1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #86 サルトルの「自由の刑」は..
2023-02-19 1:04:13

#86 サルトルの「自由の刑」は、どんな刑なのか?

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。

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(BGM)
はい、それ鉄ラジオ
今日も始めていきたいと思います
よろしくお願いします
よろしくお願いします
はい、前回は
サルトル的に言うと
自分とあと人
他人って何なんだろうね
みたいな話
っていうのをまずしてきたんですけども
今回から社会とはとか
色んなバリエーションについて
また見ていくっていうことだったんですけども
どんな感じになっていくんでしょうか
そうですね
社会とはってよりは
これまで物と自分
っていう関係があって
次、一人の人と
自分という関係を見てきたと思うんですけど
そこに対して複数の人の
関係の話
っていうのをしていっても
それがある種自然に
拡張していくみたいな
話をしていこうかなと思っておりますと
で、ただそれを話す前に
前回の話で反省していることがあって
はいはい
途中でさ
自分の意識があった時に
それが他人の意識に
たどり着くってどういうことでしょうね
みたいなのを兄貴にふっと
聞いたじゃないですか
で、なんか分かんないよって言われたと思うんですけど
そうね
確かにあれ
分かんないなというか
前提の感覚として
話してしまったなと思ってました
はいはいはい
これが実はね
いわゆる現象学的な考え方
みたいな感じで
実際この今サルトルの
存在と無っていう本を
作り上げているんですけど
この複雑なサブタイトルがあって
これが現象学的存在論の試み
って言うんですよ
はぁ~はぁ~そうなんだ
つまりサルトルのこの存在論
存在しているとか存在していないとか
っていうのは現象学的だよっていうのが
サブタイトルに表現されてて
で、僕も現象学的な
感覚で言ってたんですけど
それを当たり前にしちゃダメだった
みたいなことを反省してたんですよね
たとえ眠かったとはいえね
そうそうそうそう
っていうのは後から
そういうのがダメだったなと思って
ちょっとそこだけ少し補足しておきたいなと
なぜかっていうとやっぱ
普通の認識の仕方とちょっと違うんですよね
ちょっとっていうかだいぶ違うなと思っていて
補足しておきたいと思っておりますと
で、じゃあよく出てくる
やっぱりりんごの例えをするんですけど
いわゆる普通の考え方として
素朴に考えると
03:00
自分っていう存在と
りんごっていう存在があって
そこに自分が
例えば見るとか触るとか
匂いを嗅ぐとか
そういうある種互換を通じて
目の前のりんごっていう存在を認識して
そこにりんごがあるって分かるみたいな
そういうのが普通かなと思いますと
もうちょっとややこしく言うと
いわゆる主観としての自分と
客観としてのりんごが分かれていて
主観の自分が客観のりんごを認識するとか
そういう考え方で
なんですけど
現象的にはどう考えるかっていうのを
ものすごいざっくり言うと
まず自分があるんですよ
これは小人的なやつなんだけど
そこを出発点に
一つ一つ世界を認識していきますと
世界はあるんだよね
存在はしてるんだけど
世界が何者であるかについては
何にも知りませんっていうところから始めるんだよね
一応世界はあるみたいな話は
あるんだ現象学的に
そこの存在確率とか
なぜ存在っていう確信を持つのかみたいな話はあるんですけど
それはまだフッサルの時にやろうと思うので
ぜひぜひ
まずあるありますと
ただ世界何があるのかとか
どうあるのかっていうのは本当に分からないので
その時に重要なのが
エポケって言われる言葉があって
これ日本語だと判断保留とか判断中止とか言われるんですけど
へーそうなんだ
例えば
それこそ赤ちゃんの気持ちになってくれた時に
周りにいろんなものがあるじゃないですか
そのものが確かに目には入ってるし
感覚としてもあるんだけど
何か全然分かりませんみたいな時に
これが何かっていうのを
理解するのを判断停止するというか
理解する手前で留まるっていう態度を求めるのね現象学は
はいはいはいなるほど
例えばリンゴ見た時も赤ちゃんって多分
親が教えないと誰かが教えないとリンゴって分かんないから
赤とかって色も概念もないし
例えばいい匂いとかっていう概念すらないかもしれない中で
赤ちゃんはただ何かものがあるね
何か匂いがするね
ぐらいの認識そのぐらいの保留具合をエポケって言ってるみたいな感じかな
すごくざっくりとそんな感じ
はいはいはい
でざっくりなんだねどうなるんだ
やっぱさ
06:01
でなのでその最初言った普通の考え方だと
僕らはリンゴっていうものがそもそも存在していると思っていて
その目の前のものとリンゴっていうものをピタッと重なわせるみたいにするんだけど
現象学的には自分の意思を広げた結果
例えばテーブルの上に丸くて赤いものがあって
みずみずしくてすごく爽やかな匂いもして
すごく触ってもツヤツヤして重たすぎず軽すぎないみたいな
そういう体験を一個一個構築した結果
これはもうリンゴとしか言いようがない存在だみたいな
そういう判断を下してやっとこれはリンゴであるっていう風に理解するっていう流れがあるんですよね
そうなんだ
それはリンゴっていうものがもうすでにある世界での前提な感じがするけどね
そこが難しいのとここで説明しきれないところではあるんだけど
全部の考えとか本質をゼロから作るっていうことよりは
自分が本質だと思っているかリンゴってこうだよねって思っているものを
