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はい、アートテラー・とにのそろそろ美術の話を、この番組は私、アートテラー・とにがアートに関わる方をゲストにお迎えして、トークを繰り広げるポッドキャスト番組です。
今回は前回に引き続き、メディア・アーティストの尾角典子さんをゲストにトークを続けていきたいと思います。
後半も引き続きよろしくお願いいたします。
後半はどっちかというとプライベートについて迫っていきたいなと思うんですが、毎回ゲストの方に聞いている質問から最初にいきたいと思います。
いつから美術に興味がありましたか?
何ですか?その表情は。
いつから美術に興味がありましたか?美術って何ですかね?
例えば美術館にはよく行っていました?
美術館に行っていたような。
本当ですか?
でも、私は18歳くらいまであまり記憶がないという感があるんですけど、あまり生きているということに気づいていなかったような気がします。
怖い怖い。ちょっと怖すぎて。
どういうことですか?
淡々と日々を過ごしていたというか、生きているというか、高校卒業したから友達と喋っていて、
あの時のあの先生にムカついたというか、そんなことを思っていたみたいな、何にも考えていなかったんですよ、私。
でも中高生の時は物心はあるわけですか?
一応あったんですけど、何にも考えていなかったです。
逆にそういう性格なのに、どこで自画自賛が生まれたんですか?
大学からは大丈夫ですか?
大学に入って、哲学好きな人とかに会い始めて、そういう世界があるのか?みたいな感じで、考えるようになったと思います。
それまではあまり自発的に考え流されていたんですか?
何にも考えていなかったです。
学校の先生も先生というのは学校にいる人みたいな感じでしか見ていなかったです。
部活とかは?
部活も一応やってたんですけど、思い返すからそう感じるだけかもしれないですけど、絶対感情とかはあるんですけど、淡々と…
部活は何やってたんですか?
バスケットやってました。
それこそ天体科に出られたという思いはあるんですか?
あんまりなかったかもしれないです。
何かやってたって感じなんですよ。
分かります?この感覚。
分からないから今深掘りしてます。
小学校、中学校の時にあれがすごい好きだったとか、すごい悲しい思い出があったとかっていうのはあんまりないですか?
ないです。
悲しい思い出。
きっと悲しいとかもあるんですけど、思い返せばですけど、やってたって感じですね。
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悲しい思いをやってた。
でも中高校で、大学はどこに行こうと思ったんですか?
京都出身なんですけど、京都の普通の大学に行って、
その時は何学部だったんですか?
その時は英文学に行ったんですよ。女子大の。
でも同じ大学系列の教学の大学があって、そこの写真部に行ったんです。
系列部?系列大学なので、他の大学の写真部に入って、
麻雀山脈でした。
写真ではないよね。
そこで麻雀を学んで、
麻雀は楽しかった?
めっちゃ楽しかった。
何でこんなに好きなのに勝てないんだみたいな感じでした。
中高と何度も、急に浜の方に麻雀山脈が。
でも高校の時に、本当は一回高校生の時に一年間カナダに留学して、
帰ってきたらもう大学受験だったんですよ。
美大に入りたいっていうのはやっぱりあったんですよ。
美術は好き。絵を描くのとか好きだったんですよ。
でも、この大学入りたかったらこの描き方とか、
この大学入りたかったらこの描き方とかがあったのが、
なんとなく賞に合わなくって私は。
それだったらもっと勉強を頑張りたいみたいな感じで英文学に行ったんです。
で、そこで麻雀を始めて。
英文学に入って、そこで麻雀を始めては繋がらないんですか?
違うんです。
英文学の皆さんが麻雀をやろうとしてるんですか?
すみません。
中国語も無し?
そう、本当だ。
英語っちゃったりしちゃったり。
麻雀の人ですよね?
すごい楽しかったんですよ。
徹夜しながら、どうやってやるんだみたいな感じでやってるのも面白かったんですよ。
でも写真部だったので、写真展とかをやるじゃないですか。
そのときに1枚で出そうとすると絶対出せないんですよ、私は。
組写真じゃないとピンとこないっていう。
自分の表現したいものが1枚じゃ無理なの?
無理。
写真めっちゃ難しいってなって、組写真ってことは映像の方が合ってるのかなみたいなのを考えてたんですね。
そしたら、その頃、別の美大の短大の人たちの卒典みたいなのがあって見に行ったら、
私と同い年くらいの人がすごい上手い絵を描いてて、それを見たときにこのままじゃダメだってなってやめて大学をやめて、
マージャンもやめて、
それでそのとき、なぜか気になる、この人たちめっちゃ気になるっていうのが全部イギリスだったんですよ。
だからカナダに留学してたから、カナダに戻るかと思いきやイギリスに行くってなって、イギリスの大学に。
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それは美術研の大学?
美術研の大学に行って、映像系に進みました。
その先、これから聞くんですけど、今この段階で振り返って思ったのは、マージャンが来たりなくても全然繋がりますよね。
面白い話だから聞いておりましたけど、マージャンがどっかに来てくるのかなと思ったら、全然来てこなかった。
本当だ。ごめんなさい。
いや、大丈夫です。いいです。
マージャンの思い出は。
マージャンの思い出、中高生の思い出がなかったから。
マージャンの思い出はもう先輩。
そうですね。でも、写真部の先輩とかと一緒にマージャンやってたんですけど、
その人たちと会うことによって、哲学書とか読んでる方とか多かったので、
そういう考え方もあるんだなとか、そういうのに入っていったっていうのはあります。
マージャン、いろんな感情も分けますしね。
感情も、クソみたいな。そういうことですか。
そういうので、感情も形成されて、組写真から映像でロンドンに行かれた。
これは何歳頃に行ったんですか?
20歳とかそのくらい。
その時は単身で行って。
それは、僕は留学したことだからあるんですけど、
その学校に入るのは難しかったと思います。どういう感じなんですか?
