1. 耳で旅する「みみ三重ラジオ」
  2. #6「1から作る酒造りから、0..
2024-12-20 34:55

#6「1から作る酒造りから、0から作る米農家へ転身ヒストリー」Guest:楠本祐介さん(若手農家)&山口由美子さん青山智紀さん(熊野農林事務所)【旅するラジオカー in 紀宝町】

「みみ三重ラジオ」は、三重県の伊勢から熊野をみなさんといっしょに旅するように巡り、ゆく先々で出会う人や地域の声をお届けするポッドキャスト番組です。
毎月第一・第三金曜日に、Spotify、Apple Podcast、YoutubeMusicなどの音声配信プラットフォームで最新の番組を配信しています。
リスナーのみなさんからのお便りをお待ちしております。


▼お便りはこちらから
https://mimimie-radio.studio.site

サマリー

このエピソードでは、酒蔵から転身した若手農家の楠本祐介さんのストーリーが語られます。彼はコロナ禍をきっかけに新規就農を決意し、米作りだけでなく野菜栽培にも挑戦しています。紀宝町の地域の魅力を紹介しながら、農業に対する情熱を共有します。また、酒造りから米農家に転身した楠本さんの歴史が、熊野農林事務所の山口由美子さん、青山智紀さんとの対話を通じて紹介され、紀宝町における米作りと地域振興の取り組みが取り上げられています。農業の持続可能な発展や新たな形態の模索が重要であることも語られます。さらに、楠本さんは米農家への転身について語り、地域貢献の重要性を強調しています。山口さんと青山さんは地域の農業や絶品の料理に関する情報を提供しました。

紀宝町の紹介とゲストの登場
皆さん、おはみえ、耳見えラジオスタートしました。この番組は毎月第1、第3金曜日に配信をしています。
三重県の南部地域に焦点を当てて、人や場所や物を紹介して、皆さんと一緒に三重県を旅するような形でラジオをお送りしていきます。
今回のお相手をするのは、私パーソナリティの玉置由美子です。
私は普段名古屋のZIPFMというラジオ局で、週に1回のレギュラー番組をやりながら、熊野古道が好きすぎるので、熊野に移住して、今三浜町に住んでいます。
三浜町から毎週4時間かけて、名古屋と三浜を行き来している二拠点生活中です。玉由美とみんなからは呼ばれています。
ちなみに、もう一人南瀬町のももちゃんというパーソナリティもいまして、交代でこの番組担当しています。
私玉由美が今回はお届けしている耳見えラジオ、三重県の南部地域に焦点を当てているんですが、三重県の南部がどの辺りのことなのかというのを、最初に知らない方のために説明しておきましょう。
三重県の全体の形で言うと、下の方、南部側、和歌山県寄りのエリアです。
伊勢島地域と東吉州地域という二つの地域があって、この二つを合わせて三重県南部と呼んでいます。
三重県というと、どうしても伊勢の辺りまでっていうのを想像してしまう方が県外の方だと多いと思うんですけど、そのもっと下の方にもこんなに素敵な場所があって、いっぱい楽しい人たちも住んでるんだよということをお伝えできればなと思っています。
このミミゲーラジオは、毎回そんな三重県の南部のいろんな場所からお届けをしています。
今日は三重県紀宝町の伊田というところに来ております。
この紀宝町は三重県の中でも一番南に位置しておりまして、隣は熊野川という川を挟んでお隣が和歌山県でございます。
なので三重県の中でも一番南に位置している場所なんですが、この紀宝町、目の前は真っ青な水平線が広がる熊野なだがありまして、その奥にはなだらかな平地が広がっていて、その奥がちょっと山がちな土地になっているような感じで、
今日はこの伊田っていう地域は田んぼと畑が目の前に広がっていて、めちゃめちゃ今のどかな雰囲気の中収録をしています。
今日しかもありがたいことにこの伊田神社という宇治神様の社務所をお借りしてまして、なんと社務所からラジオをお届けしているというまたまたレアな回になっております。
今日はこの紀宝町の魅力を思いっきり探っていきたいと思うので、どうぞ最後までお付き合いください。
This program is brought to you by Kobadaman and you.
