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皆さん、おはようございます。 野菜がつなぐひととひとハーティッチファーム代表もとです。
本日も、農業と学びで心も懐も豊かにするチャンネル、始めていきたいと思います。
この番組は、国内最大手エンジニアイング企業で、17年間世界を飛び回っていた企業選手香川基組が、
40歳を機に脱サラ収納した経験をもとに、農業、ビジネス、キャリア、学びなどについて話しチャンネルです。
はい、みなさんこんにちは。 今日は、
月に2回、第1月曜と第3月曜にお送りしている、私の周りでね、農業関係で面白いことをやっていらっしゃる皆さんにインタビューする
きらのうさんいらっしゃいのコーナーですが、そこで今回は、 栃木県の羽賀郡、羽賀町で
メロンを栽培されている 石毛さんにインタビューに来ました。石毛さん今日はよろしくお願いします。
よろしくお願いします。 今ね、結構あのお話を伺いながらメロンのハウスとか見させてもらいましたけど
メロンがぶら下がってましたね。 ちょっとあのその辺のね、栽培方法なんかもね、後でじっくり聞かせていただければなと思いますが、
まずはちょっと最初自己紹介からお願いしたいと思いますが、出身や農業を始める前の経歴とかその辺を含めて簡単に自己紹介よろしくお願いします。
はい。 羽賀郡、羽賀町でメロンを作ってます。石毛拓郎と言います。
はいよろしくお願いします。 石毛さんは出身はこちらなんですよね。ここは地元で。今のこの場所もご実家で。
ちなみにご兄弟は何人の、何番目とかですか? 3人兄弟の自分が末っ子。
末っ子なんですか? 自分が末っ子です。 石毛さん末っ子。3人兄弟の末っ子。
あれ、上のお二人は今いらっしゃるんですか? 実家にはいなくて、でも羽賀町に一人長男が住んでいるのと、東京の方に一人住んでます。
そうなんですか。 あれ、それはじゃあお二人、その上の兄弟お二方は全く農業は関係ない仕事で。
仕事自体は全く関係ないものの、結構手伝いに来てもらってます。 長男に関しては。なるほど、じゃあ基本農業はついではないんだけれども、
手伝いベースでちょっと来ていただいてるみたいな。 そうなんですね。じゃあ一応この石毛家としては3人兄弟の末っ子の
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石毛拓郎さんがついだっていう形のあれなんですね。 わかりました。
結構ね、末っ子さんが継ぐなんて、日本じゃなんか結構珍しいのかもしれないですね。 そうですね。
中国は、末っ子が家を継ぐんです。 逆にですか?そう。上の人はどんどん先に働きに出て、一番最後に残る末っ子が家を継ぐのが、
中国はねそういう文化なんですけど。 石毛はもしかしたら中国系かもしれない。
私前職結構あの エンジニアリング会社で世界各国に駐在してたもんで、
その話聞きなくてはいかないですよね。 3年くらい中国にもいたもんで、その辺の知識があるでございましたけれども。
ぜひその話もお聞きしたいです。 インタビュー中に質問あればどんどん。
それでちょっと農業を始めるきっかけにもつながるかもしれないんですが、 自己紹介がてら、農業こちらに戻ってきて、農業を始める前のその前職というか、その辺の経歴、
学校出てからとか等々を含めて、その辺をご紹介いただければなと思います。 わかりました。
今自分の年齢が25歳になるんですけれど、
まず高校が宇都宮博洋高校に行ってまして、元からその段階からもう実家を自分が継ぐという意思はあった上での農業高校の方に行ってまして、
家の出体は米爆にはなるんですけど、漠然と野菜に興味があったっていうものもあったので、その後、
滋賀県の方にある滝井種苗が運営する付属専門学校があって、そちらの方に高校卒業後は滋賀県の方に行って、学生として2年間
在籍して、その後には滝井種苗を卒業後、そのまま滝井種苗の方の社員として3年間勤めて、
合計5年間滋賀県の方に行って、その後に栃木県の方に帰ってきたっていうような流れになります。 なるほど、高校を卒業して5年間滋賀県だから23歳までいた。
23歳の時に戻ってきたみたいな感じですね。 今は25歳なんですけど、
帰ってきて3年間ですね。
今年3年目なんですね。
滝井種苗っていうのは、結構有名な種苗会社さんですけど、滝井種苗にそういう専門学校があるって知りませんでした。
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確かにそんな有名ではないかもしれないですね。
それっていうのは滝井種苗の専門学校として、ロジ野菜コースとかそういう色々なんかあるんですか?
