1. そろそろ美術の話を...
  2. #107 推し活の聖地 弥生美術館..
2024-05-11 52:39

#107 推し活の聖地 弥生美術館、竹久夢二美術館について(弥生美術館 学芸員 内田静枝、竹久夢二美術館学芸員 石川桂子)

弥生美術館 学芸員 内田静枝さん、竹久夢二美術館学芸員 石川桂子さんをゲストに弥生美術館、竹久夢二美術館ついてお聞きしました。 ⁠⁠⁠⁠https://sorosoro-art.vercel.app/ep/107⁠ 番組の感想は、⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠#そろそろ美術の話を⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ でお願いいたします。

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Guest Profile

内田静枝(うちだ しずえ)

  • 1997年より弥生美術館学芸員。担当した企画展に「少女の友展」「加藤まさを展」「藤井千秋展」「田村セツコ&水森亜土展」「長沢節展」「松本かつぢ展」「セーラー服と女学生」などがある。編著(構成)に、『長沢節』『女学生手帖』『松本かづち』(いずれも河出書房新社らんぷの本)などがある。

石川桂子(いしかわ けいこ)

  • 1991年より竹久夢二美術館学芸員。編書に『竹久夢二《デザイン》モダンガールの宝箱』(講談社)、『竹久夢二 恋の言葉』『大正ロマン手帖 ノスタルジック&モダンの世界』(河出書房新社)、『竹久夢二詩画集』(岩波文庫)、『竹久夢二という生き方』(春陽堂書店)、執筆に『大正史講義【文化篇】』(ちくま新書)など。


Show Notes オープニングトーク

鹿野 琢見と高畠華宵について

弥生美術館について

竹久夢二美術館について

00:10
はい、アートテラー・とにのそろそろ美術の話を。この番組は、私アートテラー・とにがアートに関わる方をゲストにお迎えして、トークを繰り広げるポッドキャスト番組です。
本日は弥生美術館学芸員の内田静枝さんと竹久夢二美術館学芸員 石川桂子さんをゲストにトークをしていきたいと思います。
はい、ということでご出演いただきましてありがとうございます。 よろしくお願いします。
プロデューサーも実は弥生美術館初めてだったということで、もしかしてね、ここを知らないって方もいらっしゃった時に、
なんで2つの美術館の人がそれぞれ出てるんだろうと思うんですが、そもそもこの弥生美術館と竹久美術館は、
2つの美術館だけどセットで見られるというか、ちょっと不思議な立ち位置ですので、それで今日は両館の方に来ていただけているんですが、
そもそもじゃあどんな美術館なのか、最初に言ってもらった方がいいのかもしれないですよね。
はい、なんでまた2つの美術館があるんでしょうみたいな。
はい、この2つの美術館は創設者が同じなんですね。
加納匠という1名の弁護士が建てた美術館になります。
なので建物としては2つ?
2つです。
入り口は1つ?
そうです、入り口出口も1つです。
入り口は1つで、渡り廊下で繋がっている美術館です。
で、また戻ってきて出口が一緒になるってことなんですね。
迷路みたいって言われますね。
今回は弥生美術館の方からは内田さん。
はい、よろしくお願いします。
そして竹久美術の方で石川さん。
はい、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
僕は結構関係性がすごい深いっていう、ちょっと始まる前にその話したんですけど、いつの間にかここに来て溶け込む。
本当に大人気です。
カフェのお姉さんたちにも人気です。
ありがたい話です。
なんかカフェで覚えているのが、東京のレトロ美術館っていう、数年前に出させてもらった本で、ここを取り上げて、本当にレトロな雰囲気が好きな美術館なので、
レトロ美術館っていうのを打ち合わせる時に、出版社の方からどういうところがいいですかねって言った時に、結構一発目にあげたのが、僕は弥生美術館を立てて、嬉しいです。
あの本でも取り上げさせていただいたんですけど、その本で、僕が結構美術館の前でジャンプしてるシーンが、いろんな美術館にあるんですよ。
ソラリーマンっていう、青山さんっていう方が撮ってくれたから、結構いろんな美術館でジャンプさせられるんですけど、別にジャンプはするけれども、それが全部に掲載されてるわけじゃなくて、
そしたら、ある時に本出版の後に、いつものように来て、カフェでちょっと休んでってくださっていただいて、カフェに行ったら、カフェの方が、すごく悲しそうな感じで、本を掲載していただいて、すごいありがたいんですけど、他の美術館はジャンプしてるのに、うちはジャンプしてない。
何の意味もない、それはもう出版社が決めたやつに掲載されてたけど、うちはジャンプするぐらい喜んでもらえない美術館だったんでしょうか、みたいな感じで、中房ですよの星3つみたいな感じで、僕がジャンプする人が思われてて。
03:16
いやいや、それじゃなくて、他にもっといい写真があったんで、それを選んだだけなんでって言ったら、すごいホッとされてたんですけど、それは言っとかなきゃなと思いまして。
ありがとうございます。
レトロな感じもすごい好きな美術館で紹介させていただいております。それぞれの美術館についてはこの後に行くとして、今チラッと話が出た、カノタクミさん、弁護士のということですけど、どんな方だったんですか?
どんな方でした?
2人はお会いしたことあるんですか?
もちろんです。
この美術館を創設したものなんですけれども、ここは実はカノの自宅だったんですね。
この今、美術館自体が。
自宅なんです。ですから、高畑和尚という、大正末から昭和初期にかけて、絶大な人気を誇った写真画家がいるんですが、その高畑和尚先生のファンだったものなんです。
カノさん自身。
9歳の時に、ある絵を見て心を射抜かれてしまって、そこからの和尚ファンだったわけですね。
僕は弥生美術館によく来させていただいていて、高畑和尚とピンと来ているんですけど、一般的にはもしかしてちょっと知られて、まだ知らない、どんな方なのかというのを簡単に紹介してもらっていいですか?