その頃は、今もそうかもしれないですけど、
イギリスのロンドン芸術大学っていうグループが日本に来て、
多分、日本人の学生が欲しいから、日本で面接とかするんですよ。
その時に写真で作った作品とかを持って行って、こういうのをやってるから、
どういう学部が合ってるのかとかも分からないので、相談しながら決めるんですけど、
君はここに入れるよ、みたいな感じで。
それは大学の基礎コースにまず入るという感じなので、
ファンデーションコースにまず入りに行くという感じでした。
そこはみんな入れると思うんですよ。
最初から映像だったんですか?
その時は、二学部のメディア学科みたいなところに行きました。
いろいろクラスが分かれるんですけど、本当にテレビ局で働きたい人はこっち、
アニメーションやりたい人はこれとか、いろいろ分かれるんですよ。
いろんなのをちょっとずつやって、1年かけてやって、
大学受験のときになるときに、私はパン屋とやりたいですとか、そうやって覚悟を決めていく感じです。
岡田さんはどこに行ったんですか、その時は。
私はファンデーションコースですか。
最終的にテレビとかいろんなジャンルで言うと、パン屋だったんです。
ファインアートメディアに行きたいというので、ファインアートメディアの学科のあったチェルシーというところに行きました。
そこでは何年ぐらいに行ったんですか、チェルシー。
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チェルシー行ったのは何年前かも。
そこでは何年ぐらいに。
チェルシーは3年間。
映像のファインアートの先生が教えてくださるんですか。
教えると言っても、本当はセントマーチンという大学があるんですけど、
セントマーチンのファインアート学科に行きたかったんです。
でもやっぱりそれって結局、セントマーチンの方がその頃は知名度があって、
単純なのでそこぐらいしか考えられなくて、そこに行きたいって言ったら、落とされたんですよ。
君はここじゃないみたいな感じで。
向こうの面白いなと思うのは、試験とかじゃなくて、
学生がそこの学部に合ってるか合ってないかって決める感じ。
テストじゃないんですか。
テストじゃなくて。
音域というか、それは試験官みたいな人が決めるんですか。
チューターとかと面接して、私のときはですが、今はどうなっているかわからないです。
それで作品を見せて、合ってたら撮ってもらえるし、合ってなかったら違うって言われて。
でも違うって言って、その分こっちがいいよみたいなとこまで言ってくれるんですか。
そのとき、ちょっと覚えてないんですけど、セントマーチン行けなかったから、
チェルシーの先生としゃべったら、いいねってなって、おいでよってなったんですよ。
そんなニュアンスなんですか、向こうだと。
そうなんです。
なかなか日本だと考えられない。
ないですよね。勉強頑張らないといけないとかありますよね。
そういうのじゃなかったんです。
でも結果として、チェルシーってよかったな、こういうのが。
なりました。
セントマーチンは、すみません、本当に昔の話なのでその頃になるんですけど、
セントマーチンは課題があって、課題を出されて、それをもとにリサーチとかして、
リサーチベースの作品を作っていくっていう課題がずっと出てくるんですけど、
チェルシーって全く本人主義というか、何やりたいの、やればみたいな感じなんですよ。
毎週チューターに会って、こういうふうに進んでますっていうのをやるんで、
最初行ったとき、私、実は2年ぐらいうろうろしたんですよ。
映像から、写真部から来て、映像って思い込んでるんで、
街に繰り出して、ビデオを持ってさまよう日々が続くんで、
何が撮りたいのか、これ撮りたいけどうまくいかないみたいなのが続いてて、
2年生の終わりぐらいに、そのときに趣味でいっぱいコピーをした、
素材をめちゃくちゃ収集引きがあった。
紙でコピーってことですか、映像じゃなくて?
映像じゃなくて。
例えばどういうものをコピーするんですか、雑誌とかですか?
雑誌とか、図書館で見つけた本のカタログのこの絵好きとかいうのも、
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すっごい量を貯めてたんですね。
その頃、昔って、私がいた頃って、まだインターネットとかもあまりなくて、
リツって感じなんですけど、親にビデオレターみたいなのを送ってたんですよ。
持ってた切り抜きみたいな、コピーの中から女性の絵を切り抜いて、
ビデオカメラの前に置きながら、「こんにちは。私は元気だよ。」とか言って、
その人がアフレコしながらビデオレターを、
ロントンはこんなとこだよとか言って撮ってたんですね。
そうしたら、やっぱり自分で素材をコントロールできるからいいよみたいになって、
ビデオを作ってた時って、あるものを切り取っていくじゃないですか。
日常の光景とか、世の中の光景とか。
私がセットアップできるのにまだペペなんで、
あるものをいいと思った瞬間切り取っていくんですけど、
自分で切り取ってコラージュとかし始めると、
自分でコントロールできるから、
外に出なくてもいいし。
ドキュメンタリーじゃなくて、自分で作って、フィクションよりもノンフィクションのほうがいいんですか。
逆か、ノンフィクションじゃなくてフィクションのほうがいいんですね。
フィクションのほうが自分でも合ってるってなって、
そこからアニメーションのほうに進んでいくんですね。
それが始まりで。
映像のアニメーションでは、
一般的にアニメーションってセル画がたくさん出てる。
というよりは、どういう感じでアニメーションを作るんですか。
コラージュのコマ撮りアニメーションのストップフレームアニメーションで、
家にちっちゃい机があったんで、そこにビデオカメラを上に乗せて、
その時はカチッて一コマずつ撮る機材がないんで、
一秒ずつ撮っていくんです。
25フレームできるから、25フレームを編集するときに、
1フレームまで切って、もしくは2フレームまで切って、
それをどんどん繋げていくっていうのをやってたんですけど。
一番最初の自分で作ったアニメーションって、どういうものを作るんですか。
本当に一番最初に作ったのは、友達で音楽やってる子がいたので、
その子の写真を撮って、切り抜いて、グッチャグチャのアニメーションなんですけど、
画面の端からもいろんな紙とかがビーンって出てるんですけど、
それもありみたいな、動けばいいみたいな感じでやってて、
すっごい荒削りの。
それ何分くらいの尺で何コマくらい作ったんですか。
それは2分か、結構短いんですよ、2分くらいで。
でも賞を取ったんですよ、それで。
向こうの賞だったんですか。
向こうの学生の本編の賞と、荒削りのマジックみたいなのが。
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そうなんです、それでめっちゃハマり始めて、
ハマったんで、チェルシーの方船っていうんですか、
好きなことやっていいよっていうのが、すっごい良かったって後で思いました。
その時にチェルシーの先生は、コマ撮りアニメーションの先生がいるとかでもない?
