はい、アートテラー・とにのそろそろ美術の話を。この番組は、私アートテラー・とにが アートに関わる方をゲストにお迎えして、トークを繰り広げるポッドキャスト番組です。
本日は、アーツカウンシル東京の今野真理子さん、佐藤李青さんをゲストに トークをしていきたいと思います。
はい、ということでご出演いただきましてありがとうございます。 よろしくお願いします。
初めましてなので、お二人。 はい、初めまして。
初めましてですし、そもそもアーツカウンシル東京、 初めましてというか。
今まで、本当に学芸員さんとかアーティストさんが 本当にゲストが多かったんですけども、
今回機会としてはですね、庭園美術館で、 前にこの番組にですね、76、77のシャープの時に出ていただいた大木さんに、
庭園美術館でこの前ばったりと会って、 今アーツカウンシルにいるんですっていう、ちょっと移動してっていうことで。
ぜひアーツカウンシルについて紹介してください。 そこで売り込みというか、そこからトントンと話が進みまして、
今回に至っているという感じなんですね。
なので、本当に僕もアーツカウンシルって何だろうという状況で、 今アーツカウンシル東京に来ている状態なので、
いろいろと教えていただきたいなと思っておりますので、 よろしくお願いします。
じゃあまず簡単にお二人の自己紹介いいですか? 二人、それぞれ。
はい、どちらがいいですか? どっちでもいいですよ。
じゃあ、アーツカウンシル東京の佐藤理生と申します。
アーツカウンシルの中では事業調整課という課におります。
で、後でお話しする東京アットポイント計画という事業を担当しております。
じゃあぜひその話も聞きたいと思っております。 そしてもう一方。
はい、アーツカウンシル東京の近野と近野真理子です。 よろしくお願いします。
はい、私はアーツカウンシル東京の相談サポート課という部署に今所属しています。
こちらは昨年度、新しく立ち上がった部署なんですけれど、 それについても後で。
はい、わかりました。承知しました。
このお二人の関係性はどんな感じなんですか?
関係性は、職場の同僚です。
同じ課ではないということか。
同じ課ではないですね。
同じ部署にはいますよね。
部?
部も違うんじゃないですか。
違うっけ?
私、活動支援部。
事業部です。
中の人も把握できていない、 そんなアーツカウンシル東京からことになってきましたが。
でも今日はあれなんですよね。今回こういうことでちょっと収録させて欲しいって言ったら、
広報さんから2人送り込まれた2人みたいな。
代表、選ばれたお二人みたいな感じで来ております。
よろしくお願いいたします。
ということで、まずは改めてこのアーツカウンシル東京。
これって一体何なんですか?
たまにロゴは結構美術館。
特に東京都立美術館では見るんですけども、
そもそも一体どんな団体なんでしょうか?
どっちでもいいですよ。
近藤さんからいきますか。
すごく簡単にお伝えすると、
私もちょっと語弊があるかもしれないですけど、
アーツカウンシルという機能というかものが、
そもそも芸術文化の様々な活動とか、
あるいはそれを担う人材などを支援するような機能を持った組織のことで、
中間支援という言い方をしたりするんですけれど、
もともとはイギリスにそういった動きが始まった。
イギリス発祥の芸術文化の専門性を持った人材が、
創造の現場とかクリエーションとかする現場と、
あとその行政とかいろいろな財源を持ったパブリックセクターとかとの間を
つのぐような役割で文化技術をサポート進行していくという機能を果たすべくという組織なんです。
それがイギリス発祥で、そういった機能を日本でも導入したらいいんじゃないかというような議論が、
結構もう10年、20年くらい前になるのかな、から始まってきていて、
国でもそういった議論があって、東京都でもそういう議論が始まっていたんですよね。
実際に東京で本格的にやってみましょう、導入してみましょうということで、
2012年に正式に発館する東京という名前で、東京都歴史文化財団の中に設置される形になりました。
意外と出来てまだ十数年ということなんですね。
そうですね、12年経ったという感じですかね。
その前の東京都が取り組んできている文化政策とか文化行政といわれるような動きの中で、
また発館処理が始まるより前からいろんなことが議論されたり取り組まれたりしていて、
そこと大きく流れが合流するというタイミングもあったりしたんですよね。
それについては佐藤理成さんの方が詳しいので、バトンタッチ。
今この仕事を2011年の6月からやってるんですけど、
立ち上げのちょっと前からってことですね。
そうですね、もともとずっと東京アットポイント計画という事業を担当してるんですけど、
事業自体は2011年に入った時にあって、
ただその時は東京文化発信プロジェクト室という組織がありまして、
そこで東京アットポイント計画事業を担当してたんです。
その東京文化発信プロジェクト室というのも、
さっき言ってた今の東京都歴史文化財団の中にあったんですけど、
実はもともとがオリンピックを招致する話の中で、
オリンピックってプロポーザルを出す時に、
スポーツだけじゃなくて文化取り組みもこういうのをやりますというのを
プロポーザル段階で出さなきゃダメなので、
その時に文化プログラムをどこが担うのかというところの中でできた組織が