大正から昭和にかけてというのは、雑誌文化がすごく起こった時代で、そうすると雑誌にイラストレーションが載るわけです。
その当時は写真よりもイラストレーションの方が視覚的な効果が高かったので、素敵なイラストを描く人たちがたくさん現れまして、その中でもトップ的な人気を誇ったのが和尚です。
あまりにも人気で、その人の家にみんなが少年少女が押し寄せたっていう。
そうなんです。絵を描くだけじゃなくて、描いたご本人もすごく人気で、和尚の場合はとてもミステリアスな私生活を送っていまして、鎌倉の断崖絶壁の上に和尚御殿ともさしえい御殿とも言われる御殿を建てて、
そちらで美少年の弟子たちに囲まれて、私生活を送ってきた。
ミステリアスですね。和尚さんみたいには男性の方ですね。
はい、男性の方なんですが、私は男でも女でもないような気がします、というようなことも言ってらっしゃるわけです。
今でこそジェンダーレスとかの言葉があるけど、そういうのがない時代にも結構先駆けている感じですよね。
先駆けていて、悩んでもいないんですね。私は私、ありのままという感じで。
06:02
少女雑誌でも少年雑誌でも人気を博した方なんです。
だから女の子にも人気だし、男の子にも人気なんですね。
そうです。それって今でもすごいことで、少年漫画の作家さんと少女漫画の作家さんとやっぱり住み分けてますよね。
和尚はその時代であってもジェンダーレスな活躍をしていた方なんですね。
だから男の子も描けるし、女の子も描けるみたいな感じですね。
描けるし、少年の中に少女が宿り、少女の中に少年が宿るというふうに言われたように、
良性理由的なカンバセの少年少女がすごく人気で。
ただ女の子を描いてても、本当に可愛らしい女の子だけじゃなくて、宝塚好きの女の子が引っ張られるような男らしい女性も描いちゃうしみたいな。
もう少年も少女も同じ顔つきなんですけど、ギリシャ彫刻のような雰囲気を兼ね備えてますね。
じゃあ高畑和尚さんに創設者の加納さんは子供の時から大ファンで。
そうです。心を射抜かれてしまって、その思いを抱いて大人になって、弁護士になって東京に住まいを構えたわけですけれども、
ある時雑誌を見ましたら、往年の人気写真画家の高畑和尚先生が、今は赤市の養老院にいらっしゃってというような小さい記事が出たんですね。
あの人は今的な感じというかどうですか?
それよりももっと前向きで、和尚先生が赤市にお住まいになりましたので、
赤市の天文科学館で展覧会があったんですね。
その展覧会をきっかけに全国のかつての和尚ファンたちが、その中の一人が加納だったわけです。
和尚先生にお手紙を差し上げて、私はあなたのかつてのファンです。
大体の人はそこで終わるんですけれども、加納の推しの強いところが、私をモデルにして絵を描いてくださいませんか?
その時は加納さんは何歳ぐらいですか?
40代半ばですね。
高畑和尚さんは何歳ぐらいですか?
70代後半です。
70代後半、40代を描け!みたいな、なかなかな絵面ですけどね。
加納は自分の少年時代の写真と田舎の宮城県の風景を写真で送って、自分をモデルに。
少年時代の自分を。
今の自分ではなくて。
びっくりしました。
それをきっかけに加尚先生との間に交流が生まれまして、赤市から先生を東京のご自宅にお招きして、
09:02
加尚の間という加尚先生専用のお部屋を作ってしまいまして。
それが今この自宅のどこかに一角に加尚さんのためのお部屋を作っちゃったんですか?
そうです。今もあります、加尚の間。
加尚さんのコレクタールームみたいな、加尚さんが先に飾るんじゃなくて、加尚さんがそこで生活するためのお部屋を作っちゃったんですか?
最初はでも先生に見てもらうための絵とかを飾っておいて、
その後にお迎えをするわけなんですね。
実際お住まいになられたんですか?
そうです。
最終的にこちらで加尚さんの人を見とっておられるんですけど、
赤市の方にいらっしゃった加尚先生をもうこっちに呼び寄せてしまってるんですね。
すごい推し活ですね。
そうなんですよね。
推し活の中でも最上級みたいな。
そうなんですよね。やっぱりちょっと推しが強い。
家族の一員として一緒に暮らすことになったんですね。
でもその時はまだ美術館とかではないと。
普通の弁護士事務所だったわけですよね。
そこにお住まいだったっていう。
ここからどうなって美術館に変わっていくんですか?