自発的に見つけて、それを先生に言うわけ。
賞も取って。
先生はどういうアドバイスをくれたんですか。
いいねって感じでした。
そうしたらいいよって。
そういう具体的なアドバイスではないんですか。
そうなんですよ、具体的ではなくて。
今でこそって言ったら、今YouTubeの時代で、
みんな映像も、しかもスマホでも編集できるから、
アニメーションって昔より今は全然楽じゃないですか。
そうです。
当時は少なかったですか。
少なかったですね。
学部でやってるのは私しかいなかったですし、
先生もいなかったし、
自分で独自の方法でやり始めたって感じで、
またあれですけど、これが何なのか映像なのか、
紙がストップフレームで動いていくから、
アニメーションって呼んでたまでだって、
世間一般でいうアニメーションを買っておいたら、
また違うのかもしれないから、
そういう名称がわからないところに自分を置きがちっていうのは、
最初からそうだったみたいですね。
でもその賞を取れるって最初は思ってなかったですか。
手応えはあったんですか。
作品が出来上がった時に。
出してみようみたいな感じで、出したら取れたっていう感じ。
そういう時って、その後の受賞作一発目とかって、
プレッシャーにはならないんですか、次から。
意外とそうでもなかったんですか。
そうですね。
アニメーションを作る時って、
例えば絵画だったらある程度衝動的というか、
こういうの描きたいと思ったらパッと出来るけど、
パッと思いついても労力が全然違うじゃないですか。
だから思いつきでやれるものでもないじゃないですか。
アニメーションを作る時って、どういう風なモチベーションじゃないけど、
最初にまず作りたいものがあって、
面倒くさそうだけどやってこうなのか、
ある程度こういうことやったら楽そうだからこういうの作って。
作りたいものが先なのか、作り方を考えるのが先なのかじゃないけど。
作りたいものが先な感じがします。
その作りたいもののモチーフってどういうのを選んでいるんですか。
日々の生活で感じたこととか、思いついたことというか、
気づいたこととかを擬人化している感じ。
イメージで言葉とかになっていない気づいたこととかをイメージで捉えて、
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それを擬人化っていうんですか、映像化させてやっている感じ。
基本的に今でもアニメーション作品とか映像作品は一人で。
音楽とかは別の人かもしれないけど、地道にやる作業ですか。
そうですね。
面倒くさくなったりはしないんですか。
たまに疲れたって思う時はありますけど、
でも、一つの私の中でできることの一つではあるので、
やる時は100%でやっている感じです。
話を戻して、学生の子に賞を取って、チェルシーの先生もいいねって言ってくれる。
その時点からこの道に行こうって決めてたんですか。
決めてはないんです。
本当にふらふらしているというか、よくわからない。
何て言っていいのかわからないんですけど、
これだっていうのはなくて、ただ面白いからやってたっていうのが、
将来設計みたいなのはあまり考えていなかったような感じです。
卒業制作とかももちろんして、その後はどういう道を通っていくんですか。
その後は卒業したら日本を帰るのかって思ってたんですけれども、
その当時は、RCAってロイヤルカレッジバートっていう大学院があって、
そこに行けたらいいよねみたいなのがあったんですね。
チェルシー3年終わった後とかですね、次の大学院まで行くかみたいなので、
記念受験みたいな感じで受けてから日本帰りたいってなって、
ちょっと受けるみたいな感じで受けたら受かったんですよ。
その時のRCAって、たぶん実験的にやろうとしてた時期で、
今まではアニメーター養成というか、将来アニメーターの監督として
やれるような人だという、だから本当に学部とかでもアニメーションを勉強してきた人たちを撮ってたんですけど。
西島 それはいわゆる商業映画とかもアニメーションにある人たちって感じですか、どっちかと言うと。
森 そういうところできこう、ちゃんと地位はあった、評判は良かったところなんですけど、
その年はファンアートからの子たちも入れて、ちょっと混ぜてみようって実験的な年だったみたいで。
西島 ちょっとイメージがあれかもしれない、日本で言うと代々木アニメーション学院のエリートたちが、
そのところに芸大から来たアニメーション学院に来たみたいな。
森 なんかそんな感じですね。それで入った感じ。
西島 その時には、お客さん側の人は他にも何人かいたんですか。
森 何人かいました。でも一人。
西島 でも少ないんですか、全体から見たら。
森 なんかでも面白いミックスチャーだったような気がします。
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西島 メディアとやってた人もいたし、数学やってる人もいたし。
森 数学やりながらアートやった?
