1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #269 ヴェーダを乗り越えてし..
2024-11-24 49:45

#269 ヴェーダを乗り越えてしまったバラモン。ウッダーラカ・アールニの「純粋な有」

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。



▼「それ哲公園」サイトはこちら!

https://www.soretetsu.com/



▼おたよりフォーム

ラジオのご感想やコメントなど、お待ちしております!

https://forms.gle/ThJocrLap77ELG7B7

00:11
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、インド哲学ということで、前回はウパニー・シャットとは何かという概念みたいなところを見てきたというところでした。
そうですね、はい。まず入り口としてシャンデリアさんという人がいて、
その人がある種、グラフマンとアートマンは同一だという、単語で言うと盆外一如という言葉のゲームが始まっているという話をしたと思うんですよね。
今回からですね、よりウパニー・シャットの思想とか哲学というようなところを入っていこうと思ってまして、
やっぱり人としては取り上げて、一人がウッダーラカ・アールニさんというのが今回取り上げる人で、
ヤージニア・バルキアさん、どっちも聞いたことないからうんってなるかもわからないんですけど、
次回こそヤージニア・バルキアさんという人を取り上げるんだけど、
この二人が指定関係にあったみたいに言われてはいるんだよね。
ただ、このウッダーラカさんというんだけど、その人は紀元前8世紀ぐらいに活躍したと言われてて、
ヤージニア・バルキアさんはそこから200年ぐらい後なんですよ。
おかしいね。
だから時代がちょっと合わないから、いわゆる師匠弟子だったのか、
純粋それこそ、時代は違うんだけどその人から学んでましたよっていう風にあってるのかってちょっとわかんないんだけど。
そのあれだよね、残ってる、当時だとまだあれかな、書籍じゃなくてまだ言葉で…。
いっさい的なものかな。
一応本も残ってはいるんだけど、別に二人の関係がどうこうとかってそんなに書いてないんです。
なんか二人が問答してるみたいな場面とかあるらしいんだけど、
でもそれも作り話かとか、そもそもまたちょっとこれ次なんですけど、
そのヤージニア・バルキアさんも本当に一人なのかこれみたいな、なんか3人ぐらいいたんじゃねみたいな、なんかいろんな話があって。
はいはいはい。
そうそうそう、この時代特有の、結局なんやねんみたいなのはあるんですけど、
でも一応そのヤージニア・バルキアさんがこんなこと言ってましたよとか、
こんな風な会話を通じてやってましたよとかってことは残ってるんで、
一応それがウッダ・アラカさんの思想じゃないかとか、ヤージニア・バルキアさんの思想じゃないかとかっていうので、
03:06
研究とかそういうのを語り継がれてるっていう感じなんですよね。
なるほどなるほど、最悪そのヤージニア・バルキアさんっていうのが、
もしかするとペンネームみたいな感じで、3世代4世代ぐらいをたって同じペンネームを使って、
やられてた可能性もあるみたいなね、想像力を。
集団ね。
膨らませすぎると。
そういうのも治ってる人とかもいたかもしれないし、
そういう意味では謎大きいって感じはあるんですけど、
前もちょっと言ったけど、インドの人たちがっていうのかわかんないけれども、
結局誰やねんっていうのはあんまり気にしてなくって、
その思想とかこんなことを言ってたっていうのが残っていくんで、
それはある種性としてやっていきましょうよっていう感じなんだけど、
今日はこのウッダーラカさん、ウッダーラカ・アールニンさんなんですけど、
ごめん、一個質問挟んでいい?
どうぞどうぞ。
今回の話はやっぱりウパニー・シャットということで、
名前もウッダーラカ・アールニンさんとヤージニア・バルキアさんって出てきたけれども、
この2人もいわゆるウパニー・シャットの担い手みたいな話なのかっていう。
そういうことですね。
何者なのかっていう。
はいはいはい。
理解しました。
それでいくと、前回ウパニー・シャットってそういうものがあるっていうよりは、
なんちゃらウパニー・シャット、なんちゃらウパニー・シャットとかいっぱいあるよって言ったと思うんですよね。
そこで、このウッダーラカさんとかは初期の方のウパニー・シャットで出てくる登場人物っていう感じなんだよね。
なるほど。
ウッダーラカさんがウパニー・シャットを作りましたとかではなく、
そのウパニー・シャットとしてまとめられている本の中にウッダーラカさんが出てきて、
なんかめちゃめちゃいろんな思想を飾ってますみたいな、そういう感じ?
だとすると、当時本人たちは自分たちはウパニー・シャットを作っているのだとか、
それをやっているのだっていう感覚はないかもしれない。
ないと思う。
後からまとめられてウパニー・シャットと呼ばれているぐらいのイメージ?