無条件に目の前のものに付与しないというか
あくまでも自分と違うところにリンゴっていうものがあるっていう風に考えないんだよね
原子枠とかこういう主観的な考え方でいうと
一般的にもうすでに言ってたリンゴとか色々なさ
机とか赤とかいい匂いとかって色々あるんだけれども
一応それは前提とした上でそこにたどり着く方法みたいな
方法というかたどり着き方をさっきのエポケという態度から
そこのフィルター通してからねみたいな話か
もう何も考えずに受け入れるんじゃなくてみたいな話なのかな
そうだね何も考えずにっていうのが自分の外に客観的に
あるものが存在していると思わないっていうような意味合いかな
まあいいやこれは根拠の本質ではない?ここは
本質ではないけどそういうことをそういう考え方で話してるんだよっていう風に
なんとなくでも理解いただけるとこの後の話は分かりやすいかな
そうなんだじゃあちょっともうちょっとだけ聞いていいかな
はいはい
この現象学的な態度というかそのスタンスで考えるとか
物事を捉えるみたいなことがあった時に
どうなんださっきの例えばさ今の話聞くとさ
09:04
もうリンゴっていうものを捨てようみたいなさ
そこまで聞こえちゃうだからさっきの一般的な
リンゴっていうものとかいい匂いっていうものに
たどり着く手段なのかそこを捨てた上で自分でそこに
自力でたどり着くスタンスなのか
ちょっとそこがねうまく分かれてない感じがするんじゃない
OK
えーっとねなんて言ってあれなんだけど
リンゴっていう本質というかリンゴ性みたいなものはあるんだよね
それは自分の中にそれともなんか一般論として社会的にさ
もうリンゴって言葉もあるし認識もあるじゃん
はいはい
その状態を指しているのかな
えーっとねどう説明していいかな
一応この考えねフッサンとかでちゃんと話すので
世界においてはリンゴっていうものが概念として自分の中にあって
自分の中にある
社会的なものとしてあるっていう風に捉えてもらっていいかなと思います
うんうんうん
ただそのリンゴっていう存在そのものが
目の前に自分とは無関係にあるっていう風には捉えないんだよね
でもあくまでも自分が見ている目の前のリンゴとか
自分が触ってその存在を確かに確かめたリンゴがあるっていう考え方なんだよね
なるほどはいはい
そうか一般の時にイデアみたいなものはもう捨て去って
もう自分が経験だったりとか体感したもの
がこの目の前にあるとか匂いがするみたいなものに限定して
これはリンゴですって言っていいんだけれども
それ以外のものは断定しちゃダメなんだよっていう感じか
そうそうそうそう
存在として知ってるのは構わないけどみたいな話かな
はいはい何となく分かったと思うはいはい
だから目の前に自分が確かめたリンゴがあるとは言えるんだけど
遠い世界でリンゴの木がなっているみたいなことも考えられるんだけど
でもなんだろうな
リンゴそのものが自分とは無関係に客観的に存在しているとは言わないんだよね
うーんうーんうーん
えーうわーちょっとそうか
これはイデアとちょっと違う多分難しさみたいな話なのか
イデアともちょっと違うね
なるほど
イデアと全然違うというか
イデアはあくまで二元論的に人間存在の向こう側に真なるものがあって
12:06
現実のものが仮初めだっていうのはなんだろうな
本体とか本質を考えるものだけど
はいはいはい
現象学はそうではなくてそもそも自分から世界が立ち上がるっていう考え方なんだよね
なので主観が外にある客観を正しく捉えるんじゃなくて
自分から世界が立ち上がっていくから
そのリンゴっていう存在も自分の中に関係するとか
自分がそれを立ち表せるものとしてリンゴとして存在するっていう
なんだろうな
プロセスをたどるんだよね
なるほどそのサルトル的な視点で
全然意外とかあのものそのものみたいなさ
視点で見た時に多分いろんなものがゴロゴロとあると思うんだけど
そこに自分が認識する以前にリンゴっていうものがそこに転がってるわけじゃないって話だね
自分が認識してそれをリンゴだって確信を得た時に
初めてそこに転がってるものはリンゴとして自分が認識するんだみたいな順番で
自分が認識してるうちにゴロゴロとリンゴってものがあって
誰が見て分からないそれリンゴでしょみたいなリンゴが転がってるわけじゃないよって話だね
たまたまみんな見た時にリンゴかもしれないけど
これってでもあれなの?独画論的なスタンスなの?この現象音楽
その前回出てきた
独画論とも実はちょっと違っていて
独画論も知らないからさ適当にイメージで使ってるんだけど
自分が認識しているものだけが存在していて
それ以外にものは存在しているとは限らないみたいな
でもこの現象音楽の話聞くと意外とそのものとか世界はあるっていう前提をとられてる感じがするから
そこがすごい不思議な感覚だなと思って
そうだよね独画論は他者はないっていう風な結論なんだよね
存在しませんと
現象音楽はそういったありありと現実的にその確からしさを確かめた結果
他者の存在も確信できるっていうことにたどり着くのね
だから最初のスタート地点自分の意識から始めた時には他者っていうのはないんだけど
それを世界を確かめていた時に他者の存在っていうのも確実にある種自分が確信できるとか
15:07
現地に現れてくるっていうのが現象音楽的な考え方
でサルトルはそれを一歩進んでいて
そもそも自分が出発するその時点から他者っていうものは即時存在
対自的な自分である自分の意識を即時的なものにする対象
対象というか相手として他者っていうのが自分の中に存在するっていうことを言ってたのが前回のね
外の世界を探っても前回の話だけどまさに現象音楽的に
他人の存在とかはありありと認識できるというか確かめられるかもしれないけど