西島 数学アニメーション作ってる人とかもいたし、
本当にザ・アニメーションやってきましたみたいな人もいたし、いろいろいましたね。
森 もう本当に、今ふと思っちゃって聞いちゃうことであれだかもしれないけど、
アニメって言っても日本のイメージがすごく強くて、
今だって本当に山ほどシーズンになったらやってるじゃないですか。
7月からまた新しいアニメがたくさん始まりました。
それぐらいイギリスでもアニメのテレビで放送してる、
そこの学校に行く人たちが作ってる社というか。
日本は本当にアニメの需要ってあるんですか、イギリスって。
西島 そういう感じのアニメーションじゃないですね。
もっと暗い感じの。
でもやっぱりアート・アニメーションみたいな。
森 でもイギリスの映画館では封切りされてるんです。
だから同期で育った人たちはそっちで今活動されてる。
あんまり違いますね。
西島 アーティスト、本当にアニメーションやらなくなった人で、
アーティストとして活動してる人もいれば、
学校の先生やってる人もいるし。
森 要するにアニメーターの職があるわけではないですか、イギリスは。
西島 アニメーション、カートゥーネットワークみたいなのがあったりするんですけど、
そうやって聞かれたらある時点で卒業した人で、
そういう商業的なアニメーションに行った人は。
森 あまりいない。
西島 あまりいない。
そういうジャンルはあるんですけど、
日本ほどではないかもしれない。
ちょっとあんまりわからないかもしれないですね。
森 そこで顧客さんはパインアートのアニメーションをやってってことですよね。
そこは何年間?
西島 そこは2年間。
森 2年間、新しいことも学んだ。
そこで学ぶことはやっぱり技術的なものを学ぶ。
西島 技術的なことでしたね。
森 変わりました、そこで学んだ2年間って。
西島 はい。
森 僕は怒ってるわけじゃないですよ。
西島 どうだったかなって思う。
私が行ってた頃って、
本当にアナログなアニメーションからデジタルに切り替わる頃だったんですよ。
私はある生の地下室に、モンティパイソンってわかります?
森 モンティパイソン、僕大好きです。
西島 大好きです。
モンティパイソンがオープニングに使ったアニメーションを作ってた機材が地下室にあって、
そこをずっと入り浸って、そこで作品作ってて、
みんながデジタルに移行してるのに、私は行かないよみたいな感じで。
森 モンティパイソン、最初だから始まる前のアニメですよね。
西島 そうです。
森 コマ撮りみたいな。
西島 コマ撮りの。
森 あれがそこにあったんですか?
西島 あったんです。
森 その時の素材はそこに置いてあるんですか?
西島 素材は置いてないんですけど、その機材が置いてあるんですよ。
24:00
コマ撮りアニメーション用のレイヤーがいっぱい塗ってあるのが。
で、私はもうここに地下にいますみたいな感じで、ずっと地下にこもって。
森 それを使って作らせてもらえたりするんですか?
西島 そうです。
森 へえ。
西島 みんなデジタルに行こうとしてる時なんで、もうそこは私の城みたいな感じで、
ずっと2年間いて、コマ撮りのやり方とかそういうのも勉強しましたし、
すごいよかったんですけど、やっぱり外に出た時に、なんか、おうみたいな。
森 ちょっとどういうこと?
西島 なんなんですか?
森 その外に出たってのは、ちょっと、手が真ん中で。
西島 荷物業してから。
森 真ん中で外に出たってことですね。
西島 外に出た時。
森 暗視は外に出たわけじゃなくてね。
西島 暗視じゃない。眩しいとかそういうのじゃなくて。
森 白髪の方じゃなくてね。
西島 じゃなくて、なんて言うんですか。
好きなことをやらせてもらってた分、外に出た時に、
それを武器として戦うには、ちょっと社会が強すぎたという感じです。
守られてた分、私はやりすぎて自分のやりたいことを、
それが外に出た時に、うまく武器として動かない。
外に出たら別に、時代的にはアナログいらんし、みたいな。
でも、この2年間の間に準備している人たちは、
外に出たら行きたいから、今のうちにフィルムフェスティバルに応募して、
名前出しとこうとか、この技術学んだこうとかやってるはずなんですけど、
私はもうそんなことを気にせずに、面白いってずっとやっちゃったんで、
結構出た時にちょっと大変だったりします。
例えば絵画とか彫刻だったら、何とか手に出せばいいとか、
映像の場合はどうしたらアーティストとしてやっていく?
本当にその時は難しくて、私が入った時は、
ILCAのアニメーション学部って、
アニメーションのプロダクションカンパニーとはすごい強い繋がりがあったので、
高校に行きたかったら手で就職みたいなんで、
あっせんしてくれるんですけど、
アートアニメーションやりたいって言ったら、もう繋がりが全くなかったんですね。
最後のチュートリアルで、私こっちのアートのほう行きたいんですって言ったら、
頑張れって言われて、
そうか、頑張れって言われて。
頑張れって言われて、最初はどう頑張るんですか?
第一歩目は?
第一歩目は、でもやっぱりビザも切れるので、
一回日本に帰るんですけど、
帰ったら帰ったで、
皆さん、私の周りもみんな卒業して働き出してるし、
京都なんですけど、
京都は京都で、
大学がみんなグループというか、
入れなかったんですよ。
卒業メンバーでグループになってるんで、
私が急にポンって帰ってきても、
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どこから来た?みたいな感じで。
あとこんなこと言うと、京都ってそういうの強そうですよね。
私は分からないですけど。
なんとなく京都のイメージはそうですよね。
今はまた違うと思うんですけど、
その当時は、私こういうことしたいって言っても、
頑張ってねみたいな、
自分の言い方もあったかもしれないですけど、
なかなか入り込めないな、
どうしたらいいんだろう?
とか思って、
でも自分で、
RCAでやってた機材も、
家に帰ってくるとないので、
京都にもないから自分で作ろう、
みたいな感じで、
アナログにこだわってたり、
自分で資材とか買って、
組み立てて、
ガラスとかを7枚くらい、
レイヤーで装置として作らないといけないですけど、
持ってきたと思ったら、
その装置がギューって、
ギューって、
ギューって、
もうあかんってなって、
そこから諦めて、
デジタルに進んでいくんですけど、
だからあの時、
学生の時に、
あんなに拒否してたデジタルを、
やらざるを得なくなって、
デジタルに行くんですけど、
アナログ出身なので、
デジタルを使っても、
アナログ的な使い方をするっていうのが、
結構自分の色になっているかもしれません。
無駄ではなかったんですか?