今日は三重県の紀宝町を旅しているわけですが、先ほど紀宝町のこの伊田地域、ラジオカーで走っておりましたら、畑の方から手を振ってくださる方がいらっしゃいました。長靴姿で。
それでは今日はこの方をゲストにお呼びいたします。紀宝町でお米農家を営んでいらっしゃる、くすもとゆうすけさんです。
楠本さんの農業への転身
くすもとさん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。くすもとです。くすもとゆうすけです。
お願いします。
お願いします。
くすもとさん、すごい緊張していらっしゃるって伺ったんですけど。
めちゃめちゃ緊張します。
くすもとさんは、地元の新聞とかにも若手のお米農家さんのガッツのある方としていろいろ紹介されてたりもして、さっきこの伊田地域には野菜の畑があるんですよね。
そうですね。にんにく、玉ねぎ、あと大根、3種類、ちょっと試験的な形も兼ねてできるかなっていうのを試しながらなんですけど、やってます。
本業メインはお米を育てていらっしゃるんだけれども、その傍らで野菜をやってる?
そうですね。ちょっと野菜もやってみようかな、今年から始めてみようかなっていう感じで。
今年からなんですね。
はい。野菜に関しては今年からです。
お米をやりながら野菜もやってみようみたいなきっかけってのはあったんですか?
以前から興味はあったのはあったんですけど、なかなかやる機会がなかったっていうのもあるし、今年ちょうど、ちょうどというか。
チャンスというか。
そうですね。
いろいろな巡り合わせで。
ちょっとありまして。
畑をやれることになりっていう感じなんですね。
なんかあれですよ。話聞いてると、もともとお米の田んぼだったところを畑に変えてるんでしょうね。
そうですね。水入ってこないようにもできる田んぼだったんで、いっそのことやってみようかなっていうことで。
畑にするんでしたら、水はけのとこじゃないとあかんみたいな感じであったんで。
で、ちょうどもう水路の水も切れる場所だったんで、ちょっとやってみようかなと思って始めました。
じゃあ今ちょっと田んぼだったところを畑にした場所で初めて野菜を作るっていう新しいチャレンジをしてらっしゃる。
そうですね。
お米は作り始めて何年くらいになるんですか。
自分でやり始めたのはもう4年前ですね。
それまでは手伝いながら。
ご実家で。
はい。実家の田んぼをちょっと手伝いながらだったんで。
まあ兼業みたいな感じですけど。
なるほど。ご両親は、お米はもともと家業としてやってらっしゃったんですか。
いや、家業ではないんですけど、両親も兼業で。
そうですか。草本さんはもともと紀宝町のご出身なんですね。
そうですね。紀宝町で生まれて。はい。
で、その後は。
小中。
小中、紀宝町で。で、高校は熊野市の木下高校。
はいはい。
大学は静岡の方に行って。
大学でも静岡に行かれたんですね。
はい。
でもその後は静岡で就職したんですか。
で、就職させてもらって、酒蔵の方に染めさせてもらったんですけど。
酒蔵はちょっと興味があった感じだったんですか。
そうですね。なんか、市から物を作る仕事って素敵やなって前々から思ってたんで。
で、いろいろ探してたら、僕もアルコール好きだったんで。
はいはい。
日本酒ってええなって思って。
市から作れるし、そこの製造に携われるんやったらちょっとやってみたいなと思って行ったんですけど。
へー。
で、その後、しばらく静岡でお仕事された後、基本調に戻ってこられたタイミングがあったってことですね。
そうですね。いろいろあって、帰ってきてから田んぼとか手伝いながら普通の一般の仕事を継いだんですけど、15年くらい。
ちなみにその15年間はどんなお仕事されたんですか。
糸川屋製菓っていうお菓子屋さん。
おー。
お菓子屋さん行かさせてもらって。
へー。
いろいろ営業もさせてもらったり、製造の方もやらせてもらったり、一通り全部やらせてもらったんですけど。
ずっともう田んぼのことを手伝いながらしてたんで、どっかでなんかやれたらな、チャンスあったらなっていうのもずっと思ってて。
あー、そっかー。