加尚先生と巡り合ったことで、全国の加尚ファンがワーってきましたので、
その人たちをまとめ上げて、加尚会っていうファンクラブを補足させたわけです。
改めてそうか。
加尚先生はお亡くなりになりましたが、その後ゆかりのファンの方々と一緒に
加尚を検証する活動を始めまして、
それが実ったのが昭和59年、1984年6月の弥生美術館開館になります。
そういう流れになるんですか。
加尚先生から作品と著作権を譲り受けたというところがありますので、
加尚作品をもとに、ただ開館した時には弥生美術館ですから、高畑加尚美術館とはしないで、
加尚という素晴らしい画家が現れた背景には、同時代切磋琢磨した素敵な画家さんもいたわけで、
先輩にあたるイメージをはじめとする先輩方もいたわけですから、
大正昭和の挿絵文化を検証する館として当館をオープンしました。
そういう流れなんですね。
加尚先生が亡くなって、18年後に弥生美術館が開館していまして、
加納はその時65歳になって、その年齢で自宅の一部を美術館として開館するに至ったんですね。
これは改装なんですか、建て壊してフルで作ったってことですか、その時に。
そうです、今のこの建物がまさにその時に作った建物になります。
高畑加尚さん自体、ちなみに何年ぐらいお住まいになったんですか。
こちらには1年ぐらいですかね。
12:02
でもそれぐらいでも著作権を譲れるぐらいの家族、本当に家族みたいな関係なんですね。
現在の館長は、ちびっ子時代に加尚先生、おじいちゃんとして親しんでていう関係ですね。
でもそんなに子供自体に好きだったっていうのを、もう一回加納さんだけじゃなくて、
そういう会ができるぐらいの人っていうのはよっぽどに。
僕で言ったらもしかしたら鳥山明さん、最近長くなっちゃったけど、鳥山明で育ったんだよねみたいなことですか。
そうですそうです。やっぱり子供時代にぐっさり刺さったものって、人は忘れないんですよね。やっぱり夢があってから。
それがしかも男女ともに人気がたくさん。
そうなんですよね。
ほんで、高畑加尚さんの作品ももちろん所蔵されてて、
でも他に高畑加尚さんの作品見れる場所ってあんまり日本中にはない。やっぱりここが一番持っていることになるんですか。
はい、そうですね。はい。
今ちょうどこの期間中はちょっと今、3階空いてないですけれど、
やよびすから3フローあって、3階で大体高畑加尚。
はい。常に、はい、加尚作品は展示するようにしています。
何点ぐらいお持ちなんですか。
加尚作品は3000点ぐらいですね。
差し得だけじゃ当然なくて。
肉筆もあります。日本画ですね。
何でもかけちゃっちゃったってことですか。
そうですね。男の子も女の子も。
あと、加尚ですごいと思うのは、おじいさんとか怪人とか悪役とか、
そういう人もそれらしく描けるところですね。
へー。
加尚先生は、津村潤天堂の中城島の広告を描いたことでもよく知られています。
なんか結構、昔、銭湯、なんか懐かしい銭湯に行くと。
そうですね。女の人の特徴的な広告。
あれがそうなんですね。
ちなみに、3000点もある、たくさんある中でですけど、
これがこのうちの高畑加尚作品として、ぜひ見てほしいっていう1点って言ったら、
例えばどういうものを。
新さらばふるさとじゃないでしょうか。
それはどんな作品ですか。
例の、自分をモデルにという作品。
さらばふるさとという作品がありまして、それを自分をモデルに、新さらばふるさと。
さらばふるさとというのは、もともと有名だった。
前世紀というか、人気絶頂期に描いた作品。
はい、そうです。
それは日本少年という雑誌に出た口絵ですね。
雑誌に出たものですから、流れていってしまうものではありますが、
昔の人ってカラーの作品がすごく大事だったので、切り取ってコレクションするんですよね。
スクラップしてね、皆さん大事にされて。
カノさんは、自分の子供自身をそれで描いてくれってオーダーしたんですか。
15:03
はい。
ドラゴンボールで言うと、一貫の表紙を僕で描いてくれって頼んだみたいなことです。
ですから、始まりの一点として、こちらは常に展示しています。
夢のような話ですよね。
でも、八重美術館は、さっきちらっと言いましたけど、同年代の作品もってことだったんで、
コレクションとしては、高畑さんは3,000点。全体としてはどれくらいのコレクション?
全体としては2万7,000点が交渉ですが、数え方にもよりますし、もっともっとたくさんあるはずです。
その最初からの美術館としては、雑誌文化っていうのをテーマにしようというのも最初から?
そうですね。歌唱を柱として、歌唱を育てた雑誌文化。
そして、今は歌唱の影響も辿っていますので、少女漫画とか、漫画にまで、あとイラストレーターさんまで、守備範囲にしていますけれども。
僕の中で、八重美術館さんを、今はちょこちょこ起こさせていただいてますけど、色々な美術館に行き始めた時に、八重美術館ってすごいなと思っていたのが、他の美術館がやらない点なんかというか、個性がすごいというか。
一番僕が印象に残っているのは、怪獣図鑑展。大友なんとか。
はい、大友障子堂。
子供の時に見ていたウルトラマンの怪獣図鑑、怪坊図みたいなやつ、僕も子供の時よく見ていたんですけど、それの原画展みたいなのをやったりとか。
あと、おさむグッズもありましたよね。ミスドで、僕はミスドのグッズの人みたいな感じだったけど。
どんだけドーナツ食べたかった。
そうそう、景品が欲しいから。
そのおさむさんの展覧会とか、他のところでやらない展覧会がよくやっているなという印象だったんですけど。
はい、それは常に意識しています。他がやらないものをやっていこうというところですね。
これまで年間4本ぐらいはやってくるんでしょうね。
ってことは、コレクションのその2万7千点は、やっぱり差し柄とか口柄が一番多い。
そうですね、はい。
あとフロックなんかもあります。
フロック、ああそうか。
当館が開館した時は、昭和59年当初は、冊子とか雑誌とかで美術館ができると世の中の人は思ってなかったわけですよ。
そこにこういうものをバーンと立てたので、世の中の人たちが自分もファンでしたっていうことで、
大事にしてきた切り抜きとかフロックとかを寄贈してくださったんですね。
私にとっては大事なものだけれども、自分の孫の世代にはゴミになってしまう。
それは忍びないのでどうぞもらってくださいっていう方で、全国からたくさん作品が寄せられた。
18:00
それでその数が膨大になっていくんですか?