無駄ではなかったです。
だからといって、
この技術が、
いわゆるアニメーションのカンパニーが欲しいかって言われたら、
違う、
癖が強すぎるので違うっていうので、
結局そっちにも行けず、
自分の色をどんどん強くしていくっていう道に、
気づいたらなってるって感じです。
でもそれにデジタルで作品を作って、
自分の中で、
アーティストを描くのりこの、
あそこで人生変わったのではないけど、
あそこから転機になったのはどの辺なんですか?
日本に帰ってきて、
ちょっとだけ2年間、
東京の会社で働かせてもらったんですよ。
デザイン会社。
その時にすごい色々教えていただいたような気がして、
その2年間も無駄ではなかったと思うんですけど。
それはどういうものを作ったんですか、このデザイン会社で。
広告関係で、
フォトショップとかイラストレーターの使い方とかそこで色々学んで、
基礎は学び、それを駆使しながら、
アフターエフェクトで、
アニメーションデジタルで作っていって、
そのまま、その技術を得て、
イギリスに帰るんですね。
最初はやっぱりアニメーションが武器なので、
アニメーションで作品作ってて、
いつから?
先に作ったのがギャラリーとかで発表したりしてたんですか?
たまに。でもどこに所属してるとかもないので、
やるって言われたら、やるみたいな感じで。
30:00
これやるっていうのが、
今以外にずっと続いていくんですよね。
そういう感じでギャラリーで出したり、
ミュージックビデオ作ってた人作ったりとか、
行ったり来たりがあるんですよ。
商業というか。
何ですかね。
でも、食べていけるんじゃないけど、
アーティストだけで独り立ちできるなっていうタイプとかは、
自分なりになかったんですか?
もうこの道でいけるなっていう。
でも、イギリスに2年過ぎて帰ってからは、
別にバイトとかもせずに、
それだけで生きてる。
生きてるんですけど、
アーティスト1本買ってられたら、
そういうデザインのやつとかもしてるので。
でもデザインのやつも、
結構自分の作品、作風が好きで、
頼んできてくれるので、
全部もう、じゃあこれもやりますみたいな感じで、
自分の色を出してるんで。
いわゆるクライアント仕事としてやってるっていうよりは、
自分のアーティスト活動として。
例えば美術館からのオファーというか、
ギャラリーで発表するだけじゃなくて、
美術館がうちでやってくる。
今回ね、この話でもやってますけども。
最初はどこだった?
最初は美術館?
美術館からお声掛けいただいて、
芸術祭とかそういうのっていう。
2015年ぐらいにコミッションだったんですけど、
イギリスのダービーっていうところで作った作品は、
美術館というか文化的なギャラリーみたいなところでは
やらせていただいて。
その時はどういう作品を?
どういうオファーでどういう作品を作られた?
その時は、まさにアナログからデジタルっていうテーマがあって、
2015年なんで、
その頃まだ人々はアナログかデジタルかってやってた時代で。
それはダービーっていうところで。
ダービーって、競馬で有名なダービーってことですか?
ちょっと違うんですよ。
ロンドンから電車で2時間ぐらい北に行ったところにある地域で、
競馬のダービーはまた違う、ダービー州っていう地域があって、
そこのアーティストレジデンス的なことで呼ばれていたんですけど、
それは実はダービー州っていうピークディストリクトっていう大きい地域があって、
国立公園があって、そこを調べるとめちゃめちゃ歴史とか伝説とか、
いろんな不思議なペイガンの人たちがお祈りするような場所があって、
ペイガン?
ペイガン、自然崇拝みたいなのとかそういうのがあって、
結構イギリスってストーンヘンジとか有名ですけど、
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いろいろ調べると実はそこめっちゃスピリチュアルみたいなのがあるんですよ。
あと産業革命とかでも有名な場所だったので、そこに行ってリサーチトリップをして、
22個そこで逸話を探して集めたんですね。
なんで22個かっていうとアナログからデジタルになって、
アナログとしてそれをフィルムストリップというか、
フィルムのコマとして22個のストーリーを集めました。
それをデジタルアニメーションとして、コマとコマの間をデジタルにつなげるというので、
アニメーションで出したっていうのを作ったんですよ。
その22個のコラージュ作品は後々タロットカードになるんですよ。
だから後々見に来たお客さんがタロットカードを持ってシャッフルして、
過去現在未来とか読むじゃないですか。
そしたらそのコマとコマの間は自分で埋めないといけないから、
あと再編も無限に可能というか、そのタイトルがインタープリターって言うんですけど、
だから自分で翻訳して物語を読み解いてくださいっていうので作ったのが最初だったんですよ。
その作品を見て、日本でもやらないって言ってくださってくれた方がいて、
それで日本にも持って行ったりとかして、そこから始まったかもしれないです。
あれ、昨日お名前になってたTシャツはタロットっぽかった?
あれはまた違うやつなんですけど、タロットのやつと似た。
あれもご自身の作品?
そうです。
それとはまた別だけど、タロットの作品が最初だった。
タロットさんが結構来たぞっていうのはそうかもしれないですね。
日本ではどこで発表したんですか?
キュウリターさんの名前言っていいんですか?
全然いいですよ。
住吉千恵さんっていう。
名前はトランバリス?
そうです。
アースギャラリーっていうところで枠をもてらして、
やってみないって言われて、読んでいただいて、
全部コラージュも日本に送ってやらせていただいて、
そこで後編があって、その後また千恵さんが、
ボカテンでもやってくださったんですね。
2019年のボカテンに出すみたいな感じで。
じゃあ見てるな、僕作。
その時どういう作品出されてました?
ボカテンですか?