そうそうそう。そうなんです。
オッケーオッケー。だから当時のこの人たち自身が、よし、俺たちはウパニー・シャットを極めるんだみたいな、
それではないってことなんだね。
そうだね、うん。後付けの名称で。
でもベーダーとして編纂された後に、最後に作られたものがウパニー・シャットっていう、
奥義書とかっていうふうに訳たいこともあるんだけど、
そういう奥義っていうのは一番深いところの教えっていうふうに、
06:04
後の人が付けた名前っていう感じなんだよね。
はいはい、了解しました。オッケーです。ありがとう。
この人は宇都原孝さんを取り上げていくんですけれども、
この人は、紀元前8世紀ぐらいに活躍した、いわゆる哲学者なんですよね。
あー、哲学者。
ついに、賢者とか思想家ではなく、哲学者といって差し支えなかろうみたいな感じの人なんですけれども、
哲学とは何かとかって難しい話なんですけど、
すごいざっくり言うと、いわゆる世界観として前回まで見てきたような、
黄金の赤ちゃんがみたいな、そういうことじゃなくって、
ある種、抽象的な概念という種の中を捉えていまして、
しかもそれがね、純粋な優ってあるの優ね、
有無の有なんだけど、そして捉えている人なんですよと。
なので、純粋な優とは何とかって言われても、
うまく説明って難しいじゃないですか。
非って何って言われたら、そこにある非だよと言えると思うんですけど、
純粋な優とはとかって言われると、なんかわからんみたいになってきて、
それを説明していくのが哲学っぽくなっていくみたいな、そんな感じなんですよね。
じゃあある意味で万物は○○ゲームに近い、
その○○とは何かみたいなものも考えてるみたいな、
もしくはその○○を純粋な優としても表現しちゃってるみたいな感じに近いのかな。
うん、に近い。
もちろんアソカダラの後世の解釈では、
この純粋な優っていうのがブラフマンだよねっていう風な感じなんだけど、
面白いのがこのウッダーラカさん自身は、
いわゆるブラフマンっていう言葉であんまり使うことがなかったらしいんだよね。
なるほど、当時そういう概念はあったのにっていうことだよね。
そうですそうです。
逆に言うと、ブラフマンとかアートマンって、
いわゆるベーダーとかバラモン、昔ながらのバラモンが使ってる言葉だったりもするんで、
ウッダーラカさんとしてはむしろそれを超えていくんだみたいな感じで、
神話とかベーダー的なお祈りとかっていうものじゃなくて、
新しい思想を作るとぐらいの気持ちで、
その純粋な優みたいな、そういう言葉を使っていたんじゃなかろうかみたいな。
あー、そっかそっか、なるほど。
ブラフマンとアートマンっていう概念自体はもうベーダーの中にあって、
それがなんだかんだ一緒だよみたいな話をしたのがシャンデリアさんだから、
概念としては全然あったんだ。
09:02
そうそうそう。
だったんだけど、よく哲学とかであると思うんだけど、
例えば人間とかっていうのもさ、
概念としても明かりまきしてるから、
自分の言葉を作ります、みたいなのってあったじゃないですか。
っていう感じで、あえてブラフマンとかじゃなくて、
純粋な優っていうものがあるんだと。
それが絶対的なものなんだっていうことを言ったのが、
このウッドアラガサンですっていう感じなんだよね。
おー、なんかそれは哲学者っぽいね、だいぶ。
そうなんだ、はい。
で、ただ今日の理解でいくと、
ある種、純粋な優をイコールブラフマンぐらいに考えたほうがいいかなと思うんで、
そこはあんまり特別せずに使ってはいくんですけど、
どんなふうにこのウッドアラガサンの思想が伝わっているかとか書いているかっていう感じなんですけど、
これも哲学とは言いつつ、いわゆるロジカルに厳密にとかよりは、
それこそプラトンみたいな会話とか、
会話の中でウッドアラガサンが教えてあげようとか、
実はこうなんだっていうことを伝えていけますみたいな、
そんなふうに残っているんだよね。
これちょっと面白いのが親子の対話なんですよね。
親子、はいはい。
単なる雑談とか日々の暮らしっていうことじゃなくて、
ある種、バラモンの師匠としてのウッドアラガ・アーリンさんと、
息子がバラモンの見習いって感じで修行をしていく、
それがシベータ・ケイトゥーさんっていう名前らしくて、
ちょっと長いのでシベータさんってあえて呼ぶんですけど、
ウッドアラガさんとシベータさんの関係性がある中で、
息子が修行を終えて帰ってくるんだけど、
そこに対して親のウッドアラガさんが、
お前ちょっとそんなんじゃまだまだだぞって、
なんかいいから俺の教えを聞けって言って伝えていくみたいな、
そういうふうな対話の場面があるんですよね。
なるほど。
なので今日は対話の流れを通じながら、
ウッドアラガさんがこんなことを言ってたんだとか、
こんなことを考えたんだっていうのをお伝えしていこうと思っておりますよ。
面白いな。
哲学者なのに残ってるのはそういう感じなんだね。
そうそうそう。
結構ウッドの教えとかも、
やっぱりウッドがみんなに説法をしたみたいな感じで残ったりとかもするし、
まあそうだよね、プラトンもそうだもんね、
クラテスのプラガーみたいな、それに近い感じなのか、
誰が残したか知らんけど。
たぶん親子の会話を横で聞いてたわけじゃないだろうし、
自分で一言以下書いてるわけでもないんだろうから、
ある程度ストーリーではあるんだけど、
12:01
分かりやすかったのかなっていう話と、
これはハードルを下げるみたいな感じなんですけど、
田中さんの思想もすごくやっぱり進んではいるんだけど、
やっぱりザ・哲学とか、すごい広いところまでいってるねっていうのは、
たぶん次のヤージニャ・バルキアさんぐらいから出てくるんですよね。
そうなんだ。
それに関しても、すごい思想を聞くぞとかっていうよりは、
親子の話の中で、こんなことを言おうとしてたんだねとか、
こんなふうなやりとりが当時のインドであったのかもねみたいな、
そういうのも含めて聞いていただけると嬉しいなと思っております。
なるほど。
神話の世界にいきなり現れた大哲学者っていうよりは、
ちょうどカトキみたいな人みたいな感じなのかな?