ずっと思って、もう十何年ずっと思ってて。
15年間そのお菓子屋さんで働きながら、ご実家の米をずっと手伝いながら。
手伝いながらしてて。
へー。
で、農業だけで食べていく自信とかもないですし、どっかでやりたいなっていうのはずっとあって。
で、40歳の時にちょうどコロナかなんか流行って。
はいはいはい。
コロナがありまして。
今から4年ぐらい前ですね、ちょうど。
そこで踏ん切りついたというか、いろいろ考えて新規就農してみようということで。
へー。
ちょっと思い切ってしまったんですけど。
それはやっぱりコロナとかで周りの環境がいろいろ変化して、時代もいろいろ変わっていくタイミングやからこそ農業を始めようって。
そうですね、いろんなこと、国も副業を進めたりですとか、いろんなそれがきっかけといえばきっかけですけどね。
結構勇気のいる決断ですよね。
15年勤めた会社を辞めてお米一本でやろうってなると。
だって最初はお米作り自体はずっと手伝ってらっしゃったから、やり方はわかったり機会はあったり。
農業の将来と人とのつながり
そうですね、その点はちょっと恵まれてたんですけど。
でもそれだけで食っていこうと思うと。
そうですね。
そこは勇気を出して。
そうですね、ちょっとやってみようかなと思って。
くすもとさん本当なんか、お酒もそうだしお菓子もそうだし、お米も何よりそうですけど、
1から物を作るのが好きなんですね。
そうですね。
最初に1からって思って酒蔵入ったんですけど、そこで酒米作ってる農家さんと出会って、
こっちの方の方が1からやわって思って。
ゼロからって感じでしたもんね。
そうですね、ゼロからやな。
土から米を育てて。
それは最初に思いました。
そんなのあったのかもわからんですね。ちょっと意識的な。
確かに確かに。だからお米を作るご家庭で生まれて、一旦は酒作りの方に行ってみたけど、
よくよく考えてみたら、ここにまた戻ってきたみたいな。
そうですね。
じゃあやっぱりお米を育てて、そこから先もお米を何かにしたいとか、そういう気持ちもあるんですか?
いや、今のところはお米を加工品にっていうのはないですけど、
やっぱり食べていただきたいっていうのが一番ですけど、お米として。
でもやっぱりくすもとさんの野望が、いだのくすもとっていう野望でやられてて、
私、写真とか試作中のジャバラリンゴシロップもちょっと見せていただいたんですけど、
すごいデザインとかがおしゃれで、外から来た人もつい手に取りたくなっちゃうようなパッケージになってて、
それってやっぱり今までの経験も活かされてるっていうか、
販売とか営業とかのお仕事もされてたって言ってたんで。
ちょろっとだけですけどね。
なんかその辺もやっぱりつながりがあったりするんですかね。
デザインはね、中学校の同級生がちょっとアパレル関係のお仕事をしてました。
それでその子にちょっとこんな感じでしてくれんかっていうことで、絵に描いてお願いしたんですけどね。
そっか。じゃあそんなお友達とのつながりもありながら。
あったんでよかったですけども、たまたまいたんで。
その辺とかもパッケージをデザインして売ろうっていうのとかのある意味戦略みたいな部分も、
楠本さんがご自分で考えてやられてるっていう感じなんですか?
そうですね。基本は自分ですね。
どうですか?なんか今までやっぱその会社員としてのご経験も長いから、
全部自分で考えるじゃないですか。お米作りそのものもそうですし、
それをどう売っていこうみたいなのも全部自分でやっていくってなると、その辺は大変ですか?楽しいですか?
楽しいですけど、やっぱり自分でやるとその分やっぱ人との出会いも増えるんで。
僕どっちかいうと人好きな方なんで。
その辺は楽しいですけどね。いろんな人と出会えることによって。
それが販路拡大につながる時もあればつながらん時もあるし、
いい意見も悪い意見も聞かせてくれるんで。
その点は直接耳に入ってくるんでありがたいですけどね。
やっぱそういう楽しさがあるんですね。
そうですね。
どうですか?今4年?5年くらい経ちましたね。
そうですね。5年目になるんですかね。
今の気持ちというか、4年やってきてどうですか?