サシャが意識を持っているとか兄貴がまさに脳の中心の中分からないけど
そういうところで思考を巡らせて自分に向かって相対しているって言葉
どこまで行ってもやっぱり認識できないんだよね
ちょっと分かってた気がするけどって感じかな
でも多分これすごく難しくて僕もよく思い出してみたんだけど
現象学的な視点でやっぱり分からなさすぎてフッサルの本とか2回とか3回くらい読んでるのよ
はいはいはいはい
いろんな本を読んでなんとなくこういうことかもしれないっていう風には自分の中では理解はしている
それを本当に分かるにはそれこそちょっと投票的なんですけど
主観と客観を分けるっていう価値観を捨て去るとか
自分から世界が立ち現れるってこういうことだよねっていうのを結構自分の感覚として体験しないとやっぱ分からなくて
はいはいはいはい
ここを頭で理解しちゃあんまダメな領域なんですよね
そうなんだね
なかなか言葉でやっぱり言い尽くせない部分が出てくるってことはね
その感覚をなんとか言葉で説明しようとしてるっていう話
そうだね
はいはいはい
でもなんとなく現象学とかフッサルというのは楽しみになってきたね
そうなんだよここまで言うとね
フッサルトルの回でここ深掘りするのもあれだからね
ちょっと撤下してしまったんだけれども
でも自分主と客観主客の二元論からとは違うんだよっていうところがあって
そこを前提にしないっていう
18:00
物心二元論とか主観と客観っていう世界それも一つの世界観でしかないから
デカールドから始まるねとか西洋哲学的な
それを人間の前提としての世界の取り方だっていう風に考えずに
全然違う取り方もあるよねっていうのがこの現象学的な考え方で
はいはいはい
だから主観と客観があるとか自分の外自分と他の存在が
別々に存在するっていうところじゃない話をしていますと
はいはいはいだからたどり着くみたいな言葉がになってくるのか
そうよね
何かを認識するとか捉えるじゃなくてあくまで自分がスタート地点として
さっきのリンゴだったりとか他人の意識とか他人とは何かみたいなものに
たどり着いていく感覚なんだね
そうそうそうそう
ちょっと多分身体的理解はしてないけど
なんとなく言わんとすることは分かろうとしているって感じが現状
OKです
ちょっとそういう意味では改めてフッサルの回で
どういう風に説明しているのかフッサル自身がね
っていうのもやれると思うのでぜひそれも楽しみにしていただければという感じなんですけど
はいはいすいません長々と失礼しました
大事なとこなので
まず改めてまとめっぽく言うと現象学っていうのは
いわゆる世界というのは既に通常だっていて
なんかその秩序っていうものが自分とは無関係にあって
それを自分が受け入れるんだってことじゃなくて
自分が都度世界に出会っていって
自分自身が世界を構築するんだみたいな考え方を含んでるんだよね
はいはい
でちょっとここからが本題なんですけど
これも復習としてなんですけど
サルトルのある種人間観というか議論として
物っていうそれ自身であるとしか言えない
存在するとあることだあるということだみたいなことしか言えない
即時みたいな存在と
それを認識する人間とか意識っていうものが
態字っていうものがあって
その態字存在である自分が別の態字存在である他者と出会うと
その他者の対象に自分がなってしまって
対他っていうまた別の存在になっちゃうよみたいな
21:00
そういう関係性を見てきましたよねと
これは一対一の関係なんだけど
ここから3人以上の関係で
つまり我々とかあなたたちみたいな関係で発展していくんだよね
うんうんうんうん
で今回はというかその存在ともで振られているのは
我々っていう話があるんですけど
サルトルに言わせると我々にも2つあるっていうね
それが対象我々っていう言葉と主観我々っていう言葉で
本だとあれにハイフンがついてて
一個の言葉として扱われてるんだけど
喋るとめちゃめちゃややこしいね今喋ってみて思ったけど
和訳するとすごいねうん
なので若干ややこしいんですけど
対象我々とか言っているのはそれですと
はいはいはい
でまあ難しくはないというか
本当はめちゃめちゃ緻密な議論をしてるんだけど
あえて今回わかりやすくちょっと説明してみたいなと思ってますと
うんうん
先にその対象我々から説明すると
これっていうのはそのいわゆる他者その他の再利存在の眼差しが
自分も含む複数に向けられていて
その向けられている複数の全体が
第三者が見たときに対象になっている
人まとまりに対象になっちゃってるよっていう状態なのね
うんうんうん
で前回さその恥ずかしさみたいなときに
例えば自分が道端で転んだときに
一人だったら全然いいんだけど
誰かに見られて恥ずかしいみたいなことを説明したじゃないですか
うんうん
まあその例に近づけるとちょっと違うかもしれないんだけど
例えばさ自分が誰かとお付き合いをしてて
外でイチャイチャしてましたと
そこに誰かが誰もいないと思ってたのに
誰かが通り過ぎたりするとちょっと恥ずかしい
しかも自分だけじゃなくて私たちは恥ずかしいみたいな
うんうんうん
そういう感覚に近いかなという感じですよね
もうちょっと厳密にはサイトル的にはね
人って前回おっしゃった通り
自分が対立存在というか相手を忌みづける存在であろうとして
対立とか否定し合う関係っていう風に言ってるんですけど
それが第3者が登場することによって
その1対1で例えばAさんとBさんがお互い乗り越えようと思ってたところが
Cさんが出てくることでそのAとBどっちも
24:00
対等存在になり下がるっていうそういう場面が出てきますと
うんうんうん
なので本当はAとBで対立してたんだけど
そのCが現れた瞬間にAもBも対象になっちゃって
同じ属性を持っているっていう不思議な現象が起きるんだよね