今だにやっぱり増えていくもんですか?
そうですね。今はもういただききれなくなってという嬉しい状況ではあるんですけど。
お申しではね、ありますね。
やっぱり捨てるには忍びないから。
あと作家の先生ご自身からも、こういうことに光を当ててくれて嬉しいということで、すごく協力的に皆さんが手を差し伸べてくださいましたので、何とかスタートにすることができたわけです。
その一個人の力でもスタートすることができたっていうのがあります。
あと今更なんですけど、弥生っていうのは地名なんですね?
そうなんです。たまに小中学生のグループさんが土器ありますか?って。
ごめんねって言うんですが、ここの地名が弥生町ということで、
ここで出土されたので、弥生式土器という名前がついたというゆかりの。
東大前駅からも来れるし、禰豆駅からも来れるんですけど、禰豆駅から遡って上がっていくと、弥生式土器発見の日みたいなのがありますよね?
そうなんです。
最近あれですもんね、また新宿に草前弥生美術館ができちゃったから、異様でややこしくなってきちゃうんですね。
もう外国の方のお年合わせと同文になってこっち来ちゃったときちゃうんです。
弥生草間なわけで、タクシーの運転手さんが連れてきてしまわれるんですよ。
海外の人はもう弥生草間って言っちゃうから。草間弥生じゃなくて。
お互いにも連絡取り合って、草間さんのところと。
ここの弥生っていう町名って、一度亡くなりそうになって寝ずになりそうだったことがあるんですね。昭和40年代なんですが。
加納は弁護士をしていたんですけれども、同じ弥生の町内にお住まいだった詩人の佐藤八郎さんと一緒に、弥生という大事な町名を残す運動をして、今、弥生1町目、2町目ってあるんですけれども。
なので、加納にとっては大変愛着のある地名なんですね。
じゃあそれはやっぱり弥生美術館に名乗りたいですよね。
そうですね。
ここは寝ずになった。寝ず美術館も出てきて、全然ややこしくなっちゃいますもんね。
よくご存知。
そうか。本当にいろんな展覧会が行われているんですけども、僕は、いろんな展覧会があるって言った中で、
内田さんが、これまでセラフとか制服の展覧会をやたらととか言っていけないんですけど。
はい、2回やりました。
どんどん制服に詳しくなった。
僕は制服素人で、全く興味もなかったんですけれども、はまってしまいまして。
最初の展覧会は何でしたっけ?
最初はセーラー服と女学生という展覧会で、これ石川慶子学芸員からのアイデアでした。
21:03
でも本当に他がやらない、どんな展覧会でした?改めて。
最初はね、少女イラストレーションの中で、制服を着ている女の子がたくさんいるだろうから、
それを集めて展示をしようということで。
イメージから始まってみたのですか?
そこまで深くは考えてなくて、石川学芸員が。
うちのアートディレクションをしてくださっているデザイナーのゴーズ忠さんという方が、
セーラー服にすごく造形が深くて、それでなんとなくそのゴーズさんのSNSとかを見ていて、
セーラー服でここって展覧会きっとできるはず、そしたら内田さんにお願いしちゃって。
制服のスカーフの結び方でゴーズさんがSNSでバズったんですよ。
そういうきっかけだったのか。
学校によっては違うってことですか?
すごく違います。伝統とか時代によってアレンジとかもね。
私たちにとってはお仲間であるゴーズさんがバズったよってことを言ってたら、石川さんがうちやりなよって。
ピンと来て。
いいね。
基本的にいろんな写真絵とかのセーラー服が描かれているものを集めたって感じでしたもんね。
私自身はスケバンの時代だったので。
長男みたいな。
ですからアラフィフになるまで制服というものに全く興味がなく、
自分のティーンエイジャーの美しさを際立たせる服という発想はまるなかったんですね。
スケバンの時代だったから。
戦闘服。
でも調べていくと、セーラー服ってこんなに面白いものなんだっていうことが分かって、
セーラー服って、ちびっこであれおじいさんであれ知らない人はいないですよ。
セーラー服って言えばアレだって分かりますし、
セーラー服自分が着たかったっていうのもあるし、
私のセーラー服はこうだったとか、
セーラー服の女学生に自分は憧れていたんだとか、
誰とでも話されるテーマなんですよね。
なるほど、意外とセーラー服。
徳谷さんでもなんでも制服は何ですかとかっていう話が続いちゃうんですけど、
そういう間口の広さを持って。
確かに女性同士はあれですけど、男子同士はなかなかその話にならないですよ。
セーラー服は僕はそんなに聞き出しないし、
でも女性はありそうですよね。
でも男性でもどこのセーラー服の子が可愛いとか、それに付随してルーズソックスとか、
いろいろなところに波及していくんじゃないですか。
確かに確かに。
でも元々はセーラー服って男性の服ですもんね。
そうなんですよ。
セーラーの服ですね。
そうです。水平さんの服ですから、
その軍服であった服がなぜ日本に来ると女学生服になってしまったのかっていうところも面白いですし、
24:00
世界中でこんなに学生服が普及している国ってないんですって。
実はですか。
はい。個性尊重ですから。
そうかそうか。
何も考えずに着てましたもんね、その当時。
そうですよね。
だから日本人とは何かっていうのを知る手がかりになるっていうことに気がついたんですよ。
深い手もらったんですね。
そうです。間口は広くて奥が深い。
リボンの結び方もいっぱいあるんですよね。
何々結びとか何々巻きとかすごいんですよ。
折り紙文化の日本人だから。
なるほどなるほど。そこに通ずるんですね。
そうです。それに着こなし方にその子の性格が出てくるっていうのが面白いですよね。
突っ張ってる子は2センチ上げるとか、真面目な子はこうだとかって着こなしから分かりますし、
あと日本人ってゼロからファッションを作るのは苦手なんですが、
制服っていう一つのスタンダードが与えられた上で、そこからアレンジするとなるとすごいワリエーションを生み出すんですよね。
そこ気がついちゃったらもうハマってしまいまして。
でも展覧会はもちろん面白くて、あとセーラームーンとかも取り上げたり、
あと中村雄介さん、人気のイラストレーターの中村さんも描いてくれたりとか、
すごい面白かったなと思って。
飯田シッペの石川さんはどう思ったんですか?軽い気持ちでどうかなって言ったら。
でも本当に内田さんならではの調査力と、いろんなところに次のまた別の制服展も展開してくれて、
すごくもう良かった、正解だったなと思いました。
そうなんです。私に力強い師匠が、私たちの仲間のアートディレクターの郷土忠史さん、
あと森信之先生という制服図鑑をずっとお書きになった。
その先生に私が弟子入りをして。
この展覧会のために。
そうです。セーラー服の達人に聞くという手で展覧会をやったわけです。
一素人として、もう何でも聞くっていう。
あれが2000何年でしたっけ?