いろんな人に僕も助けてもらってきたんで。
県の方々であったり、協調役場の方々であったり、周りの農家さんであったり。
いろんな人に助けてきてもらったんで、
僕もこれからは人にアドバイスとかできるようになっていきたいとは思いますけど、
僕みたいに新規収納したいっていう人おったら、
僕らも後押しじゃないですけど、ちょっとおこがましいですけど、
できたらなぁとは思いますけどね。
そういう結構いらっしゃるとは思うんですけど、
新規収納興味あるなぁと思っても、やっぱりかつての楠本さんみたいに、
それだけでやっていけるんかなぁとか、初めてでやれるんやろうかみたいな不安がある人たくさんいると思うんですけど、
楠本さんの農業転身
何かありますか、そういう人たちに伝えたいことっていうか、励ましいというか。
気軽にやってみたらとは言えませんけど、
一生懸命やったら周りも助けてくれる人もたくさん出てきますし、
人とのつながりが出てきたらやっぱりアドバイスも、いろんなアドバイスもしてくれる方もいっぱい出てきますんで、
覚悟を持ってやるとやっぱりいいとは思いますけど。
楠本さんもその覚悟があって踏み出されたわけですよね。やるからにはやろうみたいな。
覚悟というか、ちょっとした勇気というか。
僕も覚悟ごとまでは行きませんけど、ちょっと勇気出しただけですけど。
あと他に、今さっき見せてもらった野菜の畑とお米はまた違う地域にあるんですか。
違う。同じ紀宝町なんですけど、大里というとこで。大里とか平尾とかあっちの方でありますね。
で、みかんとかじゃばらっていう柑橘も育てられてるって言ってました。
そうですね。三浜町行く方にひらみっていうとこあって、その辺で少量ですけど。
じゃあ、一年通してお米をやる時期ってやっぱり春から秋って決まってると思うんですけど。
そうですね。
春から秋、大体の一年の流れみたいなのを聞きたくて。
田植えは?
田植えは4月の頭からしますね、この辺は。
早いんですよね、この辺の田植えって。
早いですね、4月の頭。下手したらもう3月31とか30とか31とか。
私愛知県出身なんで、こっち来た時最初びっくりして、3月の末にカエルの声がめっちゃ聞こえるっていう。
驚きましたけど、それが普通ですもんね、こっちだと。
そうですね。
で、4月に田植えして。
水の管理ですとか、水肥したりですとか、除草剤まいたり、病気の予防の消毒であったりとか。
そんなのドローンとかでもするんですけど。
ドローン使うんですか?
はい、農業用のドローンで消毒とかは基本的に。
で、刈り取りが8月。
8月、早いですね、刈り取りの時期も。
頭からですね。
8月の頭には稲刈りしちゃうんですね。
そうですね、早いところで言うと。
じゃあもう新米として出回るのは8月中、下手したら。
8月中には、盆米には出回ると思います。
すごいですね。
じゃあこの井田のくすもとさんの米も8月中には。
そうですね、盆米には新米出ますね。
全部もうその時期に刈り取っちゃうってことですか?
いや、全部1ヶ月かけてですね。
1ヶ月かけて。
で、刈り取りが終わったら、一旦お米は田んぼは置いといてって感じなんですか?
そうですね、田んぼは置いといて、今年ですと野菜の準備始めました。
9月中ぐらいから野菜の準備始めて。
県の方々とか農協さんに手伝ってもらいながら、植えたりするのもちょっと手伝ってもらいながら。
初めての試みですね。
そうですね。
じゃあやっぱりその田んぼを刈り取り終わった今ぐらいの時期っていうのは、割と農歓喜だったというか、今までは。
そうですね、農歓喜だったんで、今まではそんな感じだったんで。
なんかやれることないかなーみたいな感じだったんですか?