さっきまで争っててこいつは敵だというかね
乗り越えなきゃと思ってたのに
なんか知らんCさんが来たらどっちも乗り越えられちゃったみたいな
うんうんうん
これがちょっと進んで言うと社会的な例として
いわゆる階層とか労働者だっていう風に言うのね
うーんそうなんだよ
例えば自分たちが暮らしているうちは全然いいんだけど
そこに富裕層みたいな人たち階層がポンって現れると
我々は貧困層だみたいなことが固定化されるとか
はいはいはい
自分たちが働いているうちはいいんだけどそこに資本家とかが出てくると
我々は労働者っていう風に固定されるみたいな
うんうんうんうん
そういう関係性っていうのがこの対象我々性から出てくるよねみたいな話を
すごいざっくり言うとしますと
なるほどなるほどはいはい
そっかそっか労働者同士というか会社内でさ
社員同士でめっちゃ喧嘩してるとか派閥争いとかしてるうちはまあいいというか
そこにそのなんか一対一とかその集団でのなんかさ争いみたいなのあるけれども
はいはい
なんかまあ何なら社長だったりとか別の他社のもっとなんか全然偉い人とかで来たら
全員うち社長みたいな頭下げるみたいな話にちょっと近いかな見たあの階層的な話で言うと
そうだねそれはわかりやすいよねそのあとはねなんか共通の敵を作るじゃないけど
うんうんうんうん
そうすると仲良くなりがちみたいな話っていうのがちょっと違うんだけど我々性っていうところからするとちょっとは違うんだけど
関係性っていう意味では近いよね
はいはいはいはい
で次はその主幹我々っていう話なんですけど
うん
これがえーとですねすごく簡単に言うとこう大衆とか常識みたいな感覚に近くて
うんうん
まあもうちょっと言うとその自分の個別性要は大事存在だと自分だけがあるし特別な無っていう存在で
うん
それによっていろんな則利存在を意味付けていきますよっていう感じなんだけど
うん
この自分の個別性が奪われてその他の人と全く変わらない無差別ななんかなんとなく人一般になっているみたいな状態ですと
27:12
でこれが実際本の中にその衆逸だなと思った例が挙げられてたんですけど
うん
例えばさそのなんか建物スーパーでもビルでもいいんだけど
うんうんうん
なんか時々さ入り口あの場所でこっちは入り口ですこっちは出口ですみたいな看板が立てたりするじゃないですか
うんうんうんうん
でそうするとまあ僕らはこっち入り口ねつって入り口から普通に入ってくんだけど
はいはい
猿取に言わせるとそれは私がそう望んだっていうんじゃなくて
うん
人一般の質度に順応した行動だと言われるのね
うーんうんうんうんうん
だって空間としては別にどっちも入れるしどっちかも出れるし別にいいわけじゃん
はいはいはいまあそうね建物に穴が開いてるというだけだから
うんうん
あそうそうそうそうでもそこに入り口出口って書いてあると
うん
こっちは入り口なんですねじゃあきっとみんなこっちからも入るだろうから僕もこっちから入りますよみたいな
うんうんうん
そういうふうな時に無意識的に自分自身がある種人一般化してるんだっていう風にされたら言うのね
うーんうんうんうん
なんかここ伝わる?
うん伝わると思うえっとあれでしょある意味そのそういったあのまあ常識から今回やった常識やね
入り口だったらまあ一般的に入り口から入るよねっていう常識とかモラルとか
うん
そういったものに迎合した瞬間
うん
それがあの意識意識的か無意識的かは特に関わらないけれども
うん
迎合した瞬間自分はこの主観我々っていうものに支配されているんだっていう話じゃないかな
うんなんか支配されてるってことは実は強くなくてそういうまあなんだろうな認識を持つぐらいではあるんだけど
うんうんうん
なのでえっとでもポンと言ってくれた通りでポン本来はその唯一の独自の存在である自分っていうものが
うん
なんか自分でも気づかないうちに誰でもない誰かとしての自分になってしまうというか
それをある種自分自身は受け入れちゃってるよねみたいなことを言うんだよね
はいはいはいなるほど
自然物ならまだしもそうだよねこういう人工物の場合だとそういうこう誰かの常識みたいなもの
誰かの意識みたいなものが
うん
必ず入り込んでるからそれをこうどう自分が捉えるかっていった時に
30:00
うん
それはあれだよね捉えさせられてるのかどうかみたいな話だよね
そうそうそう
そこをサルトルは多分「はい義務地って書いてるけど」みたいな毎回思っちゃうタイプだったねサルトルは
そうねこんなこと思っちゃうと生活できないけどね
うんうんうん
なんかそこもやっぱ病的なんだけど
うん
そうなのでそれは本来ね即時とか対時っていうところから出発した人間感からすると本来的なあり方ではないんだけど
うんうんうん
まあ現実ではやっぱ多くの人がそういう風に主観我々として存在しちゃってるよねみたいな風に言いますと
うん
でここから実は一気に冒頭テーマとして掲げていた実存は本質に先立つとか
はいはい
人間は自由の権利に刺さられているっていうことの説明につながっていくんですけど
そうなんだこっから
うん
まあこれはサルトルがつなげるってよりは僕が多分ここまでで話したことで土台は揃ったんじゃないかなっていうふうに思って
はいはい
でまずそのね実存は本質に先立つっていうのは
うん
まずこれまでずっと言ってきた通りもうある存在するあるんだっていうことがまず何よりも先にありますというか一番最初に置かれますと
うんうんうん
でその後に何であるかっていうのが決まるんだって話なんだよね
うんはいはいそうだね
人っていうのはその普通に素朴に観察したらなんとなく人間らしさとか人間性まあ人間性ってその何だろう
心の問題じゃなくて人間の本性みたいなものを見出せるじゃないですか
人間の本性?