それが2018年ですね。
それの次が今でも日本制服。
その次の年に、日本制服100年史というのをやりました。
もうセーラー服に限らず、ブレザーとかも出てくるし。
展覧会、セーラー服と女学生展をやった時に、お客様の反応がすごく素敵だったんですね。
皆さんが目をキラキラさせながら、盛り上がっていらっしゃるんですよ。
そこで初めて私も、セーラー服ってこんなに力を持つものなんだって気がつきましたし。
学芸員としてすごく力をもらいました。
展示ってこういうものなんだ、見る人があってのものなんだっていうのをすごく感じて、
27:01
お客様からテーマの面白さを教えていただいて、
次の年もやっちゃおうという感じで。
反応は良かったですか?
制服にかける思いっていうのは、強い人は強いんだなっていうのが分かりましたね。
自分のアイデンティティにもつながっていく。
日本制服100年史って結構印象深かったのは、
その当時漫画で、女性だけど男性の服着。
ジェンダーレス制服で終わってました。
だから結構時代の流れもちゃんと、単純に歴史だなっていうだけじゃなくて、
本当に現代の問題までが手の中で取り上げられている感じで。
今はLGBTQの問題が取り上げられて、学校現場でもすごく言われてますので、
左利きの人とAB型の人と同じぐらいの割合でLGBTQの人がいらっしゃるんです。
そうすると30人いるクラスの中で、2、3人はいるっていう計算ですから、
学校現場の人たちはすごく真剣に考えてらっしゃるんですね。
ですが、本当にここが面白いところなんですけれども、
男女の差のない制服を作ろうとか、いろいろけんけんがくがくしてるんですが、
制服なしにしちゃえばいいじゃんっていうふうにはいかないんですよね。
制服でいいじゃんにはならないですね。
制服は着たいですね。
ユニフォームで、多様性とユニって全然ベクトルが逆なのに、
学校制服を作ろうっていうところに持っていってるのが日本人らしいなと思います。
そっちの議論にはならないですね。制服はあったし。
そうなんですよね。面白いなと思って。
この企画はまだ続く?サードシーズンを。
サードシーズンを検討しています。
そんな中ですけど、今やっている展覧会はまた全然違いますもんね。
松尾博美さんという40代のイラストレーターの相方の展覧会になります。
この方も今人気の。
人気沸騰中ですね。海外での人気も高く、台湾で展覧会もやりました。
でも日本で大規模でというところが。
ここで東京では初っておっしゃるんですか?
東京では初になります。
レトロな大正ロマン的なイラスト、美少女、女性を描くということで、
すごく若いオシャレな方に人気です。
ここの美術館はレトロな雰囲気があるので、本当に美術館とマッチしてて。
松尾さんご本人もおっしゃってましたもんね。ここがすごいやりたかったって。
はい、ありがたいですね。
過去にも何度かコラボはしてたんですよね?