そうです。
神話的なものとか、そういうのもどうしてもあるんだよね。
というようなところの中で今日話していくんですけど、
まず場面設定、その対話の場面設定としては、
親のウッドアラカさんが息子のシベエタさんに、まだ全然ちっちゃい頃に、
ちゃんとお前もバラモンの家に生まれたんだったら、
大きくなったら修行をしなさいよっていうふうな話をするんだよね。
どんなふうに言うかっていうと、
我々ウッドアラカ一門にはデーダ、これまでやってきたバラモンとしての教養だよね。
ここから暗記しなきゃいけないっていうものを学ぶことがなく、
ただ名前だけでバラモンだっていうふうに言うような人はいないんだよと。
要は生まれでバラモンなんじゃなくて、
知識とかそういうものがあるからバラモンとしてはできるんだぜっていう話をちゃんと伝えるんだよね。
逆に言うとそういう家があったってことだね。
あったんだろうね。権威だけでお前は生まれたからバラモンだみたいなね。
ありそうだよね。
そういうふうにいいやってなっちゃうかもしれないし、実際難しいだろうしね。
ちょっと記憶力がない言葉だと覚えられないみたいな。
そうそうそうなったと思うんだけれど、うちはそうじゃないよと。
それで柴田君が12歳くらいになったときに、別の師匠につくんだよね。
親が教えるっていうのは別の師匠について、
そこから12年間でデータを学んで帰ってきますよと。
12年っていうのはわずか12年っていう感覚みたいで、
これはちょっとインド特有の、
インド人の人に聞いたら失礼だったかもしれないですけど、
インドってやっぱり仏教も山を何百年に一度天に置いてきて削って、
15:09
それをなくなるぐらいみたいな、そういうすごい比喩というか、
膨大なやっぱり発想があるわけなんですけど、
そんな感じで、このデータも全てを学ぶには一生どころか、
3回の人生をかけても学び尽くされたぐらいの話があるらしいんですよね。
ちょっと破綻してるね。
だったらバラモンになれんのか?みたいな話があるんだけど、
そのぐらいのものをたった12年で学びましたみたいな感じなので、
これはすごい天才とか秀才なんじゃないかと思うんだけれども、
ある種、しべえた君は24歳だったら学んで帰ってくるんだけど、
ある種、こんな俺はすごいことを学んできたぜみたいな感じで、
結構うぬぼれた感じで帰ってきちゃうらしいんですよね。
ああ、はいはいはいはい。
やってやったぜみたいな。
だから、ベードを学ぶっていうことと、学びして徳を積むとか、
ちょっと違っているのかどうかも思うんだけど、
これにはうったらか父ちゃん、ご立腹なわけですよ。
おいおいと12年も学んで、そんな傲慢になって帰ってきたのか、息子よ、
っていう感じで言うわけなんですよ。
しべえたけいってお前はと。
それを自分に学問が身についたって言って、うぬぼれているなと。
じゃあ聞くけど、その教えとか学びによって、
未だ聞かれないことがすでに聞かれたことになって、
未だ認識されないものがすでに認識されたものとなるような、
そういう教えっていうのは学んできたのか?っていうふうに言うんだよね。
うんうんうん。
ちょっとよくわかんないじゃない。
まあそうね。
しかも息子としては12年頑張ってた人に帰ってきて、
お父さんお父さん学んできたよとかって言ったときにさ、
なんかお前な、認識されないものが認識されたものとなるような
教え知ってるかって言われたらさ、結構なんかやべえってなるよね。
そうね、ちょっとどういうことだってなるかもしれないし、
もしくはね、ちゃんと考えられてるというかさ、
ここまで優秀な子だと、そうかみたいなね、確かにって思ったのかもしれないしね。
一応ね、やっぱりしべたさん、ちゃんとしてる人ではあって、
お父様と、すいません、やっぱり私知らなくて、
その教えって一体何ですか?みたいなことをちゃんと尋ねるんだよね。
はいはいはい。
で、私のついた師匠はそういうことは教えてくれなかったので、知らなかったかもしれません。
というので、そこからうったらかさんの教えが始まっていくよっていうふうな流れなんだけど。
うんうんうん。
18:01
で、いまだに認識されないものが、すでに認識されたものとなるような教えって、
もうすでに噛んでるぐらいちょっと言いにくいんだけど。
はい。
何かっていうのは結構ね、そこから教えてあげるっていうふうな話なんですけど、
まずはね、たとえ話でまずは伝えていくんだよね。
結構これ分かりやすいかなと思うんだけど、
息子よと、あたかも一個の土くれ土ね、
その塊によって、
その土からなる一切のものが認識されるよねと。
それなので、たとえばそこから出てくる茶碗とか壺とかさ、
いわゆる土器みたいなものがあると思うんだけど、
その変化したものっていうのはあくまでも言葉による把握であって、