人間は犬とは違うとか人間はゴリラとは違うとかそういう意味
はいはいはいうんうんうん
その優しさとかそういうことじゃなくてね
はいはいはい
でそういうふうに観察できちゃうんだけど実はそういうのはなくて
うん
まずそれあくまでもその対事?いわゆる無として存在する事故っていうのがまずあって
うんうんうん
それが人に見られるとか他者から見られるとかそれを見返したりするっていう中で人間という属性が付与されるんだよっていうふうな順番なんだよね
そうなのでそのいわゆる神が支配していたまあ中世とかそのまあ聖義の哲学で言うと
うん
人間のまあある種言い方というか本質みたいなものがあって
うんうん
それに神がそれに従って人間を作っていたんだみたいな
うん
そういう考え方があるわけだよね要は本質っていうのは先にあってその後に存在するっていう考え方だったんだけど
33:07
うんうんうんうん
そうじゃなくてその個々の人間っていうその現実の存在がまずあるんだよっていうのがこの実像は本質に先立つってことの意味ですと
はいはいはいうんこれはそうね前回までの話ですごい納得できると思う
うんうん
あそうそうそう
でもう一個の人間が自由だみたいな話って何かっていうと
うん
これもまあ結構繰り返しお伝えしてきたんですけど存在する人間が大事の意識として存在するっていうことは
うん
世界を意味づけ続けることだっていう意味を含むんだよね
そうだねはいはいはい
うん
つまり存在するっていうことはそもそも自由というか自由であらねばならないみたいな風に言うんだけど
うん
世界を意味続けることができるっていう自由を持っていますと
うんうんうんうん
うんだから大事としての人間っていうのはちょっとその冒頭ね現象学的なところで言ったように
その存在がただ存在する世界っていうのはあるあるっていうのがある世界において
あらゆるものをその中に本来見出すことができますと
はーはいはいはい
うんなんか別にリンゴを見出してもいいし見出さなくてもいいとか
リンゴが乗っているテーブルってものを無視してもいいししなくてもいいとか
なんかそういうすごく物質的なところで言うとそういうこともできるし
だからその世界っていうのが先に存在してその中に人間がパッと生まれるんじゃなくて
人間が生まれるからそこに世界が立ち上がるっていう順番だよっていう風に言うよね
そうでそれはいいことなんでしたっけっていうと
サルトル的にはそれは呪いなんだと人間は自由であるように呪われているみたいなことも言ったりしますと
えー呪いとまで言うんだね
そう
はーはーはー
でそれなんてかみたいな話もするんだけど
妙はかつ人間は世界を自由に意味付けていこうとするんだけど
見てきた通り世界っていうのは自分自身この大事である自分を
誰でもないような誰かとして対象化する眼差しを持ってるんだよね
妙は最初はその存在まだいいんだけど
さっき言った入り口出口みたいなこととか
まさに兄貴言ってくれたようなそのいわゆる人間が作ったもの
36:00
例えば目の前にあるからパソコンでもモニターでもいいんだけど
これっていうのは別に自分のためにあるものじゃないよね
うーんそうねはいはいはい
そう人一般のまあ人っていうのは大体こういったたび140cm
大人っていうのは140から200cmぐらいの間にいて
その中の多くの人たちが使いやすいものであればよかろうみたいな
そういう工業製品とかって
まさに自分を誰でもないような誰かとして対象する存在なんだよね
うんうんうんうん
存在というか存在自体にはその意味合いはないんだけど
僕らはそういった工業製品から
その第三者のまさに意図とか眼差しっていうのを受け取ってしまう
はいはいはいはい
だから自然と気がつかないうちに僕らは
その誰でもない誰かになり下がってしまう
うんうんうんうん
でもそれも自分の決定だし自由の結果だっていう風に言うんだよね
なるほど面白いね
うんうんうんうん
だからすごいサルトルは自分に厳しい人なんだけど
自分が今存在している状況
例えば辛かったり苦しかったりすることも
嬉しかったり喜んだりすることも
全部周囲が決めたんじゃなくて自分が決めたことなんだ
自分が意味づけた世界の中で自分に起きていることなんだっていう風に言います
はいはいはい
なるほどねどう言おうとね
どう言おうと
世界が自分を規定してるんだ自分は操られてるんだ洗脳されてるんだって言ったとしても
それはそういったある
そういったものがある世界の中で自分がそういう風に決めたことなんだぞっていう風にサルトルは言っちゃうんだね
そう
きついねなかなかねきついというか
反論できないところがきつい
にわかに
最後ここからきついこと言うんだけど
例えば遠い自分はそもそも生まれること存在することも望んでなかったんだっていう人がいたとしますと
子供に言われたらきついやつね
なんで産んだんだみたいなね
なんでお父さん私を産んでしまったのみたいなね
そんなこと言わないでよってなると思うんですけど
サルトルそこも想定してるんだね
そうサルトルはねちゃんと考えてるんです
もういやいやとそれはもうしょうがないんだと
なぜなら自分の存在の根拠っていうのは自分にはないんだと
存在するっていうのは言えるんだけど
なぜ存在自分の存在を根拠付けるものは自分にはなくて
39:03
ただ存在するってことから始まるので
生まれることみたいな責任を確かに親とか他人とかに投げ返すことはできるかもしれないけど
その生まれてしまったとか存在してしまったっていう責任そのものが自分から離れていかないんだと
なんといったところでってことはね
そうなんといったところでその責任とか自由は絶対自分からは離れていかないんですよ
あーそっかもう自分が世界を認識してしまってる以上