私アニメーション出身だったんで、
その時、話ちょっと長くなっちゃうんですけど、
その頃ってアニメーションやりすぎて、
アニメーションやってないとダメだってなってたんですよ。
自分のワークホリックみたいな。
アニメーションやってないと私は存在しないみたいな。
そういうちょっとおかしいステートになってて、
36:01
ちょっとアニメーションをやめて、
アニメーションやってなくても私は大丈夫なんだと。
やりたいって思った時に作ろうって思ってた時に、
千恵さんから話があって、ボカテン出すって話。
ボカテンって静止画だけじゃないですか。
だからちょうどいいみたいな。
アニメーションやりたくなかったから、
なので出したのがパネル作品でコラージュの。
自分の中ではずっとアニメーションって小さい画面で制作するので、
自分の中でも超巨大パネルだったんですけど、
ボカテンって大きいの出すのが。
みんな大体でかいの出しますね。
自分の中では超巨大だったんですけど、
ボカテンの中で一番最小みたいな。
自分の中ではでかく作ったつもりだけど、
ボカテンを見ながらみたいな。
めっちゃ小さかったんですよ。
その時のモチーフは何だったんですか。
その時は結局ストーリーテリングみたいなのが頭にあるので、
アニメーション的な。
だから一画面でマンダラというか、
よく見ると物語が一画面で半時計の周りに見ると、
上から人が降りてきて、
ここでなんじゃかんじゃって上に戻っていくっていう。
リンネ転生じゃないけど。
そういうのを作りました。
それは何ですか。コラージュ的な感じで作られたんですか。
コラージュ。パネルに糊でつけていって作ったんですよ。
たぶん毎年ボカテン行ってるので、絶対見てるんですけど。
でも小さすぎて見えてなかったかも。
いやいや、そんな失礼は。
でも面白いことに、その年に賞を取ったのが目さんなんですよ。
同じ年だったんですよ。
誰ですか。
目。
目が惑星を閉じ込めるみたいな感じ。
だからあれですよね。
丸くて球体になっている作品を作った。
一番初めは畠井さんがセレクトしてやってましたね。
その時横にこっそりキュッていたんですよ。
でもそういう作品はそれからも作ってるんですか。
その時に結局アニメーションやらないって言ってたんですけど、
やっていくうちにアニメーション必要だってなって、
そこにQRコードを埋め込むんですよ。
その作品のテーマみたいなのは視点を変えるみたいなのがあったので、
作品があって、鑑賞者がいて、
QRコードを読み込むと、その作品の世界の中に入る。
それをやったの。
その年にYouTubeとかVimeoとかが、
360度でビデオをアップできるというサービスを始めた年だったんですね。
39:08
ちょうどやりたいことができるみたいな感じで、
これやるって言って、QRコードを埋め込み出したみたいな感じなんですよ。
だからそのあたりからやりたいことと世界のテクノロジーがあってきて、
じゃあ使いますみたいな。
そういうふうに広がっていった感じです。
でもそうなんですよね。
今改めて思ったら、
前半で最新のこんな話をしたじゃないですか。
AIとか、デジタルの人じゃないですか。
その作品の中に。
でもスタッフはアナログだったんですね。
すごいアナログ。
それがだんだんデジタルにせざるを得なくなって、
逆にデジタルの面白さを取り入れるようになってきてみたいな感じなんです。
でも本当にテクノロジーでこんなことできるんやってっていうのを、
別に見せたいわけじゃなくて、
本当にたまたま自分のやりたいことが合致する、
やり方が手に入る時代にいるから、
じゃあ使いますっていう感じ。
そうかそうか。
先にデジタルがあるわけじゃないですね。
AIができたからこれを使ってなんかしてやろうじゃなくて、
やっぱり自分がやりたいものがまずあってってことなんですね。
できるからじゃあそれ使うみたいな感じです。
それは自分としてはいい時代になったなと思いますか?
そうですね。
ちなみにこれはプロデューサーが聞いてほしいってことなんですけど、
京都とロンドンの拠点はどれくらいの頻度で行き来してますか?
ロンドンに興味がある。
今は6ヶ月、6ヶ月くらい。半分、半分って感じです。
それは自分で決めてるんですか?その方がいい?
たまたま本当に6ヶ月間、
向こうに行ってすぐ帰ってくるっていう感じじゃなくて、
向こうに用事があるから行く、住んでる、
日本で用事があるから帰ってくる、
また日本に行ってロンドンに用事があるから帰るっていうと、
6ヶ月、6ヶ月っていうちょうどなるぐらい。
その2拠点の良さってあるんですか?
2拠点の良さ?
でも、いろんな国がある中でロンドンが一番性に合ってる?
慣れてるからロンドンっていうだけで、
他にどこがあるかって言われたらあまり知らない。
どこっていうのがないからロンドンっていうだけかもしれない。
ロンドンの生活はどんな感じですか?
ロンドンはすごい楽しいですね。
これはこの後もずっとこの生活が理想というか?
そうですね。
行ったり来たりできる生活だったりになってます。
私の人それぞれだと思うんですよ。
1拠点の方が過ごしやすい人がいる。
42:01
私の性質はきっとあんまり根を張りたくないっていうのがあると思うので、
だからウロウロしてた人。
だからこそ多分アーティストにも入れないし、
アニメーターにもなれないっていうのは、
一生分があるからかなと思うんです。
でもそこに対してストレスは感じてないよね。
だから本当はどっちかに行きたくなくても、
そういう自分が一番楽いって感じですか?
っていう風に受け取ったタイミングがどっかであったと思います。
昔はどっちかに振らないとっていうのがストレスだったと思うんですけど、
あるタイミングでもう諦めたみたいなのがあったと思うので、
もうこれでいいみたいなのはありました。
ちなみにまた質問変わっちゃいますけど、
今後作りたい作品や将来に成し遂げたいこともありますか?