今はちょっと制度が変わってるみたいなんですけど、自分が行ってた当時は6個のグループに分かれてたんですよね。
その6個のうち1つ目がナスか野菜。 火災の中のウリカ。
そこを分けてるんですね。 今は一緒らしいんですけど、そこが分けられてた。
次が洋菜のキャベツとか油中。
そっちの方で次4グループっていうのがあって、そっちの方が梱菜グループ。
大根だったりとか株だったりとかやってるグループがあって、
次が5個目が玉ねぎとかネギとか。
それも梱菜だけどそっちも分けてるんですね。
6個目が柿グループって言って花のグループ。
その6個のグループがあるんですけど、1年目は週6日間学校があって、
その6日間6個のグループをぐるぐる回る形で全部のグループを経験するっていう。
コースを選ぶんじゃなくて。 選ぶんじゃなくて1年目を全部。
ジェネラリーとりあえず全コースの基本的なところは全部学ぶ。
そんな形で1年目は全グループ回るっていうような形です。
そうなんですか。
それも全部実習が目になってくるんで、
6日間あるうち6日間全部実際に作業するっていうような。
現場で作業するんですね。
そんな感じで作業するんですよね。
座学はたまーにあるぐらい。
座学はもう2日しかなくて、その中の午前中だけみたいな。
あとはしっかりそのまま実習です。
実習っていうのは1年かけてとりあえずその作物を自分で作ってみるってことですか?
いやもう本当に栽培の専門って言ったらあれですけど、
そのグループにいる栽培担当の社員さんがいるので、
その指示のもと一緒に作業をしていって、作業を終わらせていくみたいな感じ。
どっちかって作業に近いかもしれないですけど。
そう言ったらちょっと怒られてしまうので。
会社としてはその作業をするメンバーを勉強という名のもとにやってるっていう。
なるほどなるほど。
1年目はずっと全部やって、2年目からコースを選んでいくような感じですか?
2年目に関しては希望する人だけなんですけど、
希望する人は2年目に上がれて、2年目になったら1年間を3つに分けるんですよ。
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だいたい4ヶ月間なんですけど。
4ヶ月間を好きなグループどこかに所属するみたいな。
例えば前期、中期、後期っていう3つに分かれてるんですけど、
前期だったら自分の場合な売り化を勉強したいから売り化のグループに行こうみたいな感じで、
前期は4ヶ月間は売り化のグループ。
売り借りちゃうとベッド付きで。
次には例えばキャベツに興味があるんですっていうのであれば、
中期になってきたら中期のグループとして、
3グループの油中のグループに所属して、
また最後後期っていうのがあるんで後期になったら、
後期のタイミングは売り化でいく秒のタイミングだから、
また売り化に戻ってくるみたいな感じで。
6つあるうちのどこかに所属できるみたいな感じで。
それは1年間1つのグループでずっとっていうこともできるんですか?
できます。
それもできる。ただそこは自由に組み合わせられるんですね。
基本、石毛さんは売り化のところに行って2年目を勉強した?
それから自分の場合は売り化、成すか売り化みたいな感じで。
ちょっと変えた?
ちょっと変えたんです。
なるほどね。
3年目はもう会社に入った?
3年目に卒業になるんで1か月の学生は卒業って形になって、
キリになるんですよ。
そのまま自分の場合は宿泊修行にそのまま入った?
はい。スタミンさせてもらったっていうような形で。
そこからもちろん宿泊じゃなくて別の会社に行く人もいるし、
そうですね。例えば実家に帰る人もいるし、
そこは自由に。
それはやっぱり宿泊に入るにはそこで行った方が有利みたいなやつはそういうのもあるんですか?