言葉の上で区別があるに過ぎません。
つまり、土だということだけが真実なんだということを言うんだよね。
はいはいはいはい。
何かイメージわくかな今の話って。
わく、うん。前半でね、万物は丸々来いっていう話聞いてたから、
それに近い話だと考えると、
そうだね。
そうですそうです。
土っていうものに注目すると、
土からできてくる茶碗とか壺とかみたいなものは全部、
土だとしか言えませんよね。
他にもね、銅からできるものとか鉄からできるものとかいろいろあると思うんだけど、
土を知れば土でできたものは理解できるし、
銅を知れば銅からできるものは理解できるでしょう。
はいはいはい。
逆に言うと茶碗とか壺みたいなものは、
あくまでも土の形が変わったものにしか過ぎないので、
ある程度茶碗っていうものは存在していないんだと。
そういうふうなことまで言っていくんだよね。
そういうふうに世の中のものごとすべてを突き詰めていくと、
結局は最終的に残るのが、
さっきお伝えした純粋な有っていうふうなものというか概念というか、
そういうものしか残らない。
土とか鉄っていうものもまだ区別できちゃうけど、
土とか鉄の区別もなくなるぐらいまで突き詰めていくと、
それに残るのが純粋な有なんだっていうふうな、
そういうふうな発想なんだよね。
わー、はいはいはい。
結構なんだろう、鉄学っぽいなってなってきませんか?
なってるし、これが紀元前8世紀ぐらいっていう話だもんね。
だいぶ古いよ。
今から2800年前ぐらいですよと。
ギリシャではまだゼウスが世の中を作ったとかっていうのが言われてる時代だよね。
っていうふうな話でおーって感じなんですけど、
21:00
これをどんなふうに息子のしべえたけいというふうに教えていくのかっていう話を見てくるんですけど、
ちょっと神話っぽい感じなんだけれども、
福原さんが言うには、この宇宙、やっぱり宇宙のことから始めてくるんですよ。
宇宙とはどうできたかっていう感じなんだけど、
はじめはこの純粋な有のみだったっていう話をしてくるんですよね。
それはもう唯一無二のもので、第二のものがなかったっていうところまで言い切ります。
面白いのは、実はリグベイダの方を見てみると、
この宇宙というか、あるものっていうのは無から生じたんだっていうふうな説明があるんだよね。
これをある種、まさき言った通り否定しようとか乗り越えようとしてるんだけど、
ある種、物語の仕組み的にはしべえた君は12歳から学んで、ベイダを全部学んだっていうことを言ったわけじゃん。
でも、認識が云々とかって言って知らないことがあるよっていうふうに気づいたときに、
要はベイダのことは全部知ってるかもしれんけれども、
ベイダ以外の教えとか、ベイダを超えた教えがあるよっていうことをこの宇宙あらかさんは言おうとしてるわけなんだよね。
だからベイダはさっきのように言うと、チチシリーズでしかないかもねっていうこと、
お前気づいてるかという話だね。
俺はこれから鉄とか銅とかいろんなものの話をするけど、お前は土だけ勉強して満身してんじゃねえぞみたいな話ってことだよね。
そうだね、それもあるし、あとさっき言った世界は無から始方したかっていうのはベイダの知識なんだけど、
実は純粋な有から始方したんだって新しい概念をぶつけてるわけよね。
いやーすごいもんね。だから自分は、もちろんお父さんもベイダは全部アンキーしていて、
中でただ内容についてそうやって吟味してるわけだもんね。
革新的なものだと言ってるってことで、やっぱり意味ではこの宇宙あらかさんの思想っていうのが当時のインドにおいてどんだけ革新的だったかとか、
あるいはそれを自覚して、そういうふうな舞台セットの上で語ろうとしてるっていうステージだよね。語り方がめちゃめちゃ面白いなって思うんですけど、
逆に言うとベイダはやっぱり乗り越えなきゃいけないみたいな、そういう危機感というか知名感みたいなのがあったんだと思うんだよね。
だからどうなんだろうね。本当に頭いい人だから、やっぱりベイダをアンキーしたところで茶碗に過ぎないみたいなさ、先ほど言うと。
24:00
土について知りたい。そう思ったら、土と鉄がその共通項は?みたいな、そっち考えちゃう人だったのかな。すごいよね。
前回も言った通り、神じゃなくて知識が重視されたみたいな話でいくと、例えば火の神様とか太陽の神様とかがいるときに、その神も今言った意味で言うと茶碗側みたいになっちゃうんだよね。
なので茶碗のことじゃなくて、奥にある純粋な、いわゆるブラスマンだったりとか、そういうものを見ましょうっていう思想の流れ自体はあったわけなんだよね。
なるほどだし、結構自然な感覚かもしれないね、確かに。ベイダとかが、詩とか儀式とかでかなり形式主義的なものだとすると、それの根底にあるものを操れれば、かなり全知全能な感じするよね。