もうしゃーないんだね認識しちゃってるからあるからそうなの
自分もあるから
そうあるからだから実存なんだよすべては実存から始まるっていうのはそういうこと
先立っちゃってるんだねもうねそのそういう文句を言ってる自分っていうものが存在してるからしゃーないでしょみたいなもうどうしようもないとこに行っちゃうんだね
どうしようもない
なので確かにごめんそれはお父さんが勝手に産んだよとか言えたとしてもとかそれから共感できたとしても
でもあなたが今存在しているその自由と責任はあなたのものだっていう風に言わなきゃいけないし
そういう風に引き受けるしかないみたいなのがこのサルトル的な世界観なんだよね
はいはいはい申し訳ないというのもそこは本当申し訳ないって言うのはあるんだけども
その責任と存在しちゃったよねっていうのはそこはもうお父さんも同じだからみたいな
そうそうそうそう
しゃーないしゃーないみたいなごめんそこは本当ごめんって
難しいなでもそれを受け入れるの
だからやっぱ実存主義が厳しいみたいな話をたぶんニーチェとかキュービーコロンの時にも少ししてた気がするんですけど
それやっぱこういうことなんだよね
さらにさらにサルトルが言うのは
なのでそれがまさにいわゆる自由の権威されているというか
自由と責任の関係が一人の実存としては人間の中に深く深く入り込んでいるっていうのが
この人間は自由の権威されているっていうことなんだけど
はいはいはい
だから自由っていうのは何だろう楽で好き勝手できて自分が世界を夢づけできてハッピーとかっていうことじゃなくて
自分という存在の問題っていうのは自分以外の誰にも渡せないぞと
押し付けられないぞっていうことがまさにこの自由の権威っていう話なんだよね
はいはいなるほど
職員でさサルトルが第二次世界大戦前後で活躍しましたっていう話をしたじゃないですか
42:07
まさにその戦争についても同じことっていうのはかなり厳しいことを言っていて
例えば戦争っていうのはもちろん自分が始めたわけでもないし
誰かが勝手にやったことに巻き込まれてはいるんだよね
だからその戦争の始まりには責任はないんだけど
戦争に代わって戦場で活躍するとか活動するってことはある種自分の責任とか自分の自由の中で引き受けたことなんだよね
結局戦争を拒否して例えばめちゃくちゃ逃亡するとか自殺するとかもできるんだけど
それを選ばないっていうことは例えば無理やり徴兵されたみたいなとか自分はしたくなかったんだっていくら言ってみても
それはもう自分が戦争を選んだということで
つまりは戦争の存在を許容しているとか戦争に賛成しているってことなんだってことまで言うのね
なるほどすごい厳しいけれどもさっきのスーパーで入り口って書いてるから入り口に入りましたと同じ話だったことだよね
そう同じ話全然同じ話
厳しさは違うけれども同じ話なんだね
入り口ぐらいならいいけどさ
最近だとさそれこそいわゆるこう何か物を買うみたいな行為もある種それを応援してとか支援してるという考え方って最近出てきてると思うんですけど
いわゆるやすりのとか劣悪な環境で作られた例えばチョコレートなりサッカーボールなり
あるじゃないですか発展途上国の子供たちを酷使して作られたチョコレートは買わないようにしましょうみたいな
あると思うんですけどまさにそういう要は気にせず
安いチョコレート買っても全然いいんですけどそれが例えばそういう回り回ってそういう子供たちの作種をある種支援しているというか
そこに賛成しているみたいなことになっちゃうよみたいな話でもあるんだよねこれって
なるほどなるほどはいはいまあそれはそういろんな複雑なのがあるからあんまり深入りはしないけども
単純に安いチョコを買ったからダメでじゃあフェアトレードの例えばねチョコとかフェアトレードのコーヒーを飲んだからじゃあいいかって言われたら
そこも違うと思うそれだけじゃないと思うからそこはねちょっと勘違い
45:01
あれで例として確かにはいはいアクアでも例というかそういう
まあ起きた時にサルトルはやっぱり一人の人間っていうのは世界全体に対して責任を負っているんだっていうことまで言うんだよね
なぜならその世界というのをいわゆるグローバルな地球の世界ってものと自分自身が生きている立ち上がった世界っていうのは両方がある種含んでるんだけど
まさに人間っていうのは唯一その世界ってものの意味付けができる存在だから
その世界で起きていることすべては逆に自分の責任だっていうところまで行くのよ
まあそうだよねそこはある意味そのお互い関係し合ってるっていう風に相互作用できちゃうんだね
そうそうそう究極の実績みたいな感じなんだけど
だから生きるっていうまま存在するっていうことは何かを選び続けるっていうことであって
それを選ぶっていうのはそれをある種肯定し続けることなんだと
だからある種その入り口から淡々と入っていく人っていうのは
別に損は思ってないんだけど自分が秩序において生きるんだっていうことを選んでいるし
そういう通常っていうのをある種肯定している
それが良いとか悪いとかじゃなくてもしは普段に生きている分には良いんだけど
そういうことをある種実存的な生き方としては言えるんですよっていう風な話なんだよね
はいはい
ただ生きるだけでもめちゃめちゃ大変だねこんな風に言われたら
まあねすごい大変なし
これ前聞いたサルトの話からすると
例えば入り口から入るか出口から入るかで悩む
本当に俺はこっちから入っていいのだろうか
誰かに操られてるものではないだろうかみたいなさ
そういうなんかめちゃくちゃ言い合う人からすると
もうあの反骨精神しかないみたいな感じかな
反骨というかただのひねくれたやつでもいいけどね
でもね難しいんだよここが
まさにこれがねサルトが病的っていうところでもあるし