一度だけコラボしたことがありまして、書き下ろし作品なども描いていただきました。
30:03
今回は松尾さんオンリーの。
はい、オンリーですね。
見どころはここってのがあれば是非。いっぱい見どころだらけでしょうけど。
見どころだらけです。
松尾博美先生は画の何かっていうのをファンタジーとして作り上げる方なんですけれども、
三菱百貨店という20世紀初頭の架空の百貨店を再現しました。
少しでもなく。
はい、三菱ですね。
でもなんかありそうな、中のエレベーターガールがいたりとか、
服飾雑貨部があり、あとなんかハンプ会のポスターがあったりとか、これ全部架空。
松尾さんの頭の中にあるものって。
それを松尾先生が百貨店ワールズという一冊にまとめ上げたんですが、
それを仏入館あふれる展示にしようと思って、今回頑張りました。
展示室で今ちょうど収録させてもらってるんですけども、松尾博美ワールドの中に入ってますもんね。
ただ絵を見るだけじゃなくて、三菱百貨店にお買い物に来る、そういう気持ちになっていただけるような展示にしたいなと思って。
展示ケースの中に文具屋さんで売ってる文房具が売ってたりとか、
全部そうやって設定がちゃんと細かく作られてるってことですよね。
そうですね。
2階のコーナーはマガジンロンドという架空の雑誌の100年をたどるという一冊を先生がお出しになったんですが、
その架空の雑誌の世界を再現してます。
マガジンロンドという雑誌の創刊号から2022年に出たという設定の100年記念号。
そうです。
創刊した時は大正時代ですから、本の大きさはこのくらいかな、厚みはこのくらいかなとか、いろいろ先生と打ち合わせをして再現をしてますし、
物語の舞台になっている古書店ルッソレイユというのを再現してます。
大変だろうなと思うし作り込んでるけど、楽しそうなんだろうなってのも伝わってくるんですよね、作家さんが。
たぶん楽しんでやってる感じが。
古書店ルッソレイユの黒板は先生が先日来て書いてくださいました。
開館時間とか、開店日が書いてあるやつですね。
その開店時間は弥生美術館の開館時間に合わせてくださったんです。
入り口の扉とかからしても全部作り込んでますもんね、今回は。
こちらは先ほどから名前が出ているゴーズ忠さんがやってくださっているんですが、
ゴーズさんは松尾先生の毎年毎年のカレンダーのアートディレクションをしてますので、
みんな通過で力を合わせて展示をしました。
チーム弥生美術館で作り上げた展覧会みたいな感じですか。
先生の世界観がご理解されていらっしゃるから、これいいねって提案してくださったものをみんなで先に見せていただいて。
33:00
グッズも今回。
はい、グッズもね。
ショッパーとかあるんですけど、三菱百貨店でお買い物をしてっていうような。
設定に慣れるんですか。
あとショッピングカードみたいなのも作ってくれたんですよ。
グッズのメーカーさんも松尾ひろみファンの方がいらして、みんな大歓喜で。
チーム松尾ひろみで作り上げた。
早速ファンも結構いらっしゃってますか。
初日はサイン会でしたので、ここトグロを巻いた感じで。
他にもゆっくり聞きたいんですけど、竹下夢次美術館についての話も触れたいなということで。
よろしくお願いします。
松尾ひろみ展でぜひ来ていただきたい。
これが6月30日までということでしたけども、石川さんここから竹下夢次美術館パートということで。
竹下夢次美術館も弥生美術館と同じタイミングでオープンしたんですか。
それは違うんですね。
1984年に弥生美術館が開館した時から、しばらく弥生美術館で夢次の作品も展示してたんですね。
でも、カノタ組は弥生美術館が開館した頃にはかなり、実は歌唱から夢次に熱が映ってきて。
というのは、歌唱先生を集めてるって言っても、意外と反動が薄くて、夢次なら知ってる人って当時も相当多くて。
で、カノってすごく負け嫌いで、そうしたら夢次を集めたくなって。
そうですね。なんかそういうこともあったらしくて。
で、実際夢次の作品を集め始めたら、その夢次の作品の魅力にどんどんハマっていって。
弥生美術館を開館した頃から、この自宅の敷地内の別棟に夢次館を建てようって計画したんです。
決めてたんですか。
そうなんです。
竹下夢次との出会いは何歳ぐらいとかってあるんですか。
正直言って、高畑歌唱のこととかで、いろんな方と接している時ぐらいからじゃないかと思います。
というのは、カノは夢次には会ったことはないんですね。
なるほど。世界も全然違いますね、高畑さん。
で、夢次には残念ながら会えなかったんですが、
実は弥生美術館の名誉館長に夢次の次男の藤彦さんをお迎えしていたんです。
藤彦さんは、それで歌唱先生の弥生美術館が建ってから、
1984年に開館した弥生美術館の後を追うように、1990年に夢次館が開館するんですが、
そこでも引き続き、竹下藤彦さんに名誉館長を務めていただきました。
36:05
それからカノは夢次に会えなかったのはとても心残りで、
まだ弥生美術館が建った頃、夢次美術館が建った1990年ぐらいの時には、
まだ夢次に会った人たちというのが生きていらっしゃったので、
そういう人たちにかなり会いに行ってお話を聞いたり、作品のことを教えていただいたりとか、
非常に収集に力を傾けていました。
今、夢次美術館のコレクション数はどれぐらいある?
約3300点になりまして、
とんでもない数!
これも数え方によるんですけれども、
美術館が夢次として創設したのは、3館目になるので、後の方なので、
他にも竹下夢次の美術館はある?