それこそ、フロー不死みたいなものが興味あるみたいな話で言うとさ、それ自体がベイダの中では、永遠の命をくださいみたいなお祈りすぎないけれども、そのベイダに共通する、根底するプログラム言語みたいなものを習得すると、自分でプログラミングできるじゃんみたいなのは割と自然かも。
そうね、確かに。だから、ワンヒアのヒーはほんといつもすごいなと思うんだけど、やっぱりゲームを大好きやってる人が、プログラムを学んで自分で作りましたみたいな、そういうのに近いよね。
ちょっと神話的になるんだけれども、ある程度そういう、じゃあどんな風に純粋な優から宇宙とか世界が始まったのかということを息子に伝えていくわけなんだよね。しかもそれも、あれ程度現実に即すというか、神が作ったとかじゃなくて、世の中のことを観察するとこんなことが言えるんじゃないかっていう風に言っていくんだけれども。
まずね、この唯一の純粋な優っていうのがどうなるかっていうと、ある種、もっと多くなものになろうっていう風な、そういう意欲を持ちますっていう風に言うんだよね。
これはちょっと伝統的な話で、やっぱりベイダーの中でこのドラフマンっていうものが別のものになろうとか、より多くなろうとか、そういう風な意欲を持ってるっていう風な話は伝統的にあって、それを引き継いでるんだけど。
この純粋な優が、まずは熱になります、熱を生み出しますっていう風に言うんだよね。どうぞ聞いてほしいんだけど、熱ができて、じゃあさらに熱が多くのものになろうとして、水が生み出されます。
27:06
たぶんこれは観察として、人が走り回って熱くなると汗が出るとかさ、あとは悲しむというか感情が高ぶると涙が出るみたいなときに、熱の働きで水が生まれるみたいな発想があって、こういう流れになっていくんだけど、で、水ができます。
そこからさらに水が多くのものになろうとして、今度は食べ物が生まれるんだよね。水が雨が降ると食物が豊富になるみたいな、そういう風なところから発想してるんだろうという感じなんだけど。
これだけ聞くと不運というか、そんなもんかもねって感じなんだけど、さっき兄貴も神話から哲学の橋渡しって言ってるやつだと思うんだけど、ある種なんとなくこの現実の現象だけで説明しようとしてるよね。
超絶的な神がそこに出たっていうことが、やっぱりここには一応ないんじゃないんだよね。
そういう意味での思想の進歩っていうのは感じられますねっていうところとか、あとはね、当生の学者になるんだけれども、そこは色々解釈していくわけなんですよ。
そうすると、この熱っていうのはいわゆる火だよねとか、食物っていうのは土から耕して生えてくるっていうと土だよねっていう風になっていって置き換えていくと、これがいわゆる元素みたいな考え方、いわゆる治水工とかってあると思うんだけど、
そういう元素の考え方になって、この元素が組み合わされてその世の中が作られていくとか、いくつかの要素の働きによってこの世が成り立っているみたいな、いわゆるちょっと違うんだけど原子論っぽい感じ?
いやー、そうだね。しかも元素だからよりリアルな感じだよね、今の科学でいうとね。
だからそういうものに近づいていくんだと。もちろん宇都原さん自身がそう言ったわけじゃないんだけど、そういう発想の種みたいなものがここにあったんじゃないかっていう風に言えるわけなんだよね。
なのでこういう風な発想というか着想かな?の方向になるっていうのがやっぱりベイダーの黄金の赤ちゃんとか言ってます。そこはちょっと広げようがないじゃん正直。
まあそうはね、ある意味答えだけ言われてるみたいな。
そこからうまく広げることができないとかってあるんだけど、まずは熱が出て、水が出て、食べ物が出てとかって言われると、それっていわゆる火と水と土と風はないけど、そういうもので世の中を考えたのかなみたいな感じに広げていくことができます。
30:14
だからやっぱルール作った人だよね。世の中丸々の組み合わせでできているゲームを作ったっていうね。
そうなんです。その土台にあくまでもグラフマンとアトマンは一緒であるっていう風な発想もあるんだけど。
でも後で続けていくと、一応純粋な優っていうものが熱、水、食物を生み出したんだけど、それだけだとまだ世界にはならないんだよね。
どういうことかっていうと、それはまだ概念で。そこからさらにこの純粋な優っていうものがアートマンね。
これは世界っていわゆる個々のものに含まれる本質みたいな話なんだけど、このアートマンっていうものを熱とか水とか食物の中に入れ込むことで世界を広げていこうっていう風に思ってくれました。
そう。思ってくれた方がこそ、今の現実世界のような多様さが生まれたんだっていうふうに説明をしてるんだよね。
どういうことかっていうと、これはウッドラガスさんが言っているとおりは説明になればと思って考えたものなんだけど、