どっちかっていうと、卒業生に関してはどっちかっていうと、
現場でひたすら栽培の方、栽培員みたいな形ですね、完全に。
そこの自分が所属していた、学生として所属していた子たちを率いて、
作業を終わらせていくみたいな、だから先生みたいな形ですかね。
栽培の先生兼そこの栽培を任されているみたいな形で。
そういうポジションになるんですね。
メインはやっぱり滝修行なんで、育種することがメインになってくるんで、
育種する人なんかはもう本当に国立大学とかめっちゃ頭いいところから入ってくる人がいるんで、
そっちの方が育成の方をして、これとこれ掛け合わせた種があるから、
そういう、なるほどね。
社内でいろいろポジションがあるんですね。
そこで本当に畑の準備だったりとか、終わってからそこの管理だったりとかっていうのを任される。
その責任者みたいな感じになって働くんですね、会社で。
なるほど、なるほど。
なるほどね、そういうところがあるんですね。
それで3年間滝修行の方で会社員として生活して、
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そこから3年前ぐらいかな、こちらに戻ってこようと。
農業を始めるきっかけというかね、最初ご実家がそういう意味では農業だったから、
高校の選択から将来は農業っていう感じで入ったんだと思うんですけど、
ご実家はでもね、先ほどちょっと言葉に出た米博という言葉が出ましたが、
基本お米、麦とか、あとは穀類のそういうね、穀物系で大きくやってらっしゃるご実家だっていうのは
ちょっと先ほどの話で聞いたんですが、そこでご自身は野菜に興味を持ってた。
ちょっとそういう意味もあって、滝入れはそういう選択もしてたかもしれないですけど、
それはどういう、ご実家がドーンとお米やってたら、
それを引き継いで、それを大きくしようとか、そこから新しいやり方っていうのが一番やりやすそうではあるんですが、
全くちょっと違う野菜に興味を持ってたというのは、それは何なんですかね。
そうですね、それは逆に実家が米博を大きくやってたってことが逆に関係してて、
っていうのも大きくやってる面、ひたすら機械に乗ってるっていうイメージが強かったんですよね。
まあまあでもね、そうかもしれないですよね。
コンバイン乗って、基本機械を乗せるみたいな、そういうのをずっと見てきてたんですけど、
機械自体もすごい好きなんですけど、見てるのも。
ただ自分の場合はもっと一つのものに手をかけて、一つのものをこだわって作るみたいな、
っていう方に自分の方が興味を持っていて、
ってなったときに、大きく作ってる機械を乗ってやってる方がメインだと当時思ったんですけど、
それよりも野菜の何かで手をかけて作ろうとなったときに滝石部に行ったら、
メロンだってなって。
そこで、メロンってそこで見つけるんですか。
そうですね。
もともとメロンとか考えてたわけじゃなくて。
行ったすぐにやっぱ、入学って4月じゃないですか。
4月のときに現場なんで、実習メインなんで行ったら、
入学して早々なのに、今から実習の補助行きますみたいな感じで移動して、
今日はメロンの管理ですみたいな感じで言われたんで、
本当に右も左も分からないようにとりあえずメロンの管理するみたいな。
そんなことがあって、メロンの印象がすごく強く残ってて。
やってるうちに、他の作物よりメロンの方がこだわりがいがあるなっていうのにだんだん気づいてきて。
一つの価値が高かったりとかっていうのが、自分の中で手をかけたいという気持ちと合致して、
これはメロンがいいなってなって。
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メロンを作れれば何でも作れるって言われたことがあって、
それくらいメロンを作るのは難しいって言われたことがあったんですよね。
これはこだわりがいがあると思って。
そうですよね。お米って本当にでっかく作って、
こういう言い方したら悪いですけど、
細かいことなんてどうでもいいかなって。
でっかく作って、とりあえず平均より上の短冊取って、
売るだけ売って稼ぐみたいな。
本当にずっとそういう風に思ってて。
それがこだわりがいがなかったんですよね。
けど実際実家に帰ってきてやってみたら、
案外細かいところも大事だったりするじゃないですか。
短冊をあげるためにはどうしようみたいなことを考えたりするところを知って、
捨てたもんじゃないなと思ってきて。
とはいってもメロンの繊細さには敵わないですよね。
迷惑はね。
迷惑じゃないと思って。
なるほど。
逆にそういう一つのものにこだわりたいと。
それがメロンだったんですね。
でもメロンはもう完全に至高品なんで、
他の野菜にはないフルーツ系というかね、
あれはこだわりがいがあって、
それでこだわるほど値段をつけられるっていう可能性は持ってますよね。
もちろんね。
逆になんで苺じゃダメだったのか聞かれることがあるんですけど、
苺ってみんな作ってるじゃないですか。
この辺はね。
作りやすいし。
栃木県なんで。
そこも面白みを感じなかったんですよね。
何?それは何?
みんなが作ってる中で、
その大きい枠組みの中に自分も苺を作るっていうよりかは、
他の人が作ってない品目の中で、
もっとデカく作りたいみたいな。
かと言いつつ、もしその当時、
栃木に苺があったらやってたかもしれないですけど。
一番最初に配属されたのが苺だったら、
これだと思ってたかもしれないけど。
それは運命ですよね。
一番最初にね。
栃木でメロンをやって、
それに感化されたというかね。
そこにやりがいを見つけちゃったという。
なるほど。
今日はここまで。
とりあえず、メロンのきっかけとかね。
こちらに戻ってくる前の会社の頃の話を聞かせていただきましたが。
次回はこちらに実際に戻ってきて、
そのメロン栽培を自分の力で一から立ち上げる。
その辺の話を具体的に聞いていきたいと思いますので。
また次回もよろしくお願いします。
今日はありがとうございました。
ありがとうございました。