地を持って農業で生きて、
生きを立てる専業農家だったんですけれども、という意味で、父も農業を継いで、私で3代目の家になります。
そういう意味では、祖父の代から約70年以上ですね、守ってきた土地もある、そして父も受け継いでいたその技術もあるということで、
私も会社を辞める時は40歳です。
でしたけれども、その40という年から新たに何か事業を始めようという時には、やっぱりですね、その土地、あるいは父の技術といった、もうその時点で一番リスクがなく、
自分のやりたいことをやれるというような状況というのが、やっぱり農業という世界が一番マッチしていたということがあります。
ですので、
本当、私が農業を始める時点では、土地もある、機械もある、そして父についていけば技術もあるということで、
一般的に言われる全くの新規就農という立場ではなくて、本当だいぶ有利な状況からその仕事を始められるという条件が揃っていたというのは、
やっぱり農業の世界に一歩踏み入れる大きな理由の一つでした。
農業人口の減少による競争優位性
で、二つ目の理由としては、やっぱりこう、実際今よく言われることですけれども、
本当、今農業をやっている方、方々というのが、やっぱり高年、年齢が高齢化しているということもあって、農業を実際やられている人口がどんどん減っていっているという状況、
逆にその状況が、
これから新規参入して、その業界で、ある意味、ちゃんと立場を築けば、
将来的には絶対的な競争優位性を持てるというような戦略も自分の中では考えていましたね。
やっぱり競争相手がどんどんこれから減っていく世界というのは、
それだけ新しい人が入ってこないというのは魅力のない世界、
なんで、そういう業界なんで、そういう状況にあると思うんですけれども、
私自身は、農業という世界にそこまで悲観的な視点は持っていなかったんですね。
それも、もちろん祖父、父が農業をやっていて、どのぐらいの生活をしているというようなことも実感値として持っていたので、
あまり悲観的な視点は持っていなかったんですね。
そういう中で、ただ人口、農業人口としては減っているというのは、
ちゃんとしたやり方を自分で身につけて、
それで生計が成り立つような、あるいはちゃんと魅力あるやり方を確立できれば、
決して悲観的な未来はないし、
ましてや農業人口が減っているというのは、
そういう中では逆に、とても優位な立場を築けるようになるのではないかという、
そういう、逆に楽観的なというかですね、
明るい未来を描いて、この農業の世界を選んだということがあります。
そして、3つ目のポイントとしては、
一時産業の魅力
端的に言うと、一時生産、一時産業の、
強みというところが魅力的に移ったということですね。
私は前職が、プロジェクトを遂行しているような会社ということだったので、
つまりそれは、受注産業なんですね。
お客様がいて、そのお客様から仕事をいただけないと、
自分たちがどれだけ頑張ろうと思っても、
金を生み出すことができない職種だった。
その仕事をやること自体、
第三者、お客様という第三者に委ねているような状態だったんですね。
なんで、本当プロジェクト自体は、
一つのプロジェクト数千億とかですね、
そういう仕事をしていましたけれども、
やっぱりどこか、
そのお金を自分たちで作っているという感覚が薄かったんですね。
そういう意味で、
私は自分の手で何かを作り出して、
それでお金を稼ぐという経験、
そういうことをやってみたかったというのが、
やっぱり三つ目のポイントで、
そういう意味で農業というのは、
何もない畑から、
自分で物を作り出して、
それを少ない額だったとしても、
実際にお金に変えることができるというところで、
絶対的に自分が物を生み出して、
お金を作れるというところは、
この一時生産の本当強みだと感じました。
これらの三つの点が、
私が実際に、
農業を選んだポイントになりますけれども、
私が会社を辞めて、
次の年に、
野郷ハーティッチファームというものを立ち上げて、
自分の目指す農業というものを目指し始めました。
明日の放送からはですね、
このハーティッチファームという野郷に込めた思いなどを、
シェアできればなぁと思っております。
今日も最後まで聞いていただき、ありがとうございました。
明日からもまた聞いてください。
はい、それでは良い一日をお過ごしください。
ありがとうございました。またねー。