今の例えば今回の場合は小和田さんからお依頼を受けて、
このスペースを使って作品を作ってくださいじゃないですか。
それとは別に自分の中でアニメーションの作品、
こういうの発表とか関係なく作ってみたいなと思う?
なんならもう作ってるとかもあったりするんですか?
こういうのがいいよねってアイディアが何個かあるんですけれども、
アイディアが今浮かんでる感じで、
これっていうのがまだつかんでないんですけど、
でもエストニアのお友達が今度日本に来るって言ってるので、
一緒に映画作ろうって話を。
それはアニメーション映画?
アニメーションを取り入れた映画みたいな。
でもそれで言うと今ちょっと太った。
例えば絵画の方とかって、
例えば展覧会とかギャラリー、
美術館とかギャラリーの展示に合わせて、
制作してる以外でも何か書いたりするじゃないですか。
映像作家とかお客さんの場合、
展覧会の準備とは別で、
特に今スケジュール何もない時とかに、
今日これやるぞとかやることってあったりするんですか?
そういう時間あんまりないかもしれない。
そうなんですか?
結構常に何かやってる。
仕事とか頼まれ事とかやったりしてる。
別に純粋に自分どこに見せるかわからないけど、
とりあえずやっとこうみたいな感じはあんまり?
それやりたいと思いながら数年経ってる。
他のことがいっぱいありすぎて。
でも友達が来てやろうっていうのは、
本当に純粋に楽しそうだからやろうとか。
でもこれとかもそうかもしれない。
Tシャツとかも。
別に暇ってことはあんまりないんですよね?
そうですね。
昨日着てたTシャツもスクリーンプリントで自分で、
誰にも頼まれてないのに、
すごい時間とお金をかけてやって。
誰にも頼まれてないのにで言うと、
今回の展覧会もお客さんを選んだキュレーターさんがおっしゃってたけど、
45:05
インスタグラムの投稿を見て今回オーバーした。
インスタグラムはどういうことを投稿してたんですか?
それはライブで、
さっきもちょっと言ってたと思うんですけど、
コンピューターと人間の伝言ゲームっていうのを
永遠とやり続けるっていうのを
インスタグラムのライブ配信で。
それは別に誰かが頼まれたわけじゃなくて?
頼まれてはないですね。
やりたいってなってやってました。
でもその時コロナ中だったので、
京都府の女性機みたいにも出たからやれたっていうのもあるんですけど。
それがまさか展覧会につながると思ってないってやってるわけですもんね。
そうですよね。
やらなかったらやらないでいいことなのに、
赤字字になってまでやってましたね。
そうやって考えたら。
でも良かったね。
つながるから。
つながるんですね。
でもそれが自分も思ってて。
自分もブログ毎日誰に頼まれないのに
休まずやってるんですよ。
1円に戻らない。
それが結果今の仕事につながってるし。
なんならこのポッドキャストはマジで1円に戻らないって言ったらあれですけど。
でもやっぱり続けてることがつながってくるから。
そこは今話聞きして通ずるところというか、
シンパシーは感じて今聞いてます。
なんか知らないけどやっちゃう。
やりたいからやっちゃうってやっぱ強いですよね。
確かに。
その方がいいものになったりするんだよね、意外と。
そう思います。
最後にこの質問、毎回聞いてることです。
美術以外で好きなもの、趣味なんかありますか?
オカルトとか好きです。
神秘学とか。
でもこれ美術ですかね?
全然いいんじゃないですか?
それはどういう?テレビとか本を読むとか?
本を読むとかも好きです。
錬金術師とかもめっちゃ気になったり。
シンボルとか好きです。
フリーメイソン的なやつとかですか?
そういうのも好きです。
そういうのを普通に本を借りてきて、
買ったりとかして自分で。
そうですね、本を読んだり、
あと鉱山に出たりとかしたりもしたかも。
でもやっぱり多分さっきみたいに
一つのところに定住したくない人なので、
浅く広くっていう感じなので、
結構天才してます。
知識を取りに行く感じは。
それは例えば日本にいる時とか、
ロンドンにいる時とかにミステリースポットに
行ってみるとかもあるんですか?
魔女の会とかに見に行ったりとかしたことに。
お子をこねたとか。
ちょっと面白くないですか?
行ってみるのも好きですけど。
ロンドンだとスウェーデンボーグソサイティというのがあって、
スウェーデンの神秘家みたいなのが
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18世紀かそのくらいにいた人がいて、
その人の本を読むと、
その頃に量子力学でいう超紐理論の話をしてるやんみたいな。
もうその時点で。
その時点で、図形がそうじゃないみたいなのがあって、
なんでこの人はそれがわかったんだみたいな感じで、
そこのスウェーデンボーグソサイティというのがまだ残ってるんで、
そこのレクチャーとかに行くと、
昔イギリスの錬金術師でペインターだった人の話とか、
錬金術師しか作れない青を塗ってたとか、
そういう話を聞いたりとか。
じゃあ秘密結社ってどこにいるの?
秘密だからわからない。
次どうやって進んだらいいかわからない。
だけどその辺の話を聞いたりして、
いろいろ科学とかも好きなので、物理とか。
それを見えない世界のものと見えてる世界、
そういうのをつなげて世の中を読み解いていくのが楽しいなと思って、
いろんな興味がありました。
でもそういうのが引き出しにいろいろと入ってるのが、
後でやっぱり生きてくるんですね。
いろいろと学んどくことがというか。
きっと。
それで点と点をパッてつないで、
これが面白いねみたいな共通点見つけたりとかするのが、
面白いから転在しちゃうアイディアがあります。
あれとか見るんですか、いわゆる都市伝説とか?
もうだいたいわかります。
だいたいわかってると思います。
抑えてるんですか?
抑えてます、はい。
それ昔から好きなんですか?
結構昔から不思議なものとか好きでしたので。
子供のときはXファイルとか好きで、
なんとかリサーチ2000Xとか見てましたけど、
そういうの見てたんですか?