例えば目の前に食べ物としてはリンゴがあるとするじゃないですか。
僕らはただリンゴがあるなっていうふうに思うんだけど、実はもう少しちゃんと観察をすると、
このリンゴっていうのは当然、例えばお日様の光としての熱の作用とか、あとは雨の水の作用とかっていうものが含まれてますよね。
っていうふうに考えると、僕らはリンゴっていうのはただの食物だ、食べ物だっていうふうに捉えてるんだけど、
実は熱とか水っていうものがちゃんとそこには含まれてるんですよ。
それを構成する要素として、熱とか水っていうのが含まれてるんですよっていうような感じなんだよね。
だからちゃんと夜中とかリンゴを観察すると、食物としての元素っていうものは多いんだけど、
やっぱりそこには熱とか水の元素も含んでいるっていうふうな話で、
リンゴっていうものをより深いレベルで認識できるっていうふうな話になるんだよね。
なるほど。さっきお父さんというか、宇田アラカさんが言ってた、茶碗は土でできてるよみたいな話で、
リンゴはこれとこれとこれとこれが出てきてるよっていう話に見える、認識できるようになるって話ね。
そうそうそうなんです。そうすると、リンゴは例えば食物、水に熱1とかっていうときに、
33:06
梨はどうだとか、壺はどうだとか、そういうことが同じような切り口で考えるようになるんだよね。
そうすると、茶碗とかリンゴっていうと別々の物に見えるけれども、実はそれも全部同じようにできてるんだと思う。
同じ物の変わった姿、名前が違うだけなんだっていうふうに言えるようになるんだよね。
クリアしたね、さっきのね、土と鉄違うんじゃねっていうところがクリアできたね、これでね。
クリアできちゃいましたね。
土とリンゴも一緒だと、ある意味ね。
そういう感じで、純粋な言うっても知れば全部の物が知れる。それを認識すれば全てが認識できるって話から今日始まったと思うんだけど、
それがまさに純粋な言うっても認識すると、全部認識できる。まだ見たことない物もほぼ見たと同様に理解できるんじゃないかっていう話になってくるんだよね。
はいはいはい。
そういう究極なものですよ。
他にもいろんな例え話を使ってご説明してくれてるんだけど、
例えば塩水の話があって、塩水ね。
これは息子をしべたけいとぅさんに対して、塩を水に入れて明日の朝持ってきなさいとかって言うんだよね。
ほうほうほう。
で、素直にちゃんと入れて持ってくるんですよ。
そうするとうったらかさんが持ってきてないと。じゃあお前が入れた塩を今度は持ってきなさいって言うんだよね。
へーはいはいはい。
そうすると当然ね、水の中に入れちゃいましょうって話で取り戻すことはできないわけですよ。
あーそういう意味か。台所からこの塩を入れましてみたいな。
違う違う違う。じゃなくて純粋に入れた塩を持ってきなさいと。
はいはいはいはい。
できないですよね。
しべたさん困ってるっていう意味で純粋にちゃんと学ぼうって人だと思うんだけど、
これに対してうったらかさんが、じゃあ今度は端と真ん中と反対側の端と、それぞれすすってみろって言うんだよね。
へーはいはい。
ちゃんとすすると当然塩辛いじゃないですか。
それを踏まえて、要は塩っていうのは見えなくても常に存在するんだと。
だからどこにでもあったでしょう。
で、実にお前はその純粋な油っていうものを見ないんだけど、それはここに存在してるんだよ。
生きてるだけでその純粋な油っていうものと触れ合って生きてるんだぜってことを言うんだよね。
おーはいはいはい。
なのでその微細なるもの、要は塩ぐらい見えないとか触れないぐらい上手いものなんだけど、
36:03
それがこの全宇宙の本質であって、それは真実だしアート版だし、お前自身がそれなんだっていうふうに言うんだよね。
うーん。
だから例えばさっき言ったね、土とか鉄とかってもそうなんだけど、自分も当然その一部なんだよね。
うーん。
だからお前もその純粋な油なんだ、アート版なんだっていうふうに言って、
それはあらゆるものの構成をとして含まれるんだけど、
それが息子、お前の一人の人間の中にも本質として存在するんだと。
おーはいはいはい。
逆に言うとお前、そのしべえたさんが存在するには、その純粋な油とか熱とか水とか植物とかね、
あらゆるものが存在、あらゆるものの存在っていうのは必要で、
そのしべえたけいという名前で読むのは単なる名前であって、
そのしべえたけいという存在そのものがあるっていうふうに思ったらダメなんだよ。
ほーほーほーほーほー。
だからお前はそれだ。要は全宇宙の本質である純粋な油っていうものと、
お前っていうものが一つの同じものなんだよっていうのが、このうったらかさんの哲学なんですよね。
わーすごいね。はいはいはい。
ここまで来ると結構哲学してんなーって感じじゃない?
