00:00
声を、思いを、世界中に届ける。こえラボ、経営者の志
皆さん、こんにちは。ナビゲーターの山口智子です。
本日のゲストは、株式会社ワイコムパブリッシングシステムズの代表取締役、田上安幸さんです。
田上さん、よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
まず、田上さん、自己紹介、そして会社のご紹介からお願いできますか?
はい、田上安幸と申します。会社は、株式会社ワイコムパブリッシングシステムズという長い名前なんですけども、
今の事業は、ウェブ集客搬送のホームページを専門で作っている会社でございまして、
社員が12人ほどおりまして、今年の2月、今月で創業25周年をおかげさまで迎えさせていただきました。
おめでとうございます。創業25年ということですね。
そこまで25年、会社を維持してまた発展させていくって、いろんなことがあったかとは思うんですが。
いろいろありました。
今のいやーという言葉に、いっぱい込められていますね。
そのあたりのお話も伺っていこうと思いますが、
田上さんの会社は福岡にあるということで、福岡とズームで繋いでお話を伺っておりますが、
まず、今はホームページなどの集客支援とか、そういったこともやっていらっしゃるということですが、
もともとはまた違うお仕事だったと、そこから会社を立ち上げてという、そのあたりのきっかけなどもまず伺いたいですが。
以前勤めた会社は、中社情報誌の出版社でして、そこで編集者をやってたんですけども、
カーセンサーとかグーとかね、今コミュニに並んでますけど、あれの吸収だけで、
吸収と山口広島ぐらいまで出てる本がありまして、そこで編集部で編集者やってたんですけど、
この雑誌の編集という仕事をやりたくてこの業界に入ったんですけど、確か編集記事は10ページあるんですけど、
メインの仕事は原稿集め。400ページぐらいあるんですけど、そこの中身の中古社物件のページがですね、
400ページ中の8割ぐらいが広告なんですけど、それの原稿を締め切り道に集めて印刷会社に入稿するというのが仕事でしたね。
これが編集長の仕事でした。
03:02
なかなかそこも大変そうな仕事ですね。
しかもね、物件ページは全部広告なんですね。クライアントさんのお金が出てるんで、訴訟が許されないんですね。
だから営業担当が写真撮ってきて、写真切り張りして、昔は紙で印刷してやってましたから、手で切り張りしてきれいに並べて原稿にしてたんですね。
その当時、お仕事自体は大変だったけれども、楽しくやってらっしゃった?
いや、楽しくなかったですよ。いつ辞めてやろうかと思って。
そういう状況だったんですね。
1万回ぐらいも言いましたね。こんな会社辞めてやる。帰れないですよ、原稿来ないから。
確かに、編集の方って原稿来ないことには動けないから。
そう、印刷会社に入れるのが仕事なの。来ないと入れられない。
じゃあ、もうずっと会社に缶詰状態が結構長く続いてた?
2時、3時までね。下手したら朝7時に持ってくるやつがいましたね。
そうなんですね。でもいつか、いつも早く辞めてやろうなんて思っていたっておっしゃってましたけども。
もう毎回思ってました。会社辞めてある。
でも、そこから何か転機が来たのはどういうところだったんですか?
辞めるのはいつでも辞めれるなと思ったんですよ。
じゃあ、この仕事を何か楽にする方法はないかなっていろいろ考えたんですね。
なるほど。
当時、紙でやってましたから、原稿って、今、印刷物ってMacとかで画面上で作っちゃいますけど、それが流行る前だったんで、全部紙なんですね。
写真も、反したって言って文字が書いてある。全部紙で。
で、これを3つ入れるんですけど、これがちょうどですね、今Macは当たり前ですけど、マッキン投資でDTPっていうやり方が、ちょうど普及が始まった頃でですね。
で、あとデジタルカメラがちょうど出たしましてね。
今はね、スマホに5000万画素とかね、iPhoneでも2000万画素とか出てますけど、あれが100万画素で120万とかね、捨てた時代がありまして。
そうなんですね、同時。
そうなんです。それを使って、なんか、全部自動でできるかなと思いつきましたね。
で、3年かかって、文字の自動組み込みとか、あと写真を画面上で拡大縮小したりとか、あの辺のシステムを作りましてですね。
自分でプログラムを独学で勉強してですね。
それはね、なんでそれができたかっていうと、もう自分が仕事がいつまで経っても変えれない状況を何とかしたいと。
もうこの原稿を待つっていう仕事はもうギャリギャリしようがなかったんで、これを何とか、俺がいなくても原稿が入るような仕組みにしたいと。
06:06
はい。
いう思いだけでいろいろ勉強してですね。
へー。
それで作ったんですよね。
へー。
もう完全にですね、自動化して。
で、営業担当がですね、この原稿を入れるんですけど。
はい。
彼らが入れた原稿がもう、構成って言ってですね。
印刷物ってですね、昔は紙の原稿を入れるとですね、必ず構成ってなったんですよ。
はい。
構成って言ってチェックするんですね、間違ってないかをね。
はい。
色指示とか写真がね、ちゃんと指示通り入ってるかとかチェックするんですよ。
うん。
で、これが必ずあってですね。
で、印刷会社の会議室に詰めてですね、みんな営業側の九州各地が集まってきてですね。
はい。
わーわーやって、これは間違ってるとか正しいとか。
あと原稿がね、ダミーが入ってるんですよ。
へー。
選ばないからダミーで入ってる原稿を本番に差し替えたりとかね、色々やってるんですよね。
うんうんうんうん。
