1. 習慣LAB(習慣ラボ)
  2. #169/誰もが間違ったことを言..
2024-12-16 12:45

#169/誰もが間違ったことを言っている

#習慣 #習慣化 #毎日配信 #税理士 #間違い
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/66656709316143a771b821b5

サマリー

誰もが間違ったことを言っているというテーマのもと、自己の間違いを認識する重要性について語られています。特に、他人を否定することが自己否定につながることや、視点を広げるための「なぜ」を問うことの大切さが強調されています。

00:06
こんにちは、モロトメ ジョーです。
今日もチャレンジしてますか?
今朝も散歩をしながら収録をしています。
時間は5時25分。
空にはくっきりとお月さまが浮かんでいます。
満月なんでしょうか?
満月に近いんでしょうか?
ほぼまんまるですね。
すごくきれいなお月さまが朝から見えます。
さてどういう感じですが、
昨日は日中に自宅から横浜港未来方面に走っていきまして、
街並みを眺めながら走っていたんですけれども、
すっかりクリスマスということで、
街並みも華やかですし、
歩いている人たちも楽しそうだし、
いいですよね。
この季節は僕も大好きなんですけれども、
そういった季節の雰囲気を自分も楽しめるということが、
一つの幸せだし、
自分が良い状態にいるのかなと、
そんなことも考えながら、
昨日は走ってきましたよというような雑談をしたところで、
今日のテーマに入っていきましょうか。
間違いを認識する重要性
今日は誰もが間違ったことを言っているというテーマで話をしてみます。
誰もが間違ったことを言っている。
そうですね。
例えばなんですけれども、
僕がこんなことを言ったとしますと、
他人を否定するのは良くないよねと、
他人を否定するのは良くないと僕が言ったとします。
これってどう感じますかということなんです。
先ほど言った誰もが間違ったことを言っているということで、
当てはめてみるとということなんですが、
僕もまた間違ったことを言っているわけですよね。
他人を否定するのは良くないと言っている、
僕もまた他人を否定する人を否定しているわけですよね。
だとすれば、他人を否定する人を否定している、
僕もまた良くないよねということになるわけです。
なので一歩引いてみる、一段高いところから見てみると、
常に間違っているとも言えるんですよね。
もっと極端な例を言えば、
1たす1は2と言われてはいますけれども、
そうではない世界があるかもしれません。
この世界にあっては1たす1は2かもしれないんですが、
またどこか宇宙には別の場所があって、
別の理屈があって、
1たす1は3になる世界があるかもしれないとは言えますよね。
だとすると、1たす1は2という話もまた間違っているのかもしれない。
これは極端な例ではありましたが、
自分が間違ったことを言っていることに気づけるかどうか、
また自分が間違ったことを言っていることもあるんだという自覚を持てるのかどうか、
これは大事なことなのかなと僕は考えています。
でなければということなんですけれども、
まずいのは自分が間違いを認められない、
あるいは引くべき時に引けなくなってしまうことだと思うんですよね。
何か自分が主張する時に間違いを認められない、
そして間違えたというその先で引くべき時にも引けない、
後に引けなくなってしまう。これは良くないよなと思うんです。
逆になんですけれども、自分で間違いがあるとわかっているからこそ主張・意見も言えるし、
間違った時には引くこともできるということだと思うんです。
先ほど言った他人を否定するのは良くないという話なんですけれども、
他人を否定するのが良くないことは間違いないですよねと。
ただ先ほども言ったように、
その他人を否定する人をまた否定している自分が良くないとも言えるわけなので、
そこをつかれた時にはその通りですねと、
僕は自分のことを棚に上げて言っているんですよという話ができるかどうか、
そこに気がついていたかどうかだと思うんです。
そこに気がついていれば、もしそこを人から指摘されたとしても、
切り返すことはできますし、引くべき時は引くこともできる。
なので前提を置いて自分の主張をできるとも言えます。
繰り返しですけれども、自分のことは棚に上げますが、
他人を否定するのは良くないと言えますよねと、そんな話ができるようになるわけです。
こういった話は自分のことだけではなくて、他人にも当てはまりますよね。
つまり自分が言っていることだけではなくて、
他人が言っていることもまた正しいように見えても間違ったことを言っているかもしれないということです。
なので一歩引いてみる、一段高いところから見る癖をつけるのがいいですよねということになります。
加えてということになるのでしょうが、他人の言っていることに感情的になるのを避けましょうというか、
一歩引いてみる、一段高いところから見る癖をつけることによって、
他人の言っていることにも感情的に反応しなくて済むのかなということもあるわけです。
視点を広げるための問い
ではそれができるようになるためにどうしたらいいのかということなんですけれども、
一つはなぜですよね。なぜなんだということを問うということはあるでしょう。
なぜを問うことで一歩引いてみることもできるし、一段高いところから見ることもできるでしょう。
なぜを問うことで感情的になるのを避けることもできるんじゃないのということです。
例えばなんですけれども、データみたいな証拠も見ずに、この方法が一番効果的なんだと主張をしてしまうというようなケースがあります。
でもこの方法が一番効果的かどうかはわからないですよねと。
データを見ていないんだったらそれがそうとは言い切れませんよねと。
なのでなぜそれが一番効果的だと主張できるのかと。
なぜを問うということは先ほど言った一歩引いてみる、一段高いところから見るということにつながる。
そういうふうに考えられるわけです。
他にも例を挙げるとすれば、相手の考えを確認もしないで、こう考えているはずだと思い込む、決めつけるということもありますよね。
自分のことを振り返ってもそういったことをしている、そんな時はあるんじゃないかと思います。
なので相手のことを考えも、相手の考えを確認もしないで、こう考えていると。
考えているはずだと決めつけるのではなくて、相手はなぜそんなことを言ったのかとか、相手はなぜそんな行動をしたのか、しているのかというように、
やっぱりなぜを問うということが役に立つのかなと思います。
今言ったなぜを問うということのほかにも、いわゆる他人視点を持つ、他者視点を持つという方法もあるでしょうし、
あとは反論を考える癖をつけるというのもありますよね。
誰かが何か言っている、主張していることを鵜呑みにするんではなくて、どこか反論すべきところがあるのではないか。
相手の言っていることは必ずしも正しいのではないのではないかと、一歩引いてみる、一段高いところから考えてみるということになります。
反論と調整の方法
ただですねと、反論についてはあまり言葉に出してしない方がいいかなと、
つまり考えが、自分の考えがきちんとまとまるまでは反論は口に出さない方がいいんじゃないのとは付け加えておきたいかなということです。
なので反論はあくまで自分の頭の中にとどめておく。
頭の中でいろいろと反論を繰り返しながら自分の考えを深めていくということでいいんじゃないでしょうか。
その上で、きちんと考えがまとまったのであれば口にすると、そういう順序でしょうかね。
それをしないで反論を思いつくままに言ってしまうと、まあ口論になったり、つまり言い争いになったりということがトラブルにつながるんじゃないのということも思いますので気をつけましょうという話です。
というわけで、自分が間違ったことを言っていることに気づけるかどうか。
なので誰もが間違ったことを言っているんだということも自分の中では抑えておきつつ気をつけていけるといいのかなと。
そして間違いがあると、自分にも間違いがある、それが分かっていればだからこそ主張もできるようになるし、
先ほども言ったように前提を置いて自分のことを棚にあげてという前提を置いて主張もできたりするわけですし、
相手から間違いを指摘された時にも引くべき時には引くこともできると、そんなことをお話ししてみました。
というわけで今日のお話はここまでです。
それではこの後も良いチャレンジを。また明日。
12:45

コメント

スクロール