東京文化発信プロジェクト室というのが実はあったんですけど、
それがこの前やったオリンピックではなく、その前の前くらいかな。
2016年の五輪を東京に招致するという時のキャンペーンだったんですよね。
石原知事は何回かオリンピックにチャレンジしてるじゃないですか。
最初にチャレンジする時にできて、
実はそれがダメな後も文化発信プロジェクト室は残って、
いよいよオリンピックが決まったという段階で、
文化の部分も力を入れて、より力を入れてやっていく必要があるからというので、
ちょうどそのタイミングでアーツ・カンシェル東京もできていて、
一緒になるか合流する形です。
文化発信プロジェクト室自体は地域のいろんなパートナーの人たちと一緒に事業をやったり、
六本木アートナイトとかフェスティバルをやったりというのをやってたんですよ。
そういう意味で自分たちで事業をやるというよりは、
誰かと組んで都内でいろんな事業を作っていくという、
今アーツ・カンシェルがやっている中間支援的なことをやっていた事業のチームとしていて、
アーツ・カンシェル東京自体は東京都の助成金をまとめて、
一つ組織を作るというので最初立ち上がったんです。
なので、さっき事業部と相談サポートという話もあったんですけど、
そういう事業をやるチームと助成金をやるチームというのが合併して、
アーツ・カンシェル東京というのができたのが最初で、
それが東京都歴史文化財団という組織の中に
一組織としてできるという。
東京都文化歴史財団が、それこそ東京都庭園美術館とか江戸東京博物館さんもあるから、
東京都庭園美術館の大きさがこっちにいる。
組織としては一緒って。
なので、いつもアーツ・カンシェルは何ですかって言われる時に、
ホールディングス会社みたいな東京都歴史文化財団があって、
都立の文化施設を全部所管しているんですよ。
なので庭園美術館もあるし、芸術劇場もあるし、建物園もあるし、
東京都現代美術館もあるし、
言っていくと十何個施設あるんですけど、
の中で唯一施設を持っていない組織がアーツ・カンシェル東京で、
だから助成金を出したりとか、
誰かそういう文化事業をやる人をパートナーとして一緒に事業をやったり、
街中でプロジェクトを作っていくようなのをやるっていうような舞台。
なのでここも今、施設じゃなくて本当にオフィスの中で収録してますけど。
一番財団の中で一番新しい施設が、
今ニックネームでCCBTと言われている施設があるんですけど、
シビッククリエイティブベース東京。
ちょっとかっこいい名前。
渋谷にあるんです。
メディア系の絵ですよね。
シビッククリエイティブベース東京。
それも含めると今本当に11、12ぐらいの文化施設を運営している財団。
なるほど。
施設はないのがアーツ・カンシェル。
逆にアーツ・カンシェルはそういう施設、
人たち一緒にやったりとか、
施設が現場になったりということも結構横断的にやってたりする。
でも女性金っていう話があったじゃないですか。
東京都のお金がアーティストさんとか文化イベントに支援されるとなった時に、
本当に素直な疑問というか素朴な疑問なのかわからないですけど、
東京都庁にそれがあればいいのかなと思うんですけど、それとは別なんです。
いいところについてこられますね。
すみません。
すみません、授業仕分けみたいな感じで。
いやいや、違うんですよ。
とてもいいグッドクエスチョンという。
それこそがアーツ・カンシェルっていう機能が大事に思っている部分で、
比率で発祥したときの概念というかって言われているのが、
芸術文化の専門性を持った人材が芸術のサポート支援をしていくための施策立案とか、
どんなことをやっていくことがいいのかということを、
そういった知見を持って取り組んでいくような機能というものが、
アーツ・カンシェルの中で大事にされるべきだというのがあって、
そういう意味で女性菌のプログラムの運営なんかも、
そういった専門人材がきちんと運営することが重要だろうということもあって、
アーツ・カンシェル東京ができる前は、東京都の芸術文化大賞の女性プログラムは、
それこそ都庁がやってたんですよね。
そのプログラムも、アーツ・カンシェルが立ち上がるときに、
ちゃんと専門人材、専門職員が担当する形でプログラム運営をしましょうというふうに批判されて、
そういうふうな形で、
以前にやっていた東京都の時の女性プログラムよりもっと草の根の芸術の活動だったり、
若手がやっている実験的なプログラムとかも女性プログラムをするような、
そういった女性プログラムも何種類も今立ち上がっていまして、
そういった現場のニーズとか必要性みたいなものも我々も全部受け取りながら、
一番いい形のサポートって何だろうということを毎日考えながらやっているという。
大きな予算は東京都からいただきながら、
こういうプログラムがあったらいいよねということとかも我々自身も考えながら、
都庁からのいろんな提案もいただきながら実行していくという形をとっています。
専門性というのが大事なんです。
いわゆるご役人さんの仕事ではなくて、これはこれでプロフェッショナルの人たち。
おこがましいですからね。我々もまだ毎日修行中です。
僕がぱっと思いついたので言うと、
そういえばコロナの時に、僕もいろいろと仕事が大変になっちゃった時に、
東京都に動画を送ったらお金がみたいな。
コロナの時の。
いろんなものを作ったり仕掛けたりしていくっていうのは。