そうですね、みかんやってる方、知り合いの方のところにバイト行かせてもらったり。
そうか。
で、水道屋さんのバイト行かせてもらったり、友達水道屋さんおったりするんで。
で、土研屋さん、コンクリート家のバイト行かせてもらったりとかもしましたし、今までは。
いろいろですね、中核手伝わさせてもらったりとか。
ほんとにあれですね、いろんなお仕事を組み合わせて。
そうですね。
ユンボとか乗ったりもしますし。
そっか、そのユンボを扱えるから。
水道屋さんの手伝いとか。
ちょっとなんか手伝ってやーっていうのがあったら、みたいな感じなんですね。
なんかほら、今って都会の方では履歴書とか送らなくても仕事できるタイミンとかあるじゃないですか。
なんかもうあれの先駆けみたいな感じちょっとしますよね。
そっかね。
そこまではいかないと思いますけど。
いろいろね、こう自分ができることがあったら助けに行くみたいな。
まあ知り合いも多かったんでね、その点助かりましたけど、ありがたかったんですけど。
なんかその持ちつもたれつな感じがありますよね。
ですかね。
逆に手伝ってもらうようなこともあるんですかね。
あります、もちろん。
田植えであったりとか、収穫の稲刈りの時であったりとか。
機械で買ったものを運んでもらったりとかもしますんで。
技法上では、今私のお聞きしたところによると、そういう田んぼっていうものがあるんだけど、
その後継者の方がなかなか見つけるのが難しいから、それを畑に変えて、こうやって農間機に使ってもらうみたいな取り組みがあるっていう風に聞いたので。
詳しい方にも今日一緒に来ていただいてるんで、話聞こうかなと思って。
そうですね。
ちょっと一緒に来ていただいてお話ししましょうか。
三重県熊野農林事務所の山口さんと青山さんにも今日は来ていただいてます。よろしくお願いします。
お願いします。
もともと今日は、なぜくすもとさんにお話聞けることになったかっていうと、山口さん、農林事務所の山口さんがラジオすごいお好きで、
私たちも地域をラジオで盛り上げたいっていう気持ちで耳見えラジオやってるんで、
それを聞いてくださって話を、そしたらなんか一緒にやりましょうってなって、今日はこういう企画が生まれたという形になってます。
山口さんありがとうございます。
米作りの伝統と課題
ありがとうございます。
山口さんがすごい熱心に取り組んでいらっしゃるその試みが、きほうちょんはもともとお米を育ててらっしゃる方が多い場所だったんですよね。
だけど、きほうちょんのお米の作り方っていうのが結構、昔ながらの製法というか、
きほうちょんの人たちがすごい知恵と工夫でやってきた、いろんなものが詰まってる製法でお米を作られてきたみたいなお話を聞いたんですけど。
基盤整備というか、大きな穂上ではない田んぼが多い、昔ながらの小さな棚田のような、小さな田んぼとか大きな田んぼとか、
工事が大きな区画になってないような田んぼが多いところがあるんです。
そういったところは、大きな機械が入らなかったりとか、小さい機械しか入らないので、すごく手間がかかるようなところがあるんですけれども。
例えば、重機が入らないから手で植えるしかないとかそういうことですか?
そうですね。とか、小さな機械しか入らないので、楠本さんのような若い方は大きい機械でされますので、そこではなかなかできないというか、
米作りがなかなかできないですよね。できないというか、効率が悪いので、そういったところはどんどん荒れていくんです。
それを昔ながらの広報と言ったらそうなんですけれども、こういった熊野とか、熊野だけじゃないんですけど、
マリアマセンマイダーとかも代表されるように、農業を昔から営んできたことで作り出す風景っていうのが、
人々、訪れる人々をホッとさせるし、昔ながら続いてきた農業を営むというところを守っていきたいなと思っていまして、
そういったところも、やっぱりでも稼げないと、農業をして稼ぐっていうところはどうしていったらいいかなっていうところで、
米だけではなくて、野菜も作って収入を増やしたりっていうような新しい、新しいというか、新たな形態を探るという点で、
そういった取り組みというか、地域の皆さんと一緒になって、今取り組みを始めているところです。
基本調でずっと営まれてきたのは農業っていうものを、次の世代にもつないでいけるように色々模索しているうちの一つが、
田んぼを畑に変えようっていう取り組みなんですね。
さっき見せていただいた楠本さんの畑っていうのは、まさに元田んぼだった場所?
元田んぼです。
はい、元田んぼです。
さっきそれも青山さんとか楠本さんにもお話し聞きながら見てたんですけど、青山さんにお尋ねしたかった。
やっぱり元田んぼだった場所っていうのは、畑として作られた場所とはちょっと違うんですよね?