夢次の故郷の岡山の夢次郷土美術館、それから夢次のゆかりの地の一つで、
群馬県の伊加保に竹下夢次伊加保記念館さんが先に建っていて、
肉筆に関してはそちらの2館が大変たくさんお持ちでいらっしゃるんですが、
夢次の場合は華翔先生と同じで、少年雑誌、少女雑誌、いわゆるグラフィックアートですね、
印刷を媒介にした作品というのが実はすごく多い画家なので、
例えばそういう印刷物であったり、木版画とか、
夢次の場合だと楽譜の表紙絵とか、本の想定とかもたくさんしていたので、
そういうものがあって複数ありますよね。
なので、いろいろとまだまだ集めることはできて、そういう数になっています。
その先ほどの弥生美術館27,000とは別カウントってことですね。
はい、別カウントです。
3,300。
はい。
へえ。弥生美術館としては、新しい建物を作ったと。
はい、そうです。
それで、その時から2つの館が繋がるコースはあったんですか。
そのようですね。
夢次は夢次で別に見ていただきたいというのが、
加納の願いでして、あと夢次の素晴らしい業績を
後世に語り継いでいきたいという思いで、美術館を設立しました。
高畑康生さんと竹下夢次は直接は関係はない。
関係はなかったです。
ただ、この2人の繋がりが、やっぱり加納さんという大ファンがついている。
かもしれないですね。
繋いでいるみたいなことなんですね。
その3千何百の中で、特に一押しの作品はどうなりますか。
そうですね。やっぱり肉筆で、あと夢次は画家でもあるんですが、
詩人としても活躍しておりましたので、
絵と詩が一体になった二極一層の屏風のこの夜頃というのは、
私が大変好きな作品だし、
あと日本画で夢次は1年ようやく外国に行くことができて、
39:05
ベルリンで現地の女性をモデルに描いて、
今、図録の表紙にもなっているスイチク卿というのも、
ぜひご覧いただきたいんですが、
それからここがやはり出版美術や、
冊子絵、原画とかもいろいろ集めておりまして、
あと夢次ってデザイナーとしても仕事をしているので、
館としては夢次が銀座線引き屋のために描き残したデザインの原画も所蔵していますので、
そういうところにもぜひ、私としては見てほしいものにもなります。
これは弥生美術館さんは、いろんな展覧会があって、
同じタイミングで夢次美術館も展覧会をやっていて、
どちらも大変だなと思うんですけど、
夢次美術館の場合は、竹下夢次縛りはありますもんね。
そうですね。
その中で展覧会を考えていかなければいけないと。
それもここのコレクションで、いろいろ構成しないといけないので、
なかなか大変ではあります。
竹下夢次が旅したところをテーマにした展覧会もあれば、
僕は結構最近で好きだったのは、グラフィック。
レタリングの文字に注目した展覧会とか。
私が担当した書き文字のデザインというテーマで展示いたしました。
あと、夢次兄貴の恋愛編みたいな。
そうです。夢次の恋愛模様はもちろん、何年か日平はやらないといけない大展覧会ですね。
とかやってますけど、毎回考えて大変ですね、そしたら。
そうですね。ただ夢次っていろいろな切り口が考えられるので。
あと、以前だったら多分できなかっただろうなというようなテーマ。
例えば、かわいいとかは、予想の公立館さんとかだと多分昔はできなかったと思うんですが、
やはり夢次の軸になる部分ですので、そういうかわいいを展示してみたりとか。
あと今回、トニーさんがご覧くださった書き文字の方もですね、
やっぱり予想の公立館とか、1回だけ夢次展をするっていうと、
やっぱり相場的にいろんなものを出さないといけないじゃないですか。
だけどここだと夢次のあるポイントに絞って見ていただけるっていうのが、
いい部分でもあり、また弱点でもあるんですけれども。
それで学芸員としても、いろいろ調査研究とかも進めていける部分ではあると思います。
でもこれまで通算どれぐらい夢次展やったことになるんですか?100は超えてます?
そうですね、単純に考えて年4回かける、ここも30数年やってるので。
考えるの毎回大変ですけど、じゃあ今何やってますかってなったら。
はい、今はまた趣向を変えまして、夢次が描く動物ワンダーランドという、
夢次が表現した動物画に視点を当てております。
42:02
いろんな動物意外と描いてるんですもんね、見させていただきましたけど。
いわゆる夢次は図鑑的なものとか、日本画家の例えば小林子慶とか、
そういう緻密な写実表現とかはしていなくて、やはり雑誌で活躍した画家なので、
少女とか子供と一緒に動物を添えて描いていたり、
あとデザインの中だと形に特徴があるうさぎとか小鳥とかを活かしたり、
あと自分自身が動物園にも足を運んでいるので、
プラス自分が詩人やエッセイストとしても文章を書いているので、
文章と絵を組み合わせて動物園をテーマにした本とかも出しているので、
そういったような新たな夢次に視点を当てて動物の展示を行っています。
いろんな可愛らしい作品とか、ちょっと面白い作品もありましたけど。
そうですね、ちょっとユーモラスな。
石川さん的に一押しはどれですか?
えっと一押し、そうですね、動物園の夢次本を書いているんですが、
本って普通に飾ると表紙か一部分しか開いて見ていただけないじゃないですか。
今回はだいたいすべてのページをパネルにして壁に飾ったので、
一つ一つ皆さんの心に留まる動物をそれで探してもらいたいななんて思います。
なんかやっぱ切り口が動物だったから面白いなと思ったのは掛け軸が飾ってあって、
一見動物いないのになと思ったけど、でもテーマが動物だからと思ってみると、
女性の服の柄がコウモリの柄だったりとか、
そういう言われながら多分素通りしてたかもしれないのが、
動物っていう切り口で言われると、ついつい探しちゃいますもんね、こっちも見る側が。
そういう風に見ていただけてよかったです。
でもこれ毎回ありがたいことに八代美術館さん、竹井さん美術館さんが入館料払ったら両方見れるじゃないですか。
展覧会会期も一緒になってるじゃないですか。お互い会わせたりするんですか?
そっちがそれやるから動物で、別に松尾さんの動物は関係してるわけじゃないですけど、
お互いなんとなくあるんですか?
そうですね、だいたい八代美術館の方が先に展覧会のテーマが決まっていることが多くて、
今回私、松尾展やるっていうのは分かっていて、
同じような少女像イラストレーションを飾ろうかなとも最初考えたんですけれども、
でもお腹がいっぱいになっちゃいそうなので、ちょっと角度を変えて動物で心を癒してもらうのもいいかもしれない。
前から動物はどこかのタイミングではやろうとは思ってたんですが、今かなという風に。
でもやっぱり意識はあるんですね。
そうですね。
そういうのは内田さんの方から言ったりするんですか?
内田さんからのアドバイスもあったりするんですか?