そうですね。
やることいっぱいあるんですね。
やることいっぱいあるし、
やることは、アウトプットは本当に結果というか手段なだけで、
今、李星さんが言ったように、
より良くしていくためにどういう方法が必要かというので、
大型の芸術祭みたいなもので、
文化体験を多くの人に提供したり体験してもらうみたいなことにつなげていったりとかもありますし、
あと、子どもとか若い世代に向けた芸術の体験を提供するような、
伝統芸能の体験の授業とか、そういったものもやってますし。
そうか、そういうのもやってるんですね。
そうなんですよ。
東京の文化を本当により良く豊かにしていくためには、
どんな人たちに向けてどんなことを取り組んでいくと、
それにつながっていくかなということを考えているはずです。
最初に専門性の話もあったじゃないですか。
近藤さん、この女性の説明をしているときに、
女性プログラムという言い方をしていたと思うんですけど、
我々名刺を見ていただくと、
肩書きがプログラムオフィサーと書いてあって、
プログラムオフィサーという仕事をしているんです。
プログラムオフィサー、どういうことですか?
私は今言われていないんですよ。
プログラムオフィサーっていっぱいいるんですけど、
女性菌もさっきの審査の話でいうと、
一個一個のプロジェクトというか案件があって、
それをもちろん選んだり、
これが良いか悪いかというのももちろんあるんですけど、
大事なのはどういう層の人たちにそういう支援のプログラムを作る必要があるのか。
さっきの活動を続けている人に長期的にやる女性菌が必要だというので、
長期的な女性菌ができたり、
若手の人に機会がないからスタートアップのプログラムを作ったりみたいな。
本当はそういう、何を手として打てばいいのかっていうのを考える必要があって、
そこが結構専門性が問われるみたいなところで、
プログラムオフィサーっていうのは、
やっぱり一個一個のプロジェクトというよりも
そういうプログラムを考える人であるっていうので、
アメリカとかの財団とかで最初使ってた名前なんですけど、
そういう環境を見てというか、
何が課題なのかを見て、そのための策を作る役割みたいなところで、
結構アーツカウンシュリーにいる人はプログラムオフィサーという名前を使ったりっていうので、
美術館に学芸員がいるように、
アーツカウンシュリーとかの場合だと、
プログラムオフィサーっていう人を設置したりするっていうのも結構多いですね。
プログラムオフィサーさんがいてプログラムを作っていくってことは、
理論上どんどんプログラムは増えていくってことですか?
こういうのが必要だなと思う?
それとも減らすこともあるんですか?
やっぱりこのプログラムはあんまりいらなかったんじゃない?
基本は増やしていく感じ?
考え方としては減ることもあれば増えることもあるけれども、
あと予算の規模とかにもいますし。
終わるっていう時もありますね、プログラムが。
でもこれって例えば支援してほしいとか、
要するに東京都民とか東京で活動している人が手を差し伸べてくださいって来る。
そこに対して支援もあるじゃないですか。
逆にこっちから投げかけるじゃないけど、
言ってこいよじゃないけど、一緒にやりましょうよって、
こっちから言うパターンもあるんですか、東京さんからっていう。
基本はない。
そういう意味です。
その作っているプログラムが結構メッセージになっていることもあって、
例えば最近だと社会支援助成みたいなのができてくると、
やっぱり今まで文化事業に関われていなかった人が実はいたりするんじゃないか。
そういうのに本当は参加できるような手は必要だし、
でもそのためにやっぱりお金が必要だったり、
何か手が必要なんじゃないかっていうので、
こういったいろんな人が参加できるためのプログラムとかが最近増えてきてたりするんですけど。
そのプログラムをホームページとかでできましたよっていうことによって気づいてもらいたい。
逆にそういう課題みたいなのもやっぱり現場の中でも出てくるし、
同時にやっぱりそれがこうやって公的なお金でやるっていうこと自体が、
ある意味社会にそういうのも必要だよねっていうことのメッセージにもなったりするっていう意味では、
どっちが先かっていうのはもちろんあるんですけど、
もちろんそこにその課題がないと意味はなさないので、
両方が必要だと思うんですけど。
課題はなくならないからどんどんまた新しい課題も生まれてくるしみたいなことですよね。
その都度だからプログラムオフィサーがまたちょっと変えていったりとか、
新しいの作ったりしていくってことですか。
勝手にはできないですね。
そこまで。
ちなみに職員さんどれぐらいの人数いらっしゃるんですか。
今アーツカンセル東京っていう括りの中には120人ぐらい。
ちょっとびっくりです。
私たちもいつの間にかにすごい。
どんどん増えていく。
いろんなところと一緒に合体とかして、それで増えている。
それぞれいろんな専門職の方がいらっしゃるっていうことですよね。
そうですね。
新しく立ち上がった事業もこの数年はすごく多くて、
そういう部分でもそれで職員もまた新たに増えていったりして、
みんな気づいたらこんなに大きくなって。
最初はほんの10人もいなかったんですよ。
本当に。
2012年に立ち上がったとき。
李星さんがやっていた東京文化発信プロジェクト室は何人だった?