いやーするし、だからいわゆるベイダーとかの中にはこの感覚はなかったってことだよね。
そこまではない。
グラフマンっていうものがあって、アートマンっていうものもありますよっていうところまでしかベイダーは言ってなくて、
でこのうったらかさんの前段階でそこが一つだよね、一つかもねみたいな話があるぐらいの
世界観の中でこの話をし始めてるんだよね。
そうですそうです。
すごいね。
これはやっぱり発展させた人だなって感じがするでしょ。
する。発展っていうかなんかめっちゃすごいね。
ちなみにこのアートマン、さっきのチチとかヒとかって構成要素の中に
しれっとアートマンも入ってるみたいな話をさ、しれっとしてたけどさ、
いわゆるリンゴとかにもアートマンはあるの?存在してる?
ある。すべてのものにアートマンっていうものはある。古代インドのこの思想ではね。
なるほど、そうなんだ。
だからアートマンがあるから、例えば人間もリンゴもいろんなもの構成要素ができてて、アートマンも入ってるっていう中で、
39:00
そのアートマンが例えば今回で言うと、お前だぞとしべえたけいだぞっていうわけでもないのかな、アートマンは。
たまたま名前はそうつけてるけどねっていう、そのたまたまイコールアートマンなのか、
いろんな構成要素としてアートマンとなって生まれたこの存在、しべえたけいだぞっていう存在そのものが、
人間というかそれで、アートマンも含めたそれに親がたまたましべえたけいだぞっていう名前つけてるんですよぐらいの感覚なのかっていうのは
結構今回はわかんないなと思って。
いいね、すごいいい着眼点でして、次回そこもう一回実はリアージアマルキアさんが言ったらそこ深掘ってくるんで。
そうなんだ、ありがたい。
すごく大事で、例えばカンノハヤトというアートマン、カンノハヤトのアートマンがあるのか、
アートマンだけがあってカンノハヤトという名前にしか過ぎないのかっていうと、やっぱり後者なんだよね。
なるほど。
ここが実はプラトンのイデアとかとは違うところで、イデアはさ、例えば茶碗のイデアがあるとか、
あれもののイデアがあるっていうイデアはいっぱいあってよかったじゃん。
そうね。
このいわゆるバネシャット、ウッドアラカさん的な考え方からすると純粋な言うだけがあるから、
それはあくまでも唯一無理なんだよね。
それが別のものに変わったときに、例えば茶碗とかしべえた系というのがあるんだけど、
しべえた系のアートマンがあるとは言わない?
あー、そうだね。そうか、そう言っちゃうと矛盾するのか。
そう、矛盾する。
言うみたいなものに還元できないんだ。
そう、できなくなっちゃう。
しべえた系のアートマンがあるとかって言っちゃうとね。
そうそう、その後土も鉄も銅もあるよねってなっちゃうから、そうじゃなくって、ちゃんと純粋な言うだけがある。
それが変わった姿が土やら銅やらで、それが再変わると茶碗やら壺やらになるよねっていう風な感覚なんだよね。
だからちょっと違うかもしれないけれども、アートマンっていうものも、
あるいはその構成要素は土とか火とかと同じような、とアートマンみたいな構成要素の一つ、
しかもそれは、言うない、全ての言うが純粋な言う。
純粋な言う。
それがさらに純粋な言うに還元されるというか、そこから全部生まれてるよみたいな感覚だって感じだろうかな、アートマンも含めて。
それでいくとアートマンはもうちょっと純粋な言うに近いんだよね。
に近い部分なんだ、さらに。
だからその火とかそういうのとのレイヤーもちょっと違うんだ。
42:04
レイヤーもちょっと違う。
それは、今回の、もう名前が覚えらんないね。今回は誰?
宇多荒川さん。
宇多荒川アールニーさん。
宇多荒川アールニーさんは、そういう風に捉えてるの?
そういう風に捉えてて、今回深くは言ってはいないんだけれども、
いわゆるこの純粋な言うとはアートマンであるっていうのがいわゆる防害知能なんだけど、
ああ、そっか。
そこを深くはまだ話したいんだよね、この宇多荒川さんは。
なるほど、なるほど。そっかそっかそっか。
ブラッフマンとアートマンはイコールで純粋な言うであるだから、
そっか、火とかよりはかなりブラッフマンよりというか、純粋よりと。
大元のよりなんだよね。
難しいね。
面白いでしょここ。
難しいけど面白いし、よく考えてるねっていうね。
そうそうそうそう。
でも本当に兄貴が言ってくれたようにやっぱりレイヤーが違う中で、
あくまでもこの純粋な言う、構成の人からずっとブラッフマンなんだけど、
ブラッフマンっていうものが移り変わった姿っていうのがやっぱり世界なんだよと。
逆に言うと世界のあらゆるものはブラッフマンを含んでいて、
あらゆるものの方に含まれるブラッフマンっていうものをアートマンって呼んでるんだよね。
うんうんうん。
っていう風な名前が違うんだけど、
全部は一緒純粋な言うだみたい、ちょっと小柄がってくれたんですけど、
そんな話をウッドアラカさんはしているよと。
これは結構面白かったのが、やっぱり時代背景があったみたいで、
当時の鉄を熱していろんなものを作るっていうものが、
やっぱり時代的にできるようになってきたらしいんだよね。
へー、そうなんだ。
そうなるとやっぱり、そこからインスピレーションを得て、
同じ鉄がこんだけ武器にもなれば家具にもなりみたいな、
そういうところから、もしかしたら世界でもそうなんじゃないかみたいな、
そういう風な発想があったんじゃないかみたいなことも書いてあったんだよね。
なるほど、あーそっか。
だから、そうでもね、鉄を高熱でめっちゃ熱い火で熱すると、
あ、溶けたみたいなのか。
そうそうそうそう。
熱いうはしがもうできてるってことだもんね、たぶん。
そうですそうです。
そのドロドロしたものをやっぱりうまく組み合わせると、
いろんなもので生きるようになっている時に、
全部鉄じゃんみたいな。
ということは、俺らの世界もしかしたら全部油じゃんみたいな。
そういう風なところもあったんじゃないかね、という風な話なんですよね。
あー、なるほど。
はい。
そんな感じでね、うったらかさんの思想を今日お伝えしてきたんですけれども、
45:00
もちろんこれに対してさ、物がわかるよと。
茶碗とかさ、人間も一応物と言わればわかるけど、
例えば思考とか考えとか優しさとかさ、
はいはいはい。
あるいは例えば社会みたいなもので、
それも優の働きなのとかっていうのは問えるわけなんだよね。
あー、そっか。そう言われればそうだね。
そうそうそう。
社会ってなんかできるんですか、優だけでみたいな。
これが実は後代ね、大きな論点になって、
その違いで派閥が分かれるみたいな。
えー、そうなの?