自分が例えばそういう秩序に対する反秩序とかひねくれっていう風にした瞬間にまた対象を我々化するというか
結局そういう大事じゃない我々の方に行っちゃうんだよね
だから実存主義の人たちというか
48:02
サルトでももちろん社会活動にも参加するんだけれども
やっぱり自分ってものがどう考えているかとか
自分ってものが本当にどういう存在であるかということにやっぱ向き合わざるを得ないんだよね
はいはいはい
その実存主義というのはただのそういう一般論とか常識とかいったものの
反対対義語ではなくてあくまでフラットな概念なんだよっていうところを理解する難しさみたいな話だよね
そうだね
外から見ちゃうとなんかちょっとひねくれてるなとか
なんかこういうことは聞いてくれないなみたいになっちゃう感じなんだけど
そういうことじゃないそういう次元の話をしてるんじゃないんだっていう話なんだよね
本当に素直に見た時にそうなってそう思うんだもんっていう話ってことだもんね
サルトからすると
逆になんで素直に考えずに受け入れちゃってるんですかみたいな
素直な視点を忘れちゃってるんですかみたいな話で
そうだね
一旦そこ入り口出口考えてみましょうみたいな話ってことだもんね
そういう入り口出口っていうものを通じて自分が自分じゃなくなっているってことについて
気づいていますかっていう話よね
今日最初の話に戻ると
入り口とか出口っていうものをもうリンゴみたいな話だよね
最初あったけどもう自明のリンゴとして受け入れてるみたいな話だよね
自分とは無関係に存在している入り口とか出口っていうものを受け入れた瞬間なんだねそれはね
ちゃんと自分が認識した入り口とか自分が認識した出口っていうものを
自分で自分の責任において捉えていますかみたいな
そういうことなんだよね
そういうことだね
ちょっとなんか最初聞いたのが少し役立った気がする
よかったよかった、それで我々は喋ってよかったなって感じなんですけど
まとめの方に行きますと
本来このサルトルの考えるというか実論書記的な人間っていうのは
あれる出来事とかもっと言うと世界そのものっていうのを
自分のためのある種機会とかチャンスとして役立てて
自分というのを他者とは違うある種独立性のある存在として
ライトとせることができるんだと
一方ね多くの人がやっぱ他者の眼差しとか
どのような状況っていうのに囚われちゃって主観を我々化して
自分ではない自分になっちゃうんだよと
51:02
これはサルトルの言葉で言うと自分で自分を否定する
要は本来自分というのは独立性があるはずなのに
それがないっていう風に思っちゃうっていう自己疑問の状態だっていう風に言うんだよね
改めて言うと自分自身を
なのである種自分を取り戻そうとか
自分で自分に対して世界に関わっていこうというような話が出てくるというのが
サルトルの哲学です
サルトルもそっちは推奨してはいるのかな
そうだね流されるんじゃなくてとか
自分自身で要は第1回でお伝えした通り
そもそもこの先どうなるんだろうとか
世の中大人たちが腐ってて若者希望がないみたいな時に
いやそんな別に世の中とか大人とかはどうでもよいのだと
結局は自分が世界をどう意味付けるかだから
そこに対して自分自身で考えていこうねっていう話はありつつ
やっぱりその当時のいわゆるマルクス主義的な動きとか
資本家と労働者の対立みたいなところがやっぱり現実にあったから
そこをどう乗り越えるかみたいな話で
サルトル自身も活動していくっていうのもあるから
純粋にある種先人的な私は孤立無縁で一人ですみたいな感じではないんだけど
なるほどちょっと色はついてるけれども
サルトル自身のね
そのあたりを実は批判されてまさにレビストロースに批判されて
ある種サルトルがコテンパに預けられて行動主が出てくるみたいな
そういう流れもあったりするんですけど
そこも楽しみだねこれすごい話してると思うけどね
これやっつけられちゃうんだみたいな話もね
実存主義のこういう思想自体が乗り越えられたってわけではないんだよね
はいはいそうなんだ
その辺りもまた次の行動主義の時に話できればなと思うんですけど
ここまでね結構かなり語らせていただいたと思うんですけど
これでそのキルケゴールから続く実存主義みたいなものが
なんとなくこう伝わったんじゃないかなと期待をしておりますと
なのかなそのなんとなく実存主義とか人間の存在が大事だとか
本質なくてまずは自分なのとかって言うと
自分らしさを大事にしようとか
自分の価値っていうものをもっと重要視しようみたいなね
ちょっとポリティブな感じに聞こえちゃうんですけど
54:03
それはある種複次的なものというか
なんだろうなその先にあるもので
そもそも根底にはその一人の存在として
世界の中にあるっていうのはどういうことかとか
それを自分自身の自由として意思決定していく責任を
全て自分が負うっていうその厳しさってのは何かみたいな
やっぱりもっと言うとどう世の中世界の中にあり続けるか
存在続けるかっていう結構シビアなものが
実存主義なんだよっていう風に考えて
これは僕自身は考えておりますと
なるほど
はいはいいやー面白い面白い
あのねやっぱりこういう近代前くると
やっぱり現代の考えとすごい通ずる部分ってあるんだろうなって思うんだけど
あのー存在すること人間が絶えず存在で
世界をこう意味付け意味付けし続けるっていうこと
これがある意味その自由の系というか
自由でもあり責任というのも生じてくるよっていう話なんだけれども
面白いよねやっぱそのあらゆるもの
多分ねこういうその意味付けか
ここが面白いと思う今は面白いと思ったんだけど
多分この実存主義とかない感覚か
ただただパヤッと生きている
あのーどっちかっていうとゲイゴーしちゃう方の
感覚からすると世界を意味付けし続けることって重要ですよって言われるよりも