何人だろう。
でも本当に何人だろうね。
そんなにたくさん10人ぐらいでしょ。
20人ぐらい。
そこから考えたらだいぶ。
相当増えましたね。
アーツ監修東京は2012年に立ち上がったときは本当に一桁だったんですよね。
私は2014年にアーツ監修東京に入職したんですけど、
私が入ったときにやっと10人になったかな、ならないかなぐらいな感じで、
何年だっけ、一緒になったのは。
2015年に組織統合。
その辺でやっと3,40人規模を見たくなって、どんどんどんどんあっという間に。
でも元々はオリンピックの誘致のためのって言ってたから、
イメージだと2020年のオリンピック終わったら終わりなのかと思ったら、
そうじゃなかった。
もっと他にもやることがいっぱいあったから、どんどん増えていっちゃったっていう感じなんですね、イメージとして。
そうですね。
東京都がたくさん予算つけてくれた。
今、初めてオリンピックやってよかったなと思ったかもしれない。
いろんな問題があって、オリンピックそのものだけで言うと。
オリンピックがあったからこそ、こういう事業が生まれたってことですね。
ちょいちょいでしたら、リセさんがおっしゃった、東京アートポイント計画。
これは何でしょう?
東京アートポイント計画は、それこそ文化発信プロジェクトの時代からできてた事業なんですけど、
都内の地域を主にベースに活動しているNPOの人たち、
非営利活動を中心にやっている人たちと協賽という形で、
さっきの助成金と違って一緒にプロジェクトをやるというような形式で、
東京都とアートカウンシル東京とNPOが横並びで、
一緒に議論をしながら地域でプロジェクトを作っていくっていう、
アートポイントって文化創造拠点を作るっていうことをテーマで、
文化創造拠点をアートポイントって呼んでるんですけど、
それを都内にたくさん増やしていくっていうことを目的でやってます。
今どれくらい進む?いつから始まった?
2009年にアートポイント計画が始まっていて、
文化発信プロジェクト室が2008年にできたので、2年目にできて、
なので去年の15周年だったんですけど。
そんなに15周年やられて、すごい中で聞くのが大変心苦しいんですけど、
どこでやったんですか?
すみません、それが思いつかないことに今すごく心が…例を1個出したかったんですけど。
なかなかね、見えにくいっていうのは分からない。
例えばどういう…
いろんなところでやってます。
今だと6事業やって、6プロジェクトですね。
アートポイントの特徴って1回のイベントではなくて、
年間を通じてプロジェクトという形で一緒に議論をしながら、
いろんなことを展開していくっていうのを。
かつそれを何年かかけて、今だと5年くらい一緒にやりながら、
その事業をやるっていうことも大事なんだけど、
そういうことを担う担い手だったり組織も一緒に作っていく。
そうすると一緒にやっていく中で、いろいろ事業を作れるようになっていくと、
ある程度関係が離れたとしても、地域で文化活動をやっていったり、
拠点を作ったらそれが人が集まる場所になっていったり、
より続いていく形になっていくので、
そういう続いていく活動を地域にじんわり作っていくっていうのをやっていて、
23区、多摩地域、東京都は島もあるので、
実はこの3つのエリアでは常にプロジェクトをやっていて、
長く続いたので、今今年のまた足立区でやっている、
アウトアクセス足立、音町千住の園っていうプロジェクトがあったり、
足立の場合は芸大も一緒にやっている。
音町、屋台とか作ったりしてませんでした?
変わった形の屋台作るとか。
僕の知り合いが多分一人やっている気がしました。
でもあれもそういうことなんですか?
すみません、僕がうろ覚えで言ってるからですけど、
具体的にはどういうことですか?
音町は音をテーマにした活動をやっていて、
今年はメモリアルリバースっていう大牧千住さんの
シャボン玉を発生させる機械を使った、
メモリアルリバースっていうお祭りですね。