Xファイルとかも見てたんですけど、
そのときはあんまり何も考えてなかったです。
中高生のときまで何も考えてないでお馴染みだった。
そうですよね。
ボーッと見てた。
最近はちなみにマージャンはされてないんですか?
最近はしてないです。
ロンドンではマージャンとかやらないんですか?
昔、日本人のお友達がいて、やったりとかしてます。
今、ロンドンに広めたらいいんじゃないですか?
いや、もういいです。
もうやらないです。
熱してるのがまずいんですか?
まずいです、熱しちゃうと。
もういいです。
もうすっかりやりません。
ロンドンに広めたら面白いかなと。
考えておきます。
余計なこと言わないようにしようかなと。
でも面白いですね。
興味は尽きないんですね。
もしかしたら、もっと私の知らなかったジャンルとかが出てくるかもしれない。
51:02
でもそれこそ、僕そんなに詳しいわけじゃないですけど、
青森とか、キリストの墓があるとか。
行きました。
もう行きました?
どうでした?
面白かったです。
日本語でここはキリストの墓であるって書いてるのが、断言してるのがすごい面白かった。
でもよく考えたら、
十字架、和が多数の十字架、単語の多が十字架、
十字架めっちゃあるやんみたいな感じがすごいって思ってて、
さっき言ってた放射線の話だったじゃないですか。
あれとかも、あれを考えてたときに原子っていう粒子のこと、物質を作る粒子って
プラス、マイナス、中性子でできてるじゃないですか。
私たちってプラスとマイナスで物事が生まれてくるって考えがちだけど、
プラスとマイナスと中性子っていうのが絶対大切っていうのが、
中性子がないと繋がらないみたいな。
日本神話とすぐ話がどんどん飛んでくるんですけど、
日本神話の古事記で神様を読み解いていくと、
イザナキとイザナミが出てきた時点で、あれ絶対プラスとマイナスじゃないですか。
あの二人が出てきた時点で、自然物と人間の融合みたいな神様がいっぱい生まれてくる。
水色の神様とか火の神様とか、人間の力が入らないと生まれない。
自然と人間。
その前、だからプラスとマイナスはここにあるけれども、
中性子が絶対どこかにいるはず。
どこだって探したら、一番最初に出てくる神様で、
アメノミナカナシっていうのがいて、
そこが唯一中っていう漢字を使っていた。
アメノミナカナシの中に入っている。
アメノミナカナシの中で、一番最初に出てくる神様がセンター・オブ・コスモスというか、
宇宙の中心がアメノミナカナシ、中性子みたいな。
中性子、ラクゾスみたいなのを見つけて、
中っていう漢字が、私には中に見えるんです。
太い横歩と捉えられる。
よくわからない。
どこに繋がっていくかわからない。
そういう繋げ方をして楽しんでいると思う。
トワダシのホファーも意味があったんですね。
トワダっていう。
あったと思います。
最新日本人。
始まる前に何でも拾えますって言ったけど、
拾えないものもあるんだなって自分で思いました。
どういうこと?
でも面白い。
でも、自分の興味の範囲は中性子とか良子とか言いつつも、
古事記にも広がっていくし、
漢字の中っていうのとの繋がりがあって、
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全然違うジャンルを繋げながら考えていくのが面白い。
これは前半にするべきだったんですけど、
前半でギャラリーのスペース内容を全て紹介したようでいながら、
一つだけ抜けてたなと思ったのは、
出口出たところに、
岡崎さん、今回の展覧会の脳内地図みたいなドローイングを飾ってあって、
まさに今のような、いろんなことが一枚の中にパーッと書かれていて、
それが展示空間になっているというのが最後に分かれば、
今の話について分かりました。
でもそれがすごい僕は面白いなと思ったのは、
やっぱり岡崎さんの多分考えていることって、
いろんなことを考えていて、
言ってしまえばドローイングはぐちゃぐちゃって言ったりするんだけど、
脳内ぐちゃぐちゃって言うことを考えれば、
それを立体化というか、展覧会に行った時に、
展覧会をぐちゃぐちゃしないのがすごいなと思ったんです。
たぶん、ぐちゃぐちゃっとしたものをそのまま形にしちゃったら、
とんでもないカオスな空間になるのに、
ちゃんとすごくそこは引き算されていて、
見せるべきものだけがちゃんと見せられているので、
そこの能力がすごいのかなと思って、
でもそのぐちゃぐちゃってした点が、
たぶんその展示会の中で見ようと思ったら、
いろんな点がビチャビチャビチャって出てくると思うので、
その点を集めるような感じで楽しんでもらいたいです。
何個かあるかもしれない。
10個ぐらいあとうちの何個?
シンプルに見えるかもしれないけど、
点と点をつなぐところがいっぱいある。
そう考えると、やっぱり一回行くだけじゃなく、
何回か行くとまた見え方が変わってくるかもしれないですね。
ということで、そろそろお時間がやってまいりましたということで、
そろそろ収録を終わらなきゃいけないということです。
収録はいかがでしたかということで。
ありがとうございます。
すごくいっぱい喋れてよかったです。
聞いてもらえて嬉しかったです。
楽しかったです。
改めにお口をお願いいたします。
オカクノリコのハッシュタグ拡散展、
7月6日から9月8日までスペースでやっております。
戸倉市県第21番スプライト会場のプラスという字がたくさんあるので、
同じに戸倉市で行われているので、
ぜひぜひ来ていただけたらなというふうに思います。
今後もオカクさんの情報はインスタとかもされているということで、
ぜひぜひ皆さんチェックしていただいて、
フォローしていただけたらなというふうに思います。
オカクさんどうもありがとうございました。
ありがとうございました。
はい、この番組は不定期配信です。
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感想はハッシュタグトロソロビジョンの話を。
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