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2022-05-11 17:33

#5 【ソクラテス雑談】そりゃ死刑にもなるわソクラテス、という話

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。

【内容】哲学もエンタメ/哲学好きの悩み/キャリア相談と問答法/破壊的コーチング/哲学の用法/孫子とソクラテス/デリダの脱構築/今後やりたいテーマ

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[音楽]
はい、ソレ鉄ラジオを始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今回はソクラテスのお話を終わった後の感想会みたいな感じで、ちょっとゆるくやっていきたいかなと思います。
そうですね。はい、まずお疲れ様でした。
どうでした?話を聞いていて、結構思ったこととか感じたこととか。
今回はソクラテスの話で、友達ってどこから友達なの?というテーマだったので、もうちょっと講義みたいになるのかなと思ってたんだけれども、
ソクラテスがこんなことを考えました、こんなことを言いました、みたいな。そこはそうなんだ、なるほど、と思うのかと思ったんだけれども、
まさか自分がリュシスになるとは思わなかったよね。
そうだよね。それはぜひやってみたかったことで、そうじゃないとソクラテスの問答法とかっていう知識では絶対わからないんだよね。
ソクラテスは何をやってるのかとか。
今回ソクラテスのそういう崇高な面じゃなくて、イラっとする部分が見えて面白かったね。
そうそう。本当にそうで、やっぱり「うちのうちいい言葉だ」とか「ソクラテスやっぱすごい」みたいなだけは、それでもいいんだけど、それと僕は物足りないというか、もったいないと思ってて。
こんだけ面白いことやってたりとか、それはあいつ嫌なやつだよね、色になるよね、みたいに言えることもあったりする。
そういう話も楽しめると、より面白い感じでした。
私途中でやったみたいに、無知の地を本当に徹底するとどうなるかみたいなこともすごく哲学的で、そうなると本当に何もわからないところからスタートする。
これは実はその後の近代の哲学の、例えばデカルトとかもそうなんだけど、いつかそれも触れたいんだけど、
デカルトって、いろんなものを疑って疑った結果、疑えない自分の疑う気持ちを発見して、我を思うゆえに我々という言葉を言ったんだけど、
普通に考えると、自分を出発点にしていろいろ考えた人なのねってなっちゃうんだけど、
本当に自分は何も知らないっていうのを徹底するとか、ありとあらゆるものを疑うっていうのはどういうことかみたいなことをデカルトの本とかを読んでいくと、めちゃめちゃ面白いよね。
自分も崩壊するわみたいな。
そこだけ言うと意味わかんない。
自分が言わない、我を思うゆえに我々って言われても、そうだよねなのか全くわかんないよねだけで、今日と同じでそこに至る過程みたいなものを、その時の時代背景とか、いろんなものをみんなから見ると、今日みたいにわかったりわからなかったり、モヤモヤしたりするよみたいな。
03:12
それを楽しめる人は、哲学的な素養があるというか、モヤモヤするだけで全然楽しくないわって思う人もちろんいていいと思ってて、その人はそれを楽しめる別の領域をエンタメとして楽しめるだろうし、
僕が哲学っていうものもモヤモヤするところとか、なんでこの人こんなこと言ってるんだろう、全然わかんないみたいなことを楽しめたから、哲学をエンタメとしてやりたいって思ってる。
そこは、さっきので言うと、その楽しさ、その穴を埋めることを共有して楽しみたいみたいな感じかな。
そうです。その通り。これは第1回の時にも言ったんだけど、穴を埋めることを楽しんでくれる人があまりいなくて、周りに。
だって2、3時間かかるんでしょ。友達と穴に掛かるし、2、3時間モンドされて、そっちの穴埋まっていくかもしれないけど、こっちはわかんないんだよみたいな。
そうなんです。だから自分は楽しかったって言ってるけど、相手は楽しくなかった。ちょっとやっぱ感応、次に飲み会を誘うのやめとこうぜみたいな。
確かにそうだね。そうか。呼びたくない2時間に呼ばないおっさんが早途になってるんだね。
なってるかもしれない。
全部出しちゃうとそうなるってことはね、哲学。
そう、全部出しちゃうとそうなるから、やっぱり楽しいって思ってもらえにはどうやったらいいんだろう。どう話しちゃいいんだろうとか。
例えば今話すのさすがにやめとこうとかっていう人間味を身につけてきたっていう感じかな。
高いで生きていくために。
確かに。それこそ飲み会とかで今日は腹割って話そうぜっていう、腹割っちゃうとそういう話になっちゃう。
そうそうそう。
で、相手がちょっと引くみたいな。
腹割るとは言ったけどね。でもやっぱ僕もさ、友達欲しいし、飲み会呼んで欲しいからさ、やっぱこう、人付け大事にしたいんだけど。
そこらへんほど達官はできてないよってことはね。
達官はできてない。できてないんですけど、お告げも受けてない。
