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ストーリーとしての思想哲学
思想染色がお送りします
今回は、刑罰というものについて話したいと思います
今、我々が住んでいる社会においては、何らかの犯罪を犯すと
刑務所で身体的に自由を奪われるという懲役刑を課されますよね
僕たちにとっては当たり前すぎて
普段あんまり考えたことがないテーマかもしれないし
僕も本を読むまで別にそんな考えたことはなかったんですけど
こういうものについて分析した理論っていうのがあって
これは一体何なのかっていうことについて説明している人たちがいます
一番有名なのはミシェル・フーコーっていう哲学者の分析なんですけど
この人は1926年に生まれて1984年に亡くなったフランス人です
ただ一番有名なのはフーコーなんですけど
その前にも刑罰について考察している人たちっていうのはいて
その人たちのこともあのちょっと紹介していきたいと思います
フーコーの前には
あのデュルケムとかルーシェとかキルヒハイマーっていう人たちがいて
この人たちの分析によると
まず刑罰には大きく2種類あるっていうふうに言います
一つ目が身体的刑罰
これは今の僕たちの社会ではあんまり見られないですけど
ムチ打ちとかシチュー引き増しとか
そういう体を痛みつけるっていうタイプの刑罰です
これを身体刑って言います
二つ目が自由迫奪刑
これは刑務所とか監獄とかっていうところで自由を奪うっていう
まあ今の社会でよく見られるタイプの刑罰です
これを自由刑って言います
で、なぜ身体刑が廃れて
僕たちの社会は自由刑を執行するようになったのでしょうっていうのが今回のテーマです
直感的にはやっぱり身体刑って非人道的だし
いくら犯罪者だからといっても
ムチ打ちとかはさすがにやりすぎだからやらなくなったんだっていう風な感じがいたしますけども
でもさっきのキルヒハイマーらは違う考察をしています
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昔は自由刑っていうのがあんまりなくて多くが身体刑でした
これがなぜかっていうのを経済的理由に求めます
昔は個人が私有財産っていうものをほぼ持ってなかったし
社会も豊かじゃありませんでしたから
だからね、体くらいしか取り立てられるものがなかったと
でも資本主義とか産業革命を通して商品経済が成り立つと
刑務所の中で犯罪者に労働をさせるっていうことが可能になりました
そうするとシンプルに働かせた方が得なんですよね
体を無意味に痛めつけても一円の得にもならないけど
でも刑務所でただ働きさせると国が儲かりますから
だから身体刑から自由刑になったんだよっていうのが
キルヒハイマーたちが提出したロジックということになります
しかし一方で有名なミシェル風光はこれは違うと言います
ただ風光の話に入っていく前に
この経済合理性ロジック自体は否定はできないかと思います
風光は違うって言ってるけど
確かに風光が住んでた西ヨーロッパでは
もっと複雑なロジックが働いてたと思われるんですけど
例えばソビエト連邦なんかは結構がっつり
この経済性のロジックっていうのが当てはまるんですよ
風光は刑罰ももっと複雑な理由によって
自然と刑罰システムっていうのが成り立ったんだよっていう風に言うんですけど
でもソビエト連邦なんかは
国のシステムを人為的に構築した国じゃないですか
人為的に作られた国ですから刑罰も人為的なんですよ
この社会主義国であるソ連は
生産性っていうのを史上名台にしてたんですね
そのあたりはジョルジュ・バタイユっていう哲学者がよく言ってることなんですけど
生産性史上主義かつ人為的国家であるソ連は
自由刑ですね
その方が国が労働力にして儲けられるから
自由刑が採用されたっていうさっきの経済的ロジックが
当てはめても良いかと思います
はい、ということで今回はここまでです
次回もよろしくお願いします