そうそうそう。
そのぐらい大きな問題なわけなんですよね。
そんな大きな問題なんだ?
別にね、これで全部説明してもよさそうだけどね。
できないんだ。
もっと言うとできないし、もっと言うとこの純粋な優っていうのは、
物質的なものなのか、それとも精神的なものなのかみたいな、
そういうふうなまず大きな問題が起きるわけなんですよね。
へー、はいはいはい。
というところから流派が割れたりする。
まあ、それの機会があればまたちょっとお伝えしたいんですけれども、
一旦それはもうウパニシャットの範囲を超えるんで。
あ、それは超えちゃうの?
ウパニシャットの中に流派があるとかじゃなくて。
ウパニシャットを元にして、
どっちのインドにおいていろんな流派、なんちゃら派とかっていうのができていくって感じだね。
あー、じゃあそっちはもうウパニシャットとは言わずに、
なんとか派とかなんとか哲学みたいな、そういう領域になっていく。
へー、あ、そうなんだ。
はい。いわゆる根源がこのウパニシャットにあるよっていう。
ある種、もっと言うとうったらかにあるよっていうふうな話なんだけど。
次に取り上げるのが、散々名前だけ出してるヤージアバルキアさんですと。
はいはい。
もちろん聞いたことないと思うんで、
僕もこの話をしようと思うまで知らなかったんで、
そういう名前なんだぐらいだと思うんですけど、
この人が、いわゆるウパニシャットの中では最大の哲学者と言われる人で、
例えば20世紀最大の哲学者と言われたらハイデカーです、みたいなこともあったと思うんですけど、
そのぐらいウパニシャットと言えば、ヤージアバルキアみたいな、そんな感じの人なんですよ。
へー、あ、そうなんだ。
この人が考えたことがまさに、いわゆる仏教とかで言うところの、
ゴーカルマとかインネとかゲダツと一緒に繋がってくるんですよね。
へー、あ、そうなんだ。
だからベイダーから直じゃなくて、この人が考えたところからなんだ。
そうそうそう。
ベイダーはさ、前ちょっと言ったかもしれないんですけど、
死んでも、死者の国って豊かに生きれるぜみたいな。
確かにインネっぽいみたいな感じだと思うね。
ちょっと来世はあるけど、別にインネでぐるぐる回るという感覚はないんですよね。
48:05
はいはいはいはい。
あとカルマとかゴーみたいな感じで、いわゆるこの前世の因縁がとかさ、
いいことをしたらいいとこに生まれるけど、悪いことをしたら悪いとこに生まれちゃうのかもみたいな。
そういう発想は実はこのヤージナ・バルキアさんから生まれてくるんですよ。
へー、あ、そうなんだ。
で、なんでっていうのを、いわゆる今日お話しした純粋なユーとか、
あとブラックマンとかアートマンみたいなね。
アートマンってすごい大事になってくるんですけど、
それがどういうふうに発展していって、そういう発想が進歩、進歩、進歩、変化していくのか。
そのあたりを引き続き追いかけていくことで、このヤージナ・バルキアさんからというものの、
その間ウパネシャットというものを見ていこうと思っておりますっていう感じですね。
わー、なんかね、今回も面白かったけれども、
今回の話からなんでカルマ号とかミンネっていう話が出てくるのやっていうのがさ、
わかんないでしょ。
わかんない、謎。
それを次回お伝えしていこうと思っております。
はいはい、わかりました。
ではちょっと次回ですね、さらにウパネシャットを倒しにいくというところで、
ヤージナ・バルキ…もう言えねえ。
ヤージナ・バルキアさんですね。
はい、倒しにいきたいというところで、
次回も引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。
49:45

コメント

スクロール