別に新託も。そう、それで。
私はやっぱり途中でもちょっと言ったけど、やっぱり今その人材のキャリアデザイナーみたいな仕事をさせていただいたりとか、
もちろんいろんな仕事でいろんな人と触れ合っていく中で、すぐじゃない友しさとか大事さがあるっていうこともやっぱり気づいている部分もあって。
変な話、要は友達とは何かみたいなのを話しましょうってなった時に、人それぞれの友達っていうイメージが絶対あるじゃない?
そう。
そうするときに自分が友達のイメージを植え付けるとか、友達のイメージを壊してより正しい友達のイメージを作らせるみたいなのって、すごく暴力的なんだよね。
06:07
そうか。まあ、相手がそれを望んでいるか分からない状態でそれをやっちゃうと、とても暴力的かもね。
そう。暴力的だし、よくある。
例えば、上司や部下みたいな話でいくと、部下が「あなたみたいになりたいんで、あなたの仕事の方法教えてください」だとするじゃない?
例えば、上司の方が「うん、そうか。こいついいやつだな」とか言って、本気で「じゃあ、お前とにかく1日20時間働け」みたいな感じでバーってやると、たぶん壊れちゃうんだよね、その部下は。
そうか。その思いがあったとしても、その思いの熱量だったりとか、そこはバランスもあるよ、という話ね。
そうそうそう。だから、たぶん、上手い人を育てるのが上手い人は、相手の熱量とか、どこまでできるかとか、パフォーマンス状態を見せなめながら、この場合はできるかな、というのを引き出していくんだと思うんだけど。
そこは一方的じゃなくて、それこそ一緒に作り上げていく。
そういうことね。そういうこと。だからやっぱり、そのキャリアの相談とかに乗る時も、相手が今どういう状態かとか、相手は言葉ではこう言ってるけれども、本当はどこにさらりつけたいんだ、みたいなことを考えることが大事というふうに、先輩というか、僕が教えてくれている今の会社の人たちから教えてもらって。
なるほど。それがさっきの問答法とコーチングだったりとか、スタンスが多分違うよって話だね。
そういうことです。だから、そういうやりとりの仕方も大事だし、でも今やってきたみたいに、例えば本当に絶対の真理とか、もう絶対に価値あるものに届きつきたいと思うと、やっぱりそれほど足りない、みたいな考え方が、たぶん、こういう哲学者の中にもあったりして。
そうね。それこそ、たぶん、コーチングというか、そういう話をする時は、そういう問答法みたいなものを使いながら、壊すまでいかない人も、自分がどう考えているか、例えば友達だったら、その友達についてどう考えているか、というものを認識してもらって、
それを踏まえて、その人なりの友達像みたいなものを、自分なりに満足いく形で作ってくださいね、というのをサポートするのがコーチングだとすると、
問答法はもう、相手がどういう思うかどうかは関係なく、手的に破壊して、真偽みたいなものはないかもね、みたいな。
どこに着地しちゃうっていう怖さがある。 そうだね。確かに、確かに、壊すっていうのは結構違うかもしれないね。
ああでもない、こうでもない、あなたが考えることは違います。初めて無知、知らないっていうところにたどり着いて、さあどうしましょうか、みたいな。
そこからご自由にみたいな話。 そう、確かに。だって私も知らないから。
09:02
そこで放り投げられてる感じがあるね。確かに確かに。壊すだけ壊して、あとはご自由に。責任だな。
そう、やっぱりちょっとあまり人に好かれる感じじゃないよなっていうのもわかるし。
っていうところはね、ちょっとでも今日僕もこうやっていろいろ話しながらすごい思ったな。
あの兄貴とか、自分の仕事とか生活に置き換えると感じたこととかってある?
ああそうだね、今回思ったのはやっぱりこの哲学とかの力強さだよね。
歴史に残ってるだけだってというか、今回無知の地だったりとか、その運動法みたいなものをどうじゃあ今使っていこうかみたいなところにどうしてもやっぱりちょっといっちゃう部分はあるんだけれども。
こういうね、すごくそのめちゃくちゃその便利なものだよね。
例えばソクラテスの思想みたいなものがあったとして、それをどういう風に使われるかみたいなものをもう、
なんかソクラテス自身もコントロールできないんだなみたいな。今回試験になっちゃったみたいな話があったと思うんだけど、多分その若者を食べらかしたみたいなのって。
アテネの若者たちがソクラテスの真似をして大人たちを質問ゼミにして困らせたみたいなエピソードがあったと思うんだけど。
それで多分アテネの古きを乱したみたいな罪になっちゃったと思うんだけど。
それでソクラテスがやってた問答法っていうものがめちゃくちゃ面白すぎて、みんなが表面的に真似しやすかったんだよね、多分若者ですら。
そう言ってるけど、本当はどうなの?みたいな話をされて、聞かれた方はただただイラッとするみたいな。
ソクラテスほどのそっちの考えもなく、ただ表面的に真似をしちゃうみたいな。
表面だけなぞって、問答法みたいなことをして人を論破して楽しむことができちゃう。
そういう歴史に残る思想の力強さと危うさみたいなものをめちゃくちゃ思ったね。
そこでその話を聞きながら思ったんだけど、孫子の兵法とかも結構そういう使われ方してるなぁみたいな。