そうですね、どうしても田んぼとしてお米を作っていくとなると、やっぱり水、皆さん想像しやすいように水を張ってるイメージがあると思うんですけども、
やっぱりそういう水が張るってことは、持ちがいいって言い方をするんですけども、またどうしても雨が降ると水が溜まりやすい。
どうしても畑の作物、野菜とかってなってくると、そういうちょっと、もちろん品目にもよるんですけども、水が溜まってしまうようなところだと、
なかなか育てづらいというのがあるので、田んぼを畑にするときには水はけとか、そういったところに気を使わないといけないというのが一つあります。
その田んぼには水はけの良くないというか、水持ちの良い土がいっぱいあるわけで、どうやったら水はけを良くできるんですか?
本当に一つわかりやすいところでいきますと、田んぼの周り、額縁というふうに言われてしまうんですけども、そこに大きな溝を掘ってですね、
例えばイメージしやすいところで言うと、畑だと船を建てたりすると思うんですけども、そういうところをこの溝とつなげると、雨が降ってもそこに流れていくので、
土壌の中に水が溜まりづらくなる。
なるほど。だからお城のお堀みたいなものを作って。
そうですね。その野菜自体に影響がないように水が溜まらないようにするっていうのが、一つわかりやすいやり方になってくる。
なんか私も田んぼだった場所を畑にするっていうの初めて聞いたんですけど、結構全国的にされてたりする取り組みなんでしょうか?
そうですね。どうしても山口さんもおっしゃってもらったように、水道農家さんになると、三重県でもこちらの東九州地域というよりかは、
北西南とか中天の方ですと、やっぱり規模がでかいところだと、畑じゃなくて田んぼで稲麦、大豆の探索っていうのが基本的な栽培形態になっています。
それ以外にも、田んぼを使って大規模でキャベツを作ったりとか、そういったことは、民間に限らず、
他の地域でも転換というよりかは、田んぼの活用ですね。
地域振興の取り組み
稲刈りし終わった後のこの秋冬の期間もうまく使っていくっていうのは、どこも取り組まれているようなものにはない。
そういうことなんですね。
広く使われている手法ではあるけれども、それを取り入れながら、
地方庁の農業が次世代につながっていく方法を、仕組みを整備する側の方々も一緒になって取り組んでいっているという感じですよね。
お三方とお話ししていると、本当に楠本さんと青山さんなんかもすごく仲がいいというか、
普段からすごくいろんなこと相談し合ったりとか、さっきも畑で青ちゃんこれどうしたらいいやろねみたいな話をしながら畑を見てるのを見て、
すごく一緒に歩んでいっている感じがして、それがすごい素敵だなと思いました。
どうですかその辺、楠本さんはやっぱり。
そうですね、もう話しやすくて、めっちゃ僕もいじられてますけど。
兄弟のような感じで。
ありがたいです。
本当に一農家さんとしても、自分たちが家業として農業をこれからも続けていくために必要なことをいろいろ相談しながらやっていける場所ということなんですね。
そうですね。
やっぱり楠本さんの中にもありますか、続いていってほしいというか。
そうですね。そんなに僕もいっぱい儲けてやろうとかそんなつもりはないんですけど正直言うと。
でもやっぱり今後、気保町、やっぱりそんな小さい町なんで、産業として残していってほしいなっていうのはやっぱり僕ら気保町で生まれた人間としてありますんで、農業で携わっている人間として。
米農家への転身の背景
できることやったら会社にさせてもらって、従業員さんも雇わせてもらえて、未来的に残していける組織とかになったら一番いいのかなっていうのをしたいなっていうのは正直ありますけどね。
僕も今までこうやってみんなに助けられてやらせてもらってるんで、これから2050年、消滅都市、三重県の下の方も入ってますけど、そんなになってほしくないんで、そんな形で僕も育ててもらったんで、これからはそういう形で気保町に貢献できたらなっていう思いは正直あります。
野沢山口さん、今田んぼを野菜に変えられていくっていう試みをされているそうなんですが、それに関するイベントが今後あるんですよね。
はい。
ちょっとその告知をお願いしてもよろしいですか。
ありがとうございます。
おかえり食堂。