うん
世界を疑い続けることが重要ですよって言われた方がしっくりくるんだよ
さっきのやっぱその常識に対するそのアンチみたいなさ
はいはいはい
実存主義ってもっとフラットな感覚なのに
それの常識のアンチとして
ちょっとこうなんかあのちょっと反骨精神大事だよとか
やっぱりひねくれてるっていうのもいいんだよみたいな
そっちにちょっと行っちゃう疑う
確かにね
疑うっていう話になってくるとなんかデカールとのさ
何でも疑いながら
行きましょうと目の前にあるものとか
入り口出口書いてるものを疑いながら行きましょうみたいなものが結構しっくりきちゃうんだけれども
ただその疑うっていうスタンスの持つその言葉だよね
常識に縛られてるというか
それで生きているそのさっき今回の言葉で言うと
57:01
主観我々の方かな
一般大衆みたいな
はいはい大衆の方ね
の感覚でやっぱり生かされちゃってる方っていうのは
この世界を意味付けするっていう感覚ってのはないんだよ
そうだねそうだね
だからそこがね面白いと思った
だからそれのもちろんその大変さもただ反骨精神とは違う
その世界を自分で意味付けしてやるんだっていうことの
その大変さっていうのはなんとなく想像はできて
一方でやっぱ自分みたいなやつは何でも疑ってこうとか
怪しいと思いながら行こうっていう
そこから自分それを自分で意味付けしてると思っちゃう
常識をただその裏返すとかちょっと違うじゃねみたいな
ひねくれた風に見るっていうことを
世界を意味付けして自分らしいみたいな
それも思わされちゃってるんだなみたいなところがね
結構面白くて
そこはねなんかやっぱ自分みたいなやつからすると
間違うというか
勘違いポイントだなっていうのをめちゃくちゃなんか今回この『ジッズ・ゾーン3』の
自分で意味付けするんだっていうところの
すごいね言語化してくれて
だからね今までわかってなかったなと思った
その疑うっていうことと意味付けする
それからぱっと見のさ
例えばグレルとか反抗するっていうことがあった時に
それが入り口から出口から入っちゃおうみたいなことがあった時に
それが実存主義的な自分で自分の認識からたどり着いた答えから出口に入ってるのか
反抗してるのかではない常識に
ただ単にただの反抗的な
もしくは一般的なものをひねくれとして
出口に入らされてるのかの違いって
結構ぱっと見人から見ると分かんなかったりとか分かりづらかったりする場面もあると思うんだけど
そこの引き出しが分かれたというか
そこが同じ引き出しに入ってたなーっていうのをすごい認識させてくれた感じがする
はいはいはい
それはめちゃくちゃすごい大事なことだし
1:00:01
やっぱり現象学的な理解に近づいてるなっていう気がしていて
まさにさあ相手が疑うとか批判的なみたいなの言ってくれたじゃん
あくまでも外の世界を疑ったり批判したりしてるだけで
自分を疑ったり批判したりしないんだよね
あーなるほどそっか確かにそこに自分は存在しないかも
自分は秩序を大事にする自分がいた反対側に
反秩序を大事にする自分がいるんだけど
その何々を大事にする自分っていうところは何にも変わってないんだよね
その何々を大事にする自分がなぜそれを大事にするのかとか
なぜ何かを大事にする自分としてあるのかみたいなことに降りていくのが結構この実情主義的というか
はいはいはいはい
自分っていう存在を認識することに近づくって話だよね
そうだね
まあ無なんだけどねサルトル的にそれは
自分を対象化はできないんだけど
あるって思っちゃうと今ハヤトが言ったような方に行っちゃうってことだよね
自分すらもその一般的なものとして認識しちゃうさせられちゃう
だからその働きを自覚するみたいななんかそういうちょっとねこうふわっと前方へ話になっちゃうんだよね
そうだよね面白い
でも本当に今言ってくれたその要は外にあるものを見かけにというかどんどん付け替えてもやっぱりダメで
自分があるっていうから出発するっていうことのやっぱ厳しさと大切さ
っていうのはなんか僕はすごいやっぱあるなって改めてサルトルを勉強し直したりとかこうやってお話しさせていただいてて感じたっていうところはある
なんかその辺もねまた雑談でちょっと色々触れられたらなぁと思ったりしておりました
いやーどうもそうはね実存主義って本当に何なんだろうみたいなところから
良かった良かったこの自分的にはそうはねこの世界を意味付けするっていうところがわしっとたまったから
なんかすごい良かった楽しかった
難しかったけど
聞いてる方もねなんかこうスッキリしたとかこういうことだったっていうのがねもちろんあれば嬉しいですし
ちょっとわからなかったようなのがあればそれもぜひまた教えていただいて
そしたら今後やっていく行動主義で相対化される部分もあるし
1:03:05
フルスタルトとかハイデーガーとかそういうよりサルトルより前の人たちのことをやっていくことで分かってくれる部分もあると思うので
ぜひぜひね実存主義もう終わりかとは思わずにこれからもその周りをねぐるぐる回っていくのがお手伝いなので
楽しんでいただけたらという風に思っております
はい了解でしたね結構サルトルなかなかねあのハードな感じだったけれどもまた次回以降ね
構造主義がハードじゃないのかといったらもうそれも謎なんだけれどもどうなんだろうね
ちょっとまたこの次の流れっていうことでねさらにこれをどう乗り越えていったのかみたいな
なんで乗り越える必要があったのかみたいなところちょっと楽しみに聞いていきたいと思いますので
次回以降引き続きよろしくお願いします
はいお願いします本日もありがとうございました
01:04:13

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