たまたまだけど孫子も紀元前500年ぐらいの人だから同じぐらいの人なんだけど。
本当は有名なビジネスとかで言うと戦略とかの文脈で引用されることが多いんだけど。
ごめん、なんかめっちゃ長いね。
話し持ってみてもいいと思うけど、聞くよ。
孫子の兵法の中で「平和起動なり」って聞いたことある?
言葉としては、でも意味は分かんないな。
結構有名な言葉で「そこらてそぶちのち」みたいな話で引用されるんだけど。
12:01
起動っていうのは騙すとか欺くという話で、
戦争で戦いは騙したり騙されたり、
騙いて勝つということが負けないためにはそれが重要ですよみたいな話をしてて、
そこだけ引用してしまうと、喧嘩でも戦いでも戦争でもビジネスでも騙したもん勝ちだよね。
こういう風に捉えられちゃう部分もあるんだけど、
こういう部分だけ引っ張ってきて自分の伝えたいことに引用するっていうのは、
結構されちゃうのかなみたいな。
何でもありとか騙してでも勝ったらいいみたいな。
孫氏は別にそういうことは言ってなくて、兵法の中で一番強調してるのは、
そもそも戦争をしないで済むなら、しないのが一番。
戦争をしないようにするのが一番だよみたいな話を実はしていて、
そのためにどうすべきかっていうのをすごくちゃんと語っていて、
そのあとどうしても最終的に、最終手段として戦争が避けられない場合は、
という話の中の一つとして、平和起動なりみたいな話をしてる。
前提があるわけだよね。その前提として、まずはそもそも戦争しないとか戦わない。
確かにそんなこと聞いたことある。
戦った時点でも半分負けてるみたいな話もあるよね。
戦争する時点で、国の人もだし、お金もだし、物資もだし、めちゃくちゃ消費してしまうから、
それは一番避けるべきなんだよみたいなね。
それすごい大事だよね。
今日のサクラティスの話でもだけど、
無知の地で知りませんと言って論破するみたいなことが目的になっちゃうと、
すごく冷めた感じになっちゃうけど、
サクラティスは大前提として、当ての市民の幸福とか、
共同体を良くしたいって思いからやってるから、
お互いに場を良くしようとか、前向きな環境を作っていこうっていうのがあって、
初めて手段である問答とか、そのうちで言ったら戦争っていうものがあるし、
良くなるか分からないけど、意味を持ってくるというか。
サクラティスの場合は、生きてるうちに若者たちがめっちゃ便利だったんだよね。
使いやすかったから、楽しかったから、めっちゃ真似して、みんな困っちゃって、
サクラティス自身がその捌きを受けるというか、報告を受けちゃった。
そういう切なさも感じたなと思って。
確かに。でもそれでもあったかもしれないね。
実は20世紀の哲学でも似たようなことが起きたって、
それもまたいつか言いたい、そのデリダっていうフランスの哲学者が脱構築っていう概念を作るんだけど、
15:01
それもわかりやすくお伝えしたいです。
やっぱり当時の問題じゃなくて、割と100年長い間に同じようなことが起こって、
なんでもかんでもそれこそ論破歴史だとか崩せちゃうみたいな。
でもそうすると、まさにさっき言ってたストーリーで、
結局なんでもありだよねとか言ったもん勝ちじゃんみたいな感じになっちゃって、
じゃあ結局人と人が繋がるってどうやったらできるんだっけとか、
ちゃんと建設的に議論をするってなんだっけみたいなことが問題だというのが、
実は現代哲学の大きな課題というか。
そうなんだ。歴史は繰り返すじゃないけど、いろんなレイヤーで似たようなことが繰り返されてるんだね。
っていうのはすごい思うな。
そこまでたどり着くかな。次プラトンでしょ。
次プラトン。1年ぐらいでたどり着くんじゃないかな。
1年でいければいいけどね。
でも僕の構想としては、最初はソラテス、プラトン、アリサテレスっていう、
ちょっとギリシャの人たちをやって、もしかしたら現代からさかのぼってった方が面白いんじゃないかって思ってる部分もあるので、
今の人がこう考えたなぜかっていうと、前の人がこう言ってたからだっていうのをさかのぼっていくと、
さっき言った「なんでこんなことを言い出したんだっけ」とか、
「この人はこんなことを考えちゃなきゃいけなかったんだっけ」っていうのが見やすいかなと思うので。
そっか、じゃあソクラテスとか、こういう基本みたいなところを抑えると、
そういう現代の人の話にしても少し馴染みやすいかなみたいな。
そう、繋がってくるかなっていうことを思ってました。
了解して、次回も楽しみに。
そうですね。次回プラトンのまた滑らない話を持ってくるので。
滑らない哲学ラジオにする名前。
滑哲?
悪いかもしれないな。
ダシだよ。
ダシか。
いいよ、変えなくて。
ソクラテスも今日、滑らない友達の話をさせていただいて、それも哲学でしたという話をさせていただきました。
面白かったです。じゃあ次回も楽しみにしてますんで。
また楽しんでいきましょう。ありがとうございます。
ありがとうございました。よろしくお願いします。
♪~
一年後
17:33

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