で、その構成ってのは基本的に間違ってるものを直すだけなんですけど。
うん。
現実的にこの新しい原稿、本番の原稿が初めて入るみたいなんですね。
だから原稿差し替えるの当たり前になっちゃってるんですね。
はー。
もう私あの、入稿係で編集長なんか、板挟みに入りましてね。
えー。
警察会社から直すなって言われるわけですよ、困りますって。
こんなん直されたらもう校庭守れませんって、下請けの製版会社から怒られてますって。
そこをですね、私もあの、営業担当の広告主から、これ絶対変えろって言われてやってるわけなんで。
はい。
そこをなんとか頭下げてするわけですよね。
うーん。
もうなんとかお願いしますと、いやごめんごめんって、もう次からせんようにするからって言いながら毎月やってるわけですけど。
はいはい。
そういうね、板挟みの状態だったんですけどね。
この問題も解消したかったんです。いつまでも変えれないっていう問題と。
はい。
その、変更、直しを入れる営業担当とその、印刷会社のね、受け入れる担当が間の板挟みになるのも解消したくて。
はい。
それで、もう全部パソコンの中で、写真も並べ終わって、拡大出張もやって、色指定とかって言ってね、色指示とか、そんなのも全部終わって。
で、ボタンを押したら、もうその場でプリンターから構成が出てくると。
へー。
そこでチェックして、でも間違いがあったら、またそのシステムに行って直して。
はい。
で、保存したらもう終わりと。
うん。
いう風にしたんですよ。
へー。
そしたら、もう画期的でしたね、これがね。
ですよね。
いやもう、戻りがなくなって。
へー、すごい。だってそれ25年以上前ですね。30年ぐらい前っていうことになりますよね。
えっと、そうですね。26、7年ぐらい前ですかね。
09:02
へー、じゃあそれを開発して、かなり画期的でもう効率も良くなったんでしょうし。
そうですね。
いや。
まあ、著者情報事業界じゃ多分一番だったはずですね。あんな自動化で400ページっていうやつはね。
へー。
手作業でね、Macでイラストレーターとか使って写真を並べて作るっていう会社は別に四国のほうにあったんですけど。
うーん。
まあ、リクルートさんがカーセンサーっていうほうがね、同時にやってライバル会社でしたけど。
うん。
あちらがデジタルカメラにしたのが2年ぐらい後ですからね。
へー。
あのー、富士フィルムさんと一緒にね、共同開発したような感じですよね。
そうなんですね。じゃあちょっとそれよりも前に田上さんは先駆者的な感じですね。
いやー、もうなんかね、いやー、蓋開けたら先駆者でしたね。
ねー、いやでも本当にいつ辞めてやろう、いつ辞めてやろうって思ったけども。
いや、ただただ辞めるのは簡単だけど、この状態をどうにかしてよりよく仕事ができるようにってやっぱり思って、しかも行動してるっていうところがやはりすごいなと思って。
その後やっぱりそこが経営者としてつながっていくんだろうなって今お話を伺いながら思っていたんですが。
まあ、そうやってね、そのシステムで創業して、これでバーっと業績バーっとやろうと思ったんですけど、これがなかなかうまくいかないですけどね。
そうなんですね。
そうは富山が降ろさないっていう世界だね。
なるほど、なるほど。その辺のご苦労もあったわけですね。
そうなんです。やっぱりね、同じことできる会社がいっぱいあるんですよね、東京に。
あー、なるほどー。
あとね、あるバイク雑誌の東京の、もともと福岡にあった会社は東京に移ってですね、社長とか役員とか知ってる人がいて、そこがシステム導入するって聞いて、向こうから連絡があったんですね。
で、コンペになったわけですよ。
でね、これはもう知り合いもおるしね、もうその役員もね、相当接待してるしね、絶対取れるわと思ってね、頑張ったんですけどね、最終的に中国の会社に負けましたね。
へー、そうなんですね。
で、あっちの人たちは営業力すごいですよ。
なるほどー。
それは独立してからの話ですか?
独立してから。
なるほど。
創業して2、3年目ぐらいですかね。
へー、じゃあターミさん、でもその前の中古社の情報誌のところで開発まで行って、それでじゃあ独立しようっていう風になって会社を起こしたということなんですね。
起こしたか。
いやでも、その当時大変だった時代に学んだこととか得たことって一言で言うとどんなことだったんですか?
あーその、もういつ辞めてやるって思ってた時期ですか?
そうですね。
その頃学んだことは、なんだろう、まあ、その気になれば解決策があるってことですね。
あーなるほどー。そっか、その気になれば、まさにでも解決策考えて実行されたわけですもんね。
12:05
ちょうどね、コンピューターが、パソコンが会社に一人一台になる前で、まだね、いろいろこう、パソコンの世界もですね、いろいろオープンだったんですよ。
はい。
時代が良かったですね。
あー。
どんな仕組みで動いてるのかなーっていうのが全然見れたんですよね。
へー。
今はもう秘密主義ですね。
うーん。
なんもわからん。
ほー。
あの頃はほんと良かった。もうなんでも見れましたからね。
そっかそっかー。じゃあその時代もあって、高見さんが開発して、で、会社も起用されてということですね。
じゃあちょっと、ぜひですね、後半はその会社を起用されて、現在やっていらっしゃる具体的な内容ですとか、そこでの高見さんが大切にされていることなど、また伺わせてください。
はい、ありがとうございます。
はい、高見さん今日はありがとうございました。
はい、ありがとうございます。
本日のゲストは、株式会社ワイコムパブリッシングシステムズ代表取締役の田上康幸さんでした。
声を想いを世界中に届ける。
VoELA本。