楠本さん、最後に気保町でのおかえり食堂というのを聞いておりまして、楠本さんが気保町でここを食べに行くと、気保町があるなって思えるようなお店とかそういう場所をお尋ねしてるんですけど、どこですか。
えーと、ここから近いんですけど、近くにトンキーっていう、ちょっと何年か前にできたラーメン屋がありまして、開いてることは少ないんですけど、開いてたら行ってもらえたら、豚骨ラーメンのお店で。
レアなお店なんですね。
レアですね。内のこ見つけるぐらいレアですかね。
お知り合いだったりしますか。
いや、全然しません。
そういうわけじゃないけど。
多分もともとよその方なんじゃないですか。
そうなんですか。地元の人でも出会えたらラッキーで。
そうっすね。
気になるを見せたら。
わかりました。おすすめのメニューは。
僕はもうチャーシュー麺いつも食べてますけど。
わかりました。結構やっぱり外で体を動かすお仕事やから、余計にこってりしたラーメンうまーってなるんですかね。
そうっすね。
まあね、唇テカテカしてきますけどね。
まあまあ美味しいです。
じゃあちょっと後でいただいて。
開いてたらいいんですけど、開いてることを期待して。
そうっすね。
行ってこようと思います。
はい。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
さあ、というわけで。あ、はいはい、もう一個。
あとあれも言うときます。
あ、聞いとこうか。開いてなかった時のためにね、トンキーが。
まあまあ開いてあると思うんですけど、一応もしその後ちょっとスイーツ的なの食べたなるようでしたら、
ちょっと新宮向いて行ったところにアフレイルっていうケーキ屋さんがありますので。
ケーキ屋さん。
ケーキ屋さん。
はいはい。
そこのモンブランがもう、はい、西日本一うまいです。
おー、出た、西日本一。
はい。
東を制するモンブラン。
はい。
違う、西を制するモンブラン。
そうですね。
おー、わかりました。
うまい、ものすごい美味しいんで。
わかりました。いいですね、ラーメンとスイーツっていうのも。
そうですね。
夕方行ったらちょっとこの間あのモンブラン売り切れてたんで。
なるほど、じゃあそれも地元の方から愛されるモンブラン。
それもちょっと食べたいな気になります。
行ってみてください。
はい、行ってみます。ありがとうございます。
はい、ありがとうございます。
それじゃあ今日はありがとうございました。
基本庁でお米農家をされている楠本さんと、
それから三重県熊野農林事務所の山口さん、大山さんにお話を伺いました。
気保町の美味しいスポット
どうもありがとうございました。
ありがとうございました。
さあ、というわけで私玉置由理子がお届けしてきたミミミエラジオ。
今回は基本庁からお届けしてきました。
いやー、本当に基本庁のお米って私も買って食べることあるんですけど、
美味しいんですよね。
なんかこうもっちりしてて甘みもあって、
なんかそれってやっぱこういう人たちの愛情がこもってるからなんだなって改めて思って、
今年も基本のお米食べようって思いました。
ということで、次回もこんな感じでゲストをお呼びしてラジオをお届けしていきます。
次回はももちゃんが担当してくれます。
収録したおすすめスポットだったり、
ミエの面白情報や番組の裏側なんかは公式のSNS、
InstagramとTikTokがありますので、そちらをぜひチェックしてみてください。
この番組ミミミエラジオはSpotify、Apple Podcast、Podcastなど主要な音声配信プラットフォームで、
毎月第1・第3金曜日に最新エピソードを配信しています。
リスナーさんからのお便りもドシドシお待ちしています。
番組の感想とか、あなたにとっての帰り食堂をぜひとも教えてください。
番組へのお便り・感想は番組の概要欄からジャンプできる番組ホームページにメッセージフォームがあるので、そこから送ってください。
待ってます。
ももちゃん、次回はよろしくお願いします。
ちなみに私、玉入とは次の次の回でまたお会いできる予定なので、楽しみにしていてください。
というわけで、ここまでのお相手はミミミエラジオパーソナリティの玉置由里子でした。またねー。
この番組は、鳥尾事務局がお送りしました。
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