いやいや、石川先輩の。
45:03
でもお互い展覧会で出会った時にちょっと見合ったりとか。
それはもちろん、はい。
あと3階の歌唱展も合わせて3間のバランス、3室のバランスを考えてます。
そうですね。
でもそれで全部一気に見れるのがいいですよね。
しかもあと竹瀬美術館の、僕は面白いなと思うところは、いつもレコードが流れ、当時の曲が流れている。
そうですね。大正時代に流行した曲のCDをかけて作品をご覧いただきながら、音からも大正を感じていただけますね。
見た目は蓄音機みたいな、ちゃんとレコードが流れてくるのでレトロな気分になれますもんね。
そうですね。あれ本物ですよね、蓄音機。
蓄音機自体は本物なんです。
針とか減っちゃうので、実際はちょっとかけられないんですけれども。
しかも、あと全然2つ関係ないのかもしれないですけど、
ぜひこれ来られたら、渡り廊下を渡るときに、実はそこに水森アドさんの絵が描かれていて。
あれ皆さん意外と素通りしちゃいますからね。
でも私、よく夢寺美術館は渡り廊下を通って行くので、あそこで立ち止まって、
えーアドちゃんっておっしゃってる方は。
気づく人は気づきますよね。
水森アドさんの展覧会もやってますもんね。
そこでお絵かきパフォーマンスをやっていただいたんです。
そしたら消せなくなっちゃって。
もう永久保存版になりました。
あれいつ描かれたの?
あれは2004年くらいでしたかね。
あれ、最近も水森アドってありましたもんね。
はい、あのコロナの時期でしたけど。
でもその前にやって、その時に描いてもらって。
だからファミリーが増えていくんですね。
そうなんですよね。
出展作家さんとの関係性もあるし。
そこが面白いところでありますし、ありがたいところですね。
あと今日はその話題出なかったですけど、
意外と八重美術館だと1年に1回くらい着物をテーマにした展覧会もあって、
着物女子多いですよね。
だからそういう意味でお客さんとしても。
お着物好きの方ってお出かけ好きなので、
多数来てくださいますね。
展示も着物もありますけれど、
着物で歩く街ってやっぱり限られちゃうじゃないですか。
六本木とかよりはこういう有名な屋根線とかの雰囲気の方がなんとなくいいような。
あとこの向かいには東京大学もあって、
ロケーション的にはいいんじゃないかなと。
結構着物の人たちがグループで来たりとかしますね。
多いですね、ありがたいことに。
でも年間のテーマを考えるのも、
今学芸さん何人くらいで回してるんですか?
やよいが4人で、ゆめじが2人です。
ゆめじの方、どっちも大変ですけどね。
48:00
全部で6人で。
この小さな美術館の建物の規模にしたら
多くいるような印象かと思うんですが、
ここではパッケージを買ったりとか、
企画会社さんから企画を買わないで、
基本は市から立ち上げてるので、
やっぱり準備期間も必要だし、人数もそうですね。
しかもやよい美術館さんの方は、
さらに図録というか、
展覧会に合わせて一冊作ることもあるから、
大変ですよね。
はい、ボロボロです。
今、松尾広見展を立ち上げたばかりなので。
まあそうですよね、朝起きのタイミングで。
しかもあとは、先ほど最初に言ったけど、
カフェの港屋さんが、
展覧会に合わせて特別メニュー、
やよい美術館の特別メニューと、
竹下絵美術館のができます。
はい、限定メニューもご提供しています。
それを考えているのが館長なんです。
実は館長なんです。
館長、仕事そっちもやらなきゃいけないんですね。
カフェの店長でもあり、
メニューの責任者でありますから。
そしてここの運営もちろん。
オールラウンダーですね。
すごいんですよ。
館長はずっと館長ですか?
濱尾匠が亡くなってから、
館長の職に就いております。
そういうことなんですね。
娘なので。
ちなみに今、館長が作った特別メニューは、
告知しなくて大丈夫ですか?
万華鏡の庭という素敵なドリンクがあります。
有名人の子は窓辺の黒猫というアイスに、
発酵あんこをかけた、
黒猫のクッキーが付いています。
この発酵あんこというのが、
館長の手作りの?
発酵あんこって。
発酵させた麹ですね。
小豆麹というのがございまして、
今注目されている食材だそうです。
館長が作ってるんですか?
そうですね。
なかなか聞かないですよね。
館長自ら作るっていうのは。
業者とかに頼んでるわけではないんです。
手なんかのイメージを、
お菓子に反映させるだけでなく、
天然素材のもので、
発酵して作ってます。
カフェだけも利用もできます。
屋根線を巡り、
下をついでに来ていただいてもいいし、
そのまま流れていただければ、
美術館もっていう。
今回プロデューサーが初めて知ったと言いましたけど、
意外と知っていただけたら、
結構リピーターになっちゃう美術館だと思う。
そうなってもらえると嬉しいです。
改めて、今展覧会開催してますので、
ぜひ告知をしていただけたらなと思うんですが、
松尾広美展が、
6月30日まで開催しております。
51:00
レトロモダン・ファンタジアという展覧会ですね。
そして同じタイミングで、
ユメジ美術館では、
同時開催で、ユメジが描く
動物ワンダーランドを行っています。
どちらも見れますということですし、
さらにイベントも開催されるということですね。
ユメジの方はギャラリートークですね。
5月、6月とありますので、
ぜひお越しください。
ということで、そろそろ収録が終わります。
どうですか、改めて収録の感想をいただけたら。
昔のいろんなことを振り返って、
面白かったというか、
いろいろ気づかされました。
楽しかったです。
本当です。
まだまだいろいろ深掘りしたい話もあるので、
それは後編ということで、
ありがとうございます。
ありがとうございました。
次回も池田さん、石川さんをゲストに、
美術についての話を続けていきたいと